高木ゼミ-第1回レポート 「祖国とは?」-

(このレポートは第3回に提出のレポートです。学生の皆さん1人1人が提出しましたが、高木も書きました。内容は高木が書いた文章です。)

 高木 健治郎

問1 祖国に必要なものは何か?

 青山繁晴さんは、青山さん自身が動画で「青山さんと呼んでください」と言っているので、『ぼくらの祖国』で「祖国を失っている」と書いている。なぜ失っているか、

「きみもぼくも、きみのご両親も、年齢や世代がずいぶんと違っても、実は同じ教育を受けている。日本が戦争に負けたあとの教育は、同じなのだ。それは「祖国」という概念を失った教育だ。」22頁

 と述べており、教育に大きな問題があると主張している。さらにこの状態であるのは、日本だけであり、日本だけが敗戦と教育を結び付けている、と続ける。メキシコの週間当番の交代式や、ギリシャ神話の話などを具体例として挙げている。
 この主張から読み取れるのは、「①「祖国に必要なもの」とは「教育」である」、「②敗戦の克服である」との2点である。次の章に当たる「平壌の日の丸の章」では、②の具体例として「北朝鮮による拉致問題」を挙げている。さらに、「永遠の声の章」では、教育では伝えられて来なかったけれど、ぼくらの根底に眠っている「祖国」の具体例として、福島原子力発電所事故後に福島原発で作業する誇りある方々、南三陸町で多くの人を避難させるために身を呈した御二人、さらには敗戦前に硫黄島で、沖縄で命を捧げられた方々を書いてくれる。
 確かに教育では「祖国」を教えない。であるから、普段の生活の中では「祖国」を意識しないし、そのための精神的な支えが無くなる、という現象も起きている。しかしながら、危機を迎えた時、「祖国」がぼくらの中からムクムクと甦るのである。私も福島原子力災害発生時に、自衛隊や消防隊が真っ先に駆けつけ、命を掛けて日本国を救ってくれたことに誇りを感じた。そこに確かに「祖国」があった。私の個人体験でも、青山さんの主張は正しいと考える。
 しかしながら、現状のままで不十分である、という青山さんの主張にも同意する。20年前くらいから、長期休養を取る原因が、ガンなど肉体上の重病を抜いて精神的な重病に取って代わったのである。確かに、危機の時には「祖国」はムクムクと現れるかもしれない。けれども、日常生活において精神を支える基盤が脆弱になっているのは、はっきりしている。例えば、日本の小学生は「不安」を世界で最も感じているというアンケートがある。また、「家族」よりも「友人」を大切にし、信頼している。個人主義が日本よりも強い欧米諸国では、最も大切な人間関係は「家族」なのである。個人主義が弱い日本で「家族」よりも「友人」が強いというアンケート、いざという時に支えてくれる存在はいるのであろうか。私は、青山さんの主張するように、「祖国に必要なものは、教育である」と考える。

 問2 祖国を必要とするものは何か?

 問1の最後に書いたように、現在の日本人は精神的な基盤が弱くなっている。端的に挙げれば「なんのために勉強を頑張るのか」、「どうして大学にいくのか」、「生きていく上でお金以上に大切なものは何か」を語れる人が少ない。また、語る機会さえ気がつかない内にない。国際関係に目を向けてみても、イラク戦争で日本はお金だけを出した。お金だけ出せば他国との関係は良くなるだろうか。友人との関係で「お金だけ出す」という人を信頼すべき友人として見てくれるだろうか。答えは言うまでもない。人とのつながりにおいて「お金以上のものがある」ことをぼくらは経験上、知っている。
「祖国」とはという周りとのつながりを意味する。単に「同級生」や「同じ部活の仲間」という特定の地域や特定の趣向、行動に基づく周りとのつながりではない。特に人間の最も基本の部分でのつながり、が「祖国」である。日本国に産まれ、同じ日本語を話し、お正月やお盆を大切にするのは「祖国」を大切にすることである。日本語を話すことは同じ日本語を話す人々を大切にすることであり、お正月やお盆を大切にすることは同じ習慣を持つ人々とつながることである。もちろん、問1で書いたようにお正月やお盆の社会学的な意味をきちんと教育課程の中で教えるのも重要である。
もし、お正月やお盆がなければどうなるであろうか。人はどうしてもだらけてしまう性質がある。メリハリのない生活は結局充実した生活とならない。夏休み、学校がないとだらだらとしてしまい、「結局長い休みに何をしたか? 何もしなかった」という経験は誰しもがするだろう。学校に行っている時は自分の成長に気がつかないが、毎日新しい知識を吸収しているのである。小学校に6年間通って漢字を数百以上覚え、掛け算を覚え、スポーツを音楽を習っている。
「祖国」によって私たちは多くの人とつながっているという精神安定の基盤を得ると共に、日常生活においても充実した行動を得るのである。お正月やお盆で普段は忙しくて意識が行かない亡くなった祖先を思い出して、日常生活からフッと力を抜き、日常生活はもう1度遠くから反省する機会を得るのである。
以上の意味から、「祖国を必要とするものは何か?」と聞かれれば、「人間」と答えられる。

問3 祖国とは何か?

 問2で書いたように「祖国とは人間にとって精神上も日々の生活上でも欠かせないもの」と考えている。青山さんは「祖国」を憲法との関連で以下のように述べる。

「ぼくらの生活の基礎をつくる憲法について、ぼくは、すべて最初から日本国民が書き直すべきだと長年、語り続けてきた。…(中略)…(憲法を巡って「変える」「変えない」で意見が対立し、)その意見の違いや、時代あるいは地域の個性をおろそかにせず、尊重しつつ、共有できることを共有する。その、こころの眼を持つことが、日本社会を甦らせる。」26頁

 日常生活の基礎をつくる憲法はアメリカが国際法に違反して書いた。そこに昔からの日本人とのつながりがない。日本人のお正月やお盆などと関わりがない、という意味において「祖国」がないのである。そして、その関わりがない憲法を巡って、日本人は日本人を分けてきたのである。日本人が昔から大切にしていた哲学、思想は、「和(やわらか)なるを持って貴しとなす」である。互いの意見を尊重することを大切にしてきた。沖縄と本土を分けて考えたり、本土の考えを一方的に沖縄に押し付けたり、拉致被害者と拉致されていない人を分けて考えたり、左翼と右翼をきれいに分けて2つしかないように扱ったり、民主党と自民党、それに入らない第3極と言ってみたり、とそういうことではないのである。
沖縄県でも静岡県でも血の繋がる祖先を大切にし、お墓参りをする。日本語を使い山や海や風の素晴らしさを歌う。そこに民主党と自民党の違いはない。左翼も右翼もない。そういう思想を大切にすることが「祖国」を大切にすることだと考える。
もう少し広げて考えてみれば、「祖国」を大切にする、ということは精神上の繋がりを大切にすることだから、家族や友人を愛(いつく)しむことである。日常生活を大切にすることだから、自分の日々の行動に気を配り律していくことである。特に特別なことではない。どこの国にも家族や友人を愛しむ方法があり、それが国によって違うだけなのである。であるから、「祖国」を大切にするのは、戦闘や戦争から最も遠い行為になる。日々の自分の行動に気を配り律するのは、自分自身を大切にすることだから、自分自身を生み出してくれた、祖先や神様に感謝することになる。自分自身を生み出してくれたもの、が各国によって各文化によって異なるのだから、「祖国」を大切にすることは、人種差別や文化差別や宗教対立と遠くなる。だからこそ、日々の生活を奪った「北朝鮮による拉致」を私は忘れられないのである。
このような意味で「祖国とは人間にとって精神上も日々の生活上でも欠かせないもの」と考えている。

問4 レポートをまとめての感想

まとめてみての感想は、「まとめて良かった~」である。『ぼくらの祖国』の第1章は5回くらい読んでいる。文意には賛同するし頭にも入っている。しかし、レポートをまとめるために、ある視点から切り取って読んでみると、違う気づきがあった。『めぐみと私の35年』も同様である。著者の横田さんに対する印象で「普通のおばさん」というのが前面に出てきた。それまでは、横田さん夫妻の中の良さ、苦悩などに目が行っていた。横田早紀江さん自身の心の動きが眼に飛び込んできた。すると表紙にある写真でも、めぐみさんに目が行っていたのに、横田さんが真っ先に眼に飛び込んできた。人生の豊かさとは、お金ではなく、1つの文章をどれだけ豊かな解釈ができるか、なのではないか、とさえ感じるほどであった。
個人の感想なので、レポートをまとめてみての感想をその字義通り書いていく。まず、量が多かった。第3回レジュメ、第2回レジュメ記入、第1回レポートで合計6時間前後の時間を要した。また、南三陸町の写真や『古事記』の準備などを含めると10時間は優に超える。他のものもある中、時間を確保するのは大変であった。しかしながら、高校生の皆さんの時間の使い方を振り返ってもらうために、こうした課題を課した。その意味で、私自身では成功をしている。どのような感想になるか、規定通り800字以上書く、などの内容も楽しみである。ちなみに現在、当日12日午後4時3分である。場所は国際ことば学院205教室、一人。
内容については書いてきた通りであるが、まとめてみて益々「ちゃんとしたい」という気持ちが強くなった。ゼミを任せてくれた石上国語教室の諸先生方や受講してくれる学生の皆さんに対して「ちゃんとしたい」。そして自分自身に対しても「ちゃんとしたい」し、「祖国」に対しても「ちゃんとしたい」。ちゃんとした1つ1つの積み重ねが、日本を甦らすと思う。青山さんが言うのだけれど「私が生きている間に祖国は甦らないでしょう。そういうことは期待していません。死んだ後、祖国が甦ってくれれば良いのです」という言葉を胸にしている。例えば、ご飯を残さない、挨拶をする、という1つ1つが日本をもっともっと良い国にしていくだろうと信じている。そのために、このゼミも、ゼミのプリント作成も、大変だけれど、手を抜かないで「ちゃんとしたい」。
「ちゃんとしたい」が、レポートをまとめてみて心に残りました。
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