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哲学7-1 ソクラテスとは

 皆様こんにちは。大分晩秋の香りが漂ってきました。今回は「ソクラテスとは」です。現在の日本の具体的な例を出しながら、書いていこうと思います。宿題分があるので今回は前文を短くしてみました。

 -宿題内容-

題1 血液型占いに自然科学上(医学上)の根拠がないことを述べよ。次に、根拠がない(真がない)血液型占いが社会で受け入れられている理由を述べよ。

題2 日本は何世紀から「信仰の自由」が保障されていたか。具体的な事例を挙げて説明しなさい。

書き方
・手書き可、WORDでも可
・各題は600字以上
・提出日:来週(11月13日)

 補足
① レポートは必ず成績に入る。今回のレポートで10%程度
② レポートは論述すること。論述は、前期の講義録の中に実例を挙げているので参考にすること。
    技術者倫理「講義録4-1 3段論法と論理の問題と意味の問題」
    http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-264.html
③ 題2は、先々週紹介した竹田恒泰著『日本人はなぜ、日本のことを知らないのか』に説明があります。


 -講義内容-

本日の問題

問1 どうして3人のソクラテス像が違うのでしょうか?
問2 なぜ、現代の人々は神の声が聞こえないのか?
問3 感想

解答例(高木)

問1 それぞれの欲望で誤解したから
問2 精神病と認定しないから(精神病の区別があるから)
問3 やっと少しだけまともな講義が出来ました。


-問1 どうして3人のソクラテス像が違うのでしょうか?の解答

 ソクラテスについて、もう少しお話していきます。高校の授業で事実を知っている人もいると思いますが、それは事実を知っているだけであって、哲学「史」です。講義は『反哲学史』を元にして事実を解釈していきます。

 まず、ソクラテスの誕生からです。紀元前、この紀元とは「イエス・キリスト」が基準です。イエスの誕生前で、「Before Christ(キリスト)」でB.Cになっています。キリスト誕生よりもB.C469年―399年で70歳まで行きました。誕生した年は第2次ペルシャ戦争が終結直後であり、同じギリシャの都市国家スパルタなどとのペロポンネーソス戦争が終結した後に死刑になりました。
 ペロポンネーソス戦争は、第2次ペルシャ戦争の後に、アテナイが傲慢になったことが原因でした。アテナイは①勝利による利益を独占し、②各都市国家へ軍と資金の拠出を求め、③民主制を強要したのです。スパルタからすれば第2次ペルシャ戦争の勝利に貢献したにも関わらず利益が少なく、戦争が終結したにも関わらず余分な軍備や資金を取られ、しかも王政(専制政治)という伝統を否定される、という散々な結果になってしまったのです。そこで、アテナイとスパルタに分かれ、同じギリシャ人同士で戦争を始めたのです。さらに、アテナイの市民は、戦争が終結して道徳などが乱れる時期に入っていたのです。このようなアテナイという都市国家を、あるいはアテナイ市民を何とか立て直したい、とソクラテスは考えたのです。

―民主主義は最善なのか?

確かにアテナイは民主制を採用して国力を伸ばし、第2次ペルシャ戦争では指導的な役割を果たすまでになりました。しかし、「本当に民主主義は正しいことなのか?」、「民主主義なら全員に通用するのか?」という問を失っていたのです。「民主制であれば良い」というような妄信に取り付かれていたのです。来歴の箇所で述べたように福沢諭吉の偏頗心(へんばしん)の塊になっていったのです。敗戦前の日本の大正デモクラシーの時代とかぶってきます。この点は次に詳しく述べますが、同じ疑問が民主主義に現在でも投げつけられているため、ソクラテスの疑問、というのは考えるに値するのです。

ソクラテスは約30年間のペロポンネーソス戦争終結の直ぐ後に裁判にかけられて死刑になりました。裁判そのものは、当時のアテナイでも異常な裁判で違法に近い裁判でした。戦争をずっと続けている時代に生まれ、戦争の異常さによって死刑になった生涯でした。

 他の特徴を挙げてみます。
○信念:語られた言葉だけが真に生きた言葉で、書かれた言葉は死んだ言葉である。
として1冊も本を書き残しませんでした。プラトンの著作の中に理想的な人物として登場します。仏陀やキリストも同じく著書を残していません。孔子の弟子が書いたと言われています。
○当初から問題視されていた人物です。
○人生の後半は仕事をせずに、神殿の横を通った時に神の声が聞こえてきて、ソフィストと論争を繰り広げ続けました。
○自己の個人的権利を主張し、民主政治が衆愚政治に化し、国家が精神的な統一を失う、と考えた。
 
―同じ時代の3人の証言 
どうして違うのか? どういう人物であるかの解釈は後に述べます。

○アリストパネス(大喜劇作家 前445-385) :40代のソクラテスに対して
 「金を払えば正邪に関係なく、議論に勝つ術を教えてくれる人物」
 かなり世知に長けた、ずるい印象を与える証言です。

○クセノフォン(軍人 前430-354):晩年のソクラテスに対して
 「謹厳実直。快楽の度を越してはならないという人物」
 当たり前のことを言う説教好きなジジイという印象を与える証言です。

○プラトン(哲学者 前427-347):後半のソクラテスに対して
 「理想的な人物。辛辣(しんらつ)な皮肉と思いやりと思慮深さのある人物」
 理想的な教育者という人間の完成者という印象を与える証言です。

 アリストパネスはズルイ賢い人物と見ていますし、クセノフォンは真面目すぎる人物と見ていて正反対です。2人の像と正反対なのはプラトンの像で、理想的な人間として描いています。どうしてこのように3人の印象が違うのでしょうか。

―問1 どうして3人のソクラテス像が違うのでしょうか?

 先週の学生コメントで最初に問を出さずに、その都度出して欲しいと3人の意見がありましたので、今回からそのようにしていきます。皆さんも、これからたった1人では生きていけないのですから、人の評価や判断は必要になります。日本的なニートでさえ、親との間接的な関係の中で生きているのです。人が独りで全ての食料を生産し、衣服や家を作るのでなければ、こうした他人の評価や判断は必要になります。その評価が分かれた場合、どのように考えるかが大切になります。なぜ、3人の像はバラバラに違うのでしょうか?

解答例
① 一人一人の観点が違うから   →個人の判断
② それぞれの職業が違うから   →社会的地位
③ 関係の深さが違うら      →人間関係

がありました。それぞれ説得力があり的を射ています。高木が古代ギリシャのソクラテスの証言から解釈したのは、以下の観点からです。青山繫晴さんから聴いた言葉です。

「他人を誤解する時、当人の欲望が現れている」

 アリストパネスは劇作家です。人をあっと言わせたり、感動させたりすることでお金を得ています。ですから、常に「人をあっと言わせたい」や「感動させたい」と欲望していることになります。そして日常生活でも人を見る時も、その欲望で見ていると考えるのです。つまり、「その人の評価する言葉には、その人の欲望(日々考えていること)が現れている」ということです。こうなるとアリストテレスの評価は、アリストテレス自身の評価そのものではなく、評価する人の欲望が含まれていることになります。クセノフォンならばクセノフォンが普段考えていることが、評価に現れていることになります。話の内容は、当人がその人が欲していることである。そうなると、評価を受けるソクラテスではなく、クセノフォンを動かしたい時には、クセノフォンの評価をそのまま与えるとクセノフォンが喜ぶことになる、と言うのです。少し回りくどい言い方をしたでしょうか。

―他人を動かすために

 クセノフォンはソクラテスを「真面目な人」と評価しました。ならば、クセノフォンを喜ばせたい時には「クセノフォンは真面目だね」と言えば、クセノフォンを喜ばせられる、ということです。クセノフォンは軍人だから、常に真面目なことを考えてきたのです。そうしないと軍人では成功しません。プラトンはソクラテスを、理想的な人物と評価しました。プラトンは理想的な人物になりたい、あるいは理想的な人物を常に求めている、というのです。実際にプラトンは、政治は理想的な人物(哲学者)が王様(哲人王)になって国家を支配すべきだ、と考えました。シチリア島で2回の政治改革に取り組みました(2回とも大失敗)。
 人間はその人の心が読めませんから、行動だけが判る訳ですから、誤解が生じるのです。その誤解の方法に当人の欲望が隠れているというのです。

―異性にモテルために

 少し下世話は話になりますが、私は合コン、いわゆるコンパに参加したことがあります。自分でも企画しましたし、合計100回くらいはしたでしょうか。その時に、私は女性の話を聴くようにしていました。前回少し述べたように女性は話をするのが好きです。聴いてもらうのが好きです。話自体が好きです。他方、男性は話をして「結果どうするか?」や「正しいのは何だ?」という話が好きです。お酒の場で、そういう「どうするか?」や「正しさは何だ?」とかの話は女性に好かれませんでした。女性の話を「うんうん、そうだね」と静かに聴くのがモテました。それだけで、それをしないとモテませんでした。そうやって、ずーっと相手の話を静かに聴いていると、話す人の癖(くせ)が見えてきます。

○人間関係の話ばかりする人:あの人は嫌だ。あの人は優しい。誰と誰は仲が良い、悪い。
○物の話ばっかりする人:もっとお洒落な服が欲しい。このアクセサリー可愛いでしょ。
○自分の体型ばっかりする人:もっとやせたい。足が曲がっている。肌が綺麗だね。

 そういう風に幾つかの癖、あるいはタイプに分けられます。私は基本パターン4つ、変形型として3つほどありました。そうすると、この人はどういう基準で動いているのか、日々何を考えて生きているのか、もう少し下世話にすると何を欲望しているのか、が見えてきます。それを逆にしてみれば良いのです。

「あの芸能人についてどう思う?」と聴いてみるのです。

すると、「可愛いよね」、「服がお洒落だよね」、「足が綺麗だよね」、「若作りだよね」など、その人が普段何を欲望しているかが、ぽろっと出やすいのです。コンパですからお酒が入っていて、本心が出やすくなっているのでなおさらです。

―かみさんの2つのタイプ

 さらに。私がずーっと話を聴いていると、ポッと「あ、私の話ばっかりしてごめんなさい」という女性と、ずーっと話を続けて(適度に質問をしますが)、それで「ああ、この人は話を聴いてくれるので私は好きだな」という女性と2つに分かれてきます。この2つは結婚したらどうなるか分かりますか? 
例えば、仕事をずーっと続けて給料を安定して家族に与えつづけたり、かみさんが大変な時に家事を手伝ってあげたりした時に、「あ、私のことを手助けしてくれてごめんなさい。ありがとう」と言ってくれるでしょう。対して、私の話をずーっと聴いてくれることが好きの証と考える女性は、ずーっと仕事や家事をしていても当たり前だと思われてしまう。なぜならそれを欲望しているからです。それが途切れた時、好きの証が途切れてしまうと考えるでしょう。つまりそれが途切れた瞬間に恋愛は終わってしまうのです。同じく、仕事が忙しくなったり体調が悪くなったりして、話をずーっと聴けなくなったら、恋愛が終わってしまうことでしょう。もしかしたら、他の人の処に言ってしまうかもしれません。こういうことが私の過去の経験で感じられたことです。ですから、コンパの最初の30分、1時間で話を聴く内に相手のことが見えてくるのです。講義の最後の対機説法の所でさらに述べます。
 
-ソクラテスの主張

 ソクラテスに戻りましょう。

主張:国家が精神的統一を失うのを避けたい。
⇒現在の良い方で言えば「愛国者」。国を善くしたい。周りに嫌われてもいいからアテナイを何とかしたい。「公益」のために生きた人。「こんなこと言ったら周りに嫌われるなぁ~」とか「こんなことしたら会社首になるなぁ~」ではないのです。公益通報者保護法がある現代日本でも中々出来ないことです。

人生の後半:仕事を辞めてソフィストと議論を繰り返した
⇒現在なら大学教授だったのに50歳ぐらいで辞めて、年金が貰えるなどの個人の利益を考えず、首相官邸の前で「安倍総理止めろ!」などと言っていたことになります。周りに喧嘩を売っていた。だから問題視されました。

ポイント:建設的な意見を言っていない。
手段としては、「無知の知」です。

―「無知の知」の哲学的意義

外見(口頭):無知です
内面(本質):知識や智慧がある

相手の言っている矛盾を突く、のだからソクラテスは知識や智慧があったのです。犬に対して何かを話していて、犬が人間の言うことの「矛盾を突く」ことがあり得るでしょうか?あり得ません。ですから、相手の矛盾を突く、ということが十分な知識や智慧がある証拠なのです。

偽装:外見と内面の違い

偽って装っている=偽装しているのです。どうして偽装するのか?と言えば、ソフィストが偽装しているからです。それを皮肉っているのです。

ソフィスト

外見(口頭):知識がある
内面(本質):無知です=真・善・美がない

ソフィストも偽装しているのです。ソクラテスと正反対の偽装です。ソクラテスはソフィストが本当は知識がない=真・善・美がない、と主張するために「無知の知」を手段としました。もう少しソフィストが本当の知識がない、を説明しましょう。
現在ならば、インターネットには「知識」が溢れています。Googleが画期的な検索ソフトを開発して、「知識」が簡単に1,2分で集められるようになりました。この知識は、ソクラテスに言わせると無知でしかないのです。真の知識、善の知識、美の知識とは「己のための知識」ではなく、私自身をより善くし、周りを善くし、国家を善くする知識なのです。知識よりも智慧の方が適当な単語かもしれません。ソクラテスに言わせれば、ソフィストは、自分たちの知識を披露するだけで、その行為が聴衆や国家を善くするかどうかを考えていません。ソフィストはアテナイの利益だけを求めて、スパルタの手柄を横取りし、他の都市国家に軍や金を出させ、しかも自分たちの民主制を押し付けたのです。それで本当にギリシャ世界がより善くなっていない、と感じたのでしょう。簡単に言えば、ソフィストの知識は、「公益」のための知識ではないから、真の知識ではないのです。
 ソフィストが知ったかぶりでアテナイを扇動するからアテナイの市民が死んでいくのだ、とも考えたかもしれません。そしてソフィストの扇動を民衆が支持することもソクラテスは告発したかったのでしょう。そこを何とかしたい、その偽装を暴きだしたいのです。
 ですから、社会的に偽装が認められているから、「無知の知」で逆の偽装を提示しているのです。

―「無知の知」の皮肉

 ある学生が「僕知っていますよ。これはあーですよ。こーですよ。」という時に、先生が「へーそうですよ、そんなに知っているんだ」というのが皮肉です。「釈迦に説法」の諺があります。もしその皮肉が学生に伝われば「ああ、知ったかぶりしてしまったな。恥ずかしいからもっと勉強しよう」という教育的効果が出てきます。しかし伝わらなければ益々増長するでしょう。ソクラテスは、このように相手を褒め上げませんでした。ソフィストと民衆が大多数であり、褒め上げれば増長することが判っていたのでしょう。逆をやりました。つまり、「僕知っていますよ。あーですよ。こーですよ。」に対してソクラテスは「へーそうなんだ。でも、そこは矛盾じゃないか! 駄目だ!」と叩きつけたのです。一旦は「へーそうなんだ」と聴いて皮肉った後、自分で相手をへこませたのです。ですから、ソクラテスは嫌われました。嫌味おじさんなのです。ただ、「嫌味」と受け取られている限り、ソフィストや民衆に通じていないのです。
 「皮肉」に教育的効果がある、というはニーチェの言い方ですが、プラトンがソクラテスを教育者と観たのは、ソクラテスの皮肉と愛国がきちんと理解されていたことを意味します。

プラトン著『国家』の中のソクラテスは、「自分だって精一杯努力しているのだが、ただ私にはその能力がないのだから、賢明なあなた方は私に腹を立てるべきではなく、むしろ憐(あわ)れんでくれるべきなのだ」と言っています。相手のトラシュマコスは大声で嘲(あざけ)り笑いながら、ソクラテスの態度をたしなめます。このやり取りをみても、ソクラテスの偽装の真意、皮肉の意味は正確には受け取られていないのが判ります。

―現代日本の偏向報道と「無知の知」の真意

他方、ソクラテスは複雑な言い方をしているのですが、誰も理解してくれない、というのも伝わってきます。現在でいえば、NHKなどのマスコミで嘘や誤報や偏向報道が沢山ありそれが証明されているのにも関わらず、多くの民衆は「NHKが報道したから、と少し疑問を持っても自分で調べようともしない。」のです。外務省が発表した文章、全体の論調と全く違うのにも関わらず、最後の部分だけを報道する場合があります。外務省の発表した文章はインターネットで直ぐに見つけられ、日本語で読めるのに、それすらしない人が多いのです。さらには、マスコミの多くは自分たちの都合の悪いことは報道しない自由を行使して、政府や民間にだけ「報道の自由」を強く求めます。消費税導入に大賛成して、決定されていない内から、「決定しました!」という誤報を流し続けていました。安倍総理が最終決定権があるのに、それを取り上げず、経済界などの権限のない人の意見で「決定しました!」と報道したのは記憶に新しい所です。しかし、国民はそれをただただ信じました。
どうしてしないのか?マスコミ(ソフィスト)の言うことだけを信じて、自分の利益だけしか考えない、というソクラテスの問題意識は現代日本に通じるものがあります。

―ソクラテスの苦しみ

 この絶望的な状況で、インターネットもない時代、ソクラテスは悩み苦しみぬいたでしょう。しかし、放棄しませんでした。そこから出てきたのは、「誰も支持しない」という政治的な立場でした。安倍総理も、野田総理も、菅総理も、鳩山総理も支持しないのです。全員に駄目だ!と言い続けるのです。真の敵は、誰か?でもなく、どの政治か?でもなく、現在の政治の仕組みそのものなのです。アテナイの人々が持っている考え方そのものなのです。この苦しみは大きく、前に述べたように「強硬病(カタレプシー):体が固まる」で、長い時は24時間、その姿勢を保ち続けたのでした。ソクラテス自身は「鬼神(ダイモーン)の声を聴いている」と言い、キルケゴールという哲学者は「そうして休んでいた」と言います。全てを否定する、無限否定性はそれ程までに苦しかったのでしょう。

―ソクラテスの聞こえた声は何?

 ソクラテスは「鬼神の声が聞こえた」と言っています。鬼とは死者などを指し、現在の鬼(おに)とは違う意味で、鬼神とは「神様やご先祖様などの声が聞こえた」という意味です。ここも現代に置き換えてみましょう。古代はソクラテスに限らず、ヘブライ神話に登場する預言者モーセ、預言者イエス、他に、釈迦、預言者ムハンマドなど人ならざる声が聞こえていました。ムハンマドは神の声が五月蠅くてしょうがない、と言っています。ギリシャ神話でもアポロン(神)が聞こえてきて、それで戦争を開始するなどがありました。古代になればなるほど、神様などの声が聞こえてきたのです。

では、どうして皆さんは神様の声が聞こえないのでしょうか?

問2 なぜ、現代の人々は神の声が聞こえないのか?

 神学上、キリスト教では2000年以上聞こえていません。それ以前は10人以上が確実に神様の声が聞こえていたのです。イスラム教ではムハンマドが最後の預言者と言っており、1500年以上聞こえていないことになります。一神教上の大きな論争がある問題の1つです。答えは大きく分けて2つあるでしょう。宿題でも出しましたが、「神様の声が聞こえる」という自然科学(物質科学)からすればあり得ない、という現象を、社会が受け入れている、とう点です。毎週日曜日休むのは神様が休んだからです。イエスは神の声が聞こえたから特別な人間なのです。そのお祭りが行われています。この偽装は、ソフィストの偽装そっくりではないでしょうか。「神は信じない」と自然科学的なことを言いながら、「神を信じる」から出てきた日曜日に休むのです。「どうしてですか?」に答えられない思想家、哲学者がいたら、それはソクラテスの批判したソフィスト(知識人)に過ぎないのでしょう。私達の生き方に哲学が関わる、というのはこの辺りのことを言うのでしょうか。

 学生の解答例 ○が学生の板書内容です。

○聴き方を教えてもらっていないから
:修行の方法を知らないから。富士山信仰である修験道も大日如来などを元にして独自の修行方法がありました。これはとても良い視点です。

○神はいない
:現代的な視点で良いと思います。では、「神」とはGODでしょうか? 創造神でしょうか? 唯一神、ご先祖様、精霊? この中には「神など存在しない」と言い切れない存在がいます。また、先ほど述べたように、「ではどうして神がいる」を前提にして人類の歴史が刻まれてきたのでしょうか? 広げて欲しいです。

○人生の全てを神に捧げていないから
:清い心に神が宿る、という言葉を思い出しました。信仰心の深さが感じられるコメントで良いですね。

○神に頼らず自分達の力で生きるようになったから
:技術の進歩、社会制度の整備などを視点において、良いですね。古代は生産性も低く、気候変動などに左右されていました。

○性善説で生きていない
:行動に注目している点がいいです。人に逢えば全員泥棒だと考えるようになると、清い心が離れていく、という日本の思想が感じられます。

以上はあるクラスの板書そのままです。視点が多様で、鋭い意見でした。学生の皆さんが真剣に考えていることが判ります。解説です。

 『神々の沈黙 意識の誕生と文明の勃興』 シュリアン・ジェインズ著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 3,200円 

3000年前までは人類は「意識」がなかった、という説が書いてあります。本の帯には「20世紀最大の議論を呼んだ話題作」とありますが、反響が大きかったのは確かです。もう少し優しく置き換えてみましょう。
昔は、「正常な意識」がなかったため、精神病という区分がなかったのです。ですから、周りの人がその人の言うことに合理性があると認めたら、神の声になる、と考えられます。統合失調症や分裂症など色々な区分がありますが、それらの境界は実に曖昧です。また、精神病と言いながらその定義も曖昧です。ある心療内科の先生の本には「社会活動に不適合があるかないか」と書いてありました。原因として2つ出てきます。
① 精神病の人々を特別視しなかったから。あるいは精神病院などで排除しなくなったから

 もう1点。神の声が聞こえた、と判断するのは大勢の人々です。キリスト教では教団が出来、神かどうかの判定をキリスト教団が行います。すると現在の教義と異なる神の声が聞こえた場合、「それは神の声ではない」と排除することになります。つまり、イエス・キリスト以降、ムハンマド以降預言者が出てこないのは、「預言者と認めないから」ということが言えます。日本では敗戦後、「私は天皇である」と言いだした日本人が数十人いました。それは天皇陛下への補完(権威の復活、自己の正当化の復活など)として解釈されています。当然、これらの人々は皇室の系統からも認められていません。

② 教団の都合が悪いから

―ソクラテスに神の声が聞こえた理由

 「ソクラテスは神殿横で神の声を聞いた」ことで「無知の知」を始める訳です。これを先ほどの「欲望による誤解」の立場から解釈してみましょう。すると、ソクラテスが神の声を聞いた、というのは「少年の頃からアテナイのために何かをしたいと考えてきて、それが声なき声として積み重なって、最後、心の中で神の声として聴こえた」となるのです。つまり、ソクラテスが聴いた神の声は、ソクラテスの欲望、である、と解されるのです。誤解して聴こえてきた、という説明の仕方は、1つの説明の仕方に過ぎません。これと同じことを孔子が言っています。

―ソクラテスの声と孔子の共通点

孔子の「習いこれ性となる」は、書経の「習い性となる」や孔子の「性相近し、習相遠し」から出た言葉で、「習慣(=習い)が、その人の性格(性)になる」という意味です。つまり、習慣が才能よりも大切である、という考え方です。ソクラテスに当てはめてみると、ソクラテスが神の声が聞こえる性質、性格になったのは、常に国家を何とかしたいと習慣的に考えていたから」でしょう。古代ギリシャやローマなどにも同じような諺があり、日本では道元が、毎日の作業(作務)や座禅という行動を重視した点にも見て取れます。こうして書き出してみると先ほどの学生の皆さんの答えが素晴らしかったと思いだされます。
さて、では現代に戻しましょう。講義中に話す人がいます。何度注意しても話す人は、話さないと落ち着かない性質になってしまうでしょう。ゲームやスマートフォンなども同じです。これらは太古から変わらない人間の性質なのでしょうか。
「ああ、学校に行きたくないなぁ」と思って学校に来ている人は、何事も嫌がる性格になってしまう、という考え方です。行動から正していきましょう、という考え方です。

-ソクラテス裁判

 『ソクラテスの弁明』です。『』は本を指します。大学1年の時の哲学の先生が『ソクラテスの弁明』を読んでみて下さい、と言ったので読んでみました。けれども、挫折しました。はっきり言って、いきなり読んでも意味が分からないと思います。それは二重の意味が込められているからです。
 弁明、と言っているのですから、裁判にソクラテスがかけられたことが判ります。裁判で死刑判決を下されました。当時は毒を飲む死刑方法でした。毒杯を飲むのですが、当時は海外に逃げることが出来ました。周りの人々が「逃げて下さいよ」と口々に言って、牢屋の番人も買収したとかしないとか言われています。ソクラテスは逃げられた、のです。しかし、逃げませんでした。
 周りの人々が「逃げて下さいよ」と言ったのは、裁判理由がめちゃくちゃなんです。通常の裁判ならばソクラテスが死刑になることは、当時も現在の日本でもありません。裁判理由を見ていきましょう。
表の理由
①国家の認める髪を認めない
②新しい鬼神の祭りを導入する
③青年に害毒を及ぼす

古代ギリシャは多神教の国ですから、①は裁判理由として認められません。②ですが、自分で神殿を建て、多額の寄付を募って人々を苦しめた訳でもありませんから、死刑の理由として認められません。③だけが僅(わず)かにあるかもしれませんが、どのような害毒か、がはっきりしない以上、曖昧なままです。曖昧なままで死刑になるというのなら、私が講義をしているだけで、「青年に害毒を及ぼす」と言って死刑になるようなものです。これだけではとても認められません。さらに加えれば、ソクラテスは国家が認めている神殿の横で神の声を聞いたのですから、①はおかしいのです。②の鬼神も、カタレプシー(強硬症)で体が固まっている時に聴いた声に過ぎません。③には実は裏の理由があるのです。

真(裏)の理由
④戦争に負けた戦争責任を全てソクラテスに押し付ける

 戦争に負けたのは民衆が騙されたのです。けれども、民衆は自分の非を認めようとしません。だから誰かに責任を押し付けて、自分の無罪としたかったのです。嫌味ばかり言っているソクラテスなら丁度いいや、と殺されたのです。

-ソクラテスを死刑にするのは現代日本でもあり得る

 現在の日本も同じです。「民主党が悪い、最悪の3年間だった。尖閣諸島に入られる。北方領土を放棄しようとする。韓国の反日が激化する。原発事故の対応は最悪だった。」などなど。「選んだ国民が悪い」とは言いません。原発事故では菅直人が悪い。けれど、菅直人に自由にさせた組織的問題と、民主党を選んだ国民にも責任があるのです。さらに言うならば、福島県は県知事選挙で原発賛成派と原発反対派に候補者が別れて、原発賛成派が大勝利したのです。福島県民は原発推進を選挙で支持したのです。その責任はどうして問われないのでしょうか? あるいは問わないのでしょうか? そういう民衆が悪い、という視点を投げ出して、誰かに責任を押し付けるのです。一時は、東京電力の社長が悪い。ここに来て謝れ、とありました。「なんで退職金もらっているんだ」と。もちろん重大な責任はありますが、責任の全てを個人に押し付けていく限り、組織的問題は表に出てこないでしょう。政府と電力業界と大学界と官僚の結びつきは「原子力ムラ」と呼ばれて散々批判されてきたのに、「菅直人が悪い」と問題を矮小化していては前進できないのです。
 ソフィストが民衆を信じ込ませて扇動してきたように、「原子力ムラ」が安全神話を民衆に信じ込ませて、選挙など民主的な手続きを経て原発を導入してきたのです。しかし、民の責任は取りたくない。「国が悪い」という。
 「あいつ、いっつも五月蠅いから、殺しちまおうぜ」とソクラテスが標的になったのです。

-ソクラテスは肉体よりも無限否定性を優先させる

 ソクラテスは、こんなことは百も承知です。だから、ソクラテスは表の理由と真の理由について弁明しています。けれども、ソクラテスは、「民衆が悪い」と言い続けました。古代ギリシャの裁判は陪審員制度です。つまり民衆が判決を決めるのです。その民衆に「お前らが悪い。反省しろ」と言ってしまうのです。死刑になると分かっているにも関わらず。だから、1回目の弁明よりも2回目の弁明の方がソクラテスを支持する投票が減りました。1回目の500名中220名(有罪か無罪か)、2回目の500名中140名(死刑かどうか)に減ったのです。死刑になるのは判っていて、「無知の知」を突き通しました。ですから、

 「無知の知(無限否定性)」 > 自分の命

 としたのです。だから、毒杯を「悪法も法なり」と言って飲みました。自分の命が教えければ海外逃亡したことでしょう。古代ギリシャは数十キロ行けば、安全な都市国家が幾らでもありました。クセノフォンもスパルタとの戦争当時、近くの都市国家に逃亡していたのです。その理由は、アテナイを何とかしたい、アテナイを愛していたからなのです。ここで逃亡すれば、これまで続けてきた無限否定性を突き通したのです。裁判で陪審員を怒らせた時点で、海外逃亡をしないと考えていたことでしょう。どうしてか、私の命を投げ出してでも、アテナイを善くしたかったのです。

-3人のソクラテス像の統合

 ですから、3人のソクラテス像が統合されます。
劇作家アリストパネスは「ずるいなぁ~」と考える訳です。こういうレトリック(技法)を尽くして、悲劇の主人公になりました。創られたギリシャ喜劇やギリシャ悲劇の主人公よりも壮絶な人生です。だから、レトリック(技法)に長けている人物、と映ったのでしょう。その点を観たのです。
 軍人クセノフォンからすれば、「そうか国家のために命を投げ出している人物だ」となる訳です。軍隊で命を投げ出すのではなく、街頭で命を掛けているのです。ですから、その点を観たのです。
 哲学者プラトンからすれば、「最後まで皮肉を通して国家を救おうと格闘した人物」として映ったでしょう。「どうにかしてアテナイの人々を善くしたい」と考えた、という訳です。だから、「辛辣な皮肉、思慮深い人物、理想的な人物」という点を観たのです。
 3人のそれぞれの生き方の基準(欲望)からソクラテスを切り取ったのですが、このようにソクラテス像が統合されます。つまり、「ソクラテスは愛国者」です。このソクラテスの生き方を知って、

「では、現代の日本で、静岡で、私の家族の中で、職場で、友人とどのように生きていくか」

を考えて欲しいのです。次回は、ソクラテスの真なる目的とは、としてソクラテスの考えを見ていきます。

-人とのコミュニケーション方法と「鏡になる」

 人とのコミュニケーションが職場や学校、ニートなどで問われていますが、理想の1つとして「相手に鏡のように接する」が言われています。最後ですから、少し砕(くだ)けた話しになります。

 私は小学校中学校の時、神奈川県の茅ヶ崎市にいました。当時は『湘南爆走族』の漫画に代表されるように暴走族が沢山いました。私の入った中学校では、金髪の髪の毛の人がいましたし、一部金髪の人もいました。他の学校から襲撃にくるんじゃないか!というのも普通に語られていました。そういう不良の人達が、校庭での朝の全校集会の時に、3階のトイレに立てこもり、校庭に向けて花火を投げたり、水道にホースをつないで先生方を濡らすなどをやったりしていました。当然、中学校全体の1時間目の授業は中止です。他にも1年生で髪の毛を染めていると上級生にリンチされ、体育の時間に上級生が教室に入り込んで、勝手にお弁当を食べる事件などもありました。
 こういう暴力的な場合は、相手が暴力的ですから、こちらも鏡になって、暴力的に出なければなりませんよ、というのが「相手に鏡のように接する」の意味です。ですから、相手が礼儀正しく出てきた時に、「おう!おれはな!たかぎっていうんだ」と高圧的に出てはいけませんよ、という意味も含んでいます。相手に合わせる、相手にお任せする、という意味です。相手がどういう態度なのか、をスパッと見抜けるようになる技量が必要ですが、相手にお任せする、という意味では気楽です。

-相手の誤解と「鏡になる」が対機説法

 先ほどの誤解に通じる、と同じです。相手自身の欲望で私を誤解する時、それに合わせてあげれば良いことになります。ソクラテスもそうですが、対機説法になります。ブッダでもイエスでも孔子でも同じです、相手の誤解する欲望に合わせて説明する方法を採っていました。
 まだまだレベルの低い、と言うか、自分のやりたいことに執着している、自分の出来ることしか考えていない人、周りの迷惑を考えない人に対して、高尚な説明をしても耳を貸さないので、欲を用いて説明するのです。例えば、

「しっかり生活していれば天国へ行けますよ。天国では平和で、いくら飲んでも酔っぱらわない最高のお酒があって、美女や美男子と恋愛し放題ですよ。働かなくてもいいですよ」

と欲で相手を動かすのです。
次のレベルのある程度分かってきた人には、欲ではなくて理屈を述べます。

「死んだら、この世の世界は終わりでしょ。その時、あなたには何が残っているでしょうか? 何を持って行けるでしょうか?」

 と理屈で相手を動かすのです。
 もう少しわかってきた人には、自省を求めます。

「あなたは何故産まれてきたのか。よくよく考えてごらんなさい。周りの世界はどうやって動いているでしょうか。あなたはその動きに合っている動きをしているでしょうか?」

 と自省を求めるのです。
さらにもう2つほど段階があるようですが、ここまでにしておきます。
 それぞれ相手の欲望に対して、きちんと伝えられるかが大切です。これは人間関係、つまり、親子関係、友人関係、恋愛関係含めて全て当てはまると思います。対機説法の「機」とは機会のことですから、相手の欲望だけではなく、瞬間的な状態も含まれていると思います。つまり、その場の雰囲気も大切にする、ということです。

-男女関係の対機説法

 ですから、常に正義とか常に役目とか常に論理とか、で一定では人間関係は上手くいかない、ということです。男性は「常に正義や常に役目」などを求める傾向が強いですが、女性は逆に「瞬間的な変化」を大切にする傾向があります。例えば男性は誕生日や記念日などを忘れがちですが、女性は「花一輪でも嬉しい」と言って、日々とは違う「瞬間的な変化」を大切にします。人には浮き沈みがありますから、そこも受け止める、ということです。
 下世話な話で申し訳ないですが、昨日の朝、かみさんが「ちょっと調子悪い」と言いました。「ああそうか」と言って講義が終わったら直ぐに帰宅しました。食品の買い出し、夕食、洗物、部屋の片づけをして、子供2人をお風呂に入れて寝かしつけて、やっと夜の8時。それから今日の講義の予習を2時間して夜の10時、やっとこれからインターネットか本を読んでリラックスしようと、部屋から1階に下りていきました。すると、1階でかみさんがノートパソコンを開いて、ネットショッピングをしているのです。その時「むか!」っとしました。「調子悪いんじゃなかったのか?! 子供は寝かしつけて寝たんじゃなかったのか?! なんでネットショッピング?!!」と想いました。その時に「ああ、でも調子悪いって言ってたよな。そういう時もあるよなぁ~」とグッと言葉を飲み込みました。そして「寒くない?」と言ってほうじ茶を入れてあげたのです。毎回やったら駄目ですけれども。そうすると翌朝(今朝)、かみさんが「昨日は有り難う。ほうじ茶入れてくれてほっとしたよ」と言ってくれたのです。
 男は「常に正義常に役目」という思考ですから、「お前の役割はお皿洗ったりする家事だろう。俺の役目は金を稼いでくることだ」と考えがちです。「常に役目」という思考です。けれども、子供も「常に勉強しろ」と言われ続けると疲れてしまうのです。これでは人間関係を壊してしまいます。対機説法とはこの辺りのことも指しているのでしょう。相手は常に上下があるのですから、そこも見て欲しい、という訳です。

-女性にもてるためにホストの言葉

 私は大学時代女性にもてたいと思ってホストの本を読みました。すると「男は常にプラスで好きを示そうとするが、女性は常にアップダウンが激しい方がロマンティックと想うのだ」と書いてありました。プラスとマイナスの差が激しい方が良い、というのだそうです。ロミオとジュリエットが思い浮かびますが、どうでしょうか。
 最初は優しくていて、それをズーッと続けるのが男性の愛の証、でも女性はそれで飽きてしまう、というのです。女性に示すならば、最初は優しくしていて、ある時、「なんでだ!!」と大声で怒る。そこで女性が涙目になったり感情的になったら、ひゅっと抱きしめて「ああ、よしよし。ごめんね」と頭を撫でてあげる。マイナスからプラスに転化するのが良いのだそうです。この対機説法の考え方も、ホストのように女性からお金をとるのに使うのではなく、男女関係を維持するために使うのをお奨めします。
 私も応用してみました。1軒目は凄くうるさい居酒屋に行くんです。割り勘で。そして「ごめんねこんなにうるさくて。2件目おごるからいこうよ」とマイナスからプラスにします。そして2軒目は、すごく静かなショットバーに行きます。1軒目と2軒目の差、割り勘とおごるの差をつけようと意識しました。1軒目は下手に出て、2軒目はお酒の知識で上に出ます。
 対機説法から雑談になりました。講義内容は以上です。
 

付記:今回の講義録ではこれまで割愛してきた話を掲載しました。その理由は全体の文意を具体例で理解して頂きたかったからです。私の個人的な体験話で、例えば「女性は家で家事をするのが当然だ」、「夫は稼ぐのが当然だ(私は全然稼いでいません)」などの文意を伝えたかったのではありません。全体の文意として「私の欲望でかみさんを縛ってはならない。押し付けてはならない」という意味を込めたつもりです。拙(つたな)い文章で誤解が生じたらならばお詫び申し上げます。
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