講義録6-1 インフォーム・コンセントとパターナリズム

 インフォーム・コンセントとパターナリズムです。

 現在、「インフォーム・コンセント(情報公開と対象者の同意)は良いことだ」という考え方が社会の中に浸透しています。大学の評価は公開しなければなりませんし、病院評価、企業評価などがこの考え方に沿って公開されています。しかし、それは果たして皆さん自身の考えなのでしょうか。流されていないでしょうか、ということを考えてもらいたいのです。
 結論は、「1つの事実から賛成も反対も出てくる。だから、両方考えないと自分の意見が出てこない」ということです。
 言い換えると「賛成側だけしか考えていない意見はあなた自身の意見ではない(誰かの意見の刷り込みである)」です。

 それでは「公衆の福利」を成し遂げる手段としての「インフォームド・コンセント」を観ていきましょう。

インフォームドコンセントは、そもそも医療の世界から出てきた概念です。

 出発点は古代ギリシャの「ヒポクラテスの誓い」です。患者を中心とする誓いで、江戸時代に日本にも入ってきていました。

 それが明確な形になるのが、①ナチスドイツのユダヤ人虐殺、②アメリカの女性、黒人、学生運動などの権利運動の2点です。
 以下のように定義されています。白浜雅司先生 http://square.umin.ac.jp/masashi/IC.html

 1)適切な情報の開示
 2)情報の患者による理解
 3)患者の自己決定能力(CompetenceとDecision-Making Capacity)
 4)患者の自由意志・自発性
 5)患者による同意

 私は2)~4)については危険性を指摘しています。それはインフォームド・コンセントの対象者を「公衆」とする、という意見についてです。これは十分必要条件を取り違えた意見だと考えます。

 2)情報の患者

 による理解ですが、情報が理解できない人は「公衆」に入らないのでしょうか。例えば、外国からの旅行者、あるいは在日外国人で日本語の情報を理解できない人、理解したくない人は対象外として良いのでしょうか。最近、日本語、英語、中国語、韓国語の表記を見かけますが、全く意味がないと思います。この方法は切りがありませんし、情報を受け取る時にどこを観たらよいか判断しにくくなり、目の悪い人などを除外してしまうからです。それよりも、こうした人々も「公衆」に入れて考慮することの方が重要です。
 
 3)患者の自己決定能力(CompetenceとDecision-Making Capacity)

 私の義理のおばあちゃんは認知症が多少あります。こうした認知症の人は自己決定能力が充分ではありません。また、禁治産者など法律的にも自己決定能力が充分ではない、とされる人々もいます。こうした人々は「公衆」の対象にならないのでしょうか。もちろん、私は「公衆」の中に入れるべきである、と考えます。ちなみに、日本では本人の自己決定と家族の自己決定は同等に扱われますが、欧米では本人の自己決定が上位にあります。これは本人が植物状態になった場合などに出てきます。脳死による臓器提供などで問題になっていました。

 4)患者の自由意志・自発性

 これも同意することが出来ません。なぜなら、ターミナルケアの講義をしている時に問われていたからです。ホスピスという末期癌患者が人間らしい最期を送る施設がありますが、その体験談を読んだ時でした。2,3日は「ホスピスなんかいるのが嫌だ。私はもっと生きたいんだ」と言うのですが、次の日になると「もう死なせてくれ。生きていても意味はない」と言うのです。本人に認知症等は見受けられません。
 このように時間軸を取った場合、どこで患者の自由意思・自発性を取るか、というのは問われているのです。これを瞬間で取った場合極端なことになりかねません。原発でも事故直後から半年以内の国民の意思を取れば「原発永久追放」が過半数を超えていたでしょう。この瞬間で取った場合、どのようになっていたでしょうか。現在の国民の意思とは大分異なっているのは確かです。昨日の新聞によると自民党は原発再稼働を決めたそうですが、これも国民の意思の変化からでしょうか。

 以上の理由から、1)と5)を取って私は「インフォームド・コンセント」とは「情報公開と対象者の合意」としたいと思います。多くの人がこの点は同意していると考えています。

 では次にインフォームド・コンセントの範囲についてです。

インフォームドコンセントに踏み込みます。そこで大きく判断が分かれます。

教科書:全ての分野でインフォームドコンセントが行われるべきである。(何故なら、倫理絶対主義だからである)
 VS
高木 :ある分野ではパターナリズムで行われるべきである。(何故なら、倫理相対主義だからである)

 私は基本的にはインフォームドコンセントが行われるべきである、と考えていますが、特定のある分野ではパターナリズムで行われるべきである、と考えています。
 私は倫理相対主義を取っていて、経済や効率や文化などなどと倫理は同じに考える立場です。ですから、ある分野ではインフォームドコンセントよりも、経済や効率が優位になることを認めます。その場合は、インフォームドコンセントよりもパターナリズムを取ることが、「公衆の福利」に適う、と考えます。

 パターナリズムは「paternalism」と書きます。「pater」とはパパの意味で一般的に「父権主義」や「家族温情主義」と訳されます。しかし私は、この「pater」はもっと強い意味だと考えています。なぜなら、キリスト教の神様のことを英語では「ファーザー」と言います。また、ローマ・カトリックの説教師のことを「神父」と言い「父」が付きます。そしてファーザーや神父は、私たちの日常生活の善悪、生活習慣の指導から、死後の世界に天国に行けるか地獄になるか、を左右できるのです。つまり、日本の父親(明治時代の大日本帝国憲法下でも家長は家族に対して裁判権を持っていませんでした。実態としてそのようなことはありましたが、全てではなく思い込みがかなりあると思います。余話)よりももっともっと強い存在だと考えるのです。日本人は「死んだ後どうなるか」が不安になるのは死が近づいてからでしょう。 
 しかし、それは無意識のうちに日本人的宗教観に染まっているのです。日本人的宗教観では全員が同じ場所に行きます。今とあまり変わらない世界です。ですから不安にもなりません。さらに、お盆やお彼岸に返ってくるしお正月にも帰ってこれる。だから「死んだ後どうなるか」が不安になりません。世界の7,8割の人は天国に行くかは大きな問題です。それを決定するのがローマ・カトリックでは神父様なのです。 ですから、

 元来の意味からすればパターナリズムは父権主義ではなく、「神権主義」と訳すべきである、と考えます。

 もちろん、パターナリズムは幾つもの強さがあり詳しく段階を分けるべきである、と考えます。

 あるクラスでしか言いませんでしたが、筆者は「日本も欧米もイスラムも同じ倫理である」と思っていますし、そのように論理を組み立てていますし、教員は「日本と欧米とイスラムは同じ場所もあるけれど違う部分もある」という風に組み立てています。これは後の講義で触れます。先ほどのインフォームドコンセントにならって定式化してみましょう。

 「パターナリズム」:「情報公開と説明責任を果たさず、専門家が判断すること」

 「インフォームドコンセント」:「情報公開と説明責任を果たした上で、公衆に同意を得ること」

 となります。
 次に、それでは先ほど私が、「ある分野ではパターナリズムで行われるべきである」という理由を書いていきます。
 具体的に核開発を見て行きましょう。現在、日本の原子力発電所に外国のスパイ(北朝鮮)が作業員などで入りこんでいます。日本国の公安が示唆していますが、こうした作業員を「スパイだから」と捕まえる法律がありません。実際にスパイ行為を働かないと捕まえられないのです。スパイ防止法が先進国の中で唯一ない日本国では、軍事利用される核開発の情報を、インフォームドコンセントで情報公開し説明責任を果たしたら、「公衆の福利」に反する、と考えます。北朝鮮の原子炉と日本のある原子炉が大変似ていましたが、それも核技術の流出を示す1つの傍証です。北朝鮮の核開発とミサイル技術がイランに渡り、イスラエルとの緊張関係を高め、原油が高くなっています。
 「スパイ防止法がない」という社会背景、核技術が軍事利用と切り離せない点がある原子力発電では、インフォームドコンセントを行うことは正しくない、と考えます。

 もう1つ軍事技術の例を挙げます。

 昨年度石原東京都知事が、「尖閣諸島を東京都が購入する」というワシントンでの会見が世間の注目を集めました。マスコミがあまり取り上げませんが皆さん寄付を集めているのを御存知でしょうか。約10日間で

 入金は計3億1459万9779円。件数も2万3402件と、2万件を突破した。

そうです(msn産経ニュース「寄付金3億円を突破 8日時点 1日で9千万円増
2012.5.9 14:14」http://sankei.jp.msn.com/region/news/120509/tky12050915010006-n1.htm

 この会見の中で「アメリカの戦闘機のコクピットは日本製である」と述べています。
とするならば、アメリカの戦闘機が世界中の人々を苦しめているのだから、情報公開をすべきである、と考えた場合、公開すべきでしょうか? 私は、アメリカの戦闘機のコクピットの技術を情報公開すれば、軍事費を毎年20%以上膨張させている中華人民共和国、強硬派に転じた(北方領土発言で)プーチン大統領のロシアなどに囲まれた社会背景を考えると、軍事バランスが崩れます。アメリカが在外米軍を縮小させていく現状を考えると、非常に危険です。尖閣諸島はわが領土である、とはっきりと主張する中国は、沖縄も得ようと発言しています。インフォームドコンセントは軍事技術に関して、私は情報公開をせず、同時に専門家の中で決めるべきであると考えます。
 その分野を認めた上で、重大な問題があった場合、全体を継続するかどうかを、公衆(国民)が選挙で選択すべきである、という民主主義の原則を支持します。

 また、軍事技術ではなく民間技術が中国に流出しています。これが日本国の発展を阻害している、とするならば、諸説あります、軍事技術のみならず民間技術もインフォームドコンセントで情報公開すべき、というに疑問をもたざるを得ません。この点は詳細に検討する必要があるでしょう。

 また、インフォームドコンセントは、「公衆の同意を得る」としています。
 私はこの点に、大いに疑問を感じます。というのも、「公衆の同意を得る」というのならば、それは公衆が、つまり私たちがその問題について知識を吸収する、というのを前提としているからです。しかし、多くの国民が原子力発電所の安全性について、果たして詳しい知識を吸収しているでしょうか?
 
 福島原発事故という最大級の国民の関心を集めました。1年を経っても新聞のトップになることもしばしばあります。マスコミの報じ方は偏っています。しかし、多くの人々が、大飯原発所と福島原発所の技術的違いを理解しているでしょうか? 福島原発所と同じ浜岡原発1号機と反対派が最も危惧する4号機(の燃料プール)の違いを理解してるでしょうか? 原子力発電と火力発電の原理的な違いを理解しているでしょうか?
 最大級の国民の関心を集めて、知識は深まったでしょうか?
 
 20世紀は戦争の世紀でしたが、その根本に共産主義(マルクスレーニン主義)と資本主義の対立がありました。そして挫折したのは共産主義です。その挫折の根本を語るエピソードを聞いたことがあります。

 共産主義とは「皆同じ財産を持つ、共有の財産を持つ」という意味です。

 差別や区別をなくしていくために行うのです。そういう理想に燃えたソ連の若者たちが、農村に行き農民たちに知識を伝え勉強をしてもらおうとします。知識の差や能力の差が結果として現れるのを肯定するのが資本主義、ならば知識の差や能力の差をなくそうとしたのです。しかし、農民たちは、何かご褒美をもらえる時は形の上で勉強したり協力しますが、それがないと協力しません。そしてしまいには農民達に煙たがられ、こう言われます。

 「じゃあ、お前さんたちは、金を持って来てくれ。あるいは工場などを持って来てくれ」

 と。原発誘致の大きなプラスとして挙げてくれた理由、地元の利益優先と同じことを言うのです。ここから共産主義の理想は瓦解していきます。次第に「国家は絶対であるから従え」となり「計画経済が始まる」のです。皆財産も権利も義務も平等、という社会は実際には成り立たない、というのが20世紀の大きな学びの1つだと私は考えています。と同時に行きすぎた資本主義も失敗をする、というのが2007年のサブプライムローン以降の学びの1つではないか、とも思っています。

 さて、戻りましょう。
 外国人参政権、TPP、自民党が出した「憲法改正草案」について勉強しましたか? 「たちあがれ日本」も出しています。日本国にあって最も大切な憲法について勉強して知識を得ていますか? ネット上に公開してあります。最低限の勉強をしているでしょうか?

自民党案:http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/116666.html
たちあがれ日本案:http://www.tachiagare.jp/data/pdf/newsrelease_120425.pdf

 私は、インフォームドコンセントの「公衆の同意を得る」という時、知識の習得も含意していると考えます。専門家ではない公衆は、全ての分野について知識の習得し判断(同意、拒否)をする必要が無い、と考えます。再三述べていますが私が最も大切としているのは、「当たり前の日常生活」です。日本国政府や専門家などの究極の目標だと考えています。国民にこうした重たい義務を課していくのは適当ではないと考え、重大な問題が起こった場合、そして専門家で修正できない場合に判断(同意、拒否)すべきであると考えています。
 
 以上の理由で、私は、インフォームドコンセントの有効性を認めつつ、全ての分野でインフォームドコンセントが必要ない、ある分野ではパターナリズムでよい、と考えています。ただし、パターナリズムの分野が行き詰った時、全体を国民の判断に仰ぐ必要がある(もちろん衆愚性にさらされますが)、と考えます。

 次は、インフォームドコンセントとパターナリズムの境にある「アメリカの医療」について述べて行きます。

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