講義録15-6 皇室という倫理の淵源(えんげん)

 長々と平成25年度講義録を書いてきましたが、多少補足をいれるかもしれませんが、講義内容は今回でお終いです。
 皆様お付き合い有り難う御座いました。

 最後は、「技術者倫理を成し遂げるために」のテーマに取り組みます。

 答えは、「日本の伝統文化を知り、誇りを持つこと」です。

 
 それでは、日本の伝統文化を「公衆の福利」=「公共心>私心」から切り取ってみていきます。すると、「公衆の福利」は皇室の伝統の中に見事に結実していることは判ります。

①民を「おおみたから(元元)」と呼び、大切にされた :「公衆の福利」の思想の出発点:神武天皇即位建都の詔

②「民のかまど」で民を大切にする政策を実行された :「公衆の福利」の行動の出発点:仁徳天皇の政策と御製

 ①と②はその後皇室の伝統の中で脈々と具体的行動として、思想として発揮されていきます。日本の伝統文化の中に「公衆の福利」が流れているのです。これらが民の中に行き渡り、ポーランドとの親交、トルコやロシア、支那や朝鮮などとの民の親交になっていきました。また、東日本大震災の日本国民の高潔な行動につながったのです。日本には誇るべき伝統があります。敗戦後で教えなくなったとはいえ、是非とも知っておいて欲しいのです。
 それでは、次に、①、②から続きを時系列で並べ直してみましょう。勉強不足で少しだけですが。

①神武天皇:民を「おおみたから(元元)」と呼び、大切にされた →日本の民主主義の思想の出発点
  ↓
②仁徳天皇:「民のかまど」で民を大切にする政策を実行された →日本の民主主義の行動の出発点(世界最大の墓となる)
  ↓
③(京都の)御所:肩車で乗り越えられる低い壁でも民衆に害されたことが1度もない →日本の民主主義の成果
  ↓
④権力と権威の分離 :藤原氏の摂関政治や鎌倉室町江戸などの幕府との権力との分離 →皇室の正統性(権威)へ
  ↓
⑤明治天皇:民が「議会の合議で決める制度」を支持された →(五箇条の)御誓文の「万機公論に決すべし」
  ↓
⑥明治神宮:仁徳天皇の御陵と同じく民の奉仕活動で作られる →皇室と民との結びつきの強さ
  ↓
⑦昭和天皇:大東亜戦争終結にご聖断が下る →民の苦しみを想い慣例を乗り越えられる (昭和天皇は日米開戦反対であった)
  ↓
⑧昭和天皇:自らのことではなく民の苦しみを取り計らわれるようにと →「おおたから」の思想である:マッカーサーとの最初の会談で
  ↓
⑨昭和天皇:民の苦しみを共にするため全国を回られる(巡幸:じゅんこう) →「民のかまど」の行動である:数万キロ数年も返還前の沖縄県以外全て :GHQは国民が天皇陛下を害されると考えていたが一切なく、万歳三唱であった。
  ↓
⑩今上陛下:民の苦しみを共にするため東北を回られる(巡幸) →「民のかまど」の行動である:平成25年7月22日には「住居制限区域」に入られました

 『葉隠』や『武士道』や二宮尊徳などにも結実します。

 ほんの少しだけですが、是非とも知っておいて欲しいのです。客観的事実を知り、その上で皆さんがどのように考えられるか、は自由です。客観的事実を知らせずに、嘘のレッテルを貼りイメージ操作を受けている現在の日本の状況では、学問を大切にしていない、と考えます。
 ただし、「二酸化炭素による地球温暖化説」や「原子力発電の経済性」や「自動車事故防止」などの技術と社会背景の関係の実例を挙げた時に述べたように、イメージ操作は何処でも何時でもありうることなのです。ですから、学問の意義を大切にしていきたいです。


 それでは、箇条書きを膨らませて書いて行きます。「民のかまど」は講義録15-3の繰り返しになります。

 日本人が受け継いできた倫理の形の出発点は、「民のかまど」という物語です。

 「民のかまど」

 「かまど」とは火で食べ物を煮る装置です。昔は薪(まき)に火をつけてご飯やおかずを作りました。今はガスコンロで、パチンとひねれば料理できます。昔は料理をする時に薪を燃やしますから、当然、煙が出ます。ある時、当時の天皇陛下である仁徳天皇は(昭和天皇の「昭和」は亡くなられた後につく言葉なので、現在の天皇陛下は「今上(きんじょう)陛下」と呼びますが、これは近代以降の習慣です。補足しておきます)、民の家をみていました。夕飯の時間になっても、家から煙が出てきません。不思議に思った天皇陛下は

 「民が貧しいから食べるものが無いからだ」

と気がつかれました。

 「都でそうなのだから全国はもっと貧しいに違いない」

と3年間の税金を取らないことにしました。気候も順調で3年後に「民のかまど」から煙が出るようになりました。そこで、天皇陛下は、

 「私は豊かになった」

 と仰られました。皇后陛下は

 「住んでいる皇居の壁は崩れ、雨漏りもしている。着物もボロボロですし、食事のおかずも3品から1品に減りました。どうして豊かになったのですか?」

 と問われました。天皇陛下は、

 「民が豊かになったのだから、私が豊かになったのだ。」

 とお答えになりました。そこで3年間で豊かになった民が

 「皇居の修理などに税金を取って下さい」

 と申し出ましたが、天皇陛下は「まだです」と仰られ、さらに3年間、合わせて6年間の無税としました。そしてやっと税を戻されたのです。また、民は誰に命令された訳でもないのに皇居の壁の修理や、雨漏りの修理などを行いました。

 以上が「民のかまど」という物語です。

 さらに、仁徳天皇は16代目の天皇陛下ですが、初代の神武天皇から、民のことを「おおみたから」と呼んできたそうです(出典は下に)。ですから、民が宝である、民が豊かになれば嬉しい、という考え方が日本の出発からあったのです。そして現在まで続いてきています。ここに日本人の倫理の出発点があります。

 「民のかまど」は『古事記』に乗っています。『古事記』は平成24年で編纂(へんさん)されて1300年が経ちました。編纂される前は、ギリシャ神話の『ホメロス』などと同じように口伝えで伝えられてきましたから、1000年、2000年くらい前からあったかもしれません。時代は特定できませんが、ずーっと伝えられてきた物語が「民のかまど」なのです。もちろん、他にも「いなばの黒うさぎ」や「山幸彦海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)」や「ヤマタノオロチ」や「日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征」などがあります。ちなみに、静岡市近くにある「焼津」や「草薙(くさなぎ)」などは、『古事記』の神話から名づけられました。

 さて、「民のかまど」にみられる考え方を学生の皆さんに聞いてみました。中々答えが出ませんでした。まず、基本的な考え方を抜き出してみましょう。

 王様(おおきみ=天皇陛下)よりも民を大切にする、という考え方です。

 「民を、主人公として大切にする考え方」です。

 「民」を「主」人公として大切にする「考え方(=主義)」です。

 「民」「主」「主義」です。

 つまり、

 民主主義です。

 技術者倫理に引き寄せてみましょう。

 「私心」<「公共心」 =「公衆の福利」:社会全体の幸福、安全、安心、経済性を大切にする

 というのがはっきり判ります。つまり、

○「公衆の福利」=国民全員の幸福や経済性を大切にする=日本の民主主義の出発点=「民のかまど」

 ということが分かります。

 仁徳天皇の御在位は約1600年弱前ですから、1600年の民主主義の伝統が日本にはあることになります。神武天皇の時からの民の呼び名や『古事記』の中に出てくる他の民の扱い方を見ると、時々そうでない時もありますが、日本の民主主義は2672年の伝統があることになります。日本の暦では、平成24年ですが、通算は皇紀2672年です。キリスト教の通算の暦で2012年、次に使われているムスリムのヒジュラ暦で1433年です。ヒジュラ暦は太陰暦なので多少ずれます。この皇紀は、「神武天皇即位紀元」と言われていましたが、敗戦後に使わなくなりました。現在は、「紀元前」といえば、BC=Before Christ=キリスト誕生以前になりました。通算の暦をキリスト教を使いながら、平成という今上陛下の暦を併用しています。これも敗戦の影響でしょう。ただ、それであっても日本人の倫理の出発点はずっと私たちの中に残っているのです。東日本大震災の希望の1面です。それでは、日本人の民主主義とは違う民主主義を見ていきましょう。ヨーロッパには大きく2つの民主主義の源流があり1つがキリスト教、もう1つが古代ギリシャの民主主義です。

 古代ギリシャの民主主義は、5倍以上の奴隷に支えられた市民の上に成り立つ民主主義でした。歴史としては日本よりも古く文字に残されてきた、別の民主主義です。現在、アメリカが教えてくれる民主主義を学校で習いますが、民主主義の原理は「多数決」などではないでしょうか。しかし、日本の伝統的な民主主義は「民を大切にする人がいて、その人の下に全員対等である」という民主主義です。

 ギリシャの民主主義が紆余曲折を経て、西ヨーロッパで復活した、と言われるフランス革命は、250年くらいの伝統があります。その前は「パンがなければケーキを食べればいい」と発言したことで知られるマリーアントワネットのように民衆が飢えていても全く関心が無い、という民主主義なのです。これは古代ギリシャが、奴隷制の上に成り立っているのと共通していますし、現在のフランス、イギリス、アメリカ、ドイツなどの受け継いだ国々に、奴隷同然の階級がいることでも分かります。パリやロンドンでは街の清掃をする人の人種や国籍が殆ど固定されています。それ以上に出世することは絶望的な位難しいのです。この点が同じ民主主義であっても全く別の点です。

 技術者倫理から観てみると、古代ギリシャの民主主義は

 「私心」<「一部の人々のための利益優先」

 を含んでいるのです。この点は決定的な違い、と高木は考えます。もちろん、その後に時代を経て、20世紀になって「社会全体の利益優先」に理論上はなっていきます。しかし、実態は、

・講義録5-2 アメリカの医療とインフォームドコンセント
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-118.html
・関連エッセイ 「義務」の限界 民主主義と日本の伝統
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-134.html

 でアメリカとヨーロッパの一部の現状を述べたように厳しいのではないでしょうか。アメリカ合州国(合衆国は見事な誤訳と考えます)内部の医療差別、人種差別、宗教差別など、ヨーロッパ各国にある移民差別、宗教差別、階層差別などは、「一部の人々のための利益」が全体の利益と考えている証左です。

 また、ギリシャの民主主義の伝統が明治時代に伝わってきた時、日本は直ぐに明治天皇陛下を中心とした民主主義国家の体制(民主制)に移行し、奇跡的な大成功をおさめます。隣の朝鮮半島にあった李氏朝鮮やその後の大韓帝国、支那大陸にあった清朝や中華民国は民主制に移行しませんでした。また、21世紀の現在でも、制度は民主制でも、実態は独裁体制である国が世界中に溢れています。数え方に寄りますが、アフリカやアラブの部族的国家な度を含めると半分以上は、独裁体制です。隣国で思い浮かぶのは、北朝鮮、ロシア、中華人民共和国などです。北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」と言いますが、金一族の独裁体制であることは疑いようがありません。ここは推論ですが、日本の民主主義の方が「公衆の福利」に含まれる範囲が広かったので、フランス革命の民主主義を容易に吸収できたと考えます。対して他の国々は「公衆の福利」に含まれる範囲が狭かったので取り入れることが難しかったのではないでしょうか。現在、世界の多くの国が形だけは民主制を取り入れていますが、その範囲が狭いので、実質的には独裁制に近くなっているのです。

 ヨーロッパに戻りましょう。フランス革命で行われた「人権宣言」には女性が含まれていなかったことは有名ですが、日本では江戸時代、実態として男女対等がありました。武家社会では儒教の浸透で男尊女卑が言われるようになる側面もあります。ただし、儒教も伊藤仁斎のように日本化していったのも見逃せません。
 男女対等ではなく女尊男卑の制度が整ったのも江戸時代です。商家の養子制度では女性の財産権が優位に認められ、伝統芸能を女系で保つなど女性優位がはっきりと見られる分野がありました。これを明治期に来たヨーロッパ人は「世界で一番女性の地位が高いのは日本だ」などと表現しました。しかし、日本では男女対等であって、女性の地位が男性と比較されることさえありませんでした。これは『古事記』を見るとはっきりします。

 『聖書』  神様=男 人間=男 女は男性の一部で作られた

 『古事記』 最高の神様=女(天照大神)、最初に出てきた人間=女性 女性と男性はセットで1つ

なのです。男女対等の民主主義の伝統を古くから持ってきたからこそ、僅かな期間で体制移行もでき、実態もそうなったのです。

 この「民のかまど」を知っていた学生は、249名中2名でした。アメリカが日本を支配した中で、「教えてはいけない」となったのです。しかし、ギリシャで古代ギリシャ神話を教えてはいけないでしょうか? ギリシャはペルシャ、オスマントルコなど支配を日本より長く受けてきました。インドは英国に支配されましたが、古い物語は現在も禁止でしょうか? 独立したのは日本とあまり変わらない時期です。インドネシアなどと同じく、日本はインド独立のために戦って数万人の兵士が亡くなっています。詳しく知りたい方は「インド独立の英雄チャンドラ・ボース」を調べてみて下さい。ガンジーより有名です。
 敗戦後の日本人が、私を含めて、これらを見ないようにしてきたからでしょう。敗戦前まで教えられてきた「民のかまど」の話は、小学校でも中学校でも教えられていません。ですから、今後改善できるのですから、そこにも日本の新しい可能性、強くなる日本の可能性がある、と言えるのではないでしょうか。「頑張ろう日本」というフレーズをTVや新聞、街中を行く人のTシャツなどで見るたびに思います。いじめや自殺の問題も根本の1つはここにあると高木は考えています。

 さて、ここで問いを出しました。 

パターン①
 問2 世界で一番大きいお墓はどこの国にありますか?

パターン②
 問2 日本人の倫理の根本は何ですか?

 パターン①の正解は日本です。先ほど出てきた「仁徳天皇のお墓」=「仁徳天皇陵」です。しかし敗戦後に「学術的ではない」などの理由で「大仙陵古墳」などの名称がつけられ混乱を極めています。物語は物語として大切なのです。ギリシャ神話の中にある「アポロン」という太陽の神様が実際にいたかどうか?などが古代ギリシャ神話の値打ちを損ねるでしょうか? そんなことはありません。その神話を信じて、「だから倫理を守ろう」という文化や民族の出発点になる所が大切なのです。

 仁徳天皇陵は、以下のHPの写真を参考にして下さい、土を掘って盛っただけのお墓です。技術も何も要らないのです。多くの人々が感謝の思いで手伝ったのでしょう。現代風の言葉で言えばボランティアです。

堺市 仁徳天皇陵古墳百科:http://www.city.sakai.lg.jp/hakubutu/ninhya.html

 対して、秦の始皇帝のお墓は、民衆を軍事力で集めました。1日でも遅れると、1人でも足りないと連れてきた役人も含めて全員が死刑になりました。ですから、役人も逃げ出しました。逃げる人が沢山になって山賊になりました。秦の始皇帝が死ぬとその山賊の中から次の皇帝、劉邦(りゅうほう)が出てきます。当時は、日本より秦の方が技術が進んでいますし、人口も格段に多かったのです。けれども、お墓の面積は仁徳天皇の方が大きい。それは嫌々やらされるより、感謝の心でやる方が成果が大きい、という一例かもしれません。

 「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり」

 声を出すと意味が分かる、ので是非ともお詠(よ)み下さい。新古今集にある仁徳天皇の御製です。「君が代」は同じ新古今集にあります。御製を国歌にしなかったことに民主主義の深さを高木は感じます。


 以上で「民のかまど」を終わります。

 次に、現在日本にある「民のかまど」の精神を紹介します。

 明治維新を成し遂げられ日本を欧米の侵略の危機から救われた明治天皇は、その御遺徳を日本国民が想い、数十万人が参加して「明治神宮」を作りました。「明治神宮」は後数十年で、人間の手から離れて完全リサイクルが出来るようになるそうです。ですから、全ての落ち葉を土に返すそうです。お正月に日本人が最も参詣する神社である理由が分かるようです。
明治新宮-自然・見どころ:http://www.meijijingu.or.jp/midokoro/index.html
 
 昭和天皇は、敗戦後、アメリカ代表のマッカーサーと会談した時、「私の命よりも苦しんでいる民をいたわって欲しい」と述べられました。そしてその後、昭和天皇は、悲しいことに沖縄県は返還されていなかったので行けませんでしたが、日本全国を御自身で回られて「民の苦しみ」をいたわられたのです。「昭和天皇の御巡幸」は数年に及び、数万キロ、数十万人に逢われました。昭和天皇は、マッカーサーに逢われた時、まず最初に

 「私がどのような責任も負いますし、どのような処分も受けます」
 
 と言われました。そして

 「罪なき8000万人の民をいたわりたい」

 と言われたのです。つまり、陛下御自身としては明確に反対であった戦争であったが責任は私にある、と言われたのです。アメリカ軍を始め多くのヨーロッパの国々は、天皇陛下の御巡幸で、陛下が害されると予想していたようです。しかし、日本国民は全くそのようなことがありませんでした。民衆のデモで倒れたエジプトのムバラク元大統領は、1日4億円以上のお金を貯めて、10兆円以上の私腹を肥やしました。ムバラクがエジプトを回っていたらどうでしょうか? しかも敗戦後です。それは日本国民(もちろん、その後、朝鮮国籍や台湾国籍などに戻ってしまった日本国民も含めて)が「私心」で戦争を始めたことがないことを知っていたからでしょう。

 現在の天皇陛下、今上天皇陛下は、「被災地に赴いて人々と気持ちを分かち合いたい。が復興の邪魔をしないようにもしたい」と大地震発生後、直ぐに言われていたそうです。さらに、被災者に御用邸を解放され、被災者へのプレゼントを御自身で考えられたこと(公式には表明されていません)などとも共通します。そしてビデオでのお見舞いをなさりました。また、やっと日程の調整などが付き、被災者と逢われた時、膝をつき1人1人とお話しされました。「私が偉くてお前は下なんだ」という心持ならば、被災者と同じ視線になることなどありません。残念ながら、菅首相を始めとして閣僚の人々は最初、自分は立ったまま被災者と話をしました。節電が必要になると、自ら進んで東京の皇居を始められました。「国民が苦しんでいる時に分かち合いたい」という「民のかまど」の精神が現在まで脈々と続いているのです。
 高木は大学院時代、ある別の大学院のゼミにご厚意で参加させてもらっていました。その先生は、科学哲学の第一人者で天皇陛下から表彰を受けるため東京の皇居に行きました。行く前は「服装が面倒くさい」とか何とか言っていましたが、陛下にお会いになった後、絶賛されていました。

 「今までそんなに気にしていなかったし、右翼とか左翼とかじゃなくて、凄いんだよ。というのも哲学の深い部分まで理解して質問された。もちろん、レクチャーする人がいるのだろうけれど、凄い勉強力だよ。しかも、他に数人別の哲学分野の先生にも同じだったよ」

 と言っていました。春の園遊会などでも同じようにどのような人が来られるのか、どのような顔なのかも覚えられるのでしょう。それも全員です。お逢いになる1人1人を分け隔てなく尊重され、そのために予習をされている。なんというご努力でしょうか。どれだけご努力されているのでしょうか。怠け者の高木には決してできませんし、通常の日本国民でもこれほどの努力を常に行い続けることは難しいのではないでしょうか。私はこの道に進んでいますが、科学哲学の第一人者の先生をうならせる質問が出来るとは思えません。それが1日に何人も、年間何十人も、お会いになる人は数百人、数千人になるのでしょうか。しかも、その中には、不勉強で「天皇は形だけ」とか「天皇は戦争につながる」などと言う人もいます。繰り返しますが、歴史的事実を踏まえないこのような発言に対して、怒りあらわにし、説教を垂れることなく笑顔で包み込んで来られたのです。何という広いお心でしょうか。それは民を主人公を考えるから出来るのではないでしょうか。

 昨年も、福島原発事故の後も避難所にどのような人がいるのかを事前に出来る限り勉強されていかれるそうです。そのような行為を誰にも誇らずに、70歳を優に越え、入院を繰り返す中でその努力を繰り返されてきました。もう言葉を続けられなくなると感じます。

 別の例に行きましょう。
 
 私は、ある時期、京都大学の哲学サークルに参加していました。その帰り、何気なく御所(京都御所)に行ってみたのです。実は、御所の北東の方角が欠けているのは本当かな?と思って行ってみたのです。本当に欠けていました。これは全てが満ちると後は落ちるだけなので、完璧の1歩手前が最も良い、という思想による、と教えてもらったからです。この御所について後から別の話を聞きました。

 「御所の壁が低いのは民衆に殺される心配が無いからである。日本の天皇は民衆のために生きているから殺される心配が無く、そして実際、歴史上民衆に殺された天皇はいない」

 これは動画でも紹介した青山繁晴氏の動画にあった話です。「ヨーロッパの王様や貴族が大きな城に住むのは民衆に殺される心配があるからだ」とも述べていました。確かに日本でも大名の住む城は堀や塀が高いです。しかし、御所は2人で肩車をすれば中に入れるほどの低さでした。そして貴族や同じ天皇家の中での殺し合いはありましたが、民衆に殺された天皇は歴史上いませんでした。貴族や天皇家の中の殺し合いも、権力を手放した鎌倉以降はなくなっていきます。

 以上が「民のかまど」が現在まで生きている事例です。

 さて、技術者倫理に立ちかえり、講義録を締めたいと思います。

  「自分の利益」<「公衆の利益」 =「公衆の福利」は、日本の伝統的な精神の中にあるのです。

 ですから、技術者倫理で大切な、事故予防や再発防止を目指す時、この日本の伝統的な精神を踏まえることが大切だと考えます。

 倫理は、空理空論で行えるものではないと私は考えます。
 ヨーロッパの倫理をそのまま日本に持ってくることは出来ない、と考えます。倫理はそもそも宗教に根源を持つからです。「人間はどうして存在するか(宗教)」を説明できなくて、「人間はどのように行動すべきか(倫理)」を説明できないと考えるからです。

 ですから、日本人の持っている情緒や無意識の中にある「人間はどうして存在するか」の答えと繋がった「人間はどのように行動すべきか(倫理)」が大切だと考えます。そうでなければ実際には個人的利益の殆どない内部告発などを行えないのです。ヨーロッパの人々はキリスト教的精神があります。日本にも伝統的精神があります。それぞれ尊く、それぞれ素晴らしい点があると考えます。

 現在、伝統的精神が学校教育の中で伝えられていません。しかし、日本人が受け継いでいることを福島原発事故、その後の対応で見ることが出来ました。私はそこを「最大の希望」と表現しました。

 福島原発事故後に見えた最大の希望は、普通の日本人がこの「私心」<「公共心」を示したことでした。ごく普通の日本人が「武士道」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」を実践した例として、中国人留学生を助けるためにわざわざ戻って亡くなった方など多くの例があります。その中で、南三陸町の遠藤未希さんと上司の三浦毅さんは、「津波が来ています。高台に避難して下さい」と防災放送を最後まで続けられました。最後、というのは自分の身を顧みなかったからです。後に遠藤さんは沖合で発見され、婚約者と家族と対面されました。

 余談になりますが、このお話をブログにどうしても書けませんでした。昨年8月末に南三陸町の防災庁舎にお参りをして、辺りで一番信仰されている八幡神社にお参りをしてきました。このブログに「南三陸町旅行記 自然と心の問題」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
として掲載してあります。お参りしてくるまで、このブログに文字として打つことに心理的な抵抗を感じていました。今も感じていますが手を合わせて書くことにしています。余話を終わります。

 このように普通の日本人が「武士道」という伝統的な精神を受け継いでいます。日本の戦後教育はアメリカ支配という冷戦構造から、この伝統的な精神を学校で教えていません。現在でもこのような精神に対する反発があります。そしてこの反発は政治的な問題と化しています。私は敗戦後60年以上が過ぎ、政治的な問題が徐々に解消されている流れにあると感じています。これは例えば古代の天皇の絶対王政が定着するのに6,70年掛かり、鎌倉政権や徳川政権が定着するのにも6,70年掛かったことを考えると、自然な流れだと考えています。
 そうした政治的な紆余曲折の中でも、「武士道」に見られる伝統的な精神が失われなかった点を重視して考えてみます。その精神は、仁徳天皇の「民のかまど」の話の本質と重なってきます。ですから、技術者倫理を考える時、その出発点として、日本人が伝統的に大切にしてきた考え方を、良く知って今後も大切にしていきましょう、と考えます。

 問3 講義全体で一番印象に残ったこと
 問4 感想

 を出しました。

 ☆まとめ☆です。

 技術者の倫理は、日本独自の社会背景によって支えられると考えるので以上のようになります。
そして、「技術と社会背景は相補的」と考えられるので、これまでの日本の驚異的に技術の発展を支えてきました。そして、今後も社会背景が変わらない限り、日本を信じて良いのだと考えます。もちろん、講義録15-1、15-2で見てきたように、肯定側と否定側を客観的に捉え、闇と嫌悪を引き受けた後であることは述べてきた通りです。今後も、日本人の素晴らしい社会背景を失わずに、倫理を大切にしていきましょう。

 以上で平成25年度の講義内容は終わります。拙い文章をお読み下さり有り難う御座いました。



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