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「義務」の限界 民主主義と日本の伝統

 「義務」は本当に大切だろうか? と思っていたら、
 
 英国病を分かりやすく書いた『欧米からみた日本』 中村勝範著 新有社(絶版)に以下のような興味をひかれる文がある。

 「

 この朝、ロンドンでは、かなりの風が吹いていた。掃除夫(そうじふ)は、ハキダメ(凄く汚いゴミ捨て場)のように汚れたロンドンの歩道を掃いていたが、掃くはしから、いくつかの紙切れやゴミは、いま掃いてきた方にとんでいってしまう。しかし、彼はいったん掃き進んできた地点から、いかに大きい紙が掃き終わった方に吹きとばされても、もどってひろってくるとか、いま一度、帚(ほうき)をもってもどり、掃きなおしてくるなどということは決してしない。一度、帚で表面をなでたところは、義務をはたしたからであるから、そのあとに何が残り、何が吹きもどされようが、まったくかまわぬ、という仕事ぶりである。
 すでに読者にはお分かりの通り、掃除夫は風下から風上へと向かって掃いているのである。彼のなすべきことは街をきれいにすることではなく、あたえられた範囲の歩道に帚をかければそれでよし、としているようである。
 
 …(「まとめたゴミが飛ばされても関係なくまとめていく」などがあるが中略)…

 イギリスの「自由」は、ここまで成熟したのか、と私(中村氏)は30分以上も呆然として眺めつづけた。もとよりイギリスの掃除婦がみな彼と同じであるといおうとするのではない。彼のような掃除夫は多分例外であろう。しかしながら、それが例外であるにせよ、かかる労働が許容され、存在するということが重要である。



 「義務」とは、本当に私たちの生活にとって大切だろうか?

 掃除夫が道路を綺麗にする「責任」を負っている、と考えるのはどうだろうか?

 「義務」としてではなく、「なんとなく」や町内にいる「責任」で家の前を掃く人が日本では実に多い。
 
 この場合、「責任」ではないだろうか。


 もう少し視点を広げて見たい。

 民主主義の中で、「権利」と「義務」はセットで語られる。

 「権利だけ主張する人が増えた。義務を果たさないといけない」

 「日本国憲法にある国民の義務は、①教育、②勤労、③納税であるので、後は自由である」

 うんぬんかんぬん。

 当たり前の思われている「権利と義務」で新しい日本が創っていけるだろうか?

 日本国憲法の修正案が、自民党とたちあがれ日本から出された。「人権」=「人間の権利」と「義務」で語られている。

 まず、最大の欠点の修正をした案として評価したいが、まだまだ、日本の伝統とは遠い感覚がある。

 その1つが、「義務」と「責任」の違いではないだろうか。

 中村先生の『欧米からみた日本』は、読み途中ですが、大変面白いです。ご参考になれば幸いです。


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