講義録8-1  「客観的事実の読み方と作り方」



(文意不明、文末の言い回しミス、誤字脱字は沢山あると思います。ご了承下さいませ。また、講義内容に大分加筆しています。)

 さて、講義の内容です。
 まず、準備不足で時間の割り当てが十分ではありませんでした。12枚分の文章を読むのは、通常1時間はいるでしょう。けれども、割り当てた時間は17~22分です。これは「じっくり読む」のではなく「自分の心の声を聞いて読む」という読み方を体験してもらいたいからでしたが、文字を読むのが遅い人(感想に1名ありました)、またじっくり考えながら読む人には十分な時間ではありませんでした。また、グループワークでも指示が徹底していなかった点も感想でもらいました(3名)。そうした準備不足があったことを先に断っておかなければなりません。これから書いていくのは、私の「理想」であることをお断りしておきます。

 まず、学生の皆さんが調べてきてくれた文章を切り抜いたB4で6枚、表裏12枚分のレポートにざっと目を通してもらいました。
 その中で、「自分の心が動いた場所」にアンダーラインを引いてもらい、その心の動きを書いてもらう作業をしてもらいました。後から整理しやすいようにアンダーラインを引いた横に、「○:いい ×:反対、?:疑問」として自分で分かりやすいように印をつけてもらいました。

 12枚全部が終わった人は10名弱、殆どの学生は半分以上読めていました。

 この「自分の心が動いた場所」へのコメントというのは、「ほぉー」とか「いいな!」とか「ほんと?」とか「?(分からない)」とか「酷いなぁ」とか、そういう直感的なことを意味します。
 本を読むのが嫌いな原因、苦手な原因は色々あると思いますが、「みんなの読むようにちゃんと読めていない」とか「読むと難しい」とか「文字が分かりにくい」とかがあると思います。この「自分の心が動いた場所」を探す読み方は、自分の感情を聞く、ということです。自分の心が全く動かなければアンダーラインを引く必要はありません。自分の心と文章だけの世界です。ですから、そこに「良いも悪いもない」のです。もっと言えば、自分の心の中の動きですから他人に見せる必要はありません。どこにアンダーラインを引けばいいか、という高校の国語のような正解もありません。これが最初の作業です。

 次の作業は、「客観的な事実の作り方」です。
 先ほどのアンダーラインを引いた場所を、論理的な文章にしていきます。
問1としてレポート用紙の表に書いてもらいました。

例えば   
    「~は問題だと思いました」
          ほぉー(感情)      →私もこの問題は大切だと思います(論理的な文章)
                         →私はこの問題には気がつきませんでした(論理的な文章)

 という具合です。
この論理的な文章は当然、「他人に見せることを前提」にしています。
と同時に自分の感情を、言葉にまとめる作業でもあるのです。上手く言葉に出来ない箇所もありますし、論理的にする際に、やっぱり違うな、と捨ててしまう箇所も出てきます。

 6枚表裏の文章には事実が書いてあります。:膨大です。
     ↓
 これを自分の感情(直感)で選びます。   :大分少なくなります
     ↓
 これを論理的な文章にします。        :さらに少なくなることもあります。

もっとシンプルに
 事実:膨大
 ↓
 感情に適った事実:少なくなる
 ↓
 感情を文章化した論拠:少ないかさらに少ない

つまり、この流れは、自分の感情で事実を選ぶのですから、最も大切なことですが、


「論理的な文章を作って行くこと=自分の感情を肯定すること」


 なのです。つまり、

「研究とは自分の心の声を聞いて、自分の感情を肯定すること」

 なのです。ですから、学問、あるいは研究とは究極的には自分の心の声を肯定することなのです。ですから、その意味で学問とは楽しいものです。どうしてか、といえば自分を認めてもらえるからです。自分の心を肯定してもらえるからです。私が「お金を持っているから肯定してもらえる」よりも、「権力をもっているからペコペコしてもらえる」よりも、もっと根源的な肯定をしてもらえるのです。
 逆から見れば、幾ら専門家の意見であっても、専門家の感情(直感)で選び出した事実と論拠を元にしている訳ですから、参考程度に聞く方がいい、ということです。

 
 さらに、続けましょう。
この「論理的な文章」にする作業は、7分から10分で打ち切りました。その理由は、6枚表裏の全てに全員が目を通さなくても次に行った理由と同じなのです。それは、専門家と言えど「全ての事実を知らない」からです。論理的な文章や自分の考えは「全ての事実を知らなくてもいい」からです。

 福島原発事故で国民の皆さんがはっきりと判ったのは専門家も日本国の対策していたえらい人々も東京電力も、「知らない範囲があった」ということではないでしょうか。もちろん、「知らないから想定しない」というのは専門家の良心に反しますが、それでも、専門家も判らないことがある、ことははっきりしたと思います。これはどの分野でも同じで、

 「専門家がその分野の全ての事実は知りません」

それでも「専門家は意見を言う」のです。もちろん、それが専門家と一般の人々が言う意見と同じ、という訳ではありません。専門家はその分野の事実を知って行く努力は重ねなければ、と考えられますし、現在どうのようになっているかを公表する義務、特に社会的な義務があると考えられています。一般の日本人が福島原発はどうなっていますか?という質問に答えられなくてもいいですが(もちろん答えられれば素晴らしいですか!)、専門家は「現在ここまでしか判りません」というだけでも言う必要があると社会的には考えられています。ですから、日本国民も専門家の言うことを鵜呑(うの)みにするのはリスクがある行為なのです。リスクが被害になったのが福島原発事故です。

 さて、戻りましょう。
ですから、6枚の全ての事実に目を通さなくても結論が出ます。事実から論理的な文章が出来なくても結論が出るのです。これは最後に出してもらいます。
 
 膨大な事実と感情で選び出した事実 と 論理的な文章には決定的な違いがあります。
それは、「他人の考えが論理的な文章には入りこむ」ということです。例えば「原発は安全です」や「原発は危険です」や「大学に行きなさい」や「就職しなさい」などです。論理的な文章は他人に見せること前提です、ので逆に他人の意見も入ってくるのです。

 ここに私は大きな着目をしました。
本当の学問の楽しさは、自分の感情の肯定なのです。つまり、「感情→論理的な文章」です。
しかし、現実には学問が楽しくない、本が嫌い、と言う人は多いです。その原因は
                                       「感情←論理的な文章」にある、と考えています。

 具体的に行きましょう。
「本当に就職するのかな?(感情)←皆と一緒に就職しないと大変だよ(論理的な文章:他人の意見)」
「どうして物は落ちるんだろう?(感情)←教科書に書いてあるからテストが近いから覚えないと損だ(他人の意見)
「私はこの登場人物は嫌だな(感情)←この人物は善人と読み取れる(他人の意見)」

 本来、私の感情(直感)や疑問から色々なものを探していく楽しさが、逆に色々なものを押しつけられて私の感情や疑問を見ないようにしてしまう。
 だから、勉強や本を読むのが嫌になるのではないか、と考えます。

 (以下補足です)
 今期No.1アニメの呼び声が高い「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」は学校に行かなくなった引きこもりの男子高校生の話です。小さい時の想い出を自分の中で受け止めていく(死んだ女の子が自分にだけ見えるという設定です。その女の子のために動くことで社会性を取り戻していきます)ことで、自分と周りの関係が改善していきます。こうしたアニメは近年非常に多いです。それは私のつたない考えからすると、「感情←他人の意見」という←の方向になっているから、になります。
 また、長休者の原因がうつ病になっているのも同じではないか、と推察しています。日本の高校の勉強では「教科書に書いてあること」を学生に覚えさせてテストで点を取らせることになります。既に社会の中で官僚や一流企業のサラリーマンが成功者と見られていないのにも関わらずです。教育界がいまだに「教科書に書いてあること」を学生に覚えさせてテストで点を取らせることで、官僚や一流企業のサラリーマンに向く人間を作る教育しかしていません。そもそも、自分の感情を肯定して論理的な文章を作ることを教えていないのです。フランスやイギリス、ドイツやアメリカなどでは各国色々なパターンはありますが、日本のように全く行われていないのはありません。私もその教育を受けた世代です。しかし、日本が大東亜戦争に負けるまで日本では、エリート教育の中できっちり行われていました。ですから、現在の日本の教育の際立った点と言ってもいいでしょう。もう、日本は十分に成熟した国になりました。しかし、戦争に負けてエリートを作ってはいけない、というアメリカのGHQの教育方針によって現在のようになりました。これも原発共通する大きな問題です。
 実は教育界にも動きがありましたが、ご存じの通り「ゆとり教育」は崩壊しました。学者の言った意見で実効的な行動案がなかったので、結局教育現場の手抜きにあって挫折しました。現在の教育現場は酷いものです。各教員では熱心な人はいますが、全体として酷いことをやっています。
 期末テストが学期の終わりではなく、1,2週間前に行われます。期末テストが終わると、なぜか「短縮授業」として授業時間が短くなります。その時間、学生は気が抜けてしまいます。どうしてそのようにするか分かりませんが、一説には先生が成績をつけるのが大変とかなんとか、学生のためになっていません。緊張感が失われるようにワザワザ期末テストと学期の終わりが離れています。しかも、その期間にやったものは休みの後の学期の中間テストなどにやるのです。そうすると大体の先生は休み明けに復習をします。効率も悪くなります。さらには、良く解りませんが2学期制になったります。ですから、夏休みの後、何週間か1学期、という変な学期制になっています。これでは学生が夏休みだらけられません。だらけられない、ということは緊張感も持てないということです。私の世代と比べてもひどい有様です。教育委員会や各学校の校長などはどのように考えているのでしょう。何やら福島原発と同じ、お上は責任を取らされなければ、大きな動きに逆らわない、というのを思い出してしまいました。教育の問題に関しては完全に私見です。
 (以上補足です)

 先ほどの問題は、漫画で井上雄彦さんが『リアル』6巻の中で描いています。

 久信くんは、高校生。
 成績は優秀、バスケット部のエース、イケメン(顔のいい男子)で女の子にモテモテ。ある日事故で車いすの生活になってしまう。彼は「・・・生きている価値はあるのかな」18Pと言う。それは他人の意見→自分の感情としてきたからだ。自分の評価を他人の言葉に依存してきたからだ。だから周りの人の親切に耳を貸せない、他人に感謝できない。生きていく方向が見当たらない、自分を肯定できない。今まで自分を肯定してくれていた「成績優秀、エース、イケメン」が吹っ飛んでしまったから。もちろんそうなった背景も描かれているがここでは割愛。書きたいけど。
 その彼が、長い間離れていた父親に家に泊まることになる。父親の車は軽トラ、家はぼろい。収入も何分の一か。それを見て彼は「底辺だ」という。これも世間の意見。父親は世間の意見をぶっちぎって自分の感情に従った人。170Pで父は久信くんに向けて言う

 漫画                                      私
「正解がわるわけじゃない。何かに似せる必要もない」 →「自分の感情に正解はない。悪くても良くても。誰かの感情に似せなくてもいい。感情だから」

「形を整えることが先にあるんじゃなくて・・・」       →「自分と言う存在は、良い学生、良い大人、良い社会人にすることが目的ではない。人間はそのために産まれてきたんじゃない。親の期待に沿うために子供が産まれたわけじゃない」

「思いを まず聞いてあげること ・・・自分の 本当にちゃんと聞こえるまで耳をすますこと」 →「自分の心の声を聞こう」

「そのうち何かを気持ちいいと感じる自分の気が付いたら その思いに従えばいいんだ」 →「自分の心の声に従おう」

久信「・・・? 陶芸家になる気はねせっつうの 意味わかんね」 →「自分の心を聞く大切さを失っている」

父「君自身の声を・・・聞こえないふりをしていると・・・そのうち本当に聞こえなくなってしまう」 →「自分の心の声を聞かないと聞こえなくなるもの」

 井上雄彦さんのスラムダンクを読んで私はバスケットを始めた。もちろん素晴らしい先輩に勧誘されたこともあるし、仲間がいたから続けられた。それでも『バガボンド』よりも『リアル』が最高傑作だと考えている。それはこうした理由からである。私は禅宗の本を読み、井上さんの漫画を読み、行ったり来たりで気が付いてきた。多分、この講義で全てを伝えきれていないだろう。でも、それで良いのだとも思っている。こういう心の問題は、その人の時期が来れば何時か開かれるであろう。もちろん、父の言うように本当に聞こえなくなった人もいる。そうなる人もいるのだ。その人に強要してはいけない。それは宗教行為であって、講義はあくまで教育行為なのである。私の周りにも自分の声の聞こえなくなった人が沢山いる。沢山いるように見えている。
 「私はこんな大きな家に住んでいるんだぞ」
 「私は部長になったぞ、校長になったぞ」
 「私はこんなに皆さんの役に立っているぞ」
ということだけで自分を認めている人。自分の評価を他人の意見に依存している人たちである。同じく
 「私の夫の給料が低いから」
 「私はもう、若くないから。年はとりたくないよね~」
 「俺は世間様に顔向け出来ないんだよね」
ということだけで自分を認めている人。マイナス方向になっただけで自分の評価を他人の意見に依存している人たちである。もちろん他人の評価は大切である。しかし、それだけでは自分の感情を否定することになってしまう。

 具体的に講義で言ったのは、「この大学の偏差値は平均以下」という評価が出ている。でも、それは他人の意見である。皆さんはこの大学はどうですか? この大学にいることを他人の評価に依存していませんか? 私は実は大学時代苦しんだんですけれど。でも、これは逆も同じですね。例えば、レベルの高い大学にいって周りからは「あらすごいわね~」とか「いいわね~」と言われても、自分の感情である「どうも肌に合わない」とか「行きたくないな」というのを否定したら同じです。きちんと、自分の感情と他人の意見を分けられるようになって欲しいのです。

 講義では、文章を読み、自分の心が動いてきた所にアンダーラインを引く。それを論理的な文章にする、という作業を通してやってもらった。

 次は、他人の意見を聞く作業に移る。が長くなるので8-2へと続く。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ