講義録2-1 「はやぶさ」を「福島原発事故」に使おう

 前回の宿題で「題2 原発再稼働は安全ですか?」と「題3 浜岡原発は再開OKですか?」を出しました。
 この際に、私達日本人に潜む減点主義で考えたのか、「はやぶさ」の成功を支えた加点主義で考えたのか、を学生の皆さんに問いました。

 先に「はやぶさ」成功の要点を挙げましょう。配布プリントを観ながら説明しました。

 「はやぶさ」の成功に再発防止策を学ぼう

①加点主義で評価していく
②過去の模倣をしない(縛られない)
③1回の事故で判断しない
④情報を国民広く正確に知らせる

 ①~③を説明し④は時間の関係上省きました。

 川口さん(敢えて「さん」付けて失礼いたします)は、世界初の事例を点数方式にし、しかも加点方式ににしました。

 大飯原発の再稼働の時、現在の原発安全を考える時、「福島原発事故の対策が済んでいれば、100点」と考えています。対策が済めば安全=安全に上限=100点という上限をつける、ということです。これは川口さんによれば小学校以来の日本人の習性であり、製造物の運用を考える際には問題がある、と述べています(引用文12-15P参照)。私は以下のように解釈します。

①原発の安全審査に加点方式を導入すべき。

:具体例として、
福島原発の沸騰水型原子炉の安全値を2.0、他方事故を起こしていない加圧水型原子炉の安全値を4.0とする。ベント弁がある場合はプラス1.0、インターナルポンプはプラス0.5、鉄筋コンクリート製原子炉は0.3、地震対策として800ガル以上があるならプラス1.0などとする。
 その上で、浜岡原発3号機は8.0、大飯原発3号機は7.5、柏崎刈谷原発7号機は12.0と表記する。

 こうした技術的な構成要素に基づいて評点をし、その上で政治(経営)判断をすべきと考える。つまり「関西電力管内で最も安全点の高い原発が大飯原発7.5であり、他の地域の原発より低いですが、電力供給のため稼働します。」という政治(経営)判断である。

 しかし、現在、日本国民の中で不安がぬぐい去れないのは、「福島の安全対策が終わればどの原発も同じである」という、技術的な構成要素を無視している点である。福島原発は沸騰水型でありそもそも災害等に弱いのである。30年以上前から米国を始め指摘され続けてきたのに、無視して今回の事故の一因となった。

 つまり、「技術的知見に基づかない事故対策が信じられない」という国民の不安をぬぐい、再発防止を目指すためにも加点方式で技術的な構成要素を示す必要がある、と考える。

 これが「はやぶさ」を「福島原発事故に使おう」の最も主張したい点の1つである。


②現在の減点方式では再発防止策が十分に取れない可能性がある。

:福島原子力災害はこれまでにない事故ですし、どこまで対策をすれば良いのか?という上限がありません。ですから、福島原子力災害だけを考えれば事故対策が完全である、十分である、とは言えない。そのようは判断方法は再発防止を途中でやめさせることになる。製造物である以上「リスクがない」ことはありえない。しかし、そのリスクがどこまで許容されるのか、あるいは公開されているのか、は事故対策を考える上で欠かせない。それゆえ、安全対策は積み上げられなければならない。しかし、現在の減点方式では、ある一定の上限が設けられてしまう可能性がある。

③過去の模倣をしない(縛られない)事故対策

 既に「福島原発事故」は過去の事例である。「福島原発事故」の対策だけで今後の事故対策を決めてはならない。過去の模倣なのである。全ての自然災害やテロに備えることはできないが、なるべくリスクを少なくするようにあらゆる可能性を検討する必要がある。それゆえ、原子炉の型の選び方から根本的に考えていくべきなのである。実際に実行するとするならば極めて困難な原理原則であるが、だからこそ大切にしなければ原理原則である。

 他に述べたことして、福島原発1号機はアメリカの原子力潜水艦に利用するための原子炉であり、当初から、また70年代後半から欠陥が指摘されてきた。それでも40年前後の間、たった1回の過酷な事故を起こしたに過ぎない。40年以上前の自動車が過酷な事故を起こしたからといって、全ての自動車を廃止しなければならない、という考え方は極端すぎるし、採用できるものではない。他方、原発には安全神話なるものがあり、リスクがないという考え方が社会通念として形成されていた。たった1回の事故で、安全対策を見直しながらも、運用の可否の全てを判断してはならないのではないか、と述べた。また、川口さんが述べているように宇宙開発はハイリスクな事業であり、1回の失敗で判断していては進まないのである。1回の失敗で運用を停止していては「はやぶさ」の大成功はなかったのである。注目すべきは現在の事故対策と事故情報の開示や技術者による検討などである。

 
 次に、藤本温編著『技術者倫理の世界 第2版』 2,3Pを読んでもらい、2つのポイントを各自挙げてもらいました。そして、

問2 どうしたら事故は防げましたか?
問3 技術者に責任はありますか?

 を考えてもらいました。この問いも学生の皆さんに板書してもらいました。感心したのは問3で「作った者の責任がある」という高潔な倫理観を何人もの学生が書いてくれたことです。日本の技術者倫理は世界一だと思いますが、学生の皆さんの心の中に宿っていることが嬉しかったです。そして、

問2 
A)教科書 : コミュニケーション不足 もっと技術者と経営者が話し合ってしっかり考えれば良かった
  VS
B)教員(高木):逸脱の日常化を無くす 法律違反や倫理違反を普段から取り締まる必要があった(つまり今回の事例だけでなく安全は常に対策を取らないといけない

この後、O-リングを3重にして再発防止が出来ました。材料を強化する、という技術者らしい発想を何人もの人が書いてくれました。

問3
A)教科書:コミュニケーション不足に原因があるのならば当然、怠った責任が生じます。「危険」と警告しているので法律的な責任は生じませんが、みんなのルールとして「コミュニケーション不足」を挙げるのなら、当然入ってきます。ただし、技術者個人が良心の呵責(かしゃく)として感じるものは、個人のものであり、倫理的責任ではありません。(ちなみに日本ではこの、個人の良心の呵責を倫理的責任と同一視する土壌があります。例えば、福島原発事故後、すぐに東電の社長はやめろ! なんで雲隠れしているんだ! 退職金をもらうな!悪いと思っていないのか(良心の呵責)?などの考え方です。ちなみにこの結論への導きは高木です)
 VS
B)教員 :責任はありません。逸脱の日常化を見逃した経営者に責任があります。マネジメント、つまり会社を監督し指導する責任があるのは経営者だけです。技術者は権限も対価としての給与も貰っていません。ですから権限も対価もない経営的な責任を負う必要はありません。個人の良心の呵責を感じるかもしれませんが、感じて欲しいですが、それは倫理的責任とは別問題だと考えます。技術者が倫理的責任を問われるのは、「危険」を知りながら「危険であると報告しなかった」時に生じると考えます。

さらに、Oリングは有機材料で人間が使用しだして100年、200年しか経っておらずデータ不足、さらに特性として生産段階で製品の出来が大きく左右されるなどの特徴を挙げる指摘もありました。つまり、この問題は技術者倫理の問題ではなく、材料の問題である、という指摘も添えました。

 このように1つの事故に対して専門家の間でも分析や判断は分かれています。どれか1つだけが正解、という訳ではありません。1つに決めることは「科学」ではありませんので出来ません。ですから、私は以下のように提案しました。

「技術者倫理では、「公平な見方が大切である」と」

 公平な、には賛成反対の両方が必要ですし、出来れば中立などの見方もあるとさらに良いと考えます。なぜならば、そもそも人は偏った見方しかできないからです。ある1つのコップを観て、色を観る人、形を観る人、価値を測る人、コップを別の具象と見る人、コップと背景との調和を観る人、重さを観る人などなど様々です。目の前にある共通した物体でさえ、人によって見方が異なるのです。ですから、共通の物体のない、意見や知識などはさらに偏るのです。ですから、両方の見方が最低でも必要である、と述べました。

 補足として前回のあるコメントを紹介しました。

「○日本のマスコミが教えない事をもっと知りたいです。

☆返信:基本的に敗戦前で日本が素晴らしかった点をマスコミは報じません(教えません)。日本の主権回復記念日の問題が安倍総理によって取り上げられていますが、主権回復記念日をささやかにでも祝ってきた人々を取り上げてきませんでした。取り上げるけれど否定的に取り上げる方法もあります。天皇陛下に関わることです。例えば、昨年、天皇陛下が沖縄訪問をされた時、自主的に沖縄の方々集まり、7000人以上の人々が「天皇陛下万歳!!」と夕ご飯時にパレードをしお祝いしました。しかし、これらを取り上げないのです。他にも事実に反して逆に取り上げる例もあります。私は「取り上げないから日本のマスコミは腐っている=マスゴミ」と主張しません。公平に取り上げるメディア、というのは殆どないからです。ですから私達が出来るのは「そもそも日本のマスコミは敗戦に関わることは偏る」という前提を受け入れることです。そうして、海外のメディアをチェックしてみるのが大切だと主張したいです。現在は日本国内のインターネット上でかなりマスコミの偏りが指摘されていますが、それも利用できるかもしれません。ただし、きちんとした報道機関ではない、という点には留意が必要です。」

 他方、偏っていないマスコミは世界のどこの国にもない、のです。

 「日本のマスコミが、敗戦関係、特に日本は悪いことした」と偏っていることを受け止めた上で判断すれば良いのです。「偏っているから日本のマスコミは、マスゴミだ!」と非難する人がいますが、それは学問的ではありません。社会的意義はありますが、問題の本質に迫れません。
 アメリカのマスコミも偏って報道します。ですから1つの問題に対して、アメリカの報道と日本の報道を比べると見えてくるものがあります。その中でどれを取るか、は人によって違います。そこにはある判断が必要になります。私は「認識論上の信念決断」と言っていますが、どこを取るかは、まさにジャンプ(飛躍)に過ぎません。信念によるジャンプなのです。そしてさらに、イギリスやドイツのマスコミやアラブのマスコミなどの情報を入れると幅が出てきます。そうなると信念決断を取れる点は1次元から、縦横のある2次元になり、幅が広がることになるのです。これが私が前回「倫理とは正解多数」と述べた1つの根拠になります。

 具体的に行きましょう。
 東日本大震災では、自衛隊の方々は、亡くなったご遺体をなるべくそのままの姿でご家族の元にと考えて、大型の重機、ショベルカーやブルドーザーを使わずに、手袋や棒などで探してくださいました。自衛隊の方々の手はぼろぼろになり傷だらけになったのです。それでも探してくださった。なんという素晴らしい軍隊でしょう。このような行為を行える軍隊は日本だけなのです。世界中から賞賛されました。2万名のご遺体は行方不明者が1000名近くになるという、巨大災害では過去に例がないほど発見されました。
 東日本大震災を伝える英国BBC、アメリカCNNなどは自衛隊の姿であふれていました。他方、日本のマスコミには殆ど自衛隊の姿が映りませんでした。賞賛の声がかき消されているのです。兵員が半数近く減る中でロシアや中国は領空侵犯を行おうとしましたが、自衛隊は戦力を保持し続けました。このようにして軍事上も自衛隊は世界最高の軍隊であることを示しました。
 ここで皆さんは、どのように考えるでしょうか。それは先ほど述べたように「正解は多数ある」と考えています。

 私達が偏らないこと、「公平な見方をすることが技術者倫理の出発点である」と考えます。

 以上で終わります。



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