エッセイ「【歴史】 北条政子の成した偉業 ―日本らしい国家運営へ― 」


 北条政子の第四回目になります。これまで通り藤枝木鶏クラブでミニ講和をした内容を、少し整えて書き残します。
 今回でまとめになりますので、振り返ります。第一回は北条政子の大きな特徴として信仰心を挙げました。また、他の長期政権を打ち立てた権力者の三人の妻と比べました。特に、淀殿との違いを、政治権力の基盤から述べました。第二回は危機に立った時に政子が筋を通して、関東武士を守ったことを述べました。政子の優れた心の態度は、公平さに通じるものであり、宗教政策に大きく表れています。これが平氏との差を決定したと解釈しました。第三回は政子のトラブルは自分が乗り込んで解決する政治手法をいくつかの事件で述べました。
 以上のように、政子を優れた政治家として観て、その根拠を見てきました。政子を政治家ではなく、権力者のか弱き妻として、あるいは女性の自立として観られてきました内容とも比較してきました。最終回は、政子の全人生をかけた偉業を見ていきたいと思います。先にまとめを挙げます。

 まとめ:北条政子は、「皇室が権威を、民の代表が権力を」という日本らしい国家運営の基礎を築いた。
 
北条政子の家族は

 これまで述べてきませんでした、北条政子の家族について焦点を当てます。後に出てきますし、他の資料で家族のみの年表が見当たらなかったからです。

北条政子の親と兄弟について

 父:北条時政、三人の兄弟、長女の政子、姉妹四人の八人兄弟。

北条政子の家族年表

 二十一歳:頼朝と結婚。
 二十二歳:大姫誕生か?
 二十六歳:頼家(よりいえ)誕生。

 三十六歳:頼朝が征夷大将軍 実朝(さねとも)誕生。
 三十八歳:乙姫誕生か?

 四十一歳:大姫(二十歳)死す。木曽(源)義仲の子息と婚約したのを貫き通した。
 四十三歳:頼朝死す(五十三歳)。落馬と言われる。近年は脳出血とされる。
 四十三歳:長男頼家征夷大将軍。
 四十三歳:乙姫死す(十五歳?) 頼朝の死後、急速に悪化した。
 四十七歳:実朝征夷大将軍。
 四十七歳:父時政を追放。後妻におぼれたため。
 四十八歳:頼家修善寺で死す。

 六十三歳:実朝、頼家の遺児で実朝の猶子(ゆうし:義理の子供)公暁(くぎょう)に殺される。
 ――夫、実子、血縁は「竹御所」以外全て死亡――
 「竹御所」は藤原頼経(ふじわらのよりつね)と婚姻。
 六十三歳:征夷大将軍に公家を向かい入れることを決断。藤原頼経の後見となる。
 六十九歳:何度かの失神後、死す。

 政子は当時としては遅く二十一歳で結婚し、三十六歳、三十八歳の高齢出産をしています。父の力を背景にして長男を追放します。その様に、鎌倉政権の初期を安定に導くうえで父を頼りにしながらも、最後にはその父でさえ追い出してしまいます。その決断は、政治家として国家の安寧と家族の安心とを天秤にかけた上での決断でした。それでは家族の安心を引き換えに政子は何を成し遂げたのでしょうか。

北条政子の成した業績

これまで述べたこと
 鎌倉政権の宗教政策を担当する。
 :(伊勢の)神宮の内宮、外宮、園城寺、興福寺などの支援 → 平氏との差別化、優位を保持。

 公家の内紛争い=税金の奪い合いから、関東武士(農園主)の農地確保に。
 :合議制民主主義の確立。 → 長男頼家、次男実朝は公家化したので排斥。

 大都市鎌倉の建設
 :鶴岡八幡宮や伊豆山神社を政治の中心にする。 → 東国一の大都市に発展。

 鎌倉政権に順序と公平さを導入。
 :亀の前事件に見る正室と側室の区分け。 →  政権の安定(豊臣政権は不安定化して崩壊)。

今回述べること

鎌倉政権に公平な政治を導入 ―エコひいきなし―

 :征夷大将軍が頼家から実朝に代わるとき、領地を二分しようと決定しました。これに不満を持った反乱を父時政に知らせて鎮圧しました。頼家が心細くなり、エコひいきをしようとしても止めたのが政子なのです。さらに、その後、父時政は執権でしたが、後妻の愛におぼれて、後妻の子を征夷大将軍にしようとしました。これもエコひいきです。これを止めたのが政子でした。
 実朝が、頼家の息子で実朝の猶子であった公暁に殺された時も、権力を皇室に戻そうとする動きが出ました。承久(じょうきゅう)の乱です。承久の乱のきっかけは、上皇が愛人(側室)の領地の地頭を追い出すことを鎌倉幕府に求めたことがきっかけです。上皇は領地に地頭に置くことを認め勅許(ちょっきょ: 天皇の命令)を出していたのです。ですから、エコひいきをしたのは上皇だったのです。そこで承久の乱で、政子は以下のように言っています(意訳です)。

 「皆、最後の言葉をよく聞きなさい。頼朝公は朝敵を打ち、鎌倉幕府を創り、御家人たちを大切にしてきた。それに対する感謝の念が軽くていいのだろうか。けれども、今、逆臣の讒言(ざんげん:嘘と悪口)によって誤った勅許が下された。今こそ逆臣を討ちとり、恩を返す時である。ただし、上皇につくものは、今すぐ申し出なさい。」

 政子は、上皇の勅許を「誤っている」と言い切っています。エコひいきをしているからです。
 つまり、政子は「公平さ、公正さ」を基準に判断しました。それは、皇室への盲従を超える目を政子に与えたのです。「皇室の命令(勅許)ならばすべて正しい」という前提は、当時の日本を長い戦乱に陥れていたのです。政子の優れた点として、最愛の我が子頼家、実朝も、実の父時政も、上皇さえも政治を司(つかさど)るものとして許しませんでした。
 他方、家族内の母としては、それを求めませんでした。頼家の蹴鞠(けまり)遊びを見学しましたし、「竹御所」以外の血縁者がいなくなってから、恵まれない子供たちを養子にとるなどしていました。

初めての征夷大将軍、執権制度の確立 

 政子が存命中、

〇征夷大将軍が四代
 頼朝→頼家→実朝→頼経 
 
〇執権が三代
 父時政→弟義時(よしとき)→甥泰時(やすとき:義時の子) 

 の交代を経験しました。ほぼ全ての交代で大きな反乱がありました。なぜなら、それまでは公家の原理によって力あるものが権力を得る=正義、という時代だったからでした。そこに公平さを導入して征夷大将軍、執権制度を確立していったのです。特に、政子は自身の大きな軍事力(武家集団)を保持している訳ではありませんでした。ですから、普段から、その人物がどういう長所や欠点があるか、危機の時にどのような行動をするのかを読み切っていたのです。
 例えば、承久の乱後、鎌倉政権は対外上は盤石になりました。しかし、執権が義時から子泰時に移る時、反乱の気配がしました。義時には泰時と母が異なる政村(二十歳)がいたのです。この政村は母と共に北条氏に並ぶほどの三浦氏を巻き込んで政権を握ろうとします。
 そこで政子は、政村とその母伊賀の方の屋敷ではなく、三浦氏の屋敷を訪ねて言います。

 「もしかして泰時を除いて、反乱しようとしているのではないか? お前は政村とは親子同然だから相談に乗っているはずである。反乱を起こさないように忠告しなければならない」

 と。すると三浦義村は「何も知らない」と言い逃れをします。政子は義村の性格を見抜いて以下のようにいます。

 「政村について反乱の陰謀に加わるのか、泰時を助けて無事生き延びるのか、どちらか、今!ここで!はっきりせよ!!」

 三浦義村の「事なかれ主義」で「現状維持を第一とする考え方」を見抜いて、強く出るのです。もし、三浦義村が陰謀の主役であれば、政子は人質になってしまったはずです。ですから、政子は陰謀の主役が伊賀の方と政村であることも見抜いていたのでした。
 
鎌倉政権を全国政権に ―「皇室が権威を、民の代表が権力を」―

 承久の乱に勝ち、約三千か所の領地を没収しました。そして東日本だけでなく近畿、西日本を含めて全国に地頭を置くことになりました。鎌倉政権が全国政権になったのは頼朝の時代ではなく、政子の時代だったのです。そして、地頭は十町ごとに一町が免田として所領を得ることができました。これによって、日本全土の土地に鎌倉政権の行政権(裁判権、警察権、徴税権)が及んだのです。つまり、

 日本の歴史上初めて、土地の実質的な支配者が、皇室から民の代表に移ったのでした。それは政子が公平さを導入して成し遂げた偉業なのです。

北条政子の業績への評価

 北条政子の評価を、『吾妻鑑(あずまかがみ)』は以下のようにしています。

 「前漢の呂后(りょこう)と同じように天下の政治を行った。または、神功(じんこう)皇后の再来であり、我が国の皇基(こうき:皇室が国家を治める基礎)を擁護したのである。」

〇渡辺保先生の評価【よくわからない】:政子の業績は、大江広元(おおえのひろもと)のお陰であり、「(評価に喜んだかわからないが)政権を長続きさせたことを頼朝に報告できることをひたすらに喜んでこの世を去ったことと思う。」

〇田辺泰子先生の評価【否定】:「皇基の擁護」とは、政子の天皇家に対する一般的な尊敬の念をいっているのであると解釈したい。承久の乱の、院(上皇)と対戦したという事実経過からすれば、けっして「皇基の擁護」とはいえないからである。」ただし、天下の政治を行ったのは正しい評価と思う。

〇高木の評価【肯定】:政子の正当な評価だと考えます。以下図にします。

 「皇基の擁護」:「民は大宝である」と「平和を愛する」とが皇室が国家を治める基礎です。
 これは神武天皇の建国の詔(みことのり)と、仁徳天皇の「民のかまど」に沿います。

 承久の乱の原因は、上皇個人のエコひいきにあります。そのエコひいきで民は苦しみ、平和が何十年もの間失われ、戦乱が続いてきました。だからこそ、政子は「誤った」勅許と言い切ったのです。政子は自身の神格化や迷信によって民を苦しめることを嫌った話が残っています。「民は大宝である」と「平和を愛する」ことを政子は神仏に祈り、そして政治の場で実行したのです。政子は事あるごとに、鶴岡八幡宮などで祈祷、祈願を頻繁に行っています。以上の実績が認められて、鎌倉幕府の正式な歴史書『吾妻鑑』で評価されていると考えるに至りました。

 長きに渡りありがとう御座いました。
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講義の関連記事「広島、長崎被爆者の治療をしなかった件」について

 これまでの講義の中で、何度か取り上げてきました「広島、長崎被爆者の治療をしなかった件」について、以下の記事が出ました。
 公式に初めて謝罪をなされたので、今後の対応を変えようと思っています。

 以下記事です。


<放影研>被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究 459
2017年06月17日 15:40 毎日新聞


毎日新聞
写真丹羽太貫理事長
丹羽太貫理事長
 原爆による放射線被ばくの影響を追跡調査している日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研、広島・長崎両市)の丹羽太貫(おおつら)理事長(73)が、19日に被爆者を招いて広島市で開く設立70周年の記念式典で、前身の米原爆傷害調査委員会(ABCC)が治療を原則行わず研究対象として被爆者を扱ったことについて被爆者に謝罪することが分かった。放影研トップが公の場で直接謝罪するのは初めてとみられる。丹羽理事長は「人を対象に研究する場合は対象との関係を築くのが鉄則だが、20世紀にはその概念がなかった。我々も被爆者との関係を良くしていかなければいけない」としている。

 ABCCでは被爆者への治療は原則行わず、多くの被爆者の検査データを集めた。被爆者たちは「強制的に連れてこられ、裸にして写真を撮られた」などと証言。「モルモット扱いされ、人権を侵害された」と反発心を抱く人が少なくなく、「調査はするが治療はしない」と長く批判を浴びてきた。

 丹羽理事長は取材に「オフィシャルには治療せず、多くの人に検査だけやって帰らせていた。被爆者がネガティブな印象を持って当然で、さまざまな書物からもそれははっきりしている」とし、「おわびを申さなければならない」と語った。歴代の理事長らトップが被爆者に直接謝罪した記録はなく、放影研は今回が初めての可能性が高いとしている。

 記念式典では、冒頭のあいさつで「原爆投下の当事者である米国が、被害者である被爆者を調べることに多くの批判や反発があった。不幸な時期があったことを申し訳なく思う」などと述べる方針。この内容は1995年に放影研作成の施設紹介の冊子で言及されているが、ほとんど知られていなかった。

 一方、被爆者を裸にして検査をしたり遺体の献体を求めたりしたことについて、丹羽理事長は「米国側が日本の習慣などを十分理解しておらず、文化摩擦があった。だがサイエンスとしては必要だった」との見方も示した。

 放影研歴史資料管理委員会委員の宇吹暁・元広島女学院大教授(被爆史)は謝罪について「放影研は被爆2世、3世の研究を今後も続けるには、組織として謝った方が協力を得られやすいと判断したのだろう」とみている。【竹下理子】

【随想】「勉強するために朝を活用  -韓非子のある一節-」 

 昨日(平成二十九年四月十二日)は、気温二十度となり、桜の花弁がのびのびと開いてきました。一昨日の十一日が満月で、桜が誘っているような夜でした。
 ですから、とっくん(六歳八カ月)が入学した葵小学校は、駿府城公園内にあり、校庭でもお堀でも桜が美しく咲いていました。

 「とっくんは、これから勉強を始めるのだなぁ。」

 と朝日で輝く葉桜を見ながら、自転車に乗っていました。すると、フッと何かのスイッチが入ったのか、先週のご質問を思い出しました。

 「先生、勉強時間を確保するのが大変なのですが、どうしたらいいでしょうか。」

 というご質問です。
 私は静岡市の国語教室で小論文指導を請け負っています。その方は社会人で福祉関係の仕事に就きながら、大学で学んでいます。論文の書き方を教わりに来ています。人の心と向かい合う難しい仕事に就きながら、笑顔を絶やさず、勉学に励む姿に心打たれるものがあります。真摯(しんし)なご質問だけに、三、四秒考えてお答えしました(私としてはじっくり考えたつもりです)。

 「朝に勉強時間を確保することをお勧めします。私は高校時代、毎日ハンドボール部で練習が大変でした。どうしてもしなければならない宿題や英単語の暗記などは、早朝五時に起きてやっていました。夜の二時間と朝の三十分と同じくらいかもしれません。」

 「朝ですか、なかなか朝は起きれないんですよね。」

 「そうですよね、私もそうでした。ただ、今朝もそうですが、朝六時前に起きて神社に参拝しています。徒歩三分くらいの距離ですが、外の空気を吸うと頭がすっきりします。その後、本を読んだりされると良いかもしれませんよ。」

 「外に出るのは確かに、好いかも知れません。寝ちゃいますから。」

 「例えてみれば、水の入ったコップです。朝は何も入っていない透明のお水です。夜は一日中の感情や想いが色々と入った濁ったお水のようなものです。ですから、夜勉強していると、
 『今日はあの人にこんなことを言われた。』
 とか、
 『あ、あの人にこんなことをしたい。』
 など色々な想いが出てきて勉強に集中できないものです。純粋に肉体の疲労もあります。そういう訳で、効率が悪くなってしまいます。お時間が限られているからこそ、効率を大切にしてください。
 質問しますね。夜に読んだ本を一週間後に覚えている割合と、朝に読んだ本を同じ時間で一週間後に覚えている割合はどちらが多いと思いますか?」

 「ああ、朝の方が覚えている気がします。」

 「そう想われるなら朝の方が向いていると思いますよ。」

 「そうですね、ではやってみます。」

 私は「ではやってみます」と直ぐに即答する姿勢を尊敬します。他人に言われて、即答するのは案外難しいものです。ご本人が「勉強できるようになりたい」という決意が伝わってきます。

 また、別の意味で朝の勉強をお勧めしたことがありました。勉強の量を確保したいならば、夕食後をお勧めしますが、効率ならば朝であると考えています。
 昨年度、さる県立大学に入学したある学生さんは、課題で私が出した本を毎回きちんと読んできましたし、積極性があり色々なことに取り組んでいました。半年を超える頃、彼は疲れてしまいました。

 「先生、勉強をやっても集中できなくなってしまって、どうしたら良いでしょうか。」

 「そうですよね、半年間良く頑張りました。最初は久しぶりの日本で漢字のミスがありました。大分書けるようになり、小論も形を覚えてきました。本も二十冊以上、読んでくれました。実力がついたのは実感していますか?」

 「そう言われてみれば漢字のミスが多かったです。勉強の不安もなくなってきました。でも、集中ができなくて、不安です。」

 「では、こうしましょう。朝五時に起きてください。できそうですか?」

 「はい、起きるのは大変ですが。」

 「そして、朝ご飯まで二時間集中して勉強しましょう。そうしたら朝ご飯からは勉強しなくてもいいです。好きなものをしてください。ゲームをしても良いですし、本や漫画でも、サッカーをしていましたから、サッカーをしても良いでしょう。勉強をしたければしても良いですが、全くしなくて良いです。」

 「え? 朝の二時間だけで良いんですか?」

 彼は本当に驚いたようです。けれども、曇っていた表情が明るくなったように感じられました。

 「ええ、朝の二時間だけで良いです。半年間頑張りました。実力がつきました。ですから、好きなことを大分我慢したでしょう。不安かも知れませんが、その不安をコントロールするのも一つの勉強だと思って、後の時間は好きに過ごして見てください。」

 「はい、そうします。」

 効率を考えれば朝の勉強はお勧めです。彼の場合は、別の効率を考えて朝の勉強を勧めました。半年間一所懸命に勉強に打ち込んでいたのです。疲れが出るはずです。その疲れた状態のまま、勉強時間だけを気にすると勉強の質が落ちます。結果として勉強が嫌いになるでしょう。彼の一生を見渡せば、今は十分休憩を取ることが必要です。嫌々勉強をしても知識の定着が悪いので効率が悪いのです。彼は無事合格しました。

 勉強では効率を考えることも大切です。実感するのは、論語の素読です。声を出すことで、心を文字に向けることができます。無心で文章を読むことで効率よく覚えられるのです。今号の別の記事で以下の文章を引用しました。

 「人は賢愚(けんぐ)にかかわらず、無欲の時には、みな善に向かい悪を捨てるべきだと承知している。平静な時には、みな禍福(かふく:不幸と幸福のこと)が何によって起こるかを承知している。好きな物を手に入れたいと思い、贅沢品に誘惑されて始めて心変わりし、混乱する。」

 『韓非子』 第六巻 解老 百十七頁

 読み替えてみましょう。

 「人は知識がある人もない人も、無心で取り組むならば、勉強の善さを感じられるものである。けれども、好きなことや欲望に誘惑されると混乱してしまい、勉強ができなくなってしまう。」

 私の書いた前文と似ていると想いつきました。

 「例えてみれば、水の入ったコップです。朝は何も入っていない透明のお水です。夜は一日中の感情や想いが色々と入った濁ったお水のようなものです。ですから、夜勉強していると、
 『今日はあの人にこんなことを言われた。』
 とか、
 『あ、あの人にこんなことをしたい。』
 など色々な想いが出てきて勉強に集中できないものです。純粋に肉体の疲労もあります。そういう訳で、効率が悪くなってしまいます。お時間が限られているからこそ、効率を大切にしてください。・・・」

 好きなことや感情や欲望に惑わされると勉強が出来なくなりやすいので、惑わされにくい朝が勉強に向いている、という解釈です。
 別の記事では子育てに読み替えましたが、この記事では勉強に読み替えました。韓非子の言葉の奥深さを実感致しました。

【随筆】哲学とーちゃんの子育て 十七 -問題を自分で探せるように-

 朝七時半に家をでて小学校へ向かいます。大人の足で五分、子供で約十分です。高校生の自転車、通勤者でにぎわいます。四車線の込み合う道路も越えていき、校門前に立つ校長先生に挨拶を致します。

 「おはようございます。今日もお願いします。」

 「ぉはよぉーございます!」

 校長先生が返して下さいます。

 「おはようございます。」

 けれども、今日は家を出てから不機嫌です。

 「とっくん。」

 「・・・ぁに?」

 「どうしたの? とっくんは疲れているの?」

 「・・・うん。なんかいや。」

 「とっくん、呼ばれたら『はい』でしょ?」

 「・・・・・・・はぃ・・・・」

 (少し間をおいて)

 「とっくん、今日楽しみなことはなに?」

 「ない。ふつー。」

 「考えてごらん。今日は学童でサッカーする? 給食食べる? お友達を遊ぶ?」

 「・・・さっかー。」

 「サッカー楽しみか~。」

 「うん、でも遊びは学童の二年生が決めるから、サッカーないかもしれない。」

 「そっかそっか。じゃあできるといいね。」

 「うん。」

 機嫌の悪い日、体調の悪い日もあります。約一か月毎朝送って来て二日ありました。二日以外は続けて聞くことがあります。平成二十九年五月十六日火曜日の朝も聞きました。

 「じゃあ、今日の目標はなに?」

 「目標ってなに?」

 「目標は、がんばること、だよ。」

 「がんばること?」

 「サッカー好きでしょ?」

 「うん。」

 「がんばらなくても好きでしょ? 出来るようになるでしょ?」

 「うん。」

 「頑張らないとできないことは何かな?」

 「べんきょう?」

 「そうだね、勉強を頑張ろうっか。」

 「うん。」

 「じゃあ、とっくん、今日は科目は何かあった?」

 「えっと・・・こくご・・・かな?」

 「今日はね、一時間目がさんすう。」

 「そうだった、二時間目がずこう、三時間目も・・ずこう、四時間目が国語で、五時間目が生活だった。」

 「そうだーよく覚えているね。じゃあ、頑張るのはなに?」

 「うーんと・・・算数!」

 「うん、じゃあ頑張ってね。」

 「はーい。」

 こうやって会話を交わすと、活力が出てきました。前に書いたように、「心の中のことば」をコントロールするのはかなり難しいものです。感覚的な反応(あの人は嫌い、あの人は好き等)は不可能です。ですから、「口に出すことば」を善い言葉にして、活力を得るのです。スポーツではラグビーや野球、サッカーなど幅広く取り入れられていますし、メンタルトレーニングとしても採用されています。そして、そうして「口に出すことば」が大きく飛躍へと繋がることは、『論語』でも述べられています。

 「子曰(のたまわ)く、之を如何(いかん)、之を如何と、曰(い)わざる者は、吾(われ)之を如何ともする末(な)きのみ。」
 衛靈公第十五 第十六章
 『仮名論語』 二百三十四から三十五頁

 伊與田覺先生訳

 「先師が言われた。
 これはどうしよう、どうしようと常に自分に問いかけないような者は、私にはどうしようもない。」

 『論語』は、「自分自身で問題を探し出す気持ちが大切である」と述べています。まさしくその通りだと実感します。
 対して子供は、この大切さを実感していません。それは大きな失敗や悔しくてたまらない後悔をしていないからです。「獅子はわが子を谷に落とす」という『太平記』(鎌倉幕府滅亡から室町幕府初期までの歴史文学作品)の格言があります。この本意は「自分自身で生きていく力をつけさせるために試練を与える」です。
 私は、試練を先に与えるのではなく、「口から出ることば」を使って問題を探し出す気持ちを教えたいと考えました。そこで毎朝、

 「今日、楽しみなことは何?」
 「今日、頑張ることは何?」

 を本人の「口から出ることば」で言ってもらうことにしています。よくあるのは、

 「とっくん、今日は数学頑張ってね。わかった?」

 「はい。」

 です。数学を頑張る、という意味内容は同じですが、本人が「自分自身で問題を探し出す気持ち」を育てることが出来ません。親からの指示を待つだけの人になります。
 本人の特別意志が強い、あるいは、ずば抜けて賢いなら、親の育て方から殻を壊して出ていくこともできるでしょう。そういう人は確かにいますし、偉人伝を読んでいると散見します。
 けれども、私は自分の子供を特別意志が強い、賢いとは考えていません。ですから、本人が「自分自身で問題を探し出す気持ち」を育てたいと思っています。
 小学校の通学路には上級生も数多く歩いています。親と一緒に通学しているのは、一年生が殆どです。説治郎は数か月すれば、親とは一緒に通学しなくなるでしょう。まさに、今、会話をする機会だと感じているのです。

 「頑張ることは何?」

 「給食。」

 「え? 給食がんばるの?」

 「うん、昨日食べるの大変だったんだ。」

 「そっか、わかった。頑張ってね。」

 「うん。」

 私は「給食」と聞いて驚きました。けれども、本人が自分で考えたのですから、良しとしました。親として色々と指示したい処ですが、グッと我慢我慢です。その我慢が私を親らしくしてくれることと願いながら。

 それにしても、『論語』は子育てとして読んでも宝があふれています。先人の学恩に感謝致します。

【随想】哲学とーちゃんの子育て 十六 -自分で決めること-

 「とーちゃん、ぼくね、明日のバスケの練習いきたい。」

 「そっか、じゃあ、サッカーの強いチームの練習は、やめるんだね。」

 「うん、ぼく、バスケしたい。」

 「わかった。じゃあ、明日はバスケに行こう。」

 「よっし!!」

 「じゃあ、とっくん、質問です。」

 「はい、なんですか?」

 「とっくんは、習いごとはバスケにするね?」

 「うん。バスケにする。」

 「わかったよ。自分で決めたんだね?」

 「うん。」

 「じゃあ、とっくんは苦しくなっても頑張るね?」

 「うん、がんばるよ。」

 「わかった。じゃあ、おとーちゃんは全力で応援するよ。」

 平成二十九年四月、説治郎(とくじろう)は小学校に入りました。習いごとを小学校のミニ・バスケットに決めました。

 時代なのでしょうか、保育園の同窓生で二つも三つも習いごとをしている子供もちらほらいました。習いごとをしていない方が少数なほどでした。
 私は五歳から水泳を始め、小学校一年生で東京の総武線に乗り四つ目の駅のプールまで通っていました。その後、サッカーや野球、小学校五年生頃から書道と公文数学と英語、少年野球と四つに増えました。私の時代は二つの習いごとでも多い位でした。ですから、保育園の時代からの習いごと、しかも二つ、三つというのは驚きだったのです。
 また、私は習いごとについて苦い思い出があります。私は自分で習いごと決めた、という記憶がないのです。私自身がはっきりと意見を言う子供ではなかったからでしょう、公文は母親が英語の先生になったので、半強制でした。最初の水泳も父親の友人がしているから、という理由でほぼ強制でした。小学校は団地にチームが出来たから、など親の想いで始めさせられた、と感じていました。ですから、どこか他人事でしたし、活躍しても褒められても、どうにも満足できるものではありませんでした。失敗すれば親の言うことが満たせない、という感覚を持ったのです。

 ですから、説治郎には自分自身で決めて欲しい、習いごとをしないなら、しないでも良い、と考えました。そこで、保育園では習いごとをしないで、自分で決められる小学校に入ってから、としました。また、数々の習いごとを実際に体験させた上で決めさせたい、と考えたのです。

 最初は、小学校校庭で放課後に行っているサッカーチームでした。五十歳でも現役サッカー選手カズなどが出た名門チームです。
 参加してみると、ちょこちょことボールを取るのが上手で周りに褒められていました。自転車に乗せて帰る時に聴いてみました。

 「どうだった? サッカーは面白かった?」

 「面白かったよ。それに褒められたし。」

 「そっか、それは良かったね~。」

 「うん、ぼく、サッカーチームに入りたい!」

 「え?そっか。でも、とっくん、バスケや一輪車、ソフトボールも見学してみよう。ドッヂボールもあるし。」

 「そっか~そだね~でも、サッカー楽しかった。あ、コーチは怖かった。」

 「うんうん。」

 次に参加したのは、ミニ・バスケットでした。
 ミニ・バスは土曜日の朝八時半から三時間の練習でした。しかも、筋力トレーニング、ステップ(足を器用に動かす練習)、ドリブル練習を二時間します。少々機嫌が悪くなりましたが、最後までついていきました。私はこんなに体力があることに驚きました。翌日は、練習三十分前に行き、広い体育館の雑巾がけにも参加しました。朝八時から雑巾がけ、八時半から十二時半まで練習、コーチや当番さん(親)からのコメントを貰う、などで一時終了です。計五時間です。さぞや疲れただろう、と想い自転車で聴いてみました。

 「とっくん、バスケット疲れたでしょう。」

 「うん、でも楽しかったよ。すっごく楽しかったよ。」

 「そっか~五時間、良く頑張ったよ。」

 「うん、でね、ぼく、ミニバスにするよ。ミニバス入る。」

 「?!ん そっか~でもソフトボールの練習も申し込んでるから行ってみよう。」

 「うーん。でも、コーチは優しかったよ。」

 次に参加したのは、ソフトボールでした。体験希望の小学生が十人も来ていました。野球をやっていた上手な三、四年生から五歳位の保育園児までいました。ゆる~い感じで練習をしていました。父兄の方にお話を聞くと、「監督はあまり来ないので、親が一緒に練習に参加できるのがいい」とのことでした。親同士も仲が良く、新しい人にも受け入れてくれる雰囲気でした。

 隣の小学校からの帰り道に聴いてみました。

 「とっくん、ソフトボールはどうだった? 上手に打っていたね。それに走るのも速かったよ。」

 「うん、楽しかった。」

 「何が楽しかった?」

 「ボールを打つのが楽しかった。」

 「そっかそっか~。」

 次に一輪車に申込み、その後テニスも体験しようと考えていました。すると、

 「おとーちゃん、次のバスケの練習はいつ?」

 「えーとね、土、日、月だから、後三日後だよ。」

 「バスケの練習行きたい。」

 「お~そうか、ソフトボールやサッカーよりもバスケ?」

 「うん、バスケ。だって楽しいんだもん。それに『とっくん入って~』って言われたし。コーチも優しいし。」

 「へ~そうか~良かったね『入って~』って言われて。幸せもんだよ。」

 「うん。」

 ここで最初の会話になります。説治郎は自分で決めました。ですから約束通り全力で応援するつもりでいます。五月十三日(土)には、他の小学校のチームと合同練習をしました。明日は吉田町立住吉小学校体育館に九チームが集まります。練習試合を四試合行います。説治郎はルールも判っていないので正式な試合には出られませんが、参加するのを楽しみにしています。

 『仮名論語』には以下のことばがあります。

 「曽子曰く、吾(われ)日に吾が身を三省す。
 人の為(ため)に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを傳(つた)うるか」
 學而第一 第四章 二頁

 伊與田覺先生訳

 「私は毎日、自分をたびたびかえりみて、よくないことははぶいている。人の為を思うて、真心からやったかどうか。友達と交わってうそいつわりはなかったか。また習得していないことを人に教えるようなことはなかったか。」

 子育てに意訳してみます。

 「私は毎日、親らしくあったかと反省をする。子供のためと言って、自分のエゴや欲を押し付けていないかどうか。子供と会話をしていて、都合よく逃げたり嘘をついたりしなかったかどうか。また、調べてもいないことを知ったかぶりをしたり、昔の自慢話をして話を大きくしたりがなかったかどうか。」

 バスケットは私が長く続けてきた習いごとです。ですから、親のエゴで子供を入れてしまったのではないか、と反省をしました。そこで説治郎に入る理由を聞きました。

 ①「入って」と言ってもらったこと。
 ②コーチが優しいこと。
 ③ドリブルが楽しいこと。
 ④シュートが入ると嬉しいこと。

 を聴きだしました。ですからミニ・バスに入ることを承諾しました。一輪車やテニスは本人に聴いて体験に行かないことにしました。
 加えて、私がミニ・バスの良さを挙げてみます。

 ⑤コーチに対する挨拶など礼儀が一番しっかりしていたこと。
 ⑥親同士の雰囲気が良かったこと。
 ⑦練習の理由と目的を唯一はっきりとコーチが語ったこと。

 つまり、説治郎は「バスケットがしたい」のではなく、「この小学校のバスケットのチームでバスケットがしたい」のでしょう。私はサッカー、野球、バスケットで三十を超えるチームに参加してきました。その中で実感しているのは、同じスポーツでも、コーチやチームメイトによって、「ただ苦しいだけ」にもなり、「いるだけで楽しい」にもなる、ということです。
 自分で選び取ったことで、「いるだけで楽しい」に近づいたと思うのです。

 今日はお昼ご飯を作って食べさせた後、兄弟三人で午後一時から午後四時まで昼寝をさせました。寝る前に、背中の後と腰回りをもみほぐしました。すると、ぐっすりと寝たのです。

 「こんなに小さな体で・・・」

 と想いながら。同じ一年生もいましたが、断トツに小さかったのです。それでも全力ダッシュをしていました。
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    名前:高木健治郎

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