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第3回宿題レポート 1月8日まで

第3回宿題レポート 1月8日まで

『スパイス、爆薬、医療品 -世界史を変えた17の化学物質』 ペニー・ルクーター、ジェイ・バーレサン著 小林 力訳 
7章 フェノール 医療現場の革命とプラスチックの時代 124-141頁 を読み以下の問いに答えること

問1 最初の読書後の感想(字数制なし)
問2 最も印象に残った一文(全文書き抜き)
問3 問2の理由
問4 リスターが石灰の殺菌剤を確定するために必要だった3つを挙げなさい(箇条書きで良い)
問5 ベークランドがプラスチックで成功するために必要であった社会的条件を挙げなさい
問6 フェノール(プラスティック)が利用されている製品を50個挙げなさい
問7 フェノール(プラスティック)が利用されていない製品を50個挙げなさい
問8 フェノールを「技術と社会の相補関係」から捉えるとどのようになるか論じなさい(400字以上)
問9 まとめ(考察と感想)(400字以上)

形式:A4など用紙自由 形式(手書、WORD)自由

追記:昨年度のレポート課題を当ブログに掲載しました。これは私のミスですので、問7がなくとも(満点となる)評価します。一部混乱を謝罪します。また、知らせてくれた学生さんに感謝しております。
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査読論文『「製造物責任法における『開発危険の抗弁』について―技術者倫理に戦略的視点の導入を―」 “development risks defense” in Product Liability Law To introduce strategic viewpoint to technician ethics』

 「科学技術者の倫理」に関する拙論です。

静岡産業大学情報学部研究紀要 (21)に掲載予定です。
査読済み初校校正済みの段階ですが、本年度の講義で取り上げましたので、掲載致します。


「製造物責任法における『開発危険の抗弁』について―技術者倫理に戦略的視点の導入を―」
“development risks defense” in Product Liability Law To introduce strategic viewpoint to technician ethics

高木 健治郎
Kenziro TAKAGI

 本論の主題は、製造物責任法の立法時に議論の的となった「開発危険の抗弁」に戦略的視点の導入を検討することにある。製造物責任法は民法709条を基に判例を積み重ねてきた製造物責任を、国際ビジネス環境の変化や技術の進歩による現代社会の様相に適合させうる法律である。製造物責任法の成立以前と以後を数々の判例などを通して検討する。消費者保護の重要性とその動機として技術者倫理を捉え、内部告発におけるディジョージ氏の順接解釈と逆接解釈のいずれの場合でも不整合が起こることを、ミートホープ事件の実例を挙げて指摘する。この二項区分、正反いずれかの要素だけを採るのは、技術者倫理の動機として適切でないとし、戦略的視点の重要さを検討する。戦略的視点から製造物責任法を省察すると、社会と技術が相互依存性を持つという理解が的確となり、製造物責任法が「開発危険の抗弁」において、民法709条の持っていた製造物責任を超える安定的なシステムと捉えられるであろう。そして技術者倫理において「社会システムの安定」が「公衆の福利」に寄与すると考察していきたい。

Keyword: 「技術者倫理(technician ethics)」 「製造物責任法(Product Liability Law)」「開発危険の抗弁(development risks defense)」 「戦略学(strategy)」

1.はじめに 

 製造物責任法の成立と背景事実を述べ、その後、「開発危険の抗弁」について技術者倫理から検討を加えたい。製造物責任法(Product Liability Law)はPL法と約される。先行するアメリカでは消費者保護の観点から製造物責任を認める判例が積み重ねられてきた。他方、1985年にECが理事会指令により加盟各国に制定をはかり、1988年3月から1994年まで11カ国が制定した。日本では政党間を含む激しい議論を経て1994年7月1日公布、1995年7月1日発効となった。
 PL法を制定させうる根本原因は、製造物の高度化や複雑化、加えて社会基盤への影響が極めて高い点が挙げられる。制定させうる背景事実は、日本企業の海外進出の、特にPL法の理念が社会に浸透しているアメリカにおいての、増加する訴訟事例である。1960年代後半から、主に小型車である日本車のアメリカ進出に対抗して作られたフォード社の車種ピントは、技術者倫理で格好の題材となる「フォード・ピント事件(1972年)」を引き起こした 。同種の訴訟は1971年にホンダ、1973年にトヨタに対して起こり、懲罰的賠償金としてそれぞれ300万ドル、500万ドルの高額となっていた。他業種においても同様の訴訟が続いていく。加えて、民事訴訟法を専門とする小林秀之氏は「製造者が負担した場合、結局製品価格に上乗せされ国民全体で少しずつ損害を負担することになる」 と受益者負担の視点から論じる。続けて同氏は諸外国との国際的調和の観点から、「わが国だけが製造物責任の法理を採用しないと、国際的調和を欠くだけでなく、わが国の消費者の犠牲のうえにわが国の企業は不当な国際的競争力を得ているという非難を諸外国から浴びる可能性も高いだろう」 と記す。消費者保護を重視し、国内外から幅広く考察し、損害保険の法理に基づいて判断する小林氏は、製造物責任法の立法過程に携わり、導入を促進した一人である。又、小林氏は同法の事前の調査研究に関与し、先行事例の多いアメリカで現地調査等も行っている第一人者である 。
 対して、アメリカ流の厳しい消費者保護を日本国内で適法とすることに製造側はなじまないと論陣を張った。それゆえ、立法化に向けて与野党を巻き込む議論が生じたのである。結果としてEC各国の穏やかな制度を取り入れつつ、消費者教育や製品の警告表示、安全関連法規の整備、紛争処置機関の強化などに繋がった。その後も変更を加えられ高い評価を受けることとなった 。PL法、そして「開発危険の抗弁」は以上のような文脈で解されうるものである。

2.欠陥認定について

 議題の一つとなった「開発危険の抗弁」を解するために、そもそもの欠陥認定について述べておきたい。PL法施行の1994年以前に製造物責任を問う法的根拠は民法709条であり、明治29年(1896年)公布、明治31年(1898年)発効と歴史がかっていた。原告は被告に「故意または過失があり、この故意または過失が原因で損害を被った」ことの立証責任があった。つまり、製造物に欠陥があっても、その欠陥が故意または過失であることを立証しなければ、賠償請求ができなかった。最新の化学知識や製造過程や複雑化する産業構造を消費者が立証しなければならず、製造物責任を問うことが困難になっていた。
製造物責任を巡る議論を呼び起こしたのは「森永砒素ミルク事件(1955年)」である。食の安全が初めて問われたと言われる「森永砒素ミルク事件」の事故原因は、第二リン酸ソーダ(Na2HPO4)を製造過程で純度の低い工業用に変更使用したことである 。立証責任を有する消費者が、こうした高度な化学知識と製造過程に対する見識を有し、加えて故意または過失を裁判で立証しなければならず、極めて困難さを露呈した事件である。他方、民法709条の法律の限界を露呈する事件とも解される。森永乳業株式会社が事件原因として砒素化合物を裁判において認知したのは1970年であった。ここで初めて「故意または過失」が一部認められた。事件発生から15年を要し、多くの犠牲者を生み出した後となってしまった。しかし、同年、工業用の変更使用に対しては法的責務を認めなかった。法廷闘争で消費者保護が置き去りにされる中で、社会的な不買運動が全国に拡大し、森永乳業は市場規模を落とした。事件は長引き製造物と被害者との因果関係の類推によって全国の不買運動に発展し、1973年に最終合意を得た。つまり、法的責任ではなく社会的責任によって事件が終息に向かう。民法709条の純法学上の限界が露呈した事件であった。
以上のように「森永砒素ミルク事件」は、製造物責任における欠陥認定において、民法709条の改正又は修正を社会認知させる発端となった事件である。
この事件の原因を技術倫理では、一企業体に求めることはない。消費者保護の観点から根本原因を探していく。高度化し産業化する製造物、そしてその社会的影響が拡大する現代に根本原因を求め、消費者が原告となって立証責任を果たすことが極めて困難になった現状を認識し立脚点とする。その具体性として法的責任の明確化が求められ、PL法へと大きく舵を切ることを求めた。PL法は、1) (加害者の)故意又は過失が「(製造物の)欠陥」に、2)立証責任要求が被害者(消費者)側から製造者(加害者)側となっている。
経済企画庁国民生活局消費者行政第一課編『逐条解説 製造物責任法』「一 初期の製造物責任をめぐる議論」で「欠陥製品による大規模事故として最初に世間の注目を集めたのは昭和30年に発生した砒素ミルク事件であった。」 と述べられている。対して通商産業省産業政策局消費経済課編『製造物責任法の解説』「(補論二)我が国の状況」では「この時期(昭和三十年代まで)においては、製造物の欠陥による深刻な被害である砒素ミルク事件やサリドマイド事件が発生したが、法的問題として製造物責任が本格的に論じられることはなかった」 と正反対の立場をとっている。正反対の立場、つまり消費者保護の観点から推進する経済企画庁国民生活局とやや産業保護の観点から消極的な通商産業省産業政策局の立場から記述の差異が生じている。これはPL法制定後の記述であるが、成立以前の行政においても示唆しうる記述である。先述した小林氏の国際ビジネス上の立場や国内の製造業者の立場、加えて行政の対立などが絡み合いながら、複雑な状況を呈して立法化へと歩みを進めたのである。それゆえ、アメリカやEU各国に比べて、歩みが遅い状況となった。その状況で係争となった点について中村収三氏は、

「ではなぜそのように長い間、対立が続いたのか? おもに三つの争点があった。消費者側は『推定規定』と『懲罰的賠償規定』の導入を主張した。一方、企業側はこれらに反対するとともに『開発危険の抗弁』の権利を主張した。」

と述べている。「推定規定」とは欠陥の証明が困難な場合でも、状況に応じて推定される場合に賠償責任を認めることを意味する。「懲罰的賠償規定」とは、重大な過失や欠陥によって損害を被った場合に、実際の損害額を上回る賠償を科すことを意味する。「開発危険の抗弁」とは製品が製造された時点での知識を基準にして欠陥認定を下すが、新しい技術の開発によって欠陥認定が拡大してしまうことに抗弁(対抗)することを意味する。ここで技術者の観点から特に重要な「開発危険の抗弁」を取り上げていきたい。

3.「開発危険の抗弁」とその意味

 「開発危険の抗弁」とは、「製造物責任法(平成六年法律第八十五号)」の第四条第一項に該当する。当の第四条を引用する。

「(免責事由)
第四条 前条の場合において、製造業者等は、次の各号に掲げる事項を証明したときは、同条に規定する賠償の責めに任じない。
一 当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。
二 当該製造物が他の製造物の部品又は原材料として使用された場合において、その欠陥が専ら当該他の製造物の製造業者が行った設計に関する指示に従ったことにより生じ、かつ、その欠陥が生じたことにつき過失がないこと。」

 第四条の趣旨は、第三条に基づき製造業者等が製造物責任を負うこととなるような場合に、当該製造業者が一定の事情を立証することによって、第三条に規定する賠償を免責する趣旨であり、民法その他の法律で生じた損害賠償責任についての効力は及ばない、ことである。
 第一項は「開発危険の抗弁」であり、第二項は「部品・原材料製造業者の抗弁」である。第一項が当該製造物の製造業者を対象とし、第二項が当該製造物に組み込んだ部品や原材料の製造業者を対象とする。先に第二項に触れておきたい。第二項では部品や原材料の製造業者と当該製造者の関係に着目して、欠陥の発生について過失がなかったことを証明した時は、免責することとしている。
 例えば、「森永砒素ミルク事件」において工業用の第二リン酸ソーダ(Na2HPO4)を提供した原材料提供業者である。当該原材料提供業者がミルク製造過程を認知していないと立証できれば、製造物責任法成立以後も、第四条第二項において免責を受ける可能性があることを示している。当該判決においても肯定されている。第二項は第一項の免責範囲や判断基準を受ける項目であるのは、製造業者と部品・原材料製造業者と関係から推察しうる。
 第一項成立時、製造業者の免責という製造物責任の根幹に関わる多くの議論が積み重ねられた。開発危険とは、製品の流通時点における科学・技術知識によっては、製品の内在する欠陥を発見することが不可能な危険を意味する。つまり、発見不可能であった危険が、その後の科学・技術知識の進展によって認知されうる場合に製造物責任を負うこととなると、製造業者の研究・技術開発が阻害されてしまう。その結果、消費者の実質的な利益を損なうことにつながりうる。なぜならば、現代社会において消費者が新商品の使用を継続することは、社会通念上妥当であり、技術者倫理の大義である「公衆の福利」に該当するからである。この様に、当該欠陥が開発危険に相当することを製造者が立証した時には、免責を受けることとしたのが「開発危険の抗弁」である。また、「開発危険の抗弁」が規定されない場合には、社会通念に基づく予見可能性が欠陥の判断となりうる。
 この「開発危険の抗弁」の採用について、日本弁護士連合会消費者問題対策委員会編『実践PL法(第2版)』では以下のように述べている。

「開発危険の抗弁の採用については、日弁連、消費者団体および学者グループから、激しい反対意見が出されていた。
 開発危険の抗弁が認められると、未知の危険が現実化し事故が生じた場合の損害を消費者に負担させることになり、消費者を新製品開発の実験台にすることになりかねないこと、現代の技術の限界がもたらした危害であっても消費者個人がリスクを引き受けるのではなく救済されるべきであること、さらに『科学又は技術の水準』についての論争に巻き込まれる紛争の長期化を招くことになりかねないこと等の問題が指摘された。」

 消費者保護の観点から消費者個人にリスクと損害を負担させぬようにすること、裁判等の長期化の負担をさせぬようにすることが意見されている。続けて引用する。

「『製造物責任の無過失責任化を否定し、過失責任を維持しようとするための概念として拡大解釈される』おそれがあり、『我が国の裁判例がこれまでに確立してきた被害者保護の程度を後退させる危険性が高く、この抗弁を導入することの弊害は大きい』との指摘もなされた(1990年私法学会報告者グループ編 『製造物責任の現状と課題』別冊NBL24号40頁など)。」

 製造物責任の無過失責任を民法709条の過失責任へと押し戻す免責事項となりうるのが「開発危険の抗弁」であるとの指摘である。ここで議論となったのは、「製品の流通時点における科学・技術知識」の程度である。例えば中小製造業者が持つ科学・技術知識が最新であるとは限らない。とするならば、製造業者は一般的な常識や知識によって予見可能でない事故では、免責事項を満たすことになりうるのである。これでは消費者保護の観点からは民法709条と何ら変更がなくなり、むしろ「開発危険の抗弁」によって裁判等の長期化が引き起こされるならば、消費者保護が後退する法律となりうるのである。こうした危惧は当然であった。なぜならば、製造物責任法成立以前の製造物責任訴訟は以下の通りであった。

「全ての分野での訴訟件数137件、内原告勝訴90件、勝訴率65.7%、平均訴訟期間5.2年 (中略) 分野にもよるが、原告が勝訴した割合は結構高い。しかし、日本の司法制度のもとでは、訴訟に長い年月を要した。このことも訴訟による損害賠償をためらわせていたと思われる。」

 民法709条において消費者保護を勘案した判例が積み重ねられていたのが実状であった。同時に、PL法成立以前の製造物責任を問う裁判では平均訴訟期間が5.2年と長期に及んでいた。さらなる長期化が危惧されうる状況で議論が沸騰する中、国会答弁が行われた。

「すなわち、他に影響を及ぼしうる程度に確立された知識であれば、初歩的な知識から最高水準までの全てが含まれることとなり、免責されるためには、入手可能な最高水準の知識に照らし、欠陥であることを認識しることが客観的にみてできなかったことを証明することが必要になる(同旨答弁:衆議院商工委員会議録 平成六年六月三日十一頁 経済企画庁坂本政府委員、参議院会議録平成六年六月十七日五頁寺澤国務大臣。) 」

 以上の議論によって第一項の「科学又は技術に関する知見」の「科学又は技術」の意味内容が「入手可能な最高水準」となった。これによって免責事由が法的に厳密化し、民法709条への後退が回避された。先ほどのPL法成立以後の訴訟件数を挙げて、実効性を観たい。

「146件のうち、PL法により結審したものが114件ある。そのうち75件で原告が勝訴し、残りの39件では敗訴している。勝率は65.8%となる。これは奇しくも、表2(前述)に示したPL法制定前の65.7%とまったく変わらない。決着した事件の、提訴から最終決着までの期間は平均2.7年となる。」

 訴訟件数自体はさほど増えている訳ではないが、前述した「(PL法導入が)消費者教育や製品の警告表示、安全関連法規の整備、紛争処置機関の強化などに繋がった」ことで、訴訟件数が抑えられていることが挙げられている。加えて裁判期間の大幅な短縮は、「開発危険の抗弁」の免責事由の厳密化によって結審の早期化(5.2年から2.7年)につながったと言える。
 小林秀之氏は「松下カラーテレビ火災事件(大阪地裁平成6年3月29日判タ842号69頁)のように欠陥や因果関係についての事実上の推定を駆使する裁判例が今後増えてくるだろう。」 と述べている。火災と事実上の推定を駆使された同例として、統計に含まれない喫緊の2例を取り上げる。建物に設置された電気式床暖房製品から出火した事件(東京地裁平成25年(ワ)第26250号)で製造者の製造物責任が認められた事例 、もう一例として、自動販売機内部から火災が生じた事件(東京地裁平成24年(ワ)第10344号)で販売者の製造物責任が認められなかった事例 である。後例は放火の疑いが排除できないことに拠る。同2例では製造物責任の有無に拘わらず、推定が認められることは指摘しておきたい。他方、小林氏が「開発危険の抗弁」の項で述べていることからも明らかなように、免責事由の厳密化によって導き出された結果とも見なしうるのである。
 以上のようにPL法第4条第一項「開発危険の抗弁」について述べてきた。導出されたのは、「科学又は技術に関する知見」の文言とその意味の厳密化によって、裁判期間の大幅な短縮という実効性である。また、実際上の効果に結びつく消費者保護の観点は、我が国のみならず製造物の歴史の流れから希求されていたことを挙げたい。こうした複雑な事由を鑑みつつ、次に「開発危険の抗弁」を技術者倫理から検討を加えたい。なぜならば、立法化に結び付くためには、倫理上の希求が前提としてなければならず、同時に立法を形骸化さえないためにも倫理上の希求が必須だからである。加えて小林氏の述べる推定の駆使という法令解釈の次元においても、倫理上の希求が関わってくるからである。

4.技術者倫理の観点から

科学の発展と技術向上が進展する現代社会の中で、PL法は、その目的として消費者保護を謳っている。特に「開発危険の抗弁」を取り上げ、技術者倫理から観る意義について論じていきたい。3点を挙げたい。

①法律を包含する技術者倫理
②初期事故防止の鮮明化
③二項区分にない戦略性

「①法律を包含する技術者倫理」とは、倫理が法律を包含する関係にある、という意味である。これは法律を適時運用し、消費者保護の観点を保持する段階を指す。 
もちろん、法律(Law)と倫理(Ethics)は様々な違いがみられる。例えば、制裁の対象として法律は1回の行為、倫理は人格(責任)、法律は明文化された罰則有、倫理は明文化された罰則無などである。
他方、法の本質とその理解を示したPaul G. Vinogradoff(P.G.ヴィノグラドフ)は、『法における常識』において、相続法や嗜好品の国家専売などを取り上げて、道徳が必ずしも法に一致しない点を社会学上から指摘する。あるいは、ホセ・ヨンパルト氏と金沢 文雄氏は『法と道徳 ―リーガル・エシックス入門』「Ⅴ 法と道徳-相違点と共通点」で、章題の通り法律と倫理の関係を包含関係として捉えていない。しかし何れの関係性も、法律の適時運用や消費者保護の観点を保持し続ける段階ではなく、法理に基づく人権の公平性が社会上の道徳性と齟齬を起こすという実際上の問題、例えば相続法で二男よりも長男が多くの遺産を受け取ること、への指摘である。「開発危険の抗弁」における「科学又は技術に関する知見」の文言とその意味の厳密化を念頭にするならば、法律と技術者倫理の包含関係と観ることが適当となる。この点を踏まえると、「①法律を包含する技術者倫理」の意義とは、PL法を立法化しえた現代社会が製造物に根源として支えられているという技術者倫理の意義に通底している。
 「②初期事故防止の鮮明化」とは、法律(実定法)の明文化による判然な成立過程と倫理の判然とない成立過程に起因する。明治29年の民法709条以後PL法成立時までに、製造物責任訴訟が137件を数えたことを指摘した。森永砒素ミルク事件を取り上げたが、他にアスベスト訴訟、石油ファンヒータ不完全燃焼訴訟、カネミ油症訴訟なども代表例となる。PL法訴訟全体の8割を超えるアメリカにあっては1971年にホンダ、1973年にトヨタの例を挙げた。多くの実際の事件の積み重ねが製造物責任を製造物責任法の成立に結びついた。逆説するならば、実定法のPL法の実効性を検討する場合、積み重ねられた事実(事件)がなければ、立法化が行われなかったと論じてよい。言い換えれば、明文化による判然な成立過程は積み重ねられた事件が、第一過程と言ってよい。
 ここには消費者保護の観点から指摘しなければならない陥穽がある。判然な成立過程以前には消費者保護の手段の1つである事故防止における、初期事故防止が扱えない、という落とし穴である。消費者保護の手段の1つである事故防止には、初期事故防止と事故の再発防止の大きく二つに分けられる。先程、初期事故防止が扱えない、と述べた根拠は、「開発危険の抗弁」における「科学又は技術に関する知見」に立ち戻ると明瞭となる。事故の再発防止の場合、事件の発生が原因究明によって「科学又は技術に関する知見」が明らかとなる。他方、初期事故防止においては、どのような意味内容が「(先述の通り)入手可能な最高水準の知識」であるかは明らかではない。ゆえに、初期事故防止が積み重ねられた事実(事件)が存在しない段階では困難さを有するのである。
 小林秀之氏は、クロロキン事件第2次訴訟一審判決(東京地判昭和62年5月18日判時1231号3頁・判タ642号100頁)と福島大腿四頭筋短縮症事件(福島地白河支判昭和58年3月30日判時1075号28頁・判タ493号166頁)を挙げ、

「(開発危険の抗弁の)具体的な証明の仕方としては、製造物に関する科学技術情報・論文をわが国で入手可能なものをすべて収集し検討していたことを立証するのだから、そのような科学技術情報の検索システムを完備していたという証拠を提出することになろう。製造者が単独でそのような検索システムを持つことが困難な場合は、業界団体などで共通の検索システムを構築するといった動きも出てくるかもしれない。」

 と述べている。クロロキン事件第2次訴訟と福島大腿四頭筋短縮症事件は製薬会社に対して行われた。医薬品は常に最先端を競い合い、且、巨額の資金投入によって成立している製造物である。また、品質管理が厳格な製造物でもある。当該業界にあっては、「科学又は技術に関する知見」の意味内容が「入手可能な最高水準の知識」と推定可能であろう。小林氏は医薬品の2例を取り上げて一般化し「業界団体などで共通の検索システムを構築するといった動きも出てくるかもしれない。」と論じている。しかし、常に最先端を競い、且、巨額の資金投入によって成立する業界は一般化できるとは考えにくい。小林氏の著書と同じ平成6年に出版された国民生活センター著『製造物責任紛争事例 ―訴訟及び苦情処理から―』で「アクアラング事件(鹿児島地判平3・6・28判タ770号211頁)」に以下のように述べられている。

「裁判所が本件空気残量計を欠陥と認定したにつき、性状や水圧実験だけではなく、同種事故の発生を参考にしたのだろうと思われたが、この点についての原告の立証活動は、判決文を読む限りにおいて行っていないようだ。(中略) 同一スロットで製造した大量製品であっても、テストにおいて事故当時の複雑微妙な使用条件を再現設定することが困難であることなどにより、再現は容易ではない(花火などの手作り製品での再現は困難を極める)」

 判決は製造者の製造物責任を認める判決となった。アクアラング事件とは、米国製空気残量計の欠陥があり水深34メートルの海底で作業していた原告が、減圧症に罹患した際の損害賠償請求事件である。慰謝料に限り原告の過失を斟酌したのみで、原告の請求をすべて認められた。そして判決の考察として、

「繰り返すことになるが、本判決に関しては純法学視点に立てば、批判的な見解も少なくないであろう。しかし、被害者救済、消費者保護の立場からすると、大いに評価できる裁判所の判断である。」

 と事件を結んでいる。平成3年はPL法成立直前であり、製造物責任が社会的議論になっている時期であった。当該事件は純法学視点を超えて、民法709条を元にして製造物責任において消費者保護に立った判決であることが判る。ただしその際、原告の立証活動はPL法に近しい形で行われていない点には留意が必要である。後述するように民法709条をPL法へと移行することが「安定的な社会システム」と捉えるからである。
 先ほどの小林氏の考察に立ち返れば、事故の再現性が極めて困難なことを当該事件は指し示している。つまり、医薬品2例とは異なり、空気残量計の如き多くの工業上の製造物はその再現性を担保することが困難なのである。それゆえ、小林氏の指摘する医薬品に基づく一般化、社会の工業製品業界への一般化は考え難いと論じられうる。
加えて、別の視点から製品事故の再現性が問われた著名な事故として、スペースシャトルチャレンジャー号事故がある 。アクアラング事件と同様、チャレンジャー号発射当日の気温が低く、ロケット・ブースターのジョイントのOリングのシール機能の低下が危惧されていた。しかしながらシール機能低下の定量データがなく、危険を技術者が指摘しながらも事故が発生した。チャレンジャー号事故は技術者の立場と内部告発や設計上の欠陥などを考える上で重要な事故となった。
消費者保護を社会全体に広げるならば、医薬品等の限られた条件を持つ製造物だけではなく、再現性の求められない製造物や定量データ、例えば「アクアラング事件では水深、チャレンジャー号事故では有効な温度範囲」がない製造物においても、PL法が同等に運用されなければならない。この点で小林氏の主張は、製造物責任の一般化の例として国民生活センターの主張と対立しているのである。
以上に着目しつつ「開発危険の抗弁」の陥穽とした「②初期事故防止の鮮明化」に立ち返りたい。初期事故防止においては、どのような意味内容が「入手可能な最高水準の知識」であるかは明らかではないケースを挙げた。「アクアラング事件における水深やチャレンジャー号事故における有効な温度範囲」が該当する。当該のケースではPL法第四条第一項「開発危険の抗弁」における「入手可能な最高水準の知識」は拘わりなく、製造物責任が認められた。それは「①法律を包含する技術者倫理」で検討した「法律を適時運用し、消費者保護の観点を保持つづける段階」、言い換えれば消費者保護を社会全体に広げていくことであり、技術者倫理の意義に通底する倫理上の動機なのである。これは判例を積み重ねて「入手可能な最高水準の知識」の意味範囲の厳密化を図っていく司法の針路を採らない動機でもある。常時、製造者にPL法で争われうる判然としない領域(あるいは、明文化されていない領域)に消費者保護の視点を求め続けていく動機である。そしてこの技術者倫理としての動機こそが、判例を積み重ねて漸近的ににじり寄っていく司法とは異なる形で、製造物責任へと向かいうる原動力である。技術者倫理が司法の枠を超えて「公衆の福利」を目指す形とも言い直せる。それでは次にこの形の意味内容を論じていきたい。
 「③二項区分にない戦略性」とは、技術者倫理における著者の立場である。
技術者倫理の大義は「公衆の福利」の実現にあり、その判断基準に2つの主義が位置する。そもそも技術者倫理は、個別の技術分野を超え、研究、開発、実施、利用などに係る際、「公衆の福利」を最優先と捉えている。ここで公衆とは不特定多数の人々を指し、国民はもとより消費者、製造者に至るまでを指す。「公衆の福利」とは、数多くの倫理要綱に規定され、その代表は、「National Society of Professional Engineers (NSPE: 全米プロフェッショナルエンジニア協会)」で「公衆の安全、健康、および福利を最優先する(Hold paramount the safety, health, and welfare of public)」ことが明記されている 。技術者の国際的同等性を求める「日本技術者教育認定機構(JABEE)」は、技術者認定教育を行う課程に「技術者倫理」を必須科目としている。また、「公益財団法人 化学工学会」の倫理規定では、憲章「1.会員は、専門家として、職務遂行において公衆の安全、健康および福祉を最優先する。(行動の手引き)」 とある。その他数多くの工業系専門学会の倫理規定に「公衆の福利」と同類の規定が見られる。つまり、技術者が製造する物の民間利用では、「公衆の福利」を考慮している。現代では、以上のように製造物を社会基盤に位置付けるためには、「公衆」という概念を導入している現状がある。「公衆の福利」は、公衆に対する責任の要請であり、「初期事故防止」、「再発防止」が求められている。
技術者倫理では判然とない成立過程ゆえに、数多くの立場がある。全てを述べられないけれども、大雑把に分けると、倫理を判断基準の第一優先にするという意味での倫理絶対主義と、倫理が数ある判断基準の1つとする意味での倫理相対主義の二つの主義となる。倫理絶対主義の一例は、「②初期事故防止の鮮明化」のアクアラング事件において国民生活センターの考察で「繰り返すことになるが、本判決に関しては純法学視点に立てば、批判的な見解も少なくないであろう。しかし、被害者救済、消費者保護の立場からすると、大いに評価できる裁判所の判断である。」とする立場である。この立場は、純法学上の視点や製造者の負担等を超えて、消費者保護を判断の第一優先としている。ゆえに「大いに評価できる裁判所の判断である」という結論は、純法学上の視点よりも消費者保護の動機を認め、判断の第一優先としたからこそ導き出されたのである。
また、「開発危険の抗弁」の採用に反対した日本弁護士連合会消費者問題対策委員会の「消費者を新製品開発の実験台にすることになりかねないこと」等の主張も同主義である。その主張は、消費者保護にのみ視点が充てられている。弁護士の職能として妥当な意見は、「公衆の福利」という技術者倫理の視点に照らし合わせれば、倫理絶対主義と解される。その所以は、「公衆」が消費者のみならず、製造者を含む概念であるからであり、同時に、消費者が使用している製造物の何れもが、実験台とすることになりかねないリスクが存在するからである。技術者倫理の基本概念である「安全」とは、「許容されうる低い可能なリスク(許容可能なリスク[tolerable risk])が存在すること」 を意味する。リスクが存在しない、という一般用語としての「安全」ではないのである。現代社会は電気やガス、自動車等、製造物に基底層を依存する社会となっているが、それら全ての製造物は「許容可能なリスク」の判断に基づいている。日本弁護士連合会の主張は妥当であり、かつ、技術者倫理では倫理絶対主義と解される所以は、以上である。
加えて、小林氏も倫理絶対主義とみなせる。前述したように、小林氏は医薬品の2例を取り上げて一般化し「業界団体などで共通の検索システムを構築するといった動きも出てくるかもしれない。」と論じている。業界の規模や製造物の技術の取得や品質管理を含めた競争状況、資金投入など経済状況を勘案せずに、「入手可能な最高水準の知識」を求めている。「入手可能な最高水準の知識」を求めている倫理上の要求を第一優先として判断を下した結果である。しかしながら、倫理絶対主義は、その他の倫理絶対主義と相いれず、同時に技術者を取り巻く環境との不整合を生み出しやすい立場でもある。さらに、判断基準の対象範囲の不鮮明さを抱えつつも、制裁の対象として二項区分化する。つまり、善か悪か。倫理か非倫理か。という二項区分によって対象を制裁してしまうのである。この点が正に「開発危険の抗弁」で製造物の開発に如何に実効性を与えるかの分岐点である。なぜならば、製造者側と消費者側の二項区分、同時に二項区分のどちらか一方に是を、他方に非を付与することが「公衆の福利」にそぐわないと勘案するからである。言い換えれば、倫理絶対主義で対象を二項区分化し、その是非という価値を対立して付与することが、最終的に消費者と製造者の対立を生むからである。しかしながら、「公衆の福利」における「公衆」とは消費者と製造者(技術者)を共に含むからである。
以上の議論は小林氏に対した前述の著者の反論だけでは不十分であり、技術者倫理において賛否のぶつかり合う内部告発で、さらに深めていきたい。
内部告発について、R・T・ディジョージ氏は『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』において、内部告発の倫理的正当化の5つの条件を挙げている 。

1.一般大衆に被害が及ぶか?
2.上司へ報告したか?
3.内部で可能な手段を尽くしたか?
4.自己正当化できる証拠があるか?
5.リスクを考慮し、成功する可能性があるか?

 1~3を充足すると内部告発は倫理上許され(permitted)、1~5を充足すると倫理上の義務(obliged)となるとディジョージ氏は主張する。これに対して、藤本温氏は『技術者倫理の世界 第2版』で、

「しかし、告発者にとってデメリットだらけというのが実状ではないでしょうか。「成功」とはいっても、たとえば、内部告発によって会社が廃業に追い込まれると、それが成功でしょうか? 自分が職を失うことのほかに、社員が皆、職を失うのです。それを成功というでしょうか? (中略)このように考えると、5番目の条件が満たすことは非常に難しいことがわかります。あるいは、義務になるような内部告発はほとんどないのだ、ということをディジョージは言いたいのかもしれません。」

と文の内容を逆接に解釈する 。ここで留意すべきは、ディジョージ氏の主張に対する順接解釈と、逆接解釈の結論のいずれもが二項区分となっている点である。文言を倫理絶対主義で解することで内部告発は是(義務)か非(非義務)かという二項区分で峻別されている。順接解釈がなされた場合でも、逆接解釈がなされた場合でも、同時に技術者を取り巻く環境との不整合を生み出しやすいのである 。藤本氏の指摘するように内部告発者の現状は悲惨の一言に尽きる。具体例としてミートホープ社の内部告発者赤羽喜六氏に耳を傾けたい。
ミートホープ株式会社の食品偽装事件は、JAS法の改正など社会全体に大きな影響を与えた。該当会社の内部告発者赤羽氏の証言をディジョージ氏の5つの条件に照らし合わせると、不整合が起こる。

1.一般大衆に被害が及ぶか?   →× 被害者0名 
2.上司へ報告したか?      →× 上司である社長に忠告できず
3.内部で可能な手段を尽くしたか? →不明 何を「可能」とするか明確でない
4.自己正当化できる証拠があるか? →× 当人が否定
5.リスクを考慮し、成功する可能性があるか? →× リスクを考慮せず実行し、倒産、家族と別居し遠方(北海道から長野)

以上のようにディジョージ氏の5つの条件を満たしていない 。されども、赤羽氏の内部告発によってわが国の食品衛生は消費者保護へと大きく前進した。逆接として解釈した藤本氏の立場に立つと、ミートホープ事件では赤羽氏が、倒産の憂き目にあい、親類から罵倒され伴侶との別居、地元北海道から遠く長野県に転居するなど内部告発を否定する結論となる。しかしながら、技術者倫理の大義である「公衆の福利」、そして消費者保護の観点からはミートホープ事件は評価されうる事件である。
ここから導き出されるのは、二項区分の不整合さであって、それゆえ、定立・反定立・総合、という正反合(These-Antithese-Synthese)の必要性を示している。つまり、二項区分を超越する立場へと議論を格上げして捉えなければならないのである。この場合は技術者倫理の大義である「公衆の福利」への議論の格上げを意味する。また、これは「②初期事故防止の鮮明化」で述べた「法律を適時運用し、消費者保護の観点を保持つづける段階」、言い換えれば消費者保護を社会全体に広げていくことであり、技術者倫理の意義に通底する倫理上の動機の段階である。この段階にあって始めて、技術者倫理の大義に沿う戦略性が検討可能となる。

5.技術者倫理を成し遂げる戦略性と社会システム

 製造物責任法、特に「開発危険の抗弁」を取り上げて議論を進めてきたが、現れてきたのは、技術者倫理の目的である消費者保護と現実をすり合わせるやっかいさである。ディジョージ氏を例に挙げ、二項区分のすり合わせは現実世界が困難さを示していた。これは人間が矛盾や多様性を内包し、社会や環境が物質の分子運動のように、不規則で混乱に近い運動を行っているからである。それでありながら、温度の上昇によって分子運動が全体としては激しさを増すように、規則性があるかのように見受けられるからでもある。
 こうした人間や社会の分子運動に取り組んできた学問がある。それは兵法(strategy)と呼ばれており、現代では戦略学(strategy)として呼ばれる。戦略学から技術者倫理を捉える理由は、トーマス・クリアリー氏の主張する「見かけは矛盾する態度によって引き起こされるようなパラドックスを克服して、さらにはそのような矛盾やパラドックスを解決する可能性」 を探るためである。
 加えて、「開発危険の抗弁」における開発危険の議論で明らかになった、技術の進歩が社会全体の根幹を支える割合の増加によって製造物責任が民法709条から製造物責任法へと移行したことにある。具体的には、クロロキン事件第2次訴訟一審判決と福島大腿四頭筋短縮症事件判決で示された、社会や業界全体の根幹が製造物の取捨選択を行いうるという「製造物と社会の相補性(あるいは相互依存性)」を考えに含めなければならないことを指す。この点についてはフランソワ・ジュリアン氏が孫子の兵法について述べている文を引用する。

「互いを排除するわけではなく、正反対のものが互いを条件づけるのであり、賢者(すなわち戦略家)はこの論理から自身の戦略を練るのだ。常識的にものごとの単なる相反した状態を見て個別に扱うのではなく、賢者はその相互依存性に気づき、そこから利益を得るのだ。」

ジュリアン氏の言う「正反対のものが互いを条件づける」ことは、社会の諸要素間や技術同士の関係や自然科学等と技術の全体性や、技術と社会との相互依存性を指し示し、「常識的にものごとの単なる相反した状態を見て個別に扱うのではなく」とは、個別の事件やその判決によって左右されるのではなく、「開発危険の抗弁」において消費者保護という目的だけで扱うべきではないという主張に合致する。言い換えれば、倫理絶対主義の相克を超えうる立脚点なのである。それゆえ、二項区分の不整合さから、定立・反定立・総合、という正反合という超越論的議論の視点への道なのである。
正反合という超越論的議論は新展開を迎えている。1972年に中華人民共和国山東省の銀雀山(Yin-ch’uehshan)で竹簡の孫子の文献が発見されたことで、欧米世界で研究が加速している 。数々の研究が進む中で、新進気鋭のデレク・ユアン氏は『真説 孫子』「中国の戦略思想におけるパラドックス・矛盾の使用」で超越論的議論を詳解する。先程のジュリアン氏を引用しながら、

「中国の弁証法体系の核心は陰陽論にある。陰陽同士が邪魔されない形で結びつき、互いに浸透し、相互依存すれば、状況の両極性はその中(もしくは陰陽の連続体)に存在することになる。同じような形で、戦いでは状況の両極性というものが争い合う力の敵対関係に由来する。これによって、なぜ現実を両極性の中で捉えようとする中国の思想が、戦略レベルに傾きやすいのかも明確になる。」

 と述べている。正反合が陰陽同士の結びつき方やその捉え方として述べられている。繰り返すが、「開発危険の抗弁」における「科学又は技術に関する知見」と制定する際の製造者側と消費者側が相対するのは正反の議論である。同時にその議論が互いに浸透しあっているという点を適正に理解する上で、デレク氏の戦略学は実用性を持つ。さらに視座を広げて技術と社会の相補性においても効果的であるのは詳しく述べるまでもない。技術はそれを生み出し必要とする社会と孤立して成立する芸術ではないからであり、現代社会にあっては技術無くして成立しえないからである。社会と技術は対立した二項区分という次元で捉えるべきないのである。その状況の両極性を的確に捉えるのが、デレク氏の「中国の戦略思想におけるパラドックス・矛盾の使用」なのである。
 もう1点、戦略性を用いて技術者倫理を捉えるべき理由がある。それはシステムにおける安定状態を目指すことである。デレク氏は、戦略の究極の目的について以下のように記す。

「戦略の究極のゴールは、システムを比較的安定的な状態に修復することにあり、これによって勝利の結果を享受するところにあるのだ。われわれが戦闘や勝利や戦争の勝利に執着するあまりに、われわれのシステム修復に必要な戦略的な能力を越えた、意図せず望ましくない結果を生じさせてしまうことは多い。孫子が、物理的なレベルでの戦争をなるべく避けつつも、道徳面や精神のレベルで戦争に勝つ必要性を常に主張する理由はまさにここにある。」

製造物責任の勝訴率は民法709条で認められていた期間と、製造物責任法成立後以後とは変化がなかった。しかしながら、社会システム全体からすると立法による根拠が明確となり、例えばアクアラング事件における純法学視点の根拠の乏しさ、また、「消費者教育や製品の警告表示、安全関連法規の整備、紛争処置機関の強化など」のようにサブシステムの構築がなされたことが重要視されうる。歴史がかった民法709条を判例の積み重ねで製造物責任をなし遂げるシステムが、国際ビジネス環境の変化や製造物の技術上の高度化などで不安定化した実状を、製造物責任法の立法化とサブシステムの導入によってより強固で比較的安定的な状態に修復した、と解釈しえる。つまり、戦略的視点から眺めれば、製造物責任法成立は、社会システムの修復と捉えられることとなる。

6.まとめ

以上のように、製造物責任法の「開発危険の抗弁」における議論を検討してきた。「森永砒素ミルク事件」に始まり、「松下カラーテレビ火災事件」と2つの火災事件の判例等を取り上げた。技術者倫理の重要な点として初期事故防止の鮮明化を挙げるなどを通して、現代社会の製造業者、製造業界の個別性を指摘した。アクアラング事件とチャレンジャー号事故の共通点から消費者保護の重要性とその観点を保持つづける動機として技術者倫理を考察した。動機として判断する際の二項区分の陥穽と、内部告発におけるディジョージ氏の順接解釈と逆接解釈のいずれの場合でも不整合が起こることを、ミートホープ事件の実例を挙げて指摘した。この二項区分、正反いずれかの要素だけを採るのは、「公衆の福利」として適切でなく、それゆえ戦略的視点の重要さを論じた。「孫子」の新資料を基にした戦略的視点から製造物責任法を省察すると、社会と技術が相互依存性を持つという理解が的確となり、製造物責任法の成立が民法709条の持っていた製造物責任のより安定的なシステムと捉えられることとなった。
ゆえに、技術者倫理の大義である「公衆の福利」においては、社会と技術が互いを排除する形ではなく、両極の性質を取り込む形での社会システムの安定化が重要な要素であると結論づけられた。
加えて、戦略的視点の導入は、消費者側と製造者側が倫理絶対主義という判断基準で互いを非難する可能性を含む二項区分の回避につながる。技術者倫理の大義「公衆の福利」の「公衆」が消費者と製造者を共に含むという概念定義を考慮すれば、現代社会において二者の二項対立は、結果として「公衆の福利」に反することとなるのである。以上の点において、技術者倫理に戦略的視点を導入する意義がある。


文末脚注(後注:リンク先が切れています。HPの形式が原因ですのでご容赦ください。)
『科学技術者の倫理―その考え方と事例』 208-209頁
『新製造物責任法体系Ⅱ[日本篇]』 2頁
同上 4頁
『日米製造物責任訴訟対策』 はじめに1-2頁
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 第6章
『新製造物責任法体系Ⅱ[日本篇]』 117頁
『逐条解説 製造物責任法』 11頁
『製造物責任法の解説』 42頁 又、この場合の「法的問題」とは民法709条の問題を指す。
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 58頁
『六法全書』 民事法 〔民法編〕 製造物責任法 
日本弁護士連合会消費者問題対策委員会編『実践PL法(第2版)』 67頁
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 56頁
『製造物責任法の解説』 142,143頁 
『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 63頁
『新製造物責任法体系Ⅱ[日本篇]』 19頁
判例時報 2269号 54-58頁
判例タイムズ No.1446 237-249頁
『日米製造物責任訴訟対策』 36頁
国民生活センター著『製造物責任紛争事例 ―訴訟及び苦情処理から―』 5,6頁
同上 7頁
『科学技術者の倫理―その考え方と事例』 1-2頁
NSPE Code of Ethics for Engineers 
「公益社団法人化学工学会」 倫理規定
日本規格協会 第1章 国際安全規格
『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』第10章 加えて『技術者倫理の世界 第2版』 第8章
『技術者倫理の世界 第2版』 95頁
筆者は「oblige」の原義が「誓いによって縛る」であり、ob(方向)とligare(結ぶ)に由来することを考慮すると、宗教上の義務(神からの命令)を受諾することを含意していると解釈する。すると、ディジョージ氏の成功とは宗教上の成功、つまり神への接近と認められる。とするならば、藤本氏の現世での会社の倒産や離職はディジョージ氏の成功の意味とずれると考える。
加えて、20世紀前半の思想運動である論理実証主義が、「統一科学」への系統として全ての文言の共通言語を提起することで妥当性を見出そうとする試みが失敗したことを鑑みるとより一層の重要さを持つことになる。言い換えれば、ディジョージ氏の5つの条件の文言内容を共通化していこうとすることが、循環を犯して失敗に陥ることである。例えば、Karl Popper, The Logic Of Scientific Discovery, London: Hutchinson & Co. 1975 や 野毛啓一著 『クーン -パラダイム』を参照のこと
『告発は終わらない―ミートホープ事件の真相』
Sun Tzu, The Art of War, trans. Cleary, p. 13. 又、デレク・ユアン著 『真説 孫子』 40頁を参照
Jullien, A Treatise on Efficacy, p. 114
Sun Tzu, The Art of War, trans. 又、デレク・ユアン著 『真説 孫子』 59頁を参照
デレク・ユアン著 奥山真司訳 『真説 孫子』 26-27頁
同上 54頁


参考文献・引用文献

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小林秀之責任編集者 『新製造物責任法体系Ⅰ〔海外篇〕』 弘文堂 平成10年4月15日 新刷第1刷
小林秀之責任編集者 『新製造物責任法体系Ⅱ〔日本篇〕』 弘文堂 平成10年4月15日 新刷第1刷 
小林秀之編著者 『日米造物責任訴訟対策』 中央経済社 平成8年9月20日 初版
通商産業省産業政策局消費経済課編集 『製造物責任法の解説』 財団法人通商産業調査会 平成6年9月20日 
中村収三 一般社団法人 近畿化学協会 工学倫理研究会 編著者 『技術者による実践的工学倫理 第3版 先人の知恵と戦いから学ぶ』 (株) 化学同人 2016年3月1日 第3版第4刷
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野毛啓一著 『クーン -パラダイム』 講談社 1998年01月
畑村洋太郎編著 『続々・実際の設計 失敗に学ぶ』 日刊工業新聞社 1996年
判例時報 2269号 判例時報社 平成二十七年11月11日
判例タイムズ No.1446 判例タイムズ社 平成30年5月1日
山下友信 山口厚編集代表 『六法全書〈平成29年度版〉』 有斐閣 2017年3月17日
ホセ・ヨンパルト, 金沢 文雄 『法と道徳―リーガル・エシックス入門』 成文堂 1983年9月 
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R.P.マーロィ著 馬場孝一他訳 『法に潜む経済イデオロギー -理論と実践のための比較論的アプローチ』 木鐸社 1994年
R・T・ディジョージ著 麗沢大学ビジネス・エシックス研究会訳 『ビジネス・エシックス―グローバル経済の倫理的要請』 明石書店 1995年10月
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1990年私法学会報告者グループ編 『製造物責任の現状と課題』 商事法務研究会 別冊NBL24号 1992年
公益社団法人化学工学会「倫理規定」
http://www.scej.org/general/ethics.html
NSPE Code of Ethics for Engineers
https://www.nspe.org/resources/ethics/code-ethics
日本規格協会 第1章 国際安全規格
https://www.jsa.or.jp/datas/media/10000/md_793.pdf

査読論文『ドローンの利用について ―軍事利用から民間利用で求められる「公衆」― The use of Drone 』

 「科学技術者の倫理」に関する拙論です。

静岡産業大学情報学部研究紀要 (19), 11-28, 2017 静岡産業大学情報学部 に掲載されています。
https://shizusan.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1369&item_no=1&page_id=4&block_id=54


ドローンの利用について
―軍事利用から民間利用で求められる「公衆」―
The use of Drone

高木 健治郎
Takagi Kenjiro

 拡大するドローンの民間利用において、技術者倫理の基本概念である「公衆の福利」が求められている。ドローンは約80年前に「無人航空機」として実験機が制作され、軍事利用されてきた。軍事利用と異なる民間利用に向かう中で、ドローンに求められる諸条件が変化する。民間利用で求められる基本概念が「公衆」への責任であり、研究、開発、製造等の技術者に求められるのが「公衆の福利」である。
 以上の結論を導き出すために、本論ではドローンの出自と定義の多様化を述べる。次に、軍事利用で求められてきた国際政治等の戦略的条件を追う。さらに、民間利用で世界初の産業無人ヘリ(民間ドローン)の成功例から社会内での規範順守と、「公衆」に対する責任について論じる。「公衆」に対する責任を果たすことで、民間ドローンは自動車やインターネットのように社会基盤の役割を担う方向へと進みうると考える。

1. はじめに
 ドローン、という用語が現代日本に定着しつつある。ドローンは、ラジコンの趣味的利用から、災害対策や建設、農業の産業利用、そして輸送分野で商用利用などが、耳目を集めている。その新奇な形状「4つの回転翼(マルチコプター)」、珍奇な事件「平成27年4月22日の首相官邸侵入事件」 が起こり、社会の話題をさらった。しかしながら、技術史を俯瞰すると、ドローンは製造物として珍妙な存在者ではない。むしろ、自動車(自動四輪車)や、コンピュータ、インターネット等の利用を後追いしている。それは、軍事利用から民間利用へと転換し、一気に社会の重要な役割を担いうる、という点においてである。ドローンは1937年から軍事利用を開始し、約80年という長い歴史を持つ。2010年頃を境に、民間利用が加速した。同時に、用語の意味範囲の拡大と不明確さ、数々の技術革新、多大な分野への利用検討が巻き起こっている。現在、ドローンに問われているのは、こうした爆発する民間利用を学術上に位置づけ、適切な位置を求めることである。そのために、本論では「公衆の福利」という技術者倫理の基本概念から方向性を探りたい。その際、「公衆」の基本概念が、軍事利用から拡大する民間利用に際し重要である。その典型例は自動車やインターネット等が社会基盤を支えるに地位を獲得しえたことである。
 ゆえに、本論ではドローンの出自と多様な定義に触れ、軍事利用とその変遷理由、そして拡大する民間利用とその展望について検討を行いたい。

2. ドローンとは
 現在、「ドローン(Drone)とは何か」と問われて答えるのは難しい。というのも、「ドローン」の定義が入り乱れている。各識者で大きく異なり、時に対立する定義もみられる。こうした混乱した定義群は、製造物の歴史を振り返ると、軍事利用が民間利用に流入する際に、度々起こっている現象である。学問上、このような基本用語の不鮮明さは好ましくない傾向とされる。しかしながら、技術史から観ると、製造物の技術革新や新規利用が起こる時期に起こりうる好ましい傾向でもある。つまり、製造物の歴史を振り返ると、軍事利用から民間利用への拡大は、製造物が社会基盤を担う可能性を秘めている拡大である、という解釈が成り立つ。
 次に、民間利用への拡大は、様々な混乱や事件を巻き起こしやすいことも、歴史は伝えている。民間ドローンが社会に広がるに従って、世間を驚かせる事件へと結びついた。2015年4月の「首相官邸の屋上で微量の放射線物質を含んだドローンの落下事件」であり、同年5月「15歳の少年が、浅草の三社祭でドローンを飛ばそうとして逮捕された事件」 である。2つの事件の衝撃は強く、社会でドローンを一気に認識するに至らしめる。技術史から観れば、こうした事件は起こるべくして起こった事件群であると受け止められる。
以上の観点から、ドローンの利用の変遷を辿っていきたい。そのため、ドローンの出自と定義の入り乱れ具合に触れ、次に、ドローンの歴史を記していく。
 
-ドローンの出自-
 野波健蔵氏は出自について、以下のように述べている。

『ドローンの由来は、戦争の形態が地上戦から空中戦に変化したことに由来する。1931年から1935年頃に、イギリスで「Queen Bee」という言葉が生まれた。地上または飛行機から無線で標的機を飛ばして、パイロットが射撃訓練をする。空中で相手の戦闘機を撃墜するためのトレーニングが必要となった。動く標的が必要となってきたという時代背景があった。標的機のため当然ながら無人である必要があった。イギリスが女王蜂という名前をつけたので、アメリカは「イギリスが女王蜂ならばうちはオス蜂」ということで、1937年にドローン(Drone, 正確にはTarget Drone)という名前を付けたと言われている。すなわち、ドローンという言葉は軍事的な専門用語であった。』

 以下の記事で事実確認する。
 Bill Lee氏は記事「First Operational US Navy Drone…Successful in Combat in 1944! 」で「1930年代半ばにイギリス海軍がリモート制御航空機を使用した事実」と「その航空機の愛称が『女王蜂(Queen Bee)』であること」と「1936年にアメリカ海軍Standly提督が火力演習で目の当たりにして導入を決定したこと』 を記す。
 Naval Historical Center(US Navy[アメリカ海軍歴史センター])の記事でGreg Cleghorne氏は「海軍の高度対空砲訓練において、ラジオコントロールドローンターゲット(radio-controlled drone targets)の使用」 を1941年と記す。
 また、ドローンそのもののアイディアについて Ron Miller氏は記事「The First Drones, Used in World War Ⅰ」でDr.Walden(アメリカ)が「1915年以降、ロケットと航空機の中間物として、パイロットが操縦できるロケットを考案していたこと」と「しかしながら、公式採用にならなかったこと」 を述べている。これはイギリスのみならずアメリカでもロケットと航空機の中間物のようなドローンの必要性を第2次世界大戦以前から認識していた点が判る。
 以上の3つの記事から、以下の3点が認められる。
①遅くとも1941年までに演習配備がアメリカ海軍においてなされたこと、②ドローンのアイディアは特異な技術者の発想ではなく、戦争の形態が地上戦一辺倒から空中戦へと広がったこと、③Queen Beeという名称が軍事領域で使用されていたこと、である。以上は、野波氏の記述と一致するので、その定義を本論の出発点としたい。
 このように定義を明確にする理由は、学術的手法上の理由と同時に、ドローンの定義に多様性が見られるからである。軍事史家Martin J. Dougherty氏は『世界の無人航空機図鑑 軍事用ドローンから民間利用まで』の冒頭で

『ドローンについては的確な定義がある。パイロットがいなくても完全自動で操縦する航空機、つまり人がつきっきりで制御しなくてもよい航空機という定義である。そうなると従来の無線操縦機の類いは、厳密な意味でドローンではなくなる。・・・同様の役割を果たすなら、類似の多様な航空機をドローンの仲間と認めるのも、あながち的外れではない』

と述べている。軍事利用から民間利用に広がる際に、ドローンの定義が拡大し多様化していることを認めている。その上で軍事史家らしくドローンの明確な定義を再構築しようとして次のように文を続ける。

『矛盾のない言葉で「ドローン」の定義を突き詰めるのはなかなか難しい。・・・よって本書ではドローンを、次のような条件を満たす航空機と考えたい。❶パイロットを搭乗させないこと。❷本来なら搭乗者の判断を要する機能を、少なくともある程度自律的に行えること。❸ミサイルや誘導砲弾のような他のカテゴリーに明らかにあてはまらないこと。』
 
 Martin氏の記述は著書副題「軍事用ドローンから民間利用まで」の通り、軍事利用が民間利用に広がることで、ドローンの定義が多様化している様を如実に表す。以上の視点から、拡大し始めている民間利用側からドローンの定義を拾いたい。
 専門書を含め多くの場合、その出自について簡単、あるいは混乱して述べられている。軍事研究家の井上孝司氏は『ドローンの世紀 空撮・宅配から武装無人機まで』で以下のように記している。

『この種の無人の飛びモノのことを、世間一般にはドローン(drone)と呼ぶことが多い。この単語、本来の意味は雄の蜜蜂、あるいはその蜜蜂が立てる羽音を指す言葉だが、軍事の世界ではだいぶ以前から、無人標的機のことをドローンと呼んでいた。そこから意味が広がって、無人の飛びモノ全般を指してドローンと呼ぶようになったのだろう。ちなみに、droneという英単語には「のらくら者、居候」という意味もある。しかし、これは無人の飛びモノと関係なさそうである。』

 ドローンの出自に関して無人標的機に由来する点が述べられている。他方、「Queen Bee」に対する出自、空中戦という戦闘条件の変化という出自には触れられていない。むしろ、「ドローン」=「羽音」という意味合いに解釈可能な説明文である。井上氏は、続けてドローンの軍事利用について、「無人運転」の点で鉄道と比較するなど、専門度の高い説明を続ける。
次に、出自に関する記述を民間利用の立場から追ってみたい。I/O編集部編集『ドローン完全ガイド』は、冒頭に「ドローンカタログ」を掲載し、新規のドローンを販売価格付きで紹介している。ドローンの民間利用向けのガイド本である。冒頭に続いて「第1回国際ドローン展 レポート」では「企業向けのドローン」などの項目から紹介している。次に「はじめに」があり、そこでドローンの出自について記されている。

『「ドローン」とは、蜂の羽音の“ブーン”という擬音語だそうです。飛ぶときの羽の音から、「ミツバチの雄」を指すこともあり、また、ミツバチの雄はずっと巣にいて働かないイメージがあることから、「働かない男」という意味もあるとか。
 どれから取ったのか、はっきりしませんが、最近は無線で操作する航空機のことを「ドローン」と呼んでいました。』

 ドローンが文中の単語で「最近」になって「ドローン」と呼ぶようになった、と読める記述であり、また、ドローンの出自を蜂の羽音とする。一見、ドローンの出自について民間利用の視点ゆえの視野狭窄と読めるが、そうではない。同著はドローンをUAV(Unmanned Aerial Vehicle:無人航空機)と大別しており、軍事利用の出自についてはUAVで述べている。ドローンとUAVの区別は後述するとして、同著の記述を追いたい。

『最も初期の「無人航空機」は第二次世界大戦の頃に遡ります。航空機の「無線操縦」による「無人運用研究」により、米軍は「B-17爆撃機」を「無人機」に改造した「BQ-7」という「無人航空機」を開発しました(1944年)。…第二次世界大戦後、「軍事用ドローン」として広く普及したのは戦闘機の戦闘訓練で標的として使用する「ターゲット・ドローン」と呼ばれる「標的機」です。米空軍の「BQM-34 ファイヤービー」(1950年代)のようにジェットエンジンを搭載した「高速無人航空機」が登場し、「ターゲット・ドローン」として「ドローン」を運用する一方で実戦における「無人機運用」についても研究が進められていきました。』

 無人航空機の出自を戦略爆撃機とする一方で、ドローンの普及を「ターゲット・ドローン」とする。ドローンの普及を1950年代とするものの、初期の研究開発段階と製造普及する段階の差であり、的を射ていると考えられる。また、ドローンの出自が航空戦にある点では、戦略爆撃と飛行戦闘の差異はあるものの、大枠で一致する。
こうした大枠での一致は、航空史を振り返れば納得できるものである。スミソニアン協会国立航空宇宙博物館特別研究員やメリーランド大学名誉教授などを歴任するJohn D. Anderson Jr氏はアメリカ航空史の大家であり、『飛行機技術の歴史』を著わす。同著の「飛行機構成の一覧:1930~1953年」の節では、戦闘機や爆撃機が記述の大半であり、僅かにダグラスDC-4の大型輸送機に触れている 。航空史では「有人」飛行機の視点で書き記されている。航空機という範疇にドローンはほぼ含まれてこなかった。同著で「無人飛行機」の記述が、500頁に及ぶ大著で本文の最後尾、1ヵ所のみ記述されている 。以下該当箇所の全文である。

「全く型破りというわけではないが、かつては遠隔操縦飛行機と呼ばれていた飛行機の最新の呼称である無人飛行機も型破りな構想である。こうした無人飛行機は、概して述べると、本質的に超大型化した模型飛行機である。しかし、高高度偵察を目的とした最近の無人飛行機設計では、非常に大きな翼アスペクト比を持ち、翼幅自体も20mを超える大型航空機が登場している。本書を執筆している時点で、戦闘目的の無人飛行機、つまり無人戦闘機の設計は大きな関心を集めている。」

 同著は2002年出版である。本論は2016年であり、ドローンが大きな注目を集めている現状に立脚している。十数年の隔たりを考慮しても尚、ドローンは航空史では光の当たらない立場にあり続けてきたのが判る。先述のNaval Historical Centerの記事でラジオコントロールドローンターゲットの使用 が1941年と記されている点と思い起こされたい。つまり、ドローンは「軍需産業で技術の継承がなされてきたが、一分野に留まり、航空史全体に取り入れられない存在者であった」ことが推断されうる。
逆説すれば、ドローンの歴史の整理検討が行われてこなかったとも言える。この歴史は、後述するが軍事利用が民間利用に拡大する際に、法的枠組みで捉えられないという有益な点を生むに至る。第一次世界大戦から第二次世界大戦の間に生み出された、同じコンピュータや自動車とは異なる歴史を刻んできたとも俯瞰できる。ドローンに注目が集まり、利用推進が進む中で、今後、歴史の整理検討が進むことが期待される。
 以上を踏まえると、ドローンの出自に関して、幾つかの発想が混在しているのは無理からぬことと言える。

―ドローンの本質-
 ドローンの本質を定義することは難しい、と冒頭に述べた。ここではその困難な原因を示したい。ドローンの本質が各識者によって、幾つかに分れ、時に対立さえしている点である。

 本質が何であるか、は前文を踏まえて「無人」、「自律」、「認識と知能」の点で分類していく。
 通常、一般社会で「ドローン」と言えば、マルチローター(Multirotor)型で、対称性を有した回転翼を持つ。4枚の回転翼(クアッドロータ)が主流であるが、6枚以上の回転翼を持つものもある。例えば、雑誌ニューズウィークのドローン特集号に以下の記述がある。

『ドローンとは、ひとことで言えば遠隔操作できる小型の無人飛行体。…ただし、ラジコンが「飛ばす」こと自体を楽しむものなのに対し、ドローンは飛行中に何らかの作業を行うことを主目的としている』

 この文からは「無人」を本質とする点が読み取れる。「遠隔操作」の一言は、ドローンに組み込まれたソフトウェアを認めつつ、操縦がドローンの本質に属する点を意味する。この点でドローンは、「無人」ではあるが、ソフトウェアによる全自動プログラムではない。つまり、反「自律」なのである。
こうした理解は、急速に広がる民間利用に対する法規制の概念と一致している。担当省庁である国土交通省の石井靖男氏は、専門誌『研究開発リーダ』で、「2015年の首相官邸屋上へのドローン落下を受け、国として緊急に対応すべく議論が始まりました。」とドローンの法規制の発端を述べ、「現在、ドローン(マルチコプター)やラジコン機等の小型無人機は、航空機という取り扱いになっておらず、そのものの飛行に対する規制もありません。」 と書いている。航空機は原則「有人」であり航空法の対象となるが、ドローンやラジコン機等は「無人」であり、航空法で飛行に対する規制がない、という意味である。ただ、「航空機の運航を阻害しないように、花火やロケット等と同じ扱いとして」 としての規制が存在した点を補足している。同件は平成27年12月10日に「無人航空機に係る改正航空法」へとつながる。
上記の民間利用に対する法規制の概念では、ドローンは「無人」である点が航空法上から判明する。花火やロケット等と同列であり、「自律」という操縦者の有無の観点、その「認識と知能」について問いただされてはいないのである。これは「無人航空機に係る改正航空法」でも継続する。
 しかしながら、約80年の歴史を持つドローンの本質は、その「自律」と「認識と知能」にある、とする立場もある。井上孝司氏は、1960年代から、一部の車両における「自動運転」、大阪万博(1970年)会場でのモノレールの「無人化」、近年の自動車業界での「無人運転」に触れながら、ドローンの本質について以下のように述べる。

『鉄道や自動車ではあまり使わない言い方だが、ことにミリタリーの世界ではさまざまな種類の無人ヴィークルが出てきているため、それらを総称して「U○V」と呼ぶことが多い。この「U○V」とは、「Unmanned なんたらかんたら Vehicle」の略だ。…なお、航空機の場合には、UAVという機体そのものを指している。その機体周辺の機器・機材を組み合わせたシステム全体を指して、UAS(Unmanned Aircraft System)と呼ぶこともある。』

 ドローンの本質には鉄道や自動車と親和性の高い「無人」と共に、周辺装置を含めたシステム、つまり、「自律」と「認識と知能」が本質に含まれるという立場なのである。同じ立場は法規制の分野でも例がある。軍事・安全保障に関わる国際法を専門とする京都産業大学教授岩本誠吾氏が「ドローンと法規制」の書き出しで、

『以前、無人航空機はUnmanned Aircraft Vehicles(UAV)と表記されていた。最近では地上装置や通信を含めて無人航空機システム(Unmanned Aircraft Systems: UAS)」と呼ばれる。一般にドローン(drones)と言われるUASは、事前に自律飛行するものと操縦者の遠隔操作により飛行するものに大別される。国際民間航空機関(ICAO)は、後者を「遠隔操縦航空機システム(Remotely Piloted Aircraft Systems: RPAS)」と表示する。』

と述べる。ドローンの本質が、周辺装置を含めたシステムの構築によって、UAVからUASに拡張したという「認識と知能」の点、「自律」飛行の点が書かれている。同時に、操縦によって「無人」の側面に拘らなくなった点が記されている。こうした周辺機器を含めたシステムの構築は、井上孝司氏の指摘するように、鉄道や自動車分野と共通性があり、半導体技術とプログラミング技術の向上によって飛躍しつづけている。その流れがドローンの本質にも及んでいるのである。それゆえ、半導体技術とプログラミング技術の進歩が革新的なドローン像を生み出している現状に即して、野波健蔵氏は以下のように言い切る。

「実はドローンの本質は、ハードウェアではなくてソフトウェアであると言える。ドローンは、アームの先にモータがあり、そこにプロペラがついているだけで、バッテリーにつないでプロペラは回転している。突風が吹いても姿勢を制御して安定を保ち、外界を認識して障害物を回避しながら目的地まで早く到達するとか、あるいは、与えられたミッションをスマートに実行する、つまりは「賢く飛ぶ」ということにつきる。結局、ここに集約される。」

野波氏の言うドローンとは拡大する民間利用を代表するマルチコプター(複数の回転翼を持つ機体)の説明に限られているが、安定飛行のための「認識と知能」こそが本質であると主張する。補足説明を加えれば、固定翼の無人飛行機で衛星通信システムを持つ「RQ-1プレデター」があり、ドローンは回転翼に限る訳ではない。
 上記をまとめると、ドローンの本質は各識者で「無人」、「自律」、「認識と知能」の点で分れていることが判る。そして民間利用と軍事利用の立場を超えて、幾つかに分れ、時に対立さえしている。以上から、各識者の立場によって本質が異なる点は示せた。ドローンの定義が困難な理由は以上である。他方、大別して軍事利用と民間利用で異なる点を示すには至っていない。引き続き、ドローンの軍事利用において、主に国際政治学等の利用の要請という視点から本質に迫りたい。

3. ドローンの軍事利用
 軍事利用を述べるに際し、「無人航空機」の歴史から振り返りたい。その観点は、ドローンの動力等の技術レベルの向上ではなく、国際政治等の戦略レベルでの利用への関わりである。
第一次世界大戦期(1914~1918年)に、無人航空機や巡航ミサイルの始まりとされる、アメリカ陸軍が無人の飛行機爆弾「Kettering Bug(ケイタリング・バク)」を開発する。実戦投入は第2次世界大戦期で、ドイツ帝国のV2ミサイル等であった。その後、誘導制御や遠隔操作技術は、冷戦期の大陸間弾道弾ミサイル開発、米ソの宇宙開発競争などによって飛躍した。無人機を攻撃使用する歴史は現在も続いている。
 同時に、無人機を別利用する流れが並走している。誘導制御や遠隔操作技術が進む中、異なる「無人航空機」の需要が高まっていった。第1次世界大戦期から航空戦力の重要性が増し、第2次世界大戦では航空戦力が会戦を決着させるまでに至る。それゆえ、航空機の開発競争が激化し、同時にパイロットの育成が急務となる。そこで無人標的が登場する。無人標的には、有人の飛行機が曳航する方法が1つである。当時は、曳航専用に標的曳航機が開発された。現代では戦闘機が用いられているが、曳航される無人標的は、曳航機のリスクが高く、標的の速度や機動性に限りがある。そこで第2次世界大戦期に「Radioplane’s model RP-8(ラジオプレーン・モデル RP-8)」という無線による遠隔操作可能な標的機を開発した。1939年に初飛行を果たし、その後、アメリカ陸軍が「OQ-14」、アメリカ海軍が「TDD-3」と名称を別として採用した 。「RP-8」は固定翼で全長2.65m、翼長3.73m、総重量47㎏、最高速度137km/hであった。現在の回転翼ドローンと大きさだけは酷似している。「RP-8」のシリーズは「Target drone」と呼ばれ、5000機以上が製造された 。その後さらに大型化し、改良機が作られ続ける。ドローンの軍事利用は、重要性を増す航空戦力の訓練に始まったのである。
 現在まで航空戦力の優位性、特に地上戦力に対する決定力は揺るがない。現代戦が宇宙領域、サイバー領域に拡大しているとは言えである。なぜならば、核兵器使用が第2次世界大戦期に限られているからであり、核兵器は核抑止力として主に政治影響力として使用されている。それゆえ、近い将来まで、航空戦力を補助するドローンが軍事上の価値を失うことはないであろう。
 加えて、ドローンには別の軍事上の価値が与えられてきた。第2次世界大戦後、ドローンの開発を先進してきたアメリカは、第二次インドシナ戦争(1960-1975年:べトナム戦争)の泥沼化で足を取られた。アメリカ各軍内部からも抵抗者が現れ、また、大学改革と結びついて過去に例がない大規模な学生運動へと展開していった。良心的徴兵拒否が社会的制裁の対象になりにくくなる程であった。良心的兵役拒否しイギリスでベトナム反戦運動を組織化したビル・クリントン(William Jefferson "Bill" Clinton)氏は、アメリカ合衆国第42代大統領に当選している 。その主なスローガンは「米国民をベトナムで死なせるな」であり、戦争での死者が国内政治の大きな関心事になったのである。そこで数々の試作が試され、その1つとして「無人航空機」に情報収集、偵察、監視などの役割が与えられる。それ以前にも、高高度偵察機「SR-71 (通称 ブラックバード)」の無人型「D-21」などが開発されたが、より地上に近い情報収集、偵察などの需要が高まったのである。
 同じく1970年代初頭、第4次中東戦争(1973年)で航空戦力が対空ミサイルや対空砲によって損耗を受けたイスラエル国は、無人航空機の必要性を認識する。同国の「タディラン社(TADIRAN. Ltd)」と「IAI(Israel Aerospace Industries Ltd)社」が無人航空機を開発する。レバノン侵攻(1982年)で軍事上の成果を挙げ、無人航空機の開発が加速し、IAI社は「RQ-5 Hunter」、アメリカの「AAI Corporation」と「RQ-2 Pioneer」を共同開発するに至る。
 イスラエル国は、人口が350万人弱(1975年)と少なく、第4次中東戦争相手国の1つエジプト・アラブ共和国4035万人強の10分の1に過ぎない。そのため、人命の損耗が軍事上の重要な価値を占め、ドローン開発の強い推進力となった。2015年現在では、ドローンの生産開発の最大の国家となる。現在でもシリア・アラブ共和国やイラク共和国等の周辺国でテロや紛争が勃発し、ガザ地区を抱えるイスラエル国にとって、情報収集、偵察、監視の無人化は高い優先度を保つ。
 アメリカでは第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)等で人命の損耗が国内政治上の大きな主題となったが、その後の国際政治状況の変化によって、無人化は高い優先度を保たなくなった。アメリカ国防高等研究計画局(DARPA:Defense Advanced Research Projects Agency)が1984年に新しいドローン計画「アンバー計画」を立ち上げた。試作機が1988年に初飛行し、翌年には24時間連続飛行に成功する。ところがアメリカ軍は予算を打ち切り、1990年に頓挫する 。1990年にソ連邦が崩壊して冷戦構造が消滅して、「平和の配当(Peace Dividend)」が国内政治の主題に躍り上がってきたからである。「アンバー計画」を担当したリーディング・システムズ社は、別の「ナット(Nat)」を開発するが需要低下で倒産する。同社を買収したGA-ASI(General Atomics Aeronautical Systems Inc.)社が生産した「ナット750(Nat750)」は、ユーゴスラビア紛争(1991~2000年)に投入される。
 冷戦構造崩壊後のイスラエル国とアメリカのドローン開発の差異は、主に軍事上の要請によって説明される。地政学の大家Nicholas John Spykman(ニコラス・スパイクマン)は、『The Geography of the Peace(平和の地政学)』でアメリカを地理概念として「新世界(New World)」とし、ユーラシア大陸を「旧世界(Old World)」と対比させ、「旧世界」で枢軸国に敗北すると「新世界」が囲い込まれる恐怖から、積極介入の立場を採る。同時に、いち早く航空戦力(Air Power)を重要視している。訳者奥山真司氏は同著解説で、

『これ(スパイクマンの理論)が冷戦期の「封じ込め政策」につながったことは否定できない事実である』

と述べている。その冷戦構造が瓦解した時、アメリカが持ち続けた「旧世界」に対する恐怖心が一気に解放され、ドローンの軍事上の価値を軽視する方向を生み出してしまったのである。恐怖心が一気に解放され極端に走った例と考えられるのは、Francis Yoshihiro Fukuyama(フランシス・Y・フクヤマ)著『The End of History and the Last Man(歴史の終わり)』である。1992年出版の同著では、冷戦構造の崩壊によってアメリカ型民主主義が人類最後の社会であり、そこに至る道のりが「歴史」である、と語られており、当時のアメリカの解放感を的確に表している。歴史の終わり、とは全世界がアメリカ型民主主義に向かう、という希望にあふれた題名であり、その希望を抱かせた冷戦期のアメリカの恐怖心を如実に表している。
 他方、海に隔てられていない、それゆえ、潜在的軍事衝突国を陸上に持つイスラエル国はドローンの研究開発を継続した。以上のように、ドローンの軍事利用においては、国際政治等の要因が大きく絡み合っていると言える。

―戦闘ドローンの登場 
 冷戦構造崩壊後、ドローンには新たな役割が加わることとなる。GPS(全地球測位システム)の導入、センサー機器の高機能化、遠隔操作性能の脆弱性の解消、システム設計技術向上などによって、高性能化を成し遂げたドローンは、戦闘の役割を担うようになり、「無人機攻撃」と共に、ミサイルや精密爆撃を担当するようになった。また、UAV(無人戦闘機)から、GPSや現地での携帯型誘導機器によって「無人航空機システム(Unmanned Aircraft Systems: UAS)」へ変化し、ドローンが従来の戦闘補助の役割から、軍事作戦の主要な役割を担うようになった。戦闘ドローンで最も有名なのは「MQ-1プレデター」で、偵察用(Reconnaissance)「RQ-1」から汎用(Multirole)に役割が拡張したドローンである。中高度に長時間滞在し標的を攻撃する役割を与えられており、アメリカ本土で操縦を行える。2002年に対テロ戦争でアルカイダの指導者の1人を殺害するなど多大な戦果を挙げている。1万㌔以上離れたアメリカ本土で操縦士は、身の安全を保障され冷暖房完備の部屋で戦闘ドローンを操作するのである。ただし、操縦士がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる発生率は、アメリカ国防総省の調査では「有人」戦闘機パイロットと変わらないとされている 。しかしながら兵員の負傷などを考慮し、アメリカ陸軍は戦闘ドローンを増やし続けている。その一因として9.11テロで対テロ戦争がアメリカ国で政治上の重要な主題となり、続いて人命の損耗が俎上に載った点が挙げられる。つまり、この冷戦崩壊後の実例も、国際政治等の要因によってドローンの軍事利用を加速させていく一例とも考えられる。
 
-ドローンの軍事利用上の特徴
 先ほど、冷戦構造崩壊にドローン開発を進めたイスラエル国と小休止したアメリカを比較した。スパイクマンの地政学見地から、二国が異なる道を進んだ原因を軍事利用の差とした。同様に現在勘案しうる軍事利用上の特徴をまとめておきたい。
 アメリカ海軍大学(United States Naval)で戦略論を担当するJames R. Holmes(ジェームズ・R・ホームズ)氏は、アルカイダの対テロ戦略や小さな行為の積み重ねで済し崩しに相手国の支配権や主権を脅かす「小枝外交(Small Strick Diplomacy)」に詳しい。ジェームズ氏は「小枝外交」で戦闘ドローンを観て、以下の2点を指摘する 。

①ドローンの警告対応に時間を要すること
:「無人」であるがゆえに、ドローンの遠隔操作者に対して警告を発して到達するまでに時間が掛かる。その時間を利用してドローンを作戦領域での情報収集、あるいは脱出が可能である。
②ドローンの破壊によって相手の対応をエスカレートできること
:無人兵器の破壊は破壊した側が悪く受け取られ、結果的に相手の対応をエスカレートさせるという政治的意図が含まれうる。

さらに以下の点を加えたい。
③ドローンの国籍不明化が容易であること
:「無人」であるがゆえに、事故や故障、撃墜等によって機体が墜落しても国籍マークや言語を無表示にしておけば、国籍不明化が容易にできる。また、各国で同様の機体を使用しており機種で同定不可能になる。さらに、例えばアメリカでも米軍機の飛行はないが、CIAの戦闘ドローンの飛行はありえる、という同国内でも同例となる利点がある。
④ドローンは主権侵害と非難されにくいこと
:アフガニスタンやパキスタンの対テロ作戦で戦闘ドローンは当事国の了解を得ていない。しかし、「無人」航空機であるため、領空侵犯として扱われ難い。これは当事国の法執行機関が脆弱な場合、特に有効である。例えば、内戦状態にあり法執行機関が無きに等しいシリア・アラブ共和国や、南シナ海のように領有権争いによって法執行機関が不明な地域などである。

 以上の4点は、現在の国際政治等における軍事利用の関わりにおいて重要な点である。さらに、イスラエル国を引用したように人命の損耗が国内政治の主要な議題になりうる欧米各国を始め日本等の国々では、ドローンの「無人」という特徴は、軍事利用の特徴として重要な点として残り続けるであろう。以上が、ドローンの軍事利用の諸要因である。次に、ドローンの軍事利用から拡大する民間利用を追いたい。

4. ドローンの民間利用
 ドローンの軍事利用において国際政治等に左右される面を述べて来た。民間利用においても同様に技術革新だけでなく、2つの面に因る。1つは法律であり、1つは技術者倫理である。軍事利用と民間利用では全く異なる社会的要請であり、この要請に答えてこそドローンは社会基盤を根底から支える存在者になりうるのである。民間利用の流れと多様なドローンを挙げながら、技術者倫理の側面からドローンを考察したい。
 
-軍事利用から民間利用への転用例
 平成28年10月2日静岡新聞4面「空飛ぶ宅配ピザ始まる」と題する記事が載った。

『宅配ピザ店「ドミノ・ピザ」をオーストラリアや日本で展開する豪ドミノ・ピザ・エンタープライズは年内に、小型無人機(ドローン)を使ったピザ宅配サービスをニュージーランド(NZ)で試験的に開始する。実現すれば「世界初のドローン宅配」となる見通し。ドローン宅配は、米アマゾン・ドット・コムなどが実現を競っている。ドミノ社は米国ドローン企業と提携し、ドローン飛行の規制緩和を積極的に進めるNZでまず実施することを決めた。』

 「世界初のドローン宅配」が実現しうるニュースである。記事によると豪ドミノ・ピザ・エンタープライズは日本でも展開しているので、数年先に日本でも「ドローン宅配」が街で見られるかもしれない。
 しかしながら、ドローンの軍事利用において輸送は10年前に確立している。2000年代後半にイスラエルのArban Aeronautics(アーバン航空株式会社)は、「Air Mule(エアミュール:空飛ぶラバの意味)」 というドローンを投入した。対テロ戦争でトラック輸送は多くの人員を要し、待ち伏せや手製爆弾などのリスクが高まったからである。また、テロ集団は対空兵器を数多く持ち合わせており、有人ヘリコプター輸送のリスクが高かった。エアミュールは車体前後に巨大な回転翼を内蔵する特異形状をしており、ヘリコプターよりも狭い範囲で着地離脱が可能である。AH-1ヘリと比べると約10分の1の範囲となる。積載量は500㎏、悪天候にも強く風速25メートルまで、高度3700mまで、4時間までの活動が可能である。他国の例であるが、有人、無人の選択可能なヘリコプター「K-max(Kマックス)」や地上誘導管制を受ける海上輸送用無人ヘリコプター「CamcoprterS-100(カムコプターS-100)」なども開発されている。
 Mratin J.Dougherty氏は、エアミュールについて「音がうるさくないのは、民間または商業的な活動に取り入れやすい要素である」と述べている。軍事利用から民間利用に拡大する際に幾つかの利点が求められるのは言うまでもない。他方、民間利用の側から利用を考える際に、幾つかの点を勘案しなければならない。まず、価格である。軍事利用では兵員の訓練や給与等や兵装に多大な費用が掛かる。それゆえ、その兵員の費用と比較して導入が検討される。他方、民間企業では、例えばドミノ・ピザ・エンタープライズの宅配では、時給幾らの宅配員の費用と比較して導入が検討されるのである。多数の宅配員の雇用形態はアルバイトであり訓練に費用はあまり掛からない。それゆえ、宅配業務に向いている、エアミュールであるが民間利用は難しい。何故なら、エアミュールは一機250万USドル(約2億5000万円)だからである。さらに運用には、GPSを含めた多くの周辺機器が求められる。
 以上のように先行する軍事ドローンを民間利用に導入する際に費用は大きな論点のひとつである。次に、費用の問題を乗り越えた民間ドローンの成功例を挙げたい。

-民間ドローンの成功例 産業無人ヘリ
 民間ドローンの成功は、農薬散布の分野が先行している。ラジコン型のドローンとして世界初の産業無人ヘリ「R50」が、1987年にヤマハ発動機株式会社から販売された 。農林水産省の外郭団体農林水産航空協会からの開発委託が1983年に始まり、4年後の実用化にこぎつけた。「R50」はその後改良を経て、2013年の「FAZER(フェーザー)」に至る。現在、登録機体が3000機弱あり、操縦免許取得者(オペレーター)が約1万1千人である。免許は農林水産航空協会指定の教習を受講し発行される。
民間ドローンが社会的成功を収めるためには、社会組織の中で明確な位置づけが必要であるが、産業無人ヘリは政府の外郭団体による免許制度によって確立している。次に法律の位置づけである。先述したように産業無人ヘリ(民間ドローン)は航空法上、問題がなく、航空機製造事業法の離陸総重量が100㎏未満という規制を満たし、遠隔操作に関する電波法では微弱な無線局に該当し規制を満たしている。法律面で産業無人ヘリは社会上の明確な位置づけを得ているのである。商業面では、水稲の農薬散布で稲作面積の36%を担っている。このように民間ドローンの成功例として、産業用無人ヘリがまず挙げられる。趣味的利用を超える民間利用では、産業無人ヘリ同様に政府の外郭団体や専門学校等による免許制度の確立と普及が必要であろう。自動車二輪車や自動四輪車のように小型や大型などの違い等も念頭にすべきであろう。なぜならば、産業無人ヘリは航空製造法等によって機体の全長や翼長、総重量等がある範囲内に揃っているからである。しかしながら、民間ドローンの拡大を加速させるには、こうしたドローンの機体の大型化や多様化が必須である。それゆえ、政府の外郭団体や専門学校等による免許制度の確立と普及が必須となる。次に具体的に今後の民間ドローンの可能性を探り、そこで求められる概念を明らかにしたい。

―民間ドローンの可能性
 2015年5月20~22日、「第1回国際ドローン展」が千葉の幕張メッセで開催された。日本で初めてのドローン展示会で、商談を目的とした企業向けの専門展示会であったが、3日間で約1万人が訪れ盛況、関心の高さを示した 。同展示会では、約50の企業・団体が民間ドローンの活用を探った。セコムは飛行監視ドローンを紹介し自動追尾とカメラでの撮影の仕組みを発表した。中日本高速道路(NEXCO中日本)の傘下で中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京などは、高速道路のひび割れ点検を披露した。コマツは工事現場での自動測量を公開した。物流に関しては、MIKAWAYA21(東京)が、山間部や離島での買い物代行サービス、宅配サービスの構想を発表した。企業の出展は、工事現場の測量や、空撮、災害時の遭難者捜索に重きが置かれていた。
 民間ドローンは既に利用段階にある分野もあり、また宅配のように試作段階にある分野もある。以下に世界から主な民間ドローンの活用例を段階に拘らずに列挙したい。

A)考古学:測量や空中からの撮影など
B)林業:生育マッピングや空中からの撮影など
C)気象学:嵐の継続監視、氷河のマッピング、気温等のデータ収集など
D)農業や畜産業:作物の虫害の発見、発育育成データ、農薬散布、広域での家畜の頭数確認など
E)動物学:野生動物の保護、生態の研究と監視など
F)海中研究:浅海のみならず深海という低温高圧世界での生態の研究など
G)高高度研究:NASAを主体とする大気圏の環境調査など
H)治安維持:監視、群衆の継続監視と警告など
I)法執行:テロ対策や交通監視、犯人追跡など
J)災害対策:遭難者捜索、災害状況確認、森林火災の継続監視、通行制限地域や災害地域の監視、災害後のインフラ破損状況の確認など
K)人道支援:到達が困難な地域への医療品や食料品の輸送など
L)商業輸送:離島地域を含めた宅配サービスと遠隔の少量宅配サービスなど
M)商業撮影:ニュース等の撮影、オリンピックなどの行事撮影など
N)スポーツ:Hover Ballによるプレーヤー間のスキル差の調整に基づく拡張スポーツなど
O)建設機械:建設現場の空中からの撮影、インフラの測量、検査、監視など

 以上が、実験段階を含めた民間ドローンの活用例の一部である。民間ドローンの活用は、市街地の宅配業務よりは、農業分野が先導しており、現在でも他の分野での活躍が目立つ。
 UAS(民間ドローン)操縦者の育成と資格認定を行っている「日本UAS産業振興協議会」の鈴木真二理事長は、「物流へのドローン適用の可能性は大きいと考えている。まずは離島など近距離への配送や倉庫内の荷物移動といったところから利用を始め、徐々に対象を広めていく形ではないか」と述べている 。現段階で、物流のドローンは潜在需要に留まっており、他の分野の先行が窺える。ただし、宅配、輸送の潜在需要は他の利用に比較しても大きいことは言うまでもない。貨物輸送におけるモータリゼーションでは、自動車(トラックを含む)で昭和40年から平成7年で6倍に増加し、鉄道貨物では44%に減少している。それ以後、国内貨物輸送量は長期的に減少傾向に入っている 。減少傾向は経済状況と必ずしも一致しておらず、潜在的需要の大きさが察せられる。その潜在需要を掘り起こした時、民間ドローンは自動車やプログラミング技術と同じく社会基盤の根本を担うことになるのではないだろうか。

5. 「公衆」と民間ドローン
 民間ドローンの潜在力の大きさを掘り起こす時に、気を付けなければならないのが法律面、倫理面である。ここでは技術者倫理から考えたい。なぜならば、軍事ドローンから民間ドローンに転用される際、利用要件が変わるからである。軍事ドローンでは、イスラエル国とアメリカの比較で出てきたように国際政治等によって利用が促進、あるいは停止させられていた。そして、純粋な軍事作戦上有効であるかどうかが求められた。例えば、軍事輸送ドローン「エアミュール」では、兵員の費用対効果などから高額であることを妨げなかった。軍事組織に対する責任や一定の抑制が働くにしても、兵員は不特定多数の人々という「公衆」とは異なる。ドローンが軍事利用から民間利用に転用される際、費用のみならず、こうした「公衆」を考察しなければならない。
 そもそも技術者倫理は、技術者個人を含めた技術集団が、個別の技術分野をまたがって、研究、開発、実施、利用などに係る際、「公衆の福利」を最優先と捉えている。ここで公衆とは不特定多数の人々を指し、国民はもとより消費者、製造者に至るまでを指す。「公衆の福利」とは、数多くの倫理要綱に規定され、その代表は、「National Society of Professional Engineers (NSPE: 全米プロフェッショナルエンジニア協会)」で「公衆の安全、健康、および福利を最優先する(Hold paramount the
safety, health, and welfare of public)」 ことが明記されている 。技術者の国際的同等性を求める「日本技術者教育認定機構(JABEE)」は、技術者認定教育を行う課程に「技術者倫理」を必須科目としている。また、「公益財団法人 化学工学会」の倫理規定では、憲章「1.会員は、専門家として、職務遂行において公衆の安全、健康および福祉を最優先する。(行動の手引き)」 とある。その他数多くの工業系専門学会の倫理規定に「公衆の福利」と同類の規定が見られる。つまり、技術者が製造する物の民間利用では、「公衆の福利」を考慮している。現代では、以上のように製造物を社会基盤に位置付けるためには、「公衆」という概念を導入している現状がある。
 「公衆の福利」は、公衆に対する責任の要請であるが、「事故防止」、「再発防止」が求められる。各段階に分れるが、例えば設計段階における「フール・プルーフ(Fool proof)」と「フェイル・セイフ(Fail safe)」がある。「フール・プルーフ」とは「人は愚かな行為をするという前提で事故防止を目的として設計すること」である。電気ポットでの給湯の際、ボタン「ロック解除」を押し、ボタン「給湯」を押さなければ湯が注がれないように設計されている。人は寝ぼけるなどで認識力が低下する、幼児などがいたずらをするなどで愚かな行為をする場合がある。それゆえ、熱湯を1回のボタン操作ではなく2回の操作で給湯する設計を組み入れている。同じく「フェイル・セイフ」とは「物は壊れるという前提で事故防止を目的として設計すること」である。ジャンボジェット等の旅客機は、エンジンの片方が壊れても、もう一方だけで飛行できるように設計してある。ジャンボジェット等は可燃性の燃料を使用し、かつ高温となる。ジェットエンジンの特性から空中にある浮遊物を巻き込み故障する事例が起こっている。それゆえ、片方のエンジンだけで飛行可能な設計を組み込んでいる。
 設計段階のみならず、数々の段階で民間利用では「公衆」に対する責任を考慮しなければならない。責任の考慮によって達成すべきは、「許容可能なリスク(Tolerable risk)」である。また、「安全(safety)」は逆説で、「受け入れ不可能なリスクから解放されていること(Freedom from unacceptable risk)」と、ISO/IECで定義されている 。同語反復的に定義される「許容可能なリスク」と「安全」は、各製造物によって時代、社会情勢によって尺度が異なるが、その意図する所は、「公衆」に対する責任から、万全の事故予防策を講じるべきという規範性にある。この規範性は技術者が民間ドローン技術を社会内に累積する際に必要となる。その成功例が産業無人ヘリであるのは繰り返し述べている通りである。
 技術者が民間ドローン技術を蓄積する際に「公衆」に対する責任を果たさなければならないのは、技術発展のための基本条件という側面もある。技術史を鑑みれば、数百年以上進んだ技術であっても社会の情勢によって取捨選択を受けていることが明らかなのである。この社会の情勢による取捨選択を乗り越えるために、現代世界では「公衆」への責任を果たさなければならない。その上で、一般大衆は発明の必要性を実感し、民間ドローンを使用するであろう。
その好例が有名なトーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)の蓄音機である。蓄音機は回転円筒状に錫箔を巻き、受音振動板につけた針で深さ方向に録音する方法によって1877年に完成した 。同年、エジソンは蓄音機の使用として、英語の綴りの録音教材など、10通りを公開した。その後、商業的価値がないと助手に告げた後、口述用録音再生装置として販売し直した。しかし、一般大衆はこの録音再生装置を音楽再生に使用した。エジソンは音楽再生に強く反対し、品位を汚すものだとした。彼が音楽再生としての利用を受け入れるのは、約20年が過ぎてからである 。自動車も同様であり、ゴットリープ・ダイムラー(Gottlieb Wilhelm Daimler)が自動二輪車を製作したのが1885年、自動四輪車を製作したのが1896年である。当初は馬車レースに換わる自動車レースとして上流階級の趣味的利用に留まっていた。その後、アメリカ陸軍とフォード(Ford Motor Company)社が第1次世界大戦で一大キャンペーンを展開し、1924年までに1000万台を販売するに至った 。
 トーマス・エジソンの蓄音機は、技術者が発明した用途は一般大衆によって取捨選択を受けるという好例である。トーマス・エジソンの蓄音機は、その後レコードとなり、SONY「ウォークマン」の発明へとつながった。また、自動車は軍事利用が民間利用をけん引する好例である。いずれの例も、技術者が発明した当初の用途ではない点、そして一般大衆の生活を変えていった点が共通する。「ウォークマン」が革新したのは、個人が街頭で音楽を楽しむという生活習慣の点だからである。加えて、1900年代初頭よりも現代世界は一般大衆の消費行動が製造物の生産量を左右する時代である。それゆえに、民間ドローンを拡大させるために、「公衆」に対する責任が、より重く問われるのである。

6. おわりに
 ドローンは軍事利用によってGPSやセンサー類を取り込むことで、「無人標的機」から周辺機器を含む無人航空機システム「UAS」へと進歩を遂げた。ドローンの本質がよりソフトウェアへと移行する中で、軍事補助的な役割から偵察、戦闘へと主要な役割が広がっている。こうした技術的蓄積を民間利用へと解放する時代に入っている。その際に求められるのは、法律面での整備と共に、「公衆の福利」という技術者倫理なのである。費用等の経済性だけでなく、その時代や社会情勢を勘案する「公衆の福利」という概念は、民間ドローンを考察する上で有用な概念である。ドローンと同じく第2次世界大戦前に試作された自動車が郊外を生み出し、インターネットを含めるプログラミング技術が携帯電話やネット空間へと時間を費やす生活習慣を生み出した。ドローンが同様に社会基盤を担うためにも、技術者倫理における「公衆」を考える必要がある。


引用文献

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石井靖男「小型無人機の安全ルールについて」『研究開発リーダ』 Vol.12, No.5 2015
伊東俊太郎・他『[縮小版] 科学史技術史事典』 弘文堂 平成6年 初版第1刷
井上孝司『ドローンの世紀 空撮・宅配から武装無人機まで』 中央公論新社 2015年 初版 
岩本誠吾「ドローンと法規制」『防衛技術ジャーナル』 July 2015
公益社団法人化学工学会「倫理規定」
http://www.scej.org/general/ethics.html
国土交通省「物流状況について」 2014年4月版
http://www.mlit.go.jp/common/001034970.pdf
産経ニュース 「首相官邸にドローン ヘリポートに墜落か確認急ぐ」2015.4.22
静岡新聞「空飛ぶ宅配ピザ始まる」 平成28年10月2日4面
野波健蔵・他『飛躍するドローン マルチ回転翼型無人航空機の開発と応用研究、海外動向、リスク対策まで』 エヌ・ティー・エス 2016年 初版第1刷
藤原秀行「ドローン利用の可能性を探る」『LOGI-BIZ』 JULY 2015
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http://www.designation-systems.net/dusrm/app1/oq-14.html
Bill Lee [First Operational US Navy Drone…Successful in Combat in 1944!]
http://www.nnapprentice.com/alumni/letter/TDR_1.pdf
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https://www.iso.org/obp/ui/#iso:std:iso-iec:guide:51:ed-3:v1:en
I/O編集部『ドローン完全ガイド』 工学社 平成27年 初版
Greg Cleghorne [The Dictionary of American Naval Fighting Ships] published by the Naval Historical Center
http://www.navy.mil/navydata/nav_legacy.asp?id=106 
James R. Holmes [How I Pioneered Drone Warfare]
http://thediplomat.com/2013/08/present-at-creation-how-i-pioneered-drone-warfare/
Jared Diamond 倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄 (下)』 草思社 2000年 第9刷
John D. Anderson Jr 織田剛訳 『飛行機技術の歴史』 京都大学学術出版会 2013年 初版第一刷
Martin J. Dougherty 角敦子訳 『世界の無人航空機図鑑 軍用ドローンから民間利用まで』 原書房 2016年初版第1刷
Newsweek ニューズウィーク日本語版 2015/06/16, 2016/08/16&23
Nicholas John Spykman 奥山真司訳 『平和の地政学 ―アメリカ世界戦略の原点―』 芙蓉書房出版 2014年 初版
NSPE Code of Ethics for Engineers
https://www.nspe.org/resources/ethics/code-ethics
Reginald Denny and Walter H. Righter [The Radioplane Target Drone OQ-3 / TDD-2 and OQ-14 / TDD-3]
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Ron Miller [The First Drones, Used in World War I]
http://io9.gizmodo.com/the-first-drones-used-in-world-war-i-453365075
URBAN AERONAUTICS [AirMule]
http://www.urbanaero.com/category/airmule
YAMAHA 「無人ヘリ開発ストーリー」 R50(L09)[1987]
http://www.yamaha-motor.co.jp/sky/history/r-50-l09/

第2回宿題レポート 12月11日まで

『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 』 竹村公太郎著 
第3章 日本人の平均寿命をV字回復させたのは誰か 62-77頁を読み以下の問いに答えること

問1 最初の読書後の感想(字数制なし)
問2 最も印象に残った一文(全文書き抜き)
問3 問2の理由
問4 現在、何故一千万人都市東京で水道水が飲めるのか
問5 軍事利用を民間利用に転用した他の2つの事例
問6 液体塩素が公衆の福利を達成するために必要な3つの要素(例えば自然科学分野で1つ、社会科学分野で2つ)
問7 製造物が公衆の福利を達成するために必要だった例として液体塩素を挙げたが、技術者である著者竹内氏は、後藤新平を讃(たた)え、開発技術者を讃えないのは何故か
問8 まとめ(考察と感想)(400字以上)

形式:A4など用紙自由 形式(手書、WORD)自由

期限:12月11日まで 但し翌週でも減点し受け取ります。

補足

問4 は『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 』の引用で良い
問5 は『銃・病原菌・鉄 (下)』 ジャレド・ダイアモンド著 倉骨彰訳 を参照すると良い
問6 は講義内容と本文を合わせて考えると良い
問7 は『銃・病原菌・鉄 (下)』 48-77頁を参考にすると良い

第1回宿題レポート要件

第1回宿題レポート 11月20日まで

配布プリントの「『どの宗教が役に立つか』 ひろさちや著 76-85,98-101頁」を読み以下の問に答えること

問1 あなたの身の回りにある幸福を30個挙げなさい。
問2 あなたの身の回りにある快楽を10個挙げなさい。
問3 煙草やスポーツカーや新興宗教のご利益のようにマイナスをゼロにする例を5つ挙げなさい。
問4 新興宗教と本物の宗教の違いをひろさちや氏の文章を元に説明しなさい。(字数制限なし:あなたの考えを入れなくて良い。)
問5 幸福は量で計れるものですか? はい・いいえ を書き、その理由を述べなさい。(字数100字以上:あなたの考えで書きなさい。)
問6 ひろさちや氏の説明について、どこでも良いので、反論しなさい。できれば、三段論法で書きなさい。
問7 以上の設問を参考にし、講義中で取り上げた「ベンサムの最大多数の最大幸福」についてあなたの考えを説明しなさい。(400字以上)
問8 あなたが、現在、最も重要と考える幸福を1つ具体的に説明し、理由を述べなさい。(400字以上)
問9 感想

形式 : A4であること、形式自由 (手書、WORD どちらでもOKです)  枚数制限はありません。
注意:規定の個数が足りない、字数が足りない、場合は零点となります。締め切り後でも、減点して受け取ります。
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