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【隨筆】思想的基準が必要な現代日本 ―『「戦争」の心理学』で心の涙がでた箇所―

はじめに

 これまで、ふじの友に『「戦争」の心理学』で二本の記事を書きました。先々月号の「哲学とーちゃんの子育て ―戦士になったとっくん―」と先月号「孔子は軍人の影響を受けていたのか」です。
 今月は、どうしても書きたかった、書くのに苦しんだ記事を書きます。先月号で書けなかったのは、気持ちの整理ができなかったからです。先月の富士論語を楽しむ会での皆様の笑顔を想い出し、何とか一筆目を走らせること(実際にはパソコンのキーボードを打ち始めること)ができます。

最も心を打った一文
 『「戦争」の心理学』には、①睡眠不足がアルコール中毒と同じ位運動能力を奪う砲撃実験、②ストレスがどれほど肉体の能力を奪うのかというネズミの実験、③どうしたら子供の暴力を減らせるのかという小学生の実験、④規律がどれほど犯罪予防に役に立つのかという銃乱射事件の分析、⑤戦闘になれば大小便を垂れ流すのは本能であり多くの人がするという実例など、興味深い文が山のようにありました。
 こうした興味深く知識やアイディアを吸収するにまさる、心に最も残った一文があります。

 「(ベトナム戦争の帰還兵)ティムはりっぱなアメリカ人であり、よき父であり、祖国の呼びかけに応えた高潔な男だった。私の友人だった。敵を殺し、多くの同胞の命を救った。それなのに社会は彼を指弾(非難して排斥すること)し、おまえのしたことは恥ずかしいことだと決めつけた。ティムだけではない。その後何年間も、祖国(アメリカ)の市民はベトナムから帰還した兵士を攻撃し、非難しつづけた。膿(う)みただれたPTSD(心的外傷後ストレス障害)に塩をすり込んだのだ。」     五百十五頁

 大東亜戦争の敗戦後に帰還した日本兵のことを想って心から涙が流れるようでした。私達日本国民が戦争を始めたのです。選挙を通して国民(臣民)は戦争を選択し、推進しました。そして敗戦すると自分たちの国民で戦争に行った帰還兵と最後まで戦争反対を示されていた天皇陛下を、一方的に非難し排斥しつづけてきました。先ほどの文を判りやすく書き直してみましょう。

 「大東亜戦争の帰還兵であるあなたは、りっぱな日本人であり、よき親であり、祖国の呼びかけに応えた高潔な人だった。私の友人だった。敵を殺し、多くの同胞の命を救った。それなのに日本はあなたを指弾(非難して排斥すること)し、おまえのしたことは恥ずかしいことだと決めつけた。あなただけではない。その後何年間も、祖国(日本)の国民は戦争から帰還した兵士を攻撃し、非難しつづけた。膿(う)みただれたPTSD(心的外傷後ストレス障害)に塩をすり込んだのだ。」

 この置き換えがあり、ティムの一文が『「戦争」の心理学』で最も心に残ったのです。
 
 戦争に負けて色々なことが変わりました。独立を取り戻してからも、負けて変わったことを戻そうとしません。放送禁止用語も法律に基づかないマスコミが勝手に決めているだけのルールです。例えば、祖国という言葉さえ自分たちで使わないようにしてきたのです。敗戦後五十年以上、こうした文章を書くことさえ、右翼だ、偏っていると非難し続けてきました。
 私のご先祖様たちを、戦争の加害者と被害者に分けて、一方だけを非難しつづけてきたのです。そのことで、どれほど帰還兵の方々を苦しめてきたのでしょうか。グロスマンは教えてくれました。

 「歯止めのない過度のストレスは心身を食い荒らす。(中略) それはかれらの仕事の能率を落とし、人間関係はもちろん、最後には健康さえ損なう。第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして朝鮮戦争のさいには、戦闘中に命を落とした兵士より、精神を病んで戦線から脱落した兵士の数が多かったのである。」  三十二頁

 勝ち戦でさえ、戦死者よりPTSDによる戦闘不能者の方が多いのです。引用元であるリチャード・ゲイブリエルは「第二次世界大戦で五十万四千の兵を失った(四十四頁)」と数字を示しています。
 日本社会はどれほど、負けて帰ってきた復員兵(帰還兵)の膿みに塩を塗りこんだのでしょうか。勝ち戦、負け戦に関係なく戦闘に巻き込まれるアメリカの警察官の自殺率があります。

 「全米警察官自殺防止財団によれば、警察官の自殺者数は、職務中の死亡数の二倍から三倍にのぼる。」         五百八十三頁

 広田純先生は「太平洋戦争におけるわが国の戦争被害 ―戦争被害調査の戦後史―」の中で以下のように戦没者数を述べています。

 「以上を合わせ考えると、軍人軍属の戦没者数は二百二十万人近いといってよいでしょう。この報告のはじめに、戦没者数三百十万人余、そのうち軍人軍属が二百三十万人というのがよく引用される数字と申しましたが、二百三十万という数字は、調査洩れを考慮しても、少し多すぎるのではないかと想います。」  十二頁

 以上の二つの数値を合わせてみましょう。帰還兵の心的外傷後ストレス障害者(PTSD)数の推計です。

 二百二十万人×二倍=四百四十万人
 あるいは、
 二百二十万人×三倍=六百六十万人

 四百万人超から六百万人超の方々が、心的外傷後ストレス障害を抱えたことになります。また、先ほどは警察官のデータですから、勝ち戦、負け戦に関係なく戦闘行為だけでこれだけの自殺者が出るのが通常であるというのです。軍人軍属と民間を含む日本への帰還(復員)を果たされた方々は、五百万以上とされています。全ての方々が心的外傷後ストレス障害を抱えていてもおかしくない状況でした。

 その状況で、「膿(う)みただれたPTSD(心的外傷後ストレス障害)に塩をすり込んだ」行為を行ってきたのです。七十年以上。
 祖国の安全のために命を捧げた国民を分断し、国民と新聞テレビはこぞって非難し続けます。現在も八月十五日前後になると、NHKと筆頭に民放は「戦争は悪かった」とだけ、一方的な断罪の放送を続けています。それがどれほど、の自殺を誘っているのか気がつかないほどに。
 マスコミだけではありません。国民もまた、この片棒を担いでいます。自衛隊を軍隊にするという憲法改正でさえ、この一方的な断罪意識が邪魔をしています。国際社会の中で日本だけが、

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 という憲法前文を受け入れています。その自分たちの無意識を疑いもせず、軍人をもつ家族の深い心をどれほど傷つけてきたのかも知らずに、七十年がたっています。
 その同じ国民の一人として私はここに立っています。私は日本国民なのです。私が最も心を打たれたのは最初の引用文だったのは、以上の理由からです。

未来に向けて
 以上の文章で留まってしまえば、江藤淳氏がアメリカ公文書館で見つけてきた「敗戦国日本に罪の意識を植え付け二度とアメリカに逆らわないように仕組むプログラム」の批判となります。
 けれども、この志向は他国非難でしかなく、自国の改善、自己の改善とはなりません。日本国の無意識の傷、私の心の傷を向き合うために、今一度、グロスマンの声に耳を傾けることにします。

 「第一次世界大戦の初期、若き陸軍新兵アルヴィン・ヨークは、基礎訓練期間中の上官のもとへ行き、自分はクェーカー教徒だと説明した。そして、子供のころから「なんじ殺すなかれ」と教わってきたから、いまやれと言われていることは自分にはできないと思うと言った。すると将校のひとりが彼をわきに引っぱっていき、その話の裏側を説明してやって、あとは自分で考えるようにいった。もちろん、その後ヨークは赫々(かくかく:立派で目立つさま)たる武勲(ぶくん:戦争での功績)を立て、数多くの敵兵を殺して名誉勲章を授与された。」

 「子供のころから人を殺してはいけない」と言われてきたから戦闘訓練はできない」とヨークはいい、ある将校はその意味を説明しました。そしてヨークは「なんじ殺すなかれ」の宗教的意味、日本では思想的意味、あるいは哲学的意味を理解し祖国を守ったのです。
 現代日本では、

 「人を殺したくないから、自衛隊反対。」
 「人を殺すのは悪いから、戦争反対。」
 「人は仲良くしないといけないから、武器を捨てよう。」

 という言葉があふれています。こうした言葉の意味をヨーク氏のように理解したいですし、未来の日本を向くことになると考えます。先ほどの「人を殺したくないから、自衛隊反対」というのは七十年以上前に敗れた大東亜戦争、そして自衛隊反対運動は、二十年前に終わった冷戦期の共産主義運動だからです。こうした過去を見て現在を決定するのではなく、未来を見たいと思います。

 『「なんじ殺すなかれ」という戒律は聞いたことがあると思う。しかし、数少ない例外はあるものの、現代のおもな翻訳、およびヘブライ語原典からのイディッシュ語(ドイツ語系ヘブライ語)のすべての翻訳は、この戒律は「謀殺(ぼうさつ:計画殺害のこと 〔但し「だまして殺す」の方が近い解釈か:高木〕)」と解釈されている(「出エジプト記」二〇章十三節)。ユダヤ教・キリスト教諸派の聖職者たちはみな、兵士を戦争に送り出してきたこの五千年間、ずっと偽善者だったのだろうか。今日は「なんじ殺すなかれ」と教え、明日は信者を戦争に送り出していたのだろうか。この第六戒「殺すなかれ」について、いまでも文字通りの厳しい解釈を信じているのは、安息日再臨派、メノー派、シェーカー教徒、クェーカー教徒だけである。かれらのほうが正しかったとわかる日が、いつかは来るのかもしれない。しかし、ユダヤ教・キリスト教諸派の圧倒的多数は、これは「なんじ謀殺を犯すなかれ」という意味だと理解している。』        五百六十六から七頁

 ここに書かれていることは、現代日本で極めて重要な視点だと思います。宗教界が戦争をどのように位置づけているのか、という問題を指摘しているからです。つまり、宗教上の「善」と人を殺すことの関係です。そして現代日本で、という意味は、現代の宗教関係は、人を殺すことをどのように考えるのか、を論じていない点を気づかせてくれるからです。
 神道界も仏教界も敗戦前の戦争協力からでしょうか、「殺すことすべてが悪い」のか、「集団を守るための防衛行為としての殺すことは許される」のかなどを論じていません。ひたすらに、お墓の問題、死後の世界の話ばかりしています。憲法九条改正について、神主や坊主が発言しているのを聞いたことがないのです。グロスマンの文章を読むまで、私自身この論点に気がつきませんでした。こうして書いてみて直感するのは、憲法九条が改正できない、あるいは改正の議論が盛り上がらないのは、宗教界が道徳問題として「人を殺すこと」を論じていないからではないか、という点です。現代では世界中で憲法議論は多くの国では宗教指導者も巻き込んだ大きな議論となっています。
 現代日本では、私達の生き方を規定するものの一つとして憲法があります。同時にそれは文化や歴史に基づいた道徳に沿わなければ実行力を持ちません。現代の憲法議論がバランスを欠いていることをグロスマンは教えてくれました。
 彼はこの後、パスカルの神学を採用して、「神が存在すると仮定しよう。」と「そしてそれは、ユダヤ教・キリスト教の伝えるような神であったとする。」と議論を二十一世紀に沿う形に展開します。
 つまり、ユダヤ教・キリスト教の神が存在する、という神学論争に巻き込まれるのを避けつつ、道徳的「善」と「人を殺すこと」の議論を続けます。

「謀殺」とは何か
 グロスマンは「謀殺」を以下のように述べています。

 「自分自身や他者を守るため、職務上の合法的な行為として人を殺さなくてはならなかった場合、それは謀殺になるだろうか。そんなことはない。聖書によれば、ダビデ王は神の心にかなう人だった(「使徒行伝」十三章二二節)。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」ともある(「サムエル記第一」十八章七節)。ダビデは戦闘において一万人を殺し、そのために称えられているのだ。ダビデに不幸が訪れたのは、美女バテシバを得るためにその夫ウリアを謀殺したからである(「サムエル記第二」十一章)。
 正当な戦闘で一万人殺すことと、妻を奪うために男を謀殺することとのちがいがわかるだろうか。あなたにわかるなら、神にもわかるだろう。」         五百六十七から八頁

 ユダヤの王ダビデを引用し、「謀殺」は己の欲望のみで人を殺すこととしています。国家や民族を守るための戦闘での人を殺すことは神がお認めになる、とグロスマンは伝統的な宗教道徳を用いて示しています。この違いを「箴言」を用いて繰り返します。

 『「箴言」六章十六節には、「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌み嫌うものが七つある」とある。(中略) そのリストのいちばん上近くにきているのが、「罪のない者の血を流す手」である。そして罪のない者の命をまもるために戦う者は、ユダヤ・キリスト教思想の五千年間に最高の栄誉を受けてきた。これはまぎれもない事実である。』
               五百六十八頁 

 神の次はイエスです。

 『百人隊長(ローマ帝国兵の役職)がそばへやって来たとき、イエスは「これほどの信仰は見たことがない」と言っている(「ルカの福音書」七章九節)。百人隊長に剣を捨てるように言わなかっただけでなく(金持ちの若者には持ち物を売れと言っているのに)、逮捕されて処刑される少し前に、イエスは弟子たちにこう言っている。「剣のない者は上着を売って剣を買いなさい」(「ルカの福音書」二二章三十六節)
 また、ペテロは剣を持っていたことがわかる。というのも、役人がイエスを逮捕しに来たとき、ペテロは剣を抜いているからだ。イエスはそれを制止し、この人々は法を守る役人だからと言っている。」      五百六十九頁 

 まとめますと以下のようになります。

 一、剣を帯びること自体、勧めるべきこと。
(金を持つこと自体、勧めないこと。)
 二、平和な時に剣を帯びることは認められること。
 三、法の下の武装は尊重されるべきこと。

 グロスマンの引用から導き出されるのは、先ほどのダビデ王と同じく、法の下の戦闘や「人を殺すこと」、武装等は宗教上、認められていることです。
 さらにグロスマンは、「ローマ人への手紙」を引用し、現代の武装について引用します。

 『(中略) これをさらに補強するのが、「ローマ人への手紙」十三章四節である。おそらくこれは、戦士にとって最も重要な章、最も重要な節だろう。「彼はあなたに益を与えるための神のしもべなのである。しかし、もしあなたが悪をおこなうなら、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神のしもべであって、悪を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである」。遠い外国で国際法のもとにある平和維持部隊員であっても、国内の法執行官でも、剣を帯びる者は法の権威の下にいて、「いたずらに剣を帯びているのではない」のである。』
               五百六十九頁

 グロスマンは聖書の文章を引用して以下のことを述べます。

 一、聖書は現代の武装の考えに適合していること。
 二、そして、法の下に、あるいは神の名のもとに人を殺すこと、武装すること、戦闘を行うことは宗教によって認められていること。

 神、イエス、「ローマ人への手紙」と何重にも引用を重ねて、「人を殺すこと」と「謀殺を犯すこと」の線引きをしめます。

グロスマンの限界と有効性
 グロスマンはユダヤ教徒の『聖書』とキリスト教徒の『新約聖書』を同列に、そして同質に扱っています。この点はキリスト教側の立場ですので、留意が必要となります。
 他方、二十一世紀を生きる日本人を考える上での有効さもあります。まず、ユダヤ教、キリスト教の誕生した多民族、異民族の混合する地域において、戦闘は不可避であり、どの宗教によっても位置づけることは、必須であったことが観えてきます。むしろ、多民族地域で戦闘に関する規定がない宗教は、戦争の持つ暴力を後押しする形になり、無制限の殺戮、「謀殺」でさえも肯定してしまってきました。
 世界が貿易でつながり、飛行機や列車などの交通手段の発達によって世界がより近しい関係になっています。それは、他民族、異民族の混合する地域に近づいていると言えます。ですから、日本でもグロスマンのように「人を殺すこと」と「謀殺」を区別するための思想的基準を定めて、他民族や異民族とのトラブルを回避する必要性が生じていると考えます。日本とユーラシア大陸の物理的距離は変わらなくても、船で十日以上かかった時代から、飛行機で半日もかからずに着いてしまう時代になっています。
 このように狭くなった世界の実情が、日本に新しい多民族地域における思想的基準の構築を求めることとなりました。この意味において、グロスマンの示した神とイエスを基準にした思想的基準は現代日本において大いに有効ですし、参考となりうるでしょう。
 具体例でさらに考えてみます。メノー教徒は先ほど引用したように「なんじ殺すなかれ」を文字の通りに解釈している人々です。つまり、「殺すこと」と「謀殺」を同義として考えている人々です。

 「あるとき、メノー教徒の大学で教授たちと話をしていたとき、あなたがたは本気で平和主義を奉じているのかと質問したことがある。もちろんだと答えが返ってきたので、大学の保安のために武装した警備員が門の前にたっていることを指摘して、あの警備員のことをどう正当化するのかと尋ねてみた。たしかにそれについてはかなり議論になった、と教授たちは言った。しかし、「ローマ人への手紙」十三章にあるように、警察官などの法の番人については認めざるをえなかった。メノー教徒はわかっているのだ。あなたはどうですか?」

 「警備員を正当化するか」というグロスマンの問題は、「自衛隊を正当化するか」という問題に、現代日本では置き換えられるでしょう。「自衛隊を正当化するか」は憲法改正の議論につながるでしょう。もちろん、池田内閣のように現行憲法でも「核武装も可能である」という憲法を改正しないという結論などもありえます。しかし、現代日本では「自衛隊を正当化するか」の議論、メノー教徒のようにかなりの議論には至っていません。それは、改正側も据え置き側も、新解釈側も、思想的基準が示されていないからではないでしょうか。グロスマンは、「人を殺すこと」と「謀殺を犯すこと」に境界線を引きます。その境界線を『新約聖書』から引用し、この議論を完遂します。

 『最後にもうひとつ、イエスの力強い言葉のなかに、日々身体を張って仕事をするプロの戦士たちに当てはまる言葉がある。「人がその友のために自分の命をすてること、これよりも大きな愛はない(「ヨハネの福音書」十五章十三節)。言うまでもなく、わが家をあとにしてこの国の不穏な街角を歩き、また異国の危険な土地を行く男女、会ったことすらない人々のためにその命を投げ出すかれらは、五千年の歴史を持つユダヤ・キリスト教会から最高の栄誉を受けるに値する。』

 彼の言いたいことは、「他者を守るために合法的に人を殺すことと、自分の感情を満たすために人を殺すこととは異なる」ことです。この結論を根拠にして、グロスマンは戦争で精神に傷を負った戦士の心のケアをする職業に務めています。

現代日本で自衛のための思想的基準を探して
 グロスマンは『聖書』、『新約聖書』等の古典を引用して現代に通じる思想的基準を示しました。大学の警備員とメノー教徒の例えは判りやすいものでした。彼の議論を元にして、現代日本に通じる思想的基準を探してみたいです。
 
 まず、初めに思いつくのは現存する最古の古典『古事記』である。その中の神話とすれば、イザナキが妹(いも)イザナミを黄泉の国に追っていく話、アマテラスとスサノオのウケヒの話、オオクニヌシの数多くの話などがあります。
 ただ、グロスマンは神と人間イエスを基準にしています。人間イエスについてはキリスト教内で割れていますが、グロスマンのあげたイエスは、肉体を持ち百人隊長を法執行官として敬意を払うという側面を見て人間と考えます。この側面と戦闘が登場する話として探すならば、カムヤマトイハレビコ(神武天皇)が日向(ひむか)の高千穂の宮から、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にいまされた話が最適と考えられます。大東亜戦争時代の解釈ではなく、「人を殺すこと」と「謀殺を犯すこと」の基準を探すために解釈をしていきます。

 ここから地名等は、三浦佑之著『口語訳 古事記』などを参考にして現代に改めます。また、カムヤマトイハレビコも耳なじみのある神武天皇とします。

 『神武天皇は、宮崎県の高千穂から大分県宇佐市に、そして西から広島県に入り七年、岡山県では八年住まわれた。兵庫県の明石海峡では船乗りに出会い海の道を尋ね、「お伴に仕えないか」と問うて、「お仕えいたそう」と答えたので、名前を与えた。
 さらに進んで大阪まで来ると、トミビコが待ち構えていて戦となって、神武天皇の兄イツセは矢を受けてお隠れになった。兄イツセは「太陽の子孫である私達が太陽に向かって戦うから負けてしまった。太陽を背中にして戦おう」と言い残された。
 そこで大阪から南側の和歌山県に向かい、熊野に入った。大きな熊に襲われた神武天皇は、熊野の神官に助けられ、太刀の献上を受けた。続けてヤタガラスの案内を受けて難所を越えて奈良県の吉野に入られた。
 川で魚を取る人、毛皮を着た人などにあった。そして、力自慢のイハオシワクノコが出迎えた。さらに奈良県の宇陀に入られた。宇陀では二人の兄弟がおり、「あなたたちは仕える気がありますか?」と聴いた。兄エウカシは音のなる矢(鏑)を飛ばして追い返した。次に神武天皇を殺そうと戦士を集めたが集まらなかったので、「お仕えします」と嘘をついた。嘘をつき、大きな社殿を建て、その中に落石で殺す仕掛けを作った。
 弟オトウカシは神武天皇を出迎えて兄の悪巧(わるだく)みを報告した。神武天皇に仕える二人が兄エウカシを呼び出し、「まずは自分が社殿の中に入ってみなさい」と言い、エウカシはその通りにして死んでしまった。
 次に奈良県桜井市に入ると、土雲(つちぐも)と呼ばれる人々がご馳走をすると嘘をついて殺そうとしてきた。そこでご馳走を食べるそぶりをしたが、歌を合図に逆に殺してしまった。その後、数々の戦いをし、使える人々を増やしていった。
 つまり、まずは言葉で相手を和らげようとし、従わない人々を追い払って、奈良県橿原神宮に住まわれて天下を治めることとしました。
 その後、お嫁さんをお迎えになられた。』

 日本国が作られるまでの経緯です。では「人を殺すこと」と「謀殺を犯すこと」に着目していきます。
 橿原神宮に住まわれるまでの神武天皇の行動は一貫しています。

 一、相手に先制攻撃をしかけない。
 二、相手と交渉することを第一にする。
 三、先に相手をだまさない、嘘をつかない。
 四、相手がだましてきたら容赦しない。
 五、相手の兄弟であっても個人で判断する。

 最後の⑤が意味するところは、兄エウカシと弟オトウシカの区別からです。

現代日本における有用性
 ここで現代日本にどのように当てはめるかを考えてみたいです。引用元である『口語訳 古事記』著者三浦佑之先生は、以下のように注をつけられます。

 「兄弟譚(たん)の場合、悪い兄とやさしい弟という伝承形式が強固に存在する。この場合も、その構造のなかで語られ、兄を裏切って天つ神に忠誠を誓う弟をよい者として語っている。いうまでもないが、古事記では天皇や朝廷に従順な者のみが正しいのである。これは本書の語り部の立場とは微妙にずれている。」
                  一二八

 本書の語り部は三浦先生のお考えを代表しています。三浦先生は「あとがき」で「日本書紀」と「古事記」を比べて、「語り継がれてきた主人公は、かならずしも国家の意志を体現する存在とはならず、時として国家に背を向ける人々になった。」と書きます。『古事記』を国家の意志を通して(正反いずれであっても)解釈するという立場をとられています。さらに続けて、

 「こうした古事記観を私が持つのは、古事記を初めて読んだのが、一九六七年、卒業論文を書いていたのが六九年だったという時代性を無視できない。学生たちの多くが国家とか大学とかの権力に向き合っていた。」

 と心情を述べられています。権力に反抗する兄を悪と言い切らず、権力にすり寄る弟を善としない立場は、三浦先生の告白の通り「時代性を無視できない」という立場なのです。
 この立場を超えて現代日本に有用な思想基準を探さなければならなりません。それゆえに別の基準として神武天皇が橿原神宮に住まわれるまでの経緯を追いました。すると、「謀殺を犯す」悪い兄と「相手をだまさない」良い弟の別の側面が浮かび上がります。さらに、兄は報いをうけ、弟は御咎めなしですから、「謀殺を犯すもの」には容赦しないこと、同時にそれは個人によって判断する、が観えてきます。

神武天皇の現代性
 「⑤相手の兄弟であっても個人で判断する」のは国内法のみならず、国際法の立場と合致しており、現代世界に合います。例えばある国の国内で紛争があった場合です。「謀略やテロを用いて攻撃をしてきた集団」と「平和裡に友好的な集団」を同民族であるから両方攻撃してよい、とは考えません。しかしながら、民族や宗教、血縁等で同民族を両方攻撃してきた例は、過去の歴史に幾らでもあります。
 また、国や集団に対して、無条件の先制攻撃を日本国憲法では認めていませんし、国際法の立場からも認められません。多くの国で同様です。
 以上の点から考察しますと神武天皇の東征は現代日本を取り巻く環境に沿う基準となりえると考えます。
 加えて、相手国や集団からの謀略やテロなどの攻撃を受けた場合、「人を殺すこと」と「謀略を犯すこと」を明確に区別する基準にもなりえます。サイバー空間、宇宙空間に戦線が広がっている現代日本において、その重要性はさらに増すことでしょう。

神武天皇の東征とグロスマンの共通点
 今一度グロスマンに立ち戻ってみます。「①相手に先制攻撃をしかけない」、「②相手と交渉することを第一にする」、「③先に相手をだまさない、嘘をつかない」、「④相手がだましてきたら容赦しない」、「⑤相手の兄弟であっても個人で判断する」は、兄エウカシと弟オトウシカの話と土雲の話として二回繰り返されています。この話を言い換えると以下のようになるのではないでしょうか。

 「彼は神のしもべであって、悪を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。」

 「ローマ人への手紙」の一節が『古事記』の要約①~⑤にピタリとなる処に人間の不思議さを感じますが、同時に普遍性を帯びていると考えられます。
 現代日本は運輸交通手段によって狭い世界に取り囲まれるようになりました。それだけに、普遍的な価値観を模索していく時代になってきています。『聖書』や『新約聖書』を引用するグロスマンを基にして、模索した結果が以上です。
 私達は「人を殺すこと」と「謀殺を犯すこと」を区別して、現代日本の国内法と国際法に沿う思想的基準を求めていくべきでしょう。その手助けとなれば幸いです。
 加えて、この思想的基準によって、敗戦後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しまれた方々、家族の方々、さらには法執行官、平和維持活動で心的外傷後ストレス障害になる方々のお役に立てればと願います。
 
 参考書
 デーヴ・グロスマン ローレン・W・クリステンセン著 安原和見訳 『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』 二見書房 二千八年

 三浦佑之著 『口語訳 古事記 [完全版]』 文藝春秋 二〇〇二年十二月 第十五刷

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【隨筆】日本のコンビニとアメリカの刑務所の共通点

 
はじめに
 前回の富士論語を楽しむ会でご希望を頂戴しました「日本のコンビニとアメリカの刑務所の共通点」について今回お話いたします。テキストは、堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカⅡ』です。これに幾つかの説を加えます。まず先に結論をポイントで書きます。

結論のポイント
 一 リスクゼロがビジネスの基本であり、(コンビニと刑務所の)共通点。
 二 先進国のサラリーマン(正社員)はリスクが高くなってきたので替わりを探した点。
 三 法律に基づく点と全員に対して公平な点。

日本のコンビニについて
 それでは日本のコンビニ、特にセブンイレブンが史上最高利益を更新している理由を書いていきます。これは前にご説明しましたので、簡単にします。
 セブンイレブンに代表されるコンビニ本部は最初、自ら運営する直営店を作っていきました。そしてその直営店をオーナーに売却するなどしてオーナー店を増やしていきました。
 そしてコンビニの成功の秘訣は、ロイヤリティー(セブンイレブンの名前やオリジナルブランド商品の購入、その他一切のサポート等を受ける権利)を、「売上」から引くことにしました。このことによって、セブンの本部は、オーナー店が黒字なら黒字を、赤字でも黒字を得ることが出来るようになりました。つまり、セブンの本部は「売上」があれば、必ず収益を上げることが出来るシステムにしたのです。
 そしてオーナーは、ロイヤリティーを引いた金額から費用である、バイト代、家賃、電気ガス水道代、さらには商品ロス(お弁当などの廃棄)なども引かなければなりません。ちなみに、千万円を超える収入を得ているオーナーは二割前後といいます。オーナーが収入を増やす方法は、商品ロスを少なくするか、バイト代を削るくらいしか方法がないのです。ですから、コンビニだけは、オーナー(店長を兼ねることが多い)がレジの前に立って働かなければならないのです。
 コンビニのオーナーは形式上経営者です。ですから、有給休暇も必要なく、最低時給にも縛られず、家族が無償で手伝ってもよい、という法律になっています。一日十二時間、三百六十日働いて年収三百万でも法律上は認められます。サラリーマンならば、有給、育休、病欠、最低時給等で守られているので許されません。
 コンビニは、先進国のサラリーマンのリスクが高くなってきたので、法律上対等な関係であるオーナー(経営者)というリスクの低い存在者をサラリーマンのように働かせるシステムを開発したのです。このシステムを開発したからでしょう、元々のアメリカのセブンイレブンは倒産しましたが、日本のセブンイレブンが購入するに至りました。

アメリカの刑務所
 アメリカは先進国のサラリーマンのリスクが高まると、最初は第三世界、中華人民共和国やフィリピンなどに外注するようになりました。しかし、これらの国々、製造業はよいのですが、サービスは外注がうまくいきませんでした。アメリカ国内の常識や文化理解などが異なったからです。
 そこでアメリカの金融界は、刑務所の囚人に目をつけたのです。彼らは人権がありません。さらには、健康保険代、雇用保険代等々の福利厚生費が一切必要ないのです。さらには、決して辞めることはありません。最低賃金も人権がないですから、保証されません。
 『ルポ貧困大国アメリカⅡ』に出てくる時給は十円から四十円、最も高くとも百四十五円です。当時のアメリカの最低賃金は千円を超えていましたから、十分の一から百分の一です。ちなみに、自動車業界のサラリーマンは時給三千円です。これに福利厚生費が掛かります。
 アメリカでは先進国のサラリーマンのリスクが高くなった替わりとして囚人に切り替えたのです。第三世界の労働者よりも使い勝手のよい存在者です。
 さらにアメリカでは、「テロとの戦争」という大義名分をその後に得て、ホームレス、低賃金労働者などを刑務所に放り込む法律をどんどん作っていきました。「スリーストライク法」は顕著です。三回有罪となれば、三回目の刑期にかかわらず、終身刑となります(百五十八頁)。
 ちなみにホームレスは、「交差点以外の道路横断」、「公共の場をうろうろすること」、「屋外で開封した酒類を所持すること」で逮捕され(有罪にされ)ます(百八十二頁)。さらには、ホームレスへの「炊き出し禁止令(二十五人以上)」も出されました。食料を絶たれたホームレスは、菓子パンなどの窃盗を行ってしまう状況を作り出しました。
 結果として『アメリカの総人口は世界の五%だが、囚人数は世界の二五%を占める「囚人大国」』(一七六頁)となりました。
 アルカイダのオサマ・ビン・ラディンが死亡しても、次のISISの影響力がなくなっても、今でも「テロとの戦い」を継続している理由の一つです。
 「テロとの戦い」を掲げて囚人を増やし、彼らを最低賃金以下で働かせ、しかも部屋代を取り、トイレットペーパーなどの生活用品を通常の一・五倍以上で売るのです。

まとめ
 以上が日本のコンビニとアメリカの刑務所の共通点です。両方ともビジネスの原則であるリスクゼロから眺めると、背景に先進国のサラリーマンのリスクが高くなってきたことがわかります。もう一度振り返ってみます。

 ①リスクゼロがビジネスの基本であり、(コンビニと刑務所の)共通点。
 ②先進国のサラリーマン(正社員)はリスクが高くなってきたので替わりを探した点。
 ③法律に基づく点と全員に対して公平な点。

 ③について説明します。二千十六年頃から中華人民共和国ではウイグル自治区(国)で監視カメラを導入して、百万人を超えるウイグル人が強制収容されています。これは法律に基づかず、同時に宗教や民族に基づく差別によって実行されています。監視カメラの導入によってホームレスの強制的な排除は、アメリカのニューヨーク市でジュリアーニ市長が千九九四年から行いました。そのアメリカが中華人民共和国を非難する根拠は、金融界が政治家に現金を払って法律を作り出すにしても、「法律に基づいていること」と、人種や宗教による差別を行っていないという意味で「公平である」という点です。
 アメリカは法律において一九六五年(あるいは六七年)に黒人への差別を廃止しました。しかし、国の構造として奴隷的存在者を求め続けました。その一つの結論が、囚人だと私は考えています。この囚人ビジネスは日本の歴史(国史)や文化になじまず、批判、非難することは容易です。しかし、アメリカの歴史と国の構造を的確に見つめるならば、非難の対象とすることは避けなければならない、とも考えます。
 これは、コンビニのオーナーを見て、東南アジアの学生が非難したことも同じです。いえ、むしろコンビニでアルバイトしている東南アジアの学生たちが、

 「どうしてコンビニのオーナーはあんなに働いているの?」
 と質問をくれ、説明したら、
 「絶対やりたくない。」
 という反応に違和感を持ったことで気が付かされました。ビジネスの本質から見ると、日本のコンビニとアメリカの刑務所は共通してることは以上です。もし時間がありましたら、どうしてこのように企業に国民が搾取されるのか、について「全米最高の教授」とプラトンからご説明したいと思っております。

【隨筆】孔子は軍人の影響を受けていたのか ―『「戦争」の心理学』の三つの面白い所―

冒頭付記:孔子と軍人の影響を考察した文は高木の知る限りありません。独創ですので、引用等をされる場合にその点ご留意下さい。また、根拠づけも論文ほどではありません。アイディアとしてご参考下されば幸いです。

  ----------------- 本文 -----------------

 先月の「富士論語を楽しむ会」でお話した『「戦争」の心理学』のさらに面白い所を、お伝えしたいと思います。タイトルの「孔子は軍人の影響を受けていたのか」は三番目の「凶悪事件を起こす学生の人格調査」からお読みください。
 先月は、ストレスがどれほど肉体の能力を低下させるか(一%以下に低下)、や、戦闘になると人間は小便を半数以上、大便を四人に一人以上もらしている(自己申告で)、などが驚かれたようです。今回は、ご説明しなかった面白い実験などを挙げていきます。三つとも、日常生活に関わる実験ですし、人間関係にすぐに活かせる内容だと思います。

①寝不足はアルコール中毒と同じ
 アメリカ陸軍が、睡眠不足がどれほど、運動能力(作業能力)を低下させるかの実験をしました。二十日間、睡眠を七時間、六時間、五時間、四時間として砲撃の正確さを競ったのです。

 七時間グループ 九十八パーセント
 六時間グループ 五十パーセント
 五時間グループ 二十八パーセント
 四時間グループ 十五パーセント

 砲撃ですから、一人ではなくグループで行います。結果は衝撃をうけるほどです。六時間と七時間が、約五十パーセントの差、なのですから。また、五時間以下になるとひどい結果でした。
 そして著者のグロスマンは加えます。

 「今日では、旅客機のパイロット、トラック運転手、原子力発電所のオペレーター、航空管制官などさまざまな職種について、仕事の前にはじゅうぶんな睡眠が必要と決められている。(医療従事者も)」

 「チェルノブイリ(原発事故)、スリーマイル島の(原発事故 チェルノブイリに匹敵する)事故にはひとつの共通点がある。すべて深夜に起こった産業事故であり、人員の睡眠管理に問題があったということだ。睡眠不足は、産業事故という形で何十億ドルもの被害をもたらしている。」

 「失った睡眠をあとから取り戻すことはできないと言われていたが、いまではそれが間違いであったことがわかっている。」

 「重度の栄養不良状態が長く続けば、おそらく寿命が何年も縮むだろう。同様に、重度の睡眠不足状態が長く続くと、やはり寿命が何年も縮むはずである。健康な人間がみずから進んで栄養不良の生活を送ることはまずないが、睡眠不足の生活を進んで送っている人はいくらでもいる。」

 さらに、原因を人類の歴史に求めます。

 「文明化される前の古い時代、人類はだいたいにおいてじゅうぶん睡眠をとっていた。日が沈んだらほかにやることがなかった。(中略) だから、人にじゅうぶんな睡眠をとたせるために、肉体はわざわざ強力な信号を発達させる必要はなかった。そこへ安価な人工照明が登場し、物理的に何日もぶっ通しで活動できるようになった。」

 安価な人工照明が開発されて約百年。人類の歴史の中できわめて新しいことです。ですから、私たちの肉体が睡眠不足にならないようになっていない、というのです。キャンプなどでは安価な照明が少なくなります。そうすると夜やることなくて手持ち無沙汰になる時間があります。そんな時間がここ百年で失われてしまったのでしょう。少子化の原因もこの辺りにあるのかもしれません。なにせ、日本の少子化は大東亜戦争前からで、八十年以上続く傾向なのです。
 皆様も睡眠不足、栄養不足と同じようにお気をつけ下さい。チェルノブイリ事故も睡眠不足が原因のひとつというのを、私は知りませんでした。         (六十から六十八頁)

②テレビが減れば暴力が減る実験
 二千一年アメリカのスタンフォード大学の画期的な実験結果です。二つの小学校で三、四年生の約二百人で行いました。一校はこれまで通りテレビを見続けます。もう一校は十日間テレビをつけない制限をかけ、その後、半数が百四十日間テレビを週七時間以下にするのです。
 百五十日後には、身体的な攻撃行動が四十パーセント減少、言葉による攻撃行動が五十パーセント減少しました。
 実験前に攻撃性の高かった子供ほど減少していました。加えて、肥満や過食の問題も大きく改善されました。

 アメリカでは検察に報告されているだけで学校内で年間三十五人が殺害され、二十五万人が「重大な怪我」を負っています。窃盗事件は百万件です。

 グロスマンは、学校の火災で亡くなる、あるいは重傷を負った子供がゼロなのに、火災警報機や避難訓練をしている。他方、暴力で死亡、重傷を負う子供がこれほど多いのに、その対策をしていない。その対策は暴力的なメディア(殺戮やヒーロー映画、殺人ゲームなど)を止めることである、と述べています。その根拠として千を超える医学論文を挙げています。また、昔のけんかに凶器はなかったが現在は凶器が使われていて、そのけんかは年間百五十万件が報告されている、と言います。いじめは千八百万件の報告です。

 アメリカと日本の実状が異なりますが、増加の原因は似ているかもしれません。二千十六年、日本のいじめの報告数は三十二万件、けんかは六万件です。アメリカの子供の総数を三倍と大目にとれば、日本のいじめの件数は約百万件となり十八分の一、けんかは約二十万件となり、五分の一となります。(単純な類推ですが、日本はいじめの件数がまだまだ顕在化していないのかもしれません。)
 グロスマンは、動画での暴力シーンは二歳から理解できると言います。文字での暴力シーンは八歳からなので、メディア(動画やゲーム)が文字とは影響力が決定的に違う、と根拠を挙げます。
 令和元年六月三日の朝だったでしょうか、ニュースを見ているときに、とっくん(八歳九ヶ月)と、まなちゃん(六歳十一ヶ月)が、ポロッといいました。

 「ニースは、こわいのばっかりだから、いやだ。」
 「うん、こわいょ。」
 「そうだね、ニュースはみんなに見てもらうために、怖いニュースを流すよね。いいニュースは沢山あるんだけどね。」

 『「戦争」の心理学』を読み終わった後でしたから、びっくりもし、そして納得もしました。すぐに、かみさんとおばあちゃんにこの二人の言葉を伝えてお願いをしました。

 「これからは、テレビはなるべく見せないようにしてください。ニュースは特に気をつけてください。見せるときは、録画している、ドラえもんや、くっくるん(子供が作る料理番組)、プリキュア(少女ヒーロー)などにしてください。」

 理由として『「戦争」の心理学』の箇所を挙げました。「とくに八歳まではお願いします」と。        (四百二から四百三十頁)

③凶悪事件を起こす学生の人格調査
 アメリカではほぼ毎「月」、学校で銃の乱射事件が起きています。有名なコロンバイン高校銃乱射事件が特別なのではありません。FBIの心理学顧問が、十七件の凶悪犯罪事件を起こした学生の人格調査を行いました。結果はアメリカのみならず、国際的な法執行機関(警察など)で広く利用されています。引用します。

 「〝教室の復讐者(凶悪犯罪を起こした学生)〟たちには共通点がある。規律の厳しい活動やスポーツに参加しようとせず、そしてメディアの暴力表現に夢中だったということだ。
以下の事実を考えてみてほしい。

 ・学校で銃乱射事件を起こした生徒には、スポーツのレギュラー選手はひとりもいない。
 ・規律の厳しい武道の訓練をみっちり受けた者はいない(ひとりは黄帯をもらっているが、これは数週間訓練を受ければもらえる最低の級であり、短期間やっただけですぐにやめている)。
 ・ジュニア予備役将校訓練部隊【中・高校生対象の軍事訓練制度】に所属していたものはひとりもいない。」    三百八十四から五頁

 続けて、競技射撃、狩猟免許取得者、サバイバルゲームが挙げられています。
 アメリカでは中学生、高校生から受けられる軍事訓練制度が、当たり前に普及していますが、日本では普及していません。同時に、アメリカはこうした訓練や体育などを本人が希望しなければ受けなくても良い、という形になっています。日本では高校までの体育の授業で本人の希望で休むことは基本的に許されませんので、集団訓練の場となっています。日本では学校内で銃乱射事件などを起こした学生は極めてまれですので、この結果は参考になると思います。
 続けて、グロスマンは、凶悪犯罪者の俗説として、

 「抗鬱剤(気持ちが落ち込むのをおさえる薬)の服用者が犯人である。」

 があるが、「実際にはひとりもいない(二人いるが事件の前に止めている)」と引用します。

 グロスマンは性格異常による戦場での殺戮マシーンを「狼」と呼んでいます。「狼」は、「人を殺すことに心理的な抵抗を感じず、むしろ人を殺すことを楽しむような人間」を指しています。そして、彼は戦闘の過酷さから「狼」にならないようにしつつ、深い心の傷を癒すのを職業としています。この観点から、FBIの心理顧問の先ほどの説が納得いくのでしょう。以下のように説明します。

 「規律は戦士の人生における安全装置だ。それが牧羊犬(公益のために働く人々)と狼との差である。軍は伊達や酔狂で若い兵士たちに制服を着せ、髪を切らせ、行進をさせているわけではない。服装や髪型といったつまらないことで、自分の意志をまげて権威に従うことができないようでは、重要なものごと ーどうしても必要なとき以外には、ひどい挑発を受けても武器を使わないというようなー についても、自分の意志をまげて権威に従うだろうと信用することができないからである。最低限、警察学校や軍の基礎訓練キャンプで訓練を受けているあいだは、規律に従い権威に服することが必要だ。それが安全装置なのである。」
               三百八十三頁

 心理学における戦闘の専門家と犯罪の専門家がピタリと一致するのは、「規律が犯罪防止になる」という点です。
 私の経験で振り返ってみますと、野球部で坊主でした。理不尽ささえ感じませんでしたが、その根拠が規律の重要さにあることを知りえたのは、人生の大きな収穫となりました。また、息子が坊主にしていることの意味をひとつ教えてもらいました。つまり、「権威に従う規律を学ぶ」ということです。

孔子は軍人の影響を受けていたのか
 以上が犯罪心理学と戦闘心理学の専門家が一致する点になります。この点を論語で考えていきます。
 論語全体を通して孔子は華美な衣装を好まず、礼節にあった儀式や服装を求めています。これまでも、君主の礼を臣下が行うことを非礼である、と本文で指摘していました。こうした規律(礼節)を求める態度は、論語全体にありますし、孔子の礼節に対する根本的な態度といえるでしょう。ですから、孔子は論語において、一方では仁愛を求めつつ、もう一つは規律を求めていると捉えられるのです。
 そういう順路で思索を進めていくと、その先には、これまでまったく見えなかった、孔子の父親が、突然現れてきます。なぜなら、孔子の父は、歴戦の勇者であり、軍人だったからです。母親は占い師であり、文字や儀式を習ったとされています。これまで、孔子の父の影響は不明瞭でありました。関わりの明確な箇所がなかったからです(私の勉強の範囲内では)。
 しかしながら、論語を読み進めてきて、論語全体で孔子が求めている礼節における態度、それはまさしく、軍人の持っている規律に近しい態度であると感じました。
 『「戦争」の心理学』によれば、昔から軍人は規律の大切さを知っていたそうです。だとすると、孔子の父もまた軍人の規律の大切さを保持していたと思われます。孔子が礼節を重視する根底には、父の軍人としての影響、つまり規律の重要さの理解がある、と想われるのです。

 『仮名論語』
 「子、 大廟に入りて、事ごとに問う。或るひと曰わく、孰(たれ)か鄹(すう)人の子を禮を知ると謂うや、大廟に入りて事ごとに問う。

 子、之を聞きて曰わく、是れ禮なり。」
 八佾第三   二十九頁七行目

 伊與田覺先生訳です。

 『○先師がはじめて君主の祖先の廟で祭りにたずさわった時、事毎(ことごと)に先輩に問われた。ある人が「誰が鄹(すう)の田舎役人の子をよく礼を弁(わきま)えていると言ったのか。大廟に入って事毎に問うているではないか」と軽蔑して言った。

 先師はこれを聞いて言われた。「これこそが礼だ」』

 孔子が「礼儀作法が判らない場合は素直に聞くのが礼である」と言われます。この言葉の裏にはグロスマンの言う「権威に従う規律を学ぶ」態度があります。
 誰でもが自己顕示欲があり、知らないことを知ったかぶりをしたい、と感じるものです。その自己顕示欲を「君主の祖先の廟」という権威に従い、尊重する態度を示すのです。そして孔子の特異なのは、その尊重する態度こそ礼なのである、と言い切る点にあります。通常は、頭の上げ下げや、服装の形や色など形式に適うことを礼儀作法というのです。
 少し広げて考えて見ます。
 通常、朝廷内では頭の上げ下げや、服装の形や色など形式に適うことを礼儀作法に適わないと非礼とされ、追放や左遷の憂き目にあいます。また、王や上司の命令が納得できなくとも、理解できなくとも、唯々諾々(いいだくだく 意味がわからなくても納得できなくても承知しました、ということ)としていれば、自らの生命が保証されます。この礼儀作法と孔子の主張する礼とは根本が異なります。
 反対に、軍人であれば命令が判らなければ聞きなおさなければなりません。そうしないと最悪、敗戦につながります。そして自らの生命を失うことになります。「権威に従いつつも、命令を遂行するために質問や意見を出すこと」は軍人の持つ礼そのものです。
 孔子でも「礼節の先生なのに礼節を他者に聞くことは恥ずかしい」ことだったでしょう。この恥ずかしい心を思い切る、その心理の根底に父親の影響、父が軍人で歴戦の勇士であったことへの誇りがあったように推論するのです。
 グロスマンが、軍人は「権威に従う規律を学ぶ」ことである、と述べました。この主張を論語に広げてみますと、これまで影さえ見えなかった孔子の父親が観えてきました。
 孔子先生は、心の中で父親を深く敬愛していたのではないでしょうか。幼いころに別れてしまった父でしたが、周りの方々から父の武勇、活躍に胸を躍らせ、そして軍人の持つ公益に尽くすという心を胸に灯して、人生を全うしたように感じます。
 
 このように考えると以下の二点も見えてきます。
 ①軍人上がりの子路(しろ)を深く愛したこと
 :孔子の熱い軍人のともし火と魂の共感をしたのが子路だったのでしょう

 ②殺されそうになったときの発奮(はっぷん)

 『仮名論語』
 「子、匡に畏(い)す。曰わく、文王既(すで)に没したれども、文茲(ここ)に在(あ)らずや。
 天の将に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯(こ)の文に與(あずか)るを得ざるなり。
 天の未だ斯の文を喪(ほろ)ぼさざるや、匡人其(そ)れ予(われ)を如何にせん。」
 子罕第九 百十二頁一行目

 伊與田覺先生訳です。
 『○先師が衛から陳へ行かれる途中の匡の町でおそろしい目にあわれたときに、先師が言われた。「聖人と仰がれる文王はすでに死んでこの世にはいないが、その道は現に私自身に伝わっているではないか。
 天がこの文(道)をほろぼそうとすると私(後死の者)はこの文(道)にあずかることができないはずだ。
 天がまたこの文(道)をほろぼさない限り、匡の人たちは、絶対に私をどうすることもできないだろう。」
 *匡に畏す かつてこの地で乱暴を働いた魯の陽虎に間違えられたのが原因。』

 ここには普段は表にでない孔子自身が胸に秘めている思いが、危機に陥って出てきています。この、

 「絶対に私をどうすることもできないだろう。」

 という言葉は、軍人や法執行官(警察や消防)が、戦闘に、犯罪現場に、火災現場に向かう時の胸の内、そのものである、と私は感じたのです。
 ですから、その胸の内を孔子は記憶のない父から影響を受けたのだろう、と推察しました。

終わりに
 己の人生と学問を深められるのが、名著だとしましたら、『「戦争」の心理学』は名著の名に相応しいと思います。

 参考書
 デーヴ・グロスマン ローレン・W・クリステンセン著 安原和見訳 『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』 二見書房 二千八年

【學問】経済システムから観る米中貿易戦争

冒頭付記:時事問題「香港での大規模デモ」について
 令和元年六月に「逃亡犯条例」改正案の撤回などを訴えるデモが香港で起こりました。700万人の人口で100万人を超えるデモとなりました。現在の報道されている視点に1つ加えたいと思います。それは、

 「イギリスの介入が不可欠である」という点です。

 一国二制度を脅かす中華人民共和国の政策に対するデモです。一国二制度を約束した相手国はイギリスです。今回のデモの方々は、トランプ米国大統領が中華人民共和国に強気の姿勢を示していることを頼りにしているように見えます。例えば台湾を国として格上げする政策を六月一日に取りました。(丁度、文章末の追記につけていました。アメリカ国防総省は「二千十九年インド太平洋戦略報告書」)
 ですから、香港のデモの方々はイギリスに働きかけ、そのイギリスからアメリカのトランプ大統領に依頼する、という形にしないと香港内だけでデモが終わってしまいます。そうなると、このデモは沢山の人数を集めても失敗に終わるでしょう。こうした戦略性を含んだ国際政治の視点を持たないと、デモは単なるデモで終わってしまいます。戦略性を含んだ国際政治の視点は、本文の内容と重なりますので、冒頭付記としました。令和元年六月十七日 高木健治郎

       --------------   本文   --------------ーー

 先月の「富士論語を楽しむ会」でお話した内容を文章にまとめます。多くのご質問を頂き、また、新しい刺激となりましたようで、何より嬉しいことです。今月は経済システムから中華人民共和国と大韓民国が成功した理由についてお話致します。同じ視点となりますので、お役に立てれば、とも考えます。

経済システムの視点
 「経済システム」という視点は、抽象性が高い視点、高度な視点となります。大統領や首相よりも高度な視点です。この視点からは、「経済システムが親中国のオバマ大統領から反中国のトランプ大統領を誕生させる」という現象を説明できます。
 もう少し身近な例で説明します。日本は大東亜戦争に敗れました。なぜなら、視点がもっとも高いのが「同盟」、その下に「戦争」、その下に「戦闘」があります。「戦闘」でいくら勝っても、「戦争」には勝てない。「戦争」にいくら勝っても、「同盟(外交)」には勝てない、という歴史の真実があります。
 日本は真珠湾攻撃という「戦闘」に勝ちました。しかし、「戦争」には負けました。なぜなら、日本には「同盟」がなかったからです。日独伊三国同盟は遠すぎました。兵力や物資の供給があるという実際上の同盟ではなかったのです。ですから、日本はアメリカ、イギリス、オランダなどの多くの敵と戦い、最後には「戦争」に敗れたのです。

 経済システムの話に戻しましょう。
 「同盟」が「戦争」や「戦闘」の結果を決めるように、「経済のシステム」が「大統領」や「法律」の結果を決めます。その意味で、もっとも抽象性が高い、高度な視点ということになります。

アメリカの経済システム
 アメリカが世界の覇権を握って百年が過ぎました。その間には、無能な大統領、無駄な戦争、決定的な敗北などが積み重なってきました。しかし、アメリカがナンバーワンであることは変わっていません。なぜなら、「経済システム」が「大統領」や「法律」や「戦争」や「戦闘」よりも上であり、かつ安定し一貫しているからです。
 そのシステムとは、

 ① 世界中に武器をばら撒き、戦争を引き起こす。
 ↓
 ② 経済の法則「インフレーション」によりお金持ちが資産保
   全のためドルを買う。
 ↓
 ③ 世界中の資金がアメリカに集まる。
 ↓
 ④ 資金によって武器を生産し、資金から株システムを利用し
   てアメリカの富を増やす。
 ↓
 ①に戻る

 アメリカは「経済システム」として世界中を範囲にしています。そして武器や株を使い、金融資本主義による覇権国となっています。その前のイギリスは間接統治による植民地主義による覇権国となっていました。イギリスは世界の四分の一の土地を間接統治し、アメリカは金融の四分の一以上を支配しています。第二次世界大戦直後は約半分を支配していました。
 アメリカがソ連を打ち倒したのは、この「経済システム」がソ連より優れていたからです。ソ連は核兵器ではアメリカと同等でしたが、経済の差によって敗北したのです。

アメリカの株の利用法
 アメリカは世界中の資金が流入してきます。日本では土地に多くの資金が投資されましたが、アメリカでは株に多くの資金が投資されています。
 株を買う主体は大きく分けて三つです。
 A)個人投資家 個人の判断で購入
 B)企業投資家 一企業が判断して購入
 C)機関投資家 保険会社や年金基金など巨額の資金を用いて購入

 問題はC)の機関投資家です。第一生命は個人の保険契約だけで百兆円を超えています。ですから、株を運用すると、損益で一兆円を超えてきます。この判断を格付会社(スタンダードアンドプワーズ と ムーディーズの二社が寡占しています)に任せます。個人では一兆円の損益の責任が取れないからです。C)は格付会社の判断に従って、株の売買をしています。そして格付会社は公開前の二週間前にC)に格付を知らせることで成り立っているのです。
 ここに最重要のポイントがあります。格付会社は株を購入できる、ということです。倫理的問題として長く議論されてきましたが、格付会社は株を売買し、保有できるのです。
 ですから、格付会社は理論上、先に株を購入し、格付を上げた情報を機関投資家に売ることが可能です。機関投資家は格付会社の情報を元に売買をしていますから、巨大な資金がその株を売買することになります。すると、格付会社はリスクが極めて低い状況で儲けられるのです。
 たとえば、私が先にトヨタの株を買っておきます。そしてトヨタの株の格付を上げるという情報を第一生命に売ります。すると第一生命は私の情報を元に株を買いますから、1兆円くらい、するとトヨタの株はほぼ百パーセント上がることになります。上がったら私は売ればいいのです。
 二週間後、トヨタの格付を上げました、という情報を企業投資家や個人投資家などに公開し、テレビではニュースとして流れるのです。
 倫理の問題としては、議論がかなりされてきましたが、現在でも続けられています。
 この構造は、「経済のシステム」の視点から見ると判りやすいものです。世界中から資金がアメリカに流れてきて、その資金をアメリカ国内にとどめるための必要不可欠な構造だからです。だから、アメリカの国益に適うので倫理問題では扱われないのです。

アメリカの「経済システム」のポイント
 この株システムを含む金融資本主義のポイントは、情報のコントロールにあります。株の売買そのものが情報のみで決定する、という点でも明らかですが、株に資金が流入するためには情報のコントロールを確保していなければなりません。偽情報で株が増えてしまっては、株システム全体が弱体化してしまうからです。例えば、アメリカのドルは偽札が横行していますが、高額紙幣を出さないことで何とか安定しています。
 アメリカの金融資本主義による覇権を支えてきたのは、CIAやFBI、軍の諜報機関などを含めた情報のコントロールです。
 スノーデン氏は、アメリカが、日本、ドイツ、イギリスを始めほぼ全ての国の首相クラスを含めて膨大な情報スパイの実態を暴いて世界に大ショックを与えました。しかし、これは覇権国であるための生命線であるのです。現在情報のコントロールはインターネット上に移っています。そのインターネットの根幹である、パソコンの中心のOSは、ウィンドウズとアップルですが両社ともにアメリカの会社です。
 日米貿易戦争が勃発した西暦千九百八十年代後半、アメリカ政府がホテルや電話などの盗聴を行っていると疑われてきました。日米貿易交渉で日本側の情報が相手に筒抜けだったからです。日本人は、同盟国のアメリカがスパイをするはずがない。正々堂々交渉するはずだ、と思い込んでいました。
 他方、アメリカは国際法上の縛りがあってもスパイをするのはアメリカの国益に適うからスパイすべきである、としてきたのです。アメリカの覇権が成り立ってこそ、日本の安全があるし、世界の貿易が安定する、という理由です。

米中貿易戦争
 アメリカの金融資本主義のポイントは情報のコントロールでした。この情報のコントロールを握ろうとする国が出てきました。それが中華人民共和国です。具体的にはファーゥエイという新世代の通信システムで世界支配を目指す会社です。この会社は人民解放軍出身の社長が中国の指導部とべったりくっついて成長してきました。欧米や日本、アメリカでも地域でナンバーワンの通信会社になろうという勢いがあります(日本企業はシェア2%以下です)。
 このまま、第五世代の通信を中国に握られると情報のコントロールが中国に移ってしまうことになります。第四世代の通信では、アマゾンやフェイスブック、グーグルなどが巨大な富をアメリカにもたらしました。第五世代の通信が中国に握られるというのは、イメージとしては、アマゾン、フェイスブック、グーグルが全て中国企業になる、ということです。どれほど、中国の影響力が大きくなるか、が想像できるでしょうか?
 そして決定打となるのは、アメリカの「経済システム」の根幹が、機器のレベルですが完全に中国に握られる、ということです。
 アメリカは現在、

 「ファーウェイ製品からスパイウェアが検出されて、中国本土に全ての情報が定期的に送られている」

 と主張しています。ただ、その証拠ははっきりと示していません。「経済システム」からすると、証拠を示す必要はないのです。第五世代を握られるとアメリカの金融資本主義の根幹が揺らぐ、からです。その根幹の揺らぎはアメリカにとって決して許せない行為だからです。日本が日米貿易戦争で、欠陥がないのに日本車に火をつけられ、バットでたたかれ、裁判で証拠もないのに負けまくった事例が参考になります。アメリカの世界覇権を邪魔する国に対してアメリカは、全力でつぶしにかかってきました。ソ連、日本、次は中国なのです。
 ですから、親中国のオバマ大統領やヒラリー候補から反中国を鮮明に打ち出したトランプ大統領が、人種差別、女性差別主義者でも当選したのです。

まとめ
 以上にように「経済システム」から米中貿易戦争の原因を観てきました。このように観ますと、米中貿易戦争は、単なる関税の掛け合いではなく、世界覇権の問題として映ります。
 また、アメリカの大手メディアや日本のメディアの論じている単なる関税の報復、著作権保護の問題という抽象度の低い問題ではないことがご理解いただけると思います。
 一歩踏み込むならば、中国で習金平国家主席が変わっても、貿易戦争は終わらないと考えますし、同時に、トランプ大統領が中国と和解をしたら、次の選挙は落選するのではないか、とも考えます。なぜならば、「経済システム」が「大統領」よりも抽象度が高いからです。
 米中貿易戦争が明確になったのは、昨年の夏、バイデン副大統領の演説からです。現在の所、いつまで継続するのかは不明確です。関税による両国の国民へは損害が出てきていますが、今後もこの流れは変わらないことでしょう。

 今月は、日本、中華人民共和国、大韓民国、ブラジル、インドなどを「経済システム」から触れていくつもりです。よろしくお願いいたします。

 参考書としてはきりがないのですが、「経済システム」については、エドワード・ルトワック氏の各著書をお読みください。

 追記:アメリカ国防総省は六月一日の「二千十九年インド太平洋戦略報告書」で台湾を国として認めました。国際機関への台湾の出席等も推進していくと書かれています。

【隨筆】孔子は軍人の影響を受けていたのか ―『「戦争」の心理学』の三つの面白い所― 


 先月の「富士論語を楽しむ会」でお話した『「戦争」の心理学』のさらに面白い所を、お伝えしたいと思います。タイトルの「孔子は軍人の影響を受けていたのか」は三番目の「凶悪事件を起こす学生の人格調査」からお読みください。
 先月は、ストレスがどれほど肉体の能力を低下させるか(一%以下に低下)、や、戦闘になると人間は小便を半数以上、大便を四人に一人以上もらしている(自己申告で)、などが驚かれたようです。今回は、ご説明しなかった面白い実験などを挙げていきます。三つとも、日常生活に関わる実験ですし、人間関係にすぐに活かせる内容だと思います。

①寝不足はアルコール中毒と同じ
 アメリカ陸軍が、睡眠不足がどれほど、運動能力(作業能力)を低下させるかの実験をしました。二十日間、睡眠を七時間、六時間、五時間、四時間として砲撃の正確さを競ったのです。

 七時間グループ 九十八パーセント
 六時間グループ 五十パーセント
 五時間グループ 二十八パーセント
 四時間グループ 十五パーセント

 砲撃ですから、一人ではなくグループで行います。結果は衝撃をうけるほどです。六時間と七時間が、約五十パーセントの差、なのですから。また、五時間以下になるとひどい結果でした。
 そして著者のグロスマンは加えます。

 「今日では、旅客機のパイロット、トラック運転手、原子力発電所のオペレーター、航空管制官などさまざまな職種について、仕事の前にはじゅうぶんな睡眠が必要と決められている。(医療従事者も)」

 「チェルノブイリ(原発事故)、スリーマイル島の(原発事故 チェルノブイリに匹敵する)事故にはひとつの共通点がある。すべて深夜に起こった産業事故であり、人員の睡眠管理に問題があったということだ。睡眠不足は、産業事故という形で何十億ドルもの被害をもたらしている。」

 「失った睡眠をあとから取り戻すことはできないと言われていたが、いまではそれが間違いであったことがわかっている。」

 「重度の栄養不良状態が長く続けば、おそらく寿命が何年も縮むだろう。同様に、重度の睡眠不足状態が長く続くと、やはり寿命が何年も縮むはずである。健康な人間がみずから進んで栄養不良の生活を送ることはまずないが、睡眠不足の生活を進んで送っている人はいくらでもいる。」

 さらに、原因を人類の歴史に求めます。

 「文明化される前の古い時代、人類はだいたいにおいてじゅうぶん睡眠をとっていた。日が沈んだらほかにやることがなかった。(中略) だから、人にじゅうぶんな睡眠をとたせるために、肉体はわざわざ強力な信号を発達させる必要はなかった。そこへ安価な人工照明が登場し、物理的に何日もぶっ通しで活動できるようになった。」

 安価な人工照明が開発されて約百年。人類の歴史の中できわめて新しいことです。ですから、私たちの肉体が睡眠不足にならないようになっていない、というのです。キャンプなどでは安価な照明が少なくなります。そうすると夜やることなくて手持ち無沙汰になる時間があります。そんな時間がここ百年で失われてしまったのでしょう。少子化の原因もこの辺りにあるのかもしれません。なにせ、日本の少子化は大東亜戦争前からで、八十年以上続く傾向なのです。
 皆様も睡眠不足、栄養不足と同じようにお気をつけ下さい。チェルノブイリ事故も睡眠不足が原因のひとつというのを、私は知りませんでした。         (六十から六十八頁)

②テレビが減れば暴力が減る実験
 二千一年アメリカのスタンフォード大学の画期的な実験結果です。二つの小学校で三、四年生の約二百人で行いました。一校はこれまで通りテレビを見続けます。もう一校は十日間テレビをつけない制限をかけ、その後、半数が百四十日間テレビを週七時間以下にするのです。
 百五十日後には、身体的な攻撃行動が四十パーセント減少、言葉による攻撃行動が五十パーセント減少しました。
 実験前に攻撃性の高かった子供ほど減少していました。加えて、肥満や過食の問題も大きく改善されました。

 アメリカでは検察に報告されているだけで学校内で年間三十五人が殺害され、二十五万人が「重大な怪我」を負っています。窃盗事件は百万件です。

 グロスマンは、学校の火災で亡くなる、あるいは重傷を負った子供がゼロなのに、火災警報機や避難訓練をしている。他方、暴力で死亡、重傷を負う子供がこれほど多いのに、その対策をしていない。その対策は暴力的なメディア(殺戮やヒーロー映画、殺人ゲームなど)を止めることである、と述べています。その根拠として千を超える医学論文を挙げています。また、昔のけんかに凶器はなかったが現在は凶器が使われていて、そのけんかは年間百五十万件が報告されている、と言います。いじめは千八百万件の報告です。

 アメリカと日本の実状が異なりますが、増加の原因は似ているかもしれません。二千十六年、日本のいじめの報告数は三十二万件、けんかは六万件です。アメリカの子供の総数を三倍と大目にとれば、日本のいじめの件数は約百万件となり十八分の一、けんかは約二十万件となり、五分の一となります。(単純な類推ですが、日本はいじめの件数がまだまだ顕在化していないのかもしれません。)
 グロスマンは、動画での暴力シーンは二歳から理解できると言います。文字での暴力シーンは八歳からなので、メディア(動画やゲーム)が文字とは影響力が決定的に違う、と根拠を挙げます。
 令和元年六月三日の朝だったでしょうか、ニュースを見ているときに、とっくん(八歳九ヶ月)と、まなちゃん(六歳十一ヶ月)が、ポロッといいました。

 「ニースは、こわいのばっかりだから、いやだ。」
 「うん、こわいょ。」
 「そうだね、ニュースはみんなに見てもらうために、怖いニュースを流すよね。いいニュースは沢山あるんだけどね。」

 『「戦争」の心理学』を読み終わった後でしたから、びっくりもし、そして納得もしました。すぐに、かみさんとおばあちゃんにこの二人の言葉を伝えてお願いをしました。

 「これからは、テレビはなるべく見せないようにしてください。ニュースは特に気をつけてください。見せるときは、録画している、ドラえもんや、くっくるん(子供が作る料理番組)、プリキュア(少女ヒーロー)などにしてください。」

 理由として『「戦争」の心理学』の箇所を挙げました。「とくに八歳まではお願いします」と。        (四百二から四百三十頁)

③凶悪事件を起こす学生の人格調査
 アメリカではほぼ毎「月」、学校で銃の乱射事件が起きています。有名なコロンバイン高校銃乱射事件が特別なのではありません。FBIの心理学顧問が、十七件の凶悪犯罪事件を起こした学生の人格調査を行いました。結果はアメリカのみならず、国際的な法執行機関(警察など)で広く利用されています。引用します。

 「〝教室の復讐者(凶悪犯罪を起こした学生)〟たちには共通点がある。規律の厳しい活動やスポーツに参加しようとせず、そしてメディアの暴力表現に夢中だったということだ。
以下の事実を考えてみてほしい。

 ・学校で銃乱射事件を起こした生徒には、スポーツのレギュラー選手はひとりもいない。
 ・規律の厳しい武道の訓練をみっちり受けた者はいない(ひとりは黄帯をもらっているが、これは数週間訓練を受ければもらえる最低の級であり、短期間やっただけですぐにやめている)。
 ・ジュニア予備役将校訓練部隊【中・高校生対象の軍事訓練制度】に所属していたものはひとりもいない。」    三百八十四から五頁

 続けて、競技射撃、狩猟免許取得者、サバイバルゲームが挙げられています。
 アメリカでは中学生、高校生から受けられる軍事訓練制度が、当たり前に普及していますが、日本では普及していません。同時に、アメリカはこうした訓練や体育などを本人が希望しなければ受けなくても良い、という形になっています。日本では高校までの体育の授業で本人の希望で休むことは基本的に許されませんので、集団訓練の場となっています。日本では学校内で銃乱射事件などを起こした学生は極めてまれですので、この結果は参考になると思います。
 続けて、グロスマンは、凶悪犯罪者の俗説として、

 「抗鬱剤(気持ちが落ち込むのをおさえる薬)の服用者が犯人である。」

 があるが、「実際にはひとりもいない(二人いるが事件の前に止めている)」と引用します。

 グロスマンは性格異常による戦場での殺戮マシーンを「狼」と呼んでいます。「狼」は、「人を殺すことに心理的な抵抗を感じず、むしろ人を殺すことを楽しむような人間」を指しています。そして、彼は戦闘の過酷さから「狼」にならないようにしつつ、深い心の傷を癒すのを職業としています。この観点から、FBIの心理顧問の先ほどの説が納得いくのでしょう。以下のように説明します。

 「規律は戦士の人生における安全装置だ。それが牧羊犬(公益のために働く人々)と狼との差である。軍は伊達や酔狂で若い兵士たちに制服を着せ、髪を切らせ、行進をさせているわけではない。服装や髪型といったつまらないことで、自分の意志をまげて権威に従うことができないようでは、重要なものごと ーどうしても必要なとき以外には、ひどい挑発を受けても武器を使わないというようなー についても、自分の意志をまげて権威に従うだろうと信用することができないからである。最低限、警察学校や軍の基礎訓練キャンプで訓練を受けているあいだは、規律に従い権威に服することが必要だ。それが安全装置なのである。」
               三百八十三頁

 心理学における戦闘の専門家と犯罪の専門家がピタリと一致するのは、「規律が犯罪防止になる」という点です。
 私の経験で振り返ってみますと、野球部で坊主でした。理不尽ささえ感じませんでしたが、その根拠が規律の重要さにあることを知りえたのは、人生の大きな収穫となりました。また、息子が坊主にしていることの意味をひとつ教えてもらいました。つまり、「権威に従う規律を学ぶ」ということです。

孔子は軍人の影響を受けていたのか
 以上が犯罪心理学と戦闘心理学の専門家が一致する点になります。この点を論語で考えていきます。
 論語全体を通して孔子は華美な衣装を好まず、礼節にあった儀式や服装を求めています。これまでも、君主の礼を臣下が行うことを非礼である、と本文で指摘していました。こうした規律(礼節)を求める態度は、論語全体にありますし、孔子の礼節に対する根本的な態度といえるでしょう。ですから、孔子は論語において、一方では仁愛を求めつつ、もう一つは規律を求めていると捉えられるのです。
 そういう順路で思索を進めていくと、その先には、これまでまったく見えなかった、孔子の父親が、突然現れてきます。なぜなら、孔子の父は、歴戦の勇者であり、軍人だったからです。母親は占い師であり、文字や儀式を習ったとされています。これまで、孔子の父の影響は不明瞭でありました。関わりの明確な箇所がなかったからです(私の勉強の範囲内では)。
 しかしながら、論語を読み進めてきて、論語全体で孔子が求めている礼節における態度、それはまさしく、軍人の持っている規律に近しい態度であると感じました。
 『「戦争」の心理学』によれば、昔から軍人は規律の大切さを知っていたそうです。だとすると、孔子の父もまた軍人の規律の大切さを保持していたと思われます。孔子が礼節を重視する根底には、父の軍人としての影響、つまり規律の重要さの理解がある、と想われるのです。

 『仮名論語』
 「子、 大廟に入りて、事ごとに問う。或るひと曰わく、孰(たれ)か鄹(すう)人の子を禮を知ると謂うや、大廟に入りて事ごとに問う。

 子、之を聞きて曰わく、是れ禮なり。」
 八佾第三   二十九頁七行目

 伊與田覺先生訳です。

 『○先師がはじめて君主の祖先の廟で祭りにたずさわった時、事毎(ことごと)に先輩に問われた。ある人が「誰が鄹(すう)の田舎役人の子をよく礼を弁(わきま)えていると言ったのか。大廟に入って事毎に問うているではないか」と軽蔑して言った。

 先師はこれを聞いて言われた。「これこそが礼だ」』

 孔子が「礼儀作法が判らない場合は素直に聞くのが礼である」と言われます。この言葉の裏にはグロスマンの言う「権威に従う規律を学ぶ」態度があります。
 誰でもが自己顕示欲があり、知らないことを知ったかぶりをしたい、と感じるものです。その自己顕示欲を「君主の祖先の廟」という権威に従い、尊重する態度を示すのです。そして孔子の特異なのは、その尊重する態度こそ礼なのである、と言い切る点にあります。通常は、頭の上げ下げや、服装の形や色など形式に適うことを礼儀作法というのです。
 少し広げて考えて見ます。
 通常、朝廷内では頭の上げ下げや、服装の形や色など形式に適うことを礼儀作法に適わないと非礼とされ、追放や左遷の憂き目にあいます。また、王や上司の命令が納得できなくとも、理解できなくとも、唯々諾々(いいだくだく 意味がわからなくても納得できなくても承知しました、ということ)としていれば、自らの生命が保証されます。この礼儀作法と孔子の主張する礼とは根本が異なります。
 反対に、軍人であれば命令が判らなければ聞きなおさなければなりません。そうしないと最悪、敗戦につながります。そして自らの生命を失うことになります。「権威に従いつつも、命令を遂行するために質問や意見を出すこと」は軍人の持つ礼そのものです。
 孔子でも「礼節の先生なのに礼節を他者に聞くことは恥ずかしい」ことだったでしょう。この恥ずかしい心を思い切る、その心理の根底に父親の影響、父が軍人で歴戦の勇士であったことへの誇りがあったように推論するのです。
 グロスマンが、軍人は「権威に従う規律を学ぶ」ことである、と述べました。この主張を論語に広げてみますと、これまで影さえ見えなかった孔子の父親が観えてきました。
 孔子先生は、心の中で父親を深く敬愛していたのではないでしょうか。幼いころに別れてしまった父でしたが、周りの方々から父の武勇、活躍に胸を躍らせ、そして軍人の持つ公益に尽くすという心を胸に灯して、人生を全うしたように感じます。
 
 このように考えると以下の二点も見えてきます。
 ①軍人上がりの子路(しろ)を深く愛したこと
 :孔子の熱い軍人のともし火と魂の共感をしたのが子路だったのでしょう

 ②殺されそうになったときの発奮(はっぷん)

 『仮名論語』
 「子、匡に畏(い)す。曰わく、文王既(すで)に没したれども、文茲(ここ)に在(あ)らずや。
 天の将に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯(こ)の文に與(あずか)るを得ざるなり。
 天の未だ斯の文を喪(ほろ)ぼさざるや、匡人其(そ)れ予(われ)を如何にせん。」
 子罕第九 百十二頁一行目

 伊與田覺先生訳です。
 『○先師が衛から陳へ行かれる途中の匡の町でおそろしい目にあわれたときに、先師が言われた。「聖人と仰がれる文王はすでに死んでこの世にはいないが、その道は現に私自身に伝わっているではないか。
 天がこの文(道)をほろぼそうとすると私(後死の者)はこの文(道)にあずかることができないはずだ。
 天がまたこの文(道)をほろぼさない限り、匡の人たちは、絶対に私をどうすることもできないだろう。」
 *匡に畏す かつてこの地で乱暴を働いた魯の陽虎に間違えられたのが原因。』

 ここには普段は表にでない孔子自身が胸に秘めている思いが、危機に陥って出てきています。この、

 「絶対に私をどうすることもできないだろう。」

 という言葉は、軍人や法執行官(警察や消防)が、戦闘に、犯罪現場に、火災現場に向かう時の胸の内、そのものである、と私は感じたのです。
 ですから、その胸の内を孔子は記憶のない父から影響を受けたのだろう、と推察しました。

終わりに
 己の人生と学問を深められるのが、名著だとしましたら、『「戦争」の心理学』は名著の名に相応しいと思います。

 参考書
 デーヴ・グロスマン ローレン・W・クリステンセン著 安原和見訳 『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』 二見書房 二千八年
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