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講義録8-1 濃度規制と総量規制の問題

 法律と倫理を考える際に重要な観点として「濃度規制と総量規制の問題」をその1つとして取り上げます。

 昨年の講義録7-1を元にしていきます。
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-128.html

 配布プリント1枚目
 (表):藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』88,89P
 (裏):藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』90,91P

には、内部告発の2例が書いてあります。
1例目は、チャレンジャー事故後、内部告発をしたボイジョリー氏、もう1例は、架空の事例で『ギルべイン・ゴールド』の技術者デイヴィッドです。

ちなみに、ギルべイン・ゴールドの事例は、技術者倫理でよくつかわれます。
公益社団法人 日本工学教育会の教材でも使われています。
:http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsee/other/pdf/JSEE_ethics.pdf

元の資料によると製作者は、「National Institute for Engineering Ethics & National Society of Professional Engineers」です。

 教科書が改定され、登場人物が判りにくくなったので、補足します。

デイヴィッド:技術者 :コンピュータ会社環境営業部に勤務している
フィル   :上司  :デイヴィッドの上司で環境業務を管理している。功利的主張をする
ダイアン  :技術者の妻 :

 ギルべイン・ゴールドの事例は、技術者倫理で大切な点を幾つも教えてくれます。上記の資料によると、
①内部告発の肯定的な面と否定的な面
②前提の改善を考える(上司の考えが変わる可能性)
③具体的な落とし所を考える
 などです。

 これに、高木は「濃度規制と総量規制の問題」を加えます。

 というのも、「濃度規制と総量規制の問題」は、震災がれきを始めとする放射性物質の汚染、水俣病等の公害病問題、アスベストの問題などで基本的な視点の1つだからです。また、ギルベイン・ゴールドの事例はあくまで「架空」の事例に過ぎず、現実社会が持つ複雑さがさっぱりと抜け落ちているからです。現実社会の持つ複雑さ、恐ろしさなどと共に考えていかないと、根源的な倫理感覚が身につかない、と考えます。ですから、この講義では「ミート・ホープ事件」を取り上げます。この事件が巻き起こした食品製造における偽造、虚偽問題は現在も続いています。
 2013年現在、中華人民共和国や大韓民国の食品製造における、偽造、虚偽問題は国民の大きな関心です。さらには、人工肉(植物から肉そっくりの肉)や、成形肉(カット屑肉などで作る肉)などの問題につながって行きます。この分野での技術は日本は世界トップクラスです。
 私達が現在、毎日のように口に入れて血肉にしているものを出発点にしないと、こうした倫理的問題は、どこか他人事の、絵空事になってしまうと考えます。それでは事件に戻ります。

 事実をかいつまみますと、コンピュータの部品を作っている会社が、鉛と砒素(ヒ素)を下水に流していた。その下水から肥料ができ野菜が作られ人が食べている。市の規制は、濃度規制であり、総量規制ではないので、流量(水の量)を加えれば、幾らでも鉛と砒素の総「量」は流せるのである。主人公のデイビッドは、会社に高額の汚染対策を取るべきであると上司に進言するが受け入れられず、妻に内部告発するように勧められる。

 濃度規制と総量規制の問題を具体的にしてみましょう。

鉛が10kg流す場合、水を990Kg(1リットル=1kgとして)とまぜると、1%(10kg/1000kg×100=1% :重量パーセント濃度)になります。「/」は割る、の意味です。
市の規制が「0.1%以下」とすると不合格で、法に触れます。
しかし、鉛10kgに、水を99990Kgとまぜると、0.01%となりOKです。

同じ鉛10kgでも、加える水の量を100倍にすると、濃度は1%から0.01%となり、濃度規制をしている法律でOKになります。

鉛を5倍の50Kgにすると、流量を100倍にすれば、0.05%となりますから、OKです。濃度規制を0.1%以下、総量規制を30kg以下に設定してみましょう。

 濃度規制をまとめてみましょう。
                                  濃度規制(0.1%以下) 総量規制(30kg以下)
鉛10Kgで水990Kgの場合、1%でダメ  10kg÷1000kg×100=1%        ×        ○

鉛10kgで水99990kgなら、0.01%でOK 10kg÷100000kg×100=0.01%      ○        ○

鉛50kgで水99990kgなら、0.05%でOK 10kg÷100000kg×100=0.05%      ○        ×

鉛の総「量」を5倍にしても、水の量を増やせば、OK!ということです。

 ギルべイン・ゴールドの中で上司の言うセリフの意味です。

「排水に容認されている濃度を超えないように流量を増やすと、必要な濾過(ろか)がどれほど増えるか、計算したまえ」

 必要な濾過、とは現在ある廃液を奇麗にする装置での濾過を指します。この上司の指摘は、以下のように翻訳されます(高木が)。

「濃度規制なのだから、水の量を増やせば、どれだけ沢山の「量」の鉛や砒素を流してもOKなんだよ」

 これが、濃度規制の法律的な問題点です。これは、抜け穴とは言えませんが、人体に影響を与える「毒」の量を減らすことが出来ない、という点で考えると欠点です。これに対して、デイヴィッドの妻ダイアンは、「間違っている!」と言う訳です。これは『沈黙の春』という環境ホルモンや環境物質などを警告した本がありますが、生物濃縮等を基本として、人体への影響を考えた本です。
 1962年に紙上に登場し、賛否両論を巻き起こしながら、環境教育を広めていった本です。現在では、DDTのように間違いがはっきりしているものもありますが、科学技術万能主義に反省を促した功績の大きい本です。これらの環境思想には、幾つかポイントがありますが、

 大きなポイントは、

○生物濃縮は自然科学的データを得にくく、不安を掻き立てる

 という点です。生物濃縮は生物によって濃縮の度合いが違います。物質によって濃縮の度合いが違います。福島原子力災害で有名になりましたが、放射性物質も骨や血液や臓器など溜まる場所が違うのです。これは、「人体実験が出来ない」という技術的限界から出てきています。どのように溜まるのかを、放射性物質のように毒性が強い物質を投与することは倫理的に出来ません。これを可能にするには、倫理規定が出来ていない時代か、無視する法律を含めた社会システムが必要です。例えば、敗戦後、広島で放射線治療を受けさせずにアメリカと日本の医療関係者に見捨てられ死亡した少女がいます。赤子もサンプルとしてアメリカに持っていかれました。ナチスドイツもアメリカと同じく人体実験を広範囲で行いました。
 また、現在アメリカでは「グアンタナモ収容所」という悪名高い収容所があります。違法な監禁や取り調べ、拷問などが行われていますが、「アメリカ国内ではないから違法でもOK」という社会システムが出来上がっているのです。アメリカは「テロとの戦い」という名目を持ってきて、人種差別行為を広範囲に行っているのです。オバマ大統領は「グアンタナモ収容所を廃止する」と現在活動していますが、議会の反対で停滞しています。
 日本では倫理が非常に強い社会で、かつ振れが大きいですから、このような収容所があれば議会も首相も直ぐに廃止するでしょう。それは倫理として当然なのですが、軍事作戦からすると情報収集や占領地の威圧などが出来なくなるという欠点も兼ね備えているのです。全ての事象は観点によって是非が入れ替わります。どちらが良い、という偏り、ではなく、どちらも観て考える必要がある、と倫理相対主義者の高木は考えています。少し寄り道をしました。
 
 では、ここで反対側から観て見ましょう。つまり、現在まではダイアンの立場「総量規制が良い」に沿って見て来ました。「濃度規制から観ていきましょう」という意味です。

 あくまで一般論ですが、毒性のある物質は、極微量だけ接種すると健康になる、というデータがあります。その極微量を超えると人体への被害が増していきます。人体への影響は、その極微量(域値)がどこであるか、が問題です。逆に、毒性のある物質を限りなく零(ぜろ)に近づけると肉体が弱くなる、というのです。ゆえに、

 「どの濃度からが人体にとって最も有益か。あるいはどの濃度からが害悪があるか」

 という濃度規制の考え方は自然科学的根拠がある、ということになるのです。私達は総量を気にしますが、人体に影響が出るのは濃度なのです。

 このように考えて、島田市の「震災がれきの受け入れ問題」を考えてもらいました。

問1 あなたは島田市の方式で、今後島田市の震災がれきの受け入れに賛成しますか? 反対しますか?

○興味深いことに本年度初めて、3クラスで受け入れ賛成派が過半数を超えました。昨年度までは全てのクラスで反対派が多かったのです。つい先日、受け入れをした島田市長が選挙で落選しました。業者の癒着等が問題視されていましたが、受け入れ問題の説明等に問題があったのかもしれないと、クラスの挙手の結果で感じました。

 島田市が受け入れを開始した震災がれきは、「濃度規制」です。ベクレルとは、「1kgの物質が1秒間に1個の放射線を出す」ことを示した単位です。

 ですから、「震災がれき」がもし、濃度(ベクレル)が高ければ、流量(=一般ごみ)を混ぜれば、法律的にはOKとなるのです。しかし、放射性物質の全ての「量」がどうなるか?に対処できません。

さて、受け入れ賛成派の意見を聞いてみましょう。:これまで健康被害は一切報告されていない。平成25年度の新茶の放射線量も低く抑えられた。被災地の人々を助けたい。

受け入れ反対派の意見を聞いてみましょう:行政の計算には計算ミスがある。震災がれきを受け入れることは被災地からお金を取る事になる。被災地で3年以内に焼却処分できるのだから持ち運ぶ必要がない。

 賛成派は行政のデータをどうぞ。反対派は、きちっとした計測データを出しています。是非ともどうぞ。

静岡放射能汚染測定室(プラムフィールド内):静岡市内や野菜や果物の放射線物質の測定値が載っています。
「測定室だより12号最終原稿」
http://sokuteisitu.plumfield9905.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/06/%E6%B8%AC%E5%AE%9A%E5%AE%A4%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A12%E5%8F%B7%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%8E%9F%E7%A8%BF0730.pdf
 
 中間の視点も入れておきましょう。濃度が人体に影響を与える可能性の低い時、あるいは環境に「総量が殆どない時」などは、測定しやすいので、濃度規制は有効です。総量規制をするには、測定点を増やすなど多大なコストが掛かります。

 高木の見解ですが、島田市を始めとする震災がれき受け入れ問題では、濃度規制のみならず、総量規制を導入し、広報活動をすることで国民の安心と安全が、より確保できたのではないでしょうか。

 以上が、濃度規制と総量規制の問題です。次はギルベイン・ゴールドから学ぶ内部告発です。 

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