講義録7 日本の医療現場におけるインフォームド・コンセントの実情 3つの観点からの倫理 製造物責任法

 皆様、こんにちは。

 水無月(6月)に入り、いよいよ稲の成長を目で楽しむ季節になってまいりました。昨日(6月1日)に、島田の方で棚田の田植えに友人、親族、家族の計10人で参加してきました。棚田は先月世界農業遺産と認められた茶草場の一部です。お茶畑の周りにある草場に豊かな自然環境があり、虫や数々の草花が生息しています。さらにその草場を刈り取ってお茶畑の肥料とするそうです。棚田にはお玉杓子や水蜘蛛(みずぐも)などなどがおりました。
 最初は驚きましたが、すぐに田んぼの中にはいり、気にせずぐちゃぐちゃ、ドロドロ(泥泥)した感触を確かめておりました。2歳の長男は顔と背中の上以外は全部どろだらけ。嬉しそうに棚田を何往復もしていました。泥パックというエステがあるそうですが、なるほど、と思うほど夜まで何とも足元がほんわかしておりました。
 棚田は美しい。けれども、生産性は伴わない。だから、棚田オーナー制を皮切りに大学のボランティアや地元の協力(美味しいお昼を頂きました)などが一体になる新しいシステムが重要なのだと実感致しました。このシステムが、技術倫理の世界でも利用できないかな、と帰りの眠くなる自動車の中で想いました。また、棚田のシステムは中心人物が重要でした。技術の世界でも「はやぶさ」の川口氏のように中心人物を如何に据えるか、も大切だと感じました。

 それでは、本文に入ります。

 昨年の講義録6を下地に述べていきます。

紹介(回覧)した資料:なし

配布したプリント:B4 1枚
 :藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』58-61P
 :静岡新聞 平成25年5月13日からの特集「患者と向き合う 医療の現場から」①~⑦の中の②と⑦

 --講義内容--

 今週も挨拶から入りました。「時間になりました。今日も始めていきましょう。おはよう御座います(こんにちは)。」と言いました。皆さん返してくれる声が大きくなってきました。嬉しいことです。

 それでは、先週、述べたインフォームド・コンセントと医療について、丁度、静岡新聞が特集をしてくれたのでそれを見ていきましょう。実際に日本ではどのようになっているか、の事実を見てみましょう。講義では理念の部分だけしか扱えないので、幸運に恵まれました。

 それではプリントを見てください。写真が2つある方です。プリントの真ん中を見てください。日付が5月13日から7回連続でした。まさに今月です。さて、第7回まであるのですが、取り上げるのが第2回、と第7回です。その理由は第2回が医者がインフォームド・コンセントを進める理由が書いてあり、第7回には患者側から進める理由が書いてあるからです。医者と患者の両側から考えていくのが先週の講義のまとめ、「賛成と反対、両側から観て初めて自分の意見が出る」という公平さにつながります。

 第2回を見ていきましょう。第1段落目に「医療の専門家ではない裁判官が、事故原因や責任の所在を判断するのは納得いかない。だからこそ、訴訟にしないような対応が必要です。」とあります。ここでのポイントは2つ。

ア) パターナリズムが観られる=「医療の専門家ではない」

 講義では述べませんでしたが、これは技術者の世界でも同じようなことが起こっています。有名なのは小泉政権時代に日本の株価上昇をつぶしたと言われるホリエモンの裁判でしょう。こうした批判は多くの分野であります。妥当かどうかは別としてパターナリズムが根底にあることを覚えておいてください。

イ)パターナリズムが倫理の根源になる=「だからこそ訴訟にしないように」

 私達は、あるいは広く社会一般ではインフォームド・コンセントをすれば倫理が進む(保たれる)、と考えがちですが、実際に医療の現場ではパターナリズムが倫理の源となっているのです。この病院ではこうした専門家としての誇りからカルテの公開や患者さんと向き合うことの講習、医者の態度の改めにつながっています。思い込みを事実から考え直させてくれる一文でした。これはこの後、

「病気の完治を願う気持ちは医者も患者も同じ」の言葉に表れています。

次に事実が出てきます。記事を読むときに事実に罫線を引っ張っていく、という読み方もありますから、覚えておいてください。「医療関係の訴訟は2011年に約760件」

さて、大きなポイントが来ました。現在のインフォームド・コンセントを考える上での運用上の実例です。

ウ)患者が同意書を提出していても裁判で賠償責任が生じる

 本文に「患者側が納得していないことに気づかずに同意書を取っていた。…(中略)…判決は(手術の)ミスはなかったとする一方、術前の説明不足を指摘。結果責任を認定し損害金支払いを命じた。」

 患者が同意書を出していても、それでは十分ではない、ということです。現在の裁判所の判断では手術前にきちんと説明しなければ、いくら同意書を取っていても責任がお医者さん側に生じる、ということです。これは先週述べたインフォームド・コンセントよりもさらに進めた解釈です。これに対してお医者さんは対応しなければなりません。これらは本日説明する製造物責任法の厳格責任に近い考え方です。続く本文でお医者さんの解釈を見てみましょう。

 「訴訟になるケースは結局、技術だけではなく、対応や言葉遣いなど全てに問題があったということなのです。」

 裁判所の解釈批判や同意書があることを盾に取らずに(言い訳にせずに)、お医者さん側が反省し態度を改める、というのです。なんという高潔な態度でしょうか。高い倫理感が再発防止につながるのが目に浮かびます。さて、これを技術者倫理として見てみましょう。お医者さんは技術者でもあります。専門知識を有し診断や手術などを行います。養成機関は最低6年。現在の技術者の中で最も難しく長い養成機関です。さらに難関の国家資格を取得しています。それほど高い技術性を持ちながらも「対応や言葉遣いなど全てに問題があった」と考えるのですから、この考え方を全ての技術者に当てはめれば、

エ)技術者個人も社会的対応や言葉遣いを大切にしなければならない

ということになります。この講義の技術と社会背景との相関という大きなテーマにもつながってくる実例となりました。

最後は事実です。この病院では「10年以降、弁護士が介入した医療事故が約30件あったが、訴訟には至っていないという。」とあります。ここで2つの点が見えてきます。

オ)日本では医療事故が直ぐに訴訟にならず、医療費高騰に結び付きにくい

 アメリカでは病院に葬儀屋と弁護士がいるそうです。弁護士があふれているアメリカでは医療事故は高額の収入を得る格好の機会です。少しでも不審な点があれば弁護士がついてお金をふんだくる、ということが行われているそうです。日本では弁護士が少なく、また文化的な背景から丁寧な対応によって訴訟にならず医療費の高騰になっていない現状が判ります。これは社会コストの点からも考えられますが、長くなるので以上の指摘に留めます。

カ)医学の進歩を願う高い理想が患者と医者で共有されている

 先ほど引用した、「病気の完治を願う気持ちは医者も患者も同じ」の言葉からも見られるように再発防止を願う、あるいは誠実な対応を、対価としての金銭を求める気持ちよりも優先させる行動です。高い倫理観がこの実例では見られます。もちろん、そうではない現場があろうことは容易に想像できます。私は、最終的にこの病院だけではなく、社会制度として安定的に「医学の進歩を願う高い理想が患者と医者で共有されている」ことになることを希望します。そのためには、お医者さん側の研修等、患者側のサポート役などの充実が大切だと考えます。

 以上が、医者側からの記事②でした。
 
 続いて、患者側からの記事⑦に行きます。

 まず、「医療過誤原告の会」会長宮脇正和氏のインタビュー記事です。設立が、1991年ですから、これが前回述べた情報公開やがん告知の裏付けの事実になります。「1991年に設立され、これまでの入会者が約1300人に上る医療被害者団体「医療過誤原告の会」と宮脇さんを説明します。
 前回述べたように昭和天皇陛下が崩御される際に癌告知の問題が出ました。天皇陛下の行動によって日本ではがん告知が一般的になったと言われています。また、現在東京都知事の猪瀬氏は皇室の行動が日本人の行動原理を創ってきた、という本を何冊か出しています。昭和天皇が皇太子時代に軽井沢でテニスをすると休日は郊外で、働くのは都心で、というモデルが出来たそうです。面白いのでぜひ読んでみてください。さて、話は戻って、つまり、インフォームド・コンセントが日本に導入されてきて問題が顕在化してきたのが、まだ20年程度ということです。そしてこれは丁度、技術者倫理が社会的要請をされるようになって20年、というのと符合しているようです。日本人の精神性を考える時に、やはり、1990年前後が大きかったのではないか、と思わざるを得ません。
 世間一般では、バブル崩壊などが言われますが、私は、病院での死者、病院での誕生の割合が漸近になった点の方が大きいと考えています。

 次は、技術倫理として医者の②と共通しています。

キ)患者が求めているのは対価ではなく誠意と謝罪である

 「一番大切なのは事故が起きた後、医療側が正直に対応することだ。患者や遺族がまず考えるのは『本当の原因を知りたい』ということ。次に『責任があるなら、謝罪してほしい』と願う。〝正直文化″が医療の信頼性と安全性の向上の不可欠だ」と述べています。
 私は、この「正直文化」は日本で特に強いと考えます。なぜなら「正直に話し合えば分かり合える」という前提に立っているからです。しかし、そう考える方が少ないのではないでしょうか。例えば、交通事故の時、「あ!すいません、大丈夫ですか?」と日本人の感覚からすれば、言うでしょう。しかし、「すいません」と謝れば、示談の時の金額が減るから「謝らないでください」と聞いたことがあります。これは、西欧の法律の前提が害を与えたならば対価で払う、という思考になっているからです。日本人の精神性と合わない実例の1つだと思います。日本では足を踏んだ人も謝るけれど、足を踏まれた人も謝る、という精神があるのです。
 ですから、日本国内ではこのように「正直文化」で行くことは大切なことです。しかし、海外ではそうではない場合もあることを認識しておく必要があると思います。現在、日本国を取り巻く環境の中で、特に冷戦後、こうした動きが加速してきています。

 次は事実です。

ク)医療過誤は少なく見積もって年間4万件から8万件にも上る。

 医者の労働人口が6万人前後ですから、1人の医師で平均1回弱の医療過誤を起こしていることになります。これは先ほどの「2011年には760件の訴訟」と以下の記事文からの推計です。
 「実際に提訴できるのは当事者の1~2%にすぎないというのが実感だ。多くの事故は闇に葬られている。」
重要な指摘です。闇に葬られて出てこないデータの推計が出来ます。さらに大切なのは、次になります。


ケ)医療過誤の問題が発見されていないケースは何万件か判らない。

 記事②でも記事⑦でも問題になっているのは、医療過誤と「認識されたケース」です。しかし、医療過誤は指摘され発見されて初めて顕在化します。ミスを隠すケース、ミスと分からないケースなどを含めると、4~8万件の何倍、何十倍あるか分かりません。すると、1人のお医者さんの誤診率から逆算すると何十倍では済まないかもしれません。何百倍の中の誤診の内、人に被害を与えたケース、人を死亡させるケースが何分の一になるのか、ということになります。この視点は学問として大切だと思います。医者がミスを隠すことを非難しているのでもなく、また、この後お話しするマクドナルドの話のように患者側の無関心、無行動を非難するのでもありません。顕在化しないケースやリスクを指摘し、念頭に置くことで今後の「公衆の福利」に貢献できると考えるのです。さて、次に最も大切な点の1つが指摘されています。

コ) 失敗者個人に罪を負わせると再発防止にならない

 「事故の責任を個人に押しつけるのではなく、病院が組織として負うこと明確にすれば、対話の研修も生かされる。現場は安心して患者に説明できるし、再発防止にもつながる。関与した医師や看護師を辞めさせてしまっては、システムの改善にはつながらない」
とあります。技術者倫理の本質そのものです。何も付け加えることはありません。福島原発事故後、国民の何割かは東京電力社長を個人攻撃しました。同時に菅総理を攻撃しました。もちろん、誤った行動は起こしていたでしょうが、技術者倫理では個人攻撃では再発防止できない、と考えます。技術が判らない社長であっても、知ったかぶりをする総理であっても、きちっと対応できるシステムへと改善しなければならないのです。現在、日本の原子力政策に求められているのは、このシステム作りだと考えます。

サ) パターナリズムがインフォームド・コンセントに向かいだしたのは15年前から

 「医療界では長い間、『医者には文句を言うな』という文化が続いてきた。患者への情報提供も、この15年ほどでようやく進んだに過ぎない」とあります。「医療過誤の会」の方々を始め多くの良心を持った方々の活躍で日本の医療は素晴らしいものになってきました。最後に感謝の意を申し上げます。

 以上が新聞記事の解説です。続きます。
 
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