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講演記録「哲学から元気がでてくる。不安の受け止め方」


 講演を致しました。

配布プリントと私の原稿を掲載致します。

講演の雰囲気は、素晴らしい参加者に恵まれて充実した沈黙が何度も訪れました。講演者としてとても充実感を頂きました。

結論は「存在論的解答を意識化すると元気が出る」です。

存在論的解答は難しいですが、講演でなるべく分りやすくご説明いたしました。


 --配布プリントは以下の通りです。記入してもらうプリントです。--

平成25年4月27日

「哲学のススメ :哲学から元気がでてくる。不安の受け止め方」

1)日本人に元気がなくなった理由

2)最近良かったこと(出来れば3つ以上)




3)最近悪かったこと(ありましたら)


4)「なぜ、講演を静かに聞くというルール(倫理)は存在するのでしょうか?」

5)①   ②    ③ のどれですか?(○をどうぞ)

6)なぜ、あなたは生きているのでしょうか?

7)実践の感想を

資料:最初の長期病休者の資料は最後に図を添付します。
:「孔子」「孟子」については『世界の名著(3)』中央公論社
:「韓非子」「荀子」については『世界の名著(10)』中央公論社
:「アベルとカイン」は『聖書』 第4章です。
  :「声音実相義」は、弘法大師著作全集(一) 勝又俊教 編修 大日経疏巻七です。
(さらに、人事院 長期病休者 PDF 2、6頁目を配布しました)
http://www.jinji.go.jp/kisya/1303/23tyouki.pdf


  --配布プリントは以上です。以下は私の原稿です。
     実際は半分くらいを読み上げました。また原稿にないのを幾つも足しております。--

平成25年4月27日

「哲学のススメ :哲学から元気がでてくる。不安の受け止め方」

 皆様、こんにちは。今日、こうして皆様にお逢い出来ましたこと、心から嬉しく想っております。精一杯講演を致しますので、何か皆様のお心に残ることがあれば幸いです。

 さて、お話致しますのは、「哲学から元気が出てくる。不安の受け止め方」です。皆さんには、この講演を聞き終わって、元気になっていただきたいです。アベノミクスで日本経済が元気になっていますが、お一人お一人の元気を目指すのが、今回の講演です。キーワードは「存在論的解答」です。この言葉の意味をご一緒に考えていきましょう。

 それではまず、最初に現状把握から行きたいと思います。この当たりが学問の特徴です。まず、現状、事実を観るのです。日本人の元気がなくなった、というデータが出てくるのが、平成8年(1995年)からです。丁度20年前になります。人事院が公務員の長期病休者を5年ごとに調べていますが、全体の病休者は年々減り続けています。その中で「精神及び行動の障害」で長く休む人が急に増えだしました。全体の60%以上に達したのが、たった10年後の平成18年です。平成23年には横ばいと出ました。
 平成8年以前は、ガンなどの新生物の方が圧倒的に多かったのですが、現在はうつ病などの方が多いのです。公務員全体は減っていますので、心の病気になる人が多くなり、対策もとられるようになりました。もう1点、20年前に30歳だった方々も、現在50歳代の方々で約50%で、がんの20%の2倍以上の割合なのです。ですから、世代も多少関係ありますが、やはり、日本人全体の元気がなくなってきた、と言えるでしょう。ちなみに、公務員のデータを使ったのは、広範囲でかつ正確なデータである、という学術的理由からです。
こうした元気がなくなってきたのは、丁度20年くらい、ということが、現状把握で出て来ます。

 では次に、どうして元気がなくなったか、という分析に入りたいと思います。
とは言いましても、各学者によってバラバラで反対の内容も含まれています。皆さんはどのようにお考えでしょうか?
(みなさんに聞く)

一般的な意見は、「日本経済が悪くなったからだ」や「リストラやバイトやパートなど不安定な雇用関係になったからだ」などです。経済と離れた意見としては「子供の頃からお金ばかりを与えているから」という意見もあります。「情報化社会で何でも便利になったから」や「嫌なことをさせない現在の教育が悪い=体罰を絶対的に悪と見る考え方が悪い」や「食べ物に加工食品が多くなり、塩や砂糖を取り過ぎているからである」という意見まであります。

 これらの意見はそれぞれ「なるほど」と想う所があります。他方、この講演では、ここに出ていない哲学的な見方にも答えがある、と考えます。
 そのためには、皆さん自身にまず、自分の良い所と悪い所を挙げて頂きたいです。

(最近良かったこと)を書いてもらう。

 では、今書いて頂いたことについて、区分けもお願い致します。それは、日常世界の基準かどうか、です。日常世界の基準とは、身の回りにある、生きていくために周りの人と比較して出て来ます。
例えば、お金です。
沢山お給料をもらったから良かった。それで美味しいものを食べられたから良かった。
そもそも、お金とは物々交換を簡単にするために周りの人と間で決められたルールです。「高いバイト代をもらっている。給料をもらっている」というのは日常世界の基準です。そこには、「多い少ない」の比較が出て来ます。
同じく、いい大学に入った、や大学生というのも同じです。頑張っていい成績を取っている、というのも周りの人との比較、つまり偏差値で「いい」が決まるのですから、同じく日常世界です。「ゲームでこんなにレベルが上がった」というのも判りやすいですね。他人が作ったルールの中で高い点数を出した、ということです。
このように他人と比較して、あるいは「お金があるから」という条件がつく解答を、「功利主義的解答」と言います。もう少し具体的に言いますと、「どこどこ高校出身です」や「どんな賞を取りました」や「美人です」や「流行りの服を着ています」なども当てはまります。

(功利主義)の文字を書き、便利、効率がいい、など手柄を取る=他人と比較して良い、お金になる=利益になるのを基準とする解答です。皆さん、私も含めて、自分の評価を、功利主義的解答に依存していると思われませんか? 

 対して、「存在論的解答」があります。やっと出て来ました。
 これは日常世界の基準と違います。では日常世界とは違うのは、どういうことでしょうか。他人と比較しない「自分だけ」のことです。あるいは無条件と言い換えてもいいかもしれません。例えば「今日も生きることができた」ということです。これは誰とも交換できない、比較する必要のない答えです。他には「私を育ててくれた人が元気である」や「今日も朝ごはんを食べられた」です。「なんだ、朝ごはん、誰でも食べているだろう」と言いますと、他人との比較が出て来ますから、途端に存在論的解答が功利主義的解答に置き換わります。「じゃあ、朝マックじゃなくて、2000円の定食を食べたから良かった」になります。大学でも「私の勉強したいことが思いっきりできる大学」なら存在論的解答です。対して「偏差値の高い大学、就職に有利な大学」という見方は、功利主義的解答になります。 

 存在論的解答、と言われて面食らったかもしれません。もう少しお話していきたいと思います。

 「なぜ存在するのか?」という問い、に対する解答が、存在論的解答です。

 例えば、「なぜ、倫理とは何でしょうか?」 みなさんはなぜ、今、こうして静かに講義を聞いて下さっているのでしょうか?
これに対する答えは沢山ありますが、「倫」:みんな、「理」:ルールの意味ですから、皆が仲良くやっていくためのルール=基準、ということです。これを守っていると「良い人ですね」と自分でも周りの人にも言ってもらえるのです。もちろん、「良い人」を演じると反面で、疲れたり、「これでいいのかな?」と不安になったりする人が多いと思います。
功利主義的解答は「静かに聞く方が全員の利益になるから」です。次に存在論的解答を明確に聞くために、聞き方を変えてみます。

 もう1つ問いを出してみます。
 「なぜ、倫理は存在するのでしょうか?」

 これに対して功利主義的解答は「倫理があると社会が上手くいくから」や「ルールがないと大変だから」という答えでした。仏教、キリスト教などの宗教が「盗んではいけません」と所有権を規定しているのは、「自分で作ったものは自分のものになる」ということが保証されて始めて農耕社会が安定する、上手くいくからなのです。それ以前の狩猟社会では多くのものが家族や親戚の中で共有でした。現在は、親子でも所有権が別々になっていますが、家族なら同じお皿から取る、親の自動車を子供が普通に使うなどの形で残っています。少しでも子供によい進学先を、とご自身のお金を削ってまで愛情を掛ける親御さんのお気持ちも同じですね。所有権を超えているのです。

そこに関わってきますが、次に存在論的解答を見ていきましょう。
以下のように答えます。
①人の本性はそもそも善であり、それを形にしたのが倫理である。悪とは善が発揮出ないことを言う
②人の本性はそもそも善であるが、成長と共に悪が出てくるので、それを抑制するためのものである。
③人の本性は悪であり、欲望だけの生き物だから、それを調整するためにあるのが倫理である

 ポイントは、「なぜ存在するか?」に「本性がこれこれだから存在する」という答えを与えている所です。学問的に言いますと、①は孔子や孟子、②は韓非子、③は法律が必要であると述べた荀子です。孟子は「惻隠(そくいん)の心」と言いまして、井戸に落ちそうな子供を見れば誰でも「あ!」と思うでしょう。つまり全員に善の心があると説明します。悪があるのは、その善の心が環境や経験などから素直に出ないからにすぎない、というのです。つまり、「あ!」と全員は思うけれど、素直に行動できない人もいるし、目をそむけてしまう人もいる、というのです。
 韓非子は主に政治をする人を対象にして、きちんとした政治を行うためには悪いものを取り除かなければならない。と考えました。そのために法律で罰を与えることを考えます。この考え方は秦の始皇帝に採用されました。
 荀子は韓非子の先生ですが、そもそも人間は欲望まみれで悪なのである。学問の力で善の方に向かわなければならない、と主張します。そのために礼儀が重要です、と言いました。
イエスを含め古代ユダヤ教では、人間には原罪がある、と言います。であるから、この世には悪が満ちてしまう。天国(エデンの園)で神様の言いつけを破り、りんごを食べて追放されました。追放されたアダムの2人の息子アベルとカインがいます。兄であるアベルは弟に嫉妬して殺してしまいます。そして嘘で殺したことを隠します。このアベルの子孫である私たちは、生まれながらにして「罪の子」と言うのです。そして悔い改めてもう1度天国に行く、というのがキリスト教信仰です。ここから存在論的解答だけを抜き出せば、人間の本性は悪である、というのが出て来ます。西洋、東洋を問わず、存在論的解答は昔から与えられてきました。
さて、①~③ではどれが正しいかは決着できません。現在も3つが、それぞれ並行して存在しています。以上が存在論的解答の説明です。

 では、次に存在論的解答のポイントに行きましょう。
 大切なのは、「人ってこういう本質がある」だから、そうなっても当たり前である、と腹を括(くく)れる所にあります。どうなんだろう、どうなんだろう、と悩まなくて良いのですね。例えば、仕事とは何だろうか? どうしてするんだろうか? という問いが思いついた時に、「仕事は所詮金をもらうだけの行為だ」とびしっと本質を定めると悩まなくなります。ちなみにこれはキリスト教的解答です。しかし、「いや~お金も貰うけれど、本当に私に向いているのかな? 働かないのはダメかな・・・」と功利主義的解答ですと悩みはつきません。
だって、「こっちに自分に向いている仕事があるかもしれない。こっちの仕事はもっとお金貰えそうだし、楽そうだし・・・」となってしまいます。
私にとっての仕事とは何か、という仕事の本質を定めないと、悩みは消えません。もし違ったらどうしよう、という問い、失敗したらどうしよう、という問いが出てきて不安になってしまうのです。そもそも、本質を定めないと、成功も失敗も出て来ません。どの大学に進学するのが成功ですか? 偏差値の高い東京大学でしょうか? オックスフォードやハーバードでしょうか? それは他の人と比較したから出てくる功利主義的解答ではないでしょうか?
どの仕事に就くのが正解でしょうか? トヨタですか? 公務員でしょうか?
「人間は間違う。だから間違ったら直せばいい。」と本質を定めるといいと想います。そうすると「だから、精一杯頑張って入った所が正解」になるのです。「ダメなら別の仕事に就けばいい」と成功を自分で定められるのです。 
孔子が「過ちを正さないことを、過ちという」と言っています。昔から言われてきたのですね。

 それでは次に存在論的解答をもっと身近にしてみましょう。
 「なぜ、あなたは生きているのでしょうか?」存在論的解答をお願い致します。

 これにも沢山の解答があります。そしてこれは誰か他人に与えられて得られる解答ではないのです。自分が納得しないと、存在論的解答にはなりません。そして皆さん、大学進学の時悩みませんでしたか? どうして私は大学にいくのだろう?と。これから何度も皆さん、問われます。どうして就職するのだろうか? 私って就職に向いているのだろうか? どうして結婚するのだろうか? どうして私はこの人と一緒にいたいのだろうか? 
 その内、皆さんはこう自分に問いかけるかもしれません。
 「私の人生って何だったんだろう?」って。

 この存在論的解答を求める問いは、日常生活の基準による解答では満足できないことが多いのです。例えば
「私って就職に向いているのだろうか?」→「お金沢山もらえればいいじゃない」
「どうして結婚するのだろうか?」→「親や周りが結婚しろっていうし、皆している」
「私の人生って何だったんだろう?」→「人と比べればよかったでしょ」

 です。皆さん、これでは不完全な、あるいは不安の残る解答であることがご理解いただけると思います。実は、日常世界の基準では、「なぜあるのだろう?」という存在論的問いには満足な答えが得られない、というのは長い長い人間が積み上げてきた智慧なのです。

 ここで判って来たことは、20年前から日本には現在の不安が訪れました。それが日常生活の基準、ではぬぐい去れないことです。確かに経済は悪くなりました。色々と複雑な要因がからまっています。しかし、不安にとらわれずに元気に生きている人々もいます。日本よりも貧しい国が殆どですが、日本ほど心の不安に囚われていない人々が沢山います。1日100円以下で生活している人々が3人に1人でした。それでも心の病に掛かっていませんでした。
 それはその人々が存在論的解答を、肉体を通して得ていたからでしょう。

 少し回りくどくなりました。では具体的に、私の実例を挙げて行きましょう。
どうして私は生きているのだろうか。どうしてここで講演をしているのだろうか。

「私は多くの人に育ててもらった。だから恩返しのために生きている。人から借りたままでは死にたくない」と考えています。
 日本社会で与えられてきた存在論的解答を見てみましょう

「私って就職に向いているのだろうか?」→「就職して親を養いたい」
「どうして結婚するのだろうか?」→「結婚をして親を安心させたい」
「私の人生って何だったんだろう?」→「育ててくれた日本に恩返しをする人生だった」

 しかし、現在の日本で、このような台詞はあまり聞かなくなりました。就職するのは安定のため、結婚は自分が得になれば、人生って良く分からない、というのが良く聞かれます。これらは全て功利主義的解答です。自分の得、利益だけを考えると存在論的解答は得られません。得られないと、「どっちか得か?」、「本当にこれでいいの?」で迷うことになるのです。不安がぬぐい去れないのです。

 『孝経』という本には、
「私の肉体は親から頂いた。だから大切にするのは親を大切にすることである。親孝行の第一歩である」と書いてあります。
 私が産まれるためには、2人の親、4人の祖父母、8人のひいおじいさんおばあさん、さらに16人・・・となり、1000年前には10億人となります。多くの人が居たからこそ産まれてきました。ここを日本人は存在論的解答として大切にしてきました。つまり、
 「あなたはなぜ存在するのか?」に「ご先祖様がいたからである」と。
ちなみに、キリスト教、イスラム教では「神様が作ったからである」という解答になります。どちらでも良いと思います。

 大切なのは、それと定めることです。定めて自分の迷いを消していくことです。そしてそれを実践していくと元気が出て来ます。
 
 実際にやってみましょう。
2人1組のペアになって下さい。隣に親御さんが居る人は親御さんとペアになって下さい。

自分の手を握って下さい。自分自身に声をかけましょう。
「今日も生きていてくれて、有り難う御座います。嬉しいです。」

 それでは、向かい合って下さい。
大きな声を出しましょう。
 「今日、こうしてあなたに逢えました。嬉しいです」

 手を握ってみましょう。
「今日も生きていてくれて、嬉しいです。」

 言葉には力があります。
日本では「言霊(ことだま)」と言ってきました。言葉には力がある、という意味です。仏教では「声音実相(せいおんじっそう)」と弘法大師が述べています。この世の真理や物事の本質は文字にある、という意味です。また聖書では「はじめに言葉ありき」と述べています。「ことばはすなわり神であり、この世の根源である」と述べています。他の解釈も色々とありますが、言葉には力がある、言葉が何事もスタートになる、と解釈できるかと思います。つまり、自分を元気にして鍛えていくのも、最初は言葉である、という意味です。存在論的解答の言葉を意識して、自分を元気にしていくことが出来ます。

さて、先ほどのご協力有り難う御座いました。
こうした行為をすると、何かの宗教教団か?と間違われるかもしれません。私は、これまでもこれからも特定の宗教教団に所属しないつもりです。しかし、今の行為は宗教です。宗教とは「おおもとの考え方」という意味です。おおもと、とは存在論的解答を意味します。世界中の人々が宗教を求めるのは、苦しく、辛く、不安に襲われる中で、「ああ、今日も生きることが出来て良かったなぁ~」と確認するために必要としています。ですから、日本よりも貧しい国々でも幸せそうに生きる人々がいるのです。ちなみに、本物の宗教とえせ宗教との違いは、存在論的解答と功利主義的解答の違いでもあります。「あなたは存在しているだけで素晴らしいのです」と肯定してくれるのが、本物の宗教です。対してえせ宗教は「何人勧誘しなさい。いくらのつぼを買いなさい。もっと教団の中で高い地位に着きなさい」と言います。これは他人と比較して、あるいは数を数えているのですから、功利主義的解答ですね。
 末期ガンになっても幸せそうに1日1日を過ごす人がいるのも、その人の存在論的解答を見つけられたからでしょう。今生きている私を、ただあるだけで肯定できるのです。哲学は、特定の宗教に依存しない形で、自分の存在を考えだそうとする学問なのです。私が哲学をお勧めするのは、自分を見つめて元気になってもらうためなのです。

 それでは日本全体にもう1度戻してみましょう。日本のビジネスマンの神様と言われる松下幸之助、松下電器、パナソニックを作った人は、「仕事とはお金を頂いて自分を磨くことだ」と言っています。将来自分のやりたい仕事=自己実現を果たすために、お金を頂いて修業させてもらうのだ、と言っています。これも、見事な存在論的解答ですね。人間の本質は自己実現にあり、という解答です。

 最後にまとめますと、

世の中を生きていくためには、日常生活を大切にする解答は必要。
しかし、「自分とは何だろう?」という存在論的な問いには答えられない。
存在論的解答がないと不安になってしまう。
存在論的解答は自分で定めるものであり、迷いを無くすために必要。
存在論的解答を行動に移すと、元気が出てくる。
 
 講演の最初に
「 皆様、こんにちは。今日、こうして皆様にお逢い出来ましたこと、心から嬉しく想っております。精一杯講演を致しますので、何か皆様のお心に残ることがあれば幸いです。」
とお話しましたが、何か心に残ることがありましたでしょうか。
 以上で講演を終わりと致します。
 御清聴、ご協力の程、誠に有り難う御座いました。
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