講義録5-1 インフォームドコンセントとパターナリズム

 前回は、「公衆の福利」の語彙1つ1つについて述べました。
 「利」→「利益」:経済や効率など
 「福」→「幸福」:幸福や安心など

 今回は「公衆の福利」の具体的な内容について述べて行きたいです。

 まず、問いを考えてもらいました。

 問1 「公衆の福利」はどのようにすれば実践できるでしょうか?

 繰り返しますが、「公衆の福利」は非常に曖昧な概念です。数値化できませんし、統一的説明もできません。他方、だからこそ、新しい事象に対応できる、という利点もあります。その対応は、幾つかの手段が認められています。

 まず、技術者は、技術者自身責任として「6つの安全」を目指さなければなりません。

 連日報道されている関越自動車道のバス事故を具体例とすれば、バス車体の強化や道路のガードレールの見直しなどです。

 次に、技術者の社会責任として、「インフォームドコンセント」があります。

 同じバス事故を具体例とすれば、バス事故の事故原因の情報公開やどのような対策を取っていくか、という説明責任を果たしていく、ということです。

 「インフォームドコンセント」:「情報公開と説明責任を果たした上で、公衆に同意を得ること」

 とされています。
この視点からすると、関越自動車道のバス事故は、インフォームドコンセントを満たしていこうという方向性が感じられます。他方、福島原発事故は、事故原因の情報公開と、事故を安全基準に入れた上で事故対策を取っているという説明責任を果たしていません。事故が起こった後、インフォームドコンセントを満たしているかどうか、を判断基準の1つなのです。

 このインフォームドコンセントは、事故以外でも製造物に見て取れます。
 例えば、ペットボトルの飲料には、品名(名称)、原材料名、内容量、賞味期限、保存方法、販売者などが書いてあります。このように情報公開がされています。ちなみに原材料名について穴があることも知っておいて欲しいのです。添加物の情報公開が必要である、ということです。
 安部 司『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』で述べられています。この本は食品添加物の毒性について述べてあまり述べていませんが、食品表示が「香料」の時、何十種類の食品添加物が入っていても良いこと、が書かれています。この本を否定する人もいますので、そちらも参考にして欲しいです。と、同時に私の実体験を加えさせてもらいます。私は、ラーメンが大好きで、1日3食ラーメンでもOKです。しかし、この本を読み「たんぱく加水分解物」の入っていないラーメンに変えました。それから数年が経っています。
 現在「たんぱく加水分解物」等の食品添加物(厳密には「たんぱく加水分解物」は添加物ではありません)の沢山入っている市販の商品を食べると、舌の上がぬるぬるします。そして便秘や吐き気などをもよおすことが多いです。他方、主に塩酸をタンパク質に掛けて作られる「たんぱく加水分解物」は、安全である、と専門書の中には書いてあります。そもそも危険なものは市販されていません。その根拠を良く見て見ると、毒性の高い物質について安全である、ということなのです。しかし、

 「毒性の確認されていない物質が、人体に影響を与えた可能性」

 については書かれていません。当然ですが専門家は

 「毒性の既に知られている物質の安全性『しか』確認しない」

 のです。しかし、人間の肉体は1回しか与えられません。問題になるのは、

 「毒性の『いまだ』に知られてない物質の安全性の確認」

 なのです。これは「放射性物質の内部被曝」の問題と共通します。ここでの判断は個人個人レベルになります。きちんと専門家が「分かっていること」と「分かっていないこと」を公開すべきである、と述べたのは私の研究しているカール・ポパーという人です。反証可能性として述べています。私は自分の肉体の体感から今度も食品添加物のなるべく少ない食べ物を食べて行こうと考えています。同時に、実はめちゃめちゃ旨いんですよね。ご参考になればと思います。

 戻ります。インフォームドコンセントからすると、数十種類の食品添加物を1つの表示にするのは問題だと考えます。他方、全ての食品添加物の把握は、多すぎるので困難である、と本に書いてありました。書くスペースも沢山になるそうです。それでも必要かどうか、あるいはインターネット上には公開する義務を課すかどうか、などは「公衆の福利」から判断していくべき、というのを学んでもらいたいです。

 さらに、インフォームドコンセントに踏み込みます。そこで大きく判断が分かれます。

教科書:全ての分野でインフォームドコンセントが行われるべきである。(何故なら、倫理絶対主義だからである)
 VS
高木 :ある分野ではパターナリズムで行われるべきである。(何故なら、倫理相対主義だからである)

 私は基本的にはインフォームドコンセントが行われるべきである、と考えていますが、特定のある分野ではパターナリズムで行われるべきである、と考えています。
 私は倫理相対主義を取っていて、経済や効率や文化などなどと倫理は同じに考える立場です。ですから、ある分野ではインフォームドコンセントよりも、経済や効率が優位になることを認めます。その場合は、インフォームドコンセントよりもパターナリズムを取ることが、「公衆の福利」に適う、と考えます。

 パターナリズムは「paternalism」と書きます。「pater」とはパパの意味で一般的に「父権主義」や「家族温情主義」と訳されます。しかし私は、この「pater」はもっと強い意味だと考えています。なぜなら、キリスト教の神様のことを英語では「ファーザー」と言います。また、ローマ・カトリックの説教師のことを「神父」と言い「父」が付きます。そしてファーザーや神父は、私たちの日常生活の善悪、生活習慣の指導から、死後の世界に天国に行けるか地獄になるか、を左右できるのです。つまり、日本の父親(明治時代の大日本帝国憲法下でも家長は家族に対して裁判権を持っていませんでした。実態としてそのようなことはありましたが、全てではなく思い込みがかなりあると思います。余話)よりももっともっと強い存在だと考えるのです。日本人は「死んだ後どうなるか」が不安になるのは死が近づいてからでしょう。 
 しかし、それは無意識のうちに日本人的宗教観に染まっているのです。日本人的宗教観では全員が同じ場所に行きます。今とあまり変わらない世界です。ですから不安にもなりません。さらに、お盆やお彼岸に返ってくるしお正月にも帰ってこれる。だから「死んだ後どうなるか」が不安になりません。世界の7,8割の人は天国に行くかは大きな問題です。それを決定するのがローマ・カトリックでは神父様なのです。

 あるクラスでしか言いませんでしたが、筆者は「日本も欧米もイスラムも同じ倫理である」と思っていますし、そのように論理を組み立てていますし、教員は「日本と欧米とイスラムは同じ場所もあるけれど違う部分もある」という風に組み立てています。これは後の講義で触れます。先ほどのインフォームドコンセントにならって定式化してみましょう。

 「パターナリズム」:「情報公開と説明責任を果たさず、専門家が判断すること」

 「インフォームドコンセント」:「情報公開と説明責任を果たした上で、公衆に同意を得ること」

 となります。
 次に、それでは先ほど私が、「ある分野ではパターナリズムで行われるべきである」という理由を書いていきます。
 具体的に核開発を見て行きましょう。現在、日本の原子力発電所に外国のスパイ(北朝鮮)が作業員などで入りこんでいます。日本国の公安が示唆していますが、こうした作業員を「スパイだから」と捕まえる法律がありません。実際にスパイ行為を働かないと捕まえられないのです。スパイ防止法が先進国の中で唯一ない日本国では、軍事利用される核開発の情報を、インフォームドコンセントで情報公開し説明責任を果たしたら、「公衆の福利」に反する、と考えます。北朝鮮の原子炉と日本のある原子炉が大変似ていましたが、それも核技術の流出を示す1つの傍証です。北朝鮮の核開発とミサイル技術がイランに渡り、イスラエルとの緊張関係を高め、原油が高くなっています。
 「スパイ防止法がない」という社会背景、核技術が軍事利用と切り離せない点がある原子力発電では、インフォームドコンセントを行うことは正しくない、と考えます。

 もう1つ軍事技術の例を挙げます。

 石原東京都知事が、「尖閣諸島を東京都が購入する」というワシントンでの会見が世間の注目を集めました。マスコミがあまり取り上げませんが皆さん寄付を集めているのを御存知でしょうか。約10日間で

 入金は計3億1459万9779円。件数も2万3402件と、2万件を突破した。

そうです(msn産経ニュース「寄付金3億円を突破 8日時点 1日で9千万円増
2012.5.9 14:14」http://sankei.jp.msn.com/region/news/120509/tky12050915010006-n1.htm

 この会見の中で「アメリカの戦闘機のコクピットは日本製である」と述べています。
とするならば、アメリカの戦闘機が世界中の人々を苦しめているのだから、情報公開をすべきである、と考えた場合、公開すべきでしょうか? 私は、アメリカの戦闘機のコクピットの技術を情報公開すれば、軍事費を毎年20%以上膨張させている中華人民共和国、強硬派に転じた(北方領土発言で)プーチン大統領のロシアなどに囲まれた社会背景を考えると、軍事バランスが崩れます。アメリカが在外米軍を縮小させていく現状を考えると、非常に危険です。尖閣諸島はわが領土である、とはっきりと主張する中国は、沖縄も得ようと発言しています。インフォームドコンセントは軍事技術に関して、私は情報公開をせず、同時に専門家の中で決めるべきであると考えます。
 その分野を認めた上で、重大な問題があった場合、全体を継続するかどうかを、公衆(国民)が選挙で選択すべきである、という民主主義の原則を支持します。

 また、軍事技術ではなく民間技術が中国に流出しています。これが日本国の発展を阻害している、とするならば、諸説あります、軍事技術のみならず民間技術もインフォームドコンセントで情報公開すべき、というに疑問をもたざるを得ません。この点は詳細に検討する必要があるでしょう。

 また、インフォームドコンセントは、「公衆の同意を得る」としています。
 私はこの点に、大いに疑問を感じます。というのも、「公衆の同意を得る」というのならば、それは公衆が、つまり私たちがその問題について知識を吸収する、というのを前提としているからです。しかし、多くの国民が原子力発電所の安全性について、果たして詳しい知識を吸収しているでしょうか?
 
 福島原発事故という最大級の国民の関心を集めました。1年を経っても新聞のトップになることもしばしばあります。マスコミの報じ方は偏っています。しかし、多くの人々が、大飯原発所と福島原発所の技術的違いを理解しているでしょうか? 福島原発所と同じ浜岡原発1号機と反対派が最も危惧する4号機(の燃料プール)の違いを理解してるでしょうか? 原子力発電と火力発電の原理的な違いを理解しているでしょうか?
 最大級の国民の関心を集めて、知識は深まったでしょうか?
 
 20世紀は戦争の世紀でしたが、その根本に共産主義(マルクスレーニン主義)と資本主義の対立がありました。そして挫折したのは共産主義です。その挫折の根本を語るエピソードを聞いたことがあります。

 共産主義とは「皆同じ財産を持つ、共有の財産を持つ」という意味です。

 差別や区別をなくしていくために行うのです。そういう理想に燃えたソ連の若者たちが、農村に行き農民たちに知識を伝え勉強をしてもらおうとします。知識の差や能力の差が結果として現れるのを肯定するのが資本主義、ならば知識の差や能力の差をなくそうとしたのです。しかし、農民たちは、何かご褒美をもらえる時は形の上で勉強したり協力しますが、それがないと協力しません。そしてしまいには農民達に煙たがられ、こう言われます。

 「じゃあ、お前さんたちは、金を持って来てくれ。あるいは工場などを持って来てくれ」

 と。原発誘致の大きなプラスとして挙げてくれた理由、地元の利益優先と同じことを言うのです。ここから共産主義の理想は瓦解していきます。次第に「国家は絶対であるから従え」となり「計画経済が始まる」のです。皆財産も権利も義務も平等、という社会は実際には成り立たない、というのが20世紀の大きな学びの1つだと私は考えています。と同時に行きすぎた資本主義も失敗をする、というのが2007年のサブプライムローン以降の学びの1つではないか、とも思っています。

 さて、戻りましょう。
 外国人参政権、TPP、自民党が出した「憲法改正草案」について勉強しましたか? 「たちあがれ日本」も出しています。日本国にあって最も大切な憲法について勉強して知識を得ていますか? ネット上に公開してあります。最低限の勉強をしているでしょうか?

自民党案:http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/116666.html
たちあがれ日本案:http://www.tachiagare.jp/data/pdf/newsrelease_120425.pdf

 私は、インフォームドコンセントの「公衆の同意を得る」という時、知識の習得も含意していると考えます。専門家ではない公衆は、全ての分野について知識の習得し判断(同意、拒否)をする必要が無い、と考えます。再三述べていますが私が最も大切としているのは、「当たり前の日常生活」です。日本国政府や専門家などの究極の目標だと考えています。国民にこうした重たい義務を課していくのは適当ではないと考え、重大な問題が起こった場合、そして専門家で修正できない場合に判断(同意、拒否)すべきであると考えています。
 
 以上の理由で、私は、インフォームドコンセントの有効性を認めつつ、全ての分野でインフォームドコンセントが必要ない、ある分野ではパターナリズムでよい、と考えています。ただし、パターナリズムの分野が行き詰った時、全体を国民の判断に仰ぐ必要がある(もちろん衆愚性にさらされますが)、と考えます。

 次は、インフォームドコンセントとパターナリズムの境にある「アメリカの医療」について述べて行きます。
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