講義録3-2 技術倫理の判断基準 六本木ヒルズ回転ドアの安全対策

 先ほどは、技術倫理の基本用語について説明しました。次に判断基準を述べます。

 基本は以下の4つと考えます。

①技術倫理の判断基準は、経済や効率などではない。

 福島原発事故後、「原発を稼働させないとエネルギーが足りなくなる」という安全保障上の意見が多くを占めました。しかし、「エネルギーが足りない」という経済的判断は、再発防止を目的とする技術倫理の判断に入らない、のです。むしろ、経済や効率の判断を技術倫理の判断に優先させることで、あるいは混同させることで事故対策が遅れてしまう、という歴史があります。安全保障上の議論は大切ですが、分けなければなりません。

②「予見可能」かどうかが判断基準である。

 後の述べる六本木ヒルズの安全対策は、事故が「予見可能」であった、という視点から不備、とされました。それは開業から1年弱で自動ドアで13件、子供の事故が10件などがあったからです。福島原発事故後、「1000年に1度の大災害」だからしょうがない、という論点が出されましたが、技術倫理からすると「予見不可能であった」と解釈可能です。しかし、私は吉村昭著『三陸海岸大津波』を引っ張り出し、約100年前に今回よりも甚大な被害があったこと、人口比にして約3倍(同じ2万人でしたが、人口が少なかったので)などを挙げました。その後、1000年に一度ではないこと、実は大津波が来ることを指摘されていて知っていた事などが出て来ました。どうしてこのような経緯が起こるか、といえば、それは技術倫理の基本となる判断基準が「予見可能」かどうかだからです。また、この点は法律でも共通します。後に製造物責任法(PL法)で詳しく述べます。

③判断基準は社会全体に依存する。

 つまり、社会全体が判断基準を決めていくことを示しています。つまり、きちっとどこからどこまではダメである、という線引きが難しいのです。言い換えると「社会通念」、あるいは「常識」と言えるでしょう。これは数値化出来ません。次の④と合わせて解説します。

④許容可能なリスクである、ことが判断基準である。

 製造物である限り必ず、リスクが存在します。そのリスクを最小限に抑えている状態を「許容可能なリスク」と言います。この「許容」に社会通念が入ってきます。それゆえ、技術倫理の基本要素としての社会(背景)があるのです。技術が技術のみ、あるいは自然科学との関係だけで決定するのではないことが、こうした理論上の概念として捉えられます。③と共に以下に解説します。まず、六本木ヒルズ回転ドアの安全対策、次に「許容可能なリスク」について述べていきます。

  六本木ヒルズ回転ドア事故は、TVなどで報道され注目された事故で、当時の記憶を持った学生も何人かいました。

 配布プリント2枚目(表)藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』16,17Pが分かりやすいので読みあげていきました(補足も入れます)。

「2004年3月26日に「六本木ヒルズ」の2階正面入り口で、6歳の男の子が回転ドアに挟まれて死亡する事故が発生しました。(図を描く。図を指しながら) この部分が回転してきた羽根の部分です。そして方立(ほうだて)と呼ばれる固定部分との間に挟まれました。約2時間後、頭蓋骨圧迫による脳内損傷のため死亡しました。回転ドアは2.7トンありました。
 ヨーロッパやアメリカに安全規格がありましたが、日本にはなく、建築基準法も特に規制がありませんでした。メーカー独自でした。実は、開業から1年弱(2003年4月)で手動ドアも含めて32件があり、自動ドアは13件、16件は子供の事故で10件は救急車で病院に運ばれる事故でした。つまり、1か月に1回はドアで子供が救急車で運ばれていました。
 ドアの回転速度は最高速度、3.2回毎分で、天井からのセンサは80センチから120センチになっていました。男の子は117センチです。これは風でゴミや枯れ葉のようなものが飛んでくるなどで誤動作が続いため、とありました。
 しかし、問題は、センサ検知後にドアが停止するまで35センチ、さらに挟まれてもドアを逆向きにする安全装置がなかったことです。例えば、この大学のエレベーターは、ドアが閉まって来た時、手を入れて挟めば反対側に動きます。考えてみて下さい、あのエレベーターのドアが挟まれたと分かっても35センチも動くのです。さらに反対側に動かない。誰でも挟まれたらそれで終わりになってしまいます。だから、センサが機能しても事故が避けられないという構造的問題があった、と書いてあります。
 6月29日、わずか3カ月後に対策防止のガイドラインが出来、今の原発は「安全だ」と言っていますが、そのガイドラインが出来ていませんね。大飯原発再稼働でも関西電力は「何が原因なのか?」の分析を放棄しています。2005年8月にはJISで工業規格「自動回転ドアー安全性」を制定しました。
 さて、ここからが重要です、警視庁は、事故は「予見可能」だったと判断、森ビル責任者2名とメーカの元担当取締役を業務上過失致死罪で起訴し、執行猶予のついた禁固刑が言い渡されました」

 以上が六本木ヒルズの回転ドアの安全対策でした。次にこの事例を用いて「許容可能なリスク」を見ていきましょう。

 さて、六本木ヒルズ回転ドア事故を、もう少し踏み込んでいきましょう。

 どんな製造物でも必ずリスクがあります。リスクは「許容可能なリスク」である場合に製造物は作れます。このリスクですが以下のように計算されます。

      リスク = 最悪事故 ×  その確率

具体的に行きましょう

 原発事故のリスク = チェルノブイリ事故(最悪事故) × ??(0)

 日本の原発実行側は、チェルノブイリの事故は日本では起こり得ないとして、確率を0としました。もちろん、福島原発事故は最悪事故ではありません。チェルノブイリ事故よりも放出された放射性物質の種類が少ないですし、放射性物質の総量も半分以下です。その他、事故後の予測も軽度です。
 しかしながら、『福島原発事故独立調査委員会 調査・検証報告書』の北澤先生は、

 「安全神話はもともと立地地域住民の納得を得るために作られていったとされますが、『いつの間にか』原子力推進側の人々自身が安全神話に縛られる状態となり、・・・」6P

 と述べています。『』は高木がつけたものです。私は『いつの間にか』ではなく、スリーマイル島の事故、チェルノブイリ事故が最悪事故となり、その確率を下げなければならなくなった、から安全神話に縛られた、と考えています。つまり、最悪事故が大きすぎるので、どうしてもその確率を「ゼロ(0)」ですよ、と言わなければならなくなったのです。しかも、原発は当初から現在まで、火力発電や水力発電など代替が可能です。地熱発電は原材料が要らない発電で、現在分かっているだけで、原発30基分の潜在的発電量が見込めます。地熱発電への投資を留めたのも、地熱発電が有効になると原発が全て要らなくなる、という代替が可能な発電なのです。その上、原発のリスクが高い、となると中止せざるを得ません。それゆえ、確率をゼロ、と言わなければならなくなったと考えます。
 原発ばかり問題にしていますが、リスクは基本的に自動車が基準になっています。飛行機と自動車を見てみましょう。

 飛行機のリスク = 最悪事故(ほぼ全員死亡) × 確率 10万分の1
 
 自動車のリスク = 最悪事故(死亡事故)   × 確率 1万分の1

(飛行機のリスクは、National Transportation Safety Board(NTSB)です。ちなみに日本の航空会社は10億分の1。自動車のリスクは日本人1億3千万人で1年間に1万人の死亡事故から導き出します。アメリカは7000分の1くらいです)

 こう見ていくと、最悪事故ばかりに目が行きますが、実はリスクが問題なのです。確率だけ見ると飛行機の方が「安全」ということになります。

 ここでは以下の4つがポイントとして出て来ます。

A) 「人の命を奪うのは許せない」や「事故は絶対だめ」という発想ではない、ことを認識してもらうことです。もし、この2つの発想なら毎年確実に死者を生み出す、自動車は無くさなければなりません。また、シートベルトなどの発達によっても死者数は下げ止まっています。しかし、自動車は無くならないのは、こうした発想に基づくからです。

B) 最悪事故だけに注目しない、という認識を持ってもらうことです。
 原発事故は最悪事故が、他のものと比べても最も最悪の部類に入ります。これ以上の被害は戦争や内乱になるほどです。しかし、日本の原発は、大きな事故を2回しか起こしていません。1999年の東海村JCO事故と福島原発事故です(原発内作業者が白血病やガンで死亡していますが、事故ではありません)。実験炉導入から50年が過ぎて、現在50機(福島を含めて54機)を運転して2回、というのは確率的にかなり低いと考えられます。フランスなどは最悪の事故を1回も起こしていません。

c)自動車が基準になっている、という認識をもってもらうことです。
 福島原発事故で有名なった「法律による被爆限度1[mSv:ミリシーベルト]は、これまでも被爆の経験から、大体1億人で5000人くらいが死ぬ、と推測された基準値です。自動車は日本では1万人が死にます。ですから、それ以下であるように、という基準で1mSvに決まったそうです。ただし、子供は大人の10~100倍以上の感度があり、5万~50万人以上が死にます。さらに、文部科学省は20[mSv]にしたのですから、この20倍、100万人~1000万人以上はOKと言ったことになります。専門家の中でこの基準についてカンカンに怒った人もいます。ただし、単純に20mSvが20倍になるかどうか、は判っていません。ただ、1mSvより20mSvの方が危険、大人より子供の方が同じ放射線でも被害が大きいと分かっているだけです。大切なのはその基準が、自動車の許容可能な基準、1億人で年間1万人が使われている点です。私個人の意見として、自動車は代替出来ないが、原発は代替出来るので同じ基準を当てはめることは出来ない、と考えています。ただし、外部被曝に関して、20~100mSvを浴びた方が細胞活性となり健康に良い、という長期的な統計データが出てきているのも事実です。学術的にもしっかりとした会議で認められています。私の及ぶ範囲にないので、1mSvと決めた時は「5000人なら許容可能なリスクである」と判断した点を述べるに留めたいと思います。

d) 原理上リスクを提示できず、統計データに基づいた提示しかできない。 
 リスクの確率が出てこない分野もある、ということを認識してもらうことです。
 日本の技術の誇りである「はやぶさ」は、技術実証機です。つまり、1発勝負でリスクの確率が出て来ません。最初なのですから。川口さんはマイナス思考では新しいことが出来ない、と言いますが、製造物ではリスクの確率ばかりに目がいくと、どうしても革新が出来ません。革新の分野に、リスクの確率ばかりで計ってはならないと考えます。
 他の分野では、例えば、新薬があります。人体実験が出来ないのでモルモットを使いますが、限界があります。それを踏まえた上で投与側に説明をする必要がありますが、どのような効果、副作用があるか、のリスクは確率で示されません。カオス理論など複雑な構成要素が入り混じる場合を原理上示そうという動きもありますが、これまでの自然科学の範囲では、「許容可能なリスク」を原理上示すことが出来ないでいるのが現状です。私は現在の自然科学の方法論の本質として無理だと考えています。

 以上が技術倫理の判断基準とそのポイントでした。以上で終わります。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ