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高木ゼミ第2回レポート 「拉致とは?」

平成24年12月26日
 
高木 健治郎

問1 あなたが拉致を語る時、最も大切にする点は何ですか?

 著者の青山繁晴さんは、青山さんが「さん」付で読んで欲しいと希望しているので、拉致が起こる根本原因を、憲法である、と34-35頁で述べている。続いて現在の日本国憲法の問題点を2つ指摘する。①平和憲法は拉致などの新しい戦争を想定していなかったこと、つまり時代遅れなのである。②平和憲法という常識が実は嘘であり、日本国民を取り戻せないこと、つまり実用性がないのである。
 この視点からすると、「金正日による国家犯罪である拉致事件」は、単に北朝鮮を非難すること、拉致被害者を取り返せば終わること、を意味しなくなる。私たち日本国民が生きていく上で基準とすべき文言と真剣に向き合ってこなかった結果が、「拉致事件」ということになる。同様の結果は、硫黄島の章で語られる英霊を悪者にしてきたこと、忘れてきたことをも生み出しだのだ。敗戦後、数千万人の署名によってアメリカが勝手に選んだ大東亜戦争の戦争犯罪人の名誉は回復されている。しかし、そのことを私たちはきちんと学校で教えてこなかった。自民党政権時代、ある作家がでっち上げた話を元に「従軍慰安婦がいた」という悪名高い「河野談話」がある。これをその後内閣府が丁寧に調べて「ありませんでした」と結論付けたのに、相変わらず「河野談話」は生き続けている。現在でも「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」は皇軍(日本軍)が悪いことをしただろう、というイメージだけで判断されている。
 争いをなくするために文言に残して公平さを担保する、というのは人類普遍の智慧である。『古事記』、『聖書』、数々の『仏典』、『クルアーン(コーラーン)』、四書五経など最も大切にすべき内容が、時の権力や切羽詰まった状況によって偏らないようにしてきたのである。
 人類普遍の智慧を、敗戦後の日本人は忘れてしまった。大日本帝国が悪いことをしたに違いない、戦争はすべて悪いこと(だから、皇軍だけが悪いことをした)、憲法があるから日本国は平和なのだ、というイメージで現実を観なかった。日本国憲法に書いてある「国の交戦権を認めない」などの一文を真剣に検討せずに場当たり的な解釈だけをしてきたから、自衛隊は北朝鮮国内に侵入できないし、拉致被害者を助け出すことが出来ない。日本国民を守るための憲法であるはずなのに、日本国民を守れないのである。そのことに疑問を抱かない。(もちろん、私自身への批判ともに)
 以上から、私は拉致を語る時、最も大切にする点は、イメージだけで判断しない、という点である。イメージだけで判断しない、ことには、以下の点が含まれる。
①公平さ、つまり北朝鮮だけが悪いのだ、という情報だけでなく北朝鮮が良いのだ、という情報や、なぜ北朝鮮が拉致をしたのか、という動機、実際にどのように行ったか、などの情報も合せて検討するのを大切にする。
 ②事実に基づく、つまり「北朝鮮は共産国家で、共産国家は悪いことばかりするからしょうがない」などのイメージで判断しないのを大切にする。このイメージだけで判断すると世界は全て善悪の二元論だけで語られるようになり、敵か味方かだけの判断になる。国際政治を観る上で、この二元論は最も危険で、かつ戦争に駆り立てる概念でもある。民主主義を崩壊させ独裁主義を生み出す大きな要因が、この二元論にあるのは、第二次世界大戦等で人類が得てきた英知である。例えばヒトラーは民主制によって選ばれたが、ユダヤ人は敵でアーリア人は素晴らしいという二元論で大量虐殺を行った。米ソ冷戦でも世界中で敵か味方か?が繰り返された。イラクのフセイン大統領や9.11テロを行ったアルカイーダはアメリカの味方でありアメリカが育てたのである。しかし、米ソ冷戦が終わるとアメリカは彼らの存在価値を認めなくなりっていき、ついには敵になった。単純な二元論による弊害である。この単純な二元論を生み出す要因の1つが、事実に基づかないイメージだけで判断することなのである。日本軍(皇軍)だけ悪い、という考え方も単純な二元論であるのは言うまでもない。
 以上の2点を、拉致問題を語る時、私は最も大切にしたい。

問2 レポートをまとめての感想

 つくづく感じるのは、拉致事件は単に拉致事件ではない、ということである。問1で書いたように現在の日本の数々の問題の根っこを見せてくれるのが拉致事件である。北朝鮮による拉致事件は、敗戦時にもあった。それが平成24年になって初めて表に出てきた。ソ連による50万人以上の日本人拉致被害者、その中から弱い日本人だけが北朝鮮に数万人が送られ死亡した、という驚愕の事実が出てきたのである。心から手を合わせたい。
 そしてご先祖様たちが、命を賭して目指したものをしっかりと伝えることが何よりものご供養になると信じて今後の人生を送っていきたい。私なりの未熟な解釈では「当たり前の生活、当たり前に自分たちの生活を自分たちが選べる生活の大切さ」となる。
 拉致被害者の日本国民は、家族と一緒に過ごす当たり前の生活を急に奪われた。だから私はどうしても拉致事件を忘れられないのである。遺骨になって(日本の)お墓に入るという当たり前の生活が出来ていないから、硫黄島の英霊の方々に御帰り頂きたいし、北朝鮮に残ったままの英霊の方々に御帰り頂きたい。それと同様に、石上国語教室の学生の皆さんにも当たり前の生活を送ってもらいたいと願っている。
 このように、拉致事件は単に拉致事件ではない、ということを改めて感じた。
ここまで書いてきて筆が止まった。すべて書ききった、という思いからである。今目の前に実際に拉致された被害者蓮池薫さんの著書『拉致と決断』がある。今日、この本の中の文章を読んでもらい感想を言い合ってもらいたいと思っているが、その場合でも、問1の視点を大切にしたい、と思っている。そして何より蓮池薫さんの視点から教えてもらった視点でもある。自分が拉致されたのに北朝鮮は全て悪い!と主張せず、きちんと事実に基づいて判断されている点が素晴らしいと感じた。何とか学生の皆さんに伝えられれば、と思う次第である。
 こういう場を与えられたことに、不思議な導きを感じる。全力で打ち込みたいと思いつつ、打っているのはぎりぎりの午後5時15分である。
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