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講義録10-4 『聖書』と『古事記』に見る労働観

 やっと、「『聖書』と『古事記』に見る労働観」にたどり着きました。

 技術者倫理に関係する労働観に絞って、『聖書』と『古事記』を見ていきましょう。

その前に『聖書』について2点述べます。

 1点目は、聖書の呼び名です。
ユダヤ教が、ユダヤ教以外の色々な物語を集めて出来たのが『聖書』です。ユダヤ教徒として死んだイエスを、教祖に仕立てて出来たのがキリスト教です。キリストとは元々王様の意味でしたが、後に神様の言葉を伝える「預言者」の意味になりました。イエスという人は預言者だった、と考えたので、「イエス・キリスト」と言うわけです。ちなみに、ユダヤ教では「預言者モーセ」や「預言者エゼキエル」など多くの預言者がいます。この中の1人、という意識でイエスは死にました。
 次にキリスト教は、ユダヤ教の「神様との契約」は旧(ふる)い、と主張して、『聖書』⇒『旧約聖書』と言い換えました。日本ではキリスト教の影響が強いので、よく『旧約聖書』と言われます。これは日曜日を採用するのと同じですが、元来の意味を無視している、という意味では重い誤りです。そこで新しい聖書をキリスト教は作りました。『新約聖書』と言います。イエスの死後に書かれた文章(その後加筆修正あり?)で、幾つかの文章や手紙から選びました。ただし、どれが正統か?についてはずっと議論を続けました。一応、イエスの死後350年以上たって『新約聖書』がカルタゴ会議決められましたが、入らなかった文章も沢山ありました。そしてキリスト教の中心と古代ローマは、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に移ります。ローマを中心とした西欧は、ヨーロッパの周辺に落ちてしまうのです。そして100年後に西ローマは滅び、600年後の1054年にローマ・カトリックは正統なキリスト教団(オーソドックス)から破門されてしまうのです。これには第4次十字軍の西欧のコンスタンテイノーブルの略奪、破壊などの横暴の原因もあります。その後500年後に正統なキリスト教はロシアに移動します。
 ここで問題なのは、正統なキリスト教団が力を弱めたことです。それゆえ、

 「どの文章が『新約聖書』なのか?」 「どのイエスの言葉が本当のイエスの言葉なのか?」

 がバラバラになってしまったことです。
ですから、『新約聖書』という時、何が正しいのか、を議論し続けなければなりません。それが西欧の中世神学となり、現在の哲学の源流となります。
 対して、日本の神道はこのようなことには陥りません。言葉で書くことに意味を見出すよりも、行動に意味を見出すからです。特に江戸時代に発展し、伊藤仁斎や福沢諭吉に見られます。また、仏教は、面白い解決法を見つけました。

 「どの仏陀の言葉が本当の仏陀の言葉なのか?」 ⇒「全ての言葉である」

 と決めました。ですから、仏陀と全く関わりのなかった日本でも仏教の経典が作られました。「仏陀の精神を私は聞いた」と言うと「それが仏陀の本当の言葉になる」というのです。キリスト教と明らかに違う宗教態度です。日本人が、キリスト教の宗教論争や宗教戦争を嫌うのも、仏教のこうした宗教態度に一因があるのかもしれません。そしてそれも宗教態度ということを認識して欲しいと思います。

 2点目は、聖書の来歴です。
 『聖書』は、ユダヤ教以外の文章=物語も入れた本です。ですから、日本の『古事記』と似ていて、内容が矛盾したり目茶苦茶な個所があり、統一されていない場合もあります。『世界の名著12 聖書』 前田護郎責任編集 中央公論社 43P には、資料J(紀元前900年)、資料E(紀元前800年)、資料D、資料Pなどが挙げられています。これらはユダヤ教成立前の物語が入っている証拠で、ユダヤ教もまた、物語の文章を元にして宗教を立ち上げたのかもしれません。この辺は歴史の闇に覆われていますが、誰かが『聖書』を1人で書きあげたのではないことは確かです。まるで学問、あるいは研究と同じです。現代でも通じることが、文字に残された初期、最初からあったわけです。
 ちなみに、道具の最初は2,3百年万年前の石器にさかのぼりますが、人形は、1万年前以上(約2万2千年)までさかのぼります。「ヴィレンドルフのヴィーナス」は何とも形容しがたい魅力に満ちています。
:http://www.fossilien.de/artikel/repliken/museum/praehistorisch/6057.htm

 このような性質を持つ『聖書』ですが、労働観を見てみましょう。
出典:『創世記 : 旧約聖書』 関根正雄訳 改版 岩波文庫 「」は引用文とします。

 最初に神様は宇宙全体を作ります。
 神様は、ヤハウェ神(:YHWH)と言います。ヘブライ語ではハはアに近いので、ヤーフェ、ヤーヴェなどもあります。また、YHWHのように子音がないので、読み方が正確には判りづらいと、ヘブライ語を習っている時に聴きました。宇宙を作った後に土から人を作りました。そして、「すべての野の獣とすべての空の鳥を造り」、人に名前をつけさせました。その後、「ヤハウェ神は人から取った肋骨(あばらぼね)を一人の女に造り上げ、彼女を人のところに連れてこられた」とあります。つまり、人(男)から女が作られたのです。そしてその後、「妻に結びつき、一つの肉となるのである」といいます。高木には性行為をする理由としてこの文章を読むことが出来ます。多用な解釈があるのは言うまでもありません。また、注意したいのは、

 本来の『聖書』には、もう1つ「男と女が共にあった」という記述があることです。何故か日本語版ではカットされることが多いですが、あります。これは先ほどの「2点目は、聖書の来歴」で述べた所に関係します。矛盾して統一できない箇所なのです。

 さてここから楽園追放、堕罪に進みます。
 神様が、りんごを食べてはいけないとしていました。蛇が食べ、女をそそのかして食べ、そして女が男に食べさせたのです。智慧がついた人は恥ずかしくなって前を隠したそうです。そして神にばれてしまい、それぞれ罰が下されました。

・蛇の罰
「お前は一生の間腹ばいになって歩く」
:つまり、ごめんなさい、ごめんなさいと全ての人に土下座して謝れ、という罰です。

・女の罰
「わたしは君の苦痛と欲求を大いに増し加える。君は子を産む時に苦しまねばならない。そして君は夫を渇望し、しかも彼は君の支配者だ」
:つまり、①感情や欲求が抑えられないくらい大きくなる罰
     ②出産に関わる苦しむという罰
     ③恋愛の話ばかりするようになるという罰
     ④男に支配されるという罰(男が支配しなければならない罰)

・男の罰
「君は額に汗しパンを食(くら)い、ついには土に帰るであろう」
     ⑤労働する罰
     ⑥死ぬ罰

 のような罰を与えられて楽園を追放されてしまいました。この後、追放された男アダムと女エバの間の子供は殺し合いをし、その殺人者の子孫が人間である、と書いてあります。キリスト教が原罪という大きなテーマを持っているのは、新約聖書ではなく、この旧約聖書の部分の物語を信仰しているからなのです。現在でもハリウッドで多くの映画が『聖書』の話を元にしています。お奨めの映画は、女性ならばキアヌ・リーブス主演の「コンスタンティン」、男性ならば「クルーシブル」です。
 ポイントは歴史的事実や自然科学的合理性の対象ではなく、宗教行動を引き起こす「物語」であるという点です。講義録10-2で示したように「物語」は実は私たちの生活の隅々までいきわたっています。例えば、西欧近代西欧民主主義のフランスは、「人権宣言」を行いましたが、女性は入っていませんでした。「女権宣言」という女性にも人権を認めて欲しい、という宣言が出される始末。ナポレオンの法典では結婚した瞬間に夫の所有物となり、人格や性格まで支配下に置かれます。子供の親権や居住選択権などなど題2次世界大戦を大分過ぎた1960年以降になって女性が、男性と法律の上で同等な存在となるのです。西欧民主主義の発症の地フランスは、同時にローマ・カトリックが強い国です。男女差に関しては、物語である『聖書』の方が強いようです。
 対して日本では1000年近く前から、女性に離婚の権利、財産の権利等々を、男性と同様に保持してきました。ただし、法律による規定はなく実際そうであったことが分かっています。例は沢山ありますが、戦国時代に日本に来たイエズス会が以下のような文章を残しています。引用の引用です。
 :『日本人の生活文化』 菅原正子 吉川弘文館 1900円+税 とっても読みやすい本です。37P

「ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。」
「ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。日本では夫が後、妻が前を歩く」
 47P
「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける」

 その他、豊臣秀吉の正妻ねねや淀君などが独自の財産を持っていた例が他の大名や公家でもあった例が挙げられています。女性が好きに家を出て遊べる、というのは現代日本では当たり前ですが、ヨーロッパを始め殆どの国々ではそうではありませんでした。また、現代でもそうした習慣が残っている国は数多くあります。
 物語に目を向けてみましょう。そもそも『古事記』で最初に登場する人間は、天国で機織(はたおり)をしていて女性です。そしてヤハウェ神は神(日本流に言うと男)であるが、日本の最高神は天照大神(アマテラスオオミカミ)は女性です。

 さて、⑤に行きたい。

 キリスト教では明確に「労働は罰(悪)」である。
 対して日本では『古事記』にあるように、「労働は善」である。

 天国から追放されたがゆえに、土に近い仕事は嫌われ差別されてきた。例えば、理論的な自然科学が尊ばれ、実際に役に立つ工学が重要視されてこなかったという歴史がヨーロッパの大学にはある。また、ホワイトカラーとブルーカラーなど、頭を使う人と体を使う人と明確に分けるが、これもその影響であろう。

 アメリカンドリームという言葉がある。これは天国に戻る前に、働く罰から解放されること=夢、という意味である。だから、メジャーリーグの野球選手、NBAのバスケットボール選手は「お金が高い方に移籍することに抵抗を感じない」のである。対して、イチローは高額な金額でも移籍しないでいる。日本のプロ野球でも移籍は比較的少ない。アメリカではお金を稼ぐために他のことを優先しなくても良い、という考え方があり、それが土壌になっているが、その深い部分には、「労働を罰」と観る視点がある。
 マックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』では、ローマ・カトリックに抗議(プロテスト)した人々(カルヴァン派)に、勤労の精神があり、それが資本主義の成功に結びついたと主張している。現在のアメリカでは、成功すればそれが神の御心に適う、という極端な解釈も出てきているが、キリスト教の伝統的な解釈から抜け出したことが、西欧社会の進歩につながった、というのである。宗教行動を根底となる物語の変化が、国家全体を変えて行くという視点は、ウェーバーに影響を受けた。また、講義録10-1で述べた「2)各国がグループとなりバラバラ」の根拠でもある。

 整理すると、

『聖書』の労働観 :労働は罰である。金を稼ぐため、食うために労働しないとならない

『古事記』の労働観 :労働は善である。周りの人に認められるために働く

 この考えの基になったのは、ひろさちや著 『どの宗教が役に立つか』 新潮選書 1000円+税である。104Pから述べられていて、窓際族という例を出している。窓際族とは、出世できなくなって仕事があまり与えられない人々を指す(指した。死語かもしれない)。フランス人は働かないで言いなんて「天国だ」といい、日本人は「地獄だ」といったそうである。現在、ニートが日本では侮蔑の対象になっているが、これも同じであろう。働かないで何もしない=周りの人から認められない、ということである。反対に例えば、無料奉仕活動をしていれば、お金をもらわなくても日本社会では認められる。
 
 日本は江戸時代末期にきたヨーロッパ人が世界で一番清潔な国である、と述べているように、現在でも清潔な国である。海外旅行をした人は、例えヨーロッパ、アメリカでも同じ感想を持つであろう。その清潔さは、自分の家の前を掃除するからである。静岡市の職員である清掃員が掃除をいつもしているから清潔なのではない。パリの清潔さはそういう清潔さだが、日本の清潔さは日本人が家の前を掃除する清潔さ、である。であるから、人が居ない廃屋などは汚く、人が居ると綺麗である。しかし、ゴミを大量に出すのは人なのだから、通常は人が居る周りが汚くなるのだ。この家の前を掃除する行為、お金のためにやっているだろうか?

 高木は日本の底力は、労働は善であり、周りの人に認められるために働く、という『古事記』の物語の力にあると考えている。

 具体的な例を2つ挙げて終わりたい。

①「はたらく」とは「八方楽(はたら)く」である、という説がある。

「働く」とは数少ない日本で出来た漢字である。ということは古来からの大和言葉なのかもしれない。「はたらく」とは「八方楽く」という意味は、「八方=みんな」を楽しくさせるという意味である。
 私は講義をしているが、毎回250枚のレポート用紙を全て見る。15回+宿題5回分+テスト1回分をすると4000枚を超える。お金のため、と考えればもっと簡単にすればいい。しかも、講義中に五月蝿く騒ぐ学生もいる。レポート用紙を適当に書く学生も、休みが多い学生もいる。やってられねーなぁ~と想うこともある。そこで心の支えになっているのが、「八方楽く」である。
 自分が一生懸命やれば手間はかかるが、楽しくなる。
 もしかしたら、250名の内、2,3名は「講義楽しいな」と思ってくれるかもしれない。
 その学生が、友達に話せば「良かったね~」といい気分になってくれるかもしれない。
 その学生の親が聞けば「そりゃー大学行って正解だね」と満足しくれるかもしれない。

 こうやって、一生懸命やることで周りの人を楽しくさせることが「八方楽く」ことだ、と自分を勇気付けるのである。毎年、手を抜けばいいのになぁ~と思いながら、やり始める。

②日本のビジネスの神様と言われる松下幸之助の名言

意訳になりますが、「働くことは、お金をもらえる修行である」と言っています。

修行とは人間の完成のために必要な行為である、という意味です。お金をもらうのはプラスアルファ、という意味も含まれています。人間の完成のためには善が大切なのは言うまでもありません。その善をつむために働くというのです。
『「一日一話」―仕事の知恵・人生の知恵』 松下幸之助 PHP文庫 720円

「仕事というものは、やはり自分でそれに取り組んで、体得していかなければならないものだと思う。しかし自得していくには、そのための場所というか、道場とでもいうものが必要であろう。

ところが幸いなことにその道場はすでに与えられている。すなわち、自分の職場、自分の会社である。あとはその道場で進んで修業しよう、仕事を自得していこうという気になるかどうかということである。しかも会社という道場では、月謝を払うどころか、逆に給料までくれるのだから、こんな具合のよい話はない。このような認識に立てば、仕事に取り組む姿も、謙虚に、しかも力強いものになるはずである。」
   
 大切なのは、この労働=善の考え方が日本社会の中で認められている、尊敬されてきたという点です。この根本には、日本人の労働観があります。そして宗教行動の根本である物語があります。二宮尊徳が尊敬された理由も同じ点です。
 また、高木は、拙論「なぜ、「千と千尋の神隠し」は大ヒットしたか(2)労働からみた「千と千尋の神隠し」」の中で速水融氏の江戸時代の勤勉革命を引用しつつ、富士講(富士山に登る集まり)などの例を挙げて宗教行動の内在化を挙げています。ご参考下さい。

 以上が、『聖書』と『古事記』に見る労働観です。決定的な点は、労働を罰と観るか善と観るかです。もちろん、現在の状況を見る場合、他にも色々な要素が絡み合ってきます。しかし、根本は変らない、と考えます。この点から2つが導き出されます。

 講義録10-1で述べた

 ア) 「1)各国が全部バラバラな基準を持っている :倫理は各国ごと」
     ではなく
    「2)各国が宗教で幾つかのグループとなる基準を持っている :倫理は宗教ごと」

 イ) 古典である『聖書』と『古事記』に見る労働観など私たちの倫理や行動を(無意識に)決めていること

 です。

 以上の説明を書いた後、

 問2 宗教と倫理は関係ありますか?ありませんか? 

 と聞きました。最初に聞いた段階で関係あるが半分以上だったのですが、さらに増加しました。

 次は学生コメント集です。
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