講義録9-2 唯一神教の倫理と日本の倫理

 続けて、キリスト教の倫理と日本の倫理について述べていきましょう。

 これを述べる理由は、技術者倫理が「全地球的な視野」を求められるからです。日本の倫理は世界中の人々の1,2割に過ぎず、唯一神教はキリスト教、イスラム教を含めて世界の7割以上の人々が持っている倫理だからです。同時に多くの倫理の教科書は、この7割以上の倫理が日本にそのまま当てはまるかのような扱いをしますが、ミート・ホープ事件で実例を見てもらったように幾つもの点で異なっています。

 倫理の教科書の誤解の一例

例えば教科書では、ディジョージの条件に対する誤解がありました。ほかにもディジョージを引用して教科書は「内部告発できる権利の根拠」として「言論の自由の権利」を持ち出します。赤羽さんの内部告発の考え方で

 「私は言論の自由があるから内部告発できるのだ!」

 と考えていたでしょうか? 赤羽さんは行政組織の責任を問うこと、田中社長への贖罪の意識、自分だけが不公平に守られていることへの疑問などが内部告発の原動力となっていました。どこにも「言論の自由の権利」などという考え方はなかったのです。確かに法解釈として成立しうる「言論の自由の権利」という考え化は、それだけで、法律とそれを支える倫理の日本での乖離(かいり)を示していると考えられないでしょうか。つまり、日本では「二割司法」や「三割司法」のように実際のトラブルを法律が解決できる手段とされているのが、たった2割、あるいは3割しかない、という意味です。法律の専門家の中で自虐的に使われています。
 しかし、教科書ではそうした法律と日本の倫理の乖離を無視するように議論が進んでいきます。前提が異なるのです。

 それでは、さらに倫理の違いを見ていきましょう。最初に、魔女狩りがアメリカで行われた例です。

 アメリカでもゆれ続けるキリスト教は、印刷技術が出てきて聖書を多くの人が読めるようになると矛盾だらけなのが暴露されてしまいます。当時は寒冷化していたのも一因で悪魔狩り、魔女狩りが起こります。ローマ・カトリックとそれに抗議する(プロテスト)宗派で御互いに「悪魔!」や「魔女!」と呼び合い殺し合います。大体1000万人(30万人~2000万人以上の説も)が殺されました。高木はアメリカの富を収奪するまでヨーロッパは世界で最も遅れた貧しい地域の1つであったから、口減らしの意味もあったと考えています。
 この魔女狩りの根本原因は、A) 神からの義務」だから絶対に従わないといけないこと、とB)「神からの義務」を決めるのが人間であること、だと考えています。B)で互いを悪魔としてしまう原因となったのです。映画「クルーシブル」を見ると、よく分かります。17世紀末の実際にあった魔女狩りの話を基にした映画です。前の学生に舞台となったマサチューセッツ州セイラムには魔女狩り博物館がある、と聴いたことがあります。調べてみたら本当にありました。

セーラム魔女博物館 - Salem Witch Museum 
http://www.salemwitchmuseum.com/

のアメリカでも魔女狩りが沢山行われていたこと、魔女がいることを疑う人は罰せられたこと、魔女がいると副知事が認めていたことなどが分かります。もう1つ「神からの義務」で自分の命のみならず愛する妻や胎児を殺し、2人の息子を捨てることも分かります。それほどまでに、「神からの義務」は、重く受け止められていました。これらは現代日本人からすると欠点になります。もちろん、キリスト教徒からすると欠点ではありません。そして、それゆえに、現代日本人に沿(そ)う倫理を考える必要があると思います。

 カントの倫理は、「人間の理性は神から与えられているが、倫理は全ての人に当てはまる考え方にしましょう」という義務倫理です。カントは微妙に神を表に出してきていませんが(『実践理性批判』)、高木の解釈では、魔女狩りで先ほどのA)とB)の反省を込めたように思われます。そして最後の『判断力批判』で道徳的理想として神を肯定します。
 高木からすると、カントは宗教による殺戮(さつりく)の反省と神の肯定を目的とした哲学に他なりません。ですが、日本の歴史では宗教による殺戮は驚くほど少なく、また鎌倉時代以降では、安土桃山時代にポツリ、キリスト教が巻き起こしたものがポツリ、とあるくらいです。さらに日本の神は、人間によって肯定される存在や、人間の道徳的理想としての神などではありません。『古事記』を読めば分かります。例えば大国主命は、嫉妬深い父親であり道理の分からない側面を持っています。
 ですから、カントの哲学を研究している日本の若手哲学科の人と話が合わなかったのもこの点でした。カントをやるだけでは全く意味がないと高木は考えていたのです。日本の神道や仏教を勉強しながら日本人としての無意識を開拓していかないと、カントの理解は、文字の上だけの理解になってしまう、と考えていたのです。私は哲学若手研究者フォーラム(旧「全国若手哲学研究者ゼミナール」)で発表や論文を書かせてもらいましたが、その時に、何人の人かとこういう話をさせてもらいました。もちろん私の感じたズレは埋まりませんでした。

 哲学若手研究者フォーラムは、飛び入りの私を快く迎え入れてくれ、色々なことを教えてくれました。
HP:http://www.wakate-forum.org/

 大変感謝しております。

 では日本の倫理について述べていきましょう。

 「唯一神と人間しかない。そしてそれをつなぐものが理性である。だから理性に任せれば大丈夫」

 という西欧特有の倫理がなく、理性を倫理の元に置きません。であるのにも関わらず、倫理的な行動をします。これは祖先に私達の生きている根源を観る、という考え方があるからです。そこからは、前に述べたように「お役目」という考え方が出てきます。このお役目をきちんと果たすために倫理的行動が出てくるのです。数多くの識者が述べているように、理性に対抗して西欧的視点で見れば情緒的根拠になります。

 その実例として講義中にあげたのが、法隆寺の正倉院の宝物のことです。法隆寺そのものは何度も焼けているのに、正倉院だけは1300年間燃えることがありませんでした。これは周りの人々が消火活動に命を懸けたことが判るでしょう。しかも正倉院は厳重に守られている訳ではなく、金槌などで叩き割れば宝物を観ることができるような作りです。それでも盗まれたり売られることがなかったのです。全国の多くのお寺や神社も同じく国宝級の宝物が、数百年、千年以上窃盗に合わなかった、というのは、日本人の高潔な倫理的行動の何よりの実例になることでしょう。それらの宝物は普段、人が周りにおらず盗まれても誰にも判らない物も多くあるのです。

 この日本人の高潔な倫理活動は世界史の中に幾つも刻まれています。
 原発に関係あるのは、大東亜戦争です。日本では「太平洋戦争」と呼ばれたりしますが日本の内閣が閣議決定した呼称は「大東亜戦争」です。アメリカに禁止されてそのままにしてきました。また「太平洋戦争」とは本来別の名前でもあるにも関わらず日本人が、イギリスに勝ち、オランダに勝ち、中華民国などにも勝って、アメリカにだけ負けた、のを隠して、あたかもアメリカとだけ戦争していたと誤解させる呼称を付けさせたのです。さらに、禁書として7000冊以上の本を出版禁止にしました。世界史で秦の始皇帝の焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)を習ったと思いますが、現代になってアメリカはそれを行ったわけです。数々の戦争犯罪、国際法違反を行いました。それを隠すためでもあります。

 しかしながら、日本の高潔な倫理活動は後100年もしない内にきちんと取り戻せることでしょう。私は多分死んでいるでしょうが、そういう日が来ることを願っています。希望を持っています。
 「大東亜」とは「大東亜共栄圏」を目指す戦いです。
 意味は、「そこに住んでいる人々が自分たちの国の運命を決める」という意味です。現在のEUと同じくブロック経済を作るのを目標としました。なぜなら、世界では400年以上西欧の帝国主義で世界中が支配されていたからです。日本は日本人差別だけでなく、アメリカでは黒人差別を、アフリカではアフリカの人々の差別を、インドの差別を止めてくださいと言いました。国際機関に世界で初めて人種差別撤廃法案を提出したのが日本なのです。これをつぶしたのはアメリカです。
 日本は日露戦争で、「白人が支配民族として当然である」という観念を完璧に打ち壊しました。そして「白人支配反対」と言い出したわけです。ですから、白人の英国は日英同盟を解消し、アメリカは日本を倒そうとし、ドイツは支那(china:中国)に武器援助をし、ソ連はスパイなどを世界中で暗躍させました。白人が総がかりで掛ってきたわけです。日本は外交的失敗などもあり、大東亜戦争に負けましたが、英国艦隊を打ち砕き、インド人は歓喜しました。インドネシアなどでは日本人は、大東亜戦争に負けているのに一緒に戦い、戦死しています。日本がアジア人を解放した地域では独立が起こり、1950年代にアジアの国々は独立していきます。それがアフリカの及んでいきます。
 戦争に負けても、日本の高潔な倫理活動は世界を支配の歴史から、奴隷売買の認められる世界から解放したのです。

 アジア・アフリカ会議では「日本があったから我々はこうして独立できた」という言葉も聞かれました。

 もちろん、日本が全く悪いことしなかった、訳ではありません。公平性を大切にしていますから、悪いこともありました。両側から観ないと惑わされてしまうということになってしまいます。日本では自国に対するイメージが悪いそうですが、悪いことだけをした、と聞かされてきたからでしょう。さらに自分でも調べないからでしょう。さらに、敗戦後に出来た「従軍慰安婦」などという嘘の行為が現代の政治的要因で、さも事実かのように扱われています。

 よく考えてみてください。あなたのおじいちゃん、おばあちゃんは教科書で言われているように「世界中に悪いことだけをする人でしたか?」と。

 この問題は根深いのでまた論じることにします。
 ポイントは、唯一神教の倫理日本人の倫理とが違う、ということです。

唯一神教の倫理では、「私が善だからあなたは悪」
日本人の倫理では  「私は善も悪もある。あなたも善も悪もある」

 という違いです。この点を押えておいて欲しいです。
 長くなりました。以上です。
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