講義録4-1 「公衆の福利」と費用便益分析

 今回は、技術者にとって最も大切にすべき判断基準、「公衆の福利」について考えていきます。

 前回は、「許容可能なリスク」が存在するのが工学的安全。これを前回6つに分けて検討しました。今回は、

 「許容可能なリスク」が受け入れられるのはなぜか?
 「許容可能なリスク」が受け入れられる場合はどういう場合か?

から出発します。「許容可能なリスク」を判断するのが「公衆の福利」という考え方です。「公衆の福利」とは、技術者倫理で取り上げられる概念です。 その前提として、「公衆の福利」に反する費用便益分析から行ってみましょう。具体的には、1972年のフォード・ピント事件を見ていきます。

 まず、「公衆の福利」が大切なのは、技術者学会の倫理規定で行われています。
 
配布プリント1枚目 (表):藤本温(代表) 『技術者倫理の世界 第2版』28,29P を引用します。

 化学工学会 倫理規定 憲章 :http://www.scej.org/content/view/8/9/

1. 会員は、専門家として、職務遂行において公衆の安全、健康および福祉を最優先する。

 日本技術士会技術士倫理要綱 :http://www.engineer.or.jp/  技術士の考え方やJABEEなど参考になる学会です。

技術士は、公衆の安全、健康及び福利の最優先を念頭におき、・・・

 日本原子力学会倫理規定 憲章 :http://wwwsoc.nii.ac.jp/aesj/rinri/committee/kensho.html

2. 会員は、公衆の安全を全てに優先させてその職務を遂行し、自らの行動を通じて社会の信頼を得るよう努力する。


 他にも色々な倫理規定で「最優先の1つ」とされています。高木仁三郎氏はそもそも「「技術とはパブリックなものである」と言っており、だからこそ「技術者は公衆(ザ・パブリック)の安全、健康、福利を最優先する」と言っています。(彼の人は、今はこの意識が技術者の中に無くなってきているとの指摘をしています。)

 以上のように、技術者、あるいはもう少し厳密に定義された「技術士:日本技術士会による」にとって最優先ナ判断基準は、「公衆の福利」であると書いてあります。

 では、「公衆の福利」の正体とは何でしょうか?

 それを考えるのに丁度いい事件があります。フォード・ピント事件で映画『訴訟』の基になりました。 『技術者倫理の世界 第2版』52,53Pを続いて引用します。

 フォードとは会社名で、ピントは車種名です。ですから、フォード・ピント事件とは、日本なら「トヨタ・カローラ事件」とでも呼べる事件です。トヨタの人すいません。判りやすくするために使わせて頂きました。きちんと講義中も声に出して失礼をお詫びしました。

 事件は1970年代です。アメリカの車は大きくて燃費が悪い。そこに日本車が小さくて燃費が良くて小回りがきくということで売れ出しました。これに対抗してアメリカの自動車会社フォードがピントというサブコンパクトカー(2番目の小さな車)を販売しました。この車、急いで作ったために構造的な欠陥がありました。後ろから追突されるとガソリンタンクが壊れて炎上してしまうのです。簡単に言うと「おかまを掘られると燃えちゃうぞ!」です。

 このことを会社が知ってリコールをした場合を試算しました。
 すると、リコールを実施した場合  軽トラックを含む 1250万台
                      1台当たり      11ドル
                      合計        1億3700万ドル

     修理しない場合   死亡者180人、熱重傷者180人、車両炎上2100台
                それぞれ、20万ドル、6万7千ドル、700ドル
                      合計         4953万ドル

 こうした実施した場合の費用を試算することを、「費用便益分析」と言います。
 この結果によると

 リコール実施    リコールしない
 1億3700万ドル > 4953万ドル

 となり、会社がリコールを遅らせた、と裁判になりました。会社は知っていたのにも関わらず、お金の計算をして補償を遅らせたのでした。

 さて、ここで問2 どうしたら再発防止できますか?

本の筆者と教員の考え方、そして裁判の判断で共通なのは、遅らせたのは倫理的に正しくない点。
 
 次に本の筆者と教員の考え方を対比させて提示する。

筆者:倫理絶対主義
   倫理的に正しくないことをお金に優先させたことは良くない ⇒再発防止
   つまり、倫理的な判断が最優先されるべきだ⇒公衆の福利では倫理が最優先
VS
高木:倫理相対主義
   長期的な経営的判断ミス ⇒再発防止
   つまり、倫理的な判断も経営的判断も同レベルで優先されるべきだ⇒公衆の福利には経済的な要素も入る

 筆者の方は世間一般的なイメージに適っています。倫理をとにかく大切だから、最優先するという考え方です。これは日常生活や個人生活においては、高木も同意します。ポイントは、会社まで当てはまるのか? という点です。
 高木は、「会社は利益を追求するために設立する集団」なのだから、「倫理だけを優先するのは自己矛盾を起こす」と考えます。ですから、「会社は利益追求と同時に倫理も考えるべき」という倫理相対主義を採ります。そして倫理絶対主義は最終的に、「逸脱の日常化」や後に述べる「属人的組織風土」の温床になると考えています。

 最近の日本では三菱自動車のリコール隠し事件があった。この後、静岡では販売店が経営不振に陥った。私の顔見知りも非常につらいともらしていたのを聞いたことがある。三菱視自動車全体でも大きなダメージを受けた。だから、長期的なリスクを考えると、安全性を守り、一時的に評価が下がってもリコール隠しはすべきでないのである。そういう経営判断ミスがあると考える。ピントという車種は1000万台を超える大ヒットをしていたのに、その後は不振となった。他の例でいえば、松下電気の石油ファンヒータトラブルが挙げられる。パロマの例とは異なり、松下電器は全力で対応してきた。私も当時一人暮らしをしていて葉書を受け取った想い出がある。CMや新聞広告など全力で取り組んできた。その結果、その1年間だけであるが、株価の時価総額は上がり増収を得たのである。そしてその後、松下電器は社会的信用を得ていくことになる。

石油暖房機のトラブルを呼びかけるHP:http://panasonic.co.jp/ap/info/important/heating/index.htm
パナソニックの業界シェアは2012年度第2位:http://gyokai-search.com/3-kaden.htm

 もう少し具体的な例を挙げてみたい。昨年、卒業生である介護の現場で働く人とご飯を食べた。
その人が言うのには、介護の現場で利用者さん(老人)から介護者(若い男性)が暴行を受けた、という。顔面を殴られ、労災の認定になるケースなのに施設は労災認定しない、と決定したのだという。なぜなら、
 
 「労災認定をすると必ず警察が来て事件になる。そうするとたたかれるから嫌だ」

という理由だそうである。その後、介護者は暴行をした利用者さんと関わる時に大変緊張するし関わりたくない、と気分がよくない、と言っていた。また、介護者全員のやる気もなくなってくる、と教えてくれた。そしてその人は「他の職業に転職してみたい」という話であった。暴行事件だけが原因ではなかったが、1つの原因となったようである。
 こういうことは、自動車製造という技術に関わらず、社会に出れば殆どの組織であるのではないだろうか。

 その時にどう止めてもらうかが、筆者と教員で変わってくる。

筆者:暴行事件はよくないことですし、労災は法律で認められていることです。ですからそれを行わないのは「悪いこと」ですから、止めて下さい。
   (前回のことを加えれば、「だから普段から上司とコミュニケーションを取ろう」になる)

教員:暴行事件や労災認定をしないと、長期的にみんなやる気がなくなります。優秀な人もいなくなります。そうするとこの施設はつぶれます。だから、きちんとした方がいいですよ。

 どちらが良いだろうか? 考えてもらった。

論理的解答の例を

問1 どうしたら再発防止できますか? 
     ↓
結論「だから、~したら、再発防止できます」

~には「筆者の考えなら」を入れてみる。すると

結論「だから、筆者の考えなら、再発防止できます」
論拠「私は、筆者の考えが、「*」と考えます」

「*」は色々悩むが、「人間的」としてみたい。一気に解答まで書く。

事実:人の命を大切にすることは人間的である。 (A=Cを大切にするならば、「再発防止は人間である」が最適)
論拠:私は筆者の考えが人間的であると考えます。
結論:だから、筆者の考えなら再発防止ができます

 ここで「人間的とは何を意味するか?」とか「人の命とはどこまでなのだろうか?」と疑問を抱かないことがポイントである。同様に「筆者の考え方は正しいのだろうか?教員より良いのだろうか?」とは考えないことが大切だ。それは聞かれていないのだ。それと考えだしたら永遠に問題は解けない。何も書けない。今は聞かれたら答えれば良い。今聞かれているのは「どうしたら再発防止できますか?」だけなのである。そして今のステップを経て時間がある時に考えれば良いのである。

 もちろん、「教員の考え」でもすぐに出来る。

事実:人の命を大切にすることは人間的である。
論拠:私は教員(←筆者を置き換え)の考えが人間的であると考えます。
結論:だから、筆者の考えなら再発防止ができます

 どちらでも良いのだ。
今は「教員の考えと筆者の考え方、どちらが適当ですか?」とは聞かれていない。
また、「人の命」の意味が、筆者と教員では違う。筆者は物質的な肉体のことを言っていて、一般的な意味である。対して教員である高木は、現代日本の人間は「安全を優先させて病気でもないのに手術をする出産」や「老いて自分では生きていきえなくなったのに管をつけて生きさせている」ことが含まれている、と考えている。それはコンビニやスーパーで売られる食べ物に色々な添加物が入ることにもつながってくる。現代日本では「人の命」は単に物質的な肉体のことだけを見ることは出来ない、という解釈がある。しかし、この場合は聞かれていないので、ここで留めておく。
 例えば、就職の面接試験では、次に「ではあなたの考える人の命とは何ですか?」と続いていく。事実や論拠に対して質問が投げかけられるのだ。それによって、面接官と受験者の相互コミュニケーションが生まれる。生まれると、きちっと相手の言ったこと=事実や論拠を受け止めているか、や自分の事実や論拠を人に教わったのではなく、自分の頭で考えているか、がはっきりするのである。
 対して、ヲタクと言われる人々、多分高木も、自分の好みだけを言う。それは結論(論拠)でしかなく、会話が続かない。「ツインテールって可愛いから良いよね」で終わりなのだ。「では、あなたのいう可愛いってなんですか?」と聴かれても、「ツインテールです」と結論をもう1度言うだけに終わってしまうのだ。これでは、相互のコミュニケーションにつながっていかない。三段論法の結論だけでは、相互のコミュニケーションは出来ないのである。

 さて、補足がながくなったが、では、筆者と教員の、どちらが適当だろうか?
 
 どちらも適当なのである。

 私は講義の最初に「倫理には沢山の正解が同時に存在する」と述べた。
だから、「どちらも適当」と言えるのである。先ほどの介護施設の話へのコメントもどちらもありえるでしょう。上司の性格やいろんな要素が加味されるでしょうし。そして、フォード・ピント事件で判るのは「公衆の福利」はお金だけ(数字だけ)の計算では表わせないし、

 「どちらも適当なのである」から、「公衆の福利」は曖昧なのである

 という結論になります。

 今回の福島原発事故が起こりました。
 けれども、「原発は公衆の福利に反する」とは明確に言えないのです。曖昧なのです。
 数字を幾ら示しても言えないのです。

 次は、「幸福とは?」です。
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