講義録22 日本全土を覆う他人任せは、教養がないこと

寒露に近づき、ひやりと寒さを感じる瞬間が増えてきました。それと重ね合わさるように、天空は清々しい青さに満ち、雲はどこまで遠くてもはっきり見えるようになってきています。

 今回も学生の皆さんの高い意識から発せられる、積極的な発言や鋭い質問に触れられて充実した気分になりました。そのまま、大学の図書館に入り、講義録を打ち始めました。

 今回から講義方法を少し変えました。

・宿題で講義録10~15を読み技術的な知識や基本的な問題について予習してきてもらう。
・講義録を読み①最も印象に残ったこと、②もっと説明のほしい所、③感想、を書いてきてもらう。
・講義冒頭は関連する時事問題や要点などの解説をする。
・講義中盤から、②もっと説明のほしい所を中心にして解説や質疑を行う。
・講義中にいくつかの問いを出し、レポート用紙に書いてもらう。
・講義中のレポート用紙と次回の予習を提出し1回分の出席とする。

 特に、②もっと説明のほしい所を講義のメインにしていこう、と少し変えました。履修者が9名と少人数なこと、学生の皆さんが意識が高いことなどが理由です。

 講義中に回覧した本

・『めぐみと私の35年』 横田早紀江 新潮社 2012年8月 1200円(税別)

 講義中に回覧した資料
・毎日新聞「耐震不安の無視-毎日新聞」 平成23年6月9日

・静岡新聞「大学・短大無償化 導入へ政府の姿勢変化」 平成24年10月1日 総合 3面 社説
・静岡新聞「原発再稼動 政府判断へ」 平成24年10月4日 1面
・高木健治郎のブログ「講義録21補足 「情報倫理としての福島健康調査「秘密解」」」


 講義は10時40分からでした。大学の20分くらい前に入り、レポート用紙を受け取った後、総務課に行きました。講義する部屋に10分前に入り、前の時間から連続で受けるので残っていた学生さんと少し話をしました。黒板に静岡県西部、中部の地図を描き、休み時間中でしたが、住んでいる場所に×をつけてもらいました。6名の×が描き込まれました。
 今朝の静岡新聞第1面、浜松原発の新たな防災対策地域が地図になっていますので、どこまで「緊急防護措置区域(UPZ)30キロ圏内」に入るかを黒板で見てもらいました。ちなみにこの地図を今朝の新聞で確認した人はいませんでした。

 10時25分ぐらいに、大学の総務課に入り同じ静岡新聞の1面を見てもらい

「この大学は防災計画、避難計画を策定していますか?」

 と問いました。

「ないです」

 との答えでした。その後、

「ないです、じゃあすまされないんだけどねぇ・・・」

という言葉が2度ほど出てきました。
ちなみに、この大学は「緊急防護保護措置地域(UPZ)」ぎりぎりにあります。「放射性ヨウ素防護地域(PPA)50キロ圏内」には完全に入ります。

この事実を持って大学を非難したい訳ではありません。先ほど黒板に×をつけた学生さん自身は、80%だったか90%だったかの確率で近々発生する地震の時、原発事故が起こった場合どうするか考えているのでしょうか?と問いました。私は、ぎりぎり50キロ圏外ですが偏西風に乗って静岡市は危険な区域になるでしょう。しかし、ぼんやりとしか、どうするかを考えていません。とり合えず、東に逃げよう、ぐらいです。

この「30キロ圏内は危険で防災対策、避難計画をしなければならない」というのは福島原発事故が教えてくれた教訓の1つですし、1年以上前から分かっていたことです。しかし、どこか他人任せ。日本国政府任せ、原発担当任せ、何か問題が起これば、政治家が悪い、官僚が悪い、なにがわるい、あれが悪いと非難して何もしない。この他人任せは、自分で情報を集めて判断しない、決断しない、しても実際の行動を取らない、ということが、現在の日本人に蔓延(まんえん)している1つの証拠だと考えています。静岡県は400万強、その半分210万人が対象になっているのにも、この静岡新聞の記事がスーッと流されていく。スーッと流れていくことに疑問も感じない、というのは教養がない=自分の心の声をスーッと流していく、ということではないでしょうか。
 
 教養とは、自分で情報を集めて自分で考えて、そこに喜びを見出すことです。つまり、他人任せは教養が無いことである、と考えます。静岡県内の大学などの高等教育機関は研究を目的としていますが、軍事や政治などについて他人任せ、がまかり通っているのではないでしょうか。

 その第一歩は、自分自身を見つめることです。自分の心の声を聴くことです。最初に見つめるべきは、自分自身の生と死です。そこで教養の根本として生と死について聴いてみました。

問1 何のために生きているのですか?

問2 何のために生きていくのですか?

 問1は、現在の話です。具体的に言えば、現在、今現在何を考えているか? と言い換えても良いでしょう。
 問2は、未来の話です。あるいは過去からの継続の話です。具体的に言えば、私たちは気がつくと生きていました。生まれていました。親や周りや過去の写真を見るとおぼろげながら自分の出生が分かってきますが、そこに自分の自己判断はありません。その自己判断の無い状態から、どうして自分の生きることを選んできたのか?ということです。講義では話しませんでしたが、自殺を考えたことがある人は1度は触れる問いではないでしょうか。高木はよくこの問題を考えました。

 学生のみなさんの周りを回ると色々なことが書いてありました。もう少しヒントを、ということで問3を先に書きました。

問3 日本人は何のために生きていくと考えてきたでしょうか?

 これは日本人全体が過去から現在まで考えてきたことです。ですから、自分の意思とは少し離れた客観性が出てきます。特に最近老化を感じていますが、その中で自分の欲望が落ちついてきたのが感じられます。そうやって欲望から離れて、大切なものだけを考えられるようになった人も含めての考えです。

 学生の皆さんは、問1に「自分の楽しみのため」と問3に「皆のために」と書いてくれた人が多かったです。何とも嬉しい答えです。それは、私が学生の皆さんにお伝えしよう、とした答えだったからです。もちろん、唯一の正解ではありません。他にもたくさんの正解がある中の1つです。

 私がお伝えしたかったのは、

現実の日常生活(現世)の目的=自分の楽しみ
魂の生活(宗教や哲学)の目的=皆の楽しみ

 という2つを同時に持って欲しい、ということです。現代日本はどうしても自分の楽しみ、だけになってしまいがちです。先ほどから述べてきた、他人任せ、とは結局自分の保身なのです。つまり、自分は損したくない、自分だけは楽しみたい、という気持ちです。それを全て否定することは、逆に生命を削り取ってしまうことになります。同時に、他人のために、という視点も持って欲しい、ということです。もちろん、魂だけの生活は素晴らしいことでしょう。しかし、中々そうなれないものです。それを目的として頑張る、というのが精々ではないでしょうか。

 そうそう、問の中で1つ素晴らしいお話を聞きました。

 電車の中で数人のいまどきの男性(チャラ男)数人が電車のシートに寝転んだり五月蝿くしていたそうです。学生はチャラ男の真横に座っていましたが、その反対側に体格の結構良い男性が座っていたそうです。彼がチャラ男たちに注意したそうです。それでもチャラ男たちは静かにならず、ある駅でゴミなどを残して降りていったそうです。それだけでも顰蹙(ひんしゅく)ですが、体格のよい男性は黙ってそのゴミを拾って電車を降りていったそうです。
 学生いわく「人は外見で判断してはいけない」とは本当なんですね、と。

 私はとっても良い話を聞かせてもらったなぁ~と嬉しくなりました。私なら彼のようにゴミまで拾って降りれるでしょうか。難しい話だと思いました。でも、この話を聞いて、そうなりたいなぁ~と思いました。

 次は、学生の皆さんからの質問です。

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