配布プリント「死と日常」と解説

 静岡英和女学院中学校・高等学校様で、60分の講演で配布したプリントです。

 プリントの解答と講演内容の簡単な内容を、プリントの下に書いております。
 実際の講演は、高校生向けですので、わかりやすい言葉をつかいました。

講演は、石上国語教室様の依頼です。

静岡英和女学院女子中学校・高等学校様HP
http://www.shizuoka-eiwa.ed.jp/

石上国語教室様
http://www.kokugokyoushitsu.com/

 以下レジュメです。WORDのA4で1枚配布です。


                              平成29年2月23日
            死と日常
                               高木 健治郎
問1 「死」とは、何ですか?


問2 「死」とは、あなたにとって何ですか?(書ける所までで結構です)


問3 朝目覚めて学校に来るまで、誰かのお陰で来れました。あなたは誰のお世話になったでしょうか。なるべく多くの人を挙げて書いて下さい。



問4 あなたが生まれるために、物質として親は何人必要ですか? [       ]人

問5 同じく、あなたが生まれるために、明治維新(1867年、150年前)に何人の人がいましたか? 
   1世代30年とすると、5世代で150年です。       [        ]人

問6 同じく江戸時代(1603年、414年前、14世代前)は?  [          ]人
   同じく鎌倉時代(1183年や1192年など、約834、825年前、27世代前)は?
                         [             ]人
問7 以上の問から「生きる」ためには何があったのが判りますか?



問8 1月を日本語で正式に言うと何といいますか? [        ]
問9 問8の意味は何ですか?

問10 新約聖書『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』は読んだことがありますか。   はい・いいえ

問11 『ヨハネによる福音書』12章24節
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
はどういう意味だと思いますか。以下に書いて下さい。



問12 『葉隠』の「武士道とは死ぬことと見つけたり」は以下の通りです。
「二つのうち一つを選ばなければならない状態、つまり死ぬか生きるかというような場面では、死ぬほうに進むほ うがよい。むずかしいことではない。腹をすえて進むだけのことである。」
どういう意味だと思いますか。以下に書いて下さい。



 以上、配布プリントです。
 以下、プリントの解答と講演の簡単な内容です。また、加筆修正してあります。

 石上国語教室様よりのご紹介をいただきました。小論文の連続講座の最後を担当する講座です。

 最初に、黒板の上に向かって一礼をしました。壇上に立ち名前を述べました。そして「今日は皆さんにお会いできたこと大変嬉しく思っています。感謝で一杯です」と述べました。高校生の皆さんは、予習をしてきてくれました。ですので、私は

「皆さん、死について調べてきてもらったと思いますが、どうですか?死は調べてみて解りましたか?」
「解らないことが多かったと思います。なぜなら、誰も死んだことがないからです。では、どうして死を考えるのか? 誰もが死ぬからです。そして今日は、この視点を少し離れて観てみたいと思います。」

 という切り出して講演をはじめました。「ではまず、問1を書いてみてください」と言いました。受講生の他に高校の先生方3,4名、同窓会の方3名、国語教室の方2名が聞いて下さいました。

○- 問1 「死」とは、何ですか? -

 死=非日常
 生=日常

 黒板に板書しました。タイトルが「死と日常」です。そして「死」とはなんですか?と聞いています。この2つから導き出されるのは、死=非日常です。なぜなら、「死『と』日常」ということで、死と日常が対になっているからです。このように学問では、言葉、単語、助詞等を大切にします。同時に、クイズではありませんから、必ず導き出すだめの手引き(ヒント)があるのです。授業では教科書であり、高校の授業では先生の説明の順番です。この点に気がつくこと、この点を大切にすることが、高校までの勉強で重要な部分です。

 よく、「高校までの数学や国語は社会で役に立たない」という人がいます。それはこの点を学んでいないからでしょう。もちろん、教師側の責任もありますが。例えば、結婚とは何でしょうか? 市役所に行くと婚姻届をもらえます。そこに名前を書くのは本人同士と、書かなくてもいいですが証人の欄があります。ここから導き出されるのは、「結婚とは本人同士の承認だけで提出でき、かつ市役所に出す法律に基づく行為」というのが判るのです。税金、行政サービス、数々の商売なども、同じように必ず導き出すための手引き(ヒント)があり、それを正確に読み取ることが社会生活を続けていくために必要なのです。初めから、講演では話していない内容を入れ込みました。話をもとに戻します。

 つまり、タイトルから 「死=非日常 生=日常」を書けるようになるのが、学問なのです。そして正解はこの1つしかありません。そして今回の講演の核心部分です。

○- 問2 「死」とは、あなたにとって何ですか?(書ける所までで結構です) -

 他方、死とは個人の想い、という側面もあります。私には2人のおじいちゃんと2人のおばあちゃんがおりましたが、全員死にました。私に将棋を教えてくれた半身不随の母方のおじいちゃんが大好きでした。あまり話さない人でしたが、岩手県に里帰りすると何ともなしに歓迎してくれたのです。その静けさが好きでしたし、今でも逢いたいと思うのです。これは私の個人の想いです。この面は重要です。静岡県ボランティア協会様は、「ケアする人のケア」と題して、介護職や看護職など人の死に向かうあう人のケアの問題を取り組む連続講座を開催して下さいました。私も当時「ターミナルケアにおける死」という授業を介護職を目指す学生さんに教えていましたので数年参加しました。ちなみに、静岡新聞社から本としてまとめられています。

『一人じゃないよ ケアする人のケア』 静岡新聞社編纂 2008年

 この講座の中で、内藤いづみ先生のお話が心に残っています。在宅死、つまり日常生活を過ごしているいつもの家で死ぬ、家族に死をみとってもらうのを、いち早く取り組まれたのが内藤先生です。先生は、ご講演の中で「寝る前に布団に入って、今日よかったことを3つ思い出して、感謝をします」と仰られておりました。それから、私も講演では言いませんでしたが、毎日続けています。死の看取りを実際に考える時、内藤先生の方法はありがたいものです。そして、それを真似する必要はありません(問1のように正解は1つではありません)。死の想いの受け止め方は1人1人異なり、それで良いと思います。この問題は、死ぬまで考え続けていく問題だと思いますし、話は長くなりますので、この辺にしておきました。ただ、ポイントは以下の通りです。

☆現在の日本では、「死」=個人の想い の視点に集中している
☆学問としての「死」と個人の想いの「死」は別の問題である

 話を「死=非日常」に戻しました。
非日常というのは、所有権で考えると解りやすくなります。死者には所有権がありません。ですから遺産、遺言などの問題が出てきます。日常では人が所有権を持つことで成り立っています。ですから、お金を所有している前提で、コンビニやスーパーがあるのです。車のローンを組むのもその人が生きていることが前提です。
 個人の心でも同じです。

 生=日常=当たり前

 と思うから、学校は行くのがめんどくさくなります。授業を受けるのが当たり前だから、「あの先生の授業は嫌い。好き」があります。当たり前だから、この授業も1日の授業が終わってから、さらに受けるのは面倒くさい、と思う訳です。それは社会生活を営む前提ですから、そうなるのです。対して同じことを

 死=非日常=当たり前でない

 と思ってみましょう。学校は今日が最後です。めんどうくさい、と思いませんね。「最後の授業だから一所懸命聞こう」となるわけです。教室の外を見てください。夕日がさしてきています。皆さんどう思いますか? いつもの夕日=当たり前と思えば、まぶしいな、とか、もう夕暮か、と思うでしょう。けれども、末期がんで明日明後日の命の人、ホスピスに入っている人はこの同じ夕日をどのように感じるでしょうか。

「なんと美しい夕日なのだろう。その夕日に照らされている世界は美しいなぁ」

と感じ入ることでしょう。つまり、死=非日常の視点を持つと、生きていることが当たり前ではなくなるのです。それをより具体的な話で考えてもらいます。

○- 問3 朝目覚めて学校に来るまで、誰かのお陰で来れました。あなたは誰のお世話になったでしょうか。なるべく多くの人を挙げて書いて下さい。 -

 高校生の皆さんは親と書いてくれました。また、優れた学生さんがいまして「漁師」と書いてくれました。素晴らしいですね。私の伝えんとすることをしっかり理解してくれています。答えは「数え切れないほど多くの人」です。朝起きるとき、布団かベッドで寝ているでしょう。その布団やベッドはあなたが自分で作ったものでしょうか? 誰かが布を作ってくれ、デザインをして工場の人が作ってくれ、会社の営業の人が宣伝をしてくれ、そしてお店の人から買ったから寝ることできたのです。寝巻(パジャマ)もそうです。「漁師」と書いてくれた人はお魚を朝食に食べたのでしょうか。朝ごはんの材料を全部自分だけで採った人はいないでしょう。2000年前は自分で採るのが当たり前だったかもしれませんが。起こしてくれたのは誰でしょうか? 携帯電話や目覚ましなら、それを作ってくれた人などなどがいるのです。道路は昔の日本人が税金を払ったからできたのです。水を飲んだのなら現在の水道システムを作ってくれた人、例えば後藤新平が塩素殺菌による現在の水道水を作ってくれました、のように数多くの人のお陰なのです。税金はみんなが生活しやすいようにと払ってくれたからなのです。その方たちは現在どうなっているでしょうか、もう全員亡くなっています。つまり、私たちの社会が成り立つためには、数多くの人の死=非日常があるためなのです。

 私が最初に「皆さんにお会いできたことを嬉しく思いますし、感謝しています」と言いました。それはもちろん皆さん1人1人にも感謝していますが、ここに来るまでにお世話になった人々への感謝も意味しているのです。(私が講演の前に黒板に向かって一礼をしたのも同じです)

 ですから、皆さんが大人になっていく、ということは年齢が18歳や20歳になることだけではなく、そのお陰に気が付き、そしてそれに感謝して、自分が皆のために働くことも意味しています。社会の死=非日常から、物質として考えてみましょう。

○ー 問4 あなたが生まれるために、物質として親は何人必要ですか? [       ]人 -

 すぐに書いてくれました。正解は「2人」です。「物質として」とわざわざ書いたのは、高校時代は両親と上手な関係を持っていることが少ないからです。私自身、父親が大嫌いで、顔を観るのも同じ空気を吸うのも嫌でした。高校時代は思春期で自我が混乱する時期ですし、親離れをする時期ですから、そのようになるのです。また、離婚率が33%を超えていますから、ご両親が離婚されている家庭もあるのです。そうした社会的な関係を抜く、という意味で「物質として」と書きました。

○- 問5 同じく、あなたが生まれるために、明治維新(1867年、150年前)に何人の人がいましたか?  -
   1世代30年とすると、5世代で150年です。       [        ]人

 親は2人、祖父母は4人・・・です。これは、2の0乗=1(私)、2の1乗=2(親)、2の2乗=4(祖父母)・・・ですので、150年前の5世代は2の5乗=2×2×2×2×2=32です。

 これも学生さんが答えてくれました。なので、32人の人がいなければ、1人の人間は存在しないのです。32人の内、1人でも病気で亡くなったり、事故で死亡していれば、あなたはいなかったのです。これは純粋に数理で導き出されます。そう考えてみると、私が存在してることの軌跡(奇跡)に想いが深まります。ではさらにさかのぼってみましょう。

○- 問6 同じく江戸時代(1603年、414年前、14世代前)は?  [          ]人
       同じく鎌倉時代(1183年や1192年など、約834、825年前、27世代前)は?
                                      [             ]人 -

 江戸時代は2の14乗で「1万6384人」で、鎌倉時代は2の27乗で「1億3421万7728人」です。
面白いことに、日本の現在の人口とほぼ同じ人数になります。1億人の内、幾人もかぶっているでしょう。ですから、日本人が「話し合えばわかる」という意識は数理に基づくと言ってもいいでしょう。それにしても興味深い一致です。数学はこうした興味深い一致がたくさんあります。

 日本は世界最古の国家です。今年で2677年目になります。そうすると2の89乗=10の26乗になります。全宇宙の星の数がたった2000億です。現在観測されている広さが、丁度10の26乗mです。日本が建国された時までさかのぼると、その1人1人が1m置きに立つと全宇宙の大きさと同じになる・・・想像を絶するほどの数なのです(諸説あります)。

○- 問7 以上の問から「生きる」ためには何があったのが判りますか? -

 ここでも学生の皆さんの解答にうなる場面がありました。ただ、挙手を求めましたが、緊張しているためか中々あがりませんでした。それはそうかもしれません。と言いますのも、後ろに同窓会の方が3名、教頭先生を始め数名の先生がいらっしゃるのですから。指名をして答えてくれた解答は、

 「多くの人の非日常」

 素晴らしいです。タイトルの手引きから導き出してくれました。知ってもらいたい感じてもらいたいのは、「死=非日常」という視点から見てみると、多くの人の非日常によって当たり前の世界が作られているということです。人は独りで生きているように錯覚します。現代社会はますます便利になっていますから、そのように錯覚しやすくなっています。「生きる」ためには、「多くの人の非日常」があるのです。例えば、この講演をするために、後ろに座っていらっしゃる方々のお陰で皆さんに逢うことができたのです。ご先祖様が居たから、生まれてこれたのです。道路や服なども数多くの方のお陰です。この点をお伝えしました。

○- 問8 1月を日本語で正式に言うと何といいますか? [        ] -

 睦月(むつき)です。これも正解を書いてくれている学生さんに答えてもらいました。「意味は解りますか?」と聞くと「解りません」と答えてくれました。

問9 問8の意味は何ですか?

 「睦(むつ)みあう」=「家族仲よくする」という意味です。お正月は死んだ祖先が歳神(としがみ)様として帰ってくる月です。つまり、数億人以上の先祖のお陰で私は今日生きていられることに感謝する月です。皆さんも遠い親戚と久しぶりに逢うとご馳走を食べるでしょう。それと同じです。「死んだ家族も含めて仲よくする」=「睦月」=正月の意味なのです。

 ちなみに、歳神様は初日の出で飛び出して、門松を目指し、しめ縄(玄関につける丸い縄)を通って家に入り、おもちにいらっしゃいます。そのお餅を鏡餅と言います。神社は神様がいる場所に鏡が飾ってあります。ですから、その時は家の鏡餅に遊びに来て、一緒にお祝をしてくれるのです。そしてお正月が終わって神社にもどられるのです。静岡市では浅間神社内に、大歳御祖社(おおとしみおやじんじゃ)というのがあり、静岡市の死んだ方がいらっしゃる場所のようです。

 では、このような考え方は日本だけなのでしょうか。世界に目を向けて観ましょう。

○- 問10 新約聖書『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』は読んだことがありますか。   はい・いいえ -

 多くの方が「はい」に丸をしてくれました。英和女学院中学校・高等学校のHPを拝見していまして、4つの福音書からの引用が数多くあり、伝統を大切にされていることが伝わってきました。また、現代風なHPのレイアウトとよく合っていると感じました。

○- 問11 『ヨハネによる福音書』12章24節
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
はどういう意味だと思いますか。以下に書いて下さい。 -

 「自分の生きること=当たり前だと考えると独りになりますよ。もし、自分の生きること=当たり前ではない、と考えると多くの方々のお役に立てますよ」

 という意味だと高木は読みました。ただし、この場面はいくつか解釈があります。まず、「あなたがた」と呼びかけているのはイエス様です。相手はギリシャ人です。第12章20節で「祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数人のギリシヤ人がいた。」とあります。ギリシャ人はイエス様に書かれていないのですが、祭りについての不平不満、多分、ユダヤ人の民族主義的な部分、現在でいえば差別的な部分について文句を言ったのでしょう。それに対してイエス様は「それはいい」や「それは悪い」とお答えにならず、上のように答えられたのです。

 つまり、麦がそのまま麦でいるのは当たり前のことです。生=日常を続けることです。けれども、そうなると孤立してしまうのです。例えば、高校生の皆さんは働いていません。このまま働かないで友人と遊んだり、楽しく(あるいは苦しくとも)生きていこうとしたらどうなるでしょうか。30歳、40歳になっても家にいて働かず、空いた時間は自分のためだけに使えるという生活です。そういう人は孤立するのではないでしょうか。あるいは、結婚したとします。新婚ほやほやのままの状態で、ずーっと伴侶に同じことを何十年もしてほしい、と変わらないままだとしたらどうでしょうか。若いうちはいろいろな社会のお役が回ってきません。町内会の班長にしてもお当番にしても回ってきません。私もそうでした。けれども今は、数か月に1回資源ごみ回収で朝、回収場所に立ちます。班長も来年回ってきます。回覧板を回したり配布物をもらいにいくことでしょう。それを「今までなかったから、面倒くさいから」とやらなければ、町内で孤立してしまいます。イエス様のお話を少し身近な話にしてしまいました。もとに戻します。

 イエス様は、ギリシャ人にもユダヤ人にも同じように「自分たちの当たり前だけを相手に押し付けては孤立しますよ。そうではなくて死ぬ覚悟で融和に努めれば、多くの実りがありますよ」と言っておられるのです。偉大なお言葉です。

○- 問12 『葉隠』の「武士道とは死ぬことと見つけたり」は以下の通りです。-
「二つのうち一つを選ばなければならない状態、つまり死ぬか生きるかというような場面では、死ぬほうに進むほうがよい。むずかしいことではない。腹をすえて進むだけのことである。」
どういう意味だと思いますか。以下に書いて下さい。

「 生きる=当たり前、と死ぬ=当たり前ではないを選ばなければならなくなった時、死ぬ=自分の欲を捨てる方向を選びなさい。それは覚悟が要りますが、選びなさい。」

 となります。言葉は異なりますが、先ほどの一粒の麦と同じ意味なのです。仏教でいえば「死ぬ=欲を捨てる」という意味です。

 ここまでの講演の内容を踏まえて例えてみます。
 明日はテストだとします。

「ああ、勉強しないとな、でも面倒くさいな。だって、勉強しても成績にも就職にも関係ないし、得にもならない。無駄じゃん」

 という場面です。「勉強しない=楽=欲=得にならないことをしないのは当たり前」と「勉強する=苦=欲を捨てる=得にならなくても覚悟をしてやる」で、勉強しなさい、という風になります。人は生きるために欲を持ちます。けれども、悩む場面があった時、欲を捨てなさい、というのです。『葉隠』では「死にぐるい」とも言っています。意味は「死者は欲がない。だから毎朝死ぬんです。そして欲にまどわされずに、皆のために働くのです」と言っています。イエス様と『葉隠』が時代を超えて同じことを言っているのです。
 それは、「生=日常=当たり前」と「死=非日常=当たり前ではない」という対立で比べると観えてくることです。

 現代の私たちの社会は、一見すると自分の得を考えている人だけが作っているように見えます。けれども、実はそうではないのです。自分の得だけを考えれば税金を納める人は少なくなるでしょう。街は汚くなるでしょう。もっと犯罪が増え安心できない社会になるでしょう。道路がこんなにもきれいに保たれているのは世界190カ国以上の中で当たり前でしょうか。街がこんなにもきれいなのは当たり前でしょうか。私は「静岡駅周辺が他の県庁所在地よりもきれいだからと移住してきた」と言っている人に会ったことがあります。確かに静岡市はきれいな方です。

 私は毎朝、神社に息子、娘2人を連れてお参りに行きます。雨の日はいきませんし、結構気楽にお参りしていますが、毎朝、おじいちゃんやおばあさんが家の前の道路をはいて下さっています。「おはようございます」とあいさつをしています。1度、「いつもはいて下さりありがとうございます」と言ったことがあります。するとそのおばあちゃんは、「あら・・・」と言って家の中にひっこんでしまいました。なぜなら、褒められるために掃いているからではないからです。後日お話をうかがうと「通る人が気持よくなるために」と仰って下さいました。毎朝早く起きるのは面倒くさいです。掃除するのも面倒くさいです。でも、知らない誰かのために掃いて下さっているのです。学生の皆さんに

「 問3 朝目覚めて学校に来るまで、誰かのお陰で来れました。あなたは誰のお世話になったでしょうか。なるべく多くの人を挙げて書いて下さい。 」

 を思い出して下さい、と言いました。皆さんが朝通ってきた道は汚かったですか?と。道路は国や県の管理下ですから、本来は清掃員が来てきれいにするものです。汚くなかったとしたら、清掃員を毎日みていますか?と聞きました。ということは、きれいな道は当たり前=生きる=欲、ではないのです。誰かが自分の欲を抑えて=死できれいにして下さっているのです。そのことに気がついて欲しいです。ですから、毎朝、先生や友人に会って挨拶をするのは、「ここまで来れた人に感謝する」という意味もあるのです。また、奉仕も同じです。私達は多くの方の奉仕=死によって支えられています。その自覚が奉仕へと向かうのです。

 「労働と働く」の違いが判りますか?

 と問を出しました。「働く」は日本でできた漢字です。日本語はもともと文字がなく音に意味がありました。「はたらく」=「八方楽く」の意味です。この場合の楽、は先ほどまでの「生=楽」とは違う意味です。たとえ話をします。

 皆さんが明日から今日という日は1日しかない。だから、一所懸命授業を受ける、と頑張ります。数日すると充実が感じられるでしょう。そうすると「肉体が楽ちん=快楽=苦痛がない」ではなく、「精神な充実感=楽しさ」を実感するでしょう。そうすると本人の「心が美しく」なります。この点を思想として打ち出しだのは江戸時代の石田梅岩先生です。次にその姿を親が見たらどうでしょうか。ああ、英和女学院に行かせてよかった、と楽しくなるでしょう。そしてその頑張る姿を見て、先生は「お、頑張っているね。」と喜んでくれるでしょう。そうして勉強をがんばる姿勢は(成績に関係なく)、アルバイトでも仕事でも社会全体の役に立つでしょう。そうやって自分が怠け心を捨てて頑張ること、そして自分も周りも楽しくさせること=「はたらく」というのです。先ほどの、誰にも褒められなくても家の前を掃除しているおじいさん、おばあさんの動きは「はたらく」そのものなのです。

 今回は、「死=非日常」と「生=日常」と対比させて、色々な点を挙げました。「死=非日常」から見ると、当たり前が当たり前でなくなる、という所を伝えました。

 質問を受け付けた後(ありませんでしたので)、感想を書いてもらいました。
 最後に、講演をできましたことに感謝をして、黒板に一礼をして終了しました。

 石上国語教室様の講演の意味を小論文から説明をされました。
 同窓会の方々、先生方に心のこもったお言葉と対応を頂きました。感謝申し上げます。

 講演が終わり校門を出ますと、すっかりと日が落ち、風が寒くなっていました。
 家に帰り早速、全ての感想を2回目を通しました。自分自身で深く考えてくれたこと、「死=非日常」の対比とその意味を受け止めてくれたことが伝わってきました。誠実な学生さんに恵まれたことに感謝のことばが、溜息のように思わずこぼれました。
 




スポンサーサイト

講演レジュメ「日本人の善いこと ―国歌に込められた想い―」

 榛南(はいなん)ロータリークラブ様で、30分の講演で配布したレジュメです。

榛南ロータリークラブ様HP
http://hainan-rc.jp/
配布したレジュメを「資料」として公開してくださっています。
http://hainan-rc.jp/wp-content/uploads/26023ea001a6daa74bd16935bf4a749b.pdf

カラ―ですので、イギリス国旗やアメリカ国旗などが綺麗です。さざれ石もよく見えます。私のレジュメでは掲載していませんので、出来ればこちらをご覧くださいませ。

 講演では、掛川の由来など幾つか付け加えました。
 以下、レジュメになります。


                               平成29年2月14日(火)

日本人の善いこと ―国歌に込められた想い―
                                高木 健治郎


 「善いことをしたい。残したい。」というのは多くの人が想うのではないでしょうか。では「どのようなことが善いこと?」なのでしょうか。「哲学」などの講義で話している内容をお話し致します。

 「善いこと」は、国によって異なります。国旗・国歌がばらばらなのも異なるからです。では、日本人の善いことを、国歌「君が代」を歴史的事実に基づいて見ていきましょう。まず、結論からです。

結論 「善いこと」

イ) 真理や芸術の前では、みんな平等である =善
ロ)平和を愛する =善
ハ)上と下がお互いに思いやり助け合う =善
二)全ての人が自分の個性を大切にする =善

 この4つは、イギリスやアメリカ、フランスの国歌の全ては歌われていません。それぞれの歴史で善いことが異なります。

国歌「君が代」の歴史
「君が代」について3点を述べていきます。

 ①和歌文化
 ②皇室と権力
 ③細石(さざれいし)

① 和歌文化について

「君が代」は元々和歌で、世界の国歌の中で最も短い歌でもあります。和歌は『万葉集』に最初にまとめられ、『古今和歌集』から盛り上がってきました。醍醐天皇の勅命により編集開始され、延喜(えんぎ)五年、西暦905年に『古今和歌集』の奏上を受けられました。『枕草子』や『源氏物語』に数多く引用され深い影響を与えました。
『古今和歌集』の講義や解釈は教養そのものとされ、宮中や公家や歌人には必須となり、数々の学問の系統が生まれました。日本で学問といえば、『古今和歌集』となりました。
その『古今和歌集』の特徴は、醍醐天皇の御製(ぎょせい:和歌)から紀貫之などの貴族を含め、名もなき庶民の歌まで入っていることです。実際1111首の内、醍醐天皇の御製は43首あります。他方、醍醐天皇は家集『延喜御集』を出されるなど文人であらせられました。
この事実は、歌の出来不出来の前では、つまり芸術の前では、権力や権威が関係ないという高尚な考え方が見て取れます。同時代の諸外国のように芸術を上流階級が独占することなく、皇室から民までが一体となって愛したことで、和歌文化の隆盛を極めたのです。つまり、

   イ)真理や芸術の前では、みんな平等である =善

という意味を「君が代」は持つのです。これは明治期にも形として現れます。「君が代」は「歌詠み知らず」、つまり作者不明の歌です。しかし、庶民が神事や仏事、結婚式のお祝いごとで歌い継いできたので、国歌に採用したのです。『古今和歌集』には醍醐天皇の御製、明治天皇の御製ではなく、作者不明を採用したのです。「歌の前では万民平等である」のです。さらに、天皇陛下の誕生日(天長節:てんちょうせつ)にも「君が代」を歌うこととしたのです。皇室が民の想いを優先されていることが伝わってきます。

② 皇室と権力について

醍醐天皇の時代は和歌文化の隆盛や違法な荘園の公領化などによる国家財政の立て直しなどで、平和で豊かな時代が訪れました。「延喜の治」としてたたえられますが、権力から観てみると、藤原の摂関政治が確立し、政治上の安定がもたらされた時代でもありました。
『古今和歌集』では「我が君は、千代に八千代に・・・」と詠まれていましたが、「君が代は、千代に八千代に・・・」に変わりました。これは「皇室の治世」を願う気持ちが前面に込められています。では、「皇室の治世」を権力から観てみましょう。すると、「天皇の勅命により皇室から権力が離れていく」という歴史的事実が浮かび上がってきます。時系列で並べてみます。

○天皇から皇族へ:聖徳太子         
  ↓
○皇室以外も権力に介入:大化の改新
  ↓
○皇室から貴族へ:藤原の摂関政治 =君が代
  ↓
○皇室から貴族以外へ:平氏政権
  ↓
○皇室から外(鎌倉)へ:鎌倉政権
  ↓
○皇室から民へ:明治維新

 聖徳太子から始まりますが、天皇から権力が徐々に遠くになっていきます。それぞれの時に揺れ戻しも置きますが、また、天皇の勅命によって権力が外部へ外部へと出ていきます。これによって皇室は権威と権力を分離して、安定と継続性を得られるのです。
 藤原の摂関政治は制度として初めて皇室から権力が宮中の貴族へと渡った制度です。そうした安定と継続性を「君が代は」と歌い上げたのです。権力は優秀な者が争い、その任命を天皇が権威によって行う、というのが2677年続く日本の歴史です。天皇によって任命を受けていない権力者はただの1人もいません。織田信長も武田信玄も上杉謙信も国旗「日の丸」を掲げて戦いました。
これらから、「君が代」に込められた心とは、延喜の治のように平和で文化を大切にする日本が末永く続きますように、との想いだと考えられます。

  ロ)平和を愛する =善
  ハ)上と下がお互いに思いやり助け合う =善

③ 細石(さざれいし)について

 細石とは、1つ1つばらばらな大きさ、種類の石を石灰質などが接着させてできる石を指します。大理石などよりも軽く、弱いので建築資材などに向いていません。ですから、便利性や有用性などにおいては劣る石です。それを歌い上げる、のですから、そこには日本人の心が入っていると考えられるのです。以下は、「賀茂(かも)神社のさざれ石」です。(伊勢)神宮などにもあります。

 「一つ一つの大きさ、種類の違う石があること」を「1人1人の能力や所属集団が違うことがあること」と見立てたのでしょう。つまり、「人間社会では一人一人が違ってよい。そのままでよい。そしてその上で一つの石になり、巌(いわお)のように一心同体になろう」という日本人の心です。聖徳太子「和を以て貴しと為す」と同じ心です。細石は建築資材などとしては劣りますが、そこに人間社会のあり様と理想を観たのだと考えられます。

二)全ての人が自分の個性を大切にする =善

「君が代」の意味

 ①~③をまとめてみましょう。すると「君が代」の意味が明らかになってきます。歌詞を先に挙げます。

「君が代は 千代に八千代に  細石の 巌となりて 苔のむすまで」

意訳
「皇室を頂く世の中が末永く続きますように
 一人一人が違うままでよく、その上でみんなが一体となり岩のように固く結びついて、新しい境地が開けますように。そういう皇室を頂く世が末永く続きますように」

 「君が代」が神事や仏事など宗教を超えて、狂言や浄瑠璃などの文化を超えて、お祝い事や結婚式で歌われてきた訳が明らかになりました。どこにも戦争を意味する単語も、文意もありません。諸外国の国家には「爆弾」や「敵」や「血」や「奴隷」など戦争に関わる単語が数多く出てきます。敵を倒せ、というアメリカ国歌やフランス国歌など、女王だけを神様お守りください、という英国国歌などがその代表例です。

苔のむすまでの面白話

 最後の「苔のむすまで」にはいくつか解釈がありますが、「苔という新しい生命の誕生」と「苔が生えるまで末永く」の両方の意味があります。もう一つ苔は澄んだ水の中でないと生えませんので「清浄なままで」の意味もある、との説もありました。
 結婚式では、男と女という別の志向をもつ人間が一つの家に住み始める式です。ですから、細石の石灰質のように結びつけるものが必要です。その際、男に完全に女性が従う、や女性に完全に男が敷かれるというのではないのが理想です。細石そのものです。男も女もそのままでよいのです。その上で何とか仲良くしよう、それが理想なのです。そして、苔は、「新しい家」を意味するでしょう。あるいは「赤子」という新しい生命を意味するでしょう。そして結婚が末永く、仲良く(喧嘩せず=清浄なままで)という意味を込めたことでしょう。ですから、結婚式で「君が代」が民の間で歌い継がれてきたのでしょう。

 平和を愛し、新しいものを育てる気持ちを込めた「君が代」は日本人の心が見て取れます。対して欧米では「苔むす」の意味が正反対です。
 
「転石苔むさず(A Rolling Stone gathers No Moss)」
gather:収穫する。ものが蓄積する。Moss:苔。
日本では「1つのことを長く続けないと成果が出ない」の意味
アメリカでは「才能のある人は活動を続けて古くならない」の意味で日本と正反対。

イギリス、アメリカ、フランスの国歌

イギリス国歌
題名「神が私たちの女王を守らんことを」

神が私たちの慈悲深い女王を守らんことを
私達の高貴な女王が長く生きんことを
神が女王を守らんことを
彼女に勝利を送れ、
幸福で栄光ある、
長く私たちの上の統治へ、
神が女王を守らんことを!

おお主なる神よ、立ち上がれ、
私たちの敵を追い散らし、
彼らを倒せ!
彼らの悪辣な企みを失敗させ、
彼らの政治を混乱させよ、
あなたの上に私たちの希望を私たちは据える、
神が女王を守らんことを!

・・・後略・・・

○女王礼賛のみ 民は出てこない
○敵を倒すことを賛美している
○神の存在を前提としている

 英国は国旗で聖ジョージを象(かたど)っており、キリスト教を中心とした国であることが判ります。そのキリスト教の神が女王を守ることを歌っています。国旗はローマ法王が授けた十字の旗であり、倒すべき敵は異教徒です。現在も封建制度を続けるイギリスらしさが国歌に見事に現れています。
アメリカの国歌
題「星条旗」
(フランスとアメリカの戦争で捕虜を弁護士が助けにいって
船の中で一泊した後の朝日を見る場面の歌です。)

おお、あなたは見ることができるか、
夜明けの早い光によって、
あんなにも誇らしく、私たちが黄昏の最後の輝きで
歓呼して迎えたものを?
誰の広い縞と明るい星が(注:星条旗を指す)、危険な戦いを通して、
私たちが見た城壁の向うに、
あんなにも雄々しく翻っていたか?

・・・中略・・・

そしてあんなにも自慢げに誓ったあの一団はどこか
戦争の荒廃と戦闘の混乱が
故郷も国も私たちにはもはや残さないだろうと!
彼らの血は彼らの不潔な足跡の汚れを洗い流した。
避難所は彼らの雇われ人と奴隷を助けられなかった
敗走の恐怖と墓の暗闇から:
そして星条旗が勝利の中で翻る
自由の土地と勇者の故郷に。

・・・後略・・・

○戦いの歌であり、勝利を礼賛する
○敵を殺害したことを誇る
○傭兵と奴隷が出てくる

 作曲は当時のヨーロッパの流行歌で、その替え歌です。替え歌は色々なバージョンがあります。アメリカがヨーロッパから独立する過程で戦争を繰り返してきた歴史が見事に表現されています。


フランスの国歌
題:「マルセイユの歌」

立ち上がれ、祖国の子供よ、
栄光の日が来た。
私たちに対して、専制政治の
血染めの旗が掲げられる、
血染めの旗が掲げられる。
聴け、野原で、これらの獰猛な兵士が叫ぶのを。
彼らが私たちの腕の中にまでやってくる
あなたたちの息子たちと配偶者たちの
喉を切るために。

CHORUS:
部隊へ、市民たちよ!
あなたたちの大部隊を形づくれ!
行進しよう、行進しよう!
不潔な血が私たちの溝を潤さんことを。

・・・後略・・・

○敵が出てきますが、専制政治側です
○どこにも逃げられないと言う=大陸国家らしい
○敵の血を流させるために軍隊を作ろうと言います

 フランスはルイ14世の打倒を国家の出発点としています。ルイ14世は専制政治の代表であり、フランスの歴史に根ざしています。また、フランスは英国、ドイツ、イタリアなどに囲まれた国で、否応がなく戦争に巻き込まれる土地でした。そのため、防衛戦争という意識が強いのでしょう。フランスの地理的条件、歴史などが表現されています。

哲学5-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○先生にとっての人生観が変わる本を教えて下さい。

★はい、有り難う御座います。五十沢二郎著『中国聖賢のことば』です。エッセイを書いているので、下の記事を見てみて下さい。
エッセイ「【學問】五十沢二郎氏の八佾第三」
http://takagikenziro.blog.fc2.com/blog-entry-406.html

○ソクラテスの神の声は聞こえたのではなく、長年考えてきたことがようやく分って、分ったのは神のお蔭と錯覚したんじゃないかな、という疑問が出てきた。

★講義を聴いて自分だけの疑問が出てきたのは嬉しいことです。是非とも、○○くんの人生の中で探求していって下さい。私もそういう疑問が幾つかあります。

○この前、他の講義で「友達の良い所を見つける」というものをやりましたが、あまり知らない友達にはほぼ想像で書いてしまったことを思い出しました。その中にも私の「欲望」が潜んでいるのでしょうか・・・確かに友達に「こうなってほしい、こうでいてほしい」という気持ちが出てしまうかなと考えられるのでしょうか。

★そうですね、潜んでいると思います。加えて、人をどの基準で見るか、にも「欲望」が潜んでいると思います。

○ソクラテスの否定の考え方はとても大変な考え方だと感じた。しかし、その考え方に行き着くことことで、国を守ることができたのではあれば、その人生は幸せを感じれたのではないだろうか。

★そうですね、幸せを感じていたでしょう。今後、クセノフォンのソクラテス像を読んでもらいます。さらに深めて下さいね。私は幸せと同時に、達成感、使命感もあったと推測しています。

○最後に習った、4年間の授業を真剣に受けた人と差がとても開く言葉を忘れないように、今後取り組みたいです。

★1つでも心に残ることばがあって善かったです。講義を今後も頑張ります。有り難う。




哲学5-1 哲学とは

 皆様、こんにちは。

  講義連絡

配布プリント B4 3枚
:『語り継ぎたい 美しい日本人の物語』 占部賢志著 第八話 シベリアの凍土にさまよう孤児を救え 128-143頁

回覧本
:『語り継ぎたい 美しい日本人の物語』  占部賢志著 :宿題の内容
:『反哲学史』 木田元著 :講義の底本として

 
 --講義内容--

 前回は日本の真・善・美の最終回でした。「素晴らし日本女性を知ろう」という題でした。今回から哲学に入っていきます。前回の日本の思想は2600年以上の歴史があり、古代ギリシャの思想は3000年以上の歴史があります。この2つの思想は、地域や文化を超えて共通する主題(テーマ)があります。まずその点を取り上げていきます。そして今後、古代ギリシャ思想が哲学に深まっていく様、哲学の深さを説明していきます。わくわくするような、そんな体験を少しでも味わってほしい、と願っています。
 また、昨年度の講義では第6回に行った内容を今回の第5回に持ってきました。昨年度の第5回の内容は、哲学の理解が深まった後で行う予定です。また、哲学は数学を基礎としています。ですから、現在では理系に非常に近い学問という面がありました。その辺りも強調しました。

哲学の主題は、「民主主義で良いのだろうか?」という疑念から出発します。この疑念が21世紀の現在にも通じています。政治方面では国内政治や国際政治の本質は各自が学んでもらわなければなりません。哲学では、人間の愚かさの本質について追及します。それは政治の根底にあるものなのです。

 次に、哲学の主題は、「民主主義で良いのだろうか?」という疑念を行動にすることで発芽してきます。その発芽を行ったのがソクラテス、花を咲かせたのがプラトン、実を回収し、別の場所に植え替えたのがアリストテレスです。今回はまず、発芽を担当したソクラテスから哲学を見ていきます。

 哲学の概略を埋めてみましょう。

哲学とは ・・・ プラトン(に始まりニーチェに終わる)
哲学とは ・・・ ペロポンネーソス戦争に始まり第2次世界大戦に終わる
哲学とは ・・・ 特殊に始まり普遍に終わる
哲学とは ・・・ 頭の中に始まり行動で終わる

 ポイントは、私達日本人が持っている「哲学とは頭のいい人が何やら難しい本を読んでいる」というイメージは誤っていて、実際に行動することを目指していた、という点です。そして戦争に始まり戦争に終わる。より具体的な現実に結びついていて左右されるということ、現在は哲学が終わってしまい、哲学の解体の段階であることです。少し難しい説明になりました。より具体的に見ていきましょう。学問ですから、最初は語彙の定義から入っていきます。

-「哲学」の用語 

 「哲学」の用語についてです。「哲学」は明治初年、西周助(後の西周(あまね))が使いました。ちなみに学は「學」という字でした。それ以前に、ソフィスト(知識人)を「賢哲(けんてつ)」、ソクラテスを「賢哲を愛する人」と訳していました。「賢哲」は宋代の儒家周敦頤(とんい)が『通書』の中で「士希賢」とありました。そのため「賢」は儒家の用語として避け、「賢」とほぼ同じ「哲」を使いました。そこで「知を愛する」=「賢(哲)さを希(のぞ)む」」=「希哲」としました。その後、何故か『百学連環』で「哲学」となりました。
 この流れを観ますと、「哲学」は「ソフィスト」の「賢哲=哲」の意味になってしまいます。ソクラテスの「賢哲を愛する人=希哲」ではなくなってしまいます。ソクラテスはソフィストを否定しようとしたのですから、何とも皮肉な結果です。そして現在の日本の哲学のみならず、西欧の哲学が神学になり知識だけの学問になってしまった現状ともすっぽりと重なるかのようです。このように誤訳が判っていながら訂正されていない単語は、色々あると思いますが、「アメリカ合衆国」もその代表例です。USAは「United States of America」で「State」は州や国、政府の意味です。本来の訳語としては「アメリカ合州国」が正しいのです。つまり、

 哲学:本来の希哲学者の敵、ソフィストのこと :知識を利益のために使う人々
希哲学:本来の希哲学者のこと ソクラテス、プラトン、アリストテレスのこと :知識を祖国のために使う人々

 です。

 講義の科目も本来は「希哲学」とすべきです。しかし、誤訳がまかり通っている、という訳です。

ーー(本年度の講義)--

 福沢諭吉は、権利の訳語に反対します。それは本来、権利(Right)は義務が一体であるのです。これを別々の単語で訳してしまうと、必ずや「権利だけ主張して義務を放棄する人々が出てくる」と言ったのです。ですから、「権理」や「通義」と訳すべき、としました。福沢の予想通り、「権利だけ主張し、私は弱者だから義務を放棄する人々」が現れてしまいました。誤訳はこのように色々な所にありますし、誤訳による影響力もあるのです。

 --(昨年度の講義より抜粋)--

―「哲学(Philosophy)」の特殊な使われ方

 それでは、「哲学」が最初に特殊な使われ方をしていたので説明していきます。哲学=「Philosophia(フィロソフィア)」は、ソクラテスが特殊な意味を込めて使い出した言葉です。約2500年前の造語が現在まで残っているのですから、驚きます。

ギリシャ語で「Philosophia(フィロソフィア)」は
英語で「Philosophy(フィロソフィー)」、フランス語「Philosophie」、ドイツ語「Philosophie(eの上に(’)コンマ)」でほぼ同じです。

「Philo」=「Philein(フィレイン)」=愛する、欲する、希む
「Sophia」           =知識、智恵

の意味です。本来の意味では「愛知」になります。愛知県の愛知ではありません。後で述べます。名詞である「Philosophia」はソクラテスが使い出しました。また、お金を愛する、として「Philarguros(フィラルギュロス)」や、名誉欲の強い(軍の意味)、として「Philotimos(フィロテイモス)」がありました。また、「ho(ほ)」を付けると「人」の意味になるので、「Ho philarguros(ホ フィラルギュロス)」=お金に貪欲な人、「Ho philotimos(ホ フィロテイモス)」=名誉に貪欲な人=軍人の意味でした。ヘロトドスという歴史家はソクラテスより11歳若いのですが(紀元前485年頃-420年)、「Philosophein」と動詞で使っています。ソクラテスはこうした言語の使われ方の中で「Philosophia(フィロソフィア)」という言葉を使いだしました。
 動詞の名詞化の使用による特殊な使い方は、現在の日本でもあります。「いやし」です。「いやし」という名詞は元々、「いやす」という動詞でした。上田紀行氏が集団から孤立している人を迎え入れる儀式によって集団に戻る行為を「いやし」と呼びました。現代日本で言えば、ニートや貧困層で孤立している人々を盆踊りや廃品回収などの町内行事に参加してもらい、町内の人から声を掛けてもらって、再び社会に戻っていくことになるのでしょう。
しかし、現在では、自分1人で体をほぐす、心をリラックスさせるなどの行為にも「いやし」と使われています。人数を見れば全く反対の意味で使われています。ソクラテスの「希哲学」がキリスト教によって神学になり、「哲学」になってしまったのと全く同じ道を進んでいます。

―「愛知県」の「愛知」の由来
 ちょっと寄り道になりそうですが、「愛知県」の「愛知」の由来を述べておきましょう。愛知県の愛知の語源は「あゆち」と言われています。「あゆち」は「吾湯市」、「年魚市」と書きます。前にも述べたように日本語(大和言葉)は、音に意味があります。ですから、「あゆち」はどちらの漢字でも音を表現してくれれば良かったのでしょう。
「あ」とは、あふれでる、の意味です。「あ」を発音する時に一番口が大きくなることからも、何かが湧き出す、という意味です。
「ゆ」とは、水やお湯などの意味です。
ですから、「あゆ」とは、水やお湯のあふれ出る、の意味で「ち」とは「土地」の意味です。つまり、「あゆち」とは水が豊富にあふれ出る土地の意味です。そういえば、愛知は沢山の川の流れこむ水の豊かな土地です。「あゆち」は古代からの郡名に見られました。
 もう1説あります。「あゆ」=「あしをゆわえる」=「足を結ぶ」という意味で、東国(遠国)へ向かう土地という説です。こちらは有力とは見なされていないようです。

 上記のように「哲学」とは、誤訳であり、かつ本来の意味とは遠い意味で使われていることを指摘しておきたいと思います。

ー問1 哲学を漢字一字で書くと?

 高木の解答は「天」です。
 哲学者は、「真・善・美を求めている人」という意味でした。人から見ていきましょう。漢字では「人」に関係する文字が多くあります。
「人が立っている姿」⇒「人」
「同じく大きく手を広げている姿」⇒「大」
「大きく広げていても余っているものがある」⇒「太」
「人が2人いて仲が良い姿」⇒「仁」
です。同じく天は

「人が頭を上げて空を見上げている姿」⇒「天」

となっています。つまり、天空を見上げて何かを求めている、考えている姿が「天」なのです。「大」の上に一本の棒「一」がついて「天」です。一本の棒「一」があたまを指しています。あたまは、天、つまり真・善・美という現実世界だけを見ていないで、変わらない天を探しているという意味に解されます。私達は現実世界で人の目を気にして、それだけで人生が終わってしまうのではなく、現実世界で人の目を気にしないで生きていける人になれるのかもしれません。それを指してわざわざ「人」と「天」を違う文字にし、真・善・美を強調するために一本の棒「一」を付けたのでしょう。この点で「哲学」=「真・善・美」=「天」となります。
 日本語から観てみます。「天」は「テン」と「あま」と読み、日本語では「あま」と読みます。「あ」とは広がることを指すのは「愛知県の愛知」でやりました。「ま」とは時間や空間のことを指します。つまり、「あま」とは時間空間が、ぷわーーーっという広がりをさします。『古事記』の冒頭に「あまのみなかぬしのかみ」が最初の神として出てきます。つまり、最初は時間空間が、ぷわーっと広がったんだよ、という意味です。次に生成の神である「たかみむすびのかみ」と「かみむすびのかみ」が出てきます。これは後に説明します。他に「アメ(雨)」は「あまからうごくもの(メ)」、「アイ(愛)」は「イノチがぷわーっと広がっていくもの」の意味でしょう。愛するもの、愛する人によって自分が、あるいは自分の感情が大きく広がっていく感覚をさしたものでしょう。講義は「アキ(秋)」に行っています。「キ(気)」は「水分や湿気や見えない力」などを指し、夏はそのキ(気)が充満していました。日本の夏の暑さは湿気や水分が充満した暑さです。この暑さ、つまり暑気(ショキ)が払われて広がっていく=「アキ」なのです。暑気払い、という言葉は「アキ(秋)」と全く同じ意味なのです。確かに秋になると空気から水分が消えて、穏やかになってきて広がりを感じさせてくれます。もちろん、この感覚は、フィリピンやインドやアフリカなどでは感じられない日本特有の感覚です。
 学生の皆さんの解答は素晴らしいものがいくつかありました。やはり、学生の皆さんと共に講義が出来て良かったです。
 
-ソクラテスの愛知

 ソクラテスは、知識を愛する=欲求の愛としました。後にキリスト教の愛=神の愛とは別に使いました。つまり、愛知は「この世の対象」なのです。お酒を愛する、や異性を愛する、と同じ意味でソクラテスは知識を愛する、としました。ちなみにプラトンでは「あの世の対象」となりました。現在、二次元(アニメのキャラや漫画の登場人物)への愛がありますが、これはどちらになるのでしょうか? 面白い問題です。仮想世界への愛はどちらかという問題です。
 ソフィストが知識人を指し、ソクラテスが「無知の知」で対抗しました。古代ギリシャでは高い舞台の上で2人が交互に話して、周りの人々が聴く、というスタイルでした。ソクラテスは相手に「はい」か「いいえ」で答えられるように聴きます。ソクラテスは相手に聞かれると「無知の知」で「私は無知ですから答えられません」と言い、相手にだけ話させて、最後には矛盾を突く、ということをやりました。これがソクラテスの愛知(哲学)だったのです。だから、嫌われていました。嫌味おじさん、と前回言った通りです。現在でも周りにいたら友達になりたくないタイプの人です。この立場を「アイロネイヤー(Irony:アイロニー 皮肉)」と言います。
 私達が持つ哲学のイメージと大分違うのではないでしょうか? 私の大学の時のイメージは「一人で難しいことを、うーん、うーん、と考えている人」でした。そもそも哲学は2人で行うスタイルでした。最初の哲学の本は殆どが会話(「対話編」)です。講義も本来は、1人でするのではなく2人で話しながら進めていくのです。私も何とかそうしたい、と考えて、学生の皆さんから質問を受け付けてブログで返信する方法をとっています。
 さて、以上の説明から他に何が判るか、を書き出してみます。

対象:ソフィスト
対象:聴いている人
目的:知ったかぶりを攻撃
方法:対話
(真の対象:世界観:後の講義で説明します)

 現在でいうと安倍総理を攻撃するために、「フィロソフィア」という言葉を作った、ということです。この言葉が2500年経っても使われているのです。
 対象に「聴いている人」が入っていますが、ソクラテスは聴いている人、つまり聴衆をも攻撃対象としたのです。攻撃対象というのは少し強い言い方かもしれませんが、聴衆に気が付いてほしいからこそ、嫌味を言ったのです。「良薬は口に苦し」の諺通り、「真実をついてためになる助言、というのは耳に痛い言葉」であり、「嫌われる言葉」であるのです。
 ソクラテスは、ソフィスト(知識人)が高度な知識を使って「こうすればアテナイは得をしますよ(周りは損をする)」や「こうやれば簡単になって便利ですよ(周りに迷惑をかける)」と言うのも攻撃しましたが、もう1つ、民主制の中で聴衆がそれを支持して実行するのも攻撃したのです。民衆が日常生活で自分が得をすることしか考えていない、というのは、いつの時代でも同じです。そうした人々がソフィストの政治を支えていたのです。何も自分で調べようともせず、ソフィストの宣伝に乗ってしまうのです。

―民主主義の欠点と「無知の知」

 つまり、民主主義は、宣伝によって、あるいはカリスマ性のある人物によって民衆がひっぱられてしまい、悪いことをしてしまう、という欠点があるのです。そして民衆は失敗しても反省せずに、誰かに責任を押し付けて、次もまた自分たちのことだけしか考えないのです。民主党が失敗したら、民主党が悪いんだ、鳩山元総理が悪いんだ、菅直人は最悪の首相だ、野田総理は売国奴だ、と批判して相手に責任を押し付けてお終いとします。しかし、民主党は民主主義によって私達国民が選んだ政党なのです。選んだ私達の責任はどこかに行ってしまったのでしょうか? ある講演で講演者が「民主党の3年間はひどかった」という話をしました。しかし、私達国民が悪かった、とか、講演者自身が反省して行動を改めなければならない、とか、講演者自身が何となしなくては、と民主党時代に新しい行動をした、という話は聞きませんでした。皆さんの周りの人にもいるのではないでしょうか。つまり、自らを省みないで他人ばかり批判する人々です。全て悪いのは政治家だ、政治家は汚い、犯罪があれば犯罪実行者が全て悪い、という人々です。さらに現在はインターネットでマスコミの嘘が判りますから、ちょっと調べない私達は古代ギリシャの民衆よりも悪いのかもしれません。
民衆は、平和が良い、と口で言いながら常に刺激を求めます。ソフィスト達の口車に乗せられて戦争へと向かったのです。そういう態度をソクラテスが攻撃しようとしたのです。
 第2次ペルシャ戦争が引き分けに終わったのに、アテナイの利益だけを考えた行動をして、同じ都市国家のスパルタとの戦争へと導く民主政治をしてしまったのです。
ソクラテスが以上の主張だけであれば単なる政治家の域を出ません。ソクラテスは民主主義に潜む、あるいは人間に潜む世界観までも攻撃したのです。この点でソクラテスが哲学者と呼ばれる理由ですが、この点は後の講義で説明します。今回はソクラテスが何を対象とし、「無知の知」はどういう風に使われていたかの説明をしました。

-哲学者と民衆の違い

 では民衆とソクラテスはどこが違うのでしょうか? 

民衆 :自分のことを反省しない 日常生活のことだけ考えている 
哲学者:自分のことを反省している=「無知の知」 真・善・美(普遍)を見ている 

 私の講義中に喋る人がいます。そういう時に「なんだ、俺の講義を聴かないで、あんな奴らは退席処分、あるいは成績を不可にすればいい」という自分のことを反省しない態度があります。他方、「そうか、喋るのは私の伝え方が、講義の方法が不十分だからじゃないのか?」という反省する態度もあります。私達は生きていく中でどちらの態度を大切にすべきでしょうか? 
 もう1点は、日常生活のことだけを考えているか、それともいつの時代でも変わらない普遍を考えているか、です。日常生活は欲や感情が中心です。あの人に良く想われたい、お金が欲しい、いい家に住みたい、人を私の考えるように動かしたい、と。しかし、それらは時代が、社会が変われば変化するものです。感情も常に揺れ動くものです。好きという感情は4年も経てば弱くなるものです。民衆が感情にまかせて政治をすることを何とかしたい、と考えて、ソクラテスは時代や社会に関係のない、真・善・美を求めました。
その意味ではソクラテスはあくまで目の前の、つまりこの世にあるアテナイを何とかしたい、と欲したのです。哲学を特殊な使い方をした、と前に説明しましたが、この点を強調したかったからでしょう。そして深めていきました。哲学者と民衆の違いは、自省と普遍です。私達は自分の成績や職の良し悪しだけを考えていないでしょうか?

-真・善・美とは

 古代ギリシャで真・善・美とは当然、神のことです。神がいる世界が天空の世界です。天空までは一定の距離にあると考えられていましたから、あとは角度が判れば天空の世界の動きが判る、と考えられていました。古代ギリシャではsinθ cosθ tanθなどの考え方が出てきました。これは地上から天空まで一定の距離なので後は角度が大切である、という考え方です。他にも角速度などもあります。
 他には四季の移り変わり、太陽が昇り沈むなどもそうです。考えてみれば「毎日日が昇る」、「途中で停止しないで沈む」というのは不思議なことです。現在は中学校の理科できちんと天体の動きを習いますが、そうでなければ、あるいはそうであっても「太陽の運行」や「四季の移り変わり」は不思議なものです。そしてそれに合わせて花や木々、動物までもが活動できるのですから、不思議です。そういうものを決めている存在者があるに違いない、それが神様だ、というのです。キリスト教の神様とは全く異なる神です。古代ギリシャの星占いが人間の運命を決めている、というのも、神様が私達の世界の動きを決めているからだ、と考えられていたからです。神が世界全体、宇宙全体をコントロールしているのは何時までも変わらない、つまり普遍(どの場所、いつの時代でも同じ)性を持っていると考えたのです。
 人間の日常生活という変化するものに依存しない、普遍性を持った神様を意識したのです。そうやって、民主主義で悪くなったアテナイを立て直したかったのです。その意味で、真・善・美はこの世を何とかいい方向に導こうという関心に基づいたものでした。少し難しくいうと実践的関心です。この実践的関心はプラトンに引き継がれますが、プラトンの弟子たちは、抽象的関心へと移っていきます。晩年のプラトンはプラトン自身のイデアの考え方から、実践的関心を切り離して、抽象的関心へと向かうのを批判しています。そしてこの抽象的関心が、後年、キリスト教の神と結びつく一因になるのです。
 日本でも皇室の神様、日本人の皇祖皇宗(こうそこうそう)は天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。先ほど述べたように最初に登場される神の名前は「アマノミナカヌシノカミ」です。両柱(神様は柱で数えます)とも「アマ」が入っているのです。アマとは時間空間の広がりを指します。つまり、世界全体、宇宙全体を指すのです。古代ギリシャの世界全体、宇宙全体を統べる神様達ととても似ています。そして「問「哲学者」を漢字一字で書くと?」の解答ともつながります。つまり、世界全体、宇宙全体を統べる存在者=神であり、四季の移り変わりや太陽の運行という普遍性を持つものを真・善・美と呼び大切にするのです。そしてそれによって人間世界を、日々の生活を何とか善くしよう、と考えるのです。それが哲学であり、日本の神道ということです。この点ではぴたりと一致します。一致しない点は今後述べていきます。

 真・善・美に触れている人=哲学者
 真・美・美に触れられる人=天子
 真・善・美に触れられる人=天皇

 真・善・美に触れていない人=民

 例えば小説家で、「登場人物が勝手に動いて話を作っていく」ということを言う人がいます。何やら天の方からアイディア(プラトンのイデア)が降りてきたという感覚だったのでしょう。私も少しだけ小説を書いていたのですが、突然書くようになりました。同じような感覚がありました。
 他の例として、講義中に眠たくなったとしましょう。その時、「先生が真・善・美の話をしていないから知識だけで退屈だなぁ」というとその学生さんは哲学者です。対して「私はさぼりたいなぁ」という自分の欲だけで判断しているのは民、になります。自分のことや周りの世界しか考えていない人が民です。ソクラテスの考え方は現在の日本でも通じているのです。

 --(以上昨年度の講義録より抜粋)--

 ソクラテスの意図をもう1度まとめておきましょう。

 ソクラテス、全ての政治家、民衆、政権を批判する → 民衆は、いずれかの政治家、民衆、政権を批判しない
  ↓                                  ↓
 だから、ソクラテスは自己肯定できない           だから、民衆は自己肯定する
  ↓                                  ↓
 言い逃れもできない。忘れることも出来ない。       言い逃れもできる。忘れることもできる。

 ソクラテスは、この言い逃れ、都合の良いことを忘れること、を民主主義の根源的欠点としました。

 東日本大震災で福島原子力災害が起きました。現在の福島県の人々は被災者、被害者としてだけ扱われています。しかし、福島原発の一号炉は災害前から日本で最も多くの放射線漏れを計測する原子炉でした。それでも福島県民の選挙によって原発推進派の知事を選択したのです。その知事が一号炉の継続運転を要請しました。敢えて書きますが、福島県民は自らの選挙の投票によって福島原発の継続を選択したのです。その責任をどうして誰も言わないのでしょうか。「日本国に裏切られた。だまされた。信頼してたのに」と言い逃れをします。もちろん、日本国の責任は重大です。しかし、福島県民に責任が全くないのでしょうか。私はそうは考えません。しかし、その言い逃れ、都合の悪いことを忘れるのは2400年前の古代ギリシャでもあった、ということです。これを告発しようとしたのがソクラテスなのです。
 
 以上は前述した内容と被ります。もう一度書いてみます。
 浜松市のある講演で、講演者が「民主党政権はひどかった。やっと安倍総理になってよかった。安心した。私はずっと自民党に入れているけれど。」と言いました。特定の政権を肯定し、自分の責任回避をしているのです。民主党政権を誕生させたのは日本国民です。私達です。誰に投票しようと投票結果に責任を持たなければなりません。自民党に投票しようと共産党に投票しようと民主党政権誕生の責任は全員にあるのです。それが現在の議会制民主主義です。しかし、言い逃れをする。

 さらに、民主主義の政治の欠陥もしてきします。これは次回以降に取り上げます。

 ナチス・ドイツは民主的な投票によって成立しました。そこから独裁を強めていったのです。民主主義がナチス・ドイツを誕生させたのです。つまり、第2次世界大戦は民主主義国と民主主義国との戦いであったのです。そしてより民主的なフランスやイギリスは負けたのです。現在、日本の側には独裁国家中華人民共和国があります。ですから、日本では「独裁国家だから悪いことをする」という事実に馴れ親しんでいます。

 「日本は民主主義だから戦争をしない」とか「日本は民主主義だから悪いことをしない」

 と思い込んでいるかもしれません。しかし、それは勘違いです。世界中に武器をばらまき、戦争を引き起こしているのはアメリカなのです。サッダーム・フセインを支援し、アルカイダを育て、武器を与えてきたのはアメリカです。そのアメリカは民主主義の国です。古代ギリシャでも民主主義のアテナイが、平気で全島民の虐殺をしたり、他国から金銭を恫喝して出させたりしました。無駄な戦争も起こしたのです。

 これらを告発したのがソクラテスです。

 ですから、ソクラテスは現在でもその輝きは色あせていないのです。

 今回は哲学の主題と出発点であるソクラテスを説明しました。次回は、今回の内容を肉付けしていきます。

 以上です。

講義録5-2 学生コメント集

 学生が書いた感想などと高木の返信をまとめたものです。

 学生の書いた本文はそのままで、誤字脱字等は直します。高木が補足する場合は()を付けます。○は学生のコメント、★:は高木のコメントです。△は補足です。

○今日の授業で、自分が日頃、食生活を気を付けていないと気づきました。人間が美味しいと思う食事は何なのかと思った。大衆受けの良く、安いマックか、金持ちが行くような高級料理は人間にとってどちらが美味しいのか疑問に思った。

★美味しい食事ですね。現在の私はかみさんの笑顔を見ながらの食事が最もおいしい食事です。人によって、年齢によって、状況によって違うと思います。○○くんの美味しい食事を追及して下さいね。

○先生はお酒を飲む話が多いので、好きなのかと思っていましたが、違うのですね。

★そうですね、お酒が弱い体質です。けれども、女性にもてたい、バスケ部で先輩達と仲良くしたい、という想いからお酒を頑張りました。苦しかったから良く覚えているし、お話しするのだと思います。勉強と同じです。苦しんだほど覚えているのです。

○あまり関係ない気がしますが原発の警備に軽機関銃はやり過ぎではないんですか? むしろ警察が軽機関銃を使っていいのですか? できても短機関銃くらいなのでは?

★安全保障からすれば、軽機関銃ではなく重機関銃も装備すべきだと私は考えています。相手は、核兵器を持つ中華人民共和国や世界最強の特殊部隊の一角を持つ北朝鮮人民共和国です。人を殺したこともない日本人の警察官が、せめて武器で優位に立っていないとテロ攻撃に耐えられないと考えます。○○くんもどうしてそのように考えたか教えて下さいね。

○「インサイダー」という映画もタバコの害についての映画で、とっても面白かったのでお奨めです。

★お奨め、有り難う御座います。映画「インサイダー」を見てみたいと思います。

○世の中が怖い。自分の無知が怖い。知らない内に自分は社会のワナにはまっているのではないか? 現代における強さの象徴はお金である。お金を得るためには、人間はどんな酷いこともするので、自分が被害者にならないよう(加害者にもならないよう)気を付けたい。

★誠実な意見、有り難う。今回の宿題、ひろさちやさんの幸せを考えてみて下さい。幾つも言いたいことがあるのですが、良ければ直接話をしに来て欲しいです。

○いまだに3段論法が上手く書けずにいます。上記の上の様にたくさん書くよりも、下の様にシンプルに書く方がいいのでしょうか。また、今回良い例として配られた松田さんの文は書いているのに事実から書かれていますが、これはまた正しい方法なのでしょうか。難しいのでまた練習したいです。

★はい、その通りです。三段論法は骨子を創るためのものです。短い文も長く書く文でも骨子がしっかりしている必要があるのです。骨子が出来たら短い文でも長い文でも字数に合わせて書いてください。復習は講義録でどうぞ。

○日本での車での死亡者数は交通事故などで1日以内に死亡した人だった気がします。アメリカではどのように数えているのでしょうか。

★日本では1日以内、1年以内(厚生労働省)などがあります。アメリカではどのようになっているか?は是非とも調べて見て下さい。是非とも本で。交通事故の死亡者数については、講義の13回目に詳しく取り上げます。



プロフィール

    名前:高木健治郎

書いたもの(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
最新記事
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

最新コメント
カテゴリ