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講義録2-2「倫理の立ち位置」とチャレンジャー事故

 倫理の立ち位置です。

 倫理は、「倫」=みんな、「理」=ルールや基準、でしたから、社会の中のみんなのルール、という意味です。同じ意味を含む言葉として、法律、気づかい、マナーがあります。これら3つと比較して立ち位置を考えてみましょう。

 問1 マナー、倫理、きづかい、道徳の4つを範囲の狭い順に書きなさい。
(学生さんに黒板に3人くらい書いてもらいました。その後で、同じ考えの人、と挙手してもらいました。)

 例として挙げたのは、私は毎朝電車に乗ってきます。優先席は体の不自由な方などに譲る、というのがマナーです。ただ、成人男性でも顔色が悪いのに気がつけば、席を譲ることもあります。この「気がつく」というのがポイントで、マナーでは譲る必要はありません。しかし、譲ることは、気づかい、です。ですから、マナーに当てはまらず、きづかいに当てはまる例がある。とすると、マナー<気づかい となります。
 こんな風に具体的な例で考えながらその理由を述べていってください。

 たくさんの回答があり、説得力もある説明が多かった。この問題は、いろいろな見方で回答の順番が変わってくる。それでよい。まず、似たような言葉と比較することで自分なりの言葉の定義を明確にしていく作業だからだ。その上で私の考えを。

 1法律 2倫理 3マナー 4気づかい

 法律は「罰あり」、倫理、マナー、気づかいは「罰なし」。
 倫理に「善悪あり」で、マナー、きづかい、に「善悪なし」。法律は「罰=悪」であり。
 マナーは「国ごとで違う」が、気づかいは「人で違う」。

 マナーの例は、スープのすくい方。イギリスのように手前から奥も正解、フランスのように奥から手前も正解と正解が国によって全く正反対になる。そのマナーが出来た上で、きづかい、が出てくる。それは個人個人である。
 
 4月に2つの飲み会があった。私が世代を超えた飲み会に行くとビールやお酒を注ぐのは、特に誰でもなかった。しかし、中学校の時の友人たちと飲むと、焼酎のお茶割を作るのが何と無く女性の役割になっている。大学時代、バスケットボール部に入っていたが、後輩である私は先輩のグラスが空いているとビールを注ぐ、というきづかいをした。そうしたきづかいが出来ないと「使えないやつだなぁ~」と人格否定になった。これは倫理の範疇である。つまり、日本では、全てではないが、きづかい→倫理、となることがよくある。静岡県でコンサルティング会社の社長さんのお話を聞いたら、
 「まず、外部の人間が来た時にしっかり挨拶してくれる会社は大丈夫ですよ。人が育っているということですし、業績もいい。」
 というのを言われた。日本では新人採用の時、「テストの点や大学名よりも人柄」という話をよく聞く。少しだけ就職活動に関わっている。それは気づかいを人柄として見る、ことを意味するし、日本社会のビジネスルールには能力主義よりもコミュニケーションで判断する、という風土があるということである。教えている留学生の何人もが日本に来て驚いたことの1つに、「働いている人とさぼっている人の給料が同じ」であった。一生懸命働いてもバイトで殆ど昇給せず、しても時給で500円も差がつかない、さぼりがちな人と同じ、というのはびっくりするそうである。さらに、さぼりがちな人を中々辞めさせないというのも驚きだそうである。そういえば、あの人は「空気読めないから(気がきかないから)、飲み会に呼ぶのやめようよ」というのもあ同じである。気づかいと倫理を混同するのである。気づかいが出来ない人はまるで悪人の如く排除されてしまことがある。
 この発展として、マナーを法律とする問題もある。今はやりの「セクハラ」、「パワハラ」などは、被害を受けた当人の気持ちで決まるそうである。男性が女性の人格を否定するような行為は許されない。しかし、どこまでが許されるかは各国によるマナーの問題であった。会社の上司などに相談して(ほぼ)処理されてきた問題が、法律という一律の網に入った。しかもその基準が被害者の心だけである。ある大学の教員は、
 「高木くん、私はね、ゼミで女子学生1人の時は、必ずドアを開けることにしているんだよ。だってね、ドアが閉まっていて抑圧的な空間でした、と言われちゃかなわんからね」
 という話を聞いた。どこからセクハラなのか、明確な行為の基準がなく混乱していた初期にはこうした声が聞こえた。これは「マナー」であった男性による女性への関わりが、「法律」に置き換えられたことによる事例の1つである。これも戦後日本の大きな問題を含んでいるのではないか、と考えている。つまり、「弱者の心」が絶対正義で、社会的合意とルールを作らずに、強者を一方的に罰することができる、という問題点である。この形は色々な分野に広がっている。これ以上は述べないが、身の回りを見渡して欲しい。原発の被害者は絶対的正義であろうか?

 (昨年の講義録にある内容が全然できず、次にやるかどうか思案中)

 次にプリントのチャレンジャー事故をみてもらった。藤本温著『技術者倫理の世界』2,3Pを読み上げた。

 ポイントは①技術者が定量データなく「危険」と勧告
      ②「危険」を受けた代表者が反対から、「技術者の帽子を抜いて経営者になりたまえ」と言われ賛成へ

 である。危険と言われた部品を作っていた会社がNASAに受注依存する会社、アメリカ大統領の一般教書演説が近いなどなどの環境も問題視されている。第2版では考え方を羅列してありますが第1版で筆者は個人のコミュニケーション不足を問題にしていました。つまり、技術者と経営者の普段からのコミュニケーションです。

 問2 どうしたら事故は防げましたか?

 ここで2つの立場を提示します。

A)教科書 : コミュニケーション不足 もっと技術者と経営者が話し合ってしっかり考えれば良かった
  VS
B)教員(高木):逸脱の日常化を無くす 法律違反や倫理違反を普段から取り締まる必要があった(つまり今回の事例だけでなく安全は常に対策を取らないといけない)

 逸脱(いつだつ)の日常化は、一般社会でもよくあることです。私はあるファミリーレストランでウェイターのバイトをしていました。3時にバイトが終わりタイムカードを切った後、「上がり作業」というのがありました。ゴミを裏に持っていく、など簡単なものでしたが、それは明らかな法律違反です。労働に対して対価を払うのがバイトの給料なのですから。でも、その法律違反が日常化していました。これを「逸脱の日常化」と言います。昨年の講義録に詳しく書きましたが、レジ打ちのバイトでその日の合計が合わないとバイト代から引かれる、という恐ろしいまでの法律違反がありました。これは経理上でも法律違反になるという意味でさらに罪深い行為ですが、実際に行われているのです。こうした逸脱の日常化は、1999年の東海村臨海事故の主な原因の1つです。そして、日本の会社ではえてして「本音と建前」という言葉で「逸脱の日常化」を受け入れる土壌があります。

 学生の皆さんの答えは、半々くらいでした。次に、

 問3 技術者に倫理的責任はありますか?

A)教科書:コミュニケーション不足に原因があるのならば当然、怠った責任が生じます。「危険」と警告しているので法律的な責任は生じませんが、みんなのルールとして「コミュニケーション不足」を挙げるのなら、当然入ってきます。ただし、技術者個人が良心の呵責(かしゃく)として感じるものは、個人のものであり、倫理的責任ではありません。(ちなみに日本ではこの、個人の良心の呵責を倫理的責任と同一視する土壌があります。例えば、福島原発事故後、すぐに東電の社長はやめろ! なんで雲隠れしているんだ! 退職金をもらうな!悪いと思っていないのか(良心の呵責)?などの考え方です。ちなみにこの結論への導きは高木です)
 VS
B)教員 :責任はありません。逸脱の日常化を見逃した経営者に責任があります。マネジメント、つまり会社を監督し指導する責任があるのは経営者だけです。技術者は権限も対価としての給与も貰っていません。ですから権限も対価もない経営的な責任を負う必要はありません。個人の良心の呵責を感じるかもしれませんが、感じて欲しいですが、それは倫理的責任とは別問題だと考えます。技術者が倫理的責任を問われるのは、「危険」を知りながら「危険であると報告しなかった」時に生じると考えます。

 技術者倫理で最も有名な事例の1つ、チャレンジャー事故はこのように、事故予防と倫理的責任を考えるのに適した例なのです。

 さて、上の事例を如何に考えるにせよ、倫理的責任を考える場合の基準があります。それは「予見可能」かどうか、です。事前に予見可能であれば、見過ごした場合、倫理的責任が出てきます。予見可能ではない場合は出てこないと考えられます。これを製造物の設計を具体的な例として見ていきましょう。

 


 
 
 
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