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エッセイ「【随筆】哲学とーさんの子育て 弐」  

(「富士論語を楽しむ会」の同人誌に投稿した原稿です。
読みにくい箇所・誤字脱字あると思いますが、目を通して下されば幸いです。以下本文です。)


 先月号に続き、赤裸々な私の子育て体験を書いていきます。現在私は四十一歳、長男四歳、長女二歳、次女零歳九か月です。

神社にお参り

 大きな叫び泣く声が台所に、響き渡ります。
 「おがああああーーーじゃあああーーー」
 「どうしたの?」
 「バターパンがああああいいいいいい」
 「え?」
 「ごはんだべだぐうなぃいいいいいいいい」

 お母さんが朝ごはんを作っています。午前七時過ぎ、息子が起きてきて着替えると、大声が聞こえてきました。パンがある日は、

 「いいよ」

 でパンを食べます。次の日に、

 「おおおあがががああああああああ」
 「どーしたの?! そんなに大声出して」
 「ほっとけーぎぃいぃいいいいいいい」

 今日はホットケーキがいい、と言っています。ホットケーキの材料がない、と言うと、

 「いぁあああだっだだだあああああああ」
 「ごはんたべなあぁああああああああいいい」

 叫びます。
 私が出て行って、

 「ないんだからしょうがないでしょ。じゃあ、今度買ってきてもらおうね」
 「いぁあああああうぇあだだだああ」
 「しょうがない。もう泣かない」
 「あああああああああああ」

 という感じです。これが数日続きました。よく聴いてみると、保育園から帰り私が帰宅するまで、同じような状態になると言うのです。
 私は少し考えました。

 長男はバターパンやパンケーキが好きです。しかし、どうしても朝食べたい訳ではない。そして、長男自身も自分自身の感情を制御できていない、というのが見えてきました。それを上手く躾(しつけ)られていないので、夕方にも大叫びをするようになってしまったのです。
 原因は、朝起きた後の機嫌の悪さです。
 大人も機嫌が悪くなります。ストレスもそうですが、空腹や寝起き、さらには怠惰な感情をそのまま持ち越す時もあります。ただ、大人は機嫌を良くする術を知っています。
 長男は朝起きて、空腹でした。その気分のまま、朝ごはんの手伝いや朝ごはんを食べていたのです。多分、長男は朝ごはんを食べること、が楽しく感じられなかったのでしょう。

 もう一点、考えました。

 それは子供の躾の点です。一回、二回、ならば子供に責任があるかもしれません。しかし、毎朝のように子供が駄々をこね、大声で叫ぶようになってしまったのは、親(私)の責任です。
 習慣になってしまったのは、完全に親である私の責任です。子供を強く叱って責任を子供に押し付けてはならないのです。子供には全く責任はありません。ですから、反省しなければならないのは、長男ではなく私でした。考えていくと、そのことに気が付きました。

 「私が子供を駄々っ子にしてしまった」

 ハッとして瞳が開き、世界が明るくなりました。ならば、どうしたらよいか。

 朝起きて、不機嫌なまま朝ごはんを食べるから駄々っ子になる。
 ならば、朝起きてから朝ごはんを直ぐに食べなければよいのです。
 そこで、徒歩五分の神社にお参りすることにしました。これまでは朝七時過ぎに起きていましたが、六時過ぎに起き、ちょっとダラダラして、六時半過ぎに神社にお参りするようにしました。大雨の日などは家の神棚に手を合わせることでも良いことにして、ボチボチやるようにしました。
 最初、多少は渋りましたが、神社に参拝した後に自動販売機でコーンスープを買う楽しみを見つけたり、神社の横の原っぱで、かけっこをしたり、寒い時は氷を割ったり、鳩を追いかけたり、朝日を浴びる空や山を見たり、と楽しみを見つけました。
 帰宅すると、

 「ああ、朝のいい空気になったねぇ」

 とおかーさんは言います。自分達では気がつかないのだけれど、自然と朝のよい空気を吸って帰ってきたのでしょう。長男はすっかり朝の駄々っ子が治りました。

 プラトンを始め、孔子など数々の偉人は「善い習慣が善い人格をつくる」と言っています。言葉の上では知っていましたが、実際にやってみると、言葉の深さを実感しました。
 朝日が緑に差し込んで輝く神々しさ、空色の下の神社に参拝するのです。美しさに全身が包まれるのです。
 私は夜更かしが好きで、大学時代などは午前三時、四時まで起きていました。現在でも一人暮らしなら、そうした生活を続けていたでしょう。言葉の上では「善い習慣が善い人格をつくる」と知っていながら、善い習慣ではなくなってしまうのです。子育ては親育て、いやいや、自分育てである、と実感しました。

 もし、子供が駄々っ子に変わった時、子供だけを責めていたのなら、私は自分育てが出来なかったでしょう。朝の神社の美しさもしらず、弱い立場の相手に責任を押し付けていた人生だったでしょう。過去の私は周りの人に責任を押し付けていた人間だったのです。反省です。

神社にお参りして願うこと
 「今日もみんなを守ってくださってありがとうございました」

 と長男が言います。特に「こんな風に言いなさい」と、台詞を教えた訳ではないのだけれど、いつの間にか言っていました。時々、言わない時もあります。それで良いのです。
 ただし、参拝の方法はきちんと教えました。お水でお清めする手順、二礼二拍手一礼をする手順です。

 「一礼」 (両手を前に下げ深々と頭を垂れる)
 「二礼」
 「一拍」 パチン
 「二泊」 パチン
 (ふー、と息を吐く 息子の台詞)
 「一礼」

 賽銭は長男、長女に入れてもらいます。財布から選ばずに手に触れた硬貨五枚を長男に渡します。家族五人分です。さらに硬貨二枚を長女に渡して、賽銭箱に入れてもらいます。
 硬貨二枚は、九十五歳のおばあちゃんの分、と周りの人の分です。ちなみに、東京の甥っ子が高校受験が終わるまでの間は、一枚増えて三枚でした。合格したようです。おばあちゃんは唯一生きているおばあちゃんで、長生きして欲しいと願っています。

 社会規範として「長幼の序」があります。まず、お年寄りを大事にすること、目上の人の言うことをよく聴くことが大切とされてきました。親だけでなく祖父母を大事にすることを教えたいと思っています。
 世界中の七割の人が「人は神から産まれる」と考えています。日本人は「人は親から産まれる」と考えています。だから「長幼の序」という考え方がしっくりきます。

 お正月は親の親、ずーっと遡っていくご先祖様が帰ってくる祝日であり、お盆はお墓参りをしてご先祖様を大切にする日です。ご先祖様とは何か、日本人とは何か、を自分で考えられるようになるのは、中学高校からでしょうか。その前に、ご先祖様を大切にする、日本人に誇りを持てる体験を伝えたいです。
 お参りして願うことは、世界平和、家内安全です。同時に、お参りをして子供が社会規範を守れるようになって欲しいのです。

寝る前の約束

 父 「じゃあ、二人ともお休みなさい」
 息子「おやすみー」
 娘 「おやすみぃ」

 ガラガラ・・・(戸のしまる音)

 息子「また、プールいこーねー」
 娘 「また、プールいこーねー」
 父 「はいはい。いこーねー」

 最近の寝る前のやり取りです。
 毎夜毎夜、「プールいこーねー」と攻勢を掛けてきます。冬の寒い時に、公営の温水プールに行きました。一時間もしない内に唇が紫色になって上がったのだけれど、とっても楽しかったのでしょう。それから毎夜毎夜になります。一緒に行かなかった娘まで言うようになりました。
 寝る前の約束とは言っても、約束は約束。
 現在の法律では約束した状況によって、無効になったり無効としてもよい場合もあるそうです。けれども、子育てにおいては、約束は必ず守るべきでしょう。親が約束を守る姿を見せなければ、子供に「約束を守りなさい」とは言い難くなります。正しさを目指すのは親も子供も変わらないのです。
 娘も連れて三人で公営温水プールに行ってみました。すると、かなり楽しかったようで、さらに「プールいこーねー」の嵐になってしまった。
 時々、プールに連れて行っています。

 寝る前、と言えば、息子と娘は二人だけで寝ています。母親が出産前後に助産院で寝泊りをしました。その時に、二人だけで寝れるように躾をしたのです。当時、三歳と一歳。現在の日本では親の育児の大きな負担は、この子供の寝かしつけにあるそうです。
 しかし、考えてみれば百年前は五人の子を出産し、農作業や家事労働を、電気機器なして行っていました。ですから、当時は子供の寝かしつけは出来ませんでした。それゆえ、親の、特に母親の大きな仕事ではなかったようです。ですから、二人にはこう伝えました。

 「いまね、おかーちゃんは、あかちゃんを産むために助産院にいるんだよ。」
 「おかーちゃん、がんばっているから、二人ともがんばって、二人で寝れるかな?」

 息子「うん、がんばる。ねれる」
 娘 「ねーれーるぅー」

 三日言い聞かせると、戸を閉めるだけで寝るようになりました。出産後に母親が帰宅して驚いていましたが、母親は、別室であかちゃんと二人だけで寝るようになりました。
 それでも、私の帰宅が遅い時は母親と一緒に寝ています。また、私に、時々、起きてきては言うことがあります。

 息子「おとーちゃんといっしょに寝たい」
 娘 「おとーちゃんとねたい」
 
 私は約束をする時もあります。

 「おとーちゃん、まだ仕事があるから、終わって歯磨きして、そうしたら行ってあげるね。それまでに寝るように頑張っててね。」

 あるいは、約束に従うよう求める時もあります。

 「さっきおやすみなさい、って言ったよね。ちゃんと約束まもって寝るんだよ。」

 寝る前は一日の終わりであり、子供にとって善い一日になったかどうかを大きく左右する時間でもあります。約束の履行も大切であり、同時に子供の心身の健康も大切でな時間です。

 仕事がなく子供の調子が悪い時などは、

 父 「わかった。じゃあ一緒に寝よう。」
 息子「やったー!! じゃあ真中来て」
 娘 「よこにきてー」

 通常、西側に娘、中央に息子、東側に父ですが、娘と息子の間に入って一緒に寝るのです。特別です。
 他方、夜中に息子や娘が泣き出したり、咳きこんだりした時は、仕事を直ぐに止めて抱っこをして背中を撫でます。約束の履行とは別のことです。怖い夢を見た、と言えば「おとーちゃんがやっつけてやるから大丈夫」と言い、咳き込んでいれば水を飲ませてやります。伝えたいのは、

 「大丈夫だよ、とーちゃんがいるからね」

 です。こんな風に、寝る前の息子と娘の約束を大事にしています。
 アリストテレスは自分の可能性を現実にしていくことを善としました。自分の才能や能力の開花に重きを置いたのです。生物学者の祖であるアリストテレスは植物や動物の成長を見て、思いついたのでしょう。
 現在の子育てでは、子供の才能を伸ばすためには、自由な発想や柔軟な思考が求められがちです。けれども、それは大概、「無責任な積極性」になりがちです。頭に思い浮かんだことを感情の赴くままに言葉にする、それは「自由」ではありません。あるいは、事実をきちんと調べずに思いつきで言うだけのことも増えているようです。それでは、自分の可能性を現実にするのではなく、感情で可能性を殺しているように見えます。

 アリストテレスの倫理学を見ていると、善なるものを積み重ねていくことを説いています。約束を守らなければならない、という善を日々の中で一つ一つ積み上げていくこと、習慣にすることを薦めています。「無責任な積極性」と対極の忍耐や努力や検討を薦めています。子育ては親育て、親も忍耐や努力や検討が必要なのをアリストテレスは教えてくれるのです。

 ただ、起きている間ずっと忍耐、努力では親も子供も疲れてしまいます。だからちょっと手を抜いて、寝る前の習慣を大切にしています。
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