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講義録6-2 「インフォームド・コンセント」の限界と公平さ

 前回は、インフォームド・コンセントの範囲を考えてもらいました。
 範囲ですから、インフォームド・コンセント自体は良い概念としており、どこに通じるか、を考えることです。次に、インフォームド・コンセント自体の限界、あるいは欠点を考えてもらいます。

 具体例としては、医療の世界で最もインフォームド・コンセントが進んでいるアメリカの医療を取り上げます。

 さて、私は、医療の分野はインフォームドコンセントとパターナリズムの丁度せめぎ合っている、つまり境目の分野だと考えています。その理由は、最初にプリントを読みあげた『ルポ 貧困大国アメリカ』の手術費のデータに関係しています。数々のデータでアメリカの医療費は日本の医療費の10倍前後でした。もちろんそうではない分野も無くはないですが、全体として高額なのは否定出来ません。盲腸だけを取り出してみます。

  盲腸の手術代 
日本 6万4200円+入院費=10万弱
NY           =243万円(日本の24倍!!)
ボストン        =169万円(日本の16倍!!)

 どうしてこのように同じ手術で高くなるのか。

原因A)人間が1人1人違うから 
原因B)インフォームドコンセントが世界で一番進んでいるから

 と高木は考えます。医療界では有名な話だそうですが、東大の名誉教授が誤診率を20%(17%前後)と発表して、会場から「えー」という声を受けました。それは

一般の人は「そんなに多いのか?!」の「えー」であり、
医療関係者は「そんなに少ないのか?!」の「えー」であったそうです

 (昨年教え子の留学生に話したら低くて「えー」という人が実際にいました)。日本では医療ミスはない、という前提できましたから、医療ミスで亡くなられても表立ったことはありませんでした。これはパターナリズムです。しかし現在はインフォームドコンセントが進み、医療ミスが報道されるようになってきました。これは私たちの個人からすれば嬉しい傾向です。両親や友人の死への疑念が消えないというマイナスを解消してくれます。
 しかしながら、物事には裏表があります。一方的に良い、ということは無いと私は考えています。だから公平さが大切である、と考えています(筆者のように善だからいい、訳ではありません)。さらにお医者さんになりたてのインターンの人は誤診率が60%~70%くらいだそうです。ということは半分以上は間違うのです。「お腹がちくちく痛いです」と言っても私が言うのと他の人が言うのでは内容が異なってしまうからですし、そもそも人間が1人1人違うからです。ここからチャート式にしてみましょう。

人間は1人1人違う
 ↓
誤った判断は20~70%で無くせない
 ↓
医者は必ずミスをする
 ↓
インフォームドコンセントでミスが分かる
 ↓
ミスで訴えられる
 ↓
訴えられた場合に備えて保険に入る
 ↓
保険代金が掛かる
 ↓
保険代金は患者が払う
 ↓
医療費高騰、特に手術などミスが分かる場合

 人間は製造物のように殆ど同じに造られていません。だからミスが起こるのです。情報公開すればミスが分かるのは当然です。人間の値段は数千万から数億ですから保険に入りますし、その掛け金も莫大です。何故なら名医でも20%の誤診率なのですから。1日5人見れば1人間違えるのですから、掛け金は最低で数百万、上は億を超えると言います。例えば2000万円にしましょう、すると1日10万円の掛け金を患者さんからとらなければならない。1日10人なら1人1万円です。
 インフォームドコンセントを完全に導入することで、保険代金のために1人1万円ぐらい上がってしまうのです。

 『ルポ 貧困大国アメリカ』では「保険会社が病院を支配しているから中流階級を貧困層に落とし、貧困層から医療を受ける権利を奪っている」と批判します。

 高木は「インフォームドコンセントを導入することで保険代金が上がり、それがアメリカの医療を狂わせた」と考えます。

 具体的な例に行きます。
 実際に妹がアメリカに留学していまして、留学生会館で留学生が倒れた場に居合わせた話をしました。周りの皆はその留学生の側に立ってオロオロしている。日本国出身の妹は「どうして救急車を呼ばないの?」と何気なく聞きました。すると周りから「え?!」という反応をもらったそうです。日本では横に座っている人が倒れたら救急車を呼びます。教室でも学生の皆さんに

 「横の人が突然倒れて痙攣(けいれん)しだしたらどうする?」

 と聞きました。

 アメリカでは救急車を呼ぶとまず、

 「社会保険の番号(ソーシャルID)は何番ですか?」

 と聞かれます。

 「患者さんの場所はどこですか? 患者さんはどんな症状ですか?」

 とは聞かれないのです。他には貯金額などを聞かれるケースもあるようです(昨年の留学生たちは良く知っていました)。今、まさに目の前で人が苦しんで死にそうなのに、だから救急車を呼んだのに、「ソーシャルID」や「貯金額」を聞いてくるのです。なぜでしょうか? 
 アメリカ人が人間としての良心や良識がない、からではありません。むしろ良心や良識を発揮するアメリカ人は多いです。しかし、アメリカの医療の現状がそれを阻(はば)みます。
 救急車に乗れば1万円を超えます。医者に問診「どこが痛いですか~?」などを聞かれて3万円、薬が大量に出ますから2~4万円などで、1回乗ると7万円前後かかると言われます。学生のみなさんは、あるいは普通の人は5~7万円、ポンと出せるでしょうか? ちなみにアメリカのバイトの最低賃金は500円、日本では800円くらいです。また、労働ビザがない人が沢山いますが、彼らは300円です。1日8時間、20日働くと、1か月4万8千円の収入です。これでは救急車に乗ることはできません。ですから、「無料で救急車に全員が乗れる」というのは世界の中でも大変恵まれたことなのです。

 さらに、病院を保険会社が独占します。ですから、医者に「何人診なさい」や「何万円分薬を売りなさい」などの「ノルマ」が課されます。看護婦さんも同様ですし、これが出来ない医者は職を失います。日本では医者が失業する、というのは想像しにくいですが、アメリカでは普通にある話だそうです(『ルポ貧困大国アメリカ』をご参照ください)。ですから、患者さんの話をしっかり聞いたり、この人は病状が重いからもう少し丁寧に診たい、というのではなく、この人の病気は金になるかならないか、で診なさい、という圧力が掛かるのです。医者だけではありません。

 公衆にとって問題なのは、高額な医療費が掛かる、公平な医療が行われていないなど、「公衆の福利」に反する結果を生み出していることなのです。「公衆の福利」を実現しようとしてインフォームドコンセントを導入した結果、「公衆の福利」に反する結果を生み出しているのです。もちろん、同じ結果であっても「公衆の福利」に適っているという考え方もあります。

 ちなみに、サプリメントが流行っていますが、アメリカから来ました。それは、医者にかかると高額なお金が掛かるから、それなら薬ではなく健康を保つものを飲もう、としたからです。アメリカの食事は、貧しければ貧しいほど、ハンバーガーやハンバーグやグラタンなどの高カロリーでビタミン、ミネラルの殆どない食事になります。ジャンクフードとは「ジャンク=ゴミ」の「フード=飯」の意味であり、捨てるものを食べさせているのです。だから安く済みます。ビタミンがないのでお腹が一杯でも空腹感があり、肥満になります。

 「貧しい人ほど肥満」

という現状がアメリカ人の現状です。60%以上の人が「太り気味以上」です。こうした現状で、足りないビタミンやミネラルを補給する必要性が出て来ました。ですから、サプリメントが大流行なのです。しかし、日本では日本食、ご飯、味噌汁(ミネラルの宝庫)、魚、お茶、みかんを食べればサプリメントは必要ないのです。アメリカでは1%の人が90%のお金を持っています。残りの99%が10%のお金を分け合っています。ですから、若者は貧乏で新品の服が買えず古着を着ます。それが日本に来ると「古着は格好いい」となります。ちなみに、女性の黒服が格好いい、というのはヨーロッパで強盗や誘拐が多発した時に流行ったものです。それが日本に来ると「モード」などと言って「黒い服はおしゃれ」になるのですから、面白いですね。そしてこのような導入の仕方を日本は昔からやってきています。この点に着目すると中々楽しいです。

 問2 日本ではインフォームドコンセントをさらに進めるべきですか?

 という問いを出しました。インフォームドコンセントを善とするならばさらに進めるべきです。対して、高木は現在の状況で十分だと考えています。以下補足した具体例です。

 私の個人的な体験です。先ほどの高校の物理教師だった時代、あるクラスで昼休みに数名とバスケットを週に1,2回していました。その中でバスケットをさらにしたいという人が出てきて、私の所属するチームは社会人のみのチームだったので他のチームで練習をした人がいました。ストレッチをしておくように、と言ったのですがどうも腰を痛めてしまったのです。彼がある整形外科に2カ月通いましたが一向に良くならず、相談に来ました。そこで私は、セカンドオピニオンという他のお医者さんの意見を聞く制度が出来たことを教えて、カルテやレントゲンをもらって他の医者を受信することを勧めました。彼は高校生でしたから中々出来なかったので「先生一緒にきてよ~」というので一緒にいきました。医院では最初戸惑っていましたが(多分少ないのでしょう。確認していました)、無事頂き他の名医と他の先生の教えてもらった医者にいきました。「先生、1回だけだけど2カ月通ったよりいい感じ。治りそう!」と言っていました。嬉しいことでした。彼はその後普通に歩けるようになりました。これもインフォームドコンセントが進んだ結果です。けれども、現在より先に進める必要があるのか、私には疑いがもたれてならないのです。

 また、解答方法をしめした。論理性=言葉のつながり、ですから、解答は2方法しかありません。他の答え方、例えば「インフォームドコンセントはいいです」とか「日本の医療は素晴らしい」とか「アメリカは酷い国だ」というのは解答として論理的に間違いです。解答方法は

「だから、~なのでインフォームドコンセントを進めるべきです」 か 
「だから、~なのでインフォームドコンセントを進めるべきではない」

 しかありません。「インフォームドコンセントを進めるべきか?」につながらないと論理的ではないのです。答えを教員がしめしました。

     肯定
事実:「医療は人々のためにある」
論拠:「医療のインフォームドコンセントは人々を幸せにすると私は考える」
結論:「だから、人々を幸せにするので、インフォームドコンセントを進めるべきである」

     否定
事実:「医療は人々のためにある」
論拠:「医療のインフォームドコンセントは人々を不幸せにすると私は考える」
結論:「だから、人々を不幸せにするので、インフォームドコンセントを進めるべきである」

 どうでしょうか。
肯定の「幸せ」とは「知る権利が守られる」、「医療の発展」、「安心」などでしょう。
否定の「不幸せ」とは「医療費高騰」、「加入差別」、「質の低下」などでしょう。
 ただし、「幸福とは何か?」は聞かれていませんから、この解答で良いのです。引っかかる人はそこに引っ掛かります。

 さて、講義として最も大切なポイントを示しましょう。

 「肯定も否定も同じ事実から出発している」

 「同じ事実から出発して肯定も否定も出来る」

と言い直しても良いでしょう。つまり、「論理的には同じ事実から肯定も否定も引き出せる」ということです。これが最も大切なポイントです。

 福島原発事故がありました。この事実から「だから、原発は今度も推進すべきだ」も「だから、原発は今度も推進すべきでない」も論理的に成立します。ですから、原発賛成派の人が「どうしてこの事実を見ないんだ!」と原発停止派の人を避難することは論理的ではありません。同時に「こんなに客観的事実があるのだから原発推進なんて信じられない!」というのも論理的ではありません。その段階で留まっている段階と実は、技術的な議論が出来ないのです。そもそも建設的な議論ができません。それは論理的ではなく、感情や政治性やある特定の価値判断があるのに、それ以外を認めないからです。反対からみれば、自分は原発推進(あるいは停止)、という価値判断をしているのに、公平で中立で論理的だ、と言っていることになります。

 そして、肯定的立論も出来、否定的立論も出来た後に、初めて「自分の考えが持てる」のです。
 片方の立場しか認めない、というのは実はある特定の価値判断に支配されているのでしかないのです。そういうのは学問とは言えないのです。

 福島原発事故前は、原発を肯定だけから見ていました。

 「原発は安全」、「原発は地球環境問題に役立つ」、「原発は安い」、「原発は地域のためになる」、「原発がないとエネルギーが足りなくなり」

 しかし、それはあなた自身で考えた「結果」ですか? 
 「誰かの意見をそのまま受け入れただけ」ではないでしょうか?

 同じことが福島原発事故後、にも当てはまります。今は原発を否定だけから見ています。

 「原発は危険」、「もう1度福島原発事故を起こしたらどうするんだ」、「原発は最終処分も入れると高い」、「原発は地域のためにならない」、「原発がなくても関西電力以外は殆ど足りている」

 しかし、それはあなた自身で考えた「結果」ですか? 
 「誰かの意見をそのまま受け入れただけ」ではないでしょうか?

 
 この講義で最も大切にするのは「公平さ」です。
 「公平さ」とは、肯定的立論も否定的立論も立てた上で判断する、ということです。

 ですから、宿題で「原発の良い所」を探してきてもらいました。「東電は悪だ!」という偏った報道にも共通点を感じています。

 もう少し視点を広げ、人生で考えてみましょう。

 皆さんが、自分の人生を生きていく時に、自分の足で立って判断する時にきっと役に立つと私は考えています。

・好きな人と結婚する時に、良いことばかりで判断して良いのですか?

・会社に就職することは、本当に良いことなのですか? それは「誰かの意見をそのまま受け入れただけ」ではないですか?

・大学に進学して本当に良かったですか? 振り返ってみると良いことだけ、でもなく、悪いことだけでもないのではないですか?

・あなたの友人は、素晴らしい点があるから、自分にとって有益だから、友達なのですか?


 自分の心の声を聞くために、肯定と否定の両方を見ていってほしいと思っています。

 最後に、金言を1つ

 「友人になるコツは、弱点を許し受け入れることです」


 次は、学生コメント集です。
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