講義録1「はじめに 科学と技術と倫理の違い」


2011年04月12日18:58

 某大学での「科学技術者の倫理」という講義を書き記していこうと思う。
 今回の大震災や原子力災害について、今後各専門家は本を記すであろう。私が出来ることといえば、専門の科学哲学の立場から、学生たちと共にどのように考えていったのか、を記すことだと想ったからである。

 前日から緊張気味だったし、赤ちゃんが夜によく泣いたので寝不足気味だった。
 しかし、すっきりと目が覚めて6時半出宅、8時10分大学到着。15時40分大学出発。17時40分帰宅。


 講義の最初の配布物 ①シラバス変更(表裏)1枚、②レポート用紙1枚、③課題プリント6枚。

 私は講義中、3題前後問題を出す、その時に学生の横を回り、出来不出来にあまり関係なく書き終わっている学生に、黒板に出てきてもらって書いてもらう。そのため、学生の座る席を前に詰めてもらっている。2クラス必要で、全員が静かに従ってくれた。

 講義開始

 まず、①シラバス変更点について話をする。
追加点は、主に「福島原子力発電所事故」と「公平さ」というテーマにしたこと。これまでは、「原子力政策全体」を1コマ前後であったし、去年の半期の講義全体のテーマは「考える力」であった。

 これまでの講義内容は、賛成側反対側の本を読んで公平さを期してきたが、福島原発事故は現在進行形であり、事実確認が私独りでは不十分なので、皆さんと共に考えたい、とした。そのため、配布プリント6枚で、福島原発事故の情報整理の手助けとなるように項目を「福島原発事故前と後」や「事実」と「推進派の考え方」や「停止派の考え方」と分けた。何かのプロジェクトをする際にも、これまでの経緯の確認と、メリットデメリットを検討した上で結論を出す。問題の整理方法の学習の手助けとなってもらえれば、と考えた。

 「公平さ」は、推進派であれ停止派であれどちらでもなくても、それぞれの派が主張する立論の理解し、事実を確認した上で自らが両方から立論することで担保される、とした。

 3クラスともウンウンと聴いてくれて、少し安心した。
 その後、成績評価や毎回出してもらうレポートについて触れてた。特に質問はなし。

 東日本大震災の方々のお話をさせて頂くので黙祷をした。
私も学生の席におり、本来なら国旗に向かってすべきだけれども、と断りを入れて、何故なら東日本大震災で日本国民の多くは心を痛めたからである、そして日本国民を象徴するものは国旗だから、1分間の黙祷をした。近くの学生に1分を計ってもらい、全員が目を閉じた。物を落とす音、はなし声、服のこすれる音さえしなかった。
 前日からの緊張の1つはこれだったけれど、3クラス全員が協力してくれた。私は正直に「緊張していました、実は。そして皆さんご協力有り難う御座いました」と頭を下げた。クラスが締まった気がしたしいい講義が出来るのではないかと直感した。

 その後、まず、言葉の捉え方から入った。

問1 科学とは何か、技術とは何か、倫理とは何か をレポート用紙に各自書いてもらった。
早い人、内容が被らない人の3人に板書をしてもらった。

科学とは何か・・・物事を追求するための手段
技術とは何か・・・人間を豊かにするための道具
倫理とは何か・・・集団が上手くやるための常識やルール

などがあった。この内容は1人の学生のを抜き出したものではなく平均的な回答である。ユニークなものもあり、だからこそ、最後の感想に「他の人の意見が聞けてよかった」とあった。

私の回答(1つだけの正解ではない、と述べた上で)

科学は、科学と自然科学の2つの意味で使われる。
本来科学とは物理学「科」や心理学「科」というように、細分化した学問という意味で反対は全体をそのまま捉える哲学である。ペンを持ってきて、重さ、という風に細分化して見ていく方法のことだった。対して哲学はペンそのものを全体的な把握する、成立するかどうかには議論があるが、という方法。人間なら、心だけを取り出して扱うのが心理学「科」、物として捉えると物理学「科」になる。これは西洋的 明治期に訳語になった時もこの意味だった。

自然科学は、皆さんが書いてくれたように「科学」=「自然科学」の意味で現在日本で使われている。科学哲学からすると
「存在論的原理を数学的体系によって写像した法則群」
となる。

例えば「ペンが落ちる」という現象の中にある原理を日本語体系によって写像すると「ペンが落ちる」という日本語になる。これを数学的体系によって写像すると「F=MA」となる。数学が美しいのは万国共通の言語であるということと普遍であるということ。人間個人は時が経れば老いて死ぬが、この存在論敵原理は決して老いず変らない。美しい。また、「写像」は実態を必ず映しているという意味がないから、今よりもより実態に近い写像があることを含意している。法則群についてはノーコメント。原理、法則、定理、公理、規約などの違いは時間があればやりたいと考えている。

また、他の書き方をすると「正解は1つのこと」としても良い。
「FM=A」はないからである。そこで、「クラスにいる人の中で正解の人生を歩んでいる人はいますか?」と問うた。沈黙の後、「全員正解ですよね」と言った。私も理系だったからか、「もっと背が高ければ」とか「いい仕事につければ」とか正解の1つを追い求めてきた。真面目な人がうつになるのは正解を1つにしてしまうからじゃないかな、と余談も挟む。

技術はそうすると「ある範囲で正解多数」と述べた。皆さんの持っているペンは横の人と違うことが多いけれど、大体の長さや重さなどが一致する。意味は「人間生活を豊かにする総体」とした。これは英国最初の哲学者ベーコンの言葉とも。

倫理は「正解多数」とした。
先ほどの人生の正解のほかに、インドネシアに訪れた文化人類学者兼キリスト教布教者がある村で共同生活をした後、帰国する送迎会の後、殺されて食べられた話をした。村人は「こんなに色々なことを教えてくれた素晴らしい人だから、食べてこの肉体に取り込んでずっと一緒にいよう」という行為を行ったのである。これを私たちの基準で裁いてはいけない。
倫理の「倫」は「みんな」であり、「理」は「基準」である。物理は「物の(従っている)基準」、心理は「心の基準」である。インドネシアの人々と日本人では「みんな」が違う。だから従っている「基準」も違うのである。原始的な核家族集団の集まりとしての共同体から、村単位、国単位になっていくと「基準」は変わっていく。

私の講義では、これまで教員の立場と敢えて異なる立場の本を選んできた。それは倫理が1つの正解がなく正解が多数であることを実感してもらいたかったからである。特に理系の思考では「正解が1つではない」というのは感覚的に違和感がある感想が多かった。だから、講義では「何も書いていない空欄」以外に原点は一切ない。


次に 問2 科学とは何故ありますか? 技術とは何故ありますか? 倫理とは何故ありますか?

科学とは知的好奇心を持った人々がいたからある
技術とは人々を豊かにするためにある
倫理とは社会集団を上手くやっていくためにある

以上は学生の意見の私なりのまとめである。

この答えは、歴史的回答である。
「~とは何故ありますか?」というのは、「ある」と「ない」を問うので「存在論的問い」です。しかし、日本は「歴史的回答」を答える傾向が強い。「存在論的問い」と「歴史的回答」はずれていることが多い。例えば、「F=MA」が何故あるのか? に、「好奇心を持った人々がいたから」という回答は斜めからの答えである。
どうして物を持っていて話したときに、地球の方に向かうのか。反対ではないのか?なぜ、地球の方に向かう、という原理があるのか? 人々が好奇心を持ってきたから、というのはずれた答えです。

「存在論的問い」に「存在論的回答」をしてみましょう。
答えは、「判らない」です。しかし、西洋では「神様がこの世界を作ったのだから自然法則は神様を知ることになる」と考えた。だから西洋で自然科学が発達してきたという風に科学史では考えられている。
倫理も答えてみると「神様の理性が人間にあるから倫理が人間には理解できて存在している」と言える。

大切なのは、「~とは何か?」と「~とは何故あるか」は違う。もう1つ「~とは何故解るか」も違うも付け足しました。
自動車とは何か?といえば、エンジンがついて人を乗せて・・・と。
自動車とは何故あるか?といえば、人間が設計して作って社会の便利性に適うから・・・と。
そして最後、
自動車とは何故解るか?といえば、それは私たちが自動車を学習しているから・・・と。産まれたばかりの赤ん坊は自動車と同じ形の岩の違いが解らない。

最後の問3は、

倫理は何故解るか?

①人間は善だから解る。倫理があるのは人間同士の付き合い方を決めないと混乱するから。だから礼がある。年上の人は助けましょう。若者は助けなくてもいいです、という一定の決まりが必要。

②人間は生まれた時は善だけれど、段々大人になると悪の面が出てくる。だから解る。そして悪の面を抑えるために倫理がある。
私は、中2の時に深夜12時半に家を出た。昼間に友人からエロ本の自動販売機があるぜ、と聴いていて部活の帰りにチラッと自転車で通ったのだ。100円玉を入れるときに手が震えて落としてしまったのを覚えている。赤ちゃんの時は化粧もしないし、服も髪型も気にしない。でも大人になると欲が出てくる。

③人間は元々悪である。赤ちゃんは「腹減った」、「眠い」、「オムツ替えろ」と自分の欲望を爆発させている。悪と悪が何も手をつけなければ酷いことになるから、それを調整するために倫理がある。悪人は罰がないと調整できないから法律を作って国家の暴力で罰を与える必要がある。

以上のは、孔子、孟子、韓非子、荀子などの考え方で2000年以上前から出てきた代表的な考え方。今でも結論がついていない。①の考え方は例えば「仏で向かえば仏に逢う。鬼で向かえば鬼に遭う」というものがある。真心を尽くせば相手も心を開いてくれる、という言葉。

さて、①~③か自分の考えを書いてもらい、その論拠を書いてもらいました。

最後に感想or印象に残ったことを

ほぼ6割の人は、こういう考え方をしたことがなかった。普段使っている言葉を見直した、でした。
黙祷については誰もコメントがなく、当たり前、と想ってくれたのか、と推察しました。あるいは、黙祷をする機会がなかった、学校がなかったので、のかもしれません。
講義よろしくお願いします、や楽しみですと書いてくれた人もいました。ご期待に添えるように頑張りたいと思います。そして私の意見を押し付けることを気をつけながら、学生たち自身に考えていってもらえるようになりたいです。

何故なら彼らは21歳、今後の原子力政策を最終的に決定する責任者なのですから。
そのために、まず、言葉の深さやその捉え方を気に掛けてもらいました。


福井では「安全を確認した上で原発を推進する」という知事がぶっちぎりで当選しました。最終責任者の判断である、というのは講義中にいっています。どこで言ったのが忘れたので此処に書きました。
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