哲学1-1「日常生活の中の真・善・美」

皆様、こんにちは。

「哲学」の講義録を記していきます。これまで、「プログラミング言語」、「コンピュータ科学」、「国際交流論」、「科学技術者の倫理」、「ビジネス」、「コンピュータ・リテラシ」などを担当してきました。振り返れば数々のお役目をいただきましたが、今回の「哲学」は感慨深いものがあります。お話しを頂いた時に、思わず「おお!」と大声を、独りで出してしまった次第です。「哲学」は大学の最初に受けて失望し、勉学への興味を失うきっかけになった講義であり、同時に、大学3年になり哲学系の別の講義でやる気を取り戻し、私の人生を決めた講義でもあります。その講義に踏み込めるのですから、感慨深く感じました。
 この私の動機を多くの方々のお役なるように、努力していきたいと考えております。学生の皆さん、あるいはこのブログをご覧になられる方からのご意見、ご批判、ご質問を積極的に求めております。こうした努力と下調べなどを合わせて、よりよい講義を作り上げていきたいと考えております。「哲学」の講義録は、以上の点から記していきます。

講義連絡

配布プリント・回覧本
:「シラバス変更」プリント・高木作成

紹介本
:『孝経』
:『古事記』
:『聖書』

宿題
:なし

その他
:講義内容の録音:ブログを書くためであり、同時に氏名等の秘密は保持します。

―講義内容-

(会話調も入ります。校正等は行いませんので、誤字脱字、意味不明文など、ご理解を頂きたいです。詳しくお知りになりたい方は、コメント欄でご質問下さい。また、講義外の内容を加筆してある箇所もあります。)

 みなさん、こんにちは。哲学の講義で間違いないですか? 同じ時間に応用数学が選択として同じくありますが、こんなに多くの人が受講してくれるとは思いませんでした。嬉しいです。では、哲学を担当します高木健治郎です。半期間宜しくお願い致します(皆さん挨拶を返してくれました。気持ちのいい出発になりました)。
 実は、「哲学」の講義を行うのは今日が初めてです。少し緊張しています。昨晩はちょっと緊張して2時間くらい寝られませんでした。「明日は、こんな風にしようかなぁ~」と色々と考えてしまったのです。寝たのは3時半、6時半に3歳の息子に起こされました。ちょっと寝不足です。

-連絡事項3つ-

 さて、最初にお話しておかなければならないことがあります。まず、シラバスの内容を変更します。シラバスを作成したのが今年はじめです。それから10冊くらい本を読んで、もうちょっと古代ギリシャを深く、それから理系の大学に関わる方を多く、と思いました。プリントをまわしますから一読しておいてください。それに関わる本、木田元『反哲学史』を参考書に追加しました。
 次に、成績の付け方です。シラバスに書いてあるものをもう少し詳細に説明します。私は「科学技術者の倫理」を前期担当しましたが、250名のを15回と宿題2回分チェックしたので4000枚弱を見ました。約20%(800枚)くらいにコメントを書きました。それで、大変だーと思っていました。「哲学」も同じく手元にあるレポート用紙を毎回出してもらいます。15回ありますが、その内、3~5回分を評価の対象とします。宿題のレポートは1,2回出す予定です。この4~7回で成績の50~60%を付けます。次に期末テストで40~50%を付けます。ですから、15回のうち、たまたま3回欠席して提出していなくても、約40%くらいは失ってしまう可能性があります。欠席はなるべくしないでください。
 最後に、講義の復習についてです。この講義録を「高木健治郎のブログ」というブログがあります。実名なのでちょっと恥ずかしいですが覚えやすいのでこの名前にしました。前期の科学技術者の倫理の講義内容もあります。原発について興味がある人は是非どうぞ。この「哲学」の講義内容も、翌週までにブログに掲載する予定です。前期は何とかできたのですが、一昨年は娘が6月末に産まれ、上の2歳の男の子の世話、食事、洗濯などでむちゃむちゃ忙しかったです。ブログは1日分が約10時間掛かるので遅れることがありました。今回は大丈夫だと思っています。また、講義中に紹介した本や文献などの詳しい内容やさらに踏み込んだ考察なども載せていくつもりです。さらに、皆さん、質問があれば、プリントに書いておいて下さい。ブログで返信する予定です。
 以上が連絡事項になります。

-全体像と動機-

 ご質問ありませんか? それでは次に「哲学」の講義の大まかな全体像についてお話します。

 「哲学」、難しい、というイメージありませんか?
 私は哲学は難しいイメージでした。高校生の時に、ちょっとだけ読んでみましたが、単語や文章が難しくで良く判りませんでした。なぜ難しいのか、のに理由があるのですが、講義中にお話していきたいと思います。大学に入りました。皆さんと同じような理系の単科大学でした。講義に出てみたんですけども、理系の科目は高校の理科の延長でした。同じような内容を少し深めたり広めたりするだけ。ただ教科書を暗記して先生の解説を覚えるだけ。そして答えは1つ。なんだ、高校と変わらないのか、と思いました。受験勉強が嫌いで退屈でしかたがなかったのです。ただ、理系は大学院の修士を出て文系の大学の学部卒業と同じ、と聞いていましたから、まあしょうがないのかな、と思いました。では、と文系の講義を聴いてみよう、とわくわくした気持ちで行きました。
 「哲学」の授業です。20年以上経っても覚えていますが、おじいちゃん先生でした。話す内容は古代ギリシャの哲学、この講義と同じです。プラトン、アリストテレス、ソクラテスくらいはいいでしょう。しかし、クセノフォンやタレスなど名前がなかなか覚えられませんでした。次に内容ですが、言っていることは判ります。「でも、それがどうしたの?」という疑問を持ち続けたままでした。つまり、古代ギリシャの哲学の内容を覚えて、・・・それでお仕舞(しま)い。私の行動と何1つ結びつかないのです。ではなんで哲学を勉強するのでしょう? 「よく生きるためには哲学が必要だ」と聞きましたが、何も変わりませんでした。むしろ、私は理系の勉強にも文系の勉強にも嫌気がさしてしまいました。大学1年生後期になった皆さんはどうですか? 大学の勉強、つまらなくなっていないですか?
 私はそこでバスケットやアニメやコンパにのめり込んでいきました。大学の講義に価値が見出せなくなったのです。挫折したのです。大学3年生後半になって真剣に将来の進路を考えた時、大学の勉強に自信がもてないままで、理系の会社に就職して一生を終える、というのはどうもしっくりきませんでした。ですから回りの人々に聞いてみると「先生が向いているよ」と言われて、教職科目を取り始めました。2年の留年をしている間にある哲学系の講義を受講して、「これは面白い」となったのです。その先生の講義にとにかく出席して先生とお話できるようになり、そこから現在の道に進むことになりました。
 先ほど、「哲学」の講義で緊張してちょっとだけ眠れなかった、と言いましたが、私のこうした体験があったからです。私が「哲学」担当していいのかな? と私の目指す「哲学」の講義はどういうものかな?と考えたからです。ある意味18歳からの生き方が問われているのです。同時に皆さんの人生のちょっとでも役に立ちたいな、と思っているのです。

 このような経緯がありますので、私の講義では「智慧(伝統的な心や経験)と行動を結びつける」というのをテーマの1つとしたいと思います。知識は本を読めば得られますし、行動は自分で考えて決断すれば可能です。知識も含む智慧を行動と結びつけるのが大学の講義の最も大切な所だと考えていますから、ここを積極的に述べていきます。さて、そこで智慧と行動を結びつける時、色々と疑念や疑問が浮かんでくると思いますので、皆さんとの接点を確保するために、プリントやブログで質問を受け付けたいと思っています。
 以上が講義の全体像になります。質問はありますか?

-観点-

 観点は「智慧と行動」と同時に、「科学哲学」もあります。科学哲学とは私の専門分野です。現代科学(自然科学)は現在、世界中の大学で共同作業、同時に激しい競争をしています。そこでは国籍、文化、社会性、ことばなどを超えています。参加者がインド人でもブラジル人でもイスラム教でもキリスト教でも問われません。他方、人文科学や社会科学では人の心が大きな要素であり、どうしても国籍、文化、社会性などに囚われています。日本と中華人民共和国の歴史認識はどうして共通の前提で話し合えないのでしょうか? それは学問の性質が違うから、と私は考えるのですが、ではどうして現代科学だけが超えられるのでしょうか? これは小学校の時に「国語と社会と理科と算数を別々の時間に勉強する」というのと同じです。それぞれの学問の性質が違うからです。小学校の時「あーあー、勉強は全部まとめて「勉強」という科目にして午前中に終わって、午後は校庭で体育をしたいなぁ~」と私は思っていました。皆さんはいかがでしたか? この答えが判ると、なるほど!と私はとっても面白いのです。
 次に、哲学と関わる問題です。哲学とは西欧特有の考え方です。17世紀から19世紀にかけて自然科学の分野では西欧人の名前が沢山出てきます。どうして日本人ではないのでしょうか? その答えが哲学が自然科学を生み出した、ということあります。これはデカルトの所で詳しくやります。ちなみに、20世紀に入り日本人も大活躍します。地元静岡県では、「オリザニン」を発見した鈴木梅太郎博士がいます。「ビタミン」より先に「オリザニン」を発見していたのに、現在では「ビタミン」になってしまいました。他にはアナログテレビの方法を発見した高柳健次郎先生などもいます。
 「智慧と行動」と「科学哲学」の観点で述べていきたと思います。質問はありませんか?

 ―「哲学」とは何か?―

 細かいことは追々述べていきますが、「哲学」とは何か?を述べていきます。これまで出てきたのは、西欧特有の思想ということです。20世紀になり、西欧特有である、という反省が哲学に出てきました。では「何か?」ですが、求めている対象から考えて見ましょう。そこは他の地域の思想と共通する点が多いのです。

 哲学とは、真・善・美を追い求めること、である。

―何を書いてもOK
 とまとめられます。真・善・美とは中々難しいので、具体的に行動と結びつけて考えて見ましょう。そこで問を出しますので、レポート用紙に返答して下さい。ちなみに、レポート用紙には何を書いてもOKです。前期の講義で原発を4回分くらいしましたが、「原発したくない」とか「原発もういいよ」と書いた人がいました。「では、どういうのをしたいのですか?」や「原発だけの問題ではなく技術全体の問題と考えてください」と返答したけれど、最後でも「原発にこだわりすぎ」と書いた学生がいました。しかし、彼は成績は「優(最も高い評価)」でした。なぜなら何を書いてもOKだからです。何も書かない場合だけマイナスとします。
 大学の勉強は自分で考えることを主とします。覚えることが主要な目的である高校までの勉強とは違うのです。そして自分で考える場合、通常は相手の否定として現れます。「守・破・離」と言います。男性は思春期になると父親が大嫌いになりますね。私も高校時代父親と一言か二言しか話した記憶がありません。大嫌いだったからです。ですから、まず先生の、教科書の意見の否定から入るのが通常なのです。ですから何を書いてもOKとしています。問はクラスによって異なる場合があります。

問1 現在の日本で一番の問題は何ですか?
問2 問1の解決のためには何が必要ですか?
問3 問2のためにあなたは何をしていますか?

 気をつけたのは、問1を皆さんが書き終わる頃に問2を書き、問2の答えが終わりそうな時に問3を書いたことです。ここで皆さんに気がついてもらいたいのは、マスコミやTVなどで報道している日本の一番の問題は、実は最も重要、あるいは最も大切な問題ではない、ことが多い、ということです。マスコミは、常にニュースや刺激を民衆に与えなければ生き残れません。そういう要件があるのですから、常に騒いでいなければならないのです。そして、民衆にとって最も耳の痛いニュースを報じることは、時として、あるいは半分以上は売れるためには邪魔となるのです。ですから、最も重要なニュースは2,3割、どうでも良いけれど騒ぐニュースが5割以上なことが往々にしてあります。私が想定していたニュースとして、少子化、反日国家中国、韓国との関係、地球温暖化、国民の借金などがありました。これらは、最も大切な問題ではないのです。
 この問についてはこのような切り口もありますが、ここで最も問いたいのは、「智慧と行動が分かれていること」です。日本で一番の問題、という時に自分が何をしているか?という行動の問題です。現在の日本は新聞の発行部数は世界で断トツです。書籍や雑誌の発刊部数も世界一です。ですから、情報や知識は溢れています。しかし、それが行動に結びついていない、どこまでも他人事なのです。哲学の講義もこの「どこまでも他人事。自分の行動に結びつかない」のであれば、それは単なる知識を吸収するだけの講義になってしまいます。最初に説明したように、私はそこから一歩踏み出したいと思っています。

―高木の解答
 私が問1に答えるとしたら、もブログで充分時間があるので解答できます。講義中には触れませんでしたが、ヒントは出していました。ヒントはネクタイです。ブルーリボンバッジのマークの入ったネクタイです。ブルーリボンには北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による日本国民の拉致事件が早く解決して欲しいとの願いがこめられています。私は大学時代に風の便りに聞いて、衝撃を受け、それからずっと心に留めて来ました。静岡県でも浜松市の方が拉致被害者となっています。皆さん、もし帰宅して家族が拉致されているとしったらどうするでしょうか。国家がやったら取り戻しにいけない、というのは日本の主権国家として許されざる行為です。しかし、日本では拉致事件を敗戦後の影響もあり放棄してきました。もちろん政府と共に国民の責任でもあります。
 拉致問題が示すのは主権国家という日本国の根本問題であると共に、日本が持つ1000年以上の民主主義の伝統にも反する行為という点でも大きい問題です。かつての日本は、支那大陸で主に朝鮮籍の日本人が虐殺されているから支那大陸に治安維持のために進出しました。これを支那事変といいます。かつての日本人は朝鮮人だから、と差別をせずに「皆対等である」と戦略的には全く損をする行為を行いました。もちろん軍部は反対していました。民主主義を大切にするために支那大陸に進出したのです。ですから、皇軍(日本軍)がくると支那人が流れ込み人口が急激に増えるのです。反日政策のために嘘をでっちあげた南京大虐殺(学術的には「南京事件」と呼ぶべき。ただし、証拠が全くない)の後、敵国の英国の調べで20万人から25万人に増えているのです。当時の支那大陸は国民党、共産党などの各軍閥がバラバラでした。皇軍を止めるために、同胞の支那人に空爆をし、ダムを壊して国土を水浸しにしていたのです。どうしてしたか、というと皇軍がダムを壊した後の人々を救う、ということを知っていたからです。つまり、支那人も日本人も日本が民主主義を大切にしているのを知っていたのです。
 では、拉致被害者は日本国民ではないのでしょうか? そんなことはありません。私と皆さんと同じです。皆さんが拉致され自由を奪われれば帰ってきて欲しい、と私は願います。
 以上の意味で私は問1に「北朝鮮による拉致事件」と解答します。

 問2ですが、国民の支持、強いアメリカ、自衛隊の拡充、中国とロシアへの外交です。
今後詳しく述べたいと考えていますので、簡単にしておきます。

 問3ですが、ブルーリボンバッチの着用、各講演を始め普段から「北朝鮮による拉致事件」に触れることです。また、私は「特定失踪者」という北朝鮮による拉致の可能性の高い人々へも気持ちを向けています。だいたい、私の使用しているボールペンにはブルーリボンバッチがついています。夏はブルーリボンを背広のジャケットを着ないので、ブルーリボンのついたボールペンを使用していました。付けてみて面白かったのは、普段話したことのない英語圏の先生や南アジアなどの留学生は「それなんですか?」と気軽に聞いてくれ、拉致事件のことを話すと神妙な態度となることです。対して日本人は数の上では多く逢っているのに聞いてくる人は大変少ないです。ただ、それが届いていない、ということではない、のは言うまでもありません。人との関わり方が異なるのです。
 以上が高木の解答です。

 次の問は以下の3つです。問の合間には少し別の話をしましたが、これまでの講義内容と重なりましたので合わせておきました。

問4 なぜ、お墓参りをするの?
問5 なぜ、おせちを正月に食べるの?
問6 働くことは、なぜ大切?

 この問は、真・善・美という智慧と実際の私達の行動が結びついているか、あるいは自覚しているかを考えてもらうために出しました。それぞれのクラスで3人、前に出てきてもらい板書してもらいました。私が教室を回って問を書き終わっている人、3人でした。特に内容を吟味せずにお願いしました。とはいえ、きちんとした内容で驚きました。また、講義終了後に全ての人の回答に目を通しましたが、同様にきちんとした内容でした。黒板に描いてくれた6人が特別ではなかったのです。
 この大学の学生の皆さんはきちんとした人が多いです。私は駅から大学までスクールバスに乗りますが、よく一番前の運転手さんの反対側の席に座り、最後におります。そうすると乗車している皆さんがバスのチケットを入れる時にどのような行動を取るのがみえるのです。講義当日は17名中14名が、頭を軽く下げる、有り難う御座いましたやどうもーなどと言うという行動を取っていました。頭を下げる幅はちょっとでも近くなら見えるものです。ちなみに、何もしないと私には見えた3名のうち1名は老齢の方で他の方と話していました。このような行動は運転手さんが1人1人のお礼を言うときも言わないときも同じような行動をとっています。乗客はお金を払いながらお礼も言う、という高潔な行動は静岡県ではよく見られることです。私はこのような高潔な行動を取れる皆さんにお話が出来る機会を頂いたこと、身の引きしまる思いです。しっかりやりたいです。

―問4~6の解説
 問4から問6は板書をしながら解答していきました。
問4、なぜお墓参りをするか、ですが、ご先祖様に逢うため、という答えが出てきます。このご先祖様に逢うため、というのは当然ながら善なる判断に基づき、そしてそれが行動に結びついています。哲学から観ると、これは「人は先祖から生まれる」という真に結びつきます。人間のあり様の規定として「人は先祖から生まれる」という概念が正統である、とされているのです。ですから、お墓参りは善と判断され、そしてお墓参りという行動になるのです。ここには智慧(真)と行動の結びつきが見て取れます。哲学の根本部分は私達の日々の行動の基準になっていることが判りますし、同時にそれを支える真(人は先祖から生まれる)という人間観(世界観)が出発点なのも判ります。言われてみれば、そうか、という内容かもしれませんが、その部分を考えていくのが哲学(思想)なのです。そしてそこまで戻るからこそ、死や悩みや危機に陥った時に判断基準となり、行動を示してくれるのです。
 では、これを他の考えと比較してみましょう。つまり、「人は先祖から生まれる」というのを真としない考え方があるのです。それは人類の7割以上の人が真とする考え方です。

日本の思想:「人は先祖から生まれる」が真
世界の思想:「人は神から生まれる」が真

 両親の生殖行為によって産まれる、というのは物質の結果です。疑いようがありません。他方、生殖行為から受精、出産までを導く原理を作り出したのは誰でしょうか? それは宇宙を創造した神である、と考える人々がいるのです。世界の7割以上、つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の人々です。命を授かることを奇跡と考え、奇跡を起こすのは人間では無理で、神の業(わざ)がある、と考えるのです。実際に、人間は物質を混ぜ合わせることは出来ますが、物質そのものを作り出すことは出来ません。どうして物質から生命という有機的な活動体が生まれているのか、というのは人間には分からないのです。
 つまり、日本人(あるいは一部の東アジア)は、両親の生殖行為の結果に祖先からのつながりを見出し、多くの人々は神の業を見出すのです。
 日本の真は、お墓参りなどの善を生み出します。日本文化は恥の文化、と言われますが、恥はご先祖様に対して恥ずかしい、なのです。日本の文化の基底にあることが判ります。対して欧米の文化は罪の文化と言われますが、これは神にそむく罪を指します。どうように欧米の文化の基底にもあることが判ります。この辺りは古代ギリシャを比較するとさらに鮮明になりますので、今後考えてもらう予定です。
 また、日本の真と世界の真が丁度問われた問題があります。

皆さんは、家族や兄弟、愛しい人が地獄で苦しんでいる時に、自分だけが天国で楽しく苦しみがなく過ごしていて平気でしょうか?
 
 日本の思想では「人は先祖から生まれる」のですから、「私は先祖があったから存在する」と考えます。ですからお墓参りをする訳です。そうすると、そのつながり(真)を無視した行為は善ではなく不善となります。それゆえ、「地獄であっても家族と共にいたい」という行動が善とみなされるのです。
 対して世界の思想では「人は神から生まれる」のですから、「私は神があったから存在する」と考えます。神の前に人は独りなのです。親が地獄に行くのは神が決めたこと、私は天国に行くのは神が決めたこと、ですから親よりも神のつながり(真)を大切にする行為が善となります。それゆえ「家族であっても神の御意志に従う」という行動が善になる訳です。

 講義でお話しなかったことを先取りしてお話します。
そうすると問題になるのは、神の御意志を受け取っているか?という問題になります。だから、「神の御意志を受け取っている人、物、ことば」が最も重要な要素になるのです。ユダヤ教では、モーセ(人)、聖書(ことば)を非常に重視しますし、キリスト教ではイエス(人)、新約聖書(ことば)です。ちなみにイエス自身はユダヤ教徒でしたから、新約聖書はことばとして不十分さ、や矛盾などを抱えています。それがまた豊かさを生み出すのですから、面白い所です。イスラム教では「最後の預言者はムハンマドである」として人を重視しますし、コーラーン(ことば)はアラビア語以外のは認めない、としてことばを大切にしています。このように、「神の御意志は受け取っているのか?」という問題は、世界の思想では最も重要な問題の1つになります。
 他方、日本ではご先祖様は沢山いる訳ですから、1人1人、あるいは1つ1つのことばは薄まっています。「恥ずかしいことをしたらご先祖様に申し訳がない」とはよく言いますが、「では、どの行為、どのような考えが恥ずかしいのか?」というのを決めた人や規則集のようなことばもありません。神道(かんながらのみち)は、創始者も聖典もない宗教なのです。それでもやっていけるのは、真が異なるから導き出される結果なのです。日本にも正式な歴史書(国史)『日本書紀』があり、神武天皇が大和に建都されたのですから、創始者の資格があるのです。あるいは天照大御神でも良いでしょう。しかし、そのような歴史的変遷を重ねなかった理由を、私は真なるものに原因があると捉えているのです。

―問5の解説

 問4の解説が大分長くなりました。書いていて中々楽しいです。静岡市御幸町図書館でパソコンにタイプしています。
 問5は「なぜ、おせちを正月に食べるの?」でした。答えは、ご先祖様と一緒であるのを祝うため、となります。おせちは元々「おせち供(そな)え」と言い、ご先祖様へのお供えものでした。また、現在はお正月だけですが、3月3日など年間7回ほど食べられていました(地域差は大きいですが)。お客さんからのお土産を頂くと、最初にお仏壇にお供えするのと同じように、頂いたものはまずご先祖様に差し上げて、その後で私達が頂く、という意味があります。ではなぜお正月なのでしょうか。ここで質問をしました。

「ご先祖様(死者)は年に何回帰(還)ってくるでしょうか?」

正解は4回です。以下にまとめます。

正月:歳神様(死後2年と1日以上過ぎたご先祖様全員)が帰ってくる。
春の彼岸:お墓参りの習慣
お盆:死後2年と1日以下の個人が帰ってくる。
秋の彼岸:お墓参りの習慣
 
 お正月はご先祖様の全員が帰ってくるので1年間で最も大きなお祝い事なのです。人は親しい人の死を2年前後は強い痛み苦しみを抱えるものです。お正月はそれに適当ではないのでお盆の習慣となったのでしょう。お盆の夕暮れの頃は時折、すーっと暑さが遠のきます。ふっと死んだ親しい人を思いだしたのではないでしょうか。高木の推察です。
 お彼岸ですが、原始仏教にお彼岸はありません。死者は生まれ変わるか、仏となってこの世との関わりがなくなるのです。日本の仏教は神道などに影響され、お彼岸の習慣を定着させました。ちなみに、日本に伝わった仏教はお墓もありませんでした。修学旅行のなどで京都や奈良に行かれた時、お寺を見渡して下さい。お墓がありませんから。戒名も一般の人が付けるようになったのは江戸時代からなのです。
 お正月とお盆と同じようにお彼岸を作りだし、お寺に行くような習慣が出来ました。これが定着して死者が帰ってくる回数が2回から4回となりました。
 戻りましょう。おせちはご先祖様にお供えする料理なのです。ですから、この行動の奥深くには「人は先祖から生まれる」という真が観えてきます。もちろん、世界の7割の人が信じている唯一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)では、死者がこの世に帰ってくることはありません。お彼岸もお正月もお盆もないのです。ですから、おせちもないのです。理解して欲しいのは、真が善を生み出しながら、私達の日々の生活を規定している、ということです。逆から観れば、私達の生活の奥底には真=世界観、人間観がある、ということです。真は観なくても生活はできます。しかし、生活が危機に陥った時、迷った時、その姿を現すのではないでしょうか。
 1例だけ具体化してみましょう。
9月の23日前後は秋のお彼岸です。この季節に「彼岸花」が咲いています。真っ赤な細い花弁を何重にも持ち、艶(あで)やかさと危うさ、あるいは寂しささえ漂(ただよ)わせるのが彼岸花です。特徴として、葉っぱがない、種を作らない、特定の時期だけ地表に姿を見せるなどがあります。
 英語では「スパイダーフラワー」と言いますが、花が蜘蛛(くも)の張る巣のようだからだそうです。花の形と蜘蛛の巣の形の共通点だけを見て付けた名前であり、思想がこめられていない名前なのが判ります。
 日本語では「彼岸」花、です。「彼岸」とは死者の国という意味で、形を意味していません。仏教では私達が生きている世界を「此岸(しがん=こっちの川岸)」と言い、三途の河を渡ると「彼岸(ひがん=あっちの川岸)」と言います。三途の川を渡ると、というのは古くから文化に定着しています。最近では映画「千と千尋の神隠し」でも川を越えてあの世(神の世界、死者の世界)に行きます。
 お彼岸に死者、つまりご先祖様が帰ってくる、その花である、というのです。ここで先ほどの彼岸花の特徴を思い出してください。お彼岸の頃に、人があまりいない場所にスーッと出てきて、赤い花を咲かせた後、しわしわで紫色になってしぼみ、いつの間にか消えていく、という花をみて、「ああ、あれは死者がこの世に戻ってきて、死者の国に帰ると枯れるのだなぁ」と想ったのでしょう。葉っぱがないのは他の植物に比べて不自然ですし、種を残さないのも(実際は根っこで増えますが)、死者だからと考えたのでしょう。さらに、産まれたては赤く元気で、死ぬ間際に紫色になってしわしわになる、というのは人間そのもののです。私達人間は赤子として産まれ、歳を重ねてしわしわになり、死ぬ間際には紫色になります。
 まとめますと、同じ彼岸花、形だけを見る英語圏の人々がありました。他方、「人は先祖から生まれる」や「先祖はこの世に帰ってくる」という考えを持つ日本人は、思想を見たのです。このような例は他にも沢山あることでしょう。探してみるのが面白いのではないでしょうか。私も常に探しています。


―問6の解説

 問6は「働くことは、なぜ大切?」でした。端的に述べると以下になります。

日本の思想:働くことはお役目、周りに認められること、お金が第一ではない
世界の思想:働くことは与えられた罰、罰は速く、早く開放されたい。お金の額が大切

 「映画「千と千尋の神隠し」はなぜ大ヒットしたか?」という論文を2本書きました。その中のメインテーマの1つです。要点は現存する最後の書物『古事記』と映画「千と千尋の神隠し」は共通している。『古事記』の世界を求めるのは、死や穢れなどを近代の技術が非日常に追いやってしまったから、です。論文はブログの右側の欄で探してみて下さい。

 日本の神様は天照大御神を始めお役目があります。しかし、世界の思想の神様はお役目がなく働きもしません。「千と千尋の神隠し」では神様のような魔法が使える湯婆婆(ぜにーば)は、自らの手を動かし愚痴りながらも働いていました。瓜二つの姉の銭婆婆(ぜにーば)も、千尋に髪留めを作るとき「魔法じゃ何もならないからね」と言っていました。このシーンをみて私達日本人は何も違和感を持ちませんでした。「手を動かす労働に価値がある」という価値判断(善)を持っているからです。つまり日本では「働かないことはお役目がないことであり、周りから認められないこと」を意味するのです。
 「働く」は日本でできた漢字です。「八(は)方(た)楽(ら)く」が語源にあると言われます。講義は一生懸命やってもやらなくても給料は変わりません。そこそこのレベルを維持すれば継続されます。お金のことだけを、効率だけを考えれば講義内容はそこそこで良いことになります。しかし、手目前味噌ながら講義のために20冊近く本に目を通しました(全て読んだわけではありません)。講義の構成を考え、ノートを作成しています。なぜなら、そうやって一生懸命やると「私(本人)が楽しくなる」からです。これで「一方楽く」になります。
 そしてその講義を聴いて、もしかしたら皆さんが「ああ、いい講義だ」と楽しくなるかもしれません。そうなれば「二方楽く」になります。そして皆さんが友人や親に「いい講義があったよ」といえば「そう、良かったね。大学行ってよかったね」となるかもしれません。「三方楽く」になるのです。「八」は「多くの」の意味があります。まとめると、「八方楽く」とは「自分が一生懸命お役目を果たすことで周りを楽しくさせる」ということなのです。私はまだまだ不十分な講義をしていますが、気持ちだけはあります。
 ですから、「働く」とは「働くことはお役目、周りに認められること、お金が第一ではない」という意味なのです。
 日本では働かない無気力な青年を「ニート」という悪い意味合いで使いますが、元々はイギリスで人種差別や教育レベルが低い結果で、「働きたいけれど働けない階層の人々」をさす言葉でした。ロンドンオリンピックの時、彼らの住む地域には厳戒態勢がしかれました。また、ロンドン周辺には監視カメラが世界一ありますが、彼らはその監視カメラの下の路上で堂々と麻薬販売をしています。数があまりにも多いために取り締まることが出来ない現状があります。フランスではイスラム系の名前を持った少年は、高校に入学もできず、バイトにつくことも出来ず、就職は絶望的です。ですから、3年に1回程度、大規模な暴動が起こりますが、その平均年齢が14歳前後なのです。車に火をつけ、店を破壊するなどを繰り返しています。これらの意味をさす言葉が日本に来て「働かない無気力な青年」を指すことばに変化したのは、上記のような「働く=お役目で周りの人から認めてもらう」という価値観が日本にあるからでしょう。欧米では、あるいは私が訪れた南の島である「ミクロネシア連邦(日本とオーストラリアの間)」では「無気力に働かないことは単純に悪いこと」ではありませんでした。給料のいい仕事が見つかるまでちょっと休憩、やバナナや魚は直ぐに取れるから働くことに善を見出さないという社会もあるのです。

 世界の思想:働くことは与えられた罰、罰は速く、早く開放されたい。お金の額が大切、とは聖書にその源泉があります。聖書では神が世界を創造した、と書いてあります。男を作り、男のあばら骨から女を作った、とあります。ちなみに、日本の聖書には無い例が多いのですが、同時に「男と女は同時に作られた」との話も同時に載っています。西欧のキリスト教は前者を思想として採用したようです。男の名前はアダム、女の名前はエバ(イブ)と言います。
 神様はなぜか「りんごを食べてはいけない」として目の前においておきます。私は意地悪な神様だなぁ、と想いますしおいて置いた神様の責任もあると考えるのですが、そのりんごを蛇が食べてしまいます。蛇は女を誘い食べさせ、女は男を誘い食べさせます。そして神様にばれてしまうのです。その罰として蛇は、舌の先が分かれ「嘘つき」と周りに示すことになり、手足をとられ、常にみんなに土下座をして「ごめんなさい」と言い続けることになります。

 女の罰は、出産の苦しみです。月のもの(生理)を始め死亡率の高かった出産のリスクなどを負うことになります。
 男の罰は、天国の食べ放題飲み放題から追放され、働いて食料を得なければならないこと、女を支配することが与えられました。

 女を支配することが罰、というのは女性のヒステリックな面、感情に流される面などが蛇に誘われた原因と考えるからでしょう。これは現代科学でも「女性は男性よりもホルモンに人生を通して左右される」証明されています。他方、支配する、には守るの意味もあり、命がけで女性を守らなければならない、という義務の側面もあります。
 
 以上のように古典(物語)によって「働く」は、善と罰(悪)という正反対の価値観に分けられています。歴史や文化や技術発展を経て、それぞれの「働く」の意味づけが変わったり、多様化したりしています。

 具体例で見てみましょう。私はバスケットが好きですが、小学校高学年と中学校は野球部でしたので野球にも関心があります。楽天の田中選手が世界記録を成し遂げられるかどうか、にワクワクしましたし、達成できた時、心から祝福しました。さて、野球を見ていると「具体例だなぁ」と感じたことがありました。
アメリカなどの選手は「高い年俸の方に行くのが当然である」と考えています。選手だけでなく球団全体やファンもそのような判断をします。「今年はグッズなどが売れたからお金があっていい選手が取れた」とか「地方都市は収入が少ないから若手の選手を育てるんだ」などと考えています。バスケットではNBAのオクラホマシティーなどが後者の代表でしょう。
 日本でもほんの10年、20年前までは球団に入れば最後までその球団で終わる、というのは珍しくありませんでした。これは野球に限らず日本では「終身雇用制」が実態でありました。他方、アメリカでは「同じ仕事を続けるのは才能がないからである」という考え方があります。転職しないのはむしろマイナスなのです。ヨーロッパは約200年の宗教戦争でキリスト教の考えをそのまま日常生活に適応すると、悲惨なことになる、というのを経験していますが、アメリカは宗教心の強い人々が建国した国で、まだ150年(アメリカ連合国併合)の国ですから、キリスト教の宗教心がまだまだ残っている国なのです。
 以上から「働く」という日常生活の基本の部分でも古典(物語)が規定する真・善が関わっているのを知ってもらえたと思います。

―古典(物語)が規定する真・善を知る前提として
 今回は日本に住む私達の日常生活の中の真・善について知ってもらいました。主にキリスト教との対比でしたが、今後は古代ギリシャを中心にして3つの視点から述べていくつもりです。調べていて私は大変楽しかったので皆さんにも知ってもらえれば嬉しいです。
 さて、現在の日本では古典を知る前に気をつけなければならない点があります。それは日本の敗戦です。敗戦によってアメリカは日本に思想統制、言論統制を掛けて来ました。これよって古典を知る際に「日本はとても悪いことをした」とか「日本だけが悪い」とか「アメリカは凄い国」などの事実に反する偏ったイメージが植えつけられてしまっています。
 具体例は国旗「日の丸」や国歌「君が代」は世界で最も平和を大切にしているものの1つであるのに、なんとなく悪いイメージがあります。私も中学、高校の時にそうしたイメージを持っていました。これらは、アメリカが「二度とアメリカに逆らわないように」という意図を持って、同時にアメリカ人のソ連のスパイが「日本を弱らせてソ連の属国にしよう」という意図を持って行われた結果なのです。以下のことが行われました。

・「本を7000冊以上禁止した。」アメリカの都合の悪いことは隠す
・「民主主義を教えたという嘘を吹き込んだ。」日本には日本の民主主義がありました
・「アメリカの言うことを聞く軍隊にした」:自衛隊を作ったのはアメリカです
・「国際法を無視し嘘で裁判をした(極東軍事裁判)」:その後誤りだったとしました
・「反米を止めさせるためにTV局を作り、ディズニーを使い、原発を導入した」
・「朝鮮人と日本人を憎しみ合わせるように民族対立させた」

 まだまだありますが、この辺とします。60年以上過ぎた現在でも続くこれらの事実に基づかない偏ったイメージが残っています。それを疑いもしない、という人々が溢れるようになりました。確認しますが、だから、私はアメリカなんて嫌いだ!とか出て行け!と言いたいわけではないのです。哲学で真・善・美を考え、日常生活を見ていく時に、こうした偏ったイメージが誤解を生むかもしれないので、述べているのです。この点は留意して下さい。
 さて、以上は具体例で述べてみましょう。
大東亜戦争(太平洋戦争)で「日本はアメリカに宣戦布告なしに真珠湾攻撃をしたから悪い」と学校で教わりませんでしたか? 私は教わりました。しかし、その後これが全くの誤りであったことは判ったのです。以下に事実を挙げます。

・アメリカはテロ攻撃を繰り返していた中国軍(中華民国軍:現在の台湾)に戦闘機を500機販売した。これは当時の戦争行為ですので、日本(大日本帝国)がアメリカに奇襲攻撃をしても国際法上認められる程の重大行為です。
・アメリカは支那(中国)大陸で日本軍(皇軍)に宣戦布告なしで戦闘行為を行った。先に仕掛けたのはアメリカです。
・アメリカは他国と共に「ハルノート」で貿易禁止や領土放棄などを突きつけた。これだけでも戦争を起こすことが認められる行為です。

 以上の3点からアメリカは日本の真珠湾攻撃の前に、戦争行為を3度も行っているのです。しかし、これらは現在では中々教えられていません。もちろん探せば見つかる情報です。さらに付け加えましょう。時代や国際法や先ほどの事実を全く無視して、アメリカが「宣戦布告をせずに戦争を行った」というのが正しい、としましょう。
 では、アメリカはサダムフセインのイラクに宣戦布告を行ったでしょうか? ベトナム戦争で宣戦布告を行ったでしょうか? 答えは「NO」です。
 アメリカは日本で思想統制、言論統制するためだけに「宣戦布告をしていないから悪かった」、あるいは「戦争は悪い」という偏ったイメージを植えつけたのです。こうした考えは日本でしか通じません。こうしたことを知るのも実は、この講義のテーマである「智慧」に関わるので知っておいて欲しい内容です。今後、この点も別の角度から検討していくつもりです。

―哲学の効用
 最後に、哲学の効用について書くことにします。質問をしました。

問 就職の面接の時、どうしてリクルートスーツを着るのでしょうか?
  ピアスや茶髪はなぜイメージが悪いのでしょうか?

 答えは『孝経』に書いてあるからです。『孝経』とは二千年前以上に書かれた儒教の本です。この中に「服装が気持ちを表す」と「身体は親からもらったものである」とあるのです。学生の皆さんの解答の中に何人も正解があり感心しました。服装をきちんとする、それは気持ちがきちんとしています、という表れである、と社会全体が受け止めているからリクルートスーツを着るのです。就職の面接で使うリクルートスーツは実際の職場で着ない場合もあります。その意味とは「一般的なビジネスのルールを守る気持ちを一般的な服装で表します」ということなのです。
私は東アジアからの留学生に「なぜ、日本では工場に就職する時にもリクルートスーツを着るのか? 3万円もしてとても高いし無駄ではないか?」という質問を毎年のように受けました。ビジネスや面接指導もしているのです。「それは本に書いてあるから!」と答えると「え?無駄だよ。意味ないよ」と答えが返ってくることがあります。その時私は彼らに問いかけます。「コーラーン(聖書)に書いてあるから毎日お祈りをするでしょう。意味ないことですか?」と。大切なのは古典(物語)によって社会的合意としての真・善とは何かを考えることなのです。
ピアスや茶髪も「身体は親からもらったからであり、親を大切に出来ない人は道徳を守れない人、立派ではない人」と書いてあるからです。アメリカ人が茶髪なのはそもそも親からもらった色なので気になりません。しかし、茶髪は親からもらった黒髪を傷つけるから、悪いのです。ピアスや刺青も同じことです。ただし、こうした価値観が社会全体に浸透したのは江戸時代や明治時代であるようです。
現在でも大型のお風呂場(スパ・リゾートや大浴場のある温泉)では刺青の方を禁止することが多いですが、よくよく考え見ると不思議ですね。刺青で周りの人に害を与えるわけではないからです。暴力団と結びつくというのもあるかもしれませんが、暴力団の全ての人が、特に上層部の人々は一般の人々と分からないような格好が多いのです。特に暴力団新法以降はそのように強制されました。
以上から、哲学の講義のイメージが出来たでしょうか。重要とするのは「智慧と行動の結びつき」、「より善く生きることを具体的に考えられるように」です。本年度が初めてですから不十分な点も多いと思いますが、お付き合い下さい。頑張ります。

 



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