【歷史】『貞観政要』の太宗は名君か暗君か


 理想の政治指導者として読まれてきた『貞観政要(じょうがんせいよう)』の主人公、太宗(たいそう)は、実際はどのような人物で、名君(素晴らしい政治家)であったのか、暗君(ダメな政治家)であったのか、の実像に迫りたいと思います。
 と言いますのも、『貞観政要』を読み、太宗が理想化されていると感じましたし、太宗自身が自分を理想化している、と読めたからです。先に一つ挙げますと、『貞観政要』は太宗の死後、四、五十年たってから書かれています。また、内容が道徳ですから、この二つの点で『論語』と共通しています。そして、『論語』に登場する孔子は、これまで述べてきたように理想化が行われていました。

理想化と現実の例―野口英世―
 理想化が悪いわけではありません。日本でも野口英世は努力を積み重ねた理想の研究者にされていますが、地元の借金を踏み倒した側面もあります。また、野口は研究者として恥ずかしい行為をしています。梅毒研究(細菌学)では「発見していないものを発見した」と主張しました。彼の医学上の業績は、病理学の分野、例えば「ガラガラヘビの毒の血清(どくを消す薬)をヤギで生成できるようになる」で認められています。梅毒のように大きな四つの論文偽造があったにも関わらず、野口英世記念館は、彼の故郷、福島県に立っています。理想のことばと現実の行動には差があるのが通例です。

理想化と現実の例―太宗―
 『貞観政要』の太宗を見習った政治家は数多くいますが、日本では北条政子、徳川家康、上杉鷹山、明治天皇が挙げられます。北条政子は、首都の権威と権力を分離した点で日本の政治上の特性を打ち立てた偉大な人物です。次に徳川家康は、法治主義を導入し、道徳と政治を結び付け、優れた経済政策を導入した人物です。明治天皇は、日本に議会制民主主義を導入しつつ、日本の伝統文化と近代化を融合させた人物です。以上の三人は、国内のみならず世界の研究者の中で高く評価されています。また、上杉鷹山は、『貞観政要』の理想とする道徳と政治を実践し成功させた数少ない人物です。
 以上のように大きな影響を与えた『貞観政要』の内容ですが、現実の太宗を映し出しているのかどうかを、『貞観政要』の本文から読み解きたいと思います。それは本文中の教訓ではなく、事実に注目することによります。

理想とする内容―道徳―
 現実と突き合わせる前に、『貞観政要』の理想とする道徳を、訳者守屋洋氏の「文庫版あとがき」から引用します。一部読みやすくします。

①平穏な時代ほど危機の時代を思いなさい。
②率先垂範:わが身を正しくしなさい。
③部下の諫言(かんげん:耳のいたい忠告)に耳を傾けなさい。
④わがままを通さず自分をコントロールしなさい。
⑤態度は謙虚に、発言は慎重にしなさい。
        二百五十四から二百五十五頁

 そして守屋洋氏は、現代の経営者を意識した視線で書いておられるので、以下のように訳書をまとめられます。

 「現代のトップリーダーもこのことを自覚できれば、出所進退を誤ることもないし、それぞれに有終の美を飾ることもできるであろう。今、『貞観政要』に学ぶことがあるとすれば、このあたりにあると言ってよい。」
               二百五十六頁

 守屋氏は『貞観政要』に書かれている理想を、現代の経営者たちが、「そのまま」受け取るべき教訓である、と読まれています。

現実としての内容―上杉鷹山公解釈―
 では、『貞観政要』の内容をそのまま行ったら、現実にはどのようになるのでしょうか。数少ない成功例である上杉鷹山公を挙げてみます。

 「大体において、(江戸時代の大名は権力が重臣にあったので、大名自身の)独裁権の確立とスパイ政策の二つを加味して、儒教の精神を行うのが、江戸時代の名君といわれた人々の行き方であったと見てよいと思います。
 ところが、ただ一人、上杉鷹山(ようざん)は違います。純乎(じゅんこ:全く混じりけのないさま)として純なる儒教の方法でつらぬいています。いろいろな事情であってそうならざるを得なかったとも言えますが、珍重すべきであることには相違ありません。」  百八十四頁

 海音寺潮五郎著『覇者の条件』の一文です。ちなみに、スパイ政策と儒教精神を合わせた名君の実例は、肥後熊本藩六代当主細川重賢(しげたか)公、加賀藩五代当主前田綱紀(つなのり)公、八代将軍徳川吉宗(よしむね)公が前文で挙げられています。三公の業績を探してみますと、細川重賢公は、「天保の大飢饉」を金融政策によって乗り越えています。
 前田綱紀公は、荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、

 「加賀藩のお救い小屋(生活困窮者を助ける施設)を設けて以来、乞食(こじき:食べ物を乞う人=ものもらい)なし。まさに仁政というべし。」

 と高く評価し、新井白石(あらいはくせき)は、

 「加賀藩は天下の書府(しょふ:図書館)」

 と絶賛しています。
 徳川吉宗公は江戸中期に徳川幕府を根本から立て直した名君として有名です。米、商品作物、金融、学問、土木、治水、金融、捕鯨、被災者対策、人材登用など多くの分野の改革を行いました。
 以上の三公は、いずれも重臣の反対や反発に対してスパイ政策を用いることで収攬(しゅうらん)し、行政改革を成功させたのでした。これに対して、上杉鷹山公だけはそうではない、というのです。では、その現実の結果を引用します。

 「鷹山の政治は、純粋に儒教の方法により、奇手を用いませんから、時間はずいぶんかかっています。完全に財政の立直しが出来たのは、文政六年(西暦千八百二十三年)でした。すなわち、鷹山がなくなった翌年です。五十五年かかっています。」

 五十五年という長きに渡ってしまう理由は、道徳(儒教)が心の内発的動機に関わるからでしょう。つまり、子供時代についた内発的動機=自分の世界の観方、世界とのかかわり方から生じる自分の生きる意義とやる気は、換えられないのです。五十五年はおじいさんから孫という二世代が交代する世代ですから、鷹山の示している世界の観方、世界とのかかわり方を子供に伝えるのに十分の時間だと推測します。
 私は現実主義者(リアリスト)でありますから、この内発的動機が道徳によって取り換えることは出来ない、と人間を見ています。対して、守屋氏は、道徳によって企業の社員の内発的動機を替えられ、なおかつスパイ政策も用いなくとも大丈夫である、と述べています。これは理想主義者(リベラリスト)の捉え方です。両者の考え方の違いが、これから検討する主軸となっていきます。

「③部下の諫言(かんげん:耳のいたい忠告)に耳を傾けなさい」と「④わがままを通さず自分をコントロールしなさい」
 『貞観政要』で太宗は、「諫言をしてくれ、それが自分のためでもあるし、国のためである」と臣下に何度も語り掛けています。では、実際はどうだったのでしょうか。

 『(太宗の結婚相手の)文徳皇后が臨終を迎えたとき、房玄齢(最上位の臣下)は太宗の機嫌をそこねて邸(やしき)にひきこもっていた。皇后はそのことにふれて、「よほどのことがないかぎり、玄齢ほどの名臣を遠ざけてはなりませぬ。」(後略)』
                 二十六頁

 と書かれています。この場面は文徳皇后をほめたたえる文脈で書かれています。前文に、

 『「牝鶏(ひんけい:メスの鶏)の晨(あした:時を告げる)するは、これ家を索(つ:もとめるの意味)くるなり」(女が出しゃばるのは家を滅ぼす元)といって、ついに答えようとしなかったという。皇后としての分をわきまえていたといえよう。』
                同二十六頁

 「皇后としての分をわきまえていたといえよう」は守屋氏の解説ですが、現在まで続く伝統文化を説明しています。
 文徳皇后を称賛する文脈に、太宗が諫言によって部下を押し込めていた、つまり、諫言に耳を傾けない、自分をコントロールできずに機嫌を悪くしていた事実が記されています。しかも、政治に口を出してはならないという文化土壌の中で、皇后の死にゆく言葉の中の第一に挙げられているほどなのです。
 ここから推察されるのは、「よほど長い期間」であり「原因は太宗」であり、「他の臣下が房玄齢を戻すように諫言していたことに耳を貸さない」という三点です。ですから、最後の最後の手段として、文化土壌を破ってまで遺言で皇后が諫言をしたのでしょう。つまりこの文脈から、現実の太宗は諫言に耳をかさず、機嫌を悪くしていたのが読み取れます。
 このように文脈(前後関係)から、太宗の諫言に耳を傾けない、自分をコントロールできていないのでは、と推察される箇所はいくつもありますが、一つだけ挙げます。

 『長孫無忌(ちょうそんむき:太宗に父兄を殺すクーデターを勧めた人物。太宗の重臣)、唐倹(とうけん:太宗の軍の中心人物。同じく重臣)以下の者が口をそろえて答えた。
 「天下に太平がもたらされたのは、ひとえに陛下のご聖徳によるものです。陛下のなさることに、何ひとつ、間違いなどあろうはずがございません。」
 門下省(太宗の命令を審議し文章にする役職)次官の劉洎(りゅうき)が答えた。
 「陛下は乱世をしずめて泰平の世を開かれました。その功たるや、まさしく無忌らの言うように、わが国の歴史に燦然(さんぜん)と輝いております。しかしながら、近ごろの陛下の態度には、いささか首をかしげざるを得ません。たとえば、臣下が上書(じょうしょ:上司〔太宗〕に文章を提出すること)するとします。その上書に少しでもあやふやなところがあると、陛下はその者を呼びつけて激しく叱責なさいます。上書した者こそいい面(つら)の皮、ただただ恥じ入るばかりでございます。これでは、あえて諫言する者などいなくなってしまいましょう」
 「よくぞ申してくれた、さっそく改めるとしよう。」』
             九十から九十一頁

 劉洎は太宗の命令を審議し文章する役職でしたから、現実の政治の場面で毎日、太宗に接していました。つまり、太宗のことば(理想)ではなく、太宗の行動(事実)をよく見ていました。その人物が「太宗の叱責する態度では諫言を受け入れていないことになります」と言っています。臣下ですから、ミスの責任は上書したものになっていますが、果たして現実はどうでしょうか。もし本当に上書した者に責任があるのなら、劉洎は太宗に態度を改めるように言うでしょうか。
 また、長孫無忌や唐倹らは、軍事クーデターで功績を上げた人物です。軍事では上司の命令は絶対であり、疑いをもってはなりません。その意味で、彼らは政治から見れば「ごまをするだけの人物」になりますが、軍事から見れば「優秀な軍人」となるのです。彼らは太宗の臨終の際、国家の重臣としての地位を占めています。
 他方、劉洎は、本文中に以下のように本文の注に書かれています。

 「貞観十八年、侍中(門下省長官)となり、民部尚書(みんぶしょうしょ:内務大臣)に栄進したが、翌十九年、失言問題がわざわいして、死を賜った。」
                 九十一頁

 実際に政治の場で太宗に接する二人の重臣は、遠ざけられる者、死を賜る者に分かれました。遠ざけられる者は皇后の遺言によって、何とか許されたのです。もし、皇后の遺言がなければ、どうなっていたでしょうか。ですから、重臣たちの前では「③部下の諫言(かんげん:耳のいたい忠告)に耳を傾けなさい」と「④わがままを通さず自分をコントロールしなさい」を心がけることばを出しますが、実際の場面ではなかなか理想通りに行かなかったようです。
 加えて、「②率先垂範:わが身を正しくしなさい」と「⑤態度は謙虚に、発言は慎重にしなさい」も、ここに大枠で含まれると考えて、最初の①を取り上げることにします。

「①平穏な時代ほど危機の時代を思いなさい」―太宗の二つの失敗―
 守屋氏は太宗に二つの大きな失敗がある、と解説されています。要約します。
 一つ目は、後継者選びです。『貞観政要』の中では理想の教育を与えられている長男の承乾(しょうけん)はドラ息子で、最後には謀反を企てるのです。次男泰(たい)は策謀好きで皇帝につくと、長男以下を全て殺すであろうと推測して、ごく平凡な三男治(ち)を皇帝にします。しかし、その治が高宗として帝位につくと、皇后である武氏(則天武后〔そくてんぶこう〕)に国を奪われてしまいます。則天武后は中国史上唯一の女性皇帝であり、唐に替わって武王朝を建てました。また彼女の極悪非道な話はここに書けないほどで、中国史上の三大悪女の一人とだけ書き記しておきます。また、もともとは太宗の正式な妃(きさき)であり、その後息子の高宗と皇后となったのです。つまり、彼女は太宗の権威と自身の恐怖政治によって武王朝を建国したのです。振り返れば、太宗の儒教を中心とした政治は、彼の正式な妃によって完全に破壊されてしまったのです。太宗の理想と現実の差にたまったエネルギーを則天武后が、恐怖政治で一気に洗い流した、と言っても良いでしょう。この視点は近代史では度々語られてきました。二十世紀初頭のワイマール共和国(ドイツ)が、人種や性別を超えて平等や民主主義を中心におきました。その理想と現実の差が、ナチスドイツによる恐怖政治と極悪非道な政策を生みだし、推進したという捉え方です。
 守屋氏の後継者問題への解説を見てみましょう。

 「(高宗を含めて三人の)この太子の教育の失敗を、太宗の責任に帰すのは、あるいは酷な見方かもしれない。なぜなら、息子の問題は、親の責任は免れないとしても、しょせん息子自身が責任を負うべき問題であるからだ。まずは、名君の悲劇というべきであろうか。」
                百四十一頁

 守屋氏は、「名君の悲劇」として、高宗が国を滅ぼしてしまった最悪の責任がないと述べられています。私は家族による皇位継承について批判するつもりはありません。この点で守屋氏と一致します。
 ここで理想のことばに注目します。太宗は『貞観政要』の中で、理想の名君として、堯(ぎょう)と舜(しゅん)を挙げています。堯は行いの良くない二人の息子をあきらめて天下のために、親孝行な舜に帝位を継がせました。彼の理想は「愚かな息子ならば秀でた部下に帝位を譲る。なぜならば、それが天下の平穏のためである」なのです。つまり、理想のことばと、現実の行動の差がここにはっきりと表れてきます。天下を譲るべき優れた部下は、房玄齢を始めキラ星の如く集まっていたのです。けれども、太宗は理想に徹しきることが出来ませんでしたし、天下の平穏を第一にすることが出来ず、結局親の子煩悩さに負けてしまったのです。それゆえ、私は太宗を名君とは見ることが出来ません。むしろ、戦争の勝利に徹することができたのですが、理想のことばに徹することができません。太宗の心は小鹿のように弱々しく見えてしまいます。
 以上の点で、「『名君』の悲劇」とする守屋氏とは解釈が異なります。
 そしてその根本原因が「①平穏な時代ほど危機の時代を思いなさい」を徹せられなかったからだと考えます。軍事とは勝利によって全てを得る分野です。ですから、大将や元帥に世襲はありません。危機の時代は何よりも軍事が優先され、勝利による天下の平穏が最優先されるのです。それゆえ、家族の子煩悩さは排除されます。太宗は優秀な軍人でありますが、平穏な時代に平穏さになれてしまい、理想とする堯と舜に徹することができなかったのでしょう。いうなれば、思想の不徹底です。核兵器と長距離ミサイル、テロに脅かされている現代日本(紀元二千六百七十八年、西暦二千十八年)にも必須ではないでしょうか。

太宗の二つ目の大きな失敗―高句麗遠征―
 守屋氏がもう一つの大きな失敗として取り上げているのが、朝鮮半島の高句麗(こうくり)遠征です。守屋氏の解説を引用します。

 「高句麗遠征が原因で国を滅ぼした隋(ずい)の煬帝(ようてい)の失敗に学ぶところがあったからだ。その太宗が晩年になって、あやうく煬帝の二の舞を演じそうになったのである。むろん、高句麗遠征にさいしても、長孫無忌、褚遂良(ちょ すいりょう:政治家、書家、後に左遷され客死)、房玄齢らの重臣が中止を諫言している。しかし、太宗は聞かなかった。」
               二百三十七頁

 唐は隋を滅ぼして建国されました。建国者太宗は煬帝の贅沢ぶりをこっぴどく批判し、「慎言語編」で全否定しています。しかし、国家の安寧を願いながらも、煬帝と同じく高句麗遠征の三度失敗しています。この失敗について守屋氏は、

 「太宗のような名君にしてこの失敗ありということは、太宗もまたけっして完全無欠な人間ではなかった。名君にたりえたのは後天的な努力の結果であったという意味で、なんとなくホッとさせられるエピソードである。」
              同二百三十七頁

 と感想をつけられています。私は客観的事実から読み解きたいので、太宗は名君である、とは考えられません。他方、守屋氏の解釈は『貞観政要』が校正に多大な影響を与えたことに立脚する解釈であると考えもします。
 煬帝と太宗は実は非常に似通っています。父と兄をクーデターで取り除いて帝位に軍事力で就いたこと、クーデター直後は名君となったが、その後は諫言を聴かず、暗君に近づいて行ったこと、最後に無理な外征によって国を滅ぼしたこと(太宗は息子の代ですが)などです。また、思考が直線的であり、同時に、一つの観点でしか物事が考えられません。一つの観点でしか物事か考えられない、と相手を全否定するか、全肯定するか、しかなくなってしまいます。太宗に全否定された代表は、秦の始皇帝、漢の高祖や武帝であり、全肯定は堯、舜、孔子などです。
 例えば、「神や仙人は妄想でしかない」という根拠で秦の始皇帝、漢の武帝を全否定します。しかしながら現実世界は複雑であり、民は合理や道理では動きません。ですから、

 「なぜ、民は神や仙人を信じるのか?」
 あるいは、
 「民が信じるのを止めないなら、よりよき社会のために利用できないか?」

 と考えるのが政治上の優れた思考なのです。孔子が弟子ごとに導く言葉を換えたように、民に合うように導く言葉を換えるのが孔子の説く政治なのです。けれども、太宗は「孔子は素晴らしいのだ。孔子が神や仙人を否定しているからダメなのだ」で止まってしまうのです。私は、房玄齢などの名臣が、「民のため」の諫言の真意が、太宗が理解できなかったと推測します。なぜなら、民の非合理さや複雑さ、などが理解できなかったからです。

名君の時期、迷君の時期、暗君の時期
 ここから推断されるのは、太宗が名君を目指して、諫言を名臣に求めていた時期(名君)と、諫言を理解できずに嫌になってきた時期(迷う君主)と、最後には諫言が嫌味にしか聞こえなくなってしまった時期(暗君)、の三つに分けられることです。
 ですから、クーデターで己の権力を確立し何とか権力維持、権力強化に励んだ前半、諫言を受けるけれども、実際はそれを聴かなくなった時期、これは先ほど書いた劉洎という名臣ならば諫言に耳を傾けた時期です。そして最後は三度の無理な高句麗遠征、劉洎に死をたまわった時期、諫言が嫌味にしか聞こえなくなった時期、という意味です。

『貞観政要』の読み方
 そこで、私は『貞観政要』の読み方として提案したいのは、

①太宗の性格を聖人として読まないこと
②太宗は年齢で異なる人柄になること

 に留意することです。①は理想主義者(リベラリスト)の守屋氏ではなく現実主義者(リアリスト)の私の観点から生じます。①と②のこの根拠として挙げたいのが、名君の演出、についてです。

名君として自分を演出した太宗
 中国の王朝は皇帝の記録を国史として記してきました。最も有名なのは司馬遷(しばせん)著『史記』です。そして歴代皇帝はこの国史を観たり、改編したりすることは禁じられてきました。実際には王朝が交代すると全王朝を否定する内容に書き換えられることもなくはないのです。
 しかし、太宗は「自分の記録を示した国史を、将来の戒めのために見せろ(本文二百三から二百五頁」と「文史篇」で命じています。さらにこの命令に基づいて、房玄齢らは国史を編纂してしまったのです。『高祖実録』、『太宗実録』で各二十巻です。学術のルールを破った太宗の行動を、諫言すべき門下省長官の魏徴は、

 「ただ今、陛下は、史官に、表現の修正を命じられましたが、これこそまさに公平無私な態度と申せましょう。」

 とおべんちゃらを言っています。単純にこの行為を現代から眺めると、論文偽造であり、国史の明確なルール違反になります。太宗は暗君であり、名臣とされる房玄齢、魏徴はおべんちゃらを言うだけの保身政治家になってしまいます。
 京都学派の中心人物の宮崎市定(いちさだ)先生は、『高祖実録』、『太宗実録』について誇張されていると書かれています。宮崎先生は敗戦後日本を代表する東洋史家であり、訳本である『論語』は、宮崎論語と呼ばれるほど、論語にも精通されています。

太宗と二人の重臣の魂の叫び
 他方、私は根拠があると思いますし、太宗と房玄齢と魏徴たちの努力が透けて見えると解釈します。私は先ほど太宗を三つの時期に分けました。『貞観政要』には年代が記してあります。この歴史改編は、貞観十四年です。私の推測では、名君から迷う方の迷君に入った時代です。この時期は、太宗自身が、諫言の意味内容がわからず、どのように政策を行ったら善いのか、に苦しんでいる時期です。ですから彼は、前王朝の国史を読んでいますし、そして自分がどのように記されるかに自信がなくなっているのです。苦しみ迷うどん底の中で、ふと浮かび上がってきたのが、「自分の評価」だったのでしょう。それゆえに、自分の行いの誇張を命じたのです。最も長く従ってきた重臣である房玄齢にです。最も親しい臣下に国政を投げ出させてまで、編纂を命じたのです。国政よりも自らの不安を優先させた太宗の現実の行動は、彼の巨大すぎる不安と苦悩を映し出しています。そして同時に、国政を優先させていた名君の時代から、不安や苦悩に取りつかれて視界が狭まって行く迷君の時代への移行期だと判別します。
 私は房玄齢がこの命に従い、魏徴がおべんちゃらを言ったのは、太宗の苦悩を見抜いており、同時に、太宗の末期を危ぶんだからだと思います。太宗が諫言の意味を理解できないこと、政治上の優れた思考である二つ以上の思考を一人の頭の中でバランスをとれないこと、を重臣二人は理解したでしょう。そうした人間がどのような末路をたどるのかは、隋の煬帝、太宗の父、太宗の長男であった太子を見れば、明らかです。太宗の周りにたくさん転がっていたのです。このままでは、太宗は重臣の諫言に耳を貸さず、快楽にふけり、得意な軍事で自己満足させて、国家を疲弊させる皇帝におちいってしまいます。重臣二人は、太宗の「どのようにしたら善いのか」という叫びを聞き、国史のルールを破ってまで受け止めようとしたのでしょう。同時におべんちゃらを言ってまでも受け止めようとしたのでしょう。それが国家の安寧のためならば、と苦渋の決断をしたのでしょう。
 歴史は繰り返す、の言葉通り、太宗は諫言をした重臣を処刑し、遠くに左遷し、快楽におぼれ、高句麗遠征という無謀な戦争を引き起こしたのは、述べてきた通りです。ですから、「国史編纂」のエピソードが私には、太宗と重臣二名の魂の叫びと読めるのです。リーダーの孤立と名臣の支えが胸を打ちます。そしてこれは太宗の理想のことばを見る理想主義者(リベラリスト)と、理想のことばと現実の行動を合わせる現実主義者(リアリスト)の違いから生じます。現実主義者(リアリスト)の私は、太宗の政治的資質は平凡が本質である、と解されます。では、平凡な人物の政治記録が、誇張されたにしてもどうして長年読まれてきたのでしょうか。最後に残った課題を論じます。

太宗は名君か暗君か
 宮崎先生は「太宗を中国史上有数の名君の一人」と数えています。また、北条政子、徳川家康、上杉鷹山、明治天皇など数多くの影響から名君としての評価は固まっています。本文では名君とは言い切れない部分に着目してきました。ですから、バランスを欠いていました。太宗の名君と暗君を決める前に、太宗の業績の一端を記します。
 イ)徳治主義と法治主義の導入
 ロ)科挙制度を始め広い人材登用制度の確立
 ハ)国史の編纂や推進
  :三蔵法師がインドより仏典を持ち帰り漢
   訳

 業績と人柄を合わせて読むと、太宗像が浮かび上がってきます。つまり、人柄は不安症であり、単純な思考を持つ人物です。他方、積み重ねることを続けた人物です。そもそも軍人肌ですが、軍事は勢いによってどのようにでも弱くなってしまうことに不安を感じて、学問や書の世界に強い興味を示しました。そこで積み重ねて数々の名臣と諫言によって貞観の治と言われる平穏な時代を生み出したのです。その葛藤を引き受けたことは称賛に値します。同時に業績は偉大です。他方、諫言と名臣を信じ切れなくなり、国史の改編や後継者選び、高句麗遠征など晩年を汚してしまいました。不安症の太宗は、最晩年まで悩み苦しみ続けたのではないでしょうか。であるからこそ、吹っ切ろうとして軍事遠征を行い、後継者選びでは自殺まで考えたのでしょう。太宗は私達と、かけ離れた人物ではなく、身の回りにいる人間の弱さを持っています。そしてそれが『貞観政要』の説く、道徳と政治という側面ではない、人間的な側面での魅力のように読みました。人間の弱さをあばきだした面が読み継がれてきた理由の一つです。例えば、『古事記』や『聖書』は、これでもか、というほど人間や神の弱さ、いじきたなさ、苦悩を書き込んでいる書物です。
 外征に失敗し、後継者選びで見苦しい態度を見せた人物、軍事の天才であり明るさを持つ人懐っこい人物は日本では誰でしょうか。私には太閤秀吉その人が想い出されました。彼もまた、後継者選びに失敗して息子の代で王朝を閉じています。晩年の太閤秀吉を褒める人はほとんどいませんが、彼の弱さも含めて、現代でも大人気の人物です。
 『貞観政要』は太宗が名君でないからこその魅力にもあふれています。北条政子や徳川家康たちも己の弱さを自覚し、太宗の強大な不安や苦悩を共感しながら読んだことでしょう。太宗は政治上は凡人でした。けれども、積み重ねるのを心がけて民の平穏を成し遂げようとした希望の人物なのです。

参考書
〇海音寺潮五郎著 『覇者の条件』 中公文庫 二千十一年一月
〇呉兢著 守屋洋訳『貞観政要』 ちくま学術文庫 二千十七年四月 
〇宮崎市定著 『大唐帝国』 中公文庫 千九百九十八年九月
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【國史】真実の坂本竜馬と歴史の楽しみ方


 「坂本竜馬」が歴史の教科書から消えるかもしれない、というニースが報じられた(平成二十九年十一月十四日朝日新聞)。数百人の研究会に東京大学の先生が入っているので、報じられたのである。これを良い機会と思い直して、真実の坂本竜馬と、歴史の楽しみ方を書いてみたい。

真実の坂本竜馬

 偶然にも、「坂本竜馬」で何か書きたい、とメモをスーツの上着に忍ばせていた。坂本竜馬の言葉を直に本で読んで、ワクワク、ドキドキ、してしまったからである。

○人に対面したならば、どういう方法で殴り殺せるか、と相手をよく見て考えなければならない。もし、殴り殺せる方法が簡単に見つけられるような相手は、知恵がない相手なのである。殺す方法を探すのに苦労する相手は、知恵がある人なのである。そういう知恵のある人は、あったらすぐに、だましてしまって味方にしておくのがいい。

 坂本竜馬の真実の言葉である。高木意訳で続けてみる。

○人を殺す方法を考えて工夫しておかなければならない。包丁で人を指す場合、どうやれば殺せるのか、毒を盛るならば、どういう量で死ぬのか、などなど普段から工夫に工夫を重ねておかなければならない。乞食(こじき、浮浪者、ホームレス)を刀で刺殺し、毒入りの食べ物を与えて、どんなふうに死ぬのかを、二、三人は試しておかなければならない。

 本の著者、海音寺潮五郎氏は、「坂本竜馬もまた(後藤象二郎と共に)乱世向きの人である。今にのこる彼の語録を一読すれば、それは歴然たるものがある。」と書いている。真実の坂本竜馬に驚かず、役に立つ人物である、と述べている。続ける。

○人に薄情にして、義理人情を忘れることを大切にしなければならない。薄情にしながらも、周りの人が褒めてくれ、喜んでくれるように行うことを知恵という。

○涙を流すことは他人に自分の人情を示す手段である。愚かな馬鹿者や女や子供を、コロッとだますのには一番の効き目がある。

○服やお土産、食べ物やお金、貴金属などを人に贈ると、普通の人は親切な人だ、とだまされてしまう。知恵のある人はなかなか、だませないけれども、何度も何度も贈り物をすれば、ついには親切な人だと勘違いしてほだされる(情に引きずられて心や行動の自由が奪われる)。

○自分がしたいと思っていることを人に知られてはいけない。自分の短所も知られてはいけない。これとは反対に、人の知りたいことを知り、相手の短所を知り尽くす人を、優れて賢く、道理を知っている人と言うのである。

○賢く偉い人を見て、かしこまってしまい、尊敬しかできないような時は、こいつは女房と性行為をする時は、どんな声を出して、どんな風に犯すのかということを想像すればいいのである。そうすればちっともこわくなくなるのである。
   以上は『乱世の英雄』 百六から百七頁

 海音寺氏は「姦雄(ずる賢い知恵にあふれた人)的心事歴然である。」と述べて受け止めつつ、「しかし、竜馬は自分自身をよく知っていた。」と評価する。理由は、徳川幕府崩壊後の明治政府に自分の名前を入れなかったからである。後藤象二郎は、新政府で高い位の参議になったが、借金に追われて死んでいる。

 海音寺氏は歴史の楽しみ方を教えてくれる。
それは「歴史が私を、ヒヤリ、とさせる」という楽しみである。人間が持つ理想、空想を歴史的事実で切り刻む、ヒヤリとした感覚である。

理想の坂本竜馬
 
 人は理想、空想を持つものである。でなければ恋ができない。恋愛ができなければ子孫繁栄しない。事実を無視してまで、理想、空想にふける。
 私にとって坂本竜馬は、ヒーローであった。大学に入って司馬遼太郎著『竜馬が行く』を何回か通読して、しまいには、高知県に行った。坂本竜馬が船で大阪に出た、というのでフェリーに乗っていった。フェリーから朝日を見れば、

 「ああ、竜馬さんが見た朝日はこんなであったろうか。」

 と想う程であった。司馬遼太郎氏の書く坂本竜馬は、格好良く、前向きで明るく、日本国に奉仕する理想の男性像そのものであった。妻のお龍(りょう)さんと恋愛結婚をして、日本で初めて新婚旅行に行った似合いの夫婦として描かれていた。私も将来は、日本のために何かをしたい、という想いに駆られるようになったのは、司馬遼太郎氏の描く理想の人物のお陰さまなのである。例えば、私が三十五歳まで結婚しない、と決めたのも司馬遼太郎氏の書く秋山好古大将のお陰さまなのである。
 理想の人物を心のヒーローにして大きな原動力を頂く、というのは歴史の楽しみ方の一つである。

 対して、海音寺氏のように理想の人物ではなく、資料がある部分は必ず資料に基づき、不明な部分はなるべく小さくして書く、という歴史の楽しみ方もある。この楽しみ方は、先ほどの「歴史が私を、ヒヤリ、とさせる」という楽しみ方なのである。そこには自分や祖国にとって都合の悪い事実、見たくもない事実も現れてくる。私にとっての坂本竜馬の真実の言葉は、見たくもなかったかもしれない。けれども、歴史の楽しみとして海音寺氏の文章は読まずにはいられなくなっている。引用先の『乱世の英雄』 「西南戦争遺聞」 二百十から二百十四頁である。

ひえもんとり とは

 江戸時代、処刑した罪人の内臓を陰干しにして、病気の際に少しずつ削って服用する習慣があった。現代日本に住む私には、「熊の胆(くまのい)」のように人間の内臓を干して食べた、と聞くとヒヤリ、とする。さらに、それを競う習慣があったことを聞くとさらにヒヤリとするのである。本文をそのまま引用する。

 『「ひえもんとり」とは、このキモ(内臓)取り競争であった。
 藩政時代(江戸時代の薩摩藩時代)、薩摩では、死罪人がある、藩の若い武士等が刑場のまわりに集まって、竹矢来(たけやらい:竹で作った簡単な柵)にとりついて待機していて、罪人の首が落ちるや、一斉に、矢来を破って突入し、罪人のキモを切り取り、先ず取り得るのを手柄とした。
 殺伐残酷、現代の我々からすると、よくもそんなことが出来たものと疑われるようなことだが、当時の薩摩の武士等には、武士として最も必要な資格である胆勇と敏捷さを鍛錬するに最も適した競技と信ぜられ、これに優勝することは大名誉とされたのだ。
 里見氏(里見弴〔とん〕)の小説(「ひえもんとり」)は、この事実を書いたもので、非情痛烈な味のある、いい作品であったように記憶している。』

 海音寺氏は里見氏の小説を引いている。そこで私は、「そうか、「ひえもんとり」は江戸時代の百五十年以上の前のことか、少し安心。安心。」と思っていると、四行後に、

 「ぼくらの少年時代までは、ぼくの家にもそれがあった。
 ぼくはのまされた記憶がないが、弟や妹はのまされたのを覚えている。」

 と一気に現代に駆け上がってきた。背中がゾクゾクとした。海音寺氏は鹿児島県の生まれで、明治三十四年(西暦千九百一年)に生まれている。であるから、わずか百年前までは少なくとも、日本で人間の内臓が薬として扱われていた、のである。
 残りの三頁で、西南戦争の話を書く。
 西南戦争の際、明治政府側の密偵(スパイ)が捕まるが落ち着き払って処刑されたので、肝太か男(きもふとかおとこ 男らしい腹の座った男)として感心した。彼にあやかりたくて、内臓を取りに行った。海音寺氏のおじさんは、当時少年で道案内をしたが、死骸に近づいて腹の中に手をいれると、

 「ホウ、もう誰か来て取って行ったな。」

 と言い、少年のおじさんは

 「あげんおそろしかったことは、生涯のうちにごわはん(なかったですよ)。」

 と海音寺氏に語ったのである。

 短い文章であるが、私にはとても印象深い。それは坂本竜馬の真実の言葉を聞いた際と同じ印象である。ヒヤリとする歴史の楽しみである。現代の私達が空想する日本を、空想に過ぎないと教えてくれる楽しみである。それは、現代日本の私達が、いかに小さいかを教えてくれ、同時に、これからどのようにでも変わっていけること教えてくれる楽しみでもある。暗記内容を半分にするために、歴史の教科書から坂本竜馬を消す、という志向ではなく、歴史の楽しみを教える志向を教科書に求めたいものである。

 引用書

 海音寺潮五郎著 『乱世の英雄』 文春文庫 二千七年八月 第十二刷

【倫理】名言を通して生き方を見直してみましょう


 顔がこわばり、吐く息が白く成ってまいりました。三年前も、そうであったなぁ、と感慨深くなりました。ちょうど三年前、「ふじの友 第二十二号」の「【道徳】 『論語』と道徳的発達段階」を書きました。「科学技術者の倫理」の講義の予習で、先日、読み返したのです。

講義での導入
 今回は、この講義でした話を書きたいと思います。また、読み返してみると、かた苦しい文章でしたので、具体的な例として結婚を入れて書いてみたいと思います。結婚にしたのは、大学生の皆さんが、関心が高いからです。講義自体は、倫理の基礎付けの話です。基礎付けというと難しいですが、

 「なぜ、善いことをしないといけないの?(倫理)」

 と他人(私は三歳の娘)に聞かれた時、その理由として説明する内容が、基礎付けです。

 ○日本人:「私はご先祖様から生まれた(基礎)」、だから、「善いことをしましょう(倫理)」。
 ○六割の人:「私は神が造られた(基礎)」、だから、「善いことをしましょう(倫理)」。

 ○アメリカ的:「誠実にすると得をする(基礎)」、だから「善いことをしましょう(倫理)」。

 と三つの基礎が出てきています。最後に「アメリカ的」と書いたのは、アメリカで主流の思想「プラグマティズム(功利主義)」の考えだからです。ただし、アメリカには多様な思想があるので「的」をつけました。加えて、プラグマティズムは、グローバリゼーションという名前のアメリカ化によって、日本やその他の地域でも幅広く見られるようになってきています。

生き方の考え方
 現代の日本は、もうお金がなければ生きていけなくなりました。自給自足の生活は成り立たなくなりましたから、お金=利益を大切にすることは生きていくことに直結しています。お金とどのように付き合うか、お金を使いこなすのか、お金に使われる人生になるのかは、大きな問題です。前置きが長くなりましたが、講義では五つの考え方を示しました。

 生き方の考え方
 一 何も考えない=直感
 二 利益と利益を比べて考える(利益を大きくするように考える)
 三 利益と損益を比べて考える
 四 損益と損益を比べて考える
 五 損益をゼロ(零)にするように考える

一 何も考えない=直感
 
 何も考えない、と聞くと、本当にそんな人はいるのだろうか?と思われますが、多くの人は何も考えずに結婚します。何も考えない、というのは行動を客観視して捉えないという意味で、言い換えれば「恋をしたから結婚したい」です。

 「イケメン(ハンサム)だから結婚したい~。」
 「美女だから結婚しよう~。」
 「あなたが好きだから結婚しよう。」

 というのは恋しているから結婚することです。恋とは自分で自分を制御できず、胸がドキドキ、その人のことを目で追ってしまい、近くに来るだけで「嬉しくなる~」です。自分の思想や信念も投げ出してしまうのが恋なのです。それはとてもすばらしいこと。けれども、「何も考えていないこと」でもあるのです。以下の諺を講義内容に付け加えます。

 有名な哲学者ソクラテスが結婚について聞かれて以下のように答えています。

 若者「ソクラテスさん、結婚すべきでしょうか、すべきでないでしょうか。」
 ソクラテス「どちらにしても後悔するだろう。」

 この言葉のやり取りを世間一般ではソクラテスは「結婚は考えることではない」、「人生の知恵を教えた」などと解釈されています。
 私は少し異なります。まず、若者が結婚に悩んでいます。つまり、意中の相手がいるのでしょう。悩む、ということは恋をしているのでしょう。親に従って結婚するならば悩むことはありませんから。恋に悩んで何も考えられない人に、考えなさい、というのはどだい無理な話です。ですから、悩むなら結婚しなさい、と言っていると解釈します。結婚した後の後悔を肥やしにして、自分自身で考える力をもっと身につけなさい、と言っているように聞こえます。ソクラテスは、孔子のように若者の教育に力を入れて、そして優秀な弟子がついていきました。説教をするだけのおじいさんではなかったのだと私は観ています。ですから、どちらでも後悔する。大切なのはその後悔を活かすかどうかだよ、と若者を包み込んでいるように読みました。何も考えていないことが、決して悪い結果だけを産み落とすのではない、という風にも考えられます。

 シェイクスピア(イギリス劇作家 十六世紀文学者)

 「若くして妻をめとる。わが身の災難である。」

 こちらは結婚の悪い面だけに注目します。さすが、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「リア王」など悲劇の天才です。劇とは限られた時間で観客に分かりやすく提示しなければならないので、一面だけを取り上げる才能が必要なのです。

 武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ 小説家、画家、貴族院勅撰議員 昭和五十一年没)

 「馬鹿な者は、独身時代には結婚の喜びを想い描き、結婚すると独身の時の喜びを想い描く。」

 小説家は、人間の複雑な内面性を見なければ書けません。そこには矛盾があり、悲哀があり、喜劇も悲劇もあります。

 トーマス・フラー(イギリス聖職者 十七世紀歴史家)

 「結婚前には眼をひらき、結婚してからは眼を閉じることだ。」

 人間の欲を抑えなさい、と説教するのは、やはり、聖職者の役目です。

 ①何も考えない、で結婚することを、それぞれの立場で見ています。逆から見れば、立場が判るような言葉だからこそ、名前が残っているのでしょう。それにしても多様な立場の人が取り上げている結婚は、人間社会で大きな主題の一つなのが伝わってきます。

二 利益と利益を比較する考え方

 結婚というのは楽しいものです。少なくとも初日は。ですから、結婚する楽しみ(利益)と結婚しない楽しみ(利益)を比べてみる、という考えです。一時期、プラス思考、という言葉が流行りましたが、その前向きさには長所と同時に、大きな落とし穴があります。
 つい先日、ホームセンターにどんぶりを買いにいきました。そのホームセンターの前には宝くじ売り場があり、宣伝文句が聴こえてきました。

 「買わなければ当たらない!!」

 なるほど、これは利益と利益を比べた考え方で、巧い宣伝文句だと感心しました。つまり、こういうことです。

 「買わないと利益はゼロ円。買うと利益は(最大)十億円。」

 「利益ゼロ円と利益十億円を比較して、さあ、買ってください!!」

 という訳です。一歩踏み込んで考えてみましょう。十億円当たる確率は一千万分の一、人工衛星から水滴を垂らして地上の上にいる自分の掌(てのひら)に落ちるくらいの確率です。しかも、当たった人全員に払われるお金を合わせると購入した金額の約半分なのです。つまり、三百円の券を買うと、その瞬間に百五十円になってしまうのです。宝くじに「平均」して「当たる」として五年間買ったと考えてみましょう。

 三百円の宝くじ券 → 五年後、九円の宝くじ券

 になるのです。五年後には九十三%損をするのです。十万円購入すると、五年後には約三千円になってしまいます。当たれば確かに大きいお金をつかめます。この事実を乗り越えるのが、利益と利益を比べる考え方なのです。
 言葉を替えてみましょう。自分が神様に愛されているから自分だけが当たるのだ、と考える人は少ないでしょうが、宝くじを買うということを損益(リスクを含めた)から見ると、自分だけは特別な存在者だ、と考えている人の行動になります。もちろん、神様、仏様はあなただけを特別に愛してくれてはいますが、お金を増やしてくれはしないでしょう。神様は特定の個人の経済上の利益を与えては下さらないからです。しかしながら、特別にお金を与えて下さると考えないと、宝くじを買い続けられないのです。これは、利益と利益を比較して考える人の大きな落とし穴になるのです。
 結婚も同じです。

 結婚する利益:好きな人と一緒に居られる 子供を作れる 世間から一人前と認められる
 世間から一人前として認められる、ことは私自身の強い経験に基づいています。両親に「仕事を一所懸命しても結婚しないと人は認めてくれないぞ」という言葉を聞き続け、結婚しただけで「お前もやっと大人になったか」と親の両方から聞きました。三十五歳まで結婚しない、と自分で決めていて周りの誰にも言っていなかった私は特に印象深かったです。ただ、両親は長年の不仲を通して、六十を過ぎて仲が良くなった時期でしたからかもしれません。

結婚しない利益
 結婚サイトには載っていませんが結婚しない利益は、確実にあります。英国のオックスフォード大学やケンブリッジ大学には、教授が大学に住むという制度がありました。「学問と結婚する」ような制度です。人生の時間の全てを真実に注ぎ込むという生き方です。日常の食事、雑事や家事炊事などは大学の雇用した人がやってくれます。通勤時間も掛からない見事な生き方の一つだと思います。日本では僧侶の生活がこれに近いでしょう。
 結婚する利益と結婚しない利益を比べると、前向きさと同時に大きな落とし穴があるのです。詳しくは次にまとめて述べます。

三 利益と損益を比べて考える
 利益と損益を比べるのは、一般にトレード・オフと言われます。講義で使用した技術分野での説明します。飛行機の翼を大きくすると以下のようになります。

 翼を大きくする利益:航続距離が伸びる
 翼を大きくする損益:速度が落ちる

 翼が細すぎると上昇しなくなり、翼を胴体と同じくらい幅広くすると重すぎて飛ばなくなります。ある範囲で翼の大きさが決まります。戦闘機は速度がいるので、翼は小さめです。対して、ジャンボジェット機は航続距離が必要なので翼は大きめになります。ある行為による利益と損益が同時に生まれる状態のことを指します。

 結婚する利益:先ほど挙げましたように、好きな人と一緒に居られる 子供を作れる 世間から一人前と認められる

 と同時に

 結婚する損益:自分の時間が無くなる 金銭が余分に掛かる 親戚づきあいが増える 世間からの負担が増える

 一人前に認められると同時に、世間からの負担が増えます。私が学生時代にアパートに住んでいた時、町内会は遠いものでした。町内会費を払ったことは大阪時代しかなく、回覧板も回ってこず、町内の行事に参加しませんでした。しかし、結婚して子供ができると、町内会費は必ず払いますし、本年度は班長のお役目が回ってきました。ご不幸があれば班内でお葬式の受付のお願いにかみさんが回ってくれました。回覧板を回さなければなりません。結婚して一人前と認められれば、それから生じる損益も同時にあるのです。この損益を感謝として受け入れることは修養であり、論語の目指すところでありますが、肉体の負担は増加するのに換わりありません。
 かみさんと結婚する時、私の苦手な親戚づきあいが増えることも、町内会等の負担が増えることも、自分の時間が減り、お金が自由にならなくなることも覚悟したうえで結婚を決断しました。
 昨日(平成二十九年十二月十日日曜日)は、息子七歳のミニバスケットの公式戦でした。二回戦で負けてしまいましたが、一回戦目の相手チームの代表が、なんと!、私が所属していた社会人チームの仲間でした。気が強く仲間思いの素晴らしい選手だったのです。試合前に話しかけてくれて、驚き、そして幸せでした。五年も所属したそのチームは、かみさんの妊娠が判ったので辞めたのです。その前に、辞める覚悟をした上でかみさんに結婚を申し込んでいたからです。

 「結婚をして損をした」、「結婚は人生の墓場である」という考え方は、結婚する損益を考えていなかったからです。これは②利益と利益を比べて考える際の大きな落とし穴にはまったことを意味しています。
 では、有名人の言葉を引いてみましょう。仏教を西欧に紹介し、ニーチェ、フロイトなどに多くの影響を与えた十九世紀のドイツ哲学者ショーペンハウアーの言葉です。

 「結婚とは、男性が自己の権利を半減し、自己の犠牲を倍加させることである。」

 彼はこの言葉で何を言いたかったのでしょうか。結婚の利益と損益を比べて考えなさい、でしょうか。つまり、

 「結婚は権利の半減、自己犠牲の倍加」だけど「結婚はいいものだよ。」
 でしょうか? それとも、逆でしょうか。
 「結婚は権利の半減、自己犠牲の倍加」だから「結婚は悪いものだよ。」

 読み解くのは三つあります。
 一つは、母親が女流作家で自己顕示欲が強かったこと(彼は大いに反発していました)。
 二つは、生涯独身であったこと。
 三つは、以下の言葉です。

 「女は子供を育てるのに適している。なぜなら女というもの自体が子供っぽく、愚かしく、身近な物事しか見ない子供に過ぎないからである。」

 彼は結婚しない、という自身にとって最良の選択をしたのです。さすが哲学者です。結婚の大きな落とし穴にはまりませんでした。
 同じ哲学者でもソクラテスは「落ちた上で考えなさい」と言い、ショーペンハウエルは「落ちる前に考えなさい」と言っています。古代人と近代人の違いなのでしょうか。都会人ソクラテスと都会に出てきた田舎者のショーペンハウエルの違いなのでしょうか。それとも太陽の日差しがあふれる南ギリシャ人と、北海道の稚内(わっかない)のように冬に大雪の降る北部ポーランド人の違いなのでしょうか。

四 損益と損益を比べて考える

 今度は、結婚する損益と結婚しない損益の比較です。リスクトレード・オフといいます。

 結婚する損益:自分の時間が無くなる 金銭が余分に掛かる 親戚づきあいが増える 世間からの負担が増える

 結婚しない損益:平均寿命が約十年短くなる 仕事の成果などが認められにくいなど

 結婚が語られるとき、「結婚しない損益」は語られることは少なく感じます。また、統計事実はさらに少なく感じます。かみさんに結婚前に話すと知らなかったのですし、結婚を学問の対象とさめて見ないと浮かび上がって来にくいのでしょうか。良い悪いを考えてみます。

 「結婚すると自分の時間は減る」だけど「寿命は十年延びる」から「結婚は良い」、という判断です。同時に、「結婚すると自分の時間は減る」そして「寿命は十年延びる」けれども「結婚は悪い」という判断です。

 「なるべく自分の時間を減らさない人」や「健康になる食事を作れる人」や「家の中を清潔に保ってくれる人(清潔だと寿命が延びます)」が判断基準になります。加えて、ストレスは寿命を縮めますから、「一緒にいてストレスのたまらない人=相手の短所を私が許せる人」を選ぶことになるでしょう。長所を見るのではなく、短所をみる、が④損益と損益を比べて考えることなのです。ここまでくると、顔の良い人と結婚したい、や好きになったから結婚したい、という①から遠くまで来たように感じます。
 つまり、前向き、言い換えれば欲望全開の生き方は、「若者だからこそできる無鉄砲さ」、「清水の舞台から飛び降りる」、という風に観えてしまいます。「欲を抑えてコントロールする=仏教の小欲知足(しょうよくちそく)」、「すべてが心穏やかになるように、という心境」に近しい気がします。諺を見ていきましょう。

 ラ・ロシェフーコー(フランス貴族、十七世紀文学者)

 「良い結婚はある。しかし、魅力的で楽しい結婚はない。」

 良い、の中に魅力、楽しいが入っていない、というさめた態度が見て取れます。さらに、「ない」と言い切っている点で、客観視しており、チャレンジ精神や前向きさが失われています。彼がどんな文章を書いていたのか、少し推察できるような気がしてきました。

五 損益をゼロ(零)にするように考える

 リスクヘッジと言います。これはトレード・オフとリスクトレード・オフと少し異なります。二つは「何かの行為を自分でする際」の利益や損益を考えていました。対して「リスクヘッジ」は「何かをしない場合も含めた際」の損益を考えるのです。
 言い換えると、お金持ちの人の考え方です。資産が百億円の人をお金持ちとします。総務省統計局の平成二十六年度の調査によると、

 「世帯の家計資産は平均三千四百九十一万」

 となっています。百億円の人は平均的な人の約三百倍の資産を持っていることになります。ですから、このリードを続けたいと思わなければリードは保てません。それは「利益はなくても良いから損をしたくない。」という考えです。ちょっと聞くと「損をしないなら楽じゃないかな?」と思われるかもしれませんが、これが中々難しいのです。なぜなら、モノの値段(物価)は通常上がっていきます。ですから、お金を銀行に貯金しているとお金の価値は減っていくのです。たとえば、十万円で買えた車が、十年後に三十万円になってしまいました。すると、買える車の台数は三分の一になります。つまり、お金の価値(=モノと交換できる価値)が三分の一になってしまうのです。「金があればあるで、金に縛られる」と聞きますが、

 「なんとか持っているお金の価値を減らしたくない。」

 というリスクヘッジを意味しているのです。
 これまでの流れに沿って結婚で考えてみます。結婚というのは、そもそも安定した生活やそれによる社会上、精神上の保全を目的としています。ですから、国家による法律の担保が必要になるのです。人の心は揺れ動き、どのように変化するか判らないものです。遺産問題、兄弟のいがみ合い、仲が良かったのに、今では口もききたくない関係になってしまうのはよくあることです。この様に、人は揺れ動いてしまうのです。その揺れを何とか安定させようというのが結婚の婚姻制度です。私の家でも幼いころは仲が良かったのに、顔も合わせたくない、という関係になってしまった家族関係があります。損益で考えるとこれも損益になります。先ほどのリスクトレード・オフでは観えなかった損益を挙げてみます。

 離婚するときに掛る大変な苦労=結婚することで生じる損益

 二回、離婚している友人がいますが、「結婚はもうこりごりだ。だって、離婚する時に仕事は手に付かなくなるし、色々な問題を話し合わなければならない。もうしたくない。恋人関係で十分だよ。」と話してくれたことが、だいぶ前にあります。離婚は結婚の何倍もの労力と時間が必要である、と聞きますが、そうかもしれません。なぜなら、

 「好き合っている者同士でするお金の話」
  と
 「二度と遭いたくない者同士でするお金の話」

 だからです。さらに、両家の親類が関わってきましたら、目も当てられません。

 「相手の親とは絶対に合わないなら、結婚しない。」

 というのもリスクヘッジの一つと言えるでしょう。結婚することによる損益(未来の可能性も含めて)は、他にもあります。結婚して相手が浪費癖、酒乱等の場合もあるのです。このような損益も計算しなければなりません。もしそこで多大な金銭を使ってしまうと、老後に優れた老人ホームに入って手厚い福祉が受けられなくなってしまうのです。このようにマイナスを数え上げていくと、結婚相手には「真面目が一番、普通が一番」、「当たり前が当たり前にできる人が一番」のように判断でしょう。リスクヘッジは考えなければならないことが数限りなくあり、また、マイナス思考になりがちです。さて、それでは日本以外の人の言葉を探してみましょう。

 モンテーニュ(フランス貴族 十六世紀哲学者)

 「美貌や愛欲によって結ばれた結婚ほど、早く紛争を起こして失敗するものはない。結婚には、一定して変ることのないしっかりとした土台と、堅実にして慎重な行動が必要である。沸き立つような歓喜は、何の役にも立たない。」

 フランスのモラリスト(深い洞察で人間の生活を分析する人)と呼ばれる分野を切り開いた彼らしい言葉です。情熱や愛欲という前向きさは無価値であり、深い洞察に、慎重な行動にこそ価値がある、と書いています。同じ内容でも海を隔てたイギリスでは、皮肉っぽい言葉が残っています。

 モーム(イギリス小説家、軍医、スパイ、孤児、昭和四十年没)

 「なぜ、美人はいつもつまらない男と結婚するんだろう?
 賢い男は美人と結婚しないからさ。」

 スパイや小説家というモーム自身の要素も強いでしょうが、「リスクヘッジしている男=賢い男」という意図は読み取れます。言い換えれば、①のように外見だけで恋にのぼせあがり、結婚する男は愚かであるという文意です。モンテーニュと同じ文意でありながら、皮肉を込めています。つまり、「美人と結婚するのは愚かな男だ」という皮肉です。
 先に母を亡くし、十歳で父を癌で失った彼には「リスクヘッジ」という考え方が染みついていたのでしょうか。それでもモームは、ゴーギャンをモデルにした『月と六ペンス』や自伝的小説『人間の絆』を書き残してイギリス文学の傑作を生み出しています。私は彼の小説の根底にある深い洞察が、「リスクヘッジ」の要素を抱えているように読めます。そしてその深い洞察がイギリス文学の傑作とされる理由なのでしょうか。少し寄り道しましたが、⑤損益をゼロ(零)にするように考える は以上になります。

まとめ
 どのように考えて生きるか、を五つに分けて述べてきました。利益を中心にして、色々な名言を入れてみました。書き上げてみると、十分検討していないことが多いことに気がつきました。結婚をしてみて、考えるべき余地に気がつきましたし、改善をしていきたい点も出てきました。毎回、ふじの友の原稿を書くことが大変だと感じるのですが、こうして考えをまとめる機会を下さっているも感じます。読者の皆様、編集の藤田先生のお陰さまに心より感謝致します。

【随筆】「コーチだ」と思わず声が出そうになった文章


 「(これは、コーチのことだ!)」

 声にならない大声が出てしまいました。

 藤田先生と共に『仮名論語』を、音読している時でした。コーチの偉大さを再確認して感動して、そのままの気持ちを「富士論語を楽しむ会」で発言しました。

 「この文章は、息子のミニバスケットのコーチのことのようです。感動しました。」

 藤田先生が、

 「素晴らしい方がいるのですね。」

 と感想を下さいました。
 
 文章は、伊與田覺著『仮名論語』二百九十五頁の、子張第十九、第九章です。

 「子夏(しか:人の名前)曰(い)わく、君子に三變(さんぺん)有り。之を望めば儼然たり。之を即(つ)けば温なり。其の言を聽(き)けば厲(はげ)し。」

 伊與田先生訳文

 『子夏がいった。
 「君子に三つの変化がある。はなれてみるとおごそかである。近づいて見ると温か味がある。その言葉を聞くときびしくておかしがたい。」』

 さらに、柔らかくしてみます(高木意訳)。

 「子夏先生が言われました。
 立派な人(君子)には、見え方が三つに変化します。遠くから見ると、礼儀正しく威厳があります。近づいていくと、温かく人情味があります。実際に話を聞いてみますと、言葉に力があり、納得できる重みがあります。」

 ミニバスのコーチは、体育館に入ってくると、小学生の部員が急いで走って集合します。親である私も走って集合します。コーチの周りに半円を作ります。凛々しい姿に触れると、練習が引き締まります。キャプテンが、

 「気をつけ、お願いします。」

 と声を掛け、全員が大声で、

 「お願いします!!」

 とご挨拶します。コーチが、

 「お願いします。」

 と返されます。そして親には笑顔も返されます。「さあ、練習本番だ!」と気持ちが引き締まるのです。

 練習中、コーチは厳しい一言、一言が飛びます。けれども、きちんと理由、考えるべき点を示しながらであり、人格否定はなされません。遠くから見ると、礼儀正しく威厳があります。そして言葉に力があり、納得できる重みがあるのです。
 練習が終わった後、親同士で話をするのですが、

 「コーチのお話が、私たち親の人生も振り返るきっかけになります。」

 という言葉を何回も聞いてきました。私自身、コーチのお話を聞いて、仕事で迷いをふっ切ったことが、五回以上あります。

 練習が終わると、コーチは途端に笑顔になります。厳しい言葉はなくなります。身の回りの話や、たわいのない話にも広がります。もちろん練習中は厳禁です。練習中は、子供達をどうやって伸ばしていくか、それは小学校時代の勝利や上達だけを目的にしておりません。生きていく上で大切なことを伝えようとされています。

 「技術が巧い選手ではなく、気持ちの強い選手になって欲しい。」

 「どうしても取り返しのつかない失敗以外は失敗ではないですし、小学校の時に失敗した方がいいとさえ思っています。」

 私の心に残っている言葉を二つだけ書き出しました。

 説治郎(七歳二カ月)はコーチにほれ込みました。コーチの愛情深さと言葉の強さにほれ込んだと私は考えています。私はコーチに接することで理解できましたが、説治郎は、子供ですから直感したのではないでしょうか。その直感は、大きな力を与えてくれました。六年生の公式戦はパホームカップが終わるまで、一度も練習も試合も休みませんでした。菌が入って八度以上出すまで、本日(平成二十九年十月十六日)まで一度も練習を休みませんでした。昨日は朝八時から十二時半までの練習中に、初めて練習を中断しました。十分もしない内に戻りましたが、「気持ち悪い」という理由です。帰宅すると三十八度を超える熱を出し、咳き込んでいました。未熟児ギリギリで誕生し、三人のわが子の中で一番熱を出していたのです。保育園も一番休んでいます。小学校に入っても、クラスで一番、二番目の小ささです。
 その説治郎は、「今日はコーチくるかな」と言うのです。大きな力を与えて下さいました。

 「とくちゃん、とくちゃん。」

 とコーチは説治郎に呼びかけて下さいます。

 一昨日、コーチを支える父親三人が飲みに行きました。そこで説治郎が入るまでのコーチのお話も聞きました。

 「コーチは、子供達をよく見ています。どこまで言えるかを見ながら厳しいことばを掛けてくれる。言い過ぎた時はきちんとフォローもしてくれるし、だから、コーチしかないと思っている。」

 そして昨年は、子供が実質四人しかいない時期があったことも聞きました。ミニバスケットは十人が試合に出場しないといけないという規定があります。それでも、コーチは子供達を愛して下さったのです。コーチが、試合に勝つためのご指導でないことが伝わってきました。

 『子夏がいった。
 「君子に三つの変化がある。はなれてみるとおごそかである。近づいて見ると温か味がある。その言葉を聞くときびしくておかしがたい。」』
 
 私が「コーチのことだ!」と確信した理由です。まだまだ書きたいのですが、最後に一つだけを選んで筆を置きます。

 先ほどの引用文の前、子張第十九、第八章を挙げます。

 「子夏曰わく、小人の過(あやま)つや、必ず文(かざ)る。」

 伊與田覺先生訳文

 『子夏が言った。
 「つまらない人間は、過つと、言葉巧みに言い逃れをしようとする」

 さらに、柔らかくしてみます(高木意訳)

 「子夏先生が言われました。
 普通の人は、間違いをすると誠実に反省せずに、誰かのせいに、何かのせいにしようとしてしまう。」

 入部当初、コーチに対する尊敬の念が強く、あまり話をしていませんでした。しっかりと話をしたのは、ある小学校の試合会場でした。指導のこと、現在の小学生の状況などの話をしていると、

 「私は小学生は基本、嘘つきだと思っています。」

 と言われました。

 「その嘘がよい方向になることもありますが、その嘘が次の嘘を呼び、自分の身に、周りに被害を及ぼすことが判っていないんですよ。」

 と理由を説明されました。先ほどの引用文の「小人」が「小学生」と思える言葉でした。

 「コーチが言われました。
 小学生は、間違いをすると失敗に向かい合わずに、誰かのせいに、何かのせいにしようとする。(それが嘘である)」

【随筆】ぼんやりとした私と致道館(ちどうかん)


 「おれって何がしたいんだろう?」

 と自分探しをしていた時期がありました。二十歳のころです。なんとか、大学に入り、バスケと遊びに明け暮れながら、授業をさぼる日々を続けていました。

 「おれって何が向いているんだろう?」

 とぼんやりと思いながら過ごしていました。大学入学前にアメリカに十日間だけ遊びにいって、日本全国を旅する、と決めたのも、「何が向いているか」をつかもうとしていたからかもしれません。とは言いながら、東京都杉並区、神奈川県茅ケ崎市、静岡県静岡市と東京圏内に住んでいた私は、東京圏以外の場所へ行くのが楽しかったのです。最初に向かった北海道は、ただただ、ひろ~く。ひろ~くて、

 「あああーーーーー!!」

 と大声を出しても、誰も聞いていない土地に生まれて初めてきた気がしました。その解放感を味わうために、次の大旅行は、山形県鶴岡市に深夜バスで向かい、その後、日本海沿いに新潟県、石川県、福井県、滋賀県、妹の住む大阪府に向かう予定でした。服装は短髪金髪、黄緑の上着とズボンでした。確か靴は工事に使うような固いブーツでした。
 自分自身の思いつく限りの派手な格好をして、自分の住んできた東京圏を脱出する。そんな大旅行でした。つまり、ぼーっとして、何か行動をすれば、何かがつかめるのではないか?という単純な思考だったのです。

 「致道館(ちどうかん)」

 パンフレットを義理の父母にもらいました。今年の八月初旬のねぶた祭などを見て回ったお土産です。富士論語を楽しむ会に参加しているのを知っており、

 『親子で楽しむ庄内(しょうない)論語』

 を同じ論語なのでお土産にしてくれたのです。

 「致道館」の文字を見て、最初思い出せませんでした。けれども、沈んだ浮(うき)がジワジワと水面に上がってくるように、「ん?たしか・・・」と思い出が浮かんできたのです。
 「庄内論語」の「庄内」とは、山形県鶴岡市一帯を指す言葉です。その「庄内」が呼び水になりました。思いっきり派手な格好で東京圏を飛び出した私が、山形県鶴岡市で見たのが「致道館」だったのを思い出しました。二十三年ぶりの記憶がはっきりと思い出されてきました。それは恥ずかしさを伴(ともな)うモノでもありました。

 粋がって変な格好をしている若輩者が、「論語」を読んでも何も響かないのです。当時の私が致道館で感じたのは、

 「ふ~ん、勉強してたんだ、昔。でも、他にもありそうだな。」

 という感想、とも言えないものでした。一晩寝るとすぐに忘れてしまうようなぼんやりとした感覚だったのです。書かれていた論語の文章を読んでも、

 「ふ~ん、かたっくるしいなぁ・・・」

 ぐらいでした。あまり記憶にも残っていません。それよりも江戸時代のような古い建築様式が現代の東京にはなく、記憶に残っています。

 二十数年たって、私は国語教室で高校生に小論指導をしています。そこで私は、大学に提出する「志望理由書」や「本人の長所」などを本人に話を聞きながら一緒に書いていきます。つい先日、

 「高木先生、私は何が向いているか本当はわからないんです。どうしたらいいですか?」

 と聞かれ、ドキッとしました。その動揺を抑えながら、私が答えたのは、「致道館」のパンフレットを読む前からの答えです。

 「高校生で自分に向いていることなんてわからないよ。向いていることが解るのは、徹底的に努力した場合だけだよ。私はヘブライ語を三年半勉強したよ。毎日平均一時間くらいしたけれど、全然出来なかった。半年で止めたくなったけど続けてみた。それで語学には向いていないって解った。だから今後の人生の中で語学を専門にすることはない。そこでは勝負をしない、って解ったんだよ。徹底的に努力すれば向いているかどうかが解るよ。何かありますか?」

 けれども、心臓がつかまれるような衝撃がありました。この言葉は、山形県鶴岡市に、格好つけて飛び出した二十歳の自分自身への言葉になっていたからです。
 つまり、いくら旅行をしても、いくら東京圏を抜け出しても、いくら派手な格好をしても、

 「おれって何がしたいんだろう?」

 「おれって何が向いているんだろう?」

 の答えは出ない、ということだったのです。大いに遠回りをして、現在の私にたどり着きました。四十三歳の私から二十三年前の私を振り返ると、薄い時間を過ごしていたように感じます。ぼーっとして、時々本を読んで、文字を追っていても頭に意味が入ってこない、そのような薄い時間です。私が致道館で論語の文章に目を通しても、何も感じ取れなかったのは、文字を追っていたけれども、頭に入ってこなかったからなのでしょう。素晴らしい文章に出会っても気が付かない私自身に気が付いて、恥じ入る気持ちを持ちました。そして、目の前にいる高校生に、

 「ぼくは、高校生の時に気が付かなかったけれど、徹底的に努力することで向き不向きが解るよ。」

 と付け加えたのです。

 つまり、良かったことは、薄い時間について、少しだけ、人様に言えるようになったことでしょう。義理の父母からの致道館のパンフレットは、若輩の時の私を振り返るきっかけとなりました。感謝です。

 『論語』に出逢えて良かったです。生きる時間を濃くしていきたいと思うようになりました。
プロフィール

    名前:高木健治郎

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