【随想】哲学とーちゃんの子育て 十九 ―ドラえもんと老いて朽(く)ちず― 


 「おまえ~ 鬼な~。」

 体の大きなAくんが、線の細く小さなCくんに言います。一緒にいるBくんは動きが速く、

 「鬼だ~追っかけてこいよ~。」

 Cくんは何も言いません。彼は、一所懸命追いかけていってフラフラになりながら、Aくんにタッチをします。

 すると、Aくんは、即座にタッチし返すのです。そして逃げます。Cくんの足では追いつけません。続けてBくんが

 「追いかけてこいよ~。」

 と言います。Cくんが追いかけていってタッチをすると、また、Bくんが即座にタッチし返して、

 「おまえ、鬼!!」

 と逃げていきます。

 Aくんがジャイアン、Bくんがスネ夫、Cくんがのび太のようでした。
 平成二十九年六月末日の晴れた朝です。小学校が始まって三カ月になろうとしています。初々しい一年生もお互いが知り合い、人間関係が固定してくる頃になりました。そこに、とっくん(六歳十か月)が入りました。さて、とっくんは私の見ていない小学校でどのような人間関係を築いたのでしょうか。興味津津で、黙って見ていました。
 とっくんは最初逃げる方でした。そして、Cくんにタッチされると、Aくんにタッチしたのです。なるほど。
 しかし、元の木阿弥(もくあみ:元通りの意味)。

 AくんがCくんにタッチして、また、Cくんが鬼になりました。

 「お~い、鬼だぞ! 追っかけてこいよ~。」
 「こっちだよ~。」

 ドラえもんは、実際の小学生が起こす行動そのものなので、子供たちの心を捉えて離さないのだ、と実感しました。大人になり、輪の中に入っていないとよく見えるものです。
 どうしたら良いでしょうか? と考えました。

 というのも、ここにドラえもんは居ないからです。ジャイアンを強く叱り飛ばしましょうか。それとも、こうした中で人は成長するのだから、と放って置きましょうか。適当に「ダメよ~」などと声を掛けましょうか。いろいろな正解があると思います。

 心理学者の河合速雄先生は、「百パーセントが必要な時がある。普段は六十パーセントでよいけれども。」と仰られました。
 私は百パーセントを目指してまずは、Aくんの横に立ち、Cくんから逃げる進路に立ちました。すると結果、Aくんの体は私の手に触れて、Cくんがタッチしました。しかし、タッチし返して逃げていきました。次に、

 「一人がずっと鬼で楽しいの?」

 と目を合わせないで声を掛けました。横並びなので、声が強くならないからです。聞く耳を持ちませんでした。少し見ていましたら、Cくんは疲れて走らなくなってしまいました。Aくん、Bくんは相変わらず「追いかけてこいよ~」と言っています。私はとっくんに、

 「とっくん、ここに来なさい。」

 「は~い。」

 私は左ひざをついて目線をとっくんに合わせました。

 「とっくん、さっきから、ずっと一人が鬼だよね。これって楽しいの?」

 「ううん、楽しくない。」

 楽しくない、の言葉を聴いて安心しました。一つは、力の強い子に遠慮しなかったからです。その場の人間関係より公正さを優先できたのです。もう一つは、きちんと状況把握を言葉にできたからです。小学校一年生では、お友達の性格や実力などに関心がなく、ぼーっとしている子がいます。こうした子供は、周りの状況が把握できにくいのです。授業中に走りだしたり、友達にきちんとお返事が出来なかったりします。そして、心身が成長することで状況把握が出来るようになっていきます。力の強い子と弱い子を客観視できたのです。これは、先ほど、Cくんにタッチせず、力の強いAくんにタッチしたことでも判ります。

 ドラえもんの面白さの一つの要素は、のび太がきちんと状況把握ができていないことにあります。自分は弱いのに、ドラえもんの道具を使って、強いと錯覚して、限度をわきまえず失敗します。さらに、ジャイアンやスネ夫、しずかちゃんの性格を見抜けないで、失敗を大きくするのです。そこをドラえもんが、

 「しょうがないなぁ~のび太くんは~・・・(ドラえもん似の声で)。」

 と言って色々と後処理をしてアニメが終了します。

 しかし、私の目の前にドラえもんは居ません。ゆえに、失敗をなんとかしてくれる人がいないのです。

 そこで私は以下のように考えました。私はジャイアン、あるいはジャイアンのようなAくんが悪い、と非難するつもりはありません。Aくんは小学一年生です。ですから、彼は全く悪くなく、周りの大人の人間関係を真似ているだけなのです。スネ夫も、スネ夫のようなBくんも同じです。「子は親の鏡である」と昔から言います。

 「子は親の鏡である。」

 は通常の意味と、もう一つの意味があると考えます。それは、

 「子しか親は変えられない。」

 という意味です。「親が変われば子が変わる」が通常の意味です。加えて「親が変わっても他人の子は変わらない」の意味があると考えます。言い換えれば、私は、AくんもBくんも、そしてCくんも変えられない。変えられるのは我が子だけである、という風に考えました。
 ですから、最後には、とっくんにだけ声を掛けました。以上の意味を古典に探してみましょう。

 毎回、富士論語を楽しむ会、の冒頭で発声している「聞学起請文(もんがくきしょうもん)」に以下の名言があります。

 「一斎(いっさい:佐藤一斎)先生曰(のたまわ)く、少(わか)くして学ぶなら壮(そう:中年)にして為(な)すあり。壮(そう)にして学ぶなら老いて衰(おとろ)へず。老いて学べば死して朽(く)ちず。」
 『言志四録』 その四十二

 意訳します。
 「江戸時代の三大教育家、佐藤一斎先生は、若い時に勉強すれば中年になって役に立つ人になる。中年の時に学べば老年になって衰えない。」

 ここまでは多くの訳が一致します。最後の「朽ちず」には訳者らしさが現れ、数々の訳があります。

 「老年になって学ぶなら、死んでも人望が朽ちない。」
 「老年になって学ぶなら、死後も業績が次の人に残っていく。」
 「老年になって学ぶなら、人生を虚しく終えたことにならない。」
 「老年になって学ぶなら、その学ぶ姿勢が人々に受け継がれていく。」

 ①は個人の名声が継承されること、②は仕事の業績が他人に継承されること、③個人の死の不安をなぐさめてくれること、④は困難に立ち向かう姿勢が継承されること、に焦点が合っています。

 私は④と読みました。そして、今回はとっくんに「一人だけが鬼である」ことを敏感に感じ取り、「その不健康さに立ち向う姿勢」を身につけて欲しいと感じました。なぜなら、「不健康さに立ち向かう姿勢」は、私の死後もとっくんの中に残って欲しいからです。
 憲法に定められた国民の三つの義務は「教育の義務」、「納税の義務」、「勤労の義務」と解釈されています。「教育の義務」とは、親「が」子供を教育する義務です。親「が」、知識を身につける知育、身体の発育を促(うなが)す体育、道徳を修(おさ)める徳育を子供に施(ほどこ)すという意味です。ドラえもんのような場面は、とっくんに徳育を考えさせられる場面である、と感じました。そして、佐藤一斎先生の教えに従いますと、「徳育を大切にする姿勢」が、私の死後も、とっくんを通して残る、と考えられます。
 このような貴重な場面をもらえたAくん、Bくん、Cくんに感謝しました。晴れ渡ったいつもと変わらない様な登校時間でした。そんな風に空を眺めていると、

 「ううん、楽しくない。」

 と、私の問いに、とっくんは答えました。そんなやり取りをしていると、聞こえたのでしょうか、私の右側にいるとっくんの反対側にCくんが来ました。私ととっくんが歩き出すと、彼は私ととっくんと並走して歩き出しました。とても嬉しかったです。そう思っていると、

 「うん。」

 と自分に言い聞かせるようにとっくんは、急にダッシュで前にいるAくん、Bくんの方に向かって駆け出しました。そして、二人の向かって大声で、

 「じゃあ、鬼は二人ね~とっくん鬼になるよ~。」

 と走っていきました。AくんもBくんも走り出しました。Cくんもゆっくりと歩き出し、私の方へ軽く顔を向けて、直ぐに駆け出しました。とっくんは、Aくん、Bくんのやりたい鬼ごっこを否定せず、Cくんがやりたくない鬼を否定せず、自分とCくんが鬼になることを自分で考えました。鬼が二人になれば、Cくんは鬼のままでも鬼ごっこが続けられます。そしてCくんは鬼のままでも平気になります。鬼ごっこは、Aくん、Bくん、とっくんで行われることになるからです。

『論語』を受け継ぐ人は「死して朽ちず」

 四人の後姿を見送りながら、大切な道徳を少しだけ伝えられたような気がしました。『論語』を振りかえって見れば、孔子の徳育(仁の心)は、石田梅岩先生、佐藤一斎先生など多くの人に受け継がれました。先ほど挙げた「死して朽ちず」とは、一斎先生ご自身のご実感だったのではないか、と感じました。つまり、「孔子は死にましたが、孔子の徳育は私(一斎先生)に受け継がれ、朽ちていない」という一斎先生の心の中のご実感です。加えれば、その一斎先生も「死して」、私達の時代となりました。本日、命がある私達は、時に『仮名論語』を声に出すことで、時に遺書に書き起こすことで、時に何気ない小学校の登校時に、時にささやかな集 まりの場(例えば、富士論語を楽しむ会)で、受け継げるのでしょう。『易経』「乾:けん」に、
 
 「すべての物は、天から与えられたそれぞれの性命(善の本性と肉体の生命)を正しく実現する」

 とあります。最後の「正しく実現する」とは、先人の徳育を色々な時、場所で受け継ぐことを指します。石田梅岩先生は『都鄙問答(とひもんどう)』の冒頭に、この『易経』を引用して、

 「何と面白いことでしょうか。これに代わるものはありません。」

 と述べられておられます。徳育を実現させる性質を私達全員が受け継いでおり、今日の命を頂けたことに感謝でき、そしてそれを受け継いでいくことが、何よりも面白い、と仰られます。
 私自身は、アニメのドラえもんのような小学生の世界に触れて、心の底から面白がることが出来ませんでした。「Aくん、Bくんはいじわるだ」と思ったり、「どうして子供はいじめを止めないのか」と怒ったり、自分が声を掛けると、「とっくんが仲間外れにされたらどうしよう」、と不安になったりしました。他にも色々と未熟な処がたくさんありました。それら全てをひっくるめて、私が徳育(仁の心)を修めたいと想えるようになりました。

 小学校で学ぼうとする四人の後姿を見て、職場へ向かうために方向を変えました。私はこの年齢で学ぶべき道へと進みたい、と想い、自転車を漕ぎ出しました。


参考図書
 :『言志四録』 佐藤一斎著 講談社学術文庫
 :『仮名論語』 伊與田覺著 論語普及会
 :『都鄙問答』 石田梅岩著 致知出版社
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【随想】「勉強するために朝を活用  -韓非子のある一節-」 

 昨日(平成二十九年四月十二日)は、気温二十度となり、桜の花弁がのびのびと開いてきました。一昨日の十一日が満月で、桜が誘っているような夜でした。
 ですから、とっくん(六歳八カ月)が入学した葵小学校は、駿府城公園内にあり、校庭でもお堀でも桜が美しく咲いていました。

 「とっくんは、これから勉強を始めるのだなぁ。」

 と朝日で輝く葉桜を見ながら、自転車に乗っていました。すると、フッと何かのスイッチが入ったのか、先週のご質問を思い出しました。

 「先生、勉強時間を確保するのが大変なのですが、どうしたらいいでしょうか。」

 というご質問です。
 私は静岡市の国語教室で小論文指導を請け負っています。その方は社会人で福祉関係の仕事に就きながら、大学で学んでいます。論文の書き方を教わりに来ています。人の心と向かい合う難しい仕事に就きながら、笑顔を絶やさず、勉学に励む姿に心打たれるものがあります。真摯(しんし)なご質問だけに、三、四秒考えてお答えしました(私としてはじっくり考えたつもりです)。

 「朝に勉強時間を確保することをお勧めします。私は高校時代、毎日ハンドボール部で練習が大変でした。どうしてもしなければならない宿題や英単語の暗記などは、早朝五時に起きてやっていました。夜の二時間と朝の三十分と同じくらいかもしれません。」

 「朝ですか、なかなか朝は起きれないんですよね。」

 「そうですよね、私もそうでした。ただ、今朝もそうですが、朝六時前に起きて神社に参拝しています。徒歩三分くらいの距離ですが、外の空気を吸うと頭がすっきりします。その後、本を読んだりされると良いかもしれませんよ。」

 「外に出るのは確かに、好いかも知れません。寝ちゃいますから。」

 「例えてみれば、水の入ったコップです。朝は何も入っていない透明のお水です。夜は一日中の感情や想いが色々と入った濁ったお水のようなものです。ですから、夜勉強していると、
 『今日はあの人にこんなことを言われた。』
 とか、
 『あ、あの人にこんなことをしたい。』
 など色々な想いが出てきて勉強に集中できないものです。純粋に肉体の疲労もあります。そういう訳で、効率が悪くなってしまいます。お時間が限られているからこそ、効率を大切にしてください。
 質問しますね。夜に読んだ本を一週間後に覚えている割合と、朝に読んだ本を同じ時間で一週間後に覚えている割合はどちらが多いと思いますか?」

 「ああ、朝の方が覚えている気がします。」

 「そう想われるなら朝の方が向いていると思いますよ。」

 「そうですね、ではやってみます。」

 私は「ではやってみます」と直ぐに即答する姿勢を尊敬します。他人に言われて、即答するのは案外難しいものです。ご本人が「勉強できるようになりたい」という決意が伝わってきます。

 また、別の意味で朝の勉強をお勧めしたことがありました。勉強の量を確保したいならば、夕食後をお勧めしますが、効率ならば朝であると考えています。
 昨年度、さる県立大学に入学したある学生さんは、課題で私が出した本を毎回きちんと読んできましたし、積極性があり色々なことに取り組んでいました。半年を超える頃、彼は疲れてしまいました。

 「先生、勉強をやっても集中できなくなってしまって、どうしたら良いでしょうか。」

 「そうですよね、半年間良く頑張りました。最初は久しぶりの日本で漢字のミスがありました。大分書けるようになり、小論も形を覚えてきました。本も二十冊以上、読んでくれました。実力がついたのは実感していますか?」

 「そう言われてみれば漢字のミスが多かったです。勉強の不安もなくなってきました。でも、集中ができなくて、不安です。」

 「では、こうしましょう。朝五時に起きてください。できそうですか?」

 「はい、起きるのは大変ですが。」

 「そして、朝ご飯まで二時間集中して勉強しましょう。そうしたら朝ご飯からは勉強しなくてもいいです。好きなものをしてください。ゲームをしても良いですし、本や漫画でも、サッカーをしていましたから、サッカーをしても良いでしょう。勉強をしたければしても良いですが、全くしなくて良いです。」

 「え? 朝の二時間だけで良いんですか?」

 彼は本当に驚いたようです。けれども、曇っていた表情が明るくなったように感じられました。

 「ええ、朝の二時間だけで良いです。半年間頑張りました。実力がつきました。ですから、好きなことを大分我慢したでしょう。不安かも知れませんが、その不安をコントロールするのも一つの勉強だと思って、後の時間は好きに過ごして見てください。」

 「はい、そうします。」

 効率を考えれば朝の勉強はお勧めです。彼の場合は、別の効率を考えて朝の勉強を勧めました。半年間一所懸命に勉強に打ち込んでいたのです。疲れが出るはずです。その疲れた状態のまま、勉強時間だけを気にすると勉強の質が落ちます。結果として勉強が嫌いになるでしょう。彼の一生を見渡せば、今は十分休憩を取ることが必要です。嫌々勉強をしても知識の定着が悪いので効率が悪いのです。彼は無事合格しました。

 勉強では効率を考えることも大切です。実感するのは、論語の素読です。声を出すことで、心を文字に向けることができます。無心で文章を読むことで効率よく覚えられるのです。今号の別の記事で以下の文章を引用しました。

 「人は賢愚(けんぐ)にかかわらず、無欲の時には、みな善に向かい悪を捨てるべきだと承知している。平静な時には、みな禍福(かふく:不幸と幸福のこと)が何によって起こるかを承知している。好きな物を手に入れたいと思い、贅沢品に誘惑されて始めて心変わりし、混乱する。」

 『韓非子』 第六巻 解老 百十七頁

 読み替えてみましょう。

 「人は知識がある人もない人も、無心で取り組むならば、勉強の善さを感じられるものである。けれども、好きなことや欲望に誘惑されると混乱してしまい、勉強ができなくなってしまう。」

 私の書いた前文と似ていると想いつきました。

 「例えてみれば、水の入ったコップです。朝は何も入っていない透明のお水です。夜は一日中の感情や想いが色々と入った濁ったお水のようなものです。ですから、夜勉強していると、
 『今日はあの人にこんなことを言われた。』
 とか、
 『あ、あの人にこんなことをしたい。』
 など色々な想いが出てきて勉強に集中できないものです。純粋に肉体の疲労もあります。そういう訳で、効率が悪くなってしまいます。お時間が限られているからこそ、効率を大切にしてください。・・・」

 好きなことや感情や欲望に惑わされると勉強が出来なくなりやすいので、惑わされにくい朝が勉強に向いている、という解釈です。
 別の記事では子育てに読み替えましたが、この記事では勉強に読み替えました。韓非子の言葉の奥深さを実感致しました。

【随筆】哲学とーちゃんの子育て 十七 -問題を自分で探せるように-

 朝七時半に家をでて小学校へ向かいます。大人の足で五分、子供で約十分です。高校生の自転車、通勤者でにぎわいます。四車線の込み合う道路も越えていき、校門前に立つ校長先生に挨拶を致します。

 「おはようございます。今日もお願いします。」

 「ぉはよぉーございます!」

 校長先生が返して下さいます。

 「おはようございます。」

 けれども、今日は家を出てから不機嫌です。

 「とっくん。」

 「・・・ぁに?」

 「どうしたの? とっくんは疲れているの?」

 「・・・うん。なんかいや。」

 「とっくん、呼ばれたら『はい』でしょ?」

 「・・・・・・・はぃ・・・・」

 (少し間をおいて)

 「とっくん、今日楽しみなことはなに?」

 「ない。ふつー。」

 「考えてごらん。今日は学童でサッカーする? 給食食べる? お友達を遊ぶ?」

 「・・・さっかー。」

 「サッカー楽しみか~。」

 「うん、でも遊びは学童の二年生が決めるから、サッカーないかもしれない。」

 「そっかそっか。じゃあできるといいね。」

 「うん。」

 機嫌の悪い日、体調の悪い日もあります。約一か月毎朝送って来て二日ありました。二日以外は続けて聞くことがあります。平成二十九年五月十六日火曜日の朝も聞きました。

 「じゃあ、今日の目標はなに?」

 「目標ってなに?」

 「目標は、がんばること、だよ。」

 「がんばること?」

 「サッカー好きでしょ?」

 「うん。」

 「がんばらなくても好きでしょ? 出来るようになるでしょ?」

 「うん。」

 「頑張らないとできないことは何かな?」

 「べんきょう?」

 「そうだね、勉強を頑張ろうっか。」

 「うん。」

 「じゃあ、とっくん、今日は科目は何かあった?」

 「えっと・・・こくご・・・かな?」

 「今日はね、一時間目がさんすう。」

 「そうだった、二時間目がずこう、三時間目も・・ずこう、四時間目が国語で、五時間目が生活だった。」

 「そうだーよく覚えているね。じゃあ、頑張るのはなに?」

 「うーんと・・・算数!」

 「うん、じゃあ頑張ってね。」

 「はーい。」

 こうやって会話を交わすと、活力が出てきました。前に書いたように、「心の中のことば」をコントロールするのはかなり難しいものです。感覚的な反応(あの人は嫌い、あの人は好き等)は不可能です。ですから、「口に出すことば」を善い言葉にして、活力を得るのです。スポーツではラグビーや野球、サッカーなど幅広く取り入れられていますし、メンタルトレーニングとしても採用されています。そして、そうして「口に出すことば」が大きく飛躍へと繋がることは、『論語』でも述べられています。

 「子曰(のたまわ)く、之を如何(いかん)、之を如何と、曰(い)わざる者は、吾(われ)之を如何ともする末(な)きのみ。」
 衛靈公第十五 第十六章
 『仮名論語』 二百三十四から三十五頁

 伊與田覺先生訳

 「先師が言われた。
 これはどうしよう、どうしようと常に自分に問いかけないような者は、私にはどうしようもない。」

 『論語』は、「自分自身で問題を探し出す気持ちが大切である」と述べています。まさしくその通りだと実感します。
 対して子供は、この大切さを実感していません。それは大きな失敗や悔しくてたまらない後悔をしていないからです。「獅子はわが子を谷に落とす」という『太平記』(鎌倉幕府滅亡から室町幕府初期までの歴史文学作品)の格言があります。この本意は「自分自身で生きていく力をつけさせるために試練を与える」です。
 私は、試練を先に与えるのではなく、「口から出ることば」を使って問題を探し出す気持ちを教えたいと考えました。そこで毎朝、

 「今日、楽しみなことは何?」
 「今日、頑張ることは何?」

 を本人の「口から出ることば」で言ってもらうことにしています。よくあるのは、

 「とっくん、今日は数学頑張ってね。わかった?」

 「はい。」

 です。数学を頑張る、という意味内容は同じですが、本人が「自分自身で問題を探し出す気持ち」を育てることが出来ません。親からの指示を待つだけの人になります。
 本人の特別意志が強い、あるいは、ずば抜けて賢いなら、親の育て方から殻を壊して出ていくこともできるでしょう。そういう人は確かにいますし、偉人伝を読んでいると散見します。
 けれども、私は自分の子供を特別意志が強い、賢いとは考えていません。ですから、本人が「自分自身で問題を探し出す気持ち」を育てたいと思っています。
 小学校の通学路には上級生も数多く歩いています。親と一緒に通学しているのは、一年生が殆どです。説治郎は数か月すれば、親とは一緒に通学しなくなるでしょう。まさに、今、会話をする機会だと感じているのです。

 「頑張ることは何?」

 「給食。」

 「え? 給食がんばるの?」

 「うん、昨日食べるの大変だったんだ。」

 「そっか、わかった。頑張ってね。」

 「うん。」

 私は「給食」と聞いて驚きました。けれども、本人が自分で考えたのですから、良しとしました。親として色々と指示したい処ですが、グッと我慢我慢です。その我慢が私を親らしくしてくれることと願いながら。

 それにしても、『論語』は子育てとして読んでも宝があふれています。先人の学恩に感謝致します。

【石門心学】素晴らしい学生の話 ―石田梅岩の影響力― 


 朝八時過ぎの学校廊下で、

 「おはよう。」

 「おはようございます。」

 「そうだ、リンさんて二十代だっけ?」

 「ええ、もうすぐ三十代ですけど。」

 「そうだ、リンさん、リンのこと記事に書いてもいい?」

 「え?」
 と驚きの次に渋い顔・・・

 「どうしたの?」

 「だって、私の本心を知ったらみんなに嫌われちゃう。」

 少し女性らしい言葉づかいですが、ひょろり、として背筋の伸びたベトナム男性です。

 「大丈夫だよ、行動だけ書くから、いい?」

 「・・・じゃあ、良いところだけ書いてくださいね。」

 「うんうん、約束するよ。」

 と言って私は蛍光水色のダウンジャケットを脱ぎました。

 リンさんは奉職する国際ことば学院外国語専門学校の三年生で、ビジネスやパソコンなどの授業で担当してきました。元々能力が高かったのですが、学校で伸びた学生の一人でした。
 留学生は日本語能力試験に合格して、その努力と能力を認められます。他方、能力試験に合格して満足してしまい、それ以上伸びない学生がいるのも事実です。

 「リンさん、いつから先生に敬語を使うようになったの?」

 「よく、わかりませんが・・・」

 「この学校に入ってから?」

 「たぶん、そうだと思います。T(横に座っている他の学生)くんが、先生にプリントをもらう時に『いただけませんか』や『お願いします』と言うんだよ、と教えていたのを聞いていたのです。ちょっとずるいですが、怒られたくないから真似しました。」

 という会話がありました。リンさんは、能力試験以外の日常会話も学びの場としており、能力を伸ばしていっていました。少し謙遜しすぎるきらいもなくはないのですが、素直に会話できる学生です。

 昨年「国際ビジネス」という科目を担当しました。グローバリズムやアメリカ主導の金融資本主義、中華人民共和国の経済成功を支える政策や変遷、日本の内需型経済の特徴や敗戦後の奇跡の経済発展などを取り上げました。その後、田中真澄先生の本を通して、日本の老舗が多いことを取り上げました。ちなみに、二百年以上続く老舗を持つ国の第二位はドイツです。ドイツが二度の世界大戦で破滅したのにも関わらず、こうして欧州第一の大国にのし上がってきたのは、老舗の持つ力だという視点で取り上げました。
 寄り道が長くなりましたが、「老舗を持つためには、商人道(思想)がいること、日本では石田梅岩先生が説いたこと」を伝えました。具体的には、

 「どんなことでも、自分の心を美しくするために行います。心をこめて行うと他人に褒められなくても、お金をもらわなくても、自分を誇れるようになります。」

 と述べたのです。石田梅岩著『都鄙問答(とひもんどう)』の現代語訳も見てもらいました。
 リンさんは学校のボランティア活動に参加しており、毎朝早く来て、学校の前の道路に立って交通整理を行ってくれています。学校終了後も同じです。朝逢うと声をかけます。

 「おはよう。」

 「おはようございます。」

 「いつもありがとう。」

 「いえいえ(小さい声で)。」

 ある朝、少し早く行ったのでリンさんがいませんでした。自転車を学校の前に止めて、自動販売機で温かいお茶を買おうとしました。すると、リンさんが寒い中、外のロッカーにホースで水を掛けて洗っていました。

 「リンさん。おはよう。何しているの?」

 「おはようございます。ゴミ出しをしたので、その後を洗っていたのです。」

 「え?! それは偉いね~すごい。」

 「いえいえ。」

 というので、思わず私の持っていた温かいお茶を差出しました。

 「飲んで、あげるよ。」

 「え?先生いいですよ。」

 「いやいや、素晴らしいよ。是非とも。」

 とグイっと差出しました。

 「じゃあ、遠慮なく、遠慮しませんので、ありがとうございます。」

 「リンさん。」

 「はい。」

 「どうしてそんなにボランティア頑張れるの?」

 私の素直な気持ちをぶつけました。私が学生の時はボランティアをしようという考えを持てなかったからです。

 「『心を美しく』ですよ、先生。」

 「?! (なんと?!)」

 「でも、みんな、僕の心の中を知ったら、汚くておどろきますよ。」

 「いや~そうだったかぁ。」

 石田梅岩先生の「心を美しく」を継承する人がここにいたのでした。時代、文化、国籍を超えていたのでした。リンさんありがとう御座います。素晴らしい学生が石田梅岩先生を学んでくれました。

哲学5-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○先生にとっての人生観が変わる本を教えて下さい。

★はい、有り難う御座います。五十沢二郎著『中国聖賢のことば』です。エッセイを書いているので、下の記事を見てみて下さい。
エッセイ「【學問】五十沢二郎氏の八佾第三」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-406.html

○ソクラテスの神の声は聞こえたのではなく、長年考えてきたことがようやく分って、分ったのは神のお蔭と錯覚したんじゃないかな、という疑問が出てきた。

★講義を聴いて自分だけの疑問が出てきたのは嬉しいことです。是非とも、○○くんの人生の中で探求していって下さい。私もそういう疑問が幾つかあります。

○この前、他の講義で「友達の良い所を見つける」というものをやりましたが、あまり知らない友達にはほぼ想像で書いてしまったことを思い出しました。その中にも私の「欲望」が潜んでいるのでしょうか・・・確かに友達に「こうなってほしい、こうでいてほしい」という気持ちが出てしまうかなと考えられるのでしょうか。

★そうですね、潜んでいると思います。加えて、人をどの基準で見るか、にも「欲望」が潜んでいると思います。

○ソクラテスの否定の考え方はとても大変な考え方だと感じた。しかし、その考え方に行き着くことことで、国を守ることができたのではあれば、その人生は幸せを感じれたのではないだろうか。

★そうですね、幸せを感じていたでしょう。今後、クセノフォンのソクラテス像を読んでもらいます。さらに深めて下さいね。私は幸せと同時に、達成感、使命感もあったと推測しています。

○最後に習った、4年間の授業を真剣に受けた人と差がとても開く言葉を忘れないように、今後取り組みたいです。

★1つでも心に残ることばがあって善かったです。講義を今後も頑張ります。有り難う。




プロフィール
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哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
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書いたもの(平成26年)
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講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
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石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

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