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【國史】真実の坂本竜馬と歴史の楽しみ方


 「坂本竜馬」が歴史の教科書から消えるかもしれない、というニースが報じられた(平成二十九年十一月十四日朝日新聞)。数百人の研究会に東京大学の先生が入っているので、報じられたのである。これを良い機会と思い直して、真実の坂本竜馬と、歴史の楽しみ方を書いてみたい。

真実の坂本竜馬

 偶然にも、「坂本竜馬」で何か書きたい、とメモをスーツの上着に忍ばせていた。坂本竜馬の言葉を直に本で読んで、ワクワク、ドキドキ、してしまったからである。

○人に対面したならば、どういう方法で殴り殺せるか、と相手をよく見て考えなければならない。もし、殴り殺せる方法が簡単に見つけられるような相手は、知恵がない相手なのである。殺す方法を探すのに苦労する相手は、知恵がある人なのである。そういう知恵のある人は、あったらすぐに、だましてしまって味方にしておくのがいい。

 坂本竜馬の真実の言葉である。高木意訳で続けてみる。

○人を殺す方法を考えて工夫しておかなければならない。包丁で人を指す場合、どうやれば殺せるのか、毒を盛るならば、どういう量で死ぬのか、などなど普段から工夫に工夫を重ねておかなければならない。乞食(こじき、浮浪者、ホームレス)を刀で刺殺し、毒入りの食べ物を与えて、どんなふうに死ぬのかを、二、三人は試しておかなければならない。

 本の著者、海音寺潮五郎氏は、「坂本竜馬もまた(後藤象二郎と共に)乱世向きの人である。今にのこる彼の語録を一読すれば、それは歴然たるものがある。」と書いている。真実の坂本竜馬に驚かず、役に立つ人物である、と述べている。続ける。

○人に薄情にして、義理人情を忘れることを大切にしなければならない。薄情にしながらも、周りの人が褒めてくれ、喜んでくれるように行うことを知恵という。

○涙を流すことは他人に自分の人情を示す手段である。愚かな馬鹿者や女や子供を、コロッとだますのには一番の効き目がある。

○服やお土産、食べ物やお金、貴金属などを人に贈ると、普通の人は親切な人だ、とだまされてしまう。知恵のある人はなかなか、だませないけれども、何度も何度も贈り物をすれば、ついには親切な人だと勘違いしてほだされる(情に引きずられて心や行動の自由が奪われる)。

○自分がしたいと思っていることを人に知られてはいけない。自分の短所も知られてはいけない。これとは反対に、人の知りたいことを知り、相手の短所を知り尽くす人を、優れて賢く、道理を知っている人と言うのである。

○賢く偉い人を見て、かしこまってしまい、尊敬しかできないような時は、こいつは女房と性行為をする時は、どんな声を出して、どんな風に犯すのかということを想像すればいいのである。そうすればちっともこわくなくなるのである。
   以上は『乱世の英雄』 百六から百七頁

 海音寺氏は「姦雄(ずる賢い知恵にあふれた人)的心事歴然である。」と述べて受け止めつつ、「しかし、竜馬は自分自身をよく知っていた。」と評価する。理由は、徳川幕府崩壊後の明治政府に自分の名前を入れなかったからである。後藤象二郎は、新政府で高い位の参議になったが、借金に追われて死んでいる。

 海音寺氏は歴史の楽しみ方を教えてくれる。
それは「歴史が私を、ヒヤリ、とさせる」という楽しみである。人間が持つ理想、空想を歴史的事実で切り刻む、ヒヤリとした感覚である。

理想の坂本竜馬
 
 人は理想、空想を持つものである。でなければ恋ができない。恋愛ができなければ子孫繁栄しない。事実を無視してまで、理想、空想にふける。
 私にとって坂本竜馬は、ヒーローであった。大学に入って司馬遼太郎著『竜馬が行く』を何回か通読して、しまいには、高知県に行った。坂本竜馬が船で大阪に出た、というのでフェリーに乗っていった。フェリーから朝日を見れば、

 「ああ、竜馬さんが見た朝日はこんなであったろうか。」

 と想う程であった。司馬遼太郎氏の書く坂本竜馬は、格好良く、前向きで明るく、日本国に奉仕する理想の男性像そのものであった。妻のお龍(りょう)さんと恋愛結婚をして、日本で初めて新婚旅行に行った似合いの夫婦として描かれていた。私も将来は、日本のために何かをしたい、という想いに駆られるようになったのは、司馬遼太郎氏の描く理想の人物のお陰さまなのである。例えば、私が三十五歳まで結婚しない、と決めたのも司馬遼太郎氏の書く秋山好古大将のお陰さまなのである。
 理想の人物を心のヒーローにして大きな原動力を頂く、というのは歴史の楽しみ方の一つである。

 対して、海音寺氏のように理想の人物ではなく、資料がある部分は必ず資料に基づき、不明な部分はなるべく小さくして書く、という歴史の楽しみ方もある。この楽しみ方は、先ほどの「歴史が私を、ヒヤリ、とさせる」という楽しみ方なのである。そこには自分や祖国にとって都合の悪い事実、見たくもない事実も現れてくる。私にとっての坂本竜馬の真実の言葉は、見たくもなかったかもしれない。けれども、歴史の楽しみとして海音寺氏の文章は読まずにはいられなくなっている。引用先の『乱世の英雄』 「西南戦争遺聞」 二百十から二百十四頁である。

ひえもんとり とは

 江戸時代、処刑した罪人の内臓を陰干しにして、病気の際に少しずつ削って服用する習慣があった。現代日本に住む私には、「熊の胆(くまのい)」のように人間の内臓を干して食べた、と聞くとヒヤリ、とする。さらに、それを競う習慣があったことを聞くとさらにヒヤリとするのである。本文をそのまま引用する。

 『「ひえもんとり」とは、このキモ(内臓)取り競争であった。
 藩政時代(江戸時代の薩摩藩時代)、薩摩では、死罪人がある、藩の若い武士等が刑場のまわりに集まって、竹矢来(たけやらい:竹で作った簡単な柵)にとりついて待機していて、罪人の首が落ちるや、一斉に、矢来を破って突入し、罪人のキモを切り取り、先ず取り得るのを手柄とした。
 殺伐残酷、現代の我々からすると、よくもそんなことが出来たものと疑われるようなことだが、当時の薩摩の武士等には、武士として最も必要な資格である胆勇と敏捷さを鍛錬するに最も適した競技と信ぜられ、これに優勝することは大名誉とされたのだ。
 里見氏(里見弴〔とん〕)の小説(「ひえもんとり」)は、この事実を書いたもので、非情痛烈な味のある、いい作品であったように記憶している。』

 海音寺氏は里見氏の小説を引いている。そこで私は、「そうか、「ひえもんとり」は江戸時代の百五十年以上の前のことか、少し安心。安心。」と思っていると、四行後に、

 「ぼくらの少年時代までは、ぼくの家にもそれがあった。
 ぼくはのまされた記憶がないが、弟や妹はのまされたのを覚えている。」

 と一気に現代に駆け上がってきた。背中がゾクゾクとした。海音寺氏は鹿児島県の生まれで、明治三十四年(西暦千九百一年)に生まれている。であるから、わずか百年前までは少なくとも、日本で人間の内臓が薬として扱われていた、のである。
 残りの三頁で、西南戦争の話を書く。
 西南戦争の際、明治政府側の密偵(スパイ)が捕まるが落ち着き払って処刑されたので、肝太か男(きもふとかおとこ 男らしい腹の座った男)として感心した。彼にあやかりたくて、内臓を取りに行った。海音寺氏のおじさんは、当時少年で道案内をしたが、死骸に近づいて腹の中に手をいれると、

 「ホウ、もう誰か来て取って行ったな。」

 と言い、少年のおじさんは

 「あげんおそろしかったことは、生涯のうちにごわはん(なかったですよ)。」

 と海音寺氏に語ったのである。

 短い文章であるが、私にはとても印象深い。それは坂本竜馬の真実の言葉を聞いた際と同じ印象である。ヒヤリとする歴史の楽しみである。現代の私達が空想する日本を、空想に過ぎないと教えてくれる楽しみである。それは、現代日本の私達が、いかに小さいかを教えてくれ、同時に、これからどのようにでも変わっていけること教えてくれる楽しみでもある。暗記内容を半分にするために、歴史の教科書から坂本竜馬を消す、という志向ではなく、歴史の楽しみを教える志向を教科書に求めたいものである。

 引用書

 海音寺潮五郎著 『乱世の英雄』 文春文庫 二千七年八月 第十二刷
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