【随筆】国会図書館へ旅行、一泊二日

 「まだ、でないの? 早くでればいいのに」

 とかみさんに居間で声を掛けられました。

 「そう? ま、やることは決まっているし、時間の余裕もあるし。」
 「だって、東京だよ。美味しいもの、食べてくればいいよ。色んな処を見たくなるでしょ?」
 「べつにそうでもないよ。うーん、東京って大体分かるし、だいたい、こんな格好でいくんだよ。」

 (黒の安い半そでTシャツ、はげ落ちたぼろぼろの半ズボン、黒のサンダル。どれも三年以上使っています。)

 「えーーそんな格好でいくの? やめなよ~。」
 「まー本を読むだけだから。東京はあまり人の服装見てないよ、実際は。」

 という会話を平成二十九年八月二十四日(水曜日)午前十時過ぎにしました。かみさんはニ、三か月に一度、東京に行くので、私よりもよっぽど東京に行っているのですが、やはり東京はきらびやかな処なのでしょう。東京はオシャレをしていく処、という感覚なのです。わくわくして「東京に行ってくるね~」と言います。
 私は幼少期に住んでいたからでしょうか、きらびやかな処、という感覚はありません。むしろ人がわんさか、ワタあめのようにあふれかえっている処、という風に感じています。ふわふわしているように見えていつの間にかベタベタしてくる居心地の悪い空間です。今回の泊まった場所の銀座を少し歩くと吐き気がしてきたくらいです。

 「そういえば、一人旅って初めてじゃない? 結婚してから。」
 「あー前に、富士市に泊まって大瀬崎に行ったことがあったよ。」
 「そうだったっけね・・・。」

 というかみさんの会話が響いたのでしょうか、自宅を出て自転車をこぎだすと、不思議なことに「エッセイ」のアイディアが出てきました。普段は出てこない「エッセイ」のアイディアが、ぽーん、と出てきたのは、私の無意識の部分が旅モードになっている現れでしょう。時間に余裕もあるし、と静岡駅南口近辺のネットカフェで「エッセイ」を書き留めて、新幹線に乗り込みました。

 東京駅に着き、「国会議事堂前駅」を降りて国会議事堂の正門前を歩き、国会図書館に逃げ込みました。暑い、暑い。警察官が長袖で警邏(けいら)している姿に、敬服の念を禁じえませんでした。五分やそこいら歩いただけでへばっている私は到底できないと思うと同時に、こうした方々が日本国の安全を支えて下さっていると敬服したのです。
 国会図書館は検索がパソコンで出来るようになりましたし、館内も明るくなりました。ですから、スムーズに資料の検索ができました。今日は①『「北条政子の資料」を実際に見てみて参考になるかどうかを判断すること』、『②藤枝木鶏クラブのある方からのご依頼を調べる。主に静岡県の石碑』でした。それぞれ一定の成果が上がりました。それにしても国会図書館が利用者カードを導入してから、利用は簡単になりました。この日は、利用席の七割程度が埋まる感じの込み具合でした。学生時代に来た時は、暗く、使いにくく、コピーも取りにくかったですが、明るく、カードで使いやすく、コピーはすべて職員の方がとって下さるようになりました。学生を連れて旅行に来たいなぁ、 と思いました。
 貸し出しカウンターの上に「真理がわれらを自由にする」と彫ってあります。学生時代は、「真理とは何かが判っているのだろうか?」と疑問を挟んだものですが、現在の私は「自由とは民主主義の根幹であり、その根幹がこの国会図書館である」と誇りを感じるようになりました。人は誇りによって自らの人生を支えうる者だと実感してきています。

 途中、休憩と体操、駐車スペース確認のために一旦、外にでました。石垣に座りますと、耳に覆いかぶさるような蝉の「ミーン!!ミーン!!」という音の中、暑気がみなぎる空気の先に、夕暮れ時でも強い日差しを受けた国会議事堂が、ありました。インドのタージマハルのような幻想的な国会議事堂でした。真夏の日差しの中、汗をかきながら見る国会議事堂とは、まったく印象が異なりました。それは国会図書館の資料で感動をしたからかもしれません。
 東京は旅行先ではありませんでしたが、国会図書館の中の知識の海は、私のワクワクする旅行先となりました。

 夢見心地な心が、ギョッとする時がやってきました。座りっぱなしだったので、銀座一丁目から七丁目まで約一キロを歩くことにしたのですが、人が多くて困りました。買い物をしようというギラギラした顔、値踏みしてくるような視線などに酔ってしまったのです。夕暮れ時だったのもあり、東西南北が判らなくなったので交番で聴きました。すぐ裏に宿泊先のカプセルホテルがありました。
 少し足をマッサージして横になり、酔いをさましました。安岡正篤先生の『いかに人物を練るか』を読み、心を整えました。腹が減ってきたので夕食をしようと、午後七時に外に出ました。

 この文章を書いているのは、「メディアカフェ ポパイ GG新橋店」というお店です。いわゆるインターネットカフェです。漫画が自由に読めて、インターネットができ、最近は簡易の宿泊所としても利用されています。ですから、店内は薄暗く、所せまし漫画や雑誌にあふれています。ドリンクも飲み放題です。私がこのお店に入って受付を済ませて、七階に上がりました。私の一室はリクライニングソファーが置いてあり、部屋の上部は空いているのです。部屋に入ろうと廊下を曲がると、アダルトビデオのDVDの棚が現れたのです。何十本もあり、派手な表紙にギョッとしました。その向かいには、男性用のアダルト雑誌も二、三十種類もありました。私がこれまで入ったネットカフェでも、アダルトビデオが見放題でした。しかし、私が起動してなければ、目に入ってこないものでいた。ですから、ネットカフェでアダルトモノは見てこなかったのです。
 けれども、ここでは、ドーン!!と不意に出てきました。ギョッとしましたが、私も大人なので声も出さずに平然と前に進みました。すると若い女性とすれ違ったのです。別の意味でギョッとしました。さらに、飲み物を取りに下の階に降りる時も別の女性とすれ違いました。ネットカフェといえば、男性中心の場所でした。もちろん、最近はカップル席などができて、男女ひと組でなら、女性も入ってくるという印象だったのですが、どうやら女性は一人で入れる場所になってきているようです。なんだか落ち着かない気分になりました。
 今、天井を見上げれば、薄暗く、そして天井はすすけており、穴倉のような場所です。お世辞にもお洒落な場所とは言えません。けれども、この監獄のような場所が、オシャレに満たされている東京で、唯一私がホッとできる場所だったのです。
 無料のオニオンスープを一口飲みました。私のように、ワタあめのようにあふれかえっている処から少し休みたい、という女性が増えているのでしょうか。こんな風に感傷に身を置いて考えられる時間をゆっくり持てるのは、旅先ならではのことです。時計を見ると午後九時。普段なら、かみさんと協力して子供三人の歯磨きをして、寝かせている頃です。心の中で「ありがとう」とつぶやきました。

 さて、そろそろこのお店を出て、銀座のカプセルホテルに戻ることにします。リラックスと上質さをカプセルホテルに取り入れた新しいカプセルホテルで女性専用フロアもあります。安岡正篤先生の著書を読みながら寝ることにします。明日も国会図書館という旅先に行ける幸せを噛みしめて眠ります。

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【随筆】安岡先生の清々しい御心 

 初秋の穏やかな風で、ゆらゆらとしている草を見ていました。急な風のように光が射してきて、思わず目を細めました。

 「ジーーーー・・・」

 とコーヒーメーカーが蝉のように鳴りました。学校の教職員室から窓を見ています。

 「・・・ーージ、ジ」

 とコーヒーが入れ終わりました。漆の器はちょうどの熱さで、口に入れると、もう少し熱かったです。

 「・・あああ」

 おいしい。

 鮮やかな緑色の草が、ゆらゆらとしていました。

 授業の合間に、ホッと一息。一週間で、授業の合間があるのが、木曜日の四時間目だけなので、さらに、ホッとしました。普段は、授業が終わると次の授業がつぎつぎとせまってくるように感じています。こちらも、「やってやるぞ~!!」とエネルギーを全身から出しています。

 コーヒーを飲みながら、本をちらり、と開きました。

 今読んでいるのは、安岡正篤(まさひろ)先生の『いかに人物を練るか』です。安岡先生は『仮名論語』の著者伊與田覺先生の先生です。藤田先生から安岡先生の御本のお話をお伺いしましたが、見当たりませんで、それなら、と最新刊を購入したご縁です。今年(平成二十九年)五月発売、八月末に手に読みだしました。ページに折り目をつけ、書き込み、思い出しては何度か読み返しをしています。

 ふと、思い出して探し出したのは、安岡先生が古人の文章を目にできる感動した、という一文です。折り目だけを探しましたが、見当たりません。全文をざっと読み返そう、と本をちらり、と開きました。

 (二十分後)

 発見。

 『永遠の相において観れば、たとえば星夜の天を仰いでみずから、副島蒼海(そえじまそうかい)伯の歌の如く、

 「あやにあやに畏(かしこ)くもあるか、
 天地(あめつち)のみいづの中に立ちたるわれは」

 [高木意訳:何とも、何とも、畏れおおいことでしょうか。荘厳な天地の中に私が私自身を見いだせて、立っていられるのは。みいづ(見出づ):見つける。発見する。]

 という尊厳な感に打たれるであろう。相共(あいとも)に桑門[そうもん:僧侶のこと]に入れば、

 「つまはしばらく賓主[ひんしゅ:賓は問いを発する人のこと、主は問いに答える人のこと]なりとも、のちにはながく仏祖となるべし。」

 [高木意訳:少しの間は、仏門で問答を繰り返すでしょうが、少し経てば天地と一体である仏となることでしょう。]

 という敬重(けいちょう)の情が湧くであろう。
 私などが静かな夜、経書を繙(ひもと)いたり、古人の語録に対すると、時々茫々(ぼうぼう〔:広大ではるかなさま〕)たる宇宙の不可思議な生を享(う)けて、幸いにも文字を知ることができて、古教に接することができる。実に難値難遇(なんちなんぐう)の縁であるというような想いが迫って、粛然(しゅくぜん)として襟(えり)を正すことがある。』

 以上が引用です。( )は御本、[ ]は高木の注です。御本の百二十五から百二十六頁にありました。章の題は「入道の心得とは」で、僧侶になるために大切なことを意味しています。前後の文には永平寺などの実際の入道の規則が挙げられています。補足しますと、副島蒼海とは、副島種臣の号です。彼は文政十一年から明治三十八年、西暦千八二十八年から千九百五年で、勲一等、外務大臣や内務大臣を歴任しました。

 私は安岡先生の清らかな心に惹(ひ)かれました。深夜に本を読んでいて、文字を知り、本を読めることに感動されるのです。星が輝く夜空はどこまで続くかわからないほど広大で、密度のうすい世界です。その中で生温かい肉体を持ち、そして肉体が滅んでしまった昔の人の気持ちが文字を通して知れる、という事実に、心がシャキッとされているのです。安岡先生は、この時、御自身の右腕を左の手で握りながら、生温かい肉体を感じられた、と私は想像しました。握った手には、密度のうすい広大な星空には決してない、生温かさが感じられたことでしょう。
 さらに、死体になって冷たくなっている故人の生温かな感情が、文字を通して、胸を温かくしてくれるのです。わたくしも、安岡先生の胸に去来(きょらい)するものを想う時、揺さぶられました。

 文字を通して故人の魂に触れて心温かくなる奇跡を、「難値難遇の縁」と書かれています。「難値難遇」とは仏教で、めったにない幸運に出逢うことを意味しています。仏にお逢いする幸運は、三千年に一度だけ咲く木を優曇(うどん)と言い、その花が咲く優曇華(うどんげ)にたとえられています(『大般若経』)。また、『法華経』では、百年に一度だけ海の上に頭を出す一つ目の亀が、風にただよう木に一つだけ空いた穴に頭が、たまたま、はまってしまう幸運(?)にたとえられています。
 安岡先生の学識の高さに驚くと共に、清々しい風に全身をつつみこまれるような心が伝わってきます。
 私も、安岡先生への崇敬の念を忘れずに、茫茫とした宇宙の中で生き、そして死んでいきたいと思いました。

 さて、そろそろ次の授業開始を告げるチャイムがなりそうです。


引用書: 安岡正篤著 『いかに人物を練るか』 致知出版 平成二十九年五月二十五日第一刷

【學問】仁は遠いのだろうか 新しい訳の試み

 孔子の目指した「仁(人を思いやる心)」はどうすれば近くなるのか? 

 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」 
 伊與田覺先生訳文 『仮名論語』 九十二頁

 「子曰わく、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。」

 私淑する伊與田先生の訳文に挑戦しようというのが今回の試みです。

 そもそも、孔子が最終目標としたのは「仁」です。その「仁」が先ほどの一文で「直ちに実現される」とされています。力強く、明るく希望に満ちた一文です。それゆえ、この一文はたびたび取り上げられてきました。『仮名論語』でこの一文を見つけると、安岡定子著『親子で楽しむ こども論語塾』に出てきたので、子供と共に大声で読んだ記憶が蘇(よみがえ)りました。
 同時に、ささやかな疑問も浮かんできました。前文と後文のつながりがあるのではないか、という疑問です。この一文を読み前の数行を音読したからでした。この疑問を足がかりにして、挑戦していきます。

『論語』と現代の文章の二つの違い

 『仮名論語』を読み始めて、気がついたことがあります。現代の私達が書く文章の当たり前が通じない、という点です。具体例としては過去や未来などの時制がないことが挙げられます。もう一つが今回の足場です。

 「前の文章と後ろの文章の意味がつながっているのか判らない。」

 という点です。「もしかしたらつながっているかも・・・」とジワジワと効いてくる気づきでした。
 不思議なのは、「前の文と後ろの文の意味のつながっているのか判らない」『論語』なのに、「二千年を超える名著である」という評価が下されているのです。意地悪く逆から見れば、読者に全体の意味を判らせない、不明確にしておいて、一文一文の名文を詰め込む本が後世に残る、と見られます。

「前文と後文の意味がつながらない」という前提への疑問
 このような「前文と後文の文章の意味がつながっているのか判らない」場合に、取るべき態度が二つあります。

①前文と後文は意味がつながらないとする態度

 「ふじの友」で『論語』の解釈として、集注(朱子)と集解(何晏:かあん)を掲載して下さっていますが、両方とも前文と後文のつながらないという態度で訳され、解説が書かれています。該当の六つの文章を現代の解説書で読んでみました。加地伸行著(角川文庫)、藤堂明保著(学習研究社)、吉田賢抗著(明治学院)でも同じ態度が貫かれていました。

②前文と後文は意味がつながる場合があるとする態度

 『論語』は孔子の約四十歳も若い弟子曾子(そうし)の、弟子達によって書かれた、とされています。それゆえ、文章が寄せ集めである、とされています。しかしながら、私は口で伝えられてきた内容を書き記したのであるから、寄せ集めの文章の中にも、幾つかのまとまりがあって、意味が前文と後文で通じる箇所があると推察しました。今回の「仁遠からんや。」の箇所は特に強く感じました。

意味のまとまった箇所―述而第七 第二十四章から第二十九章―
 強く感じた「仁遠からんや。」の箇所を学問で考えてみました。すると、学術上の根拠が見えてきました。一つに「四つ」と数字を挙げている点です。「四つ」という数字が前後のつながりを示し、意味のまとまりを示している、と考えられるのです。
 さらに加えます。まず、数字そのものは『論語』に出てきます。しかし、「三人行えば、(述而第七第二十一章)」のように一文内で完結する数字の使い方です。さらに、「三」が全てを表す、など意味上から、前後文のまとまりと考えにくい数字の使用方法が多くあります。この場合の「四つ」は、一文内での完結する数字の使用法、「三つ」のように全体を表す数字の使用法のどちらにも当てはまりません。
 述而第七の第二十四章「子、四つを以て教う。」に続き「文、行、忠、信。」と同章が終わります。私はこの「四つ」に、続く第二十五章から第二十八章の文意が対応する、と考えました。そしてその「四つ」のまとめが、「仁遠からんや。」の一文だと解釈したのです。
 つまり、「文」が第二十五章に、「行」が第二十六章に、「忠」が第二十七章に、「信」が第二十八章に対応しているということです。そして最後の二十九章は、二十四章から二十八章までのまとめ、と閃(ひらめ)いたのです。富士駅に向かう夕暮れの電車内でした。

 以上を検証するために、まず『仮名論語』から書き下し文と伊與田覺先生訳を挙げます。

 「子、四を以(もっ)て教(おし)う。文、行、忠、信。」
 「子曰(のたま)わく、聖人は吾(われ)得て之を見ず。君子者(しゃ)を見るを得(え)ば、是れ可なり。子曰わく、善人は吾得て之を見ず。恒有(つねあ)る者を見るを得ば、是れ可なり。亡くして有りと爲(な)し、虚(むな)しくして盈(み)てりと爲し、約(まず)しくして泰(ゆた)かなりと爲す。難(かた)いかな、恒有ること。」
 「子、釣(つり)して網(こう)せず。弋(よく)して宿(しゅく)を射ず。」
 「子曰わく、蓋(けだ)し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて、其の善き者を擇(えら)びて是に從(したが)い、多く見て之を識(しる)すは、知るの次なり。」
 「互郷(ごきょう)、與(とも)に言い難し。童子(どうし)見(まみ)ゆ。門人惑(まど)う。子曰わく、其の進むに與(くみ)するなり。其の退くには與せざるなり。唯何(ただなん)ぞ甚(はなはだ)しきや。人、己を潔(いさぎよ)くして以て進まば、其の潔きに與せん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。」
 「子曰わく、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。」

 伊與田覺先生訳文 『仮名論語』
○先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍(てんせき)の研究、実践、誠実、信義がそれであった。

○先師が言われた。
 「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい。」
 又言われた。
 「善人を見ることができなくても、平常と変わらず努力する者を見ることができればよろしい。無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変わらないのは甚だむずかしいことだねえ。」

○先師は、魚釣りをしても、はえなわ(※高木)は使われなかった。鳥をいぐるみ(※高木)で射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。
※(はえなわ=延縄:一本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄 と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけたもの。)
※(いぐるみ=「射(い)包(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

○先師が言われた。
 「充分知らないのに自分の意見として書物を作る者もあろうが、私はそういうことはしない。
 多くを聞き、よいものを選んでそれに従い、多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ。」

○(※高木:善くないことを行う)互郷(ごきょう:地名)の村の人とは共に話すことさけるのに、その村の子が、先師にお目にかかって入門を許された。門人たちは、先師の真意を疑った。
 先師は言われた。
 「私は進んで教を受けようとする純真な心に組みするのだが退く者は相手にしない。お前たちはどうしてそんなにひどくいうのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さにくみしよう。然(しか)し先のことはわからないよ。」

○先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」

第二十五章と「文」
 それでは、第二十五章を「文」として解釈していきます。

○先師が言われた。
 「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい。」
 又言われた。
 「善人を見ることができなくても、平常と変わらず努力する者を見ることができればよろしい。無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変わらないのは甚だむずかしいことだねえ。」

 第二十五章の訳です。伊與田先生は、「文」を典籍の研究とされています。藤堂先生は「文芸」、吉田先生は「古典の講義」、加地先生は「学問(具体的には詩・書などの古典研究や礼楽の訓練)」とされています。
 私は、「文」を「古典に見る理想の人物に近づこうとする心」とします。理由は、同じ「述而第七 第一章と第十九章」です。伊與田先生訳文を引用します。

 第一章
○先師が言われた。
 「私は古聖の道を伝えるだけで、自らの新説は立てず、疑うことなく古聖の教えを好む。そうしてひそかに、私が尊敬する老彭(ろうほう:殷の賢大夫)になぞらえているのである。」

 第二十五章と第一章を合わせて読めば、孔子は、生きている時代に聖人が居なくても、古典の中にある聖人を心にとどめ置いて、周りの人の中に君子のような人を探し、同時に自分が君子になることを目指しているのが読みとれます。言い換えれば、「古典を勉強するのは(文)、聖人を心に留めて、君子になろうとする心を養うこと」になるのです。

 第十九章
○先師が言われた。
 「私は、生まれながらに道を知る者ではない。古聖の教えを好み進んで道を求めた者である。」

 文意は第一章と似通っていますが、「生まれながらに道を知る者ではない」が、当人の努力を強調します。つまり、自分自身だけではなく、古典の勉強を通して理想の人物(聖人)を心に留めて、好きになってきたという意味です。それゆえ、「心が好む」まで古典を勉強する、一心不乱に打ち込む面が強調されます。
 以上の第一章、第十九章と合わせて読むと、第二十五章は、単なる古典の勉強や講義ではなく、それを通して自らの心に聖人を受け入れて、ずっと心に留めるようする、と解釈できます。この解釈であれば、第二十五章と「文」の関連が示されます。

第二十六章と「行」

 続けて、第二十六章を「行」として解釈していきます

○先師は、魚釣りをしても、はえなわ(※高木)は使われなかった。鳥をいぐるみ(※高木)で射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。
※(はえなわ=延縄:一本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄 と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけたもの)
※(いぐるみ=「射(い)包(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。』

 この一文は一文だけでは意味が不明な文章になります。現代の思想を当てはめて、孔子は動物愛護者であった、という偏向した解釈に、苦し紛れに飛びつきそうです。「必要な動物しか採らなかったからはえなわを使わなかった」という解釈です。しかし、それでは「寝ている鳥は採らない」と整合性がないのです。そもそも狩猟とは野生動物と人間の騙し合い、化かし合いです。野生動物には人間の正々堂々や決闘などの考えはないのです。それゆえ、意味が不明瞭になってしまいます。

 それでは第二十八章を「行」で解釈します。
 「魚釣りをしても、はえなわは使われなかった。」とは、「魚一匹と向かい合っても、はえなわ(多数の釣り針)で多数の魚とは向かい合わなかった」となります。判りやすい例を出すと、家庭教師のように弟子一人ひとりとは向かい合うけれど、誰がいるか判らないような大教室で平均的な内容を教えなかった、となります。
 孔子は仁について、子貢(しこう)や子路など、弟子一人ひとりに別々のことばで説明しています。それはあたかも、魚釣りにおいて、釣り人と魚が一対一で向かい合って勝負しているようです。対して、はえなわは一人の釣り人が多数の魚を同時に相手にします。そして、一本の釣り針に魚がかからなくとも、他の釣り針にかかればよい、という風に考えやすい漁具です。「行」として解釈するならば、

 「あくまでも仁を伝えるためには、先生一人が弟子の一人を注視して伝える行いが適している。」

 という意味になります。伝統工芸の職人が技術を伝えていく方法のようです。『論語』本文で探せば、雍也第六 第二十六章「宰我(さいが)問うて曰く、仁者は・・・」と第三十章「子貢曰く・・・仁と謂(い)うべきか」の両章での弟子への「仁」の答え方の違いとなります。「仁者はすぐに人を助けるでしょうか?」という宰我の問いには、「仁者は騙せても判断力は奪えないよ」と答えます。「民衆を大切にして救うものは仁者でしょうか」という子貢の問いには、「仁者どころか聖人である。自分よりも人を伸ばすことが大切である」と答えます。同じ「人助けと仁者の関係」を問う二人に、全く別々の回答を与えています。弟子一人ひとりに合わせているのです。
 以上のように「仁」を伝える「行」として解釈すれば、次の一文において浮かび上がってくるのは一文しかありません。述而第七 第四章です。

 「子の燕居(えんきょ)するや、申申如(しんしんじょ)たり、夭夭如(ようようじょ)たり。」

 伊與田先生訳
○先師が、家にくつろいでおられるときは、のびのびとされ、にこやかなお顔をしておられた。
 ※孔子は、けっしてこちこちの堅苦しい家庭人ではなかった。」

 すると、

 「鳥をいぐるみで射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。」

 は以下のように解釈されます。

 「孔子先生が弟子に仁を伝えようとする場合、いぐるみのように引き寄せようとすることはするけれども、仁を伝えるのに適切ではない場合、例えば家庭でゆったりとしている時、仲間で酒を酌み交わして楽しんでいる時、疲労して頭が回らない時などでは、仁を伝えるのを控えてられた。」

 第二十六章は「行」によって、孔子が弟子にどのように「仁」を伝えるかの行動を判り易く狩猟で教えていると解釈できるのです。ちなみに、狩猟は君子の嗜(たしな)みとされています。ですから、当時では判りやすい具体例を示したことになります。狩猟の一例として、八佾第三 第十六章の伊與田先生訳を挙げます(以下断りない場合は伊與田先生訳です)。

○先師が言われた。
 射の主目的は的にあてることで、的皮を射抜くことではない。人によって能力が違うからである。これが古の射の道である。

 この一文でも、人によって能力が違うのを受け止めて、一人ひとりに合わせることが書かれています。孔子は仁を伝える「行」として射を具体例に使ったと解釈できます。

第二十七章と「忠」

 続けて、第二十七章を「忠」で解釈していきます。

○先師が言われた。
 「充分知らないのに自分の意見として書物を作る者もあろうが、私はそういうことはしない。
 多くを聞き、よいものを選んでそれに従い、多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ。」

 この文は「知ること」ではなく、「何を知るとするか」ということを問題にしています。現代の言葉でいえば、学問への誠実な態度です。最初に読んだ時、耳が痛くなりました。同様の意味を曾子が、学而第一 第四章 で述べています。

○曾先生が言われた。
 「私は毎日、自分をたびたびかえりみて、よくないことははぶいておる。人の為を思うて、真心からやったかどうか。友達と交ってうそいつわりはなかったか。まだ習得していないことを人に教えるようなことはなかったか。」

 最後の一文「まだ習得していないことを人に教えるようなことはなかったか」は、自らの学問への誠実な態度の反省です。
 そして「忠」とは、「私自身の身を貫く欠け目のない心=自分自身に誠実であること」を意味しています。自分の外に出す誠実な心は、次章の「信」の文字で表します。第二十七章の文意は「学問への誠実な態度」ですから、自らの心の態度を表す「忠」が自ら外への態度を表す「信」よりも文意に沿うと解釈できます。
 加地先生は前半の「知らずして作る」の解釈を四つ挙げています。包咸(ほうかん:前七年から六十五年)は歴史的事実と解釈します。他に党派性、認識論、老子風の解釈が挙げられています。
 しかし以上の解釈は、前述したように第二十四章から第二十九章まで意味の塊でない、という観点から書かれたものです。私は第二十七章と「忠」が関係していると解釈します。「多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ」の後半が、学而第一 第四章と学問への誠実な態度として共通していると考えます。
 妥当とするならば、「次だと思うよ」は、「続く道だと思うよ」の意味を含むと推量できます。つまり、学問を究めること=知ること、の前に、学問への誠実な態度が求められる、という推量です。もう少し判り易く言い換えれば、

 高木訳
 「充分知らないのに書物を作る人にはならない。多くを聞いて、的確なものを選んで素直な心で従うことが大切である。そのように多くを聞いて的確なものを選ぶという『学問への誠実な態度』を大切にするのは、知ることへと続く道だと思うよ。」

 となります。「次」が他の諸先生方の「二番目」の「次」なのか、「前の段階」であり「続く道」の次なのかです。「行」で解釈すると後者になります。大胆な訳で知られる五十沢二郎ならば、どのように訳されたのか気になりました。

第二十八章と「信」

 続けて第二十八章を「信」で解釈していきます。

○(※高木:善くないことを行う)互郷(ごきょう:地名)の村の人とは共に話すことさけるのに、その村の子が、先師にお目にかかって入門を許された。門人たちは、先師の真意を疑った。
 先師は言われた。
 「私は進んで教を受けようとする純真な心に組みするのだが退く者は相手にしない。お前たちはどうしてそんなにひどくいうのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さにくみしよう。然(しか)し先のことはわからないよ。」

 不善の人々が集まる互郷という村の子供に入門を許すと、門人達が孔子に不信を抱いき、それに対する孔子の弁明が書かれています。
 ポイントは、孔子自身の心は揺れ動かない点です。ですから、前文の内省を意味する「忠」ではなく、他者との関係を示す、つまり外部への心を表す「信」が適しています。
 次のポイントは、門人が互郷という社会的地位で子供を捉えているのに対して、孔子が子供の純真な心で捉えている点です。孔子は純真な心を向けてくれた者に対しては、必ず孔子自身が純真な心を返すとしています。この意味を一言で返せば「信」になります。「信」とは社会の常識や利得で相手を推し量るのではなく、純真な心同士で推し量るものだからです。
 ですから、純真な心が子供から失われて孔子の下を去ったのなら、「信」が無くなったのであり、相手にしないとしているのです。
 そして私が感服したのは、「信」とは純真な心の「往」復であり、かつ、それが常に「保」たれているものではないと述べることです。

 「其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。」

 孔子は弟子に何度も裏切られた経験があり、人間不信になってもおかしくない程でした。純真の心の「往復」が「保たれない」経験をしてきたのです。それでも、孔子は弟子を信じました。社会的地位で純真な心が判ると錯覚しませんでした。私は学生に裏切られ、自分の教える学生の可能性を信じないで仕事を流してする教師を何人も見てきました。子供の純真な心を信じる孔子を偉大と感じます。
 孔子は門人にこうした心情を説明しますが、果たして理解されたでしょうか。どちらにせよ、孔子は門人にきちんと説明しました。これも「信」の一つの形です。最も大切なのは、孔子が子供の危うさや、裏切られもする可能性のある相手の純真な心と向かい合って「信」を結んだことです。

仁に至るにはどうしたらよいか

 以上のように第二十四章から第二十八章まで意味のまとまりがあるとして訳してきました。無理はなかったでしょうか。
 それでは、第二十九章の訳文を、二つの態度で書いてみます。

①前文と後文は意味がつながらないとする態度

○先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」

②前文と後文は意味がつながる場合があるとする態度

 高木訳
 先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに持っているものであり、遠くにあるものではない。そして仁に近づこうするなら、文、行、忠、信を心にすれば仁に至るであろう。」

 次に第二十四章から第二十九章を①と②で比べてみます。

①前文と後文は意味がつながらないとする態度

○先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍(てんせき)の研究、実践、誠実、信義がそれであった。

○先師が言われた。
 「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい。」
 又言われた。
 「善人を見ることができなくても、平常と変わらず努力する者を見ることができればよろしい。無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変わらないのは甚だむずかしいことだねえ。」

○先師は、魚釣りをしても、はえなわ(※高木)は使われなかった。鳥をいぐるみ(※高木)で射ても、木でやすからに眠っている寝鳥は射られなかった。
※(はえなわ=延縄:一本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄 と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけたもの)
※(いぐるみ=「射(い)包(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

○先師が言われた。
 「充分知らないのに自分の意見として書物を作る者もあろうが、私はそういうことはしない。
 多くを聞き、よいものを選んでそれに従い、多くを見てそれを心にとめておくのは、本当に知ることの次だと思うよ。」

○(※高木:善くないことを行う)互郷(ごきょう:地名)の村の人とは共に話すことをさけるのに、その村の子が、先師にお目にかかって入門を許された。門人たちは、先師の真意を疑った。
 先師は言われた。
 「私は進んで教を受けようとする純真な心に組みするのだが退く者は相手にしない。お前たちはどうしてそんなにひどくいうのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さにくみしよう。然(しか)し先のことはわからないよ。」

○先師が言われた。
 「仁は人が生まれながらに与えられてくるもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」

②前文と後文は意味がつながる場合があるとする態度(要約)

 先師は、仁を伝えるのに常に四つの教育目標を立てられた。

 一つは文であり、「古典を勉強するのは、聖人を心に留めて、君子になろうとする心を養うこと」を目標とされた。

 一つは行であり、「弟子と一対一で向き合い、弟子にあった導きを真剣に探すこと、そして教えるのに適した場所や時間を選ぶこと」を目標とされた。

 一つは忠であり、「多くを聞いて、的確なもの選ぶという『学問への誠実な態度』を大切にすること」を目標とされた。

 一つは信であり、「社会常識にとらわれず、相手の純真な心を信じること」を目標とされた。

 仁は人が生まれながらに持っているものであり、遠くにあるものではない。四つの目標である文、行、忠、信を心にすれば仁に至るであろう。

②における述而第七(第二十四章から第二十九章 高木訳文)

 先師は、仁を伝えようと文、行、忠、信の四つの教育目標を立てられた

 一つは文であり、「古典を勉強するのは、聖人を心に留めて、君子になろうとする心を養うこと」を目標された。
 聖人は自分の心にあっても実際に逢うのは難しい。ならば実際にいる君子と逢うようにしなさい。善人は自分の心にあっても実際に逢うのは難しい。ならば常に努力する人と逢うようにしなさい。努力しない者は、無いものを有ると考えたり、虚しさで満たそうと考えたり、小さいのに広く見せようとしたりするものです。聖人を心に留めて、常に努力するのは難しいことなのです。

 一つは行であり、「弟子と一対一で向き合い、弟子にあった導きを真剣に探すこと、そして教えるのに適した場所や時間を選ぶこと」を目標とされた。
 一本の釣り竿で行う釣りのように弟子に一対一で常に向かい合われ、多数の針で魚を釣るように多数の弟子を一度に引き上げようとはされなかった。また、弟子を色々な工夫で引き込むように導かれたが、仁を伝える場所や時間を考えられた。

 一つは忠であり、「多くを聞いて、的確なもの選ぶという学問への誠実な態度」を目標とされた。
 充分知らないのに書物を作る人にはならない。多くを聞いて、的確なものを選んで素直な心で従うことが大切である。そのように多くを聞いて的確なものを選ぶ態度を大切にするのは、知ることへと続く道だ、と考えられた。

 一つは信であり、「社会常識にとらわれず、相手の純真な心を信じること」を目標とされた。
 善くないと評判の村からやってきた子を弟子とされた。門人は戸惑った。先師は学習したいという子と共にありたい、学びたくない子とは共にありたくない。弟子とするのは評判ではない。私は人が学びたいという純真な心を信じる。そして純真な心の往復を続けたい、と仰られた。

 仁は人が生まれながらに持っているものであり、遠くにあるものではない。四つの目標である文、行、忠、信を心にすれば仁に至るであろう。

まとめ
 藤堂明保先生は、述而第七 を以下のように書きだされています。

 「『論語』の前半十篇のうち、この篇はなかなか重要である。ここには、孔子の志すところの教育の態度が説かれている。(中略)不義にして得る富貴は、「我において浮雲のごとし」と言って、貧窮(ひんきゅう)をいとわず教学に熱中する教師の姿を示している。(後略)」

 述而第七は前半の山場であり、教師の理想像を示していると書かれています。仰られる通りで、述而第七は、教えについて多く書かれています。第二十四章は「子、四を以(もっ)て教(おし)う。」と始まります。ここから、第二十九章までを、四つの教育目標として解釈して訳しました。私淑する伊與田先生の訳文に挑戦してみました。これまでの積み重ねが現れていましたでしょうか。皆様の『論語』の理解のお手伝いになったのなら幸いです。

参考図書
 :『現代訳 仮名論語 拡大版』 伊與田覺著 論語普及会 平成二十四年 第三十八刷
 :『新釈漢文大系〈一〉 論語』 吉田賢抗著 明治書院 昭和六十三年 改訂二十五版
 :『論語』 加地伸行著 角川文庫 昭和六十二年初版
 :『中国の古典一 論語』 藤堂明保著 学習研究社 昭和五十九年 第二版
 :『親子で楽しむ こども論語塾』 安岡定子著 明治書院 平成二十年 初版

【随想】 哲学とーちゃんの子育て 十五 まないの鴎(かもめ)とお船

[子育ての内容は少し前のものです。]


 (バシャバシャ、と顔を洗っていると。)

 「おとーちゃん、かもめ~。」

 「ん~ (バシャバシャ) 。」

 「こうくっ付けると、ふねだよ~。」

 「ん~~ 顔洗っているから後でね~。」

 「はーい。」

 (タッタッタ~、と奥の部屋に走っていく。)

 長女まない(四歳十カ月)が、朝食後に話しかけてきました。顔を洗っていたので、後としました。小さい声で、

 「・・・おかーちゃん、かもめー・・・こうすると、ふねー。」

 と聞こえてきました。洗い終わったので、

 「まな~ちゃ~~ん いいよ~みせて~。」

 「・・・はぁーいぃー。」

 と走ってきた。

 二つの切れ端を組み合わせて、鴎(かもめ)と船の形を見せてくれたのです。木の切れ端は、ナイフの形です。底辺が長く、上辺が短い四角形です。説治郎(とくじろう:六歳八カ月)が、小学校に入学したので、居間の長い木製の机に仕切り板を二枚付けました。そこに毎日、ランドセルや教科書を置くことにしました。その仕切り板の切れ端です。やすりをかけてスベスベにしました。会話の数分前に、

 「まなちゃん、この切れ端、チーズみたいじゃない? スベスベだし。」

 「そーだねー食べれそう~。」

 と言ったので渡しました。それから数分で自分で考え、鴎と船の形を見つけました。こういう時は、気をつけなければならない、と考えています。特に、四歳のまないでは、そう考えている所です。
 まないは、髪の毛を伸ばして結わえるようになってきました。これまでは、短い髪でもボサボサでも良かったのです。最近は、髪を二つで結わえるのではなく、後頭部で一か所で結びたい、と主張するようになっています。自らの身だしなみをきちんとしたい、という最初の時期になりました。今までは父(私)に結わえてもらえれば、どんな髪型でも嬉しい、時期でした。そういう時期に入ったまないだからこそ、自らの創意工夫を認めることが大切だと想うのです。

 「人は賢愚(けんぐ)にかかわらず、無欲の時には、みな善に向かい悪を捨てるべきだと承知している。平静な時には、みな禍福(かふく:不幸と幸福のこと)が何によって起こるかを承知している。好きな物を手に入れたいと思い、贅沢品に誘惑されて始めて心変わりし、混乱する。」
 『韓非子』 第六巻 解老 百十七頁

 韓非子の言葉です。老子を解説する章なので「解老」です。この巻には韓非子の示す人の生き方が書いてあります。
 
 韓非子は人の生き方において「人の知識の差によって賢い、愚かはあるけれども、善い悪いは全員に判別できる」としている点、「欲で誘惑されれば、どんな人でも悪くなる」としている点を挙げています。
 子育てに読み替えてみたいです。

 「人はどんな親でも、子供を愛する心で考えれば、善い教育ができるものです。けれども、子供を自分の好きなようにしたい、着飾って人様に子供を褒めてもらいたいという欲に誘惑されると、混乱してしまう。」

 韓非子の言うように、子供がどのような時期にあるのか、は無欲で子供を見ていれば、どんな親でも判ることでしょう。全員が子供時代があったからです。けれども、子供を親の気持ちに従わせたい、子供が褒められることを求めたい、という欲で混乱してしまうのです。私もそう言ってしまったことがありました。

 「まないさんは、二つに縛ったほうが似合うから、二つにしなさい。まなちゃんは二つに縛ったのが鏡で見えないでしょ。」

 言ってしまった後に、ハッとしました。まなちゃんの顔が暗くなってしまったからです。直感しました、私が善くないことを言ってしまったのです。私は、欲で混乱してしまったのです。
 
 混乱というのは、髪を二つに縛ってほしいのは私自身の願望なのに、似合う、という客観的な立場に言い換えたことを指します。子供時代、「大人はずるい」と想っていたのは、こういう言い換えです。

 「まなちゃんに似合うから、そうしなさい。」

 というのは、まないのためではないのです。なぜなら、似合わないで不利益をこうむるのは私ではなくまないだからです。それなのに、私は「子供のためだ」と言ってしまいました。
 今朝は、

 「まなちゃんは、二つの方が似合うと想うけれど、一つに結ぶのでいいんだね?」

 と聞きました。すると、

 「うん、いいよ。一つが好き。」

 と返してくれました。ちょっとした違いかもしれません。けれども、子供の立場からすれば、親の意見を反論しにくい客観的に見えるような意見を押し付けるのか、自分の意見を尊重してくれるのか、の大きな違いと受け止めます。
 今のまないは、自らの創意工夫を認めてもらいたい時期なのですから尚更です。
 ですから、顔を洗い終わってから丁寧に鴎の形を見ました。朝の一分は貴重な時間なのですが、それよりもまないの気持ちが貴重なのです。

 「これが鴎に見えるんだね。いいね~。よく気がついたね~。こうするとお船なんだね。そっか~気がつかなかったよ、おとーちゃんは。まなちゃんは、すごねぇ~。また教えてね~。」

 「うん(笑顔)。」

 「あ、そうだ、二つの切れ端をもう少し離すともっと鴎っぽくない?」

 「え~どうかなぁ~。」

 「じゃあ、夜に鴎の写真を見てみようね。」

 「う~ん!!」

 韓非子は引用箇所のまとめとして以下のように述べています。

 『人の子孫たる者が、この道を体して(大切にして)先祖の御霊屋(みたまや:霊廟やお墓のこと)を守れば、御霊屋は滅びない。これを「祭祀やまず」という。』
 同著 百十八頁

 続いての文章は、四書五経の『大学』と同じく、自らの肉体を正しくし(修め)、家、村、国、天下を治める順番を述べていきます。韓非子と儒家は互いに影響し合っているのです。
 冒頭からの流れに沿って、引用文を子育てに意訳してみます。

 「どんな人でも無欲の心で、子供の成長を見つめるのが大切です。そうすれば善い悪いを伝えられるますし、子供に伝えることば、その時期も判ります。結果として、親の愛と尊重を受け止められた子供はしっかりとした大人になります。すると、親と同じ立場に子供が立ち、先祖と親を敬ってくれるのです。」

 韓非子は続けて「こうして自らと家を正しく修めると、天下国家が治まる」と後述しています。

 韓非子は罰を与える法家として認識され、権力の扱い方を述べている思想家として有名です。本文を読んでみますと、孔子と見まがう程、道徳を守ることを説いています。今回は、韓非子に子育てを教えて頂きました。有り難う御座います。

引用書
○『韓非子』 本田濟(わたる)訳 筑摩書房 千九百八十二年 初版第十刷

【随想】哲学とーちゃんの子育て 十八 -宰予晝寢(ひるい)ぬ- 



 「ふ~ん。」

 「え? ふ~ん、てどういうこと?」

 「知ってるってこと。」

 「・・・(怒り)・・・」

 朝の通学路での会話です。少々、頭に来てしまいました。
 ことの起こりは、毎朝の会話にあります。「今日の楽しみなことは?」と「今日のがんばることは?」を毎朝聞いています。そののち、私が切り出しました。

 「とっくんは、上手くなるよ。」

 「なんで?」

 「とっくんが尊敬する人(バスケットのコーチ)に教えてもらっているから。」

 「それだと上手くなるの?」

 「そうだよ。」

 と言いました。私の頭の中には、ご逝去された渡部昇一先生の、恩師佐藤順太(じゅんた)先生との想い出話がありました。
 渡部先生がご卒業の時、佐藤先生のご自宅に遊びに行かれ、その蔵書の数と読み込みに感動して、「私も、このように年を取りたい」と感動されたお話です。(このお話は、渡部昇一著『知的生活の方法』などに掲載されています。)

 「とーちゃんの尊敬する人が、素晴らしい生き方をしている、って思ってね。」

 「どんな生き方?」

 「お、いいね、本をたくさん読む生き方だよ。いい?」

 「うん。」

 「それである人のように本をたくさん読みたいな、って思ったんだって。」

 「うん。」

 「でも、一緒にいた三人の人は思わなかったんだって。だから、自分の尊敬する人を見つけて頑張るのが大切ってことだよ。」

 「ふ~ん。」

 「え? ふ~ん、てどういうこと?」

 「知ってるってこと。」

 「・・・(怒り)・・・」

 と冒頭に返ります。

 心の中で少し怒りました。けれども、何かがその怒りを言葉や行動に移すことを、止めてくれたのです。ハッとなりました。

 それはなんだろうか? と。

 朝の通学路は混んでいます。歩道の左側は、前からは一列になって高校生が自転車で十台ぐらい向かってきます。その内側に歩行者が数人います。右側は小学生が、七、八人が思い思いに進んでいます。ここで足を止めて、とっくんを叱りつけると、交通の邪魔になります。
 そうした混雑状況が、止めてくれたのでしょうか。それもあるかもしれません。スタスタと考える私の前に出で歩いていくとっくんの後ろ姿を見つつ、自転車を押していきました。

 「・・・(確かに、この状況では叱れないけれど。)・・・」

 大通りの赤信号で止まると、とっくんは同じ一年生の水色帽子をかぶった友達を見つけ、話し出しました。その後ろ姿についていき校門前で校長先生に「おはようございます。お願いします」とご挨拶をし、振り返って自転車に乗りました。下り坂で、駿府城公園の緑鮮やかな木々の姿が目に入って、頭がカラッポになりました。
 カラッポ、にある言葉が浮かんできました。

 「さいよ、ひるいぬ・・・」

 あ!! そうか!!

 とっくんが、とっくんの理解をすること、そのことに怒りを思ってしまってはいけない、という点を覚(さと)りました。

 「宰予(さいよ)、書寝(ひるい)ぬ。子曰(のたまわ)く、朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべがらず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ね)るべからず。予に於(おい)てか何ぞ誅(せ)めん。」
 公冶長第五 第十章 『仮名論語』 五十三、四頁

 伊與田覺先生訳

 「宰予がだらしなく昼寝をしていた。
 先師が言われた。
 『腐った木には彫刻することはできない。ぼろ土の垣根にはうわぬりをしても駄目だ。そのようなお前をどうして責めようか、責めても仕方のないことだ。』」

 カラッポの心に浮かんできたのは、昨年の平成二十八年三月のふじの友に書いた孔子の言葉でした。第三十七号の「【論語】 三つの翻訳を比べてみよう ―公冶長第五―」で、伊與田先生訳、五十沢先生訳、吉田先生訳の三つを比べています。私の結論を抜き出してみますと、

 「「朽木(きゅうぼく) 」とされた、宰予(さいよ:孔子の十哲:弁舌) 側の事情から、孔子の心の態度に視点を移します。「孔子は、優れた者からも劣った者からも学んだ」という態度です。とすると、孔子の強い口調で皮肉を述べるのは、孔子の十哲の宰予の成長を期待した言葉になります。つまり、突き放した言葉ではなく、どこまでも実利的な宰予を仁へと導こうとする言葉になります。」
 ふじの友 第三十七号 十二頁

 つまり、私は宰予のダメさ加減に注目するのではなく、ダメな態度ととる人をどのように導くか?という孔子に注目して読みました。言い換えれば、ダメな人ではなく、ダメな人を導く人に注目したのです。

 とっくんとのやり取りと同じです。
 とっくんの態度は、ダメな態度でした。そこで、導き手の求める態度を強制することは出来ます。けれども、それでは私の前だけで、私の求める態度をする人間になるでしょう。そして、私が見ていない時は、一切私の求める態度を投げ出す人間になるのです。
 それは宰予そのものです。孔子は宰予が、孔子がいる前では、立派な態度をしていて、裏では怠けているのを見抜いていたのでしょう。だからこそ、昼寝程度を大きく取り上げたのです。
 孔子の前での宰予はよほど、立派だったのでしょう。孔子の十哲に数えられる程なのですから。しかし、孔子の見ていない処では、怠け者だったと推測します。
 私が教えている学生でも同様です。テスト前だけ勉強を一生懸命して良い成績をとる学生がいます。けれども、本来勉強は、コツコツと地道に続けるものであります。学校の成績をよくするためのものでもなく、学校の成績を良くして、良い就職するためのものでもありません。自分の利益で考えるから、テスト前だけの勉強になるのです。まさに宰予の実利的態度そのものです。昼寝した宰予の態度は、二千年後の日本でも見られる態度なのです。
 その時、教師は、「学生がダメだからしょうがない」と諦めることもできます。けれども、孔子は導き手の責任として受け止めた、と私は解釈しました。

 「学生が、先生の望む態度を採らないのは、先生が悪い。」

 ということですし、

 「子供が、親の望む態度を採らないのは、親が悪い。」

 ということです。どうしても親は子供が親の望む態度を採らないと怒ってしまいます。そしてそれを子供のせいにして、怒りをぶつけてしまうのです。

 「どうして、あなたは言うことを聞かないの!!」
 「いっつも言っているでしょう! ダメ! 言うことを聞きなさい!」

 勤務先の自転車置き場に止める頃には、すっかり、怒りが収まっていました。怒りが反省に換わっていました。

〇「子供が腐った木だから怒るのでなく、腐った木であることを受け止めることから、導きを開始する。」

〇「朝の混雑時にするのは適切でなかった。」

〇「知っている、という本人の言葉を素直に私が受け止めること。」

〇「私の目の前だけの良い子を目指すのではなく、自分で考えて良い方向に進める子を目指すこと。」

 以上です。

 玄関の自動ドアを入りながら、もう一つ思い出しました。この勤務先の学生に授業をする指針を立てていました。その一つが、

 「卒業して五年後、十年後に『ああ、これを言っていたのか!』と気が付く内容を授業する。」

 です。

 二千年前に書かれた『論語』が、私の仕事と子育ての指針を明確にし、導いて下さいます。なんと味わい深いことでしょうか。また、ふじの友に書く機会を与えられたことが幸せに感じました。学恩と富士論語と楽しむ会に、感謝申し上げます。
 今後も考えながら、子育てをしていきたいです。
プロフィール

    名前:高木健治郎

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科学技術者の倫理(平成28年度)
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科学技術者の倫理(平成27年度)
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論文(高木健治郎の)
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石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

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