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哲学9-1 プラトンとは

 皆様こんにちは。
立冬を過ぎ、雨がますます冷たくなってきています。喉の痛みや床の冷たさを感じるようになる今日この頃です。旧暦の衣替えが丁度2週間前の立冬の頃でした。昔からの智慧が寒さと共にひしひしと身に染み入ります。こういう感覚を、20歳前後に持つことが出来ませんでしたから、大きな変化だとも感じ入ります。この講義も何か1つ気に止まることがあれば、と想いながら続けています。では、前置きはこのくらいにして早速講義録に入りたいです。

 -講義内容―

問1 清掃のおばさんの仕事をロゴスとノモスで述べなさい。
問2 月収幾らぐらい欲しいですかをロゴスとノモスで述べなさい。
問3 皆さんは月に最低幾らで生活できますか。 
問4 感想

解答例(高木)

問1
ロゴス:人は綺麗にしないと効率が悪くなるし病気になるので必要である。公益に寄与する「尊い仕事」
ノモス:清掃に特別な資格や技能が要らず誰でも出来るので給料が安い仕事、「お金にならない仕事」
問2
ロゴス:必要最低限のお金が欲しい
ノモス:多ければ多いほど良い
問3 10万円

-ロゴスとノモスの復習

 前回の学生コメントで、ロゴスとノモスについて理解した3割、曖昧である3割、判らないが4割という感じであった。講義の録音を聴きなおしてみると、ノモスとロゴスを言い換える箇所が聴かれ、講義の不手際が発見された。そこで、今回はロゴスとノモスの復習を行う。1週間色々と例を考えてみた。まず言葉の定義から。

○自然(フュシス):事物一般の本来あるべき意味。本質。自ら生成・展開する力を持つもの。存在者の本性。存在。生み出すもの。
○ロゴス:自然より生成され運動する存在者が持つ秩序。多義的である。
○ノモス:ロゴスを人間が各自の判断で逸脱した仮の現象(仮象)。非存在で自然と対立しない。

○ソクラテス以前の思想家:人間が自然(=真・善・美)に還ることを目指す。
○ソクラテス :自然を基本としたロゴスやノモスの世界観は成り行き任せなので否定する
○プラトン  :自然を基本とした存在論に換わる存在論を出そうとしている

 図の解説

 自然(フュシス)    ロゴス           ノモス

星の運動    ・北極星が中心・回り方が一定   なし(人と関係ない)=神の世界
 四季の運動   ・春→夏→秋→冬→春と回り方一定 なし(人と関係ない)

 星の運動は、星自体に運動の原因があると古代ギリシャの人々は考えていました。そして、その星は、必ず一定の方向に回るという秩序(ロゴス)があります。北極星を中心とするという秩序もあります。人間世界のように各自が各々の判断で無秩序に動きません。必ず夜空は一定の方向に回るのです。地中海の冬の海は大変荒れる、と聞きます。その茫漠(ぼうばく)として荒れた海から見る星空は、日本の星空よりも遠い世界に感じられたのではないでしょうか。人間世界と隔絶した星の世界は秩序だった運動をしているのです。この点を注目して、ロゴスという考えが生まれてきたのだと推測します。そしてそこに神の世界を見ました。日本の山全体、山の中、海の中、地下、西方など色々な神の世界とは異なる感覚です。秩序と共に神聖さを星の運動に感じて神の世界としました。ですから、オリンピックでは陸上トラックが同じ走り方をします(前にも述べたように真で考えた場合)。

 では、人間世界にはロゴスはないのか?と想われるかもしれません。人間世界にも秩序があります。

  自然(フュシス)    ロゴス             ノモス

 人間の誕生    人から人が生まれる          なし 
 人間の一生    誕生→幼年→青年→中年→老年→死   あり(各自)。青年で居ようとする
 人間の生活    人は独りでは生活できない       あり(各自) 独りになろうとする

 これと同じく人間の誕生も「人から人が産まれる」という秩序があります。犬から人が産まれることはありません。存在者が生み出される(生成する)際に秩序があるのです。

これに対して人間の一生は、「誕生→幼年→青年→中年→老年→死」という順番です。70歳の老年の次の誕生日に8歳の幼年の肉体に戻ることはありません。ですから、肉体の老いには順番、つまり秩序があるのです。これがロゴスです。けれども、人間は各自の判断で逸脱します。中年になっているのに青年と同じ肉体を保とうとします。私の例で恐縮ですが、私はバスケットを18歳から続けてきました。32歳になった時、週2、3回の練習と食べる量が変わらないのに体重が4キロ増えました。中年になり代謝が変化するなど老いたのです。ジャンプは高さが出なくなり、スピードも落ちていきました。けれども、バスケットを続けるならば、32歳より前の肉体を維持しようとします。各自の判断で老いから逸脱しようとするのです。ダイエットをする、筋力を増加させて違うタイプの選手になる、ポジションを変える、新しいシュートを身に付けるなど各自の判断です。
 前回ダイエットの話をしました。適度な栄養バランスと運動に基づかず、特定の食品や栄養補助食品に頼るダイエットは不健康になる可能性が高いことをしてきしました。先ほどの代謝が落ちてきたことを考えれば、中年や老年になっても青年(青年の単語には女性も含む)の体重や体型を維持しようというのは、老いというロゴスを無視して各自の判断で逸脱するノモス、になります。
 老いても美を保ちたい。各自の判断ですから、美容整形をしたり、服装に極端に凝(こ)ったり、する訳です。秩序から逸脱してしまう訳です。美を保つのをロゴスで考えてみると、異性を獲得して生殖をして子孫を残すための行為になります。そのための手段として美や健康や体力を維持するのですが、中年や老年になると子育てや社会貢献などに目が行くようになります。青年の時は「自分を目立たせたい」、「自分だけで考える」であったのに中年、老年になると「世のため人のため」、「子供のため」と考えるようになるのです。けれども、相変わらず青年の時の考えに執着して、服や宝石やスポーツカーなどの自分を美しく見せようとするのです。その執着の対象や入れ込み具合は各自の判断です。これがノモスです。他方、全員が平等に老いるのです。これは秩序、という意味でのロゴスです。

―安藤昌益のロゴスとノモスによる共産主義

 自然      ロゴス     ノモス
人の社会   誕生時は皆対等   人の社会には貧富の差がある(皆不平等)

 安藤昌益は江戸時代の思想家ですが、彼は「生まれた時は皆平等」なのに「人間社会は貧富の差、権力の差などがあると皆不平等」に注目しました。現在の日本は世界の中でも最も差別の少ない社会の1つになっていますが、当時は、士農工商という身分差がありました。これは江戸中期から農民が武士に成れるなど実質的に緩(ゆる)んでいきますが、武士社会では大名に直接逢える権利「お目見え」によって厳しい差がありました。
 現代日本が最も差別の少ない社会、というのは義務教育やマスコミなどで逆のイメージを受け付けられている人がいるかもしれないので、一言補足しておきます。日本では在日朝鮮人であろうが、日系ブラジル人であろうが、当人が責任ある仕事をすれば、店のレジを担当するのは当然です。しかし、ヨーロッパや中東のある国などは、金銭の管理に「何々人は担当させない」ということが実際にあります。建前上は「差別はいけない」と謳(うた)いながら、実態上の差別をする、というのは多くの国であるのです。アメリカでも黒人に選挙権を与える、と法律上認めたのですが、黒人が投票所に行くと、その投票所の前に白人集団が立っており、投票する黒人をリンチして投票させなかったという歴史的事実があります。黒人だけが投票率0%というのがあるのです。日本では帰化した元在日朝鮮人、元在日中国人だけ、選挙の投票所の前でリンチして投票率を0%にしてきた歴史はありません。先ほどの金銭の例でも投票の例でもあるいは、その他多くの仕事で実際上の差別があるのが多くの国なのです。これまで何度も講義録の中に書いてきたように、フランスのイスラム系への実際の差別、イギリスのアングロ人以外への、あるいは労働者階層への実際の差別があります。そもそもニートとは差別されて働けない人々を指したのですが、日本では個人が働かない人を指すようになりました。この言葉の変化には実際の差別の有無が見て取れます。
 では安藤昌益に戻ります。江戸時代は現在よりも差別が強くかったのです。そこで安藤は「搾取を無くそうとしてお金持ちを攻撃すること」を目標としました。100年以上後のマルクス主義に良く似た考え方です。ロゴスとノモスの差を力によって埋めようとしました。その主張が書いてあるのが『自然真営道』です。自然(フュシス)の状態では人は皆対等(ロゴス)であるが、社会では皆不平等である(ノモス)。だからお金持ちを倒すのが真に人の営む道である、という意味を込めて「自然真営道」としたのです。

―福沢諭吉が1万円札に刻まれる理由

 一万円札に刻まれている福沢諭吉も生まれた時の皆対等と社会の皆不平等を認めていました。安藤昌益とロゴスとノモスを共有していたのです。しかし、福沢は、「皆不平等」は能力の差である、と言ったのです。だから、学問をして能力をつけてよう、としたのです。『学問のススメ』とはそういう意味であり、さらに福沢は能力をつけて一身独立するのを目標としました。現在ならば大学に進学して頑張って勉強して能力をつけ良い就職先を見つけて、経済的独立を獲得しよう、というのです。そうして自己実現と同時に日本国も諸外国からの独立を目指したのです。
 もしも、日本が安藤昌益の『自然真営道』の道を採り、世界で始めての共産主義国家になっていたのならば、現在の一万円札には福沢ではなく安藤昌益が刻まれていたに違いありません。当時の日本は金融経済が世界で最も発達した国家の1つでしたから、マルクス主義の言うプロレタリアート(資本家)が出てきていました。状況は似ていたのです。しかし、「金持ちを殺せばいい社会が出来る。それが自然なのだ。」とはならなかったのです。現在の日本は大学進学するのが善いこととされています。

―バスの運転手さんに「ありがとう」というロゴスとノモスの応用

 この大学はJRの駅からスクールバスがあります。私はよくそのバスの前の席に座り、降りる学生や教員などを見ています。すると実に8割前後が、「ありがとう御座いました」や頭をぺこり、と下げます。本当にこの大学に関われて良かったなぁ、といつも思っています。偏差値がどうの、とか設備がどうの、とかは人間世界の基準であり、ノモスに過ぎません。しかし、このバスの運転手さんへのお礼はロゴスそのものです。
 ノモスから考えて見ましょう。バスの運転手さんは給料をもらっています。ですから、お客に「有り難う御座います」というのは当然です。ノモス、この場合は金銭としますが、金銭の授受によってサービスを提供する、という授受の関係(ギブアンドテイク)だからです。しかし、お金を払っている利用者側からすれば、「お金を払っているんだから当たり前。有り難うというのは可笑しい」となります。
 ロゴスとして「人は独りでは生きられない」、だから、みんなで助け合う、という必要があるのです。バスの運転手さんがいるから、私個人ではなく全員が便利で生活しやすくなっている、のです。全員のために働いて下さって有り難う御座います、と言うのです。別の言い方をすれば、バスの運転手さんが公益に適う働きをしてくれているから感謝するのです。そういう意味では、バスの運転手さん個人にお礼を言っているのではなく、バスの運転手さんの働きにお礼を言っているのです。これと同じことが私達に身の回りに溢れているのではないでしょうか。そのことに、つまり、日常生活の真・善・美を見抜ける目を少しでも磨いてもらいたいと思っています。
 
―働くことの意義

「なんで私は働かなければいけないのか?」
という問に対して、「私自身のお給料のため」、「生きていくため」という答えもあるでしょう。他方、「親や社会に色々とお世話になってきて大人になったから恩返しをする」という観方も同時に持って欲しいと思います。この辺りは松下幸之助氏(パナソニック創業者)が多くの言葉にしています。是非とも読んでみて下さい。また、大学時代に「なんで私は勉強をしなければならないのだろうか?」という疑問もノモスとロゴスの両面から捉えられるようになって欲しいと思います。なぜならば、人間社会は矛盾しているから、対応する必要があるからです。1つの観方だけでは必ず行き詰るからです。

問1 清掃のおばさんの仕事をロゴスとノモスで述べなさい。
問2 月収幾らぐらい欲しいですかをロゴスとノモスで述べなさい。
問3 皆さんは月に最低幾らで生活できますか。

 問3の補足。実家暮らしの人がいると思うので静岡県の一人暮らしの家賃を出します。
1万円なら1部屋で「風呂なしトレイ共同」、2万円「1部屋風呂共同トイレ共同」、3万円「1部屋風呂ありトイレあり」、5万円「2部屋風呂ありトイレあり」を目安にして下さい。私は静岡市で一人暮らしをしていましたが、家賃3万5千円(水道代込)で「1部屋風呂ありトイレあり」でした。本は実家に多くを置いておきました。携帯電話やスマートフォンをもたないのでお金はかかりません。他方、本や漫画などには月に1万円は欲しい。食費は自炊すると3万円位。電気・ガスで1万円位。その他、1万位で最低10万円欲しい、と想っていました。自動車やバイクが欲しい人はそのお金、ゲームやアニメ、スポーツなども最低限欲しいお金を足して計算してみて下さい。

―解答
 問1はバスの運転手さんの時に述べたので簡単に。
ロゴス:人は綺麗にしないと効率が悪くなるし病気になるので必要である。公益に寄与する「尊い仕事」
ノモス:清掃に特別な資格や技能が要らず誰でも出来るので給料が安い仕事、「誰でも出来る仕事」

問2
ロゴス:必要最低限のお金が欲しい
ノモス:多ければ多いほど良い

問3
各自。学生さんの板書では、25万円、20万円、10万円、5万円など。

 考えてもらいたいのは、問2と問3のあわせる点です。自分が最低限で月20万円、相手が20万円欲しいなら、月に40万円、年に480万円となります。貯金を120万円とすると最低限2人の年収が600万円欲しくなります。他方、結婚相手を探す紹介所では年収を書く欄があり、給料が高いほど人気があるそうです。これはノモスです。相手が月に幾らで暮らせるか、を考えずに、とにかくあればあるだけよい、というのです。しかし、お金は人間生活を便利にする道具に過ぎません。幻想によって作り出された道具に過ぎないのは前回述べた通りです。しかし、600万よりは2000万が良い。2000万よりも1億が良い、というのです。600万円を超えるなら、相手の性格や最低必要な月収などを合わせて考えるのが善いと思います。なぜなら、人同士はどうしても合わない人がいる、というのもロゴスだと考えるからです。年収に釣られて結婚してみたら性格が合わなくて悲惨な生活を送った、という話はどこの地域や時代でも聴くような話です。
 逆に男性側も同じです。人は老いるのです。20歳の時に、飛び上がるほど美しい人も40を過ぎると皺が出てきます。糞もしますしおならも出ます。であるのにも関わらず外見の美しさだけで相手を選び、金銭感覚や家族関係でボロボロになるという話も、これまたよく聴く話です。金は幻想に過ぎない、人は老いるというロゴスを忘れてノモスだけになるといけないよ、という話は数々の宗教話に限らず世間話でもよく聴くのです。その際に、話の内容をロゴスとノモスを使って整理してみると良いかも知れません。この意味で古代ギリシャの自然的存在論は現代日本に通じています。

―古代ギリシャの自然的存在論の特徴:激しい感情

 では逆に古代ギリシャの特有の見方を1つ提示しておきます。それはノモスからロゴスに近づく時に激しい感情が出てくる、という見方です。人間はノモス(仮象)の世界に生きながらも、それを常に打ち破ってロゴス(真実在)に還るのである、とソクラテス以前の思想家たちは考えていました。あるいはソクラテス以降も多くのギリシャ人は考えていました。

『オイディプス王』 
オイディプス王は貞淑(ていしゅく)な妻と子供に囲まれて幸せな暮らしをしていました(ノモス)。しかし、国を襲った疫病の原因を探していくうちに(ロゴスを探す)、実は父を殺して母を妻としたという事実を思い出してしまうのです。それまで気がつかなかった自分の真実をあばきだしたオイディプスは、その激しい感情のあまりに自ら眼をえぐりだしてしまうのです。

 ギリシャ悲劇として有名なこの話は、現代の私達が聞いてもギョッとします。人間世界の幸せというノモスから世界の真というロゴスを見る際の激しい感情をテーマとしています。ギリシャ人はこのようなギリシャ悲劇を大変好みました。実際に私達も身内の死でそれまで楽しかった人間世界の幸せというノモスが引き剥(ひき)がされ、人は必ず死ぬのだというロゴスに触れた時、激しい感情を持つのです。この激しい感情を悲劇として形式化して時折楽しんだ、というのがギリシャ人の特徴です。また、これは古代ギリシャの自然的存在論に基づいています。
 こうした激しい感情をカタルシス(catharsis:ギリシャ語)と言います。排泄や浄化の意味で使われますが、激しい感情が日々の雑多なものを洗い流すと考えたからでしょう。現代になっても「悲しい時は笑うよりも泣く方がストレス解消になる」という記事がありましたが、ギリシャ悲劇を鑑賞して大いに泣き、わめいた後にすっきりしたのではないでしょうか。それが「排泄、浄化」を意味しているのでしょう。ギリシャの医学は血を抜くことでした。血を抜くことで全身がスーッとします。それも「排泄、浄化」の意味そのものを表しているかのようです。このようなスーッとするカタルシスを取り上げたのが古代ギリシャ人の特徴です。
 話は後世に移りますが、私がルネサンス期の画家で最も好きなラファエッルロは、血を抜きすぎて敗血症で亡くなりました。ローマ法王という当時の最も裕福な庇護者を持ったラファエッルロでさえ、当時の西欧医学が未熟なために血を抜いたことで40歳前に亡くなってしまいました。古代ギリシャから2000年近く医学の施術の方法が変わっていなかったのでしょう。当時最先端のイスラムの医学があればと悔やまれてなりません。
 オイディプス王の話は、オイディプス・コンプレックス=エディプスーコンプレックスとして心理学の用語になっています。思春期の男子が父親と対立するのは母親を獲得しようとするためである、というフロイトの精神分析の用語です。
 皆さんもそのような行動をしているかどうか、自分を客観視してみるのも面白いかもしれません。

―宗教と宗教教団の違いのロゴスとノモス

宗教:ロゴス「人は正しく行きるように出来ている」 →正しく生きるための観方

前に述べたように宗教とはそもそも「おおもとになる考え方」の意味でしたから、「おおもとになる考え方=正しく生きるための観方」になります。具体例を挙げましょう。この講義を受けている大学生の皆さんは、大学に来て講義を受けて、時々バイトをして家に帰って寝る、という同じような行動をしています。同じような行動でも正しく生きるための観方があるかないかで正反対の結論になります。

ノモス的観方(金や人ばかり気にしている点に留意)
「ああ、今日も出席しないと単位もらえないし、だるい。休講にならないかな」
「バイトは給料安いし、人間関係は面倒くさいし、大変だし、早く辞めたい」
「あー今日も1日何にもなくてつまんなかったな」

 ロゴス的観方(金や人が基準でない点に留意)
 「今日の講義では、また何か1つで良いからきちっと覚えよう。一生使えるように」
 「バイトは大変だけど人間の勉強になると思えば、ある意味あの人は教えてくれる人だ。厳しいけれどえこひいきはしない」
 「あー今日も1日無事に生活できた。外は寒いのに暖かい布団で寝られる。三食ご飯を食べることも出来た。家族も元気だった。」

 観方によって同じような行動も、凄く不満になるか強い満足感を与えてくれるかが異なるのです。宗教というのは「今日も生きられて良かった」、「今日も無事寝られる」、「今日もご飯が食べられた」ことを観ましょう。それが正しいですよ、というのです。「家族に下院謝しましょう」という主張は宗教なのですが、なぜなら「人は先祖から生まれた」という「おおもとの考え」から出てきるからです。しかし、現代の日本は「宗教」という言葉にアレルギー反応を起こして、「どういうのが宗教の言葉の意味なのか」を探ろうとしません。わかりに良く判らない占いの人々などが出てきています。しかしながら、神道、仏教、キリスト教、イスラム教の全てが結果としてはこのような主張しています。対して宗教団体はノモス寄りです。

宗教教団:ノモス 利益が判断基準です。

 新興宗教(本来は新宗教)だけではありません。普通の神社やお寺でも「お守り」を売っています。「お守り」とはご利益(利益)がある(かもしれない)という前提で売られています。交通安全には交通安全の「お守り」、他にも「学業成就」、「縁結び」、「家内安全」、「金運」などの直接的な「お守り」もあります。祈祷(きとう)も同じです。祈祷をして「ご利益」を願う訳です。これは宗教教団に所属するものです。「壺を買いなさい」という新興宗教のお話は笑い話にしながら、多くの日本国民は「お守り」を買うのです。
 皆さんのお家や街中で勧誘する人々が居ます。多くの場合は2人組みで、1人だけが勧誘の文句や本を配ります。勧誘する1人は入会して間もない人で、後ろで見ている人は指導員です。皆さんが勧誘する人に強い言葉を投げつけ、そっけなくすると慣れていない入会間もない人は傷ついてしまいます。そうすると社会から孤立した感覚になります。その時、後ろの指導員が「私だけよあなたの味方は」と支えてあげると、勧誘する人はより教団寄りになっていくのです。2人の勧誘はこのように、直接知らない人を勧誘すると同時に、入会間もない人をがっちり勧誘するという意味もあるのです。このように勧誘する理由は、勧誘する人数によって教団の中で高い地位に登れるからです。
 しかし、これは教団の中の地位、という所詮は、人間社会の価値判断に過ぎません。同時に、ロゴスの「正しい観方」ではなく「正しい結果」でしかないのです。「正しい結果」は1回の出来事に過ぎません。教団にさらに勧誘する人が出てくればその人に地位を奪われてしまうのです。「正しい結果」は人に奪われてしまうのです。その意味でもノモスです。
 しかしながら、「正しい観方」は少なくとも私自身が死ぬまで、決して誰にも奪われません。「正しい観方」を身に着ければ自分で幸せを探すことが出来ます。しかし、「正しい結果」で幸せになっても、それはたった1回の出来事に過ぎず、次の幸せを求めて「正しい結果」を出さなければならなくなります。宗教教団に金を貢ぎ続ける理由、労働を提供し続ける理由、入信者を獲得し続ける理由が、ここにあります。宗教教団が社会の中で行き続けるためにこうしたノモスが宗教と結びつくことは避けられないのです。ロゴスとノモスから宗教と宗教教団を区別してみました。

―富士山信仰と宗教教団

 富士山信仰は仏教と神道の結びついた修験道に出発します。日本独自の宗教ですが、宗教教団としてノモスの要素が入っています。有名なのは「お鉢回り」といって富士山の山頂を1周(約1時間半)するとご利益がある、というのです。他にも五合目を1周する「お中道(ちゅうどう)巡り」があり、富士山に3度登った者しか許されなかった、と言います。詳しくは、島田裕巳著『日本人はなぜ富士山を求めるか』をどうぞ。このような「ご利益」の信仰の形は昔からあるのです。さらに西ヨーロッパのキリスト教でも徒歩による聖地巡礼が中世から現在まであります。
 以上のようにロゴスとノモスで見ると人間世界を上手く整理できるかと思います。

―プラトンとは

目的:ソクラテスが否定した自然的存在論に替わるイデア的存在論(製作的存在論)を創造する
イデア的存在論:理想を設定して目標を明確にして国家を作っていきましょう
自然的存在論 :なりゆきまかせ

問題意識:アテナイの頽廃(たいはい)を念頭にしていた
ソクラテスとの年齢差:42歳

学校を作る:アカデメイア(現在のアカデミー)を創る。アテナイの北西の郊外アカデモスの森に

来歴:アテナイの名門に生まれ、ソクラテスの刑死後、隣国メガラに逃亡。帰国後初期の対話編を書く。その後、エジプト、北アフリカ、シチリア島などを旅行する。37歳で数学の幾何学(中学校の数学の図形)を習う。60歳を過ぎて2度のシチリア島で理想国家実現の政治実験をする。大失敗。

思想の射程:思想の全幅を見通すことは不可能なほど広い
西欧への影響:イデア論が抽象化(形而上化)され西欧思想、文化形成に取り入れられた。

ソクラテスとの共通点:「国家はいかにあるべきか」、「市民は何を徳として生きるべきか」という愛国精神と実践的関心が共通している

西欧哲学との差 
ソクラテスとプラトンは愛国精神と実践的関心で哲学を提出した
西欧哲学は神を愛する精神と神への関心で哲学を提出した
2大問題は存在論と認識論
存在論:神様はどこに存在するのか? 神様は宇宙に関わらないのか、それとも私達の中にいるのか、どこかにあるのか
認識論:神様はどのように認識できるのか? 神様は理性で認識できるのか、神様は人間には認識できないのか、神様は誰にでも認識できるのか

―なぜプラトンは西欧で異なる理解されたのか

 高木の個人的見解を述べる。前にローマ・カトリックが正統なキリスト教から破門されたことを述べた。モーセの十戒、イエスの言葉にも反する行為を行っていた。すると「正しい観方」を身に着けようとする時、ローマ・カトリックの神学への不満や不安が出てくる。しかしながら、西欧神学では中々解答が見つからない。そこで個人で神学ではない形で、つまり哲学という形を借りて神様を問題にしたのだと考える。これは前の講義で説明した物語を来歴にする作業に当てはまると考える。このように考えるならば、プラトンのイデア論が近代西欧哲学の中で、プラトンの意図とは異なる意味で理解され使用されるのも理解できる。もちろん、プラトンの「二世界説」がユダヤ神話に似ている点も他の主な原因の1つであろう。

-プラトンのイデア的存在論の特徴

 イデア的存在論の特徴を、これまで述べてきた自然的存在論と比較してみます。ちなみに、自然的存在論は現代の日本でも通じる存在論です。

自然的存在論(なる、ある):生成された状態の秩序を真・善・美と考える。であるから、生成される前が成り行き任せである。同時に、「何が秩序であるか」という詳しい検討を行わない点でも成り行き任せである。前に述べた来歴の箇所で日本では正統性=現状維持を重視する、と述べた点と重なる。

イデア的存在論(つくる):どのように生成するか=つくるか、を考える。であるから、「イデア」という理想に生成された状態をあわせていくのか、という人間の工夫が重要になる。同時に「何が正しい(秩序)か」という検討を行う。人間がつくることを重視する製作的存在論とも言われる。

 プラトンは「成り行き任せ。現状維持」だからアテナイは堕落した。人間が理想を追い求めて「つくる」のが大切である」と考えた。前にも述べたように英語の「アイデア(idea)」の語源が「イデア(idea)」ですが、英語の「観念」の意味がなく、現在の「Form」の意味になります。

-イデアを特殊に使ったプラトン

プラトンは「イデア」を特殊な使い方をしました。

動詞「見る:イデイン(idein)」→名詞「見られたもの=形:エイドス(eidos)」
              →名詞「見られたもの=形:イデア(idea)」」

がありました。エイドスはピュタゴラス学団で幾何学の図形などに使われていましたが、エイドスもイデアも両方とも形、図形の意味でした。しかし、プラトンはイデアに特殊な使い方を与えて区別します。以下に図式にします。

イデア          エイドス

見えるか?  見えない形         見える形
何で見るか  魂の眼で見る        肉体の眼で見る
消えるか?  永久に不滅         時代と共に消滅
どこで見るか 天国(産まれる前)       地上(この世)
完全か?   完全である         不完全である
具体的例   見えない三角形       見える三角形

 以上の使い方はプラトンの使い方ですから、覚える必要があります。動詞を名詞化して特殊な使い方をするのは現代日本でもあります。

―動詞を名詞化して特殊使い方をした「いやし」と「イデア」

 上田紀行先生が「いや(癒)す」という動詞から「いやし」という言葉を作りました。直接講演も聴きましたが、社会から孤立した人、例えば病気や躁鬱(そううつ)病など、を村全体で悪魔祓いのお祭りをして全員で精神の絆(きずな)を取り戻すことを「いやし」と言いました。しかし、現在ではマスコミなどで「いやし」というと1人でするもの、自分が主体的にするもの、などに使われています。1人で温泉に行くこと、マッサージを受けることを「いやし」と言います。金を自分が払って、肉体的な作用、ストレス解消のような本人の気分がさっぱりする程度の内容に使われているのです。同じような例は「希望格差社会」など多くの言葉で使われていますし、物理学では「波」は物質的な振動として定義されていましたが、時代の波、や気分の波のように社会科学や人文科学などに借用されたので、「波動」という言葉を使うようになりました。このように言葉を変化させて、使用するのは時代や地域を越えているのです。そしてイデアがプラトンの意図とは違う用途に使われましたが、これもまた「いやし」と同じなのです。むしろそこに社会全体の欲求(敢えて欲求)が現れているのだと考えられます。

―イデアと見えない三角形

 イデアとは形のことですが、では見えない三角形はどこにあるのでしょうか? プラトンによれば産まれる前に居た神の国、天国に見てきたのだそうです。現代日本でこの言葉を出せば「なんだ?宗教の勧誘か?あるいは変な人か?」と想われるかもしれません。学生の皆さんもそう想うかもしれませんが、もう少し聴いてみましょう。

-ユークリッド幾何学上の対象である三角形は見えない三角形である

 ユークリッド幾何学というと難しく感じるかもしれませんが、中学校の数学で学んだ図形を思い出してください。三平方の定理や錯覚や直角三角形などの問題です。中学校から大学に到るまで学んできたのですが、そこで描かれている三角形は不完全な三角形です。どこが不完全な三角形でしょうか? 皆さん判るでしょうか? ユークリッド幾何学の定義を挙げます。

① ユークリッド幾何学上の純粋な二次元平面である
② 幅のない直線で描かれる
③ 直線は無限の幅のない点によって描かれる

① について:私達の住む世界は縦横高さの3次元と時間を加えた1次元の4次元空間です。ですから、純粋な2次元平面を見ることは出来ないのです。私達は4次元空間に置き換えて、あるいは瞬間を取り擬似3次元空間に置き換えることで見ていると錯覚するのです。
② について:幅のない直線で描くことは近似した3次元空間では出来ません。ですから、幅のない直線という設定を持ち出します。しかし、私達が見てきた中学校の問題の三角形には幅があります。幅がなければ私達の肉体の眼で見ることは出来ないのです。ですから、私達が肉体の眼で見ている三角形は、実は不完全な三角形であり、思考によって完全なる三角形を見ることで、これを「直観(ちょっかん)」と言います、初めて問題が解けるのです。三角形の最も長い辺の幅10センチ、という時、長い辺の両端の直線の幅が実際に0.01センチだとします。そうすると、両端の直線の幅2本分の0.02センチは、最も長い辺の幅10センチに含まれているのでしょうか?含まれて居ないのでしょうか? 3次元ではこれが問題になりますが、ユークリッド幾何学の純粋な二次元平面では「幅がない直線」なので問題にならないのです。
(ブログでは図で描けないので伝わりにくいです。申し訳ないです)
③ ②と同じです。幅のない無限の点が直線になったとして、それが線として肉体の眼で見えるでしょうか? 見えるはずがありません。問は3次元で考えるからなのです。

 以上の点から、私達が中学時代から数学で見てきた図形が不完全であること、肉体の眼で見るから不完全であり、完全なる図形は、直観によって見ているという主張がおぼろげながら理解できたでしょうか。次回さらに詳しく説明します。

―数学を政治に利用したプラトンのイデア

 見てきたようのプラトンのイデアとはピュタゴラス学団の数学の考え方を、アテナイの政治を立て直すために「イデア」という特殊な使い方をしました。観方を変えれば、数学の概念を政治という社会科学の押し広げたのです。先ほど述べた物質の「波」を「時代の波」という風に意味を押し広げたのと同じです。そして一工夫加えたのです。これもユダヤ神話に影響を受けたとの説が(はっきしした証拠はありませんが)あります。

―数学から神の世界を導き出すプラトン

 不完全な三角形の中に完全なる三角形を私達全員が直観することができます。ですから、中学校や高校で入試や数々のテストで出題されたのです。では、全員が見たことのない三角形をどうして知っているのでしょうか? 認識できるのでしょうか? プラトンは、産まれる前に私達は天国に居て、その天国では完全なる形のイデアを見ていた、というのです。そして産まれる時に、忘却の川を渡るので、忘れてしまうが、時々思い出す、というのです。プラトンは直観を「想い出す=想起(そうき)」だと考えました。詳しくは次回やりますが、ここで興味深いのは、数学の直観から神の国の存在を導き出し、魂が天国と地上をつなぐ、という説を提出したことです。現在の日本では学問上の数学と神の国という宗教の問題は決して交わらない、と考えられていますが、プラトンという哲学者では見事に交わっているのです。
 この辺りは現在の日本にはない感覚、ない概念ですので、「私達はどう生きていくのが良いか?」と考える時の参考になると思います。それでは今回はここで終わります。

 以上です。
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