スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

講義録6 日本人の幸福とは何か インフォームド・コンセントとパターナリズム インフォームド・コンセントの範囲と欠点 自らの意見を出すために公平さを

 皆様、こんにちは。

 立夏を過ぎて、大分夏が香りや風の中に入り込んできました。立夏から小満に移り、満ち溢れる季節になってきております。気力も充実し、仕事も勉強も順調に進みやすいですが、皆様は如何でしょうか。

 私はある国語教室で数学を担当し始めました。中学校1年生と3年生の2名でした。第2回は高校1年生が加わりました。バラバラな教え子が面白いのです。能力も学年も意識もバラバラですが、だからこそ面白い。江戸時代の寺子屋は世界の教育の歴史の中で識字率を50%以上に上げた最初の例だと思っていますが、それがこのバラバラ教育でした。ちなみに、公教育ではなく民間の教育でした。これが明治維新の原動力となり、世界史に燦然(さんぜん)と輝く日露戦争と大東亜戦争になりました。そして両方とも女性の力が大きかったことが判っています。江戸時代の識字率は70%を超えます。パリ10%、ロンドンが20%の時代です。そして70%ということは当然、女性でも教育を受けていた、という当たり前の、世界でも当時唯一の歴史的事実があるのです。
 技術史では、たった10年程度で当代最高の船舶(黒船)や砲を作りました。経済構造の変化や技術のキャッチアップ(追いつくこと)が出来たのも、この民間の教育のお陰でした。
 数学の質問が終わった後、「アベノミクスって何ですか?」という質問を貰って始めた時に、心から実感しました。30分程の解説で要点を全て理解してくれ、それぞれに質問を受けていくと、さらに理解が深まっていきました。海外在住経験を持つ学生はそちらから事実を提供してくれますし、鋭い質問もありました。それぞれバラバラだからこそ深まっていく。バラバラだからこそ面白い、を体験させてもらいました。想いは江戸時代の寺子屋に飛びました。有り難う御座います。講義でも最近、皆さんの意見を聞いていないのを省みました。
 
 それでは本文に入ります。

 昨年の講義録5を下地に述べていきます。

紹介(回覧)した資料:
 :『孝経 〈全訳註〉』 加地伸行 講談社学術文庫 1824 2007年
 :『ルポ 貧困大国アメリカ』 堤未果 岩波新書〈新赤版〉1112 2008年19版

配布したプリント:B4 1枚
表:『孝経 〈全訳註〉』 第1章
 :『ルポ 貧困大国アメリカ』 66,67頁
裏:平成19年度の学生レポート、三段論法の書き方の見本として 「事実の具体化」や「事実や論拠の増やし方」などの実例として

 --講義内容--

 まず、配布プリントの裏面を見てもらい、先輩の残したプリント(許可を取っています)を観ながら、三段論法の骨子だけではなく、きちんとした文章に伸ばしていくやり方を読み上げながら見てもらいました。骨子を三段論法で作り、それを広げていく実例としてです。事実は「例えば・・・」と続けることで増やせます。論拠は「つまり・・・」で文章を整えていました。また、これは前にも書きましたし、学生コメント集にも書きましたが、私が説明して使っている三段論法は、アリストテレスの三段論法を簡略化したものです。簡略化は「命題」や「範囲」などですが、これがあると基本の部分=言葉のつながり、が説明しても伝わり難くなったのです。ですから、アリストテレスの三段論法を知りたい方は、論理学の講義を聴くか、本などで勉強されることをお勧めします。学生のコメント集を書いていてコメントが1名あり、思いだしたので念のため書き加えておきます。

 次は、前回の「幸せとは何か」の続きです。前回の「幸せとは何か」は、個人の考えを聴きました。個人の考えを聴くのは大切ですが、学問ですからきちんと長きに渡り多くの人々がどのように考えてきたか、という知識も扱わなければなりません。そこで、①神道と②儒教の「幸せとは何か」を観ていきましょう。

 「幸せとは何か」

①神道の考え方

 「神道」は「しんとう」と漢語読みが定着していますが、古来からある日本語の読み方では「かんながらのみち」と言います。日本語は、現在の学説では1万年くらい前からあるそうで、ウラル・アルタイ語族などは6~8千年前だそうです。そして孤立語と言って周りに似たような言語がないそうです。単語は入ってきて似ている場合もあるそうですが、大分昔の言語だそうです。
 「かんながらのみち」とは「かみさまのように生きる道」という意味です。この「かみさま」とは世界の7割の人が信じている唯一神の神とは違います。ユダヤ教では「ヤハゥエ」、キリスト教では「GOD」、イスラム教では「アッラー」です。これらの唯一神はこの世界を創った存在であり、「善」の存在です。ちなみに、『古事記』の最初に出てくる神様は壱柱(ひとはしら=1体)であり、御名から創造神である、とも解釈できるようです。
 しかし、日本の神様は「善と悪が両方ある存在」なのです。そして善と悪を行き来します。悪になった時に、「払う、清める、お祭りする」などをして善に戻って頂く、これだけです。人間の干渉を日本の神様は受けるのです。ですから、「お神輿に乗ってください」と人間が言えば乗って下さる。「この土地に来てください」と言えば聴いて下さる。「元気になって下さい」と言えば元気になって下さる。唯一神は人間の干渉を決して受けません。
 日本では善も悪もある存在の神様のように生きるのが目的ですから、払い、清める、お祭りする、のも人間の務めです。神社に入る前に手を清めます。何か気持ちがふさいできたら、払う。旅行やおいしいものを食べにいく、お祭りを楽しむ、というのも同じですね。お正月やお葬式の後、何か行事が終わった後、みんなでご飯を食べるのを大切にしてきました。そしてそれが幸せなのである、という価値観が日本にはあるのです。
 また、悪の面を穢れる(気枯れる)と言います。「悪い人であってもその人の悪口を言うと穢れる」ということで、日本では「人の悪口を言わない」という考え方あります。そうしたら、払うという行動をします。最近、読んだ本でスタンフォード大学で最新の心理学を使った大人気の講義の本がありました。その内容が、悪い言葉を言わずに行動でコントロールする、というものであり、『古事記』に共通していて大変面白かったです。スタンフォードだけでなくハーバードでも『これからの「正義」の話をしよう: いまを生き延びるための哲学』のサンデルマンと同じくらい人気がある講義も同じよう悪い言葉を慎んで行動でコントロールする、というものでしたから、何とも面白いものです。
 『古事記』は死者の国に行ったイザナキの尊が、海水で穢れを払いました。ですから現在でもお葬式に行く前後に塩を体に振りかけ、お店などでは盛り塩をするのです。神社で水で穢れを払うのも同様です。その後、左目から天照大御神が右目から月読命、鼻からはスサノオノミコトが産まれます。穢れを払うことで新しい、そして素晴らしいことが起こるのです。
 日本は古代ローマと同じくお風呂好きでした。また、公衆衛生の発達した国です。ローマが滅びた後、ヨーロッパでは1860年のフェノールが出てくるまで、除菌や衛生という観念がなく、外科手術の死亡率は実に40%でした。大便小便は部屋のおまるに溜めて、下の通行人にかかるのお構いなく道路にドボドボと落としていました。ハイヒールの誕生や強い香水を体につけるようになったのです。19世紀の中ごろのことです。日本では17世紀に既に上下水道完備の江戸という都市を造り上げていました。バクダッド、北京、江戸が世界の三大都市で最も公衆衛生の進んだ都市だったのです。糞尿のリサイクルは現在の日本のどの都市よりも進んでいます。

 公衆衛生に関しては「講演記録「お薬と人間観」の前半をどうぞ
:http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-265.html 

 現在の東京を含め、日本は先進国の中でもゴミの少ない都市の1つですが、これも『古事記』の中の衛生概念が現在まで生きているからかもしれませんね。汚い部屋に住んでいては幸せになれない、と思っているのは日本人特有か、日本人が強く持っている価値観かもしれない、という意味です。

②儒教の考え方

。『孝経』は2000年以上前に書かれた本です。配布プリント2枚目に現代語訳を挙げたので読みました。

 「人の身体は、毛髪や皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。」

世界の中では「父母からもらっていない」と考える人の方が多いのですが、もらってない、と考える人は?と聞きました。5人以下でした。殆どの日本人が共通して持つ認識が2000年以上前の本の通りです。さらに続けます。

 「これを大切に扱い、たやすく損なったり傷つけたりなどしてはならない。それが考の実践の出発である。そのように考を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得、その名を後世に伝えることができ、父母の誉(ほま)れとなる。」

 これと同じことが身の回りにあります。皆さんが今後直面していきます。分かりますか? と挙手を求めました。ただ1人正解を述べてくれた人がいます。

 「就職活動の時、ピアスは悪い評判を持たれる」

 のです。これは2000年前の本の考え方が、私たち日本人の中に無意識に入っているからです。つまり、ピアスは父母からもらった体に傷=穴を開けた、ということです。入れ墨も同じですが、儒教の『孝経』の考えが浸透するまでは、日本では結構入れ墨の人がいました。また、荒々しい人々の中では入れ墨が流行っていることもありました。もう20年近く前ですが、浅草のお祭りに行き、全身入れ墨の荒々しい江戸っ子風のおじさん達を見たことがあります。他には

 「茶髪はダメ」

 というのもあります。これも父母にもらった黒髪を傷つける、という行為と解釈されます。しかし、アメリカでは多くのアメリカ人が、茶色(ブロンド)ですが金髪にしています。それを悪いと考える人は殆どいません。大学の先生もジーパン、Tシャツでする人もいますが、「服装が気持ちを表す」と考える『孝経』がないからなのです。しかし、日本では就職活動の時、皆と同じスーツを着ます。その意味は「みんなと同じルール、ビジネスの時はきちんとしたルールに従えます」という「服装で気持ちを表す」と考えるからです。仕事が出来るかどうかは分かりませんし、大学を出た程度の仕事が出来る、では実際の厳しいビジネスの仕事が出来る、とは言えないので、「きちっとルールを守れる」と示した上で、将来の可能性に賭けて採用する訳です。日本では新卒を大切にするのもそうした『孝経』の考え方が影響しているのかもしれません。ここは高木の推測です。
 
 理解してもらいたいのは、2000年以上前の本が日本人の倫理観を支えていることです。そして無意識で持っているくらい浸透しています。

 アメリカは違う理由は『孝経』が倫理観を支えていないからですが、大韓民国も整形大国として有名です。若者が憧れるメインストリートには整形病院が沢山あります(Youtubeで見ただけですが)。現在大韓民国は、80%以上がキリスト教に改宗してしまいました。一説によると2000年前に、あるいは数百年の伝統ある儒教を捨て、キリスト教に帰依してしまったのです。ですので、儒教の身体を大切にする、という考えを捨ててしまったのでしょう。私たち日本人が持っている倫理観も同じように、将来に渡ってずっと続いていくものではないのも理解できるでしょう。

 以上が、日本人の多くが持ってきた「幸せとは何か」でした。次は、インフォーム・コンセントとパターナリズムです。
 

 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。