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【時事】トランプ氏当確は日本の利益

(ご希望がありましたので、同人誌掲載より前に掲載致します。)


 アメリカ合衆(州)国大統領選挙でトランプ氏が当確を受けた。職場や学生から問われて答えた内容をまとめておきたい。なるべく簡素に、分かりやすくしたい。十一月八日に投票が行われ現在十一日午前中である。

トランプ氏当確のアメリカでの意味

 一つは希望である。アメリカの民主主義が選択を下せた、民主主義が機能した、という希望がある。
 一つは絶望である。アメリカのマスコミの偏向ぶりが変わらず、エリートと既得権益はそのことに気がつかなかった。

トランプ氏当確の日本での意味

 一つは希望である。アメリカの弱体化によって日本は真の平等な日米同盟へとつながり、領土解決へと近づく。
 一つは絶望である。アメリカ大統領選挙に介入しない中立性は、公平や潔白さを重視する大東亜戦争の日本の態度に似ている。中華人民共和国は大統領選挙に大いに介入していた。

大統領選挙の分析

 箇条書きで進めていく。

アメリカ国民は更なる「チェンジ(Change)」を選ぶ
 八年前、アメリカ国民はオバマ氏を大統領に選んだ。結果、大失敗であった。オバマ大統領の目標であった「イラクからの撤兵」と「医療改革」はどちらも大失敗。むしろオバマ大統領になり戦場は増加した。特殊部隊、空爆、戦闘用ドローンの活用で戦場増加を感じさせないようになっているだけである。アメリカ国内の白人と黒人の対立も五割以上増加している。
 世界に目を向ければ、オバマ時代に、中華人民共和国が、南シナ海、東シナ海へ軍船を出すようになり、ロシアがクリミアを占領し、シリアで大虐殺が起こり、「アラブの春」が大失敗し、ISISが出てきた。さらに、欧州で数々のテロ実行が起こった。これらの大きな原因はアメリカ政治にあり、大失敗と言える。つまり、「チェンジ」は悪い方へ起こってしまった。
 しかし、アメリカ国民はトランプという「チェンジ」を、さらに選んだ。アメリカ国民は、

 「現在のアメリカを何とかして変えなくては、たとえ、最悪な結果となったとしても。」

 という選択を下したのである。ここに独裁制にはない民主制の力強さがある。私はヒラリー氏がぎりぎりで勝利すると思っていた。しかし、勝ったのはトランプ氏であった。裏取りができていないので推測であるが、ブッシュ家のような政治集団が最後のひと押しをしたにしても、私は民主制の力強さを思い知らされた。
 裏を返せば、アメリカの子供の半数が貧困である、自己破産の半数が病気による多額の医療費である、などの悲惨な中産階級の生活が限界をむかえている、ということである。この一文に限らず、アメリカのマスコミ以外のアメリカ人による情報を基にしている。例えば、アメリカ軍の基地対外政策担当者などである。

トランプ氏は日本に利益か

 「ヒラリー氏ならこれまでのアメリカの政策が変わらない」という意見が日本のマスコミで散見された。しかし、事実に反する。夫ビル・クリントン時代に、中華人民共和国は極端な反日に走った。靖国問題の激化、南京大虐殺等々である。北朝鮮の核開発を容認した。アメリカ軍は制裁として空爆を提案したが、中止させたのはクリントンである。さらに、クリントン夫妻は、上院議員になる前から中華人民共和国から資金提供を受けている。数カ月にヒラリー氏が各国の首脳から賄賂を自分の財団で受け取り、見返りとしてアメリカの武器供与を数々行っていた、という本が出版された。トランプ氏支持者は「ヒラリーは嘘つきだ。トランプは正直ものだ」と強固に主張していたが、その一つの根拠がここにある。日本は国柄として賄賂を贈ることが出来ない。オリンピック誘致はその典型で、水泳など各種スポーツでは数々の弊害が出ている。歴史分野では、事実無根の従軍慰安婦や南京大虐殺がまかり通るのも、中国が反日資金をアメリカ国内で一兆円使っているからである。他方、日本は賄賂を贈れない。だから、ヒラリー氏当選は不利益になる。
 ただし、トランプ氏が必ず有益という訳ではない。ヒラリー氏ならば日本にとって不利益が確定しているが、トランプ氏は幅がある。だから、有益かもしれない、のである。

利益と利益の戦いでしかなかった

 アメリカのマスコミ報道は日本の偏向報道よりも酷かった。「ヒラリーは希望、トランプは絶望」というスタンスしかなかった。比較的中立だったのはFOXであるが、それでも偏っていた。これはヒラリー氏が利益を代表していたからである。図にしてみる。

 ヒラリー氏:主流派、お金持ち、マスコミ
  VS
 トランプ氏:貧しい白人


 トランプ氏がイスラム教徒やヒスパニック(メキシコ人)などを攻撃するのは、貧しい白人が彼らに職を奪われているからである。ヒラリー氏が自由、人権、平等などを訴えるのは、お金持ちや主流派が利益を挙げているからである。

 「あなたは自由に職業を選べる。(・・・だからアルバイトのように給料が低くても我慢しなさい。儲けはいただきますよ。)」

 日本で派遣が定着したのはアメリカが日米構造協議で押しつけてきた西暦千九百九十年である。そのことによって一気に貧困層が増えた。この貧困層がアメリカには大量にいる。現在の日本の状況で、中国人や東アジア各国の労働者が大量に入ってきたら、アルバイトや清掃などの仕事が奪われ、時給も下がってしまう。そういう実情がアメリカにある。そこをすくい上げたのがトランプ氏なのである。そして、その貧困層から搾取する側がヒラリー氏なのである。

 根本を見つめたい。
 アメリカの民主主義の凋落(ちょうらく)ぶりは目に余る。トランプ氏の勝利はレーガン氏の当選に比べられたりするが、レーガン氏は利益ではなく理念で当選した。

 「アメリカ国民よ、税金を納めなさい。その税金で核兵器などの軍備を拡大させ経済を発展させ、ソ連との戦いに勝利する。」

 と述べてレーガン氏は圧勝した。実際にソ連よりも優れた核兵器「パーシングⅡ」を開発し、西欧(NATO)にも導入してソ連崩壊へと導いた。西欧では百万、二百万人の「パーシングⅡ」導入反対デモが起こり、日本でもマスコミが「東京は焼け野原になる」と叫び続けた。しかし、アメリカの理念を支持したアメリカ国民の知性が、冷戦を終結させた。
 しかし、今回は、ヒラリー氏もトランプ氏も国民に犠牲を強いることなく、国民の耳当たりの良い利益だけを語った。他に大統領候補は二名いた。しかし、マスコミは理念を語る二候補を無視し続けた。トランプ氏と対比すればヒラリー氏が当選する、と考えたからである。それに流されたアメリカ国民は、大統領選挙がヒラリー氏かトランプ氏、あるいは支持しない、という考え方しかできなかった。もちろん、日本では「ヒラリー氏は希望、トランプ氏は絶望」というアメリカのマスコミの偏向報道が公平であるかのように勘違いしている人々もいる。公平な皮をかぶった狼に気をつけなければならない。

トランプ氏で大戦争はない

 ③から導き出せる。大戦争は正義と正義の戦争によって引き起こされる。利益と利益ならば事前に手打ち、あるいは紛争で終了する。これまでアメリカが南シナ海、東シナ海で事前に手打ちで済ませられたのも、アメリカが正義を持ち出さず、中国も正義を持ち出さないからである。トランプ氏は貧しい白人(アイルランド系、イタリア系など)の利益を代表して当選した。だから大戦争にはならない。ブッシュ氏がイラク侵攻をしたのは、クェートを救う、化学兵器使用を止めるという正義(神の命令)を持ち出したからである。そうなると経済観念(利益)は消え失せてしまう。それゆえ、トランプ氏で大戦争は起こらない。

当選よりも閣僚人事が大切

 マスコミ報道で最も気をつけなければならない点は、以下の誤りである。

 「トランプ氏が大統領になる」
  ↓
 「トランプ氏の主張が実際の政治となる」

 アメリカ各都市で「反トランプデモ」が起きているが、同じ誤りをしている。先ほどオバマ大統領の事例でも挙げたが、オバマ氏の主張はことごとく実際の政治とは「ならなかった」のである。日本国内でも同様の経験をしていない人はいない、と推測されるのに、多くの人が「トランプ氏の主張が実際の政治になる」と思い込んでいる。テレビでは識者がトランプ氏の公約を基にして今後の政治を語っている。
 オバマ氏を見てみよう。彼が就任当初に影響力を持っていたのは、その閣僚に優れた人材を採用したからである。さらに、オバマ氏の後見人として退役海軍軍人がついたからである。しかし、優れた閣僚は離れ、退役海軍軍人とも仲たがいをした。最後には主要閣僚のなり手がいなくて困り、オバマ氏の任期終了まで来てしまった。以上のように閣僚が動かないので、アメリカ政界での影響力を失い、その動きを注意深く観察しているロシアのプーチン氏や中国共産党の習氏に付け入るすきを与えてしまった。さらに、ヒラリー氏は数々の汚職を止められなかった。その結果、彼女は決定的にアメリカ軍と対立した。しかし、オバマ氏は大統領として調整できなかった。そもそも彼は一つの理想(世界像)を語れなかった。中東の和平とはどういう形が望ましいのか語れず、現在でも右往左往している。それゆえ、目の前の残虐行為だけで戦場を拡大してしまうのである。
 典型例は、エジプトのムバラク大統領側と民衆側に分れてアメリカの国防総省と国務省が分れて、応援したことである。両派ともアメリカの応援を取り付けたと思い、国内の反対派を弾圧した。現在も中東全体が不安定化し続けている。以上のように、いくらオバマ氏がイラクから撤兵したい、と主張しても閣僚に優れた人を得ないと軍と調整不可能になり、実行できないのである。
 トランプ氏の主張は過激である。なぜなら、貧しい白人の利益を代表しているからである。その政策を実行するための閣僚が決まっていない。その点を踏まえれば、「トランプ氏の主張が実際の政治になる」のは、優れた閣僚にかかっているのである。
 加えれば、先ほども述べた貧しい白人の、つまり特定の集団利益を代表する主張は、当選後によく無視、あるいは遅延することが多い。過激な主張は、過去の歴史的事実につき合わせて考えなければならない。

トランプ氏はヒラリー氏とほぼ変わらない

 アメリカのマスコミの偏向を真に受けるとヒラリー氏とトランプ氏は正反対のように思う。しかし事実は異なる。アメリカは二大政党制で政策を対立させる形を取りながら、この百年間一貫した政策を取りづけている。

 「世界に最も武器を輸出する」
  ↓
 「地域の不安定化」
  ↓
 「戦争の口実を得て開戦」
  ↓
 「当該地域の富をアメリカに集める」
  ↓
 「アメリカの金融の発展」
  ↓
 「アメリカの大統領選挙等の支配」
  ↓
 「世界に最も武器を輸出する」
  ↓
 (つづく)

 第一次世界大戦で世界の一角にのし上がったのは、連合国と枢軸国の両側に武器を輸出し、トラックなどの自動車を売りまくったからである。そうして得た資金を元に金融を支配し、その原資でアメリカ大統領選挙等を支配してきた。一見すると大統領選挙では国民が大統領を選んでいるように見える。本当に国民だけが大統領を選んでいれば、国の政策はコロコロと変わって一貫性がなくなってしまう。ギリシャのように一、二年で政権が入れ替われば国は疲弊する。アメリカ大統領が共和党と民主党で激しく入れ替わっても政策が一貫しているのは、大統領選挙等を上流層が支配してるからである。
 オバマ氏が当選するためには、少なくとも二百五十億を超える資金が必要であった。その内の五十億から八十億が国民の寄付等による。残りは上流層、つまり、銀行や軍需産業、食糧業界等々からの寄付による。トランプ氏当選も三百億前後の資金を要したであろう(まだ、数値が出ていない)。
 当初、トランプ氏が泡沫(ほうまつ)候補で全く当選しないと考えられていた時、

 「医療業界が一億円の寄付をしたいと言ってきた。けど、俺はことわったぜ。そういう汚い金を受けとるから、政治がおかしくなるんだ。俺は金持ちだから、選挙資金は全部自分で出す。」

 と言って国民から熱狂され、一気に有力候補になった。アメリカ国民が現在の医療費負担(例えば四人家族で月平均十一万円以上の保険料支払い)に苦しめられていることが伝わってくる。
 しかし、トランプ氏は選挙戦の途中で、

 「大企業などからの寄付も受け付ける。」

 と宣言した。そう宣言しても有力候補となっていたトランプ氏の人気は落ちなかった。他の有力候補が消え去っていたからである。そして「メキシコ国境に壁を作る」、「ISISを攻撃する」などの過激な主張を打ち出していった。
 つまり、トランプ氏はヒラリー氏のように腐敗していないにしても、大統領選挙を戦うために、多額の寄付を上流層から受けているのである。その結果、閣僚のポストを幾つか上流層が決めることになる。⑤で述べたように実際の政策は閣僚の力が大きいので、結果として、トランプ氏の実際の政策は、ここ百年のアメリカの政策の流れから大きく外れることはなくなると推測される。理念を語ったレーガン大統領ならば、大枠で規制ができたけれども、利益を語ったトランプ氏では、上流層の影響力を排除するのは難しいであろう。
 
アメリカのメディアが失墜

 今回の大統領選挙の最大の敗北者はアメリカのメディアである、と考えている。オバマ大統領の時は、オバマ大統領に味方した。例えば、オバマ氏の名前は「バラク・フセイン・オバマ」であるが、アメリカのメディアは「フセイン」と付けて報道すると人種差別になるから報道してはならない、と規制を敷いた。このような例は枚挙にいとまがない。アメリカのメディアは、これまで多くの大統領候補に味方し勝たせてきたのである。しかし、今回ほど片方の候補を善玉にして、片方の候補を悪玉にして、さらにその善玉が負けるということは過去になかったように想う。
 多くの識者は「ネットの発達」を指摘している。加えて私は、アメリカのメディア自身の自浄作用がなかったことを注目する。
 そもそも、どの国でもメディアは偏向する。日本でも従軍慰安婦や憲法九条問題などで偏向してきた。小川榮太郎氏は「放送法順守を求める会」を立ち上げ、メディア偏向を是正しようとした。NHKやTBSなどのテレビ放送で「安保法案の報道時間が、賛成派が反対派よりも少ないのは放送法第四条の中立性に反する」と主張した。報道ステーションは賛成派の報道時間五%に対して反対派は九十五%という時間の偏りがみられたのである。こうした指摘によって徐々に時間の公正さが、不十分ではあるが前進している。日本国内ではメディア偏向の浄化が国民自身によって確保されようとしている。
 対してアメリカのメディアは最後まで自浄作用が働かなかった。私は「どちらの候補が勝利するか」よりも「善玉と悪玉という偏向報道がどれほど自浄されるか」、「どこの階層の人が自浄作用に加担するか」という点を見ていた。

 アメリカの民主主義において民衆の愚かさを指摘したトクビルである。その愚かさは決して根絶できないにしても、メディアの偏向はなくす方向へ舵を切ることはできる。舵を切らなければ民主主義は衆愚に陥ってしまう。つまり、

 「民衆が自ら選んでおきながら、政治家は全て汚いだけだ。」

 という機能不全に落ちいることである。現在のブラジルは衆愚に陥っている典型例である。
 これを象徴するのが、ヒラリー氏とトランプ氏の公開討論会の第三回目に視聴者数が一割以上減ったという事実である。両候補に裏で質問が知らされている、という毎年の御約束が減少につながったのではない。メディアが国民が望む情報を提供できなくなった、という意味なのである。善玉と悪玉の対立構図というメディアの利益でしか報道しないから、飽きられてしまったのである。このまま進めば、アメリカ国民は自ら選んだ大統領を「汚いだけだ」と切り捨てて機能不全へと近づいていってしまう。そこに導きいれるのは、メディアの偏向なのである。メディアの自浄が今回の大統領選挙の焦点である、というのは以上の意味である。

トランプ氏当選は日本の利益

 まとめてみると七つにもなってしまった。数多くの分析の中で何か心に引っかかりがあれば幸いに思う。

 最後に、日本から見たトランプ氏当選についてまとめる。

 トランプ氏の当選は日本にとって利益になる。なぜなら、夫が反日政策を繰り返し、賄賂を取るヒラリー氏に、日本が賄賂を贈れないからである。また、アメリカ軍から極端に嫌われたヒラリー氏の元でアメリカの軍事力は弱体化するのが確実だからである。武器や総合的な火力だけが軍事力なのではなく、同盟国との協調関係や軍人の士気を含めて軍事力と言う。弱体化したアメリカ軍ならば南シナ海、東シナ海の日本の石油や輸送の生命線が脅かされる。
 対してトランプ氏は閣僚人事が不透明であるが、ヒラリー氏の手法に反対する圧力がかかると考えられる。つまり軍事力の増強である。
 また、トランプ氏の支持層である貧しい白人層は戦争が大好きで、熱狂的に対外戦争を支持する。それゆえ、この支持基盤を持つことで、ロシアや中国共産党などは、軍事作戦を控えるであろう。就任後、二、三か月は少なくとも。

 また、安倍首相支持者ならば喜ばしいことである。何をしでかすか分からない、と思われているトランプ氏(私は頭脳明晰と考えているが)という虎に鈴をつけられるのは、日本の安倍首相しかいない、と世界中が考えるからである。同じ同盟国のイギリスのメイ首相は就任四カ月であるが全く影が薄い。国際会議でメイ首相がどこにいるのか?と気にされない程である。また、EU離脱でイギリス自身の影響力が低下している。ドイツのメルケル首相もEU問題と国内支持率低下で揺れている。フランスのオランド大統領の支持率は五%である。欧州各国は弱体化している。ロシア、中国はアメリカの潜在的敵対国である。すると、トランプ氏と調整役を務められるのは、世界で一人しかいなくなる。
 その安倍首相は、トランプ氏当選を読み切っていたかのように、TPP法案成立を急いでいる。トランプ氏に飴と鞭を付けて法案を突きつけようと準備している。昨日、衆議院を通過した。この通過によってトランプ氏との交渉を有利に働かせようとしている。日本外交の中で、大統領選挙の結果を受ける前に圧力をかけようとする動きが過去にあったであろうか。貿易協定を日本が先導する形で進めてきたであろうか。浅学な私には思い当たらない。
 以上から、トランプ氏の当選は現状ならば、日本の利益になっている。

おわりに

 トランプ氏当選のニュースを聞いて、少しの驚きと少しの喜び、多くの平穏な気持ちでした。アメリカ大統領がどちらでもあまり変わらない、と思っていましたし、それでもアメリカ国民が「チェンジ」を選んだからでした。米ソ冷戦を終結させたのは、レーガン大統領の理念と、それを選んだアメリカ国民の知性があったからです。現在アメリカは、強大な敵が居らず休んでいるのでしょうか。危急存亡のときになれば、知性を発揮するのでしょうか。トランプ氏の当選のニュースを聞いて、未来の危機に備えたい、そのような感傷を持ちました。
 現在を見渡せば、オバマ氏の大失敗を終わらせることをトランプ氏に期待しています。
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エッセイ 「 【随筆】哲学とーちゃんの子育て11 -「きびしい」子育てとパンセの名言- 」


二人一緒に
 朝六時半、日差しが熱い神社への道路で。

 「まなちゃん(四歳一か月)、明日は大浜プールいくよね。」

 「うん、ぃくー。」

 「おとーちゃんとまなちゃんと二人でいくかな?」

 「ううん、とっくん(六歳)も一緒にぃくー。だってね、ぐりんぱ(遊園地)にとっくんが連れてってくれたからぁー。」

 「そっかぁー。えらいなぁー、二人で助け合ってるね。」

 「うんー。」

「厳しい」子育て
 夏休みに入ってもお盆休み以外に保育園がある。しかし休ませてでも、長男とっくんと、長女まなちゃんの希望の場所へ連れて行こうとした。決意したのは、先月のある夜のことだった。

 「とっくーん。」

 「なーに。」

 「おとーちゃんは、きびしい?」

 「きびしい。とっても。」

 「そっかー。」

 「うん。」

 「じゃあ、なんできびしいか判る? なんできびしくするか判る?」

 「・・・わかんない。」

 「そうだったのか。まなちゃんは、おとーちゃん、きびしい?」

 「きびしいよ。でもいいよ。」

 「ありがと。でも、なんできびしいか判る?」

 「わかんなーぃ。」

 「そっかそっか。・・・じゃあ、説明するからちゃんと聴いてね。」

 「うん。」「うん。」

 「おばーちゃんのお家に行って皆でご飯を食べている時に、ご飯を投げて遊んだり、走り回ったらどうなる?」

 「だめだね。」「だめー。」

 「そうだね、そうしないようにきびしく怒らないといけないね。」

 「うん。」「うん。」

 「だから、きびしくするんだよ、わかった?」

 「うーん・・・」「わかんなーぃ。」

 「おばーちゃんのお家じゃなくて、お友達のお家だったらどうなるかな?」

 「うーん。」「・・・(首を横にする)」

 「お友達に嫌われちゃうね。」

 「うん。」「うん。」

 「だからね、お友達に嫌われないように、ちゃんと食べなさい、ってきびしく怒るんだよ。おとーちゃんは、とっくんやまなちゃんが、お友達に嫌われないように、きびしいんだよ。」

 「わかったー。」「わかったぁー。」

保育園の有り難さ
 私の子育ては「厳しい」と言われることがある。保育園に行くと自分でもよく解かる。私が保育園に子供三人を連れていくと、三人とも自分で支度をさせる。六歳のとっくんは当たり前、少し遊んでしまうけれど。四歳のまなちゃんは、全てしっかりできる。二歳のおとちゃんは、自分で荷物と靴を持つ。体半分以上のバッグを持ってよちよちと歩く。プールの用意などは出来ないが年齢で出来る最大限をさせている。
 しかし、他のお家では親が色々と世話を焼くことが多い。加えて私は、支度が遅れると「早くしなさい」と声を出す。私の子育てが「厳しい」と保育園で教えて下さる。保育園は子供を預かって下さると同時に、他の親御さんから子育てをこっそりお示し下さる場でもある。

 「きびしい」子育て、というのを心に留めた。もちろん、厳しくてよい。孔子は「性相近(せいあいちか)し、習い相遠し」と言う。

 「人は生まれた時は殆ど一緒ですよ。けれども、習慣で大きく変わりますよ。」

 との意味である。だから、厳しくてもよい。けれども、厳しくすればよい、という形だけの躾ではいけない、とも言う。最も大事なのは「仁」、つまり「子供への愛」だと言っているのである。
 厳しさは大事、でも、最も大事なのは「子供への愛」である。う~ん、どうしようか、と思い悩んだ。
 思い悩んだ結果が、

 「夏休みに、子供の希望する場所にどこでも連れて行く。」

 であった。もちろん、とっくん、まなちゃん、それぞれ、である。

 とっくんは、最初、映画「シン・ゴジラ」、プールなどを挙げていたが、「ぐりんぱ」に行きたい、ということになった。すると、まなちゃんも行きたい、という。私はとっくんに聴いた。なぜなら、とっくんの選択で行くのだから。言い換えれば、場所を選ぶ権利があるものが、人数を選ぶ権利もあり、同時にそこに生じる義務も負うことになる。その権利と義務を負えるようになるのが大人である。とっくんはあっさりと、

 「いいよ、まなちゃんも一緒にいこう」

 と言った。この時、一切とっくんの決断に口を挟(はさ)まなかった。大人扱いしたかったからである。
 「きびしい」子育ては、子供を子供として扱う。その厳しさは、権利と義務を負う大人へと徐々に置き換わっていく。親から強制される「きびしい」から、自分自身で責任を取らなければならない、別の権利と義務へと置き換わっていくのである。親(私)はいつの日にか死ぬ。せめて、大人への道筋が楽しめるように示してあげたいと想った。

 「ぐりんぱ」へ保育園を休み三人で行った。大いに楽しんだので、帰りの車を走らせると、二、三分で二人とも寝てしまった。

 そして、数日後、まなちゃんの希望した大浜プールへと三人で向かった。大浜プールは市営の無料プールで、長い円周の流れるプールなど五つ以上のプールがある。私も私の兄妹も小学校時代から遊んだ場所で、静岡市の子供たちの夏の定番の場所なのである。たっぷりと二時間遊び、まなちゃんが「さむいから、もう上がる」と炎天下で言う程、プールに浸かった。とっくんの唇はとっくに紫だった。帰るのを決める責任を負うのは、大浜プールを選んだまなちゃんだった。

パスカルの名言
 大学時代によく解からないうちに読み終わった本を読み返している。するとある文章が心に留まった。パスカル著『パンセ』の四百八十番目の断片は以下のように書かれている。

 「手足が幸福になるためには、それらが意志を持つこと、そうしてその意志を身体に適(かな)わしめることが必要である。」

 手足とは私達人間で、身体とは神(真理)をさしている。意訳してみたい。

 「人間が本当に幸福になるためには、まず、自分の意志をきちんと持つこと、次にその意志が真理に適うようにする努力が必要である。」

 子育ての最終目標として読むことが出来る。

 「子供が本当に幸福になるためには、まず、自分の意志をきちんと持つように育てること、次にその意志が真理に適うようにする努力させる必要がある。」


 とっくんとまなちゃんは、前半の、

 「子供が本当に幸福になるためには、まず自分の意志をきちんと持つように育てること。」

 を教えていく段階にある。その具体例が、夏休みに遊び場を子供自身に決めさせることと考えた。
 それにしても、洋の東西の知の巨人が、同じような意味を述べており、驚くばかりである。有り難い気づきだった。

エッセイ「 【石門心学】石田梅岩の要点 」


 前回、石田梅岩先生の思い出話で、先生の人となりを描きました。五月号では、梅岩先生の思想が現代日本でも活き活きとしている場面を、私の教え子の就職体験で説明しました。
 今回は、先生の思想を簡単にまとめたいと思います。

石田梅岩の思想は「つぎはぎ」

 梅岩先生の思想の特徴は、分野ごとに色々な思想を持ってきている、という点です。つまり、つぎはぎの着物のようなのです。
 各分野とは、世界論、宗教論、道徳論、社会論です。そしてそれらを整合する視点が、「心を美しく」になります。「心を美しく」が着物のもとの生地で、つぎはぎする当て布が世界論などの各論になります。
 このつぎはぎには梅岩先生の苦労がにじみ出ています。先生は『論語』などの素読さえ十分に出来ず、奉公の合間に独学で勉強していました。ですから、基本的な本を読みこなせなかったでしょう。御自身で「私は無学で文字を間違えずに手紙(書簡)を書けない」と言っております。謙遜ばかりではないでしょう。
 とはいえ、多くの聴講者に説明するために、各分野で色々な思想を使いました。一見無批判に各論を取り入れているようでありながら、「心を美しく」の観点で全体の整合性を持たせているのです。つぎはぎを生地に合うように切り抜いて当て布にしたのです。
 以上の意味で石田梅岩の思想は、実用に耐えうる思想となりました。つぎはぎだらけの着物のように、温かく使いやすいのです。文章も分りやすく具体的で、相手に苦労を掛けさせないのが大切(仁)である、と言います。それが個人の日常生活から仕事や社会道徳にまで及びます。「心を美しく」を「相手に苦労を掛けさせない」という言い換えは、多くの人に判りやすいものです。孔子や朱子学、仏教などのつぎはぎと知らなくとも、梅岩先生の着物を着れば温かいのです。つぎはぎの良さが梅岩先生の思想の特徴です。
 比べてみますと、伊藤仁斎先生は、孔子の思想に別の解釈を施しております。仕立て直した着物は見た目が美しく、着る人にぴったりしています。仁斎先生は孔子の思想を日本人にぴったりとするように解釈し直しました。他方、伊藤仁斎先生の思想を理解するためには、どうしても孔子の思想を知らなければなりません。
 梅岩先生の思想は、孔子を知らなくとも「心を美しく」、「相手に苦労を掛けさせない」を知ればよいのです。

各論の構図

 ここから、四つの各論を挙げて、それぞれ簡単な説明をします。続けて「心を美しく」で梅岩先生がどのようにまとめたか、を書いていきます。かなり削除しております、ご注意下さい。

○世界論:朱子学そのまま(性理論)
 
 「人の本性は理であり善である。が、気質の清濁で聖人と凡人に分れる。しかし、世界のことを勉強して理となり、敬いと孝行で善となれる。」

 世界の複雑な現象を、理と気の単純な二つの要素で説明するのが、朱子学です。当時の一般の学問でしたし、明瞭でした。梅岩の世界論は朱子学そのもので、易の朱子学的解釈にあたる大極図説を使っています。また、『論語』を含む四書も朱子学の解釈のついた本を、朱子学の『近思録』などを教える際のテキストとして使っています。また、朱子学と異なる伊藤仁斎先生の古学が庶民に広く浸透していましたが、朱子学を元に反駁しています。
 梅岩先生は大極図説などを理論的根拠にし、世界全体の構成が理と気であるから、理に向かうようにしましょう、と日常生活の道徳を教えました。

 梅岩先生:「だから、誰であっても、敬いと孝行を大切にしましょう。」

 と仰られました。

○宗教論:古来日本(全ての宗教は役に立つ)
 
 「神道、仏教、儒教など教えの内容は異なる。けれども、到達地点は一つである。全ての教えが到達するために役に立つ。また、そのためには、教えの内容ではなく自分の心が大切である。」

 名医があらゆる薬を用いるように、自分の心さえしっかりしていれば、神道、仏教、儒教のみならず、老荘思想なども全ての教えが役に立つ、と梅岩先生は仰られます。神道の説明が聞き易い人には神道を使い、仏教がすっと心に入る人には仏教を使う、という具合です。古来の物語「国譲り神話」では信仰の自由が認められましたが、その後、宗教戦争が飛鳥時代を始め鎌倉時代まで続いていきます。神仏習合が定着していく中で、無理のない豊かな教えが梅岩先生によって説かれました。現代日本の「あなたの宗教・宗派は問わないが、私は自分の心を大切にしたい」という日本独自の宗教態度に大きな役割を果たしています。梅岩先生は、宗教・宗派にこだわってお互いに非難し合うのは、それぞれの宗教の教えに反すると言います。そのために、我がままで自分勝手な一人の息子を設定して、その言葉一つ一つに反論して、判りやすく親孝行の大切さを『都鄙問答(とひもんどう)』で教えて下さいます。

 梅岩先生:「だから、どんな教えも自分の心を美しくするのに役に立つ。」

 と仰られました。

○道徳論:ほぼ陽明学(行いが大切)

 「知ることは、すなわち行うことである(知行合一)。真に知るならば、実践を伴うので、親孝行を実際にしましょう。」

 江戸時代は元禄のバブルがあり商人が主役に躍り出ました。先物や証券などが流通し、歌舞伎や浮世絵など豊かな文化が誕生しました。その反面、商人がお金儲けだけに走るようになりました。梅岩先生は、金を儲けることとお金をケチることの段階ではなく、物を大切にすること、道徳に適った信用を形成することを「倹約」と呼び、商人道を説いたのです。つまり、武士や農民など社会の主役であった階層の道徳と同じく、主役に躍り出た商人に道徳を判りやすく、具体的に説いたのです。それは、武士と農民と商人(工人を含む)の全ての職業がそれぞれの役割をこなすべきである、という職業平等です。同時に、商人に社会的意義を与える誇りに満ちた主張でもありました。
 日本独自の商人意識は、他のアジア諸国と異なり、武士中心の封建社会から商人中心の近代資本主義国に発展した一因と、欧米では分析されています。現代日本でも、商取引を内的規範として行わなければならない、という道徳を持っているのは、梅岩先生の影響力の大きさでしょう。

 梅岩先生:「だから、自分の心のために、自分の利益や安心だけを考えてはいけませんよ。」

 と仰られました。

○社会論:当時の京都の学問意識
 
 「与えられた職業で全力を尽くすことが大切である。職業による上下ではなく、全力を尽くすかどうかの方が大切である。」

 西暦千九百九十年以降、江戸時代の実態が明らかになってきました。すると、「士農工商」は実際ではないことが判明し、現在では教科書から削除されました。実際は以下の通りです。この文でも商人と書いて来ましたが、町人の意味でも使用しています。

 武士などの上層階級:移動なし
 商人と工人と農民:移動は自由
  ↓
 武士:政治家、官僚、先生など
 町人:街に住んでいる人(商人、工人、大工等)
 百姓:村に住んでいる人(商人、農民、漁民等)

 梅岩先生は、正確には「町人」道徳を説きました。「町人」は数々の職業があります。そして、「どの職業でも良い。その違いは、社会的役割の違いでしかない。」という認識でした。この認識は、伊藤仁斎先生が、権力を持つと江戸幕府に対して、「社会的役割の違いでしかない。その役割を与えているのは天皇である」と観た点と一致します。権力、財力、影響力共に史上最大の政権になっていた江戸幕府に多くの人々は引き寄せられ、畏れていました。その中で「社会的役割の違いでしかない」と言い切ったのが仁斎先生なのです。梅岩先生は、その「社会的役割」を町人にも与えたのです。いや、全ての職業に社会的役割を与え、道徳を説いたのです。

 梅岩先生:「どんな職業でも、誇りを持って誠実に励みましょう。」

 と仰られました。

安藤昌益とは

 各論で色々な立場を採られた梅岩先生です。特徴を際立たせるために、○社会論で同じ前提に立つ安東昌益(しょうえき)先生と比べてみましょう。
 
 安藤昌益先生略歴
 :秋田県大館市の農家出身、三十歳から京都で医師を目指す。四十二歳青森県八戸市で医師開業、五十一歳『自然真営道』発刊、六十歳死去。

 石田梅岩先生の十八歳年下で共に京都で学びました。青森県特有の冷たい東風「やませ」で凶作と飢饉でバタバタと人が倒れる時代でした。また、冷害に強いとされる大豆を連作し、多くの餓死を招きました。とはいえ、武士には大きな被害がありませんでした。そこで昌益先生は、自然の循環に従う農耕を全員で行うことを目指しました。自然循環を目指す思想は、後に「世界初のエコロジスト」、共有財産を目指す姿勢は「日本初の理論的共産主義」と呼ばれています。また、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の江戸時代で、唯一江戸幕府を否定した思想家でした。

石田梅岩と安藤昌益の違い

 梅岩先生と昌益先生が共に受け入れたのはお考えの前提にあります。


 正しいこと:人が生まれる時、皆平等である。
  ↓
 実際の社会:人は職業や貧富の差がある。
                    」

 この前提を元にして、以下のようにお考えになりました。

 安藤昌益:実際の社会が間違いである。だから、職業の差をなくすために、全員お百姓さんになり、財産の共有をすべきである。

 石田梅岩:実際の社会が問題なのではなく、自分の心が問題なのである。財産は心を磨く道具に過ぎない。

 両先生の解決方法をさらに簡素にします。

 目の前に問題がある
  ↓
 現実の改革を!:安東昌益
 心の改革を!:石田梅岩
               」

 両先生は、人間の生れと社会の現実で共通認識を持たれていました。しかし、その解決方法は全く異なります。それは、目の前の社会が異なったからかもしれません。
 冷たい東風「やませ」でバタバタと亡くなる厳しい現実を突き付けられた昌益先生、自らの町人がおごり高ぶる現実に苦闘した梅岩先生です。
 しかしながら、両先生の目指している社会は共通しています。誰もが安心して暮らせる平和な世の中です。本を読み、両先生の志の高さが浮かび上がってきて胸を打たれました。

まとめ

 石田梅岩先生の思想は、各論がつぎはぎです。けれども、「心の美しさ」という糸を通して使いやすい思想になっていました。また、その思想の目指す処は、誰もが安心して暮らせる平和な世の中でありました。最後部にイラスト入りでまとめます。ご参考下さいませ。

 このようにまとめることが出来、幸せです。有り難う御座います。また、本論の多くは以下の本に拠っています。学恩に感謝いたします。

参考書:
『近世思想家文集 日本古典文学大系97』 家永三郎他校注者 岩波書店 第四刷

エッセイ「【随筆】 久しぶりの一人旅、聖地めぐり 」


 「テストなので水曜日はお休みでお願いします。」

 「わかりました。」

 専門学校の先生から声を掛けられ、臨時のお休みを頂きました。そこで一人旅に行ってきました。七月十二日(火)と十三日(水)です。曇りと大雨の天気でした。
 一人旅は、結婚以来ですから、六年ぶりになります。以前なら、年に一度は一人旅に行っていました。というのも、大学生の目標として「日本全都道府県に行く」を決め、実行した後も、一人旅が癖のようになっていたからです。ですから、一人旅と想いついただけで、体がソワソワ、心がワクワクしました。早速かみさんに相談ともなしに、夕食の時に話をしました。

 「さて、どこに行こうか?」

 「せっかくだから、遠くに行って来たら?」

 とかみさんが言ってくれました。有り難いことです。
 家の役割分担をちょいと前に変えていました。週に一日、子育てをしなくて良い日を作ってくれました。二週分合わせて二日間の旅行にしました。
 さて、次です。行先に迷いました。死ぬまでに一度は行きたい、と言われる善光寺、先月講演でお話した仁徳天皇陵、京都で行われている石田梅岩を受け継ぐ学問所の勉強会、などなど。大相撲の名古屋場所、金沢の世界的に有名な図書館なども候補にあがりました。
 どれも、素晴らしいのですが、しっくりきません。長年の経験からすると、自分の心の声が聞けていない時なのが分ります。心を静かにしてみました。

 「灯台下暗し」

 の諺が、ポンと出てきました。ふむ~。灯台とは何でしょうか? 家族と一緒に行くことでしょうか? いえいえ、かみさんは応援してくれています。そうか!静岡のことだ、と思いました。しかも、いつも富士で「富士論語を楽しむ会」に参加しているのに、富士をよく知らない。時折車で会に参加しても、ギリギリに到着して帰るだけでした。それがモヤモヤしているのを思いだし、富士近辺で探すことにしました。  
 訪れる先を、日蓮聖人が修行された身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)としました。宿泊先は富士市内で探し、平垣町(へいがきちょう)のビジネス旅館「ふるいや旅館」としました。また、富士市を全景で見たいと考えました。場所を探すと、産経新聞社のネットニュースで流れていた、大瀬崎(おせざき)の神池(かみいけ)を思い出しました。今回の旅行は、富士を、静岡を知ることを目的にしました。じっくりと計画を詰め込まない、計画の消化を目的としないようにしました。二か所が決定したので以下のように計画しました。

 十二日
 午前:自宅出発
 ↓
 午後:久遠寺と山頂の思親閣(ししんか
    く)
 ↓
 夕食:富士市の「らーめん大山(たいざ
    ん)」
 夜 :「ふるいや旅館」宿泊

 十三日
 午前:大瀬崎の神池
 ↓
 お昼:お蕎麦屋さん「おもだか」
 ↓
 午後:三島のスカイウォークか沼津深海
    魚博物館

十二日のこと
 朝、子供を保育園に送った後、本を読んでいたら楽しくなって気が付くとお昼前になっていました。「いかん、いかん」と読んだ本を返すのを忘れないようにしないと、と思っていると、キラリン!! と思いつきました。「そうだ、車の中で音楽を聴こう!!」、早速、昔のCDを取り出してきて、USBに編集しました。約一時間があっという間に過ぎてしまいました。家を出たのは一時十五分。出発は、少し焦りながらでした。
 早速ナビに久遠寺を入れると、到着予定時刻は四時!! 「やばい! ロープウェイは四時半で終わりだ」と気がソワソワしてきました。時間短縮のために第二東名に乗ったのですが、テレビ番組で「新清水パーキングのポンテゲージョ」というもちもちのパンを紹介していたのを想い出し、「あーかみさんに食べさせたい」という気持ちから寄りました。結果は・・・塩が強かったです。ちょっと多めに六個買ったのですが、「五個以上は一個サービスです」と七個食べました。そのせいかもしれません。
 新清水インターを降りると、山道の国道五十二号をひたすら北上しました。この河原なら家族で遊びにきたい、など考えるのが楽しかったです。

思親閣は霧で
 思いがけず早く到着し、三時には久遠寺の山頂の思親閣行きのロープウェイに乗っていました。客が私だけで「今日はやっているのかな?」と不安になるほど、空いていました。それもそのはず、ロープウェイを降りて山頂につくと山全体に霧がかかっています。明日からの大雨を前に、天候が悪い、平日、などの条件が重なり空いていたのでしょう。かすかに身延山の門前町や富士川が見えましたが、南の駿河湾は霧の中、東の富士山も見えませんでした。北も西も霧だらけ。
 久遠寺は入口の門の大きさに驚きましたが、思親閣の入口の門をくぐると、霧が心に染み入るようでした。霧の白い静寂さが全身を包み込みました。心が澄んでくるのを実感し、門の前で静かに一礼をしました。
 日蓮聖人お手植えの杉が七百年、命が研ぎ澄まされておりました。二本の杉の間をゆっくりと階段を登っていくと、静謐(せいひつ)な世界がありました。
 華やかさや偉容さはそぎ落とされ、杉の白い肌に霧のもやもやとした涼しさが入り込む世界でした。私は、普段、人の住む世界にいます。その世界は楽しく、苦しく、悩み多き世界です。その人の世界から一気にいろいろなものをそぎ落とし、霧の世界に来られた感じがしました。

 まず、呼吸が落ちつきました。
 手を合わせてみると、全身に入っている力が感じられ、次に足から大地に抜けていく感じがしました。それでもきちんと立っていられるのは、余分な力だけが抜けていったからです。普段、どれだけ余分な力が入っているのか、に驚くほどでした。
 次に、視界が広がり、世界が明るくなりました。白い霧が私の体の中に入ってくれて、余分な力を大地に与えてくれ、光をもたらしてくれました。
 なんとも心地のよいものでした。

 二時間半もかかる山頂へ、五十を過ぎても日蓮聖人は、よく登られていたそうです。この静寂の中で親を思われたそうです。いろいろなものをそぎ落とした上で、ご両親様を想われたことでしょう。
 私はただただ、霧の音を聞いておりました。

 参詣がすむと、大きな柱に気が付きました。日蓮聖人の御母堂の生誕七百五十年記念の柱でした。インドの原始仏教では「孝」とは悩みの源であり、否定すべきものです。山頂の売店で買い求めた、鈴木修学著『無量義経(むりょうぎきょう)略義』の十九(二十五から二十八頁)に書かれています。けれども、それを日本に合うように「孝」をお入れなさったのが日蓮聖人の偉大さであると、柱をみて、つくづく感じ入りました。もし、日本人が古来より持っている「孝」の感覚を取り入れなければ、久遠寺は七百年もの長き間、保たれることはなかったでしょう。尊い聖地が続いていることに、頭が下がりました。

 山頂からロープウェイを降り、久遠寺の本堂にお参りしました。裏から無料のロープウェイがあり助かりました。修行僧が横のお堂で談笑しながら歩くなど賑(にぎ)やかに感じられました。帰りに門前町を通ると、久遠寺境内の賑やかさが、さらにごちゃごちゃして、耳が割れるほど煩(うるさ)く想われました。それは思親閣に入って体から抜けて行った苦しく、悩み多き世界に戻ったことを意味します。
 悩み多き世界からちょっとだけ遊ぶように離れて、研ぎ澄まされた感覚を持てるのが一人旅のよい所だと想い出しました。私はこの感覚を忘れていたのを思いだし、懐かしくなりました。

 来た道を戻りました。国道五十二号を南下して富士市の「らーめん大山」に向かいました。音楽を聴きながら、窓を全開にしていきました。ナビで住所を登録したのですが、どうにも到着しないこと三回、近くのラーメン屋にしようか、と何度も思いました。
 「いやいや、あのラーメン屋は静岡市にもある。富士市にしかないラーメン屋にしよう」と迷うこと三十分以上、やっと到着しました。美味しかったで~す。

旅館とはいえ
 平垣町の「ふるいや旅館」には迷いませんでした。「富士論語を楽しむ会」の会場から徒歩十分程度の場所です。なんとも嬉しかったです。しかし、フロントに行くと無口なおじいさんが座っているではありませんか。「いらっしゃいませ」も言わないのに驚きましたし、希望していた「和室ふかふか布団」のコースが「洋室が開いていますから」と勝手に変更されていました。びっくりしました。けれども、翌朝、その理由が察せられました。三十分の散歩を終えて七時ごろ、朝食を食べに食堂に入ると、二十代から五十代前後までの肉体労働者の方々が朝食を、がっつりと食べていました。部活の合宿に利用されるなど荒々しい客層のビジネス旅館だったのです。私が八時半ごろ出発しようとすると、優しい声で「昨晩は、大きなお風呂は入ったの?」と聞いてくれました。
 入口に、ところ狭しと並んでいた三十足以上の靴はすっかり無くなっていました。平日の朝、皆さん現場に向かわれた後で、おじいさんもホッとしたのでしょう。そういえば、部屋を替える理由として「隣がうるさいから」と言っていましたっけ。
 洋室は・・・でしたが、確かに静かでした。夜は、セブンイレブンの商品を外国人がランキングしていく、というテレビ番組を見ながらうつらうつら。九時か十時には寝てしまいました。
 長期滞在型の旅館で、ごはん、みそ汁お替り自由のビジネス旅館、面白い宿に泊まれました。

十三日のこと
 朝八時半に宿を出発し、富士市の海の反対側の大瀬崎へとナビを入力しました。予定時刻は十時五十分。実際の到着は、十時前でした。最初は海の香りに、おぉー、と声が出て、漁船が走っている姿に感動しましたが、一時間近く海沿いの山道を走っていると、慣れてしまいました。
 今日は午後から雨の予報で、海に靄(もや)が掛かっており、景色は期待できませんでしたが、産経新聞のネットニュースで、神池の空中からの動画が目に焼き付いていました。伊豆半島から、ポコンと米粒が飛び出したような大瀬崎は周りを海で囲まれています。その大瀬崎の真ん中に神池があり、なんと淡水だとニュースは伝えていました。どうしてそのようになったのかは、現在も不思議だそうです。伊豆の七不思議として、はたまた、大昔では土佐(高知県)で大地震があったときに、引っ張ってきたのだ、という伝説を現地で知りました。実際に、「大瀬神社」は「引手力命(ひくてぢからのみこと)神社」でした。遠くから島を手で引っ張ってきた力をお祭りする神社の意味です。

 大瀬崎に着くと、少し困りました。車で神社まで行けるのかどうか、不安になったからです。坂を下りていくと、右手に大きな駐車場があるのですが、細い道が直進できそうなのです。ただ、看板に「進入禁止、ただし業者は通行可能」と書いてありました。一旦、大きな駐車場に止めたのですが、神池までは一キロ程度歩きそうです。ここで良いのだろうか?と不安になりました。そしてまたまた、誰もいないのです。聴くことができずに、しかたなく歩くことにしました。
 進入禁止の看板を徒歩で通り過ぎると、穏やかで美しい砂浜が見えてきました。海水浴場のようですが、泳いでいる人はおらず、皆さんスキューバーダイビングの準備をしているようです。幅一メートルほどのコンクリートの道を見ると、大瀬崎の先まで続いており、鳥居が見えました。
 大瀬崎とは反対の右手側、海岸の後ろには高い山があり緑が深いです。眼前には海、そしてその先には靄が掛かっています。左川は大瀬崎の一面の緑です。靄に閉ざされた小さな山と海だけの世界に来たようでした。
 ただ、晴れたらまた、全く違う世界なのだろう、と想いましたし、家族で来るには楽しそうな所だとも想いました。

大瀬崎の神池にて
 大瀬神社の鳥居へと、トボトボと歩き出しました。右に湾曲しながら鳥居に着くと、みっちりとした森林にたどり着きました。とても海の先とは思えませんでした。鳥居の前で一礼をし、引手力命神社に参詣しました。少し高台で右手に駿河湾が見え、確かに大瀬崎が米粒の先なのを実感しました。
 階段を下り、そのまま神池の方に向かおうとすると、無人だと思っていた社務所に、なんとおばあさんが座っていたのです?! 
 声は出ませんでしたが、心の中では大声を出してしまいました。
 神池に入る料金百円、鯉の餌の料金百円を木枠の穴の中に入れました。無人ではありませんでした。
 神池には、数百匹のインド鯉(一般的な鯉)がいました。人を見ると口をパクパクさせていました。インド鯉は淡水ですから、確かに淡水なのでしょうが、念のため、池の水をなめようとしてみました。
 
 泥水の淡水でした。
 続けて十メートルぐらいのちょっとした森を抜け、外側の海の水をなめてみました。
 
 海水でした。
 しょっぱかったです。たった数十歩なのに、二つの水の違いがなんとも面白かったです。大瀬崎の先っぽに立つと見渡す限りの靄で、富士市は見えませんでした。神池を一周して、おばあさんに「ありがとうございました」とお礼を言いました。鳥居で一礼をして戻っていくと、スキューバーの練習を終えた三名が上がってきていました。浜辺にある何軒かの旅館を見て、家族と天候に恵まれた日に一緒に富士市を見たい、という気持ちになりました。
 駐車場の出口で料金を払おうと窓を開けると、ポツポツ、と雨が降り出しました。
 
 帰りの車の中でも音楽を聴きましたが、どうにも気持ちが入りませんでした。久遠寺からの帰り道では、聞き込んだ音楽が体全体に沁み込んでいくようで、大声で歌ったのです。

 大瀬崎は自然が作りし、聖地です。これ程の聖地は思い当たりません。他方、身延山久遠寺は人が作りし、聖地です。その尊さも比類なきものです。
 とはいえ、私の心の何かは、久遠寺の後で音楽を聴くことを許し、大瀬崎の後には音楽を求めませんでした。それは何であったのか、少し考えてみたいと思いました。一人旅ならではの発見と新しい課題を頂きました。

 昼食は、沼津市岡宮の「おもだか」という蕎麦屋さんでした。品の良い、見目麗(みめうるわ)しいお蕎麦で美味しく満足でした。それにしても、新興住宅地の奥まった場所にあって、ナビを使っても、また三十分くらい迷いました。どうも美味しいものを食べようとすると、迷わせらるる一人旅となりました。

エッセイ「【石門心学】 石田梅岩の思い出話 -問題付記- 」

 
初めに

 ミニ講演を行うために「石田梅岩の思い出話」を作成しました。平成28年7月2日に講演し、文中の思い出話を読み上げ、参加者のご意見、ご感想を伺いますと、熱心なご発言、沢山のご感想を頂きました。その熱意に打たれ、学生の心を動かすものがあるのではないか、と感じました。そこで、専門学校と国語専門塾の学生に向けて、問題を付けました。
ミニ講演では、石田梅岩先生の人となりを知って頂くのを目的としまして、専門学校では文章の読解力や相手を思いやる力を目的としました。国語専門塾では読解力や思いやる力を受験生に伝えるため、高木が問題に解説を付けました。解説は受験生向けになっております。
そのため、当の文章は三段階で作成されており、統一が損なわれている箇所があります。以上の経緯を踏まえて、お読みいただければ幸いです。

―――――以下、本文です―――――――

1.石田梅岩先生とは

 石田梅岩:貞享(じょうきょう)二年誕生、延享(えんきょう)元年没す。西暦1685年~1744年です。
     五代将軍綱吉のバブルの元禄時代からデフレの享保(きょうほう)時代を生きる。
      京都府西側、亀岡市南部の山間地出身。林業農業の家に生まれ、分家、次男。
      現在の9歳で小さな商家に丁稚(でっち)奉公、14歳で郷里に帰り、再び23歳で豪商に奉公し42歳奉公停止、その頃、初講義、60歳死去。

○ 唯一、説いた徳目は「孝」です。
○ 「明治維新の時、なぜ日本が近代化できたか?」の理由として欧米人が梅岩先生を挙げている。
○ 「どの宗教でもいいよ。心が美しくなれば」と言い切ったのが素晴らしい。(渡部昇一先生談)


2.梅岩先生の思い出話


○8歳の頃のお話:子供時代1 (梅岩先生を梅岩さんとします)

現在の8歳の頃、梅岩さんは、山へ遊びにいきました。すると、隣の山と、自分の家の山の間に栗が落ちていました。梅岩さんは、5,6個拾って、お昼ご飯に出しました。父親に「この栗を山で拾ってきました」と何気なく言いました。すると、父の権右兵衛(ごんべえ)は、「栗はどこに落ちていたのだい?」と尋ねました。梅岩さんは、「隣の山と、うちの山のちょうど境に落ちていました」と答えたのです。父は、「うちの山の栗が生えている場所からは、境に落ちていかない。けれど、隣の家の山の栗林からは境に落ちる。その栗は、隣の家の栗である可能性が極めて高い。それなのにお前は何も考えずに拾ってきたのか!」と怒りました。そして、お昼ご飯を途中で止めさせて、「直ぐに山の境に栗を持って行きなさい」と言いました。梅岩さんは「申し訳ありませんでした。」と言って、すぐに山の境に栗を戻したのです。(梅岩先生の幼年期の唯一残っているお話です。そして梅岩先生の家庭環境が伝わってくるお話です。)

 どのように想われましたか?

――――――問1、問2、問3とその解答は後付けです――――――――――――

問1 最も強く心に残った印象を、単語一語で書いて下さい。「 愛情(印象なので各人自由)    」

 理由:梅岩さんは農家の次男である。梅岩さんが地元で生きていくためには、地元の規則を守らなければ生きていけない。ましてや次男だから結婚ができない。弱い立場ならば尚更、地元の規則を順守しなければならない。そのため、幼い頃から地元の規則だけは身にしみこませるように教えるのである。厳しさは梅岩さんの将来を想うがゆえの愛情である。

問2 梅岩さんのお父さんはどういう性格でしょうか。  「 愛情深く質実剛健  」な性格

 理由:愛情深い理由は問1に書いたとおりである。質実剛健とは「飾り気がなく中身が充実したさま」を言う。子供に理由を説明しない点は飾り気がない。また、厳しさを子供に言い聞かせる強さがある。それは農家の当主としての中身が充実したさまから生み出される。表の法律では「境のものはどちらがとっても良い」というであろう。これを清規(せいき)と云う。しかし、実態に即した現場現場で替わる規則を「陋規(ろうき)」と云う。「清規と陋記」を最初に取り上げたのは、孔子である。『論語』の一節に

「私の村にはとても正直な者がいます。彼の父親が羊を盗んだとき、自らの父親を訴えたのです。」
孔子はこれを聞いて答えます。
「私の村の正直者というのはそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠します。本当の正直とはその心の中にあるものです。」

がある。「清規と陋記」で「陋記」を優先することが正直の根本にある、と云っています。梅岩さんの父親は文字が読めたかは定かではないですが、それでも清規よりも陋記を優先することを梅岩さんに教えました。そしてそれが農村社会で生きていくための知恵であったのです。現在日本でも、同様の話はたくさんあります。法律通りに運用しないことは、銀行、原発、警察、教師など枚挙に暇がありません。

問3 感想を1,2行で書いて下さい。

 天才や偉人の話にありがちな、「小さい頃から優れていました」という話ではないことが心に残りました。梅岩先生は有名になった後も、小さい頃を美化しなかったのでしょう。

梅岩さんの思想の土台を父親が教えられたのが推察されます。


○9歳から14歳の丁稚奉公の頃のお話 子供時代2

 梅岩さんは次男でした。当時の次男の習慣通りに父親の友人の勧めで、京都の商家に丁稚奉公に出かけました。分家は十石からという決まり、農村では勝手に商売はできない決まり等がありました。当時の習慣では、奉公先から、盆暮れに着物や沢山のお土産を持たせて里帰りをさせていました。それが半年の給料だったのです。しかし、梅岩さんは何も持たされずに父母の元へ帰ってきていました。父母や友人に不平不満をこぼすことはなかったのですが、母親が近所の手前、「どうして新しい着物をもらえないの?」と問いました。梅岩さんは、むにゃむにゃと言ってはっきりと答えませんでした。そして里帰りが終わり、丁稚先に戻ったのでした。
その後、父の友人が訪ねてきた時に、梅岩さんの話が出ると、父の友人はびっくりして、驚きました。そして友人は父親に深くお詫びをしたと言います。そして友人は「そういう仕事先は直ぐに辞めて、もっと裕福な商家で仕事をするように」と勧めたのです。父親は友人のことばを聴いて、「それなら、家の帰ってきて手伝いをするのがいいだろう」と言いました。
 家に帰ってきた梅岩さんは、9歳で家を出た時に着ていた、垢まみれで汚れた着物で帰ってきました。母親はその姿をみて「かわいそうに」と思わずもらしてしまいました(高木注:小学校3年生の服を伸び盛りの中学校2年生が着ている姿を想像してください)。そして「どうして、そんなに不自由でひどい所なのに、何も言わないで我慢していたんだい?」と聞きました。すると、梅岩さんは、「丁稚奉公に出る時に、『(実の父母から)くれぐれも、商家の主人夫婦を、お前の父母と思って一生懸命がんばりなさい』と言われたので、守ったのです。実の父母と想えば、不満があっても他人に訴えることは善くないことだと思いました。」と答えました。

感想例(高木)
 梅岩さんの父親が梅岩さんを家に戻したこと、終始梅岩さんに何も言わなかったことに、感じ入るものがありました。お父さんは友人を責めなかったのは立派です。

―――――――――――――
問1 最も強く心に残った印象を、単語一語で書いて下さい。「  奥深い   」
問2 梅岩さんのお母さんはどういう性格でしょうか。  「  愛情深い   」な性格
問3 梅岩さんのお父さんはどういう性格でしょうか。  「  賢明     」な性格
問4 感想を1,2行で書いて下さい。

 梅岩さんを深く愛する父親の姿に心打たれました。父親はへっぽこな奉公先を紹介してくれた友人を決して非難していません。もし、梅岩さんがへっぽこな奉公先でも商人の才能があれば、自分で奉公の傍(かたわ)ら稼ぎを考え出して自分で儲けて、服やお土産を買って帰ったでしょう。現在の中学校2年生ですが、当時は早熟で結婚してもおかしくない年齢でした。現在の20歳から25歳位でしょうか。社会的に才覚が出てくる年齢だったのです。その年齢になると梅岩さんの持っている性質、性格が表に出てきます。つまり、父親は、梅岩さんが持って帰ってくる珍しい服やお土産などが目的ではなく、梅岩さんの性質、性格が現れるのを目的にしていたのです。ですから賢明な父親だと考えます。小学生3年生の服を身長が伸びている中学校2年生の姿を見て、思わず「かわいそうに」ともらす母親は、愛情深いと考えます。
ですから、①父親は梅岩さんが何も持って帰らないことを知りながら文句を言いませんでした。ですから、②友人に勧められた次のお金持ちの奉公先を断ったのです。ですから、③父親は梅岩さんを農家に戻したのです。梅岩さんが商人の利発さよりも、父親の言う道徳を優先して生きる生き方しかできないことを、6年間の奉公で知ったからです。
「子供は親の道具ではない」とよく言いますが、子供が大学受験に向いているかどうかを親は考えて、試してあげているでしょうか。私は息子が成長していく時に、梅岩さんの父親のように試さなければならない、と教えていただきました。父親の愛情の示し方の手本として、この話を読みました。同時に、学生の皆さんに接する時、梅岩さんの父親の目を持って接したいと、この話を読みました。
普通ならば、子供がアルバイト先に言って、時給800円と云いながら6年間もタダ働きさせられていたら、父親として文句の一つも言いたくなるでしょう。


○豊かな時代の着物のお話:青年時代1

 23歳から再び奉公に出ましたが、裕福な商家でしたし、丁度バブルのような豊かな時代となっていました。重役(番頭)に出世していた梅岩さんは、ご主人のお母様に聞かれました。「お前は、番頭さんなのに、どうしてみすぼらしい縮緬(ちりめん)の羽織(上着)を着ているんだい? みんなは上等な絹の羽織を着ているというのに」と。すると梅岩さんは、「それについては気が付いているのですが、私には1枚しか上着が無いのです。買い替えると余分にお金もかかりますから、申し訳ないのですが、そのままで来てしまいました。」と答えたのです。ご主人のお母様は、「それなら、そのみずぼらしい羽織も、上等な絹の羽織と同じですね」と認めて下さったのです。

――――――――――
問1 最も強く心に残った印象を、単語一語で書いて下さい。「  充実   」
問2 主人のお母様はどういう性格でしょうか。     「 心豊かで寛容 」な性格
問3 感想を1,2行で書いて下さい。

 何とも心温まるお話です。偉大な石田梅岩先生が御独りで思想を打ち立てたのではなく、周りの方々からたくさんの恩恵を受けられたのを教えてくれるお話です。

以下は、学生の皆さんに向けての言葉です。
読み取るポイントは「1枚しか」です。
お母様は問われたのは「あなたの格好(羽織)は、ビジネスシーンに合っていませんよ」という意味です。現代で言えば、大学受験の面接で学生服を着なければならないのに、私服で受けるようなものでしょう。それを頭ごなしに全否定しないで、理由を尋ねる処にお母様の心の奥行きが読み取れます。これに対して、梅岩さんは、「ビジネスシーンに合っていないのは理解しているのですが、1枚しかないので申し訳ありません」と答えています。ここで読み取ってほしい2点があります。あるいはもう1点。

① もし2枚以上持っていれば、ビジネスシーンに合わない服を着ていることの言い訳ができない
私服も持っており学生服も持っているのに大学の面接に私服を着ていくことは避けなければなりません。しかし、学生服を破いてしまうなどで着られない状況なら、私服でも許されることになります。

② 次に梅岩さんが買う服装は必ずビジネスシーンに合う服であること(上等な絹の羽織を買うこと)
言葉として書かれていませんが、「買い替えると余分にお金もかかりますから」とあります。つまり、次は上等な絹の羽織を買うことを意味しているのです。お母様はこの言葉を聞いて、言葉として書かれてない内容を読み取って、安心され、「むしろ、その節約の心がけ」をほめて下さったのです。

③ もう1点付け加えれば、梅岩さんの出世の早さについて梅岩さんとお母様で共通の認識があった、という点も読み取れるようになると素晴らしいと思います。紹介文の「再び23歳で豪商に奉公し」と「五代将軍綱吉のバブルの元禄時代からデフレの享保(きょうほう)時代を生きる。」からの推測が必要です。その意味で難しさがあります。具体的に言えば、紹介文を読む時に「梅岩さんの若い頃はバブル、40歳ごろからデフレだったのだ」ぐらいの認識を持てたかどうかに掛っています。この点が頭に入っていると、梅岩さんが少なくとも30歳くらいまでには番頭(重役)に出世していたのが推測されます。その出世の早さによって、手代さんの時の縮緬の羽織が、番頭さんの時に合わなくなった、という現象が起こったのです。

 最後に、お母様は年をとっても頭ごなしに決めつけず、人を責めずに、ましてや奉公人を大切にした人だったのです。心掛けを大切にするお母様の姿勢に包まれて梅岩さんは、ご自身の思想を育てていくことができました。この話は、偉大な石田梅岩先生が御独りで思想を打ち立てたのではなく、周りの方々からたくさんの恩恵を受けられたのを教えてくれるお話です。お母様の心の豊かな寛容の精神が伝わってくるお話でした。


○豊かな時代の生き方のお話:青年時代2

 同じバブル時代でした。梅岩さんは、ゴミ箱に紙ごみは入っているのを見ると、黒ずんだりゴミのように汚れたりしていても紙ごみを取り出し、紙のリサイクル箱にいれました。
また、当時は野原などで大小便をするのも当たり前でした。しかし、梅岩さんは30年間、なるべく厠(かわや:トイレ)で用を足すようにしました。外出して厠がない場合は、田畠の中で用を足したのです。というのも、大小便を肥料にしたいと思っていたからです。梅岩さんはリサイクル箱に入れるのはお金を稼ぐためではなく、「利用できるものが捨てられることを何とも思わない心を身につけたくないから」と言っています。「身分相応の倹約です。」という言い方をしています。ちなみに、自分の才覚でお金を節約して大金持ちになろう、というのは井原西鶴です。

――――――――――
問1 あなたはどういうお金の使い方をしていますか?

 私は結婚前には、ゲームセンター、カフェ巡り、一人旅、バスケなどにお金を使っていました。例えば、全都道府県に旅行した後も雑誌で見た京都のカフェに新幹線で行ったこともありました。しかし、結婚をしてゲームセンター、カフェ巡り、一人旅、バスケなどは全て止めました。ただ、本や漫画には依然お金をかけています。お金の使い方は、人生を決めます。大学に入り、「100万円の車を買っても大したことはないが、100万円分の本を読めば大したことはあるぞ」と父親に言われて、「その通りだ」と思いました。そこで「1年間に本を100冊読む」と決め、6年間実行しました。最初は苦しくで仕方がなかったのですが、なんとか完遂できました。また、受験の合否、恋愛、結婚、出産などは自分だけでは決められない、どうしようもない要素が入っています。その自分だけでは決められないものに取り組むのが人生なのです。しかし、お金の使い方は比較的自分だけで決められます。その意味でとても大切だと思います。
 さても、平成28年7月に、お金の使い方を少し変えました。結婚以来、7月12日、13日に一泊の一人旅を6年ぶりにしました。同じく6年ぶりにバスケを8月から再開します。
 大学入学も一つのお金の使い方です。そういう見方でも考えてみてください、「なぜ、勉強するのか」を。

問2 感想を1,2行で書いて下さい。

 生活習慣の心がけが、「心の美しさ」を大切にしていることが実感できる御話であった。リサイクルをする際も、「心の美しさ」を含む「もったいない」も大切にしていきたい。

 石田梅岩先生の偉大な処は、「お金になるかならないか、ではなく、心の美しさが大切である」と言い切った点にあります。毎朝、熊野神社に子供3人と参拝しますが、道路を掃いてくださっているご老人を見かけます。「お金になるから掃いているのではなく、家の前を通る人が気持ちいいと嬉しい」というお気持ちからだと推察します。これこそ「心の美しさが大切である」という意味だと思い、深く尊敬しております。あるご老人は、「毎日の習慣ですから」と少し恥じ入るように言われました。「自分が偉いことをしている。世の中に役に立っているぞ」という傲慢な気持ちがないのです。子供たちには必ず「おはようごさいます」と私と一緒に挨拶をさせます。挨拶をしないと注意をします。まだ、子供たちにはその意味が判らないでしょうが、大きくなったら話すつもりです。
また、「日本に来て驚いたのは老人が朝、家の周りを掃いていることだ。エジプトでは決してない。だからエジプトは日本に負けるのだ」という記事を読みました。ここ2,3年の「日本は凄いぞ!」というTVやマスコミの記事が出る前で、確か10年以上前に読んだ雑誌「ニューズウィーク」の記事です。石田梅岩先生の思想が日本人に行き渡ったのが判る記事でもありました。
以上の内容は、学生の皆さんにお伝えし、人生の中で考えてもらいたいことです。「なぜ勉強するのでしょうか?」その答えの1つがあるように考えます。

○ご自身の先生と対話のお話:中年時代1

 梅岩さんは35歳ごろ、初めて自分の先生に出逢います。小栗了雲(おぐりりょううん)先生です。了雲先生は気難(きむずか)しい面もありましたが、いよいよ死が近づいた時、御自身で註(ちゅう)を加えた全ての本を「梅岩に譲る」と言われました。しかしながら、梅岩さんは「辞退いたします。」と答えました。了雲先生が驚いて、「なぜか?」と問うと、「私は何か疑問に思うことや、大変なことに出会ったら、その都度、勉強を致します」と答えたのです。その答えに了雲先生は、にっこりとほほ笑まれました。
 
問1 了雲先生の「にっこりとほほ笑まれました。」の意味を説明して下さい。

「安心して死ねる」の意味で「にっこりとほほ笑まれました」のです。
 学生の皆さんの多くは「自分が死んでこの世から消え去ってしまうことに恐怖」を切実に感じていないでしょう。時々「あと3日の命と言われたら?」という問いが流行っては消え、流行っては消えるのも切実さがないからです。まったく何も見えなくなり何もできなくなる、そう考えた時、人は何を思うでしょうか。キューブラー・ロスは、人には死を受け止めるに過程があり、「否認→怒り→取引→抑鬱(よくうつ)→受容」という道程がある、と述べました。
 了雲先生は「俺の本を梅岩にやるから俺の魂は死なない」という取引の段階にあったのでしょう。
 しかし、梅岩さんは「本は要りません。しかし、先生の教えを受け継ぎます」と言い切りました。
 それを聞いて了雲先生は「にっこりとほほ笑まれました」で死を受容したことが判ります。
 取引→受容、がこの話なのです。

 少し補足が必要でしょう。
死を間際にして人間は何を伝えたいでしょうか。本が有名になることでしょうか? つまり知識でしょうか? いいえ違います。知識ではなく心の教えなのです。
 私が静岡学園高校で物理を教えている時に実感したのは「教科書の全ての知識は教えられない」ということです。授業準備で使用していた数冊の教科書と数冊の問題集の全てを、決められた時間で伝え、教えることができませんでした。知識を教え込むことの無理がよくわかりました。そこで力点を変えました。「物理の楽しさ、素晴らしさ」も教えるようにしたのです。「物理の楽しさ、素晴らしさ」を知ってくれれば自分で勉強していきます。そしてそれは彼の人生の中で大きな宝物となるでしょう。
その大きな宝物を受け取りましたよ、という梅岩先生の台詞が「私は何か疑問に思うことや、大変なことに出会ったら、その都度、勉強を致します」なのです。教師が子弟(学生)に教えられる最高のものは、この宝物なのです。この宝物を教えることを「徳育(とくいく)」と言います。知識を教えること、つまり、国語数学理化社会英語などは「知育」、体の動かし方を教えることを「体育」と言います。合わせて「三育」と言います。残念ながら現在の道徳の授業では「徳育」には程遠いですが、素晴らしい先生が個人として教えて下さっていると聴きます。聴くたびに嬉しくてたまらなくなっています。梅岩先生のお話もそのように読みました。


○講演でのお話:中年時代2(講演をなさるので梅岩先生に戻します)

 梅岩先生が、講席(こうせき:講演)を42,3歳の頃、始められました。家の前に

「○月○日開講です。入場無料、紹介は必要ありません。誰でも自由にお聴きになれます。どうぞ御遠慮なくお聴きください。」

 と紙に書いて張り出しました。しかし、梅岩先生は誰かに学問を習った訳でもなく、支援してくれる人も全くいませんでした。初日は誰も来ませんでした。二日目は本を置く台に向かって話をしました。三日目になって、外からこっそりと覗いている、肥溜(こえだめ:大小便入れ)を棒で担いでいるお百姓さんを見つけたのです。梅岩さんは、強引に中に入れて講演をしました。その後も、聴く人は少ないままでした。その後、聴講する人が増えていきました。それでも、門人(もんじん:弟子)が一人しかいない時がありました。その門人が「今日は私しかいませんから、休講にしませんか?」と言うと、「いやいや、今日は本を置く台を相手に話をするつもりだったのです。だから、あなたが一人でも聴いてくれるのなら、嬉しくてしょうがない。」と答えて、講演を始められたそうです。

――――――――
問1 梅岩先生は講演の際に何を大切にしていましたか? 単語一語で書いて下さい。[  喜び  ]
問2 あなたが授業を聴く際に大切にしていることは何ですか? 1,2行で書いて下さい。

 私が授業を聴く際に大切にしているのは、ノートの取り方です。私は自分の考えを洗練したいので、ノートの取り方を判り易く、講義内容等は左に、論文のアイディア等を右に書いています。

もう少し具体的に言うと、ノートの左側に、板書のみならず先生の口頭のお話を全て書き留めるようにしています。そして右側に、書き取りながら疑問に思ったこと、調べなければならないこと、自分の知らなかったこと、などを書いていきます。右側を後から見返すと、自分の論文やレポートのアイディアが浮かんでくるのです。私は自分の考えを洗練したい。その目的に合うようにノートの取り方を工夫しています。

 次に、この話の解説に入ります。

 このお話を読み解く単語は「嬉しくてしょうがない」です。「嬉しくてしょうがない」から、誰も居なくても講演をされる。「嬉しくてしょうがない」から、肥溜めの臭さも気にならないのです。
 では、なぜ「嬉しくてしょうがない」のでしょうか? 
これまでの問題から梅岩先生の経歴、お考えが読み取れたことしょう。そして紹介文に「42歳奉公停止、その頃、初講義」とあります。江戸時代の42歳は現在の60歳位です。やっと引退をして自分のやりたかったことに熱中できる、その喜びに溢れていたのです。それが爆発しました。
 皆さんは、人生をかけてやりたいことはあるでしょうか? それは「やらなければ死んで後悔する」というものです。時々、そういうことがあります、という人に出会います。しかし、その人の生活態度を聴いてみると「全然それに向かっていないこと」もよくあります。
「海外にいきたいんです。広い世界を見たいんです」と放言しておきながら、本を読まない、言語を勉強しない、国際交流センターなどのイベントに参加しない。していることと言えば、「映画を見る。各国の料理店でご飯を食べる。バーや居酒屋などで外国人と会話する」などです。それでは広い世界を見ることなどできません。楽しいと感じることをやっているだけなのです。
「やらなければ死んで後悔する」と思い込んでいれば、暇な時間にはそれに打ち込んでなければ居られないものです。梅岩先生は商売人としてきちんと朝6時から夜8時まで勤務しました。夜8時から午前2時まで、朝も早く起きて5時から6時頃まで計7時間、勉強したと言います。
私は先生の立場として、学生の皆さんに同じように勉強をしなさい、と言わなければならないでしょう。そう言われると学生の皆さんは、「嫌だなぁ。無理だなぁ。また無茶苦茶いっているよ。」と思うでしょう。私も高校生の時、そう思っていました。
ただ、同じ勉強をするにしても、苦しく感じてない人がいることを知って欲しいのです。自分の将来への志(こころざし=心指し=心の指針を立てること)を定めると、苦しいだけの勉強も自然と体が動き出すようになる、ということです。そしてそれは、人間に生まれないと感じられない深い喜びなのも知って欲しいのです。
梅岩先生が誰にも認められなくても講演をしたのは、自分の志を成し遂げられる喜びからで、「嬉しくてしょうがない」からなのです。


○御自身の生き方のお話:中年時代3
(お話は晩年のお話ですが、お心掛けは中年期なのでそのようしました。)

 晩年の梅岩先生は、二冊の本を出され有名になりました。すると、梅岩先生の生きざまを直接見ていない人々、例えば熊本県などの人々が訪ねてくるまでになったのです。その一人、若い武士の行藤(ゆきふじ)さまは梅岩先生に問いに来ました。

行藤さま「梅岩先生が妻を迎えることがないのは何故でしょうか?」
梅岩先生「私は道を広めようとしています。妻子に心ひかれて不十分になるのを恐れたのです。」
行藤さま「妻子と共にあるのは確かに大変ですが、その大変さを引き受けてこそ道なのではないですか?」
    「先生は正しい道を説きながら、御自身では道に反する人生なのではないでしょうか」
梅岩先生「妻子と共に正しい道を行えるのは、孔子の最高の弟子である
顔回(がんかい:顔淵[がんえん]とも言う)くらい優れた人でしょう。私にはとてもとても・・・」
    「また、私には兄がいて、甥もいます。ですから、先祖のお祭りを絶やすことはありません。」
    「加えて言えば、道を広めることに加えて、子孫に祭ってもらうのを願うのは贅沢なことだと思うのです。」

行藤さまは感服されたそうです。

――――――――
問1 なぜ、梅岩先生に結婚のことをお聴きになられたのでしょうか。行藤さまの内面を説明して下さい。

 行藤さまは、ご自身の結婚で悩まれていたので、梅岩先生のお聴きになられたのでしょう。

 この話を読み解く単語は「熊本県」です。震災に見舞われた熊本県ですが、梅岩先生の住む大坂(現在は大阪)までは船で30日から40日は掛りました。船なので風の向きでかかる時間が変わります。その日程を掛けてわざわざやってきて質問を投げつける、いわんや、梅岩先生の生き方を否定する意見をぶつける、これは失礼なことです。しかも、先生に対して、しかも、年長者に対して、しかも、初対面で、です。しかも、結婚という個人的な問題にまで踏み込んだのです。大変失礼です。すぐに追い返してもおかしくはない態度です。まず、そこに気がついてください。気がつくためには自分自身として考える想像力が必要です。梅岩先生は、その大変失礼な問いを払いのけずに、誠実に答えられています。なぜなら、梅岩先生は行藤さまの問いの真剣さを感じ取ったからでしょう。そこに梅岩先生の教育者としての偉大さがあります。

 もし、高校生の皆さんが、バイト先で初対面のお客さんに
「お前は高校生なんだから何でバイトをしているんだ。勉強しろ!!勉強を!!」
と失礼な意見をされたらどうしますか?

「ああ、このお客さんは無礼だなぁ。無視しよう。早く帰ってもらおう」と思うでしょうか。梅岩先生は「どうしてこのお客さんはこんなに無礼なことを言うのだろう」と考えました。そしてきちんと自分の考えを伝えられたのです。

 「私はまだ未熟ですから社会経験を積みたいと思いました。また、大学に行きたいので学費を稼ぎ親を助けたいと思ったのです。」

 高校生(あるいは卒業した)の皆さんは、「あなたは○○高校だからダメなのよ」と言われたことはありませんか? 同じく失礼な問いですが、同じようなことは社会に出れば沢山でてきます。「なんで結婚しないの?」、「子供はまだ?」、「どうして就職しないの?」、「お前はこれに向いているんだから」などなど。実際に私に投げかけられてきたことばです。
 では、その失礼さに怒りを感じていいのでしょうか? 無視していいのでしょうか?
 梅岩先生は、「どうしてそのようなことを言うのか相手を知りなさい」と教えてくれます。

 ここからは私の推測になります。
 行藤さまは、熊本県で結婚話が出ているのでしょう。多分、自分の家よりも大きな婿養子の話でしょう。道徳心の強い行藤さまは「財産のために結婚していいのだろうか?」と悩んで悩んで答えが出ずに、梅岩先生の本を読み、その疑問をぶつけにきたのでしょう。梅岩先生は「自分の家の先祖の祭り(お墓参り)のこと、大きな財産を得ること、を気にしないで、道を広めること=武士では民のためになる仕事をしなさい」と答えられたのです。つまり、梅岩先生が「自分が結婚しない理由」を語っていますが、本当は行藤さまに「結婚しなさいという理由」を教えているのです。
表面上、行藤さまは大変失礼な発言をなさいました。しかしながら皆さんの周りでも同じように無礼なことないでしょうか? 武士という偉い立場にあると、「教えて下さい」となかなか言えないのです。行藤さまはまだ若いのです。でも、聴きたい。聴きたくて30日も40日も胸に秘めて梅岩先生に逢いにきたのです。しかし、梅岩先生を問い詰めるように聴く形になってしまったのです。男性ならそういうやせ我慢な態度をとることはよくあります。父と息子の対立として文学作品でよく取り上げられています。また、恋人や妻にも同様のことをしてしまいがちです。「恋人なんだから「好きだよ」と言わなくても良いだろう。付き合っているだけで伝わるだろう。察してくれよ。そのくらい」という台詞、「結婚して生活費を渡しているんだから、どんなに愛しているか解るだろう? 「愛してる」なんて恥ずかしくて言えないよ」という台詞などです。男性の皆さんは、察してくれよ、判るだろう、では女性に伝わりにくいので要注意です。女性には、男性にお情けを頂きたいものです。
余談はさておき、梅岩先生が結婚しない理由を、私が意訳してみましょう。

「『一を聴いて十を知る』という優(すぐ)れた顔回ならば、財産のこと、結婚のこと、仕事のことなど全てできるでしょう。しかし、わたくし、梅岩にはできなかった。だから、あなたも自分のできること=仕事だけに打ち込みなさい。財産や結婚のことなどは、一人で悩まずに周りの人にお任せしなさい。」
 
 梅岩先生の答えから、行藤さまの悩みを推測してみました。

 相手がどうして失礼な行動をするのか?というのを考えるのは、人間関係を作る上で大切です。現代の言葉でいえば、コミュニケーション能力がある人になってください、になるでしょうか。それにしても私はかみさんならば、二時間の話に「うんうん」と聴くことができます。けれど、突然やってきた見ず知らずの人に、このように丁寧にお話を聞くことなど出来ないでしょう。まだまだです。

○御自身の日常生活のお話、老年期の話1

 梅岩先生は、終生独身でおられたので、薪(たきぎ)を割り、水をくむ下男を1人召しておりました。というのも、晩年になって足腰が弱くなっても、ただお一人で全ての家事をなされていたからです。弟子達が気の毒に思い、お世話をしました。しかし、この伝助、ふらりと外へ遊びに行く癖があり、留守番さえ十分にできません。梅岩先生は不満をこぼされませんでしたが、弟子たちは気がついて、もう少し真面目な下男をお勧めしました。次の下男は、人柄は柔和でしたが、少し知能が弱く、ひとりで帯を結ぶことができませんでした。梅岩先生は毎朝、下男の帯を結んでやりました。冬になると足には沢山の皸(あかぎれ)が切れました。梅岩先生は心を痛めて、薬(や薬の代わりに飯)などを塗ってやりました。下男として召したのに、返って梅岩先生の手をわずらわせたと弟子たちは暇を出しました(辞めさせました)。その後は、梅岩先生の希望通りに、下男を召すことはなかったということです。

 付記:梅岩先生の日常生活は質素すぎる程で、弟子たちがあれこれと気を使ったそうです。現在残っている手紙の多くは、弟子たちからの食べ物や贈り物に対するお礼状だそうです。

――――――――
問1 梅岩先生はどういう性格でしょうか?「 一意攻苦(いちいこうく)    」な性格

 「一意攻苦」:四字熟語。心を打ち込んで、苦しみながら1つを考えること

問2 梅岩先生にとって家事はどういう意味があるでしょうか。一語で書いて下さい。[修身(しゅうしん)]

 「修身」:自分の行為を正しくし,身を修め整えること。現在の「道徳」の科目。
旧制の学校の道徳に関する教科の名称。国民道徳の実践,徳性の涵養を目的とした。

問3 感想を1,2行で書いて下さい。

 禅僧が「働かざるもの食うべからず」の精神で働きます。幾ら年老いようとも玄関掃除や食事作りなど日常の家事を、仏に至るための修行としており、梅岩先生はその御心で家事に取り組まれた。

 この話を読み解くポイントは「不満をこぼされませんでした」です。梅岩先生ではなく、「弟子たちは暇を出しました」も同じです。梅岩先生にとって、家事は禅宗の僧侶と同じく、正しい道を広めるために必要なことなのです。ですから、伝助が居なくとも不満に思わず、知能の弱い下男が家事を増やしても不平をこぼされなかったのです。この境地に至るのは中々難しいことです。境地に至るのは難しくとも、そのように考えている人がいるのを知ること、そのような考え方があるのを知ること、がまずもって大切です。インドのマザー・テレサなども同じ境地に至った人です。「もっと貧しい人々の側にいる」という決意を持って、ホスピスや孤児院などを設立し身を捧げました。
 梅岩先生は、独身で通されました。しかし、弟子たちの助言を善意として受け取り、自分の生き方を変えました。よく年老いると頑固になる、と言います。現在では若い頃からの性格が現れるだけであると解釈されていますが、自慢話をする老人、説教老人などがいます。梅岩先生は晩年、ご自身の御志を遂げて本を出版され、学習塾も開講されました。有名な弟子もあり、弟子も何十人何百人もいました。しかし、驕ることなく弟子の善意を信じ受け入れたのです。

 梅岩先生にとって家事が修行と言いました。それは自らの驕りを捨てる手段であり、心が美しくあるために必要なものでした。弟子たちへの膨大な手紙でも裏付けられます。私も先生の立場にあり、学生さんからお菓子をいただくことがあります。「ありがとうございます」の一言で済ましてしまいます。
 しかし、梅岩先生は、いちいち御礼状を書いたのです。日常の食べ物であっても疎(おろそ)かにせずきちんと手紙を書いたのです。そういう心境を持っている人がいたのです。現代では鍵山秀三郎先生がそうです。タイヤやカーナビなどの自動車部品がいい加減に売られていた時代に、イエローハットを起業されました。「理想の会社像を追求し凡事を徹底せよ」の合言葉に、社長自ら草むしりをし、沖縄をはじめ全国の小学校などのトイレ掃除をされています。素手でされます。私はある勉強会で鍵山先生が沖縄について書かれている記事を読み、「いつでも資料を差し上げます」とあり、お手紙をしたためました。するとすぐに、二十頁以上の新聞記事を含む資料と御著書2冊が贈られてきました。私は大変驚き、返信をどうしたらよいか悩み、資料と御著書の1.5倍程度の図書券数千円分を入れて返信しました。後で知ったことですが、鍵山先生は年間三万近い手紙を書かれているそうです。また、鍵山先生は、

「草を抜くときも、草一本一本が違います。その違いに心を動かして抜くと、抜けた跡が全然違うんですよ」

と書かれていました。梅岩先生も家事をする時に、このお皿はどうやったらきれいに洗えるか、を1つ1つ考えてなさったことでしょう。それが「心を美しくすること」であり、家事を修行と言う意味内容だと思います。そういう心の動かし方があることを知ってもらえれば幸いです。


○貧しい人に対してのお話:老年期の話2

 56歳の頃、お住まいの京都は不作になり、米の値段が高騰しました。貧しい人々の中に飢え死にする人々も出てきました。その様子を見聞きして、梅岩先生はお米やお金を集められ、12月28日から毎日場所を変えながら、食べものを与えだしました。年が明けてから、梅岩先生たちを見習って、食べ物を与える人が出てきました。梅岩先生の死後、弟子たちが飢饉のたびに、お粥などを与え続けたのです。その後京都では、被災者を救済する「民間救恤(きゅうじゅつ)事業」が根付いていきました。また、京都で大火事が出た時も、罹災者のために急いで、おにぎりを先生ご自身で握って与えられたそうです。

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問1 感想を1,2行で書いて下さい。

 梅岩先生の握ったおにぎりを食べてみたいです。よっぽど美味しいのだろうと思うのです。

 このお話は読み解く必要はありません。梅岩先生が現代で言う「災害ボランティア」をなされたのが判るお話です。おにぎりを食べてみたい、と思うのは、青森県弘前市の麓(ふもと)に「森のイスキア」という安らぎの家があります。心を病んだ人、体を病んだ人がやってきて、佐藤初女(はつめ)さんのおにぎりを食べるという家です。
 佐藤さんが静岡県ボランティア協会主催の「ケアする人のケア」というテーマで講演されました。「おにぎりを作る時、その材料はどのタイミングで料理すれば最も美味しいかを考えて作るんです。その瞬間は食べ物が光り輝いているんです」と仰られていました。
 私は佐藤さんのおにぎりを食べてみたい、と思ったのです。そして今回のお話を聞いて、佐藤さんと梅岩先生の心の動きは同じだと感じました。ですから、梅岩先生のおにぎりはさぞかし美味しいのだろう、と感じたのです。鍵山先生が「草一本一本違うのです。」と仰られるように佐藤さんは「御米1粒1粒が違うのです」と仰られ、その一粒一粒の最も美味しい時を「光り輝く」と表現されたのです。
 また、佐藤初女さんは、夜中に電話があると、飛び起きる。寒い夜に扉をたたく音がすると、どきっとする。「最初は戸惑ったけれど、「イエスさまがいらっしゃるのだ」と思うようになりました。」と仰られた。この話を聞いて、先ほどの下男の話を思い出しました。梅岩先生は二人の下男を、お仏様と思って接したのではないでしょうか。ならば、不平不満が出るはずがありません。

○普段の何気ない暮らしぶりのお話

 梅岩先生は、普段の生活をとても大事にしておられました。以下のようなことを言われていました。

イ)外出や旅行では行き先を教えておけば家族が安心する、から仁(じん)です。さらに帰り道も伝えておけば、何か心配ごとがあった時に迎えに行く人と行き違えない、から仁です。仁は大変難しいので、普段から心がけて何気ない行動を大切にしましょう。

ロ)傘には印をつけておくのもよいですが、きちんと名前を書く方がよいのです。名前なら100人中100人が判ります。けれど、印やマークでは100人中90人は判らないでしょう。誰のだろう?と発見した人の心を煩(わずら)わせて(使わせて)しまうのは、仁ではないのです。

ハ)街中で道を歩くには、誰でも日陰を歩きたいものです。だから、夏に私は、人の歩きたがらない日向(ひなた)を歩くようにしています。同じく、冬に日陰を歩くようにしています。

 なかなか堅苦しい、窮屈なお話です。しかし、梅岩先生は、40歳を過ぎる頃に、あまり気にならなくなったそうです。

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問1 感想を1,2行で書いて下さい。

 「おもてなし」という言葉を思い起こしました。実際に実行するには大変な苦労を伴いますが、20年以上続けられた40歳すぎにはあまり気にならなくなったそうです。「一意攻苦」を思い出しました。

問2 全ての思い出話を読んで最も心に残ったことは何ですか? 1,2行で書いて下さい。

 鍵山先生の「凡事徹底」と梅岩先生の「心を美しくする」が共通していることが最も心に残りました。日々毎日、家事、勉強、全てのことで「心を美しくする」ようにしていきたいです。

問3 全ての思い出話の感想を書いて下さい。

 梅岩先生の思い出話ですが、梅岩先生の心の動きが読み取れました。先生ご自身の主張や思想にはまだまだ踏み込めていませんが、お心持には少しだけ近づけた気がしました。

 如何でしたでしょうか。以上が、石田梅岩先生の思い出話です。
 次回は梅岩先生と門人たちが実際に話し合われた内容を取り上げたいと思っております。
(最終校正 平成28年7月6日)
(解答例(高木)記入 平成28年7月25日)

―――――――以上が、思い出話、問題、解答を付けた内容です―――――――
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