講義録2「倫理について 冗長性 自己紹介」


(文意不明、文末の言い回しミス、誤字脱字は沢山あると思います。ご了承下さいませ。)


 引き続き某大学での講義録を残しておきたい。
 何時まで書き続けるか分らないが、取り合えず、残していきたい。
 
 今日の講義の目標は、「倫理の立ち位置(具体的なイメージをつかむ)」、範囲を狭めて「『技術者倫理』の出来た理由」、最後は「『技術者倫理』による世界の把握」である。

 まず、最初に学生の最後の感想コメントから入りたい。
 「(少し言葉は変えてある) 責任の押し付けあいの気がした。人間の醜い心の部分の講義だったから、もっと明るい、こうしたら良くなるという内容がいいな、と思った。」
 ズキューン!! と来た。
 気をつけなければならない、と自戒した。今回の福島原発事故があってどうしても否定的になりがちである。事故前から多くの原発は停止されるべき、と主張してきたが、それが現実にならないでいた。一気にメジャーな考えになってしまい醜い心がでてきたのかもしれない、と感じた。今後気をつけたい。こういう意見を書いてくれるのは、本当に有り難い。プリントに「気をつけます。有り難う」を丁寧な言葉で書いた。

 内容に移る。

 先日の日記「原発事故と教育の共通点」をかみさんに読んでもらったら、「料理も同じよね」とヒントをもらったので、料理の話から入った。
 料理の楽しみは、「はい、美味しいよ」と出されて美味しいものを食べる楽しみがある。他に、家族や友人に料理を食べさせてあげる、という楽しみにもある。メニューを考えて、面倒くさいけれど材料を買いにいって、198円のほうれん草と有機栽培のほうれん草248円とを迷ったり、包丁できったりして出してあげる。その時に「おーたまにはやるな~」と褒めてもらうのも楽しいし、「美味しい」といってもらえると楽しい。
 高校の授業は、「はい、美味しいよ」と出してもらった料理の楽しさしかなかったのでは? なんで、「F=ma」があるんだろう、例えば「ニュートンは落ちるりんごをみて重力を思いつた」という嘘の話で納得したりもあるけれど、大体は「ごちゃごちゃ考えないで、とにかく公式を暗記して、パターンをつかめばいい点取れる」という勉強方法だったのではないか。大学でも先生の言うことを聞くと、「いい点取れる」ということで、少ない楽しみしかない授業があるのではないか。私の大学の講義は殆どそうだった。
 AO入試や推薦入試が3割を超える中で、志望動機や小論文には先生の手が入る。本当は1人1人の個性が聞きたいのに、先生が手を入れる時、「受かるパターンに当てはめる」指導が多い。私も高校で物理教師だった時年に何人かの小論の指導をしていたのを思い出して、反省し自戒を込めて言っている。
 今回の原発事故も、国や電力会社が「安全」と言っているから、その言うことに疑問を抱えても黙ってやれば「いい点が取れる」というパターンだったのではないか。実はこうしたことは私たちの身の回りに沢山あるのじゃないか。そして、「料理する楽しさ」を失っているのではないか。だから、最初にプリント6枚を配って自分なりに調べてきて、とした。勉強を楽しんでくれるようにと。

 ただ、ほうれん草と白菜の違いを教えないで料理して、というのも無謀なので、プリントの最初の「事実」で引用できることについて補足した。

①「官報」 原子力発電に関しての官報で大学にあるのは、『原子力白書』と『原子力安全白書』がある。毎年1冊出ている。内容は毎年あまり変らないし、2冊の内容も似たり寄ったり。まず、この2冊をどこが出しているか、と挙手で聞いてみた。違いは分るが2名、どこが出しているかを知っているのは0名だった。挙手だったので実はいるかもしれない。

『原子力白書』    は原子力委員会で原子力の「推進」を考える
『原子力安全白書』 は原子力安全委員会で原子力の「停止やチェック」を考える
両方とも内閣府にある。推進と停止が1つの大臣の元にあるのは日本だけ。

原子力政策は2つの立場からの検討で推移するはずだったのに、「面倒くさくなって」経済産業省に「原子力安全・保安院」が出来た。
NHKのドキュメンタリーにあるように、原発はアメリカが日本のエネルギーを支配し、ソ連の仲間にならないように進められてきた。最初の原子炉はアメリカから買ったもので、その後もアメリカ企業の元で日立、東芝、三菱が独占してきた。経済産業省は当然、原発推進になる。その下にある「原子力安全・保安院」、この「安全『・』保安院」の『・』が入っていて、何故入ったかを調べると面白いと思うので、興味のある人はどうぞ。保安院が、日常的な検査や許可などをするようになる。
そうすると、東京電力や中部電力はチェックを受ける保安院に数々の情報を出すけれど、原子力委員会や原子力安全委員会には情報を出さなくなる。だから、どうしても具体的な話には中々踏み込まないので、『原子力白書』と『原子力安全白書』は毎年同じような内容になってしまう(原理は毎年変らないから)。
それでも、原子力に関してはきちんと書いてある官報であるのは間違いない。事実の引用する場合には参考にしてください。実際に2冊を講義中にまわして手にとってもらった。

もう1つの事実は、現場の証言である。
『三陸海岸大津波』 吉村昭 に付箋4枚をつけた。
 1枚目は100年前の大津波後の絵図。現在のTVを変らないが、死体が写っていない。海外のメディアでは死体と自衛隊が良く映るのに日本のメディアには写らない。これは1つの問題だけれど、後ほどまた。
 2枚目は、吉村さんが実際に現場での証言を取っている。「50mにあった家の中に激しい勢いで海水が入ってきた」というもの。計測データとして、今回の津波と100年前は同じ39mだそうだか、こういう証言もある。これも1つの事実として扱える。現場に行って実際に見聞きしたものは、科学的な計測データとして残らなくても事実として扱えるのである。
 それを傍証するのが、3枚目、100年前の死者2万6360名。今回もほぼ同数であるが日本の人口が3000万や4000万だった時なので、現在に直すと10万の死者となる。100年前の方が大きかったと推測される。
 4枚目は最後。文をそのまま引用し読み上げた。
 「(現地の老人の証言) 津波は時勢が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う。」
 安全だ安全だと言ってきたけれども、中には防波堤を高く作った村もあった。その土地は逃げる時間があったそうである。

最後の事実は、本。図書館にある原発関係の10冊の本を私のコメントつきのプリントがあるので回した。昨年、一昨年、原発関係の本を大学の図書館でそれぞれ40冊前後斜め読みした。その中から選抜した10冊。実は昨年、講義中に紹介した本をプリントにまとめていた。全部で約50冊を紹介していて、B4で4枚分になった。最後の1枚をまわした。10冊の本名とコメントを見て本に興味が出たら調べてみて、と言った。

 以上が、事実を引用する場合の補足。個人ブログやwikiなどは確証度が低いので学術的ではない、とコメント。間違えて「引用してはいけません」と述べてしまった。あわてて訂正しなおした、「学術的ではない」と。ここまで約25分

 次は「倫理の立ち位置」
問1 マナー、倫理(道徳)、気づかい、法律、の4つを範囲の狭い順に並べなさい。
例、朝静岡から電車で来ます。電車から降りる時、出口の真ん中に立っているおばさんがいました。電車から全員が出る前に乗ってきました。彼女は「狭いところが優先」というマナー違反の行為です。しかし、彼女の行為は倫理の基準である「悪」には該当しません。つまり、マナーの問題ではあるが倫理の問題にはならない、訳です。すると、マナーよりも倫理の範囲が狭いことになります。
 以上の例を自分で考えて、狭い順に並べなさい。
 6割以上の学生が、1(最も狭い)法律、2倫理、3マナー、4気づかいと書いた。私の考えも同じ。ただ、それぞれの考え方を否定しなかった。また、レポート用紙を後で見直すと「場合場合によって倫理とマナーが変わるので先生の問いがおかしい」や「法律も倫理もマナーでも先生の例は「悪」である」というコメントもあった。それぞれで良いとコメントを付けた。ただし、オリジナルであることもコメントした。

 私の説明は、法律と倫理の違いについては、法律は罰則があるが倫理、マナー、気づかいは反しても罰則がないことを挙げた。具体的な例としては、恋愛での浮気や二股は悪の行為で非難されるが、法律では罰せられない。マナーの例としては、スープのスプーンのすくい方が手前か手奥かは各国によって異なる点を挙げた。気づかいは、私の大学のバスケ部時代の話を。部活の時、先輩のグラスが空いていると「気づかい」でつぐものだった。つぐと返杯が来て今コップに入っているビールを飲み干して、ついでもらう。そのついでもらったのを一気に飲み、さらについでもらう習慣があった。つまり、先輩についでもらうと2杯一気にのむことになる。他の先輩のコップが空けばつぎ、返杯がある。お酒の弱い私は3,4回やると一気に7,8杯飲んで、ぶったおれたり吐いたりしていた。これは「きづかい」である。ただ、外国ではこうした「気づかい」が出来なくてもその人を避けたり非難したりしない。しかし、日本には「空気」がある。この空気とは、「気づかい」が出来ない人を、倫理のできない人として排除するところに問題がある。「あの人はきづかいができない(空気が読めない)」から、飲み会に呼ばない、や会合に呼ばない、情報を流さないなどの行為をする。「気づかい」と「倫理」を一緒にしてしまうのだ。その意味でも、身の回りの人々と仲良くやるルール、法律、倫理、マナー、気づかい、をきちっと区別する必要がある、と指摘した。もちろん「空気」の良い面もある。
 これの発展としては「セクシャルハラスメント」が挙げられる。現在は「法律」の問題である「セクハラ」は、20年前くらいは「マナー」の問題であった。人間はみなすけべだから、それを表に出すか出さないか、は個人の「マナー」の問題だし、お酒が入ればその「マナー」が緩まる、と捉えられてきたのだ。「セクハラ」をしてもその当人が悪人である、とは思われなかったし、「セクハラ」行為が悪の行為とは思われていなかった。ただ、「セクハラ」の結果、被害者が仕事にこれなくなるなどの過激な行為に対しては「過激」であるがゆえに非難されるだけであった。もちろん、個人の尊厳の問題として許されるものではないが、社会の中での受け止め(個人の受け止めとは別のレベル)が、変わったのである。これも、4つを分けで見ていくと解りやすいし説明しやすい。

 このように倫理を身の回りの人々と仲良くやるルールの1つとして受け止め、意味内容よりも範囲で捉える、というやり方をした。珍しい、というコメントをもらった。文系の勉強の面白いのは色々な切り口がある所である。楽しめてもらえたら、と思っている。

 次に、「技術者倫理」について述べた。
大枠の「倫理」とはなぜあるか? どういう性質の学問か、の後、倫理の立ち位置、そして「技術者の倫理」と段階を下げていく方が全体像をつかみやすいと考えるからである。
 教科書を開いてもらい、1ページ目にある「技術者倫理とは事例研究」を書いた。これに対して「自然科学とは原理探求」で、原理は統一、普遍を相手にする。電車の中づり広告で「単純接触の原理」という言葉があったが、これは原理ではない、と述べた。「接触する機会が増えれば好意を持つ」全ての人が何時でも何処でも成り立つ訳ではないからである。余話として挙げた。これに対して「技術者倫理」は、個別、限定という性質がある。この個別、限定という性質は、実は事故対策の時に困った問題を引き起こす原因となる。
 チェルノブイリ事故の時、日本の原子力関係者は「ソ連の技術は愚かだけれど、日本の技術は優れているから」や「ソ連の原子炉と日本のでは構造が違う」という言い訳をした。つまり、事故が起こってもそれは「その場合だけだから」とか「それとは違うから」という、個別、限定として言い訳にしてしまうのだ。事例研究がその事例だけに限られてしまいのだ。この個別、限定に押し込めてしまうやり方を「アド・ホック」という。私の専門のカール・ポパーという人は「反証可能性」という概念を使って、この「アド・ホック」を、科学的でない、として強く否定した。追々話を補足する。日本でも福島原発事故と同じ水素爆発も起こっている、地震でも壊れている。地震で壊れて放射性物質が漏れた。しかし、「漏れたけれど人体に影響がないから大丈夫」と言い訳した。今までは「放射性物質は絶対にもれません」といってきていたのだ。「アド・ホック」な言い訳である。選挙の投票結果を見ると、私たちはこの言い訳を受け入れて原発推進派の知事や国会議員を選んできたのである。
 さて、「技術者倫理」が求められるようになったきっかけは1999年の3大事故である。東海村JCO臨界事故、雪印乳業の一連の食品偽装、新幹線落盤事故で、特に新幹線のトンネル落盤事故は専門家の「安全宣言」が出た後だっただけに衝撃的であった。ただ、工学的安全は「危険ゼロ」ではなく「許容可能な危険」という意味で、工学的には驚くに値しない。
 また、根本的な原因は、「製造物がないと私たちの日常生活を営めない」からである。
例えば、東日本大震災では、電気ガス水道がなくて困っています。しかし、江戸時代の200年前は電気ガス水道はなかったのだから、困らなかった。家も200年前の農村では村のみんなで作れた。さてここで学生に質問。「自分は病院で生まれた人手を挙げて」というと8割以上が手を挙げた(1クラスだけ実施)。おじいちゃんやおばあちゃんにきいてごらん、どこで産まれたの?と。90%が、つまりほとんどが「家」と答えるでしょう。だって、出産て病気ですか? なんで病院で産むのでしょう。愛知県の吉村正という産婦人科のお医者さんはそういう風に言っていて、お母さんのペースで自然に産んだ方が安全だと言っている。しかも病院だと産まれた瞬間、お母さんが「赤ちゃんかわいい~」というホルモンが出ている時に赤ちゃんを引き離して、身長や体重を図るのを批判している。子供が可愛いと思えない母親が増えているんじゃないか、とも。死ぬ場所も病院になっている。今85%が病院で死にます。自分が存在しなくなる、という苦しい場面を家族は見なくなっている。だから、「どうして生きているんだろう」とか「どうして仕事するんだろう」という風に思う人が出てきているのではないか。
 こういう風に出来るようになったのは、大型建設物が出来、薬品が出来、電気ガス水道が出来、コンビニが出来、スーパーが出来たから。これは全て製造物が私たちの日常生活を変えて、今はもうなくてはならくなったから。火力発電所も原発も製造物ですね。カップラーメンもペットボトルも同じです。ないと困りますよね。だから、製造物の事故が私たちの日常生活を大きく左右することになりました。だから、何とかしよう、ということで「技術者倫理」が出来ました。99年からですから、まだまだ新しい学問です。

 「技術者倫理」は事例研究の学問ですが、最も有名な事例研究は、「スペースシャトル・チャレンジジャー事故」である。教科書を読みあげていった。1986年1月28日、打ち上げから73秒後にダイ×発が起こった。原因は燃料タンクとロケットブースターをつなぎ合わせるO-リングが弾性を失ったことである。技術者は「事故の危険性」を指摘していたが、経営陣は4人賛成の結論を出した。当初反対であった副社長にGM(最高責任者)は、有名な言葉「技術者の帽子を脱いで、経営者になりたまえ」と言い、全員賛成となった。その後、技術者は事故調査委員会に内部告発し、会社を首になった。
 簡単に言うと前日に大寒波が来ていて、O―リングというゴムが硬くなって2つのロケットがぶつかって燃料が漏れて大爆発となる。ポイントは寒いからゴムが硬くなる、という危険性を技術者は主張したが定量データがなかったのだ。つまり「何度からはこれくらい硬くなって危険です」と数字で示せなかったのだ。もう1つ、実はレーガン大統領の一般教書演説が入っていた。これが発射の圧力になった、とも言われている。
この事件に対して、首になった技術者は本を書いた。教科書の編者もこの意見を引用して、主な事故原因を「コミュニケーション能力不足」にあるとします。それは個人と組織の中で発生した事件で組織を動かすために必要だからです。
対して、教員は「逸脱の日常化」に原因があると主張します。「逸脱」とは法律や倫理違反の行為を指し、法律や倫理違反が日常的に行われていると、本当の危険が見過ごされてしまう、という意味です。例えば教員が直接聞いたの話して、静岡のある信用金庫の窓口業務は店舗ごとで違うそうです。きちっとマニュアルを提出してあるのにバラバラなのです。これは公的なルールに反しています。店舗が変わるといちいち覚えてなければならなくて面倒だ、という話を別の信用金庫の2人に聞いたことがあります。私はあるファミレス(実名を挙げましたが)でウエイターのバイトをしていましたが、「あがり作業」というのがありました。勤務時間を示すタイマーをきった後に作業をするのです。これは労働に対して金銭を支払うというルール(法律)に違反した行為です。昨年、一昨年の講義の感想には、「レジ打ちのバイトをやっているのですが、レジのお金が最後で足りなくなるとバイト代からひかれます」という明確な法律違反の行為がまかり通っています。こうした行為が日常的に行われることを「逸脱の日常化」と言います。
教科書の筆者は、個人の問題や組織の問題や安全工学などを挙げながら最後にはコミュニケーション能力不足を技術者の意見を挙げながら採用します。ただ、この考え方を通すと、技術者にも事故の責任が生じることになります。なぜならば「コミュニケーションとは一方的なものではありません。ですから組織内でコミュニケーション不足が起こったのなら、経営陣のみならず技術者の側にも事故責任が生じる」からです。

ここで問2 チャレンジャー事故では技術者に責任はありますか

私の考えでは技術者に責任はありません。1つには「技術者は技術のことに選任すべきで、会社全体に責任があるのなら間接的な責任も生じますが、第一義的には生じない」と考えるからです。もう1つは「逸脱の日常化」をチェックしなかったのは、経営陣の責任だからです。会社全体の風紀や企業運営方法について責任を負うのは経営陣であり、だからこそ大きな権限と対価としての給料をもらっているのです。技術者が経営的な点についても責任を持つならば、きちんと権限と対価を与えるべきと考えます。
ここで、余話。日本では技術者は約20%しか社長になれません。日本という国は技術立国で技術者が根本的に支えているのにです。アメリカやヨーロッパでは50~60%の割合で技術者が社長です。しかも日本では生涯賃金が文系よりも理系が5000万円「低い」のです。
さて、チャレンジャー事故の責任は技術者にあるのでしょうか?
 色々な答えがありましたが、事故の責任について問うた場合、単純に誰かが悪い、と言えない複雑さを持っている点を理解してほしかった。追々述べていく。これは福島原発事故についても同じで、「東京電力が悪い」や「保安院」が悪いとわり切れない。事故研究の場合、「誰が悪か」と追及する学問ではなく「再発しないようにするにはどうしたら良いか」を問う学問なのである。
 時間が迫ってきていたので、「さて~学問なのである」は口頭で言わなかった。

 次に、事故原因について基本的な捉え方を述べる。

事故の原因は2つ  -人は愚かな行為をするから設計で防ぐ「フール・プルーフ」
        -物は壊れるから設計で防ぐ「フェィル・セイフ」

 「フール・プルーフ」は、例えば、ポットのお湯が出る時に「ロック解除」⇒「出る」と2つのボタンを押す。これは人が寝ぼけて押したり、思わず触ったりするミスを防ぐためである。これは言わなかったが、WORDを終了するときに「保存しますか?」と出てくるのも「フール・プルーフ」の一例である。こうした視点でものを見ていくと身の回りにあるものが新しく見えて、どうしてそういう風に動くのか面白くなる。
 「フェィル・セイフ」は、例えば、飛行機が片方のエンジンだけでも安全に飛べる設計になっていることである。飛行機は物が壊れると死亡につながる重大事故になるから、安全性を確保している。このような性質を「冗長性(じょうちょうせい)」といい工学倫理では重要な概念である。きちんと定義する。

 「冗長性」:「同一機能を択一的に遂行しうる2つ以上のシステムを装備すること」

 この視点で見ていくと(教室を見渡して)、この教室にはドアが4つ(2つの教室もある)あります。「同一機能=人の出入り」を「択一的=どこでも選択できる」に「遂行しうる=行える」「2以上のシステム=4つのドア」を装備することとなる。つまり、教室のドアは冗長性がある、ということですね。また、この大学は安全性をきちんと考えていて、耐震構造の校舎でも、トイレのドアがついていません。なぜなら、トイレのドアは1つしかないからです。地震の時に開かなくなったら困るので、最初からつけていません。女子トイレは見たことがないから判らないのですが(笑いが起きませんでした・・・)。こういう風にみると、教室の中の机も、椅子も冗長性がありますね。さて、他に教室の中に冗長性のあるものがあります。それは何でしょう? 
 備え付けのオーディオなどが挙がるが、他のものが上がらないので1人の学生に前にたってもらった。「さて、彼を見ると冗長性の塊ですね。さてなんでしょう」と問う。
 「目が2つあります」という答えが出る。
まさにその通り。片目を押さえてみてください。片方の目で見えますね。これは冗長性と言えるのです。製造物だけではなく人間にも冗長性があります。これはこれまでの人間の環境が人間(生物)を傷つけやすかった証拠ではないでしょうか。まあ、こんな風に冗長性など工学的な視点から人を見てみると、これまで「この人は仲良くなれそうだ」とか「背が高いなぁ」という見方と別の見方がみれて面白いと思います。と述べた。勉強は面白いものなのである。

 問3 感想

を書いてもらい終了。

そうそう、感想を書いてもらっている間に先週できなかった自己紹介

・趣味バスケ、アニメ、ニコニコ動画、漫画大好き。
 前期のアニメは「レベルE」が良かった。富樫仕事しろ!と思った。
 他に好きなアニメはもやしもん、らきすた、けいおんなどなど沢山。漫画は沢山ありすぎて、ニコニコはプレミアム会員初期から。

・日本全都道府県に行った。それは高校卒業の時、アメリカに1週間行って「すごいな~」と思ったけれど、逆に日本を知らないな、と思ったから。髪の毛を自分で切っていて、色を青、赤、緑、白(脱色)、黄色、紫をした。丁度20歳の時に紫のローテーションだったんだけれど、みんなに驚かれた。
・自動車の免許なし、コーラ飲んだことなし、携帯なし。
(言っていないこと。35歳まで結婚しないと決めていたこと。私の出発点など)

だいぶ早口で。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ