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【隨筆】論文を提出しました

  
 先月号の「【随筆】八月の会などの雑感」、「私の近況のこと」で「○十月二日に論文の初稿の締め切りがあります。これが中々進まず、苦しいです。」と書きました。十月二日に無事提出できました。
 ミニバスの最後の公式戦が九月三十日に終わり、喉がガラガラ、で体がボロボロの中、力を振り絞って、よたよたしながらでした。ほっと一息、その一息が十日間続きました。そろそろ始動します。初稿の査読(さどく:内容の評価や検査)が終わって、返却されるまで二週間ありますが、先に直しておきたいからです。
 前置きが長くなりましたが、今回は論文の内容をタイトルに則(そく)して簡単に書いておきたいです。先月号などで孫子の話をしましたが、タイトルの「戦略的視点」で使用しました。

タイトル
 タイトルは以下の通りです。

「製造物責任法における「開発危険の抗弁」について―技術者倫理の戦略的視点から―」
“development risks defense” in Product Liability Law From a strategic viewpoint of technician ethics

製造物責任法
「製造物責任法」とは、製造者が普通の法律よりも多くの責任を持ってください、という法律です。
 昭和三十年(西暦千九百五十五年)に「森永ヒ素ミルク事件」が起こりました。死者は百人を超える大事件でした。この事件は約二十年後にやっと最終合意にいたったのです。それは、森永乳業が「どうやってヒ素が入ったのか」を証明しないと賠償しない、と普通の法律の考え方をしたからです。そうなると法律では解決できず、全国の不買運動が起こって社会運動として解決されたのです。私達のような普通の国民が、牛乳の製造方法を勉強するのは大変困難です。さらに、自動車やバイク、などはコンピュータ制御になっていますから、さらに困難になりました。こうした現状を踏まえて、製造者に普通の法律よりも多くの責任を持ってください、という法律ができたのです。平成六年(千九百九十四年)のことです。

「開発危険の抗弁」
 この製造物責任法は、企業(製造業者)にこれまで以上の責任を負わせます。作った物に欠陥があれば、それだけで責任を取らなければなりません。責任を取らない方法は、故意又は過失で欠陥になったのではない、と企業が証明しなければならないのです。例えば、自分で竹馬を造ったとします。これを人に百円で売ります。その竹馬が壊れてケガをさせてしまうこともあるでしょう。百円で売った人は、「わざと(故意)あるいは、知らなくて(過失)」竹馬の欠陥となってしまったことを証明しないといけないのです。

 そうすると問題になってくるのは、竹馬を新しく改良する場合です。竹馬を改良することは、現在の竹馬の欠陥を探すことにもなりますから、製造者が自ら欠陥を知ることになります。欠陥を知った場合、製造者は古い商品をすべて新しい商品に置き換えなければならなくなります。なぜなら、改良する際に欠陥を知るので、先ほどの「知らなくて(過失)」が成り立たなくなるからです。さて、困りました。ここがアメリカやEC各国でもめまして、日本でももめました。
 そこで「竹馬を造った時点で知らなければ製造物責任法で損害賠償をしなくてもよい」と決着しました。これが「開発危険の抗弁」です。つまり、企業はどんどん開発して下さい。その過程で欠陥や危険を知っても責任は問いませんよ、となったのです。もし、「開発危険の抗弁」が認められなければ、企業は新しい製品を作らなくなり、消費者の利益に反することになります。

技術者倫理の戦略的視点
 技術者倫理とは、技術者が守るべき規範です。法律よりも広い範囲を持ち、技術者が消費者を守ろう、社会に貢献しようという動機と私は今回絞り込んで解釈しました。すると、「開発危険の抗弁」は技術者が開発して社会に貢献しよう、という意欲をなくそうとする側面があります。私は「開発危険の抗弁」で意欲をなくそうとする側面と同時に、意欲を促進するような側面も合わせることが、大切である、と主張しました。これを難しくいうと戦略的視点です。
 この戦略的視点は、これまで「ふじの友」で挙げてきた孫子の考えに基づいています。孫子は陰陽同士の結びつきや捉え方に着目しました。「開発危険の抗弁」では、意欲をなくす側面と意欲を促進する側面があります。これが陰と陽だと解釈したのです。その上で陰陽を乗り越える新しい視点(戦略的視点)が必要である、と考えたのです。
 社会と技術はお互いに支えあっています。現代社会では技術がなければ社会が成り立ちません。電気やガスのない社会は現代社会ではないのです。対して、技術も社会が無ければ成り立ちません。社会が支援し利用することで技術が発展していくのです。しかし、現在の技術者倫理では、社会が悪で技術が善という見方があります。逆に社会が善でそれに貢献する技術のみが善であり、後の技術は全ていらない、という見方もあります。私は社会も技術もお互いに支えあっているので、技術者は社会からの意欲をなくす側面と意欲を促進する側面の両者を合わせて高い地点に向かうことが大切である、と論じました。

 以上が論文のあらすじです。何かしら参考になりましたら幸いです。

付記 
 戦略的視点、は面白いと感じています。
例えば、家族の中でどうも馬が合わない人がいるとします。この人を全否定してしまうのは、片方の側面だけを見ていることになってしまい、戦略的視点を持っていないことになります。戦略的視点に立てば、その人の持つプラスの側面が足りないことを気が付かせてくれます。そして、馬が合わない人と距離を取りながらも、手紙や贈り物などのいくつかの手段で交流を切らさない、いざという時だけ頼みごとをする、などを考えさせてくれます。
 逆に馬の合う家族も距離を近づけすぎると、必ず反対の側面、つまりイラついたり、衝突したりする、という側面が出てくることに思いをはせられます。「親しき仲にも礼儀あり」と諺になっています。
 戦略的視点、文字にしてみると様々につながり面白いものです。
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