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哲学4-1「日本の善とは何か」 「日の丸」と「君が代」

哲学第4回 

講義日10月16日の台風状況について
明け方過ぎ去った台風のため、JR東海道線に遅れが出る。そのため、出席状況が芳(かんば)しくない。斯く言う私も、10時20分に静岡駅のホームに着くが、普段の2倍近い時間が掛かった。翌週、JR東海道の証明書には2時間近い遅れが記載されていた。

配布プリント1枚(B4):

『口語訳 古事記』 訳・注釈 三浦 佑之 神代篇 其の二 3 6,3 7
『世界の国家』 国歌研究会編 頁と国名の抜粋。12(アメリカ合衆国),20(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国),38(オーストラリア連邦),78(デンマーク王国),87(ネパール王国:現在はネパール連邦民主共和国),93(バングラディッシュ人民共和国),100(フランス共和国)

今回は解説を中心として講義の口頭で話した内容を大幅に加筆修正してあります。

-講義内容-

―台風と日本の季節感

皆さん、こんにちは、今日もやっていきましょう。今日は少ないですね、台風のせいで。静岡駅から電車でいつもの倍ぐらい掛かりました。昨日はですね、「今日は台風でお休みかなぁ」なんて思いながら、先週の講義を思い出していました。日本の料理は3大料理の1つです。それは食材のこだわりの点で、全ての食材に旬がある、という点です。ちなみに支那料理は料理の下準備の点で、トルコ料理は食材の多さの点で3大料理としました。それから俳句のように季語を入れなければならない。世界で唯一です。これから日本は季節に対して敏感である、というのが判ります。季節を大切にする、これが善いことなんだ、あるいは美である、美味しいとは美しい、味と書きますね。そういう考え方が日本にあることが判ります。これは何故こうなるか? 原因は台風です。
 皆さん分かりますか?
 
 ここからは中学の理科の知識で解けます。シベリアは世界で最も寒い地方があります。朝鮮半島の北から寒気がやってきます。赤道付近からは暖気がやってきます。寒気と暖気がぶつかると雨が降ります。寒気が強いと寒くなり、これが冬です。暖気が強いと暖かく、暑くなります。これが夏です。日本はこの押し引きの中で2回の雨の季節が来ます。暖気が日本列島に迫ってくる時期が6月で、梅雨(つゆ)と呼ばれています。旧暦では5月。5月を皐月(さつき)と言い、「五月雨(さみだれ)」という言葉が残っています。反対に、寒気が日本列島に迫ってくる時期が9月から10月。「秋の長雨」などと言われます。この雨の時期に台風がやってきて激しく大量の雨を降らせます。これだけならば、南方のフィリピンなどと変わりありません。むしろフィリピンの方が台風が多くやってきますから、影響を受けています。
 ここで、日本の特徴が出てきます。4月から9月の旧暦の月名は、全て稲に関係するという説が有力です。稲の収穫時期が、丁度、寒気による雨の前線と台風が重なる時期なのです。稲は日本では年に1回しか収穫できません。南方のタイやバングラディッシュなどは年に2,3回収穫できるので、台風で1回収穫できなくとも、被害は軽くなります。しかし、日本では1年間の食料を確保する時期に、最も激しく強い雨が降り、川の氾濫などの2次災害も起きるのです。ですから、日本では生存のために、天気の移り変わり、を大切にしてきたのです。逆の言い方の方がより正確でしょう。
 「台風などの天気の移り変わりに敏感でなかった人々は、食料が収穫できず、生存を脅かされた」
 さらに、稲は南方と支那大陸からそれぞれ3,4種類の稲の原種が入ってきました。ですから、稲は南方の植物で、湖や沼地などに撒いておけば、後は実が生るまで手のかからない植物です。しかし、日本という別の気候と土壌に持ってきたので、田の整地などの灌漑設備が必要になりました。稲は種をそのまま田に植えると収穫量が減るので、種から苗を別の場所で育て、その後田に植えるという作業をします。種をそのまま撒くと寒いので収穫量が減るのです。稲の原種が南方からやってきたことに由来します。このように、稲は収穫時期のみならず、種まき時期、苗を植える田植えの時期などでも天候の変化を気にしなければなりません。それゆえ、日本人は季節の移り変わりに敏感になりました。
 これは、例えば、四季の始まる時期を見てみると良く理解できます。日本で最も気温が高いのは8月の第一週です。第一週か第二週に「秋」が始まります。立秋です。夏の最も暑い時期、つまりピークの時期に、秋が始まる、というのです。100の内、1,2だけでも秋が入り込んできたら「秋」というのです。あの、気が狂いそうになる暑さ、外を歩くと日陰でも汗が止まらない天気の中で、少しでも「秋」があるから、秋、というのです。東アジアからの留学生に聞いてみると驚いていました。日本人も季節以外は、割合が入れ替わった時を変化の時、とします。例えば、それまでの内閣不支持率0%で、内閣支持率が90%とします。内閣支持率が99%になって今後下がることが確実な時に、内閣不支持率が2%と増えてきたとします。この時、入れ替わりが起こった、とするのです。内閣支持率98%、不支持2%でも、今後不支持率が確実に増えるならば、この内閣は終わった、というのです。日本人が季節感についてどれほど、注目しているか、大切にしているか、重要視しているかが判るでしょう。
 文化で観てみましょう。茶道の茶菓子は、1年間に24パターンあります。それは季節によって変化します。ヨーロッパや支那のお菓子は、1年中ずーっと同じ。チョコレートも同じものを出します。しかし、和菓子は中身は一緒でも形を季節に合わせるのです。24パターン以上に変化させる場合もあります。また、その年の季節の変化、「今年は桜が遅い」とか「雪が早く降った」などに合わせることもあります。和服では、桜が満開の時期に、桜の着物を着るのは良いとされません。桜が1分咲き、2分咲きの時に、満開の桜の服を着るのが良しとされるのです。これも季節に敏感であることから来ています。
最初に述べた日本人は全ての食材に「旬」があると考える、というのも、食材の季節を大切にするのを意味しています。日本人は世界で最も、季節感を大切にするのです。私は日本の地理と台風の関係、さらに稲の由来から来ている、と推測しています。
台風で遅れる電車を待ちながら、こんなことを想いました。

これを哲学に置き換えてみましょう。
日本では、生存のための条件から、季節感を大事にしました。つまり、季節感を大切にするのが善である、という価値観に昇華したのです。これまでの、物語、行動、試練で置き換えましょう。この場合の物語は、地理的条件や稲の生育条件などです。こうしたものは、集団の生存の規定をするからです。その上の、人々の努力や苦悩や試練が重なり合っていき、来歴となったのです。つまり、季節感を大切にするのが善である、という日本の来歴は、古くからの日本人の苦悩や試練や努力によって造られたのです。その出発点が台風や日本の地理的環境や稲の生育条件、ということになります。
―善と反証可能性 講義の補足(講義では述べていない点)

これは同じ出発点を持っていても、異なった善を持つという可能性を排除しません。第2回に少しだけ述べました反証可能性を認める、という意味になります。ただし、ポパーは、人類の歴史は、たった1回しかない経験であり、科学のように何度も繰り返してテストできない点を指摘しています。この点は補足しておきます。この視点は、人文科学や社会科学を考える際に重要な視点だと考えます。同時に、自然科学と見做されがちな宇宙論、宇宙は何時始まったのかなど、にも適応できます。宇宙は開闢(かいびゃく)以来、1度しか生成されていません。あるいは私達人類には1度しか観測されていません。ですから、何度も条件を換え、あるいは違う条件で比較できる、という意味でのテスト可能な対象ではないのです。現代物理学や化学などとは決定的に異なる点です。
このポパーの視点から、来歴を見直すと、善とはテスト可能な対象ではない、ことが明確になります。

―前回の補足:要点のみ記す。
 神社で拍手を打つ時、左手が少し前、右手が少し後ろ、神様に進む時は左足から、退く時は右手からの理由。仏様の時は音を出さず、神様は音を出して呼ぶ。仏様は呼べない。神様は呼べる。その理由は私達の中に神様の部分があるからである。この点をキリスト教に基づくアメリカ人は理解できない。昭和天皇陛下に「人間宣言を出させる」をした。神と人は断絶していると考えるから、日本では連続している。「人間宣言」は名前だけで、内容は全く違う。

―国旗と国家に対する問

問1 国歌「君が代」の歌詞をなるべく漢字で書いてください。
問2 国歌に込められた意味を書いてください。
問3 国旗に込められた意味を書いてください。

 1999年に国旗国家法が成立したので、皆さんは7,8歳くらいだったでしょう。小学校の音楽や社会などで教えなさい、と法律に書いてありますから、皆さん知っているでしょうか。私は日本代表のサッカーで聞いてイメージが変わりました。大学を卒業するまで、君が代を自信を持って歌うことが出来ませんでした。込められた意味など知りませんでした。
 よくよく考えてみれば、「君が代」は歌ですから、きちんと込められた意味があるのです。習うことがありませんでした。そこで自分できちんと調べて見たのです。今年の夏にさらにきちんと調べてみて、日本の古典と比較してみました。
 「君が代」と「日の丸」は日本を象徴する旗と歌ですから、日本人の来歴や心が込められていました。

―雑談
 理系出身の社長の少なさ。東大のシステムと学生に哲学を求めないこと、勉強の習慣化(目標ない勉強方法)

―国旗と国歌に見る日本の素晴らしさ、の要点

○「君が代」に込められた意味 :権力争いから離れた世の中で、1人1人の違いを認めな
がら仲良くしていきましょう。

○「日の丸」に込められた意味 :清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう。

 これが日本の物語と苦悩や努力から生まれている、という社会背景は前回に述べました。「君が代」と「日の丸」とは日本における善を象徴しています。その善の意味は以上の通りであり、日本全体の善を捉えて、次に古代ギリシャの真・善・美について比較しながら学んで欲しいです。古代ギリシャと日本は同じく2千数百年前に誕生して、別々の民主主義を持った国です。諸要素はありますが、片方は特異化し、片方は権力と権威を分離することで生き残りました。
 また、今回は時代を千年以上下って、デンマークやイングランドなど1千年近い歴史を持つ国家の、国旗と国歌とも比較します。アメリカとも比較しながら、日本が「民を大切にする」や「話し合いを大切にする」という善を持っているのを知ってもらい、その上で、「こうした日本の善は、多民族社会で構成される現在、未来の国際社会の中で通用するのか?」を考えてもらいます。
私達日本人は、「日本人の善」を取り戻すだけで良いのでしょうか? 過去の来歴は物語に過ぎません。そこに現在生きている日本人の直面する苦悩や試練が入っておらず、努力によって新しい来歴を構築していないからです。同時に、「私はどう生きたら良いのだろうか?」や「私とは?」の問いの内在化、と内的確信が得られる、私は考えます。哲学を、あるいは思想を学ぶ意味は此処に尽きると考えます。
以下、出発点として、国旗国歌に見られる日本の善をお話していきます。

―国歌「君が代」の解説

 最初に「君が代」の意味をもう少し噛み砕いて書きます。

「君が代」の意味:
天皇個人を讃えるのではなく、天皇が何代にも渡って世の中を治めるのが素晴らしいです。なぜなら天皇が勅命で権力を貴族に任せるようになって安定してきたからです(君が代は)。そういう安定した世の中が末永く続きますように願います(千代に八千代に)。安定した世の中で、私達は1人1人違うことを認め合い、文化の違う人々とも仲良くするように努力していきましょう(さざれ石の巌となりて)。そうやって清い心を持ちながら新しいものを造って行きましょう(苔のむすまで)

―哲学上の価値
:美の前では権威も権力も関係ない
:話し合いによって合意を求める努力は善である
:人間には善と悪の両面がある

―詳しい解説
―「君が代」に見る皇室と政治権力
:『古今和歌集』では、「我君は、千代に八千代に・・・」でした。我君とは天皇個人のこと、「君が代は」は我君が続く代で、皇室の連続性を指す。『古今和歌集』作成を命じられた醍醐天皇は、「延喜の治」と言われるほど名君であった。醍醐天皇の時代は、天皇から権力が皇族に移った後、貴族に完全に移る時代である。皇室の権威と政治権力が切り離される時代であった。現在の日本も毎年首相が変わる点で政治権力は混乱しているが、皇室の正統性が日本国を混乱から救っている。イラク、エジプト、シリアなど権力と正統性が結びついた国々では、政治権力の混乱が国の混乱になる。フランスではルイ14世をギロチン台に掛けて権力と正統性の関係を変えた。日本では勅命で聖徳太子が初の摂政となり、天皇個人と権力を分離し、その後ゆれ戻しもありながら、藤原氏の摂関政治、平民の平氏政権と皇室と権力は分離していく。鎌倉政権では宮中と権力が分離、明治維新では御誓文(五箇条の御誓文)によって権力は民の代表へと移っていく。日本では全て勅命によって皇室の権威と政治権力が切り離されていくのである。この由来は諸説あるが最も古いものは、日本国を大国主から国譲りされたことによる、という説である。説は物語であり、その後、日本人が長々と努力を現在まで重ね続けた結果、皇室と権力は切り離されている。これは来歴である。以上の来歴からすると、「我君」から「君が代」に変わった理由は、政治権力を手放して安定した世の中を指すからである。

―千代に八千代に
 語彙の意味は「末永く」である。「八」は『古事記』などで良く見られる単語で「沢山の」などの意味がある。「千代に八千代に」は「永く、もっと永く」の意味である。先ほど述べた「皇室が政治権力とはなれて安定化した世の中」が「末永く」である。

―さざれ石の
 さざれ石(細石)とは、細かい無数の石が、川の中で石灰質によって結びついた石である。神宮(伊勢の神宮)を始め多くの神社で見られる。大理石のように変成岩は材質が一定の幅にそろっているが、さざれ石は細かい石が入っており、均一ではない。石灰質はチョークを考えてもらえば判り易いが、弱々しい結びつけである。大理石の耐久性や利便性はないのである。しかし、さざれ石が尊いと考える処に、思想がある。つまり、1つ1つの小さな石は変成石のように均一性を求められない。そのままで良いのである。前文の皇室の代を考えれば、民が皇室を見習って同じようにせずに、そのままで良い、という意味になる。世界の殆どの王政では、王の命令に民が従わなければならない。そこから外れるものは排除される。そうした均一性を尊いとするか、民が皇室と同じようにならなくても良いと尊いとするか、は思想なのである。日本は後者を取った。つまり、高木という教員の考えに学生の考えを似せる必要はないのである。男女があればどちらかを標準する必要がないのである(この事例はこれまでに述べてきた)。どちらも標準なのである。老いも若きも役目こそ違えど対等と考える。東南アジアに進出した日本のある会社の工場長が朝、工場の前を掃く、という話を聞いたことがある。東南アジアでは植民地の歴史が長く上下の観念が強く、工場長が掃除をすると工員に馬鹿にされる、と言う。しかし、日本では「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」の諺通り、工場長が率先して掃除をするのを善しとしている。この根底にあるのは、私達は役目こそ違えと対等と考えているからである。この考え方は、日本の歴史(国史)を眺めるとさらに明らかになるだろう。

―巌となりて
 巌は固くなる、という意味と、元気で、という意味がある。「我君」や「君が代」と同じく西暦800年以降、歌に良く歌われる言葉である。「巌」も同様で、よく使われる言い回しである。『万葉集』(西暦759年)に以下の歌があります。

「春草は 後はうつろふ 巌なす 常盤にいませ 貴き我が君」(市原主)

この場合の「巌なす」は元気に、という意味が強い。貴き我が君は、遠くに離れた父親で、父親の元気を歌っている。高木は「君が代」の「巌」を固くなる=仲良くする、で解釈しているが、元気で、と意味を強く解釈できるかもしれない。すると、「皇室の安定が末永く続きますように。1人1人違うけれどみんな元気で、新しいものを生み出しましょう。」という意味になる。この意味もまた味わい深い。

―苔のむすまで
 苔は生命の誕生を意味する、単語である。「むす」は創造を意味し、『古事記』の冒頭、ただ一柱(神様は柱が数詞)の神が現れ、次に「タカミムスビノカミ」と「カミムスビノカミ」が現れる。両方の神様とも「ムスヒ」の文字が入る。「ムスビ」は「結び」というように結びついて新しいものが誕生するという意味である。おむすび、はとても美味しい。「ヒ」とは霊であり、霊が止まるから「ヒ」「ト」という説がある。男は「ヒ」「コ」、女は「ヒ」「メ」という。この説はさておき、日本の思想では男女の原理が結びついて創造される。男女はそれぞれの原理を指し、男女の原理の結びつきで創造される、という意味である。聖書の思想では神はただ1人で創造される。
 苔に戻ろう。苔は綺麗な流れの中で生まれる。さざれ石が生み出されるのも川の中である。とすると、苔は清い流れが続く、と生命という2つの意味を持つことになる。つまり、苔のむすまで、は、

「清い中で新しいものを造って生きましょう」

という意味になる。

 『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命で撰(えら)ばれた歌集で、和歌文化の隆盛を作り、『源氏物語』に沢山引用されている。和歌文化は皇室によって隆盛を極めた。また、20巻の最初の巻は春の歌であり、夏秋冬が続く。最も多いのは恋の歌で5巻もある。戦争礼賛の歌は巻を持たないのである。日本最初の和歌と同じく、戦争礼賛ではなく四季に移り変わりや家族や恋人を想う歌が主流なのである。日本の平和を愛する心、みんなを大切に思いやる心が和歌文化を作ってきたのである。その最初のきっかけを作ったのが醍醐天皇である。

―芸術の前では権威も権力も関係ない
 『古今和歌集』には1111首ある。その内御製(天皇のお歌)は43首に過ぎない。長文の日記を書くなど文筆家であった醍醐天皇の御製はたった43首である。「君が代」は歌詠み知らずの歌である。本当に名前が判らない歌か名前のない庶民の歌かは判らないが、庶民の歌を国歌としたのである。醍醐天皇、あるいは撰者の紀貫之などの歌ではなく、優れた歌であるとして歌詠み知らずの「君が代」を明治時代に国歌とした。

―民を大切にすることを第一とする
 「君が代」は歌詠み知らずにも関わらず、広く民の間に浸透して歌い継がれた。神事でも仏事でも歌われて宗教を超えていた。結婚などの行事で歌われ、近松門左衛門など浄瑠璃などの文化に取り入れられた。このように民が歌い継いできた経緯を大切にして、国歌としたのである。正統性から考えれば、日本国(大和)を建国した神武天皇の御製、特に建都の御言葉が相応しい。仁徳天皇の大規模土木事業と民のかまどの精神、醍醐天皇の『古今和歌集』の和歌文化の隆盛や国家の再建、明治天皇の国威隆盛もまた、次に相応しい。しかし、民を大切にして「君が代」を国歌としたのである。
 さらに、天皇陛下の誕生日である天長節(現在の天皇誕生日)にも「君が代」を採用した。皇室は民を大切にする、皇室は皇室という態度ではないことが「君が代」の来歴なのである。まず、何よりも民を大切にし、先立って歩み寄るという姿勢を示されたのである。

以上が「君が代」の解説になる。さらに詳しい歴史的経緯や関係する事実は最後に基礎資料を添付する。

では次に英国と米国とフランスの国歌と比較したい。

―英国の国歌
歌詞は以下の通りである。配布プリントより抜粋

題名「神が私たちの女王を守らんことを」

神が私たちの慈悲深い女王を守らんことを
私達の高貴な女王が長く生きんことを
神が女王を守らんことを
彼女に勝利を送れ、
幸福で栄光ある、
長く私たちの上の統治へ、
神が女王を守らんことを!

おお主なる神よ、立ち上がれ、
私たちの敵を追い散らし、
彼らを倒せ!
彼らの悪辣な企みを失敗させ、
彼らの政治を混乱させよ、
あなたの上に私たちの希望を私たちは据える、
神が女王を守らんことを!

・・・後略・・・

○女王礼賛のみ 民は出てこない
○敵を倒すことを賛美している
○神の存在を前提としている

 英国は国旗で聖ジョージを象(かたど)っており、キリスト教を中心とした国であることが判る。そのキリスト教の神が女王を守るように、敵を倒すようにと歌っているのである。国旗はローマ法王が授けた十字の旗であり、倒すべき敵は異教徒を指している。イギリスは複雑な民族が入り乱れており、現在も日本の江戸時代と同じ封建制である。連合王国であるU.Kは、女王礼賛によって統治するという来歴を持っている。これが国歌に見事に現れている。
 英国ではパンクロックが70年前後に出てきた。その背景に女王礼賛の統治体制がある。「セックス・ピストルズ」の「ゴットセーブザクイーン」という有名な曲は、「神は女王を救うが俺たちは救われないんだ」という歌詞である。つまり、何かしら道徳や社会のルールを守ることは女王の利益になるのだ、という論理で無政府主義を主張するのである。ここには、女王が政治権力を握り、英国全体の礼賛を受ける存在者という社会背景があるのである。「君が代」が浄瑠璃等に取り入れられたように、国旗国歌は文化と深い関係がある。

― 米国の国歌

題「星条旗」

おお、あなたは見ることができるか、
夜明けの早い光によって、
あんなにも誇らしく、私たちが黄昏の最後の輝きで
歓呼して迎えたものを?
誰の広い縞と明るい星が(注:星条旗を指す)、危険な戦いを通して、
私たちが見た城壁の向うに、
あんなにも雄々しく翻っていたか?

・・・中略・・・

そしてあんなにも自慢げに誓ったあの一団はどこか
戦争の荒廃と戦闘の混乱が
故郷も国も私たちにはもはや残さないだろうと!
彼らの血は彼らの不潔な足跡の汚れを洗い流した。
避難所は彼らの雇われ人と奴隷を助けられなかった
敗走の恐怖と墓の暗闇から:
そして星条旗が勝利の中で翻る
自由の土地と勇者の故郷に。

○戦いの歌であり、勝利を礼賛する
○敵を殺害したことを誇る
○傭兵と奴隷が出てくる

 作曲は当時のヨーロッパの流行歌で、その替え歌である。替え歌は色々なバージョンがある。アメリカ合衆国(字義としては合州国)は、約300年前に成立して1度分裂、リンカーンによって再統一された。300年間休むことなく戦い続ける歴史を持つ。その歴史が見事に表現されているのが星条旗なのである。

-フランスの国歌

題:「マルセイユの歌」

立ち上がれ、祖国の子供よ、
栄光の日が来た。
私たちに対して、専制政治の
血染めの旗が掲げられる、
血染めの旗が掲げられる。
聴け、野原で、これらの獰猛な兵士が叫ぶのを。
彼らが私たちの腕の中にまでやってくる
あなたたちの息子たちと配偶者たちの
喉を切るために。

CHORUS:
部隊へ、市民たちよ!
あなたたちの大部隊を形づくれ!
行進しよう、行進しよう!
不潔な血が私たちの溝を潤さんことを。

○敵が出てきて、専制政治とする
○どこにも逃げられないと言う
○敵の血を流させるために軍隊を作ろうと言う

 フランスはルイ14世の打倒を国家の出発点としている。ルイ14世は専制政治であり、フランスの歴史に根ざしている。また、フランスは英国、ドイツ、イタリアなどに囲まれた国で、否応がなく戦争に巻き込まれる土地である。そのためか、防衛戦争という意識が強いのではないだろうか。島国である英国との比較をすると味わい深い。

―日本の来歴と「君が代」

 それでは次に日本の国歌「君が代」に移ります。歴史に注目しながら見ていきましょう。
 聖徳太子から始まり皇室から権力が離れていくという来歴、言い換えると正統性と政治権力を切り離してきた来歴が日本にはあります。それを「我が君」から「君が代」に置き換える処、全ての歌詞の意味、歌い継がれてきた処に見事に表現されています。「君が代」は日本の来歴を見事に現しているのです。
  このような来歴があるので、日本は古代ギリシャ型の民主主義が来た時に直ぐに受け入れ新しい民主主義を創りだせたのです。ヨーロッパ以外のアメリカ大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸の中で直ぐに民主主義を受け入れて、新しく民主主義を発展させた国は日本だけです。日本人の中で、支那を支配していた清や朝鮮半島の李氏朝鮮などが民主主義にならないから、と言って怒ったり絶望したりした人々がいましたが、それは来歴が違うからである、という認識が欠如していたからです。現在でも、日本の来歴を見て、世界の中心となるべきである、と主張する西欧人、東洋人、日本人がいますが、それは同じ認識の欠如の反動に過ぎません。もう少し具体的に言いましょう。
 民主主義という物語(善なる価値観)は、ヨーロッパが世界にばら撒きました。しかし、物語は来歴ではないのです。その民族が試練や苦悩や努力を繰り返して初めて内在化するのです。朝鮮民主主義人民共和国という国があります。「民主主義」という物語が国名に歌ってあり、選挙も行われています。しかし、その民族が試練や苦悩や努力の末に獲得していないのですから、実態は民主主義ではないのです。日本では「君が代」の来歴によって明示政府の議会制民主主義は有効に作用したのです。ここを分けるものは物語か来歴かの違いです。中華人民共和国も「人民」のための共和国という意味でしょうが、実際は共産党の一党独裁なのです。試練や苦悩や努力の結果、民主主義や共和国になる未来は開かれています。未来永劫変わらない、という前提を持つと日本の来歴は素晴らしく世界の中心となるべきだ、という主張が出てきてしまうのです。これは来歴が未来に獲得できるという前提を見落としているのです。逆に日本も常に来歴を刷新する努力をしていかないと「日の丸」に込められた精神を失っていってしまうでしょう。「常に新しいということは、常に変化しているということである」という諺通りです。

―「君が代」の意味が問うもの

 朝鮮民主主義や中華人民共和国は特別なのではなく、世界の半分以上の国家では民主主義が有効に機能しているとは言えないのが実情でしょう。アフリカやアジアの国々では専制主義が民主主義を上回っています。「君が代」で歌われる民主主義は1人1人違っていいんです、という民主主義です。みんなで話し合って仲良くしましょうね、という民主主義です。「あいつ俺の言うこと聞かないからむかつく。言うこと聞けよ」という考え方ではありません。しかし人間の性(本能、本性)としては、俺に合わせろよ!というのはあります。相手が私の言うことを聞かないと怒る、というのがあります。この辺りは仏教が明確に指摘しています。専制主義は王様の言うことを聞け、聞かないやつは殺すぞ、という考え方です。人間の性に基づく考え方(主義)と言えるでしょう。しかし、皇室はここから離れようとしてきました。敗戦後の日本で「天皇は要らない」とか「皇室はあるだけよかった」などの発言や実際の物理的行動として現れたことがありました。にも関わらず皇室はこれらの人々を非難しようとしません。排除しようとせず、東日本大震災の時に、「この人は皇室に賛成か反対か」で区別しませんでした。皇室から表彰する時でさえ、皇室への賛成反対に関わらず公正に表彰されます。ここには先ほど述べた専制主義が見られません。東日本大震災の時、どのような国籍であれ、文化の背景を持っていても被災者への心を配られました。関東大震災の時に一部の朝鮮籍の日本人が皇太子殿下(昭和天皇)の暗殺計画を立て、関東大震災の混乱に乗じて帝都東京に乗りこんできました。そういう過去の歴史があるのにも関わらず、昭和天皇は大東亜戦争に敗れた後、「罪なき8000万人の民を守れるならば、私は絞首刑になっても構わない」と言われたのです。自分の暗殺計画をした人々でさえ、お心を配られたのです。ここに皇室が2673年以上受け継いできた民主主義(民本主義とも)があります。
 さて、果たしてこの民主主義を中心にして、これからの日本は国際関係の中でやっていけるのでしょうか? 世界の平和に貢献できるのでしょうか? 国歌「君が代」の意味を知ると同時に皆さんに考えてもらいたいのは、まさにこの1点なのです。つまり、私達の現在と未来を考えて欲しいのです。東京オリンピックで国旗と国歌を胸にする時、私達はその答えを持っていたいものです。

―国旗「日の丸」の意味

 「日の丸」は明治時代に国旗に確定し、皆で仲良く、という意味など「君が代」と共通する点が多くあります。「日の丸」には3つの要素があります。3つそれぞれ分けて説明していきましょう。最後につける「基礎資料」から引用し加筆します。

―赤色の意味

・赤:真心(まごころ:心の底からの善意)。正々堂々とした想い
赤=天照大御神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の受日(うけひ:受霊)の時、「心の底からの真剣な想い」を「清明心(きよきあかきこころ)」と表現している。受日では、「素戔嗚尊が心の底から善意であるかどうか」を試す。つまり、「清明心(きよきあかきこころ)」=「真心(まごころ)」を意味する。前に述べたように、漢字は日本語(やまとことば)が出来て数千年後にやってくる。音を表現するために漢字を最初は利用したのである。であるから「赤(あか)い」と「明(あか)い」は、『古事記』の時代には共通している。心の底からの善意を「赤(あか)い」、「明(あか)い」とするのは、「赤裸々(せきらら)」や「赤子(あかご)」が挙げられる。裸と心の底から、というのが共通していて「本心を」という「赤裸々」を使う。「赤子」は泣くと赤いから、という説もあるが、『古事記』の世界観に照らし合わせてみれば、死者の国(神の国)から産まれてきたばかりの存在者が赤子なのである。死者の国で亡くなると聖者の国に産まれるのである。京都の祇園祭で神の代理を幼児(御稚児)がするのは、より神に近いと考えるためである。対してローマ・カトリックでは幼児は神の理性から遠い存在で神の代理である神父(教皇なども)は男性の成人しかなれない。幼児の扱いが世界観によって異なるのである。神に近い、つまり汚れなき心を持った存在者であるから、赤子、というのである。
他にも、ありのままの心を「赤心(せきしん)」と言う。諸外国の太陽は「白」や「黄色」が多い。太陽を赤と表現するのは、実はこうした世界観が背景にある。朝日と夕日だけが赤く、残りの殆どの時間、太陽は、白、あるいは黄色なのである。むしろ、日本人が朝日と夕日を拝むのは太陽が赤いから、かもしれない。

・白:清潔な心。はっきりとした想い。
 白は穢(けが)れなきを意味する。穢れは邪(よこしま)な心と汚れた状態を指す。これも伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国=「穢れ繁(しげ)き国」から帰って後で、禊(みそぎ)をしたことに由来する。神社の入口にある水で手と口を清めること、葬式の前後に玄関で塩をまくことなどに残っている。また、お正月や結婚式などのお祝いの席で、白を使用するのも同じ意味である。ここから、神聖や純潔になる。「し」には指示性のある単語が多く、「しるし」「しるす」「しる」「しらす(治らす:後で出てきます)」など明確さを表す語である。単語では皮を削っただけの無垢(むく)な木を「白木(しらき)」という。
 
・○(まる)の形:みんな仲良く。「和を以て貴しと為す」の心
 次に、○の形の意味も。○には「角がない」。つまり丸は「角が立たない」=「みんなが仲良くする」という意味が込められている。これは次に述べる他の国旗を比べてみるとよく分かる。例えば、ネパールでは太陽は○ではなく、とげとげが出ている形である。確かに目で見ると太陽から光のとげとげが出ている。日本人は太陽を○と書くが、それは文化による思い込みである。ちなみに、太陽の色は「黄色や白」が多い。考えてみれば、太陽は朝日と夕日以外は白や黄色である。なぜ、日本人は「赤い太陽」を描いたのか。ここには思想的な意味が込められている。
日本の影響を強く受け親日的な台湾の国旗も12本のとげとげが○の外にある。「角が立たない」とは聖徳太子の「和(やわらぎ)を以て貴しと為す」の思想そのものである。「人はそれぞれ違いが当然であるが、その上で理屈に拘りすぎずに柔軟に対応することを大切にする」という思想である。「話せば分かる」というのは日本人らしい発想である。国歌にも共通する日本の心である。世界では「真心を尽くして話せば分かる」では利用されるだけで大失敗してしまう。特に日露戦争以後の日本の失敗の本質がここにある。日本人は○に「和」の精神を込めたのである。

 以上の点をまとめと、「日の丸」は以下の意味になる。

○「日の丸」に込められた意味 :清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう。

―国旗「日の丸」が問うもの

 以上の意味を今後も日本人は持ち続けていくのが良いのでしょうか? 伝え続けていくのが良いのでしょうか? また、日本国内では良くとも、国際連合(UN:連合国)が中央集権と警察能力と司法能力をほぼ持たない国際関係の中では有効に作用するのでしょうか? 平成25年現在の日本の大きな問題の根本がここにあります。国家犯罪である北朝鮮による拉致事件、ロシア(旧ソ連)による北方領土の不法占拠と当時の日本人虐殺、拉致などの行為、大韓民国による竹島の不法占拠と当時の日本人虐殺などの行為、中華人民共和国による尖閣諸島への不法侵入やサイバー攻撃や宣伝工作などの行為です。これらの諸問題は「清い心で相手に本心で接して仲良くしましょう」の態度で取り組む問題なのでしょうか。駆け引きや手段を選びながら、根本の所ではどうするのが良いのでしょうか。現在の日本国の外交はこの根本の点が定まっていないのではないでしょうか。国旗とはそもそも対外的に自国を表すために作られたものです。ですから、対外的にどのように自国を考えるか、の良いきっかけとなります。
 国旗「日の丸」意味を知ると同時に皆さんに考えてもらいたいのは、この1点なのです。

 以上が、「日の丸」と「君が代」から観る「日本の善とは何か」です。単に「そういう意味があったのか」という知識習得で終わるのではなく、現在どう生きていくのか、未来に何をしたいのか、まで繋げてもらいたいものです。

 以下は、講演の基礎資料です。本文中にカラーの国旗などが入っていましたが、割愛致します。

講演「日本について考える -国旗と国歌の素晴らしさ- 基本資料」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-327.html

 講演「日本について考える -国旗と国歌の素晴らしさ- 基本資料」を掲載します。

講演日時:平成25年8月31日 午後5時から午後6時半

配布プリント:以下にある基礎資料の他に、受日(ウケヒ)の箇所(三浦祐之注・訳注『口語訳 古事記 [完全版]』3 6-3 9)の2頁と各国の国歌(国歌研究会編『世界の国歌』)7か国分の2頁、さらに、参加者に普段、日本についての疑問質問や国歌などについてお聴きするプリントが1枚ありました。日本についての疑問質問は次に解答します。

講演方法:配布プリントの3分の1程度しか触れず、要点のみを説明していきました。また、講演の最初では参加者に色々と質問をしながら進めました。

 以下が基礎資料になります。プリントでは各国の国旗が印刷されています。


平成25年8月31日

日本について考える -国旗と国歌の素晴らしさ- 基本資料  

高木 健治郎

 日本について考えるために、永く受け継がれてきた日本人の心を見ていきましょう。日本の象徴である国旗と国歌には永く受け継がれてきた日本人の心があります。他の国でも同じように国旗と国歌には、その国らしさ、があります。お互いを大切にするために、国旗と国歌の素晴らしさをお話し致します。
 まず、国旗について、次に国歌について述べます。

 国旗

A) 旗

① 旗は「其」を抜いた部分が、棒の部分と旗の部分を意味する。
族(ぞく)は同じ旗の下に矢を持って集まった人々の意味。
旅(たび)は同じ旗の下に2人がいる、の意味。
「其」は直方なるものの意味。象形は竹で作った入れ物に米を入れて、ゆり動かしもみ殻を選別する道具。其が指示代名詞(其の)と使われるようになり、竹冠が着く。
② 世界最古の国旗と言われるのはデンマーク(白地赤十字)。西暦13世紀初めに使われ始めた、と言われる。ローマ法王より十字軍の時に授かる。ただし、日本の日章旗(赤地金丸)は、701年に使われた記録がある。さらに、屋島の戦い元暦2年(1185年)では、那須与一が日の丸の扇を落としている。
③ 日章旗は「赤地金丸」=錦の御旗=皇室の旗であった。後鳥羽上皇の承久の乱(承久3年、1221年)以来、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦い(慶応4年、1868年)まで使われず(幟に近い形)。「白地赤丸」は蒙古襲来時(1274年)に、日蓮、法然上人がそれぞれ「南無妙法蓮華経」、「南無阿弥陀仏」と幟に勝利祈願の幟を立てている。
④ 国連加盟国(1984年当時)160か国の内、赤を使用する国が約120(3/4)、白を使用する国が約110、赤と白だけを使用が13か国。ピンクと紫はほぼなし。
⑤ 赤と白だけを使用する国13か国。インドネシアは日本の「日の丸」に敬意を表して。オーストリアは十字軍の時、ヘンデンサム公の白地の陣羽織が敵の返り血でベルト以外赤く染まったことに由来する。デンマークやイングランドもローマ法王に十字軍の時に下賜された。他にトルコ、ポーランドなど。


B) 国旗

⑥ 由来と来歴
:伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉返(よみがえ)りで天照大御神(アマテラスオオミカミ=太陽神)を生み、皇室の皇祖となったことから。これが、元旦や毎朝、日の出に柏手を打つ習慣(日待)へとつながる。次ぎに生まれた月読尊を尊重する月待は秋の十五夜のお月見に(月待)。
:607年、聖徳太子が隋へ国書で「日出ずる処の天子・・・」
:701年、文武(もんむ)天皇が新年の祝賀をうける儀式で使う(形状異なるとの説あり)
:文永11年(1274年)、蒙古襲来時に、日蓮、法然上人がそれぞれ「南無妙法蓮華経」、「南無阿弥陀仏」と幟に勝利祈願の幟を立てている。
:14世紀、最古の「日の丸(白地赤丸)」が現存
:14世紀~16世紀、「日の丸」の広範囲の使用
「日の丸」は足利尊氏を始め戦国末期の武田家(白地赤丸)、上杉家(青地赤丸)、伊達家、小西家、加藤清正家、豊臣家(白地赤丸)などが使用している。「皇室を守護し、その権威の下に全国を統一する」意味を込めていた。また、静岡市出身の山田長政はタイで象に乗った時の旗は、金地赤丸であった。薩摩藩は「日の丸(白地赤丸)」を交易船に使用
:1854年、日米親和条約で使用
:1859年、幟から旗に、「御国総標」と決定し事実上国旗となる
:1860年、幕府渡米使節団によりニューヨークブロードウェーに日の丸(日章旗)と星条旗が掲げられる。
:1870年、国旗に採択する。ただし、国章なし(フランス、アメリカと同じで異例、事実上は十六葉八重表菊紋:旅券の表などに使用)。
:1962年、「日の丸」の赤色に規定がなく、国民への意識統計調査を元に赤字を決めた。
:1999年、国旗及び国家に関する法律制定 
「第一条 国旗は日章旗とする。第二条 国歌は君が代とする。」
敗戦後、ソ連などに支援を受ける共産主義者などが「国家は法律で民を縛り、税金をとり、兵役で死なせる」と考えて、「全員財産が平等な社会(共産社会)」の実現を目指して、国家への反対運動を展開した。その中で、国家の象徴である国旗や国歌への反対運動が続けられ混乱が引き起こされた。ゆえに、国旗及び国家に関する法律を制定する。他方、英国など古い国家は法律による制定がない場合が多く(慣習による)、世界最古の国家である日本も同様であった。 
 ⑦意味
 :赤:博愛、活動
 :白:神聖、純潔    (辻原康夫著『世界の国旗 全図鑑』より)

 ⑧意味を受け継がれてきた心から観ると:古典による思想的意味(解釈)

・赤:真心(まごころ:心の底からの善意)。正々堂々とした想い
赤=天照大御神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の受日(うけひ:受霊)の時、「心の底からの真剣な想い」を「清明心(きよきあかきこころ)」と表現。受日では、「素戔嗚尊が穢れなき心であるかどうか」を試す。つまり、「清明心(きよきあかきこころ)」=「真心(まごころ)」を意味する。そこから「私心(わたくしごころ)なし」→「公共心(みなとともにあるこころ)」→「博愛」となる。この心の底からの善意を「赤(あか)い」、「明(あか)い」とするのは、「赤子(あかご)」、「稲荷大明神」などに見られる。また、言葉では嘘偽りない、ありのままの心を「赤心(せきしん)」と言う。諸外国の太陽は「白」や「黄色」が多い。2つ下に記す。

・白:清潔な心。はっきりとした想い。
 白は穢れなきを意味する。穢れは邪(よこしま)な心と汚れた状態を指す。これも伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国=「穢れ繁(しげ)き国」から帰って後で、禊(みそぎ)をしたことに由来する。神社の入口にある水で手と口を清めること、葬式の前後に玄関で塩をまくことなどに残っている。また、お正月や結婚式などのお祝いの席で、白を使用するのも同じ意味である。ここから、神聖や純潔になる。「し」には指示性のある単語が多く、「しるし」「しるす」「しる」「しらす(治らす:後で出てきます)」など明確さを表す語である。単語では皮を削っただけの無垢(むく)な木を「白木(しらき)」という。
 
・○(まる)の形:みんな仲良く。「和を以て貴しと為す」の心
 次に、○の形の意味も。○には「角がない」。つまり丸は「角が立たない」=「みんなが仲良くする」という意味が込められている。これは次に述べる他の国旗を比べてみるとよく分かる。例えば、ネパールでは太陽は○ではなく、とげとげが出ている形である。確かに目で見ると太陽から光のとげとげが出ている。日本人は太陽を○と書くが、それは文化による思い込みである。ちなみに、太陽の色は「黄色や白」が多い。考えてみれば、太陽は朝日と夕日以外は白や黄色である。なぜ、日本人は「赤い太陽」を描いたのか。ここには思想的な意味が込められている。
日本の影響を強く受け親日的な台湾の国旗も12本のとげとげが○の外にある。「角が立たない」とは聖徳太子の「和(やわらぎ)を以て貴しと為す」の思想そのものである。「人はそれぞれ違いが当然であるが、その上で理屈に拘りすぎずに柔軟に対応することを大切にする」という思想である。「話せば分かる」というのは日本人らしい発想である。国歌にも共通する日本の心である。世界では「真心を尽くして話せば分かる」では利用されるだけで大失敗してしまう。特に日露戦争以後の日本の失敗の本質がここにある。日本人は○に「和」の精神を込めたのである。

考察
 国旗「日の丸」が争いや殺し合いなどに関係のない国旗なのが判ります。神武天皇から聖徳太子、それ以後の日本が平和と安定を大切にする心を受け継いできたのです。これは、2600年以上占領されなかった唯一の国という歴史に基づくものです。また、地政学から観るとユーラシア大陸と海を隔てているという条件があったからです。ユーラシア大陸中央部の騎馬民族は、イングランドから北アフリカ、インド、東南アジア、支那、朝鮮半島まで全てに侵攻し、占領しています。国旗は戦争に使用され国旗に定着するのが殆どですが、日本では戦争に使用されずに国旗に定着した極めて珍しい国旗なのです。それでは次に各国の国家を観ていきましょう。

C) 各国の国旗

-世界一有名な国旗-
⑨アメリカ 星条旗 1783年独立
 
:ただし、1861-1865年分裂(国際承認ありアメリカ連合国)。再統合1865年。
:☆は天、赤は母国イギリス、白はイギリスからの独立、13本の横線は独立当初の13州、☆の数は現在の合衆国の州の数、の意味を持つ。
:1777年、英国旗の配色を取り入れ、3つの軍隊の形を合わせて制定。しかし、規定がなくバラバラ。1818年に赤白を独立時の13州にする。星はハワイが1959年に州に昇格して50個となり現在の形に。
:1777年当時の星は、左から縦に3つ、2つ、3つ、2つ、3つの順で並ぶ。これはワシントン大統領の家紋の星とワシントンの指揮を示す指揮旗と同じである。横縞はフィラデルフィア第一騎兵中隊旗。
:ちなみに、アメリカ、とはコロンブスの到着した大陸が、インド大陸ではなく新しい未知の大陸である、との見解を示したアメリゴ・ベスプッチから。
○軍旗から国旗を作る。

 -世界一使われている国旗-
⑩グレートブリテン・北アイルランド連合王国(U.K)

:通称ユニオン・ジャック 1801年制定
:イングランド王国建国1066年 イングランド王国のスコットランド併合1707年 現在の領土確定1921年
:U.Kには4つの国がある。それぞれの守護聖人(キリスト教異端の考え方)の旗
1) イングランド :聖ジョージ :白地に赤十字 
2) スコットランド:聖アンドリュース :青地に白×十字
3) 北アイルランド:聖パトリック :白地に赤×十字
4) ウェールズ:聖デイヴィッド :二色地に赤いドラゴン
:ユニオン・ジャックは1)~3)の組み合わせである。
ウェールズは強制併合のため除外。
1) イングランド旗:聖ジョージの十字軍の高い評価と下層兵士に人気から。1200年ごろに盾紋に使用。イングランドとは「Eng=アングロ=土地の隅の人」意味。Land=土地。4871万人
2)スコットランド旗:聖アンドリューが×十字に架けられ死亡した故事から 青地に確定したのは17世紀。スコットは「遊牧民」の意味。513万人
 3)北アイルランド旗:イングランドへの忠誠を示すため聖ジョージ旗と英国王室の王冠を使用。中央の赤い手はアルスター地方(アイルランド北東部)の象徴で6稜星はアルスターの6地方を指す。アイルとはケルト語で「西側、日没」の意味。164万人
4)ウェールズ旗:赤いドラゴンの由来は不明。古代ローマ人が導入したとも、叙事詩に登場するとも言われる。1807年に旗が登場、1959年現在に確定。ウェールズは古代英語の「未知の人々」の意味。291万人。
ユニオン・ジャックの「ジャック」の由来は諸説ある。
イ) ジャック=「船首」:旗は対外的に掲げられ、主に船で使用される。
ロ) 1603年ジェームズ(James)王のフランス語読み「ジャムス」。ヤコブに由来する古い名前。短縮形はジミー(Jimmy)、ジム(Jim)。ヤコブ(Jacob)はジャック(Jacques)、ディエゴ(Diego)などに読まれる。
ハ) 1801年連合王国の軍服の上着(ジャケット)と統一したことから。

 :正確には「ユニオン・ジャック」は王室の旗で、国旗ではない。国旗は4つある。海上で掲げられるが、イギリス国民が陸上で掲げる場合、王室の承認が必要である。
 :イギリス女王は、連合王国及び王国属領の女王の旗とイギリス連邦諸国の首長の旗の2つがある。いずれもユニオン・ジャックではない。
 :2013年7月22日に誕生したウィリアム王子の第一子名はジョージである。
  ○国家の歴史をふまえ十字軍の軍旗で王室旗(実質国旗)を作成。
 
 -歴史をふまえた国旗-
⑪オーストラリア連邦 1984年制定

 :ユニオン・ジャックは英連邦の一員、下の大きな1つ☆は独立時の6つの州とタスマニア島、右側の5つ☆は南十字星、の意味。
 国旗の左上にユニオン・ジャック。1770年クックが上陸し英国領を宣言、1901年連邦樹立、英領自治州となる。独立した立法機能は1942年。英国からの司法上の完全独立は1986年。自治州となった際に設置された連邦総督があり、現在もエリザベス女王が推薦し、オーストラリア首相が承認する形をとる。オーストラリア連邦総督は議会の解散権を持つ。
:他の旧英連邦国は、国旗の左上にユニオン・ジャックが入る場合が多い。2294万人。
 ○歴史をふまえ英国の旗(元十字軍旗)で国旗を作成。

 -君民一体を意味する国旗-
⑫フランス 1794年採択 1792年王制廃止後、第一共和政時代(1804年ナポレオン帝政に)

:トリコロール:フランス語で三色の意味。
:1789年のバスティーユ襲撃の翌日に国民軍司令官が市民に与えた配色からと言われる。横三色旗などを経て1794年制定。
:王政廃止が1792年、帝政(ナポレオン)、王政復古、第二共和政、第二帝政(ナポレオン3世)、1871年普仏(プロセイン=フランス)戦争に敗れ第三共和制に、現在の第五共和制は1959年から。
:両脇の青と赤はパリ市の色、白はブルボン朝(フランス王国:王政)の色。
日本では三色で「自由、平等、博愛」との誤解がある。6560万人。
○軍隊の勲章と君民一体の意味を込めて国旗を作成。
 
 -世界一古いとされる国旗-
⑬デンマーク王国 1625年採択 

  赤地に白十字:1219年の北方十字軍でローマ法王が授ける。1625年採択。
  :世界で2番目に古い王国(ヨーロッパ最古)で900年頃建国(諸説あり)。54代。
  デン(Dan)は「デーン人(ヴァイキング)の」意味、markは「国」の意味。560万人。
  「デーン人」:8世紀から300年以上ヨーロッパを略奪、16世紀まで支配した(その後同化)。
 :デンマークの十字軍は北方十字軍を指し、バルト海沿岸(主にエストニア、他にラトビア、フィンランドなどを征服)への非キリスト教徒への戦争である。11世紀はイングランドも支配していた。
 現在のデーン人の国々、スウェーデン、デンマーク、ノルゥエー、
スウェーデン   ノルウェー
  スウェーデン国旗(青地黄色十字)、ノルウェー国旗(赤地白十字、青十字)に影響。 
スウェーデン王室は1523年にデンマークから独立、23代を数える。950万人。
  スウェーデンは「スベリエ」の英語読み。「スベ(我々同朋の Svea)」+「リエ(土地 rige)」
  ○十字軍旗から国旗を作成。

 -独立を大切にする国旗-
⑭バングラディッシュ 1972年制定 1971年独立

:緑地赤丸 緑は青葉、赤は太陽。または、赤は独立戦争で流された尊い血、緑はイスラム教のシンボルの意味。あるいは「日の丸」に敬意を払うとも。そのため、中心は左にずらすと言われる。イスラム教国の殆どは緑色を使用する。
:インド、パキスタン、バングラディッシュ独立時、敗戦後に関わらず助けた故事による。他にインドネシアなども同様に日の丸に敬意を払っている。
 インドネシア国旗(赤は自由と勇気、白は正義と純潔)
:ベンガル語で、Bangla=ベンガル人の意味。deshは国。1億5250万人。
 ○独立を大切にする国旗を作成。

 -唯一四角形でない国旗-
⑮ネパール 1962年採択 1960年絶対王制、1991年王制廃止

 唯一の長方形でない国旗。1962年制定
 :2008年、王制から現在の連邦民主共和制となる。2400万人。実質イギリスへの従属であったが、独立維持。現在もグルカ兵が3000名程、女王陛下軍(イギリス軍)所属。
 :国旗の形(2つの△)はヒマラヤの意味
 :上△にある形は「月:王家」、下の△にある形は「太陽:宰相家」を意味し、2つの融和が国を栄えさせる意味を持つ。1846年から1951年まで宰相家が王家を傀儡(くぐつ:あやつる))した。1962年はクーデターにより議会を解散し国王有利な間接民主制を採択した年。
 :赤は国花シャクナゲを意味し国民を、青はヒマラヤの空を意味する。
 :ヴァチカン共和国は正方形の国旗である。
 ○王の統治の正統性と君民一体を示すことから作成。

 考察
各国の国旗を見てもらいました。各国それぞれの由来、事情により色々な意味が、形や色に込められていました。他の国々の国旗も同様です。国際交流では国旗の意味を知るのが大切です。なぜなら、相手の国を大切にするのは、相手の国が最も大切にするものの1つである国旗の意味を知ることに通じるからです。私達日本人も、まず、国旗と国歌の意味を知り、大切にしたいものです。
世界7か国以上の国旗の由来を見てもらいましたが、6か国は軍旗や権力の正統性を示す国旗でした。他の多くの国でも同様です。同じくフランスのように権力の正統性を示しながら君民一体という平和への願いを込めた国旗もあります。複雑な思いや歴史が込められているのが国旗なのです。
国家は常に軍事力の裏打ちが必要です。そうでなければ他国に征服されてしまいます。しかし、軍事力だけを優先すると国家の正統性や民が脅かされ、弱体化してしまいます。このように軍事力と国家権力の正統性は常に問題になっています。諸外国の国旗を見ていくと、その苦闘が少しだけ見えてくるようです。また、バングラディッシュで述べたようにイスラム教国の殆どは緑色を使用しています。宗教も込められているのが見えてきます。
その様に考えると、日本の国旗「日の丸」の意味が見えてきます。明治維新で勝利した、つまり軍事力による正統性を持った薩摩、長州などの旗から作られませんでした。皇室に正統性を求めて「日の丸」としました。「日の丸」は『古事記』による千年を超える思想的な意味が込められています。それは「和を以て貴しと為す」という現在でも私達の身近な、自然な考え方です。子孫たちに伝えてきたい日本の心ではないでしょうか。



付記 他の国旗にも大切な意味が込められています。他の国の意味をお知りになりたい方は、以下のサイトをご参考下さい。国旗も見れ、素材フリーですし、簡単な意味が書いてあります。このレポートは国旗の画像を頂きました。

世界の国旗 
:http://www.abysse.co.jp/world/flag/index.html

 国歌

①歌詞

「君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで」  

(法律:国旗及び国歌に関する法律 平成11年8月13日法律第127号による)

②出典と当時の背景

○『古今和歌集』:延喜(えんぎ)5年(西暦905年)に奏上される。全20巻総数1111首 
:『万葉集』(759年頃)に撰ばれなかった昔(古)と現在(今)の和歌を集めた歌集。醍醐(だいご)天皇の勅命で、紀友則、紀貫之らが撰者。初めての勅命による和歌選集(全部で21選集)。最新(最後)の勅撰集は「新続(しんしょく)古今和歌集」(永享(えいきょう)11年、西暦1439年)。

:日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を載録
意味
「八股の大蛇(ヤマタノオロチ)にずっと脅えていた美しい姫(クシナダヒメ)を妻に迎え、これから二度と同じような想いはさせまいと誓いながら、愛する妻を護るために幾重にも重なる垣根を作って御殿を建てた。幾重にも重なるあの雲を見ていると、天からも守られているように感じるなぁ。」

○醍醐天皇の治 
:日本独自の文化である和歌隆盛を形作る。摂関政治による皇室の安定期に入る。
:即位寛平(かんぴょう)9年(西暦897年)。治世34年。
:数々の業績により後代は「延喜の治」と讃えられる。
:違法な荘園の公領化などによって国家財政の立て直し、律令制の再構築。
:国史『日本三大実録』(893年~901年)全50巻を命じる。学問の神様になった菅原道真は、途中で左遷された。
:『古今和歌集』を命じ、御製(醍醐天皇の和歌)43首も入る。和歌の隆盛の出発となる。また、家集『延喜御集』を編纂あそばされる。
:宸記(いんしんき:天皇陛下の日記)『延喜御記』全20巻なども記される。
:皇室に不幸が続き菅原道真の怨霊と噂されたため、道真を右大臣に復したうえ慰霊を主催され慰霊された。しかし、清涼殿の落雷で公卿数人が焼け死ぬ惨事で体調を崩され崩御される。

○『古今和歌集』の評価
:平安中期以降の貴族の教養と見なされた。
・『枕草子』(996年初稿)では「暗記することが貴族の教養」とされる。
・『源氏物語』(1001年初出)では沢山、歌が引用される。
・中世以降、講義や解釈は伝承化し「古今伝授」として定式化した。当時の宮中や公家や歌人に重要視され、御所伝授、地下伝授、堺伝授など系統化した。戦国時代細川幽斎が石田三成の軍勢に囲まれて死を覚悟したので古今伝授を守るために勅使が赴き和議を講じた。
・賀茂真淵(遠江 1697‐1769年)は『万葉集』の「ますらおぶり(雄々しい)」に対して『古今和歌集』を「たをやめぶり(女性らしい)」と評価する。
・正岡子規は撰者の紀貫之を「下手な歌よみにて古今集は下らぬ集にて有之候(これありそうろう=あります)」とし、評価を落とす。和辻哲郎、萩原朔太郎も続き、『万葉集』を持ちあげる。

○『古今和歌集』の載録場所
:賀歌(がか or がのうた) 全20巻の第7巻の冒頭、343首目
:賀歌とは「祝いの気持ちを表した歌。第7巻は特に長寿を祈る歌が多い」
・第1巻、2巻は春歌。第3巻夏歌、4,5巻秋歌、第6巻冬歌。
・第7巻が賀歌。
・8巻、離別歌、9巻羈旅歌(きりょか:旅の歌)、10巻物名歌(ぶつめいか:隠し題=「うくひず(憂く干ず)=「うぐいす」と詠みこむこと)
・11~15、巻恋歌
・16巻、哀傷歌(あいしょうか:心に深く感じて思いこむこと、嘆き悲しむこと)
・17、18巻、雑歌
・19巻、雑体(長歌、旋頭歌(せどうか:下3句と上3句が同じ句形を反復する歌。例:5、7、7、5、7、7)、誹諧歌(はいかいか:滑稽(こっけい)な性質を持つ和歌。)
第20巻、大歌所御歌(おおうたどころおんうた:大歌所とは、宮廷行事のうち、舞を担当する宮中の役所)、神遊びの歌(かみあそび=「神楽(かぐら)」の前の呼称。先ほどの日本最古の和歌も。東歌(あずまうた。遠江(とおとうみ)より東の駿河、伊豆、信濃、相模、武蔵、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、下野(しもつけ)、常陸(ひたち)、陸奥(みちのく【みちおく】の音変化、福島・宮城・岩手・青森の4県)及び、国名不明の歌。)

考察:恋の歌が多いのが判ります。戦いの賛美の歌が少ないのが察せられます。古代ギリシャなどは戦いを賛美する歌が多いです。また、歌詠み知らず(作者不明)の歌も多く、当時の日本人が貴族以外にも幅広く教養を持っていたことも判ります。

○『古今和歌集』の「君が代」
歌の題字に「題知らず(題名不明)、歌詠み知らず(作者不明) 」

「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

意味
「あなた様は、細かい石が巌(いわお:大きい石)になって、苔がむすまで末永くしっかりとお元気でいて下さい。」

○『古今和歌集』の「我が君」が「君が代」になった理由

A):言葉の塊を整える
「我が君」で1つ、「千代に八千代に」で2つ、「さざれ石-巌―苔がむす」で3つ
の言葉の塊になっている。1-2-3となる。「君が代は」と助詞を入れると、
「君が代-千代に八千代に」で3つ、「さざれ石-巌―苔がむす」で3つ
の言葉の塊となり3-3とバランスが取れる。実際に明治時代に歌詞を付ける際に言葉の塊と音のバランスを和音に変更している。

B):継続性を求める 現在の日本の体制の出発点
「君(きみ)」は①天皇陛下、②尊敬する相手の2つの意味がある。

「我が君」は天皇陛下御一人、あるいは尊敬する相手だけを指すのに対して、「君が代は」では、皇室の治世の意味を持たせられる。「皇室(君)の治世(代)」は、醍醐天皇で60代であり、日本が対外戦争の危機がなくなり平和な時代であった。和歌の隆盛を決定づけた時代であり、世界史上類例を見ない『源氏物語』を生みだす原動力にもなる。
推測であるが、対外戦争や宮廷内の派閥争い激化している時代であれば、目の前の現実に囚われていたであろう。つまり、皇室の不幸を死亡している菅原道真の怨霊のせいになどせずに、宮廷内の暗闘や対外勢力に責任を押し付けていたに違いない。菅原道真の怨霊は平和の象徴ではないだろうか。ちなみに、京都祇園祭(ぎおんまつり:貞観5年、西暦869年)も怨霊を慰めるお祭りで、同時代に始まります。
この平和な時代には天皇陛下が直接政治をされるのではなく、藤原氏の摂関政治(857年から)が主流で権力を臣下に譲り渡しています。皇室が権力を握るのではなく(「うしはく」と言います)、民の代表に権力を渡して正統性を示す(「しらす」と言います)存在になって安定してきた時代でもあります。この「皇室を中心として民が権力を握るという国家の体制」は、源頼朝の鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府、大日本帝国、現在の日本国へと続いて来ました。日本独自の歴史に由来する、現在の日本の国家の体制(国体)が最初に制度として確立した時代だったのです。ちなみに摂関政治を最初に行ったと言われるのは聖徳太子(西暦574-622年)でしたが、皇室の権力はまだまだ弱く、蘇我氏などに脅かされていました。制度として確立するのは、醍醐天皇の御世まで待たなければならないのです。この平和な醍醐天皇の御世を長く続けられますように、との願いも込められたのではないでしょうか。

この推測を裏付けるものがあります。片桐洋一著「古今和歌集全評釈(中)」によれば、元永本などの伝本(写本)では二句目が「ちよにましませ」となっているそうです。「ましませ」とは「いらっしゃる」「おありになる」「おでかけになる」の意味です。「長くおありになってください」という継続性を願う言葉です。

③単語1つ1つの意味

○「君(きみ)」と「巌(いわお)」の意味
:「君」とは「天皇陛下」や「尊い相手」を指します。
ただ、「天皇陛下」と「尊い相手」は別々ではなく、「ご先祖様をたどって行くと全員が神武天皇で一緒になる」という考え方によれば、同一になります。現在でも、「話し合えばわかりあえる。喧嘩するのはちゃんと誠心誠意話し合っていないからだ」という考え方があります。「尊い相手」は両親やお祖父ちゃんお祖母ちゃんや好きな相手を指します。『古今和歌集』より100年以上古い『万葉集』(西暦759年)に以下のような歌があります。

「春草は 後はうつろふ 巌なす 常盤にいませ 貴き我が君」

意味
「春に萌(も)え出る若草は美しいです。しかし、季節がめぐると枯れてしまします(うつろふ)。巌(大きい石)のように何時までも元気でいて下さい、尊い父君様。」
:市原主(いちはらおう、息子)が父の安貴王(あきのおおきみ)を想って歌った歌です。紆余曲折あった父を歌った歌です。ただし『万葉集』は母を慕って詠んだ歌が多いです。

:人のいのちを「巌(大きな石)」を引き合いにしだして祝う習慣が、奈良時代(西暦710-794年)からあったことが判ります。「君が代」が当時から特異な歌でないことが分かります。

:君の用例
1)聖徳太子 17条憲法 3条
「三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。」

意味
「三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。」

考察:「17条憲法」は『論語』(2400年前頃)に強い影響を受けていると言われます。他に詩経、尚書、管子、孟子、韓非子、陰陽五行説から日本の伝統思想に合うものを取り入れて制定されました。この場合の「君」も摂政政治をした聖徳太子の言葉ですから、「天皇陛下御一人に全ての権力がある。そして民は全て従え」という考え方とは異なります。「統治秩序として上に従わなければならない。」くらいの意味になります。現在の先生の言うことを聴く、上司に従う、くらいの意味です。当時は蘇我氏を始めとする氏族が天皇の命令に従わないことがありました。冠位十二階位を定め氏姓制ではなく才能によって人材を登用して天皇集権を作ろうとしたのです。結果、世界で初めて、当時世界最大最強の隋(ずい)の支配体制から独立を宣言したのです。

2)「我が君」と「君が代」、「天皇陛下」と「尊い人」の2つの意味

:「我が君」が「君が代」に置き変わった最初の歌は、『和漢朗詠集』(寛仁2年、1018年)と言われます。

:他方、慈円(じえん 天台宗の僧 1225年没)との説もあります。慈円は歴史書『愚管抄(ぐかんしょう)』(承久2年、西暦1220年頃)を記し、の家集『拾玉集』(1346年尊円親王集成 5917首と4613首がある) 6巻にある。この歌より前に「君が代」を首句とする説が強いのは、「君が代」や「千代に八千代に」、「さざれ石」、「巌」が多くに歌に散見できるからである。

「君が代は 千代に八千代に さざれいしの こけむす岩と なりてまた
 くもかかるまで 君ぞみるべき」

和歌には「君が代」と「君(ぞ)」の2つがある。「君(ぞ)」は大切な人、あるいは恋しい人を指しています。仏教という宗教の枠に拘りなく、広く日本人に「君が代は・・・」が詠まれていたのが判ります。

考察:「君」は2つの意味で用いられ、また広く歌に使われてきた。また、「我が君」も「君が代」は「現代は」や「日本で」などの意味でも用いられてきた一般的な歌の単語であった。

3)「君」が「天皇陛下」と「尊い人」の2重の意味の実例 -源頼朝と東大寺―

 東大寺の大仏が南都焼き打ち(治承4年、西暦1180年)により甚大な被害が及びました。俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は3度の渡宋(南宋1127-1279年)経験があり後白河法皇の後押しを得て再建していました。崩御により源頼朝に頼り、さらに事業を拡大して完成させました。この大仏再建は鎌倉幕府の存在を強烈に印象付けました。再建事業の際、重源は文面で頼朝に「君」の文字を使用しました。頼朝は返書で以下のように述べています。高木による意訳です。原文「頼朝の事にて候か、然らば君の字其の恐れ候事なり」

「私、頼朝に対して『君の御助力』のように「君」は使わないで欲しい。なぜならば、私は皇室の臣下であり、「君」とは畏れ多いからである。」

○ 考察:3)単語の意味から分かる2つのこと

イ)「君」が天皇陛下に使われる言葉であること。
当時は鎌倉幕府の政権が不安定で、皇室への敬意を払わないことで反鎌倉幕府側に討伐の名目を与えてしまう状況でした。ですから、この「君」の問題は特に神経質であったのではないでしょうか。後白河法皇から大事業を受け継いだ点も、「源頼朝は皇室への敬意を払わないのではないか」という疑念を抱かせる可能性がありました。「天皇陛下」と「尊い人」の両方の意味がある単語だからこそ、こうした気遣いが大切だったのでしょう。同時にこの気遣いが政治で重要であるのが透けて観えて来ます。

ロ)源頼朝が日本の体制(国体)を守ろうとしていたこと。
聖徳太子の17条憲法 3条の言う日本の体制=皇室を戴き民の代表が政治を決めていく体制を守ろうとしていたことが判ります。鎌倉幕府は天皇陛下によって任命される征夷大将軍の位について政治権力を握っています。これは室町、江戸、大日本帝国、日本国に受け継がれていきます。源頼朝は、宮中の摂関政治から宮中の外の幕府政治へと移行させました。源頼朝は、日本の体制を守りつつ(国体護持)政治を行いました。これは平氏(北条氏)に権力が移行しても継続していきます。将軍職に宮中の藤原氏や皇族を迎えることに繋がって行きます。

4) 「君が代」が国歌になった歴史 -御祝いでの歌-

 平安末期(西暦1100年頃)から首句が「君が代」となり、広く知られるようになる。その後、めでたい時の舞い、謡曲、結婚式などの行事に取り入れられ、民衆の間で幅広く謳われてきた。また、神道や仏教など宗教の宗教行事でも歌い継がれてきて、江戸時代には近松門左衛門(ちかまつもんざえもん、承応2年から享保9年、1653年-1725年)の浄瑠璃(じょうるり)などにも取り入れられている。

明治期になり国歌となっていく。薩摩藩兵歌が明治2年、海軍が明治10年、天長節(天皇誕生日の意味)が明治13年、文部省が明治15年、陸軍が明治18年、小学校が明治26年、祝日に歌うのを明治33年に採用する。明治21年「君が代」を国歌として条約諸外国に対して公然と通知します。
:作曲は英国人フェントンが明治2年、林廣守が明治13年と変わり、現在の「君が代」が完成する。

○ 考察:4)「君が代」の歴史から分かる皇室と民の関係

ハ)『古今和歌集』は醍醐天皇の勅撰の歌集であり、陛下自身の御製(和歌)も入っている。しかし、選ばれたのは「歌詠み知らず」の「君が代」である。「歌詠み知らず」は本当に作者不明の歌と宮中に身分を持たない、つまり位の低い人の歌がある。何れの場合であっても、天皇陛下よりも身分の低い者の作った歌を選ぶ点は、歌の良さの前には全ての人の権力や権威が関係ない、という民主主義が見て取れる。

二)「君が代」が国家になる来歴を見てほしい。11世紀から民の間で歌われ始め800年以上経って、謡曲、狂言、浄瑠璃など日本文化に根を張っていった。明治天皇は当時の国民(臣民)から絶大な支持を得ていた。さらに大日本帝国を法理上は「統治権」を「総覧(そうらん)」する存在者であった。しかし、明治政府は民の支持する歌を国歌として採用した。さらには、天長節(天皇陛下の誕生日)にも採用したのである。驚くべきは紀元節(日本国建国の日 2月11日)の歌にも採用したのである。
 ①と②の関係は、皇室が国家を代表し民から選んだ代表者が政治を行うという「日本の体制(国体)」そのものである。民が選んできた「君が代」に正統性を皇室が与えたのが、「君が代」の来歴であり、皇室と民の関係がはっきりしている。国歌も国旗もそれぞれの国の来歴に深いかかわりがあるが、日本でも同じことであった。 
5)「君が代」の日本思想による解釈

「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

意味
「皇室を中心とした世の中が、千代も千代以上も末永く続きますように。そして、1人1人違う民が仲良くまとまって、新しい成果や元気が出てきますように。」

「我が君」の意味は以下の通りです。
「あなた様は、細かい石が巌(いわお:大きい石)になって、苔がむすまで末永くしっかりとお元気でいて下さい。」

1つ1つ単語の意味を説明していきましょう。

・「君が代」:皇室を中心とした世の中。繰り返すが、政治を決定するのは民の代表であり、皇室は民の代表に正統性を与える存在のこと。
・「千代に八千代に」:千代は、「末永く」の意味。「八千代(やちよ)」の「八(や)」は沢山の意味。「八百万(やおよろず)の神」、八幡(やはた)神社などに使われている。
・さざれ石:「細石」と書く。1つ1つの細かい石が石灰質で粘着して1つにまとまった石のこと。滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山(日本武尊が御隠れになった山)が主要産地。宮崎県日向市などでも発見されている。京都市上京区にある北野天満宮、三重県二見浦(伊勢神宮にお参りする際に最初に訪れる神社がある)、鎌倉の鶴岡八幡宮などでお祭りされている。
・巌:大きな石。堅いもの。あるいは重し、船の重り、船の碇(いかり)の意味もある。
・苔むす:「苔」は藻(も)を指すことが多かった。水中に生える水苔は清らかな流れと共に長い間その状態が続いてきたことを意味する。
「転石苔むさず(A Rolling Stone gathers No Moss)」
gather:収穫する。ものが蓄積する。Moss:苔。
日本では「1つのことを長く続けないと成果が出ない」の意味
アメリカでは「才能のある人は活動を続けて古くならない」の意味で日本と正反対。

○考察:日本思想から考える「さざれ石」の2つの意味

要点は「さざれ石」にある。2つの意味を挙げていきたい。

ホ)硬度や均一性と思想的意味の対比

「さざれ石」は火成岩よりも変成岩よりも軟らかい。この意味で劣る。変成岩は岩石に長く圧力がかかり再び岩石になったものを言う。ギリシャ神殿は大理石(変成岩)で出来ている。古代ローマや現代でも同様で美術館や宗教施設などに変成岩を使用している。古代エジプトのピラミッドも硬い岩盤をくりぬいて作られた。火成岩や変成岩のように強い圧力で均一性を持たない「さざれ石」は、建築資材としても劣る。「さざれ石の巌となりて」の「なりて」にも観られる。硬くないからこそ、硬い石になって欲しい、との希望を託すのである。この劣る点を優れた点とするには思想的な意味が込められなければならない。
「さざれ石」は河川などで石灰質が数々の石をひっつけて1つになった石である。河川などにある石はそれぞれ大きさがバラバラで種類も異なっている。古代日本人は、「それぞれの大きさがバラバラで種類も異なっている」ことを「人間社会そのものである」と捉えたのだろう。そして、王様の下に全員が同じようになるのが善いのではなく、「1人1人がバラバラで種類も異なっている」ことが尊いのだ、と思想的な意味を見出したのである。この具体的な実例に日本の歴史は溢れている。神武天皇の建国の詔(即位建都の詔)で「民を大御宝(おおみたから)と呼び」、仁徳天皇を始め後奈良天皇は皇室の儀式よりも民に寄り添われた。明治天皇や昭和天皇も民のために尽くされた。

ヘ) 日本の皇室と民の独自の関係

皇室に民が従属するのではなく、皇室が民の知り慈(いつく)しまれてきた。
天皇陛下が民の代表に権力を渡し、正統性を与えるという日本の体制を「しらす(治らす)」というが、原義は「知る」である。民のことを知り想いやるという意味である。もちろん、世界の歴史を古代から俯瞰(ふかん)すれば、王様は権力を握り民を虐げる存在者であった。日本でも権力を握った人々がそのようになった事例がある。フランス革命ではルイ14世が民を虐げてギロチンに掛けられた。民が王を倒して自由と平等と博愛という民主主義を獲得したが、日本では歴代の天皇陛下が民に弑逆(しいぎゃく:下が上を殺すこと)されたことが1度もないのである(宮中内はある)。皇室が民1人1人の違いを認め、権力を手放したことに起因するであろう。
また、フランスはナポレオン皇帝が国民国家設立のために1803年からナポレオン戦争を起こす。自由・平等・博愛を世界に広めるために対外戦争を開始するのである。
日本では天智2年(663年)「白村江(はくすきのえ)の戦い」以後、九州北部を守る防人が東国(伊豆、甲斐、相模、安房、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち))から2000人以上徴兵された。1つの国家を守るために民全体が協力する、という近代国家が既に浸透していた(異説あり)。国旗で「蒙古襲来時(1274年)に、日蓮、法然上人がそれぞれ「南無妙法蓮華経」、「南無阿弥陀仏」と幟に勝利祈願の幟を立てている」と書いたように、国民国家という意識が、宗教対立を超えて日本全土に行き渡っていた。皇室の下に万民平等(対等)である、という思想は、神武天皇時代から徐々に浸透し受け継がれていった。
醍醐天皇の治世では、摂関政治が安定し和歌文化が隆盛し出す時である。『古今和歌集』では歌詠み知らずとして作者不明であっても、1人1人の違いを認めて選ばれてきた。まさに、「さざれ石」と同じくそれぞれ大きさがバラバラで種類が異なっていることを認めている。種類が異なる、とは歌の種類(恋の歌や季節の歌や滑稽な歌)や歌の長さなどが異なっている、という点でも認められる。この皇室の下に万民対等の考え方が、お祝い事で歌い継がれてきた意味であろう。

ト)  希望という思想的意味

 さざれ石が巌となって1つの大きな塊となるだけではなく、新しい成果や元気が出てくる、という点にも重要な意義がある。石に苔むす、という意味は①末永くそのままである、と②新しい生命が宿る、という2つの意味がある。①は時間経過を、②は質的変化を指している。①はこれまでの解釈通りであるが、お祝い事で歌い継がれてきた意味は、②にもある。つまり、お祝い事をして新しい出発である、という質的変化である。これの思想的意味は、日本の伝統習慣として受け継がれてきた。元旦や大祓(おおはらい、6月30日)では、祓い清めをして罪穢れを落とし再出発する、という意味がある。であるから、元旦には全員1歳歳を取り、子供は「お年玉」をもらったのである。そこには②の質的変化がある。
具体的に「君が代」が、結婚式で歌われた理由は、両家が結ばれ新しい生命(家や赤子)が産まれる、という質的変化も願ったからであろう。①の時間経過は現状肯定を指し、②の質的変化は現状の再出発や新しい成果を願うのである。「さざれ石の、巌となりて、苔のむすまで」がお祝い事に歌い継がれてきた意味が、以上のように思想的に解釈される。


 以上が、国歌の意味となります。


付記:参考図書は20冊以上になり割愛しますが、以下のサイトも参考としました。簡潔にまとめられていて大いに助けて頂きました。

文部省初等中等教育局「国旗及び国歌に関する関係資料集」平成11年9月
http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm
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