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【論語】顔回の死について 一 ─三つの動機─ 

(同人誌に掲載された内容です)

 顔回の死について調べる動機壱
 「じゃあ、顔回の死について図書館で調べてきます。」
 「おとーちゃん、顔回って最近の人?」
 「孔子先生の弟子だよ。だから、二千年以上前、日本が出来て百年とか二百年とか、すごく昔の人だよ。」
 「あーそうなんだ~ 何歳くらいで死んだの?」
 「そうだね~四十歳から五十歳だよ。」
 「おとーちゃんと同じくらいだね。」

 令和二年四月十一日、武漢肺炎(通称 新型コロナ)は社会で猛威を振るい、静岡市の小学校が二週間の休校にはいる。数々のイベントは中止され、緊急事態宣言なるものまで出ている。私はインフルエンザの死者が四千人を超えているのに対して、武漢肺炎はそれ以下であると見ている。休校や長男の熱などで家に籠りっぱなしだったが、今日は久しぶりの一人で外出である。
 「どこに行こうか?」
 と思いめぐらせた。お酒、風俗、賭博等は若い頃に絶ってきた。その代替として、カフェ、ボーリング、ゲームセンター等にしたが、もうそれにも興味を失った。とくに行きたい場所が無くなっていることに気が付いた。
 当富士論語を楽しむ会の原稿の締め切りが本日(四月十四日 その後、会場使用不可能で中止となった)、というのもあるが、お酒を止め、ゲームセンターに行かなくなったのは、道徳への関心がでてきたからである。その道徳への関心を深めたい、という気持ちで、顔回の死について調べたくなり、静岡市立中央図書館に来た。
 これは個人の修養でもある。私は四十五を超えた。肉体の衰えは白髪以外にも増えてきた。それと同等以上に精神にも衰えを感じるようになった。例えば怒りやすくなっている、ということである。子供三人、かみさん、同居の母親に対して怒りを覚えることが増えた。その怒りの強さも大きくなっている。さらには、周りの人を罵倒するような心も聞こえるようになってきている。これではいけない。このままではいけない。身を修めないと私自身が感情のままに振舞ってしまい、自分を傷つけ、周りを損なってしまう。
 過日、「馬鹿にされたから」と妊婦の腹を蹴った北海道の五十代男性のニュースがあった。彼は同居の母に家出をされ、長男や長女は連絡を絶たれているという。日雇いで食いつなぐが、金があると仕事をドタキャンすると書かれていた。このまま怒りを修めなければ、彼のようになってしまう。
 怒りが増えてきたのは個人の日常生活だけではない。武漢肺炎での対応は、大東亜戦争の敗戦、東日本大震災での法律無視の失敗した対応に見えてきて怒りを持つようになった。さらに、小学校やミニバスの対応も自然科学に依存せず、人権無視、空気を読むだけ、子供のために自分の決断を捨てている軟弱さと写り、腹が立つ。
 以前なら台風の中でも揺れるだけの柳の心持だったのに、憤怒(ふんど)で身が固くなってしまっている。
 
 「老いて衰えざるが為なり。」

 は富士論語を楽しむ会で最初に音読する一文である。このまま怒りに囚われれば、私は頑固なエバリンボ爺になってしまう。つまり、「老いて衰える」ことは周りを損なうエバリンボ爺ということである。エバリンボという感情の硬直は思考の狭さに通じる。これらを実感する今日この頃である。そしてこれは「死」を考えることにも通じる。
 そもそも私は「死について考えたい」という人生の目的を持っている。自然科学、主に理科や物理から科学哲学に転向したのは、「死について考えたい」という動機が私の中の学歴主義や安定志向を上回ったからである。
 死については、数多くの人物が論じてきたが、漢字圏(東アジア文化圏)において最も論じられてきたのは、顔回の死であろう。『論語』は支那(China)大陸の各民族の王朝において、朝鮮半島、ベトナム等々の文化圏において、最も広く長く読まれてきた。我が国では皇室において皇太子等の命名、元号の参考などにもされてきた。『論語』の熱心な普及を最初に行ったのも皇室であり、千年を超える歴史を持っている。
 この『論語』において最も大きな議題の一つが、顔回の死である。孔子の最優秀の弟子であり、道徳を修めているのにも関わらず、仕官せずに死去した。道徳の修養の目的は何か? 立身出世ではないのか? 個人が死を安心して受け入れることなのか? 顔回の死は、

 「あなたはなぜ、道徳を学ぶのですか?」

 という問いを二千年以上、東アジア圏で多くの人々に考えさせてきたであろう。
 この一つの答えは、社会における立身出世の手段を学問に求めるとなる。『論語』は適当な所で読んでおいて、仕官したい、という考え方である。顔回の死は、単なる偶発の死であり、取るに足らない死である。『論語』を勉強して出世して金持ちになる。権力者になる。こういう考え方は、『論語』の内容を極めることが大切なのではなく、出世のために大切なのだ、という考え方になる。日本でも、勉強の本質を理解することより東大に入ることが大切だ、という考え方として見られる。数学が身につくよりも、数学の偏差値が高いことが大切という人は多い。「〇〇高校出身」や「〇〇大学出身」という観方はその典型である。
 これらは道徳を個人の栄達させる道具という考え方であり、個人の修養という考え方の反対にある。
 このように観ると、顔回の死は、学問(勉強)と社会とのどこに比重を置くか、という普遍性を持つ問と観られる。東アジア圏で多様な結論が出ている顔回の死について私は、これらの議論を私個人の「死について考えたい」という視点から眺めていきたい。

顔回の死について調べる動機弐
 次の理由は、子供の教育のためである。

 「まなちゃん(長女)に聞いたんですけど、孔子でしたっけ、『論語』をやってるんですってね。すごいですね。」
 「有り難うございます。論語の音読と書写をやっています。」

 「親が子供の教育する義務がありますから」とは付け加えなかった。放課後に預かってくれる児童クラブの先生と昨日(四月中旬)会話した内容である。
 今回の武漢肺炎では親の本心が顕(あらわ)になると思っている。スマホが悪いと言われているのに、親自身の生活を変えず、子供にスマホをさせる時間が増えているというニュースがある。心理学者の河合隼雄先生は「普段は六十点、七十点でいいんですが、百点を取らないといけない時があります」と仰っていた。私は今がその時だと感じている。
 有給休暇、「働き方改革」等々で仕事を休める人が増えた。しかし、親がそれらを利用して子供の教育を自分自身で行っている、というニュースを聞かない。小学校もそうしたことを推進しない。息子、娘の通う小学校は「宿題のご協力ありがとうございました」と言う。勉強をさせるのは学校の義務ではなく、親の義務なのだから、本末転倒である。しかし、小学校も親もこの言葉に何も感じない。
 そもそも義務教育は小学校に行かせることではなく、親が子供に教育を与えるという義務である。その手段は小学校でなくてもいい。
 私はこの義務を以下のように行っている。
 長男は『二宮金次郎物語』の音読、質疑、書写、お互いの書写校正と修正、書写による音読。長女は『親子で楽しむこども論語塾』の音読と質疑と書写、娘の漢字の校正と修正。それが終わると二人とも私の意見の聴取と質疑をする。
 以上を行っているのだけれども、一つ大きな疑念を持っている。それは論語を教えることが、子供自身の社会での成功につながるのであろうか、ということである。逆から述べれば、

 「論語をやりすぎて、社会で使えない人になってしまわないか?」

 という疑念である。なぜならば、顔回は社会、当時の政治家としては一度も採用されずに中年になって死亡している。孔子の名声は、政治家としてではなく、道徳家、あるいは教育者としての名声である。もう一人の愛弟子、子路は、政治家になって直ぐに反乱を起こして殺されている。大分前に、墨子による孔子批判を書いた。

 「孔子は普段、道徳、道徳と言いながら、孔子本人が正当な(斉)王を倒すための反乱を画策し、多くの弟子もそれに見習って君子への忠誠心を捨てて反乱を起こしている。言っていることとやっているのが、これほど違うのも珍しい。」

 と墨子は孔子を皮肉った。だから親として、教育者として孔子の論語の限界、あるいは欠陥を見つめておきたいと想っている。その限界や欠陥を補い子供に伝えていけるようになりたい。それゆえに、親や教育者として、顔回の死を考えたい。二番目の動機である。

顔回の死について調べる動機参
 最後の理由は、学問上の理由である。学問といっても幾点かはある。一点挙げるとすれば「中国人の政治性」についてである。「諸葛亮孔明はなぜ大英雄になったか」という一文を載せて頂いた。私は政治に強い関心を持つ漢民族(中国人)の気質をもう少し深めたいと考えている。これについて、中国文学の大家吉川幸次郎先生は、「中国文学の政治性」で以下のように書いている。

 「そうして李社と並称され、相ならぶ大詩人とされる李白が、「詩仙」と呼ばれて、やや別格あつかいを受けるのとはちがって、杜甫の方は、「詩聖」完璧の詩人と呼ばれる。これはその卓越した詩的技巧が、その時までに堆積されて来た中国の詩の技巧のすべてを見事に、しかも後人が祖述し模倣しやすい形で集積したためでも、もとよりある。しかし中国人が杜甫を「詩聖」と呼ぶ感情の中には、もっとほかのものが、より重要なものとしてある。ほかならぬその政治への、はげしい、誠実な、情熱のためである。
 (中略)
 そうした執拗な、政治への意思、そこにこそ杜甫の名声の根源がある。日本人、ヨーロッパ人は、往々にして杜甫よりも李白を好むのに、中国では常にその逆であるのは、そこにもとづく。」
  『吉川幸次郎全集第一巻』 百十五から百十七頁

 中国人が政治への強い関心をもつということは何時始まったのであろうか。そしてそれが深まってきたのはどうしてであろうか。これらを深めてみたいと思っている。政治への強い関心をもつ現在の中国人から観れば、権力に参入できなかった顔回は敗北者となるだろう。支那大陸の民族が異なる王朝で行われた科挙制度は『論語』等を教科書とした試験であり、合格者は高級官僚に採用され、権力者になれる。その『論語』で最優秀とされる顔回は、権力者になれずに死ぬのである。歴代王朝では顔回の死をいつから敗北者として扱ってきたのであろうか。
 『論語』本文だけを読めば、顔回は個人の修養を修めた完成者、あるいは上達者として描かれている。日本風の『論語』の解釈であれば、顔回は、上達者、尊敬を受ける者とされている。
 顔回の死の取り扱いは、漢民族の『論語』の解釈の変更、あるいは彼らの持つ感情の大きさを理解するのに最良の問題なのではないか、と感じている。この点において顔回の死は学問として調べたい、という動機がでてくる。

 続けて吉川先生は書く。

 「政治への関心が詩人の任務であるとする意識は、政治への情熱の乏しい人人にも、むりにそうした言語を綴らせているからである。
 しかしそうした喜劇をさえ発生させるところに、この文学の方向がある。それは普通には、過去のこの国の中心の教えであった儒学が、人間の義務として政治への寄与を重視したからであるといわれている。その通りであろう。しかし更に根本的には、この国の人人の感情が、人間を、横に相つらなるべき存在として、つまり社会的存在として、把握したことに、基づくであろう。あくまでも人間中心であるこの文化は、神を否定した。神を信ずる人たちならば、自己をひとり神と接しさせることによって、心の喜びを得ることが可能であろう。出家遁世して、妻子を切りすてることも可能であろう。しかしこの国の人人にとっては、そうではない。横につらなる人間、人間、人間、それが何よりも重要であった。」
            同著 百十七頁

 この後、竹林の七賢の説明に入っていく。吉川先生は、儒学の影響を認めつつも、その根源には中国人の感情がある、としている。
 他方、私は支那大陸の地理、特に流域の広大さ、民族の混在、余剰生産物の多さ、馬等による可動範囲の広さなどがその感情を生み出した、と考えている点が異なる。加えて、関羽の神格化、諸葛亮孔明や曹操等への英雄視は後世に起こる等の時代背景なども考えると、徐々に「中国人の政治性」は強固になっていった、と考えている。吉川先生は、司馬遷等に根拠を元々持っている中国人の本質として論じている。この辺りはどのようであるか、というのに関心がある。
 以上が、学問上の理由の実例である。
 これらの三点から顔回の死について調べたい。

参考書
 吉川 幸次郎著 『吉川幸次郎全集第一巻』 昭和四十三年十一月十五日初刷 筑摩書房

 付記 令和二年四月十四日に書き上げた内容ですが、七月十四日に誤字脱字、補足等を入れました一文です。

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【隨筆】哲学とーちゃんの子育て ぎゅー、っと厳しい二本の柱

 
 とっくん(九歳十一ヶ月)が子供部屋で、ごろりん、と寝転がっていた。

 「とっくん。」

 うつろな目に少し力が入った。

 「なに?」

 両手でとっくんの左手を握ると、ひんやりとしている。右手でほっぺたを触ると、焼きたてのピザのように熱い。

 「今日ね、ミニバスの出欠表をみてみた。とってある出欠表、すべて出席だったよ。すごいね。よくがんばったね。二年間一回も休まなかったんだよ。
 よくがんばったよ。すごいよ。
 びっくりしたし、感心した。すばらしいよ。」

 「うん。」

 力が入った瞳から涙がこぼれそうで、うるんでいた。

 令和二年七月六日、月曜日午後七時過ぎ、葵ミニバスの指導から帰り、すぐ、子供部屋に向かった。

 五日前、妹のまなちゃん(八歳零ヶ月)が溶連菌(ようれんきん)で四十度の熱を出した。

 「とっくんはね、インフルエンザとか四十度じゃないとバスケの練習を休んだことがないからね。」
 「そうだね~。」

 二日前にとっくんが同じ病気で四十度の熱を出した。日曜日、朝練習をしたいと六時に起き、練習に付き合った。その後、葵ミニバスの練習を二時間した。練習後、風呂から上がるといつものようにお昼ご飯を食べない。いつものように叱った。

 「とっくん、ごはん食べなさい。食べて体を大きくしなさい。早く口に入れる!!」
 「うん・・・。」

 頭を下げて机につきそうになった。

 「姿勢悪いよ!」
 「・・・うん。」

 目の周りがいつもより灰色になっていて、ほかの場所がちょっと赤くなっていた。
 「顔色が悪いね。」

 かみさんが直ぐに言った。
 「熱を計ってみよう。」

 七度九分。

 「とく、直ぐに寝よう。歩ける?」
 「・・・うん。」

 通常の対応は病気対応になった。

 椅子から下り、よろよろと歩き出した。午後の一時から八時まで七時間寝た。途中、水枕や「ひえぴた(頭を冷やす湿布)」などを替えながら。今日(火曜日)の朝、六度八分に戻って、顔色もだいぶ回復した。二日間の高熱で骨が体に浮かんでしまった。

バスケットと子育て
 とっくんの子育てにおいて、バスケは大きな割合を占めるようになった。かみさんに「とくは二年前のインフルエンザ以来、休んだことがなかったよ」と言うと、返事が返ってきた。

 「そういえば、とっくんはミニバスの練習を休みたいって言ったことあったっけ?」
 「・・・ないね・・・」
 「好きになれる力があるんだね。」
 「そうだね。私と一対一の自主練習や中学校での自主練習は休むっていうことあるけど、チームでの練習はないね。」
 「すごいことだよね。」
 「すごいことだよね。」

 バスケットを通して、とっくんは心身ともに健やかになっていると実感した。小学校一年生で何か一つ習い事を決めさせる。それを中心に心身を鍛えていく、という子育てが三年を経て形になっているようである。
 
バスケットを通した子育ての二本の柱
 とっくんはプロになりたい、と言うようになった。だから私は「プロになるには」という視点で彼に語りかける。

 「プロは普通の選手よりも一層努力しないといけない。努力は人を裏切らない、と言うよ。」
 「プロは美味しい、美味しくないでご飯を食べてはいけない。練習後は美味しくなくても腹に詰め込まないと筋肉にならないよ。」
 「プロは自分の長所と短所を知って、コントロールしないといけない。とくの長所はスピードと姿勢のよさ、短所は背が低いこと、集中が切れることだよ。」

 小学校三年生からこのように言葉を掛けてきた。小学校三年生への言葉としては、一般よりも厳しい。だから時々、とくに問いかける。
 「もし、とくがプロになりたいと思わないなら、もっと優しくできるよ。どうする?」
と。
 「ううん。」
 とだけ彼は答えてきた。

 バスケットを通した子育ての一柱目は、「プロへ向けて厳しく」である。もう一本は論語の仁である。読んでいる本に丁度書いてあったので引用したい。

 『目が見えないとか、歩けないとか、体に障害があれば、ひと目で障害者だとわかる。しかし、心の動きに関する障害は目に見えにくい。だから、理解されにくい。ひどく忘れ物が多くて注意散漫な子や、じっとしていられない多動の子は、世間から「親のしつけが悪い」と後ろ指さされる。親は恥ずかしい思いをして、子どもにいらだち、繰り返し叱る。叱っても叱っても改善されないので、なお強く叱る。「この子のため」「人並みになってほしい」と「愛情」のつもりでしつけるのだが、ときにそれが行きすぎることもある。
 一線を越えると、それは「虐待」になってしまう。子どもは、さぼっているわけでも、わざと反抗しているわけでもなく、本人なりにがんばっているのだ。しかし、発達障害ゆえに問題をクリアできない。それなのに「みんなにできることが、あなたにはどうしてできないの」と言われ続け、できない自分が情けなくなり、自己肯定感がどんどん低くなる。それは確実に「生きにくさ」につながってしまう。』
              
 寮美智子(りょうみちこ)著『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』の百五十四から五頁の一文である。
 寮氏が指摘するのは、親の愛情が「虐待」となる過程と、それによって子供の自己肯定感が低くなり、犯罪へと走る道である。孔子先生の仁は中庸を求めている。つまり、親の愛情だけで突っ走ると犯罪者への道を敷くことを教えて下さる。子育ては一本の柱だけでは虐待につながるかもしれないと教えて下さる。今一度、寮氏の本に戻りたい。

 『(少年刑務所の絵本と詩の)教室を通してもう一つわかったことは、彼ら(少年刑務所の受刑者)はみな、加害者である前に被害者であったということだ。困難な背景もないままに、持って生まれた性質だけで犯罪に至った子など、一人もいなかった。「わたしだって、彼らのような目にあえば心を閉ざし、世界をうたみたくなる」と思うような悲惨な生育歴も数多く聞いた。』
               同著 十一頁

 寮氏は、親の愛情が子供を被害者にし、また、困難な背景を作り出してしまう、という事実を教えてくれる。私は自分の子供と少年刑務所の少年となんら変わらない本質を持っていると考えている。これは寮氏とも同じであるし、孔子先生も「性相近し、習相遠し」と述べておられる。
 このように考えてきたからこそ、子育てのもう一本の柱が「子供へ仁愛を伝える」としてきた。

 文頭でとっくんに、

 「今日ね、出欠表をみてみた。とってある出欠表、すべて出席だったよ。すごいね。よくがんばったね。二年間一回も休まなかったんだよ。
 よくがんばったよ。すごいよ。びっくりしたし、感心した。すばらしいよ。」

 と伝えた。そののち、肩に手をやり、体をゆっくりとなでた。
 インフルエンザや四十度の熱以外で休んでいない、をとっくんは守っている。けれども、高熱を出し、葵ミニの練習を休んだことに戸惑いを感じていたようである。休むことで自己否定を持ちやすくなるのも、病気で弱気になっていると起こりやすい。私自身、子供時代は特にそうであった。病気がちで家庭環境もあるだろうが、自己肯定感の極めて低い子供であったと振り返っている。だからこそ、こういう時に言う。

 「よく頑張ったね。すごいことだよ。ただ、休むときはきちんと休もう。そして早く熱を下げて、次の木曜日の練習に参加できるように、たくさんお水を飲んで、たくさん食べて、たくさん寝よう。」

孔子先生と寮氏と私
 受刑者の少年に接して寮氏は、その生育背景に犯罪の要因があると言われた。それは愛情ゆえの虐待、逆にまったくの愛情放棄、あるいは生活環境の厳しさ等である。中庸を大切にする孔子先生なら偏っていると言われるであろう。
 私は厳しさを子育ての柱にしているからこそ、全身全霊でとっくん、まなちゃん、おっちゃん(七歳零ヶ月)にぶつかっていく。ぶつかっていくと同じくらい、愛情の受け止めもしたいと思っている。愛情を言葉や体で伝えることを柱にしている。

 昨晩の八時半、子供部屋でとくが既に寝ていた。夫婦で娘二人の歯磨きを終えて、かみさんが階段を下りて行った。後は戸を閉めて、子供たちが寝るだけである。まなちゃんが、いつものように言う。

 「おとーちゃん、ぎゅーーってしてーー。」

 布団に入っているまなちゃんの腰元に両足をつき、ぎゅーーっとした。
 「ぁーありがとう。」
 「こちらこそ、今日も元気でありがとう。」

 立ち上がるとおっちゃんも続けていう。

 「おとーちゃんーーーぎゅーーしてーー。」

 ぎゅーっとする。
 就寝前以外もぎゅーっとする。とっくんが小学校から走ってくるので汗だくで帰宅する。帰宅すると、その汗だくの体に、ぎゅーーっと抱きつく。抱きついてくる。
 普段でも私の部屋に入ってきて、
 「おとーちゃん。」
 とだけ言ってぎゅーっとしてくることもある。

 孔子先生は、「辞は達するのみ」とおっしゃられている。ぎゅーっとすることで伝えられるものもある。だからこそ、身体表現で伝えることを柱にしている。
 プロの厳しさと身体表現で伝えること、この二本が子育ての柱である。

【論語】 椁(かく)でおおうべきか否か

(追記:令和2年8月20日 8月号掲載の「顔回の死について 一、二、三」の出発点となりました。私自身の結論が後に替わります。それについては、追加掲示(UP)します。)


 令和二年一月の富士論語を楽しむ会で、先進第十一 第八章を読み、顔淵(がんえん 回)の死に接しました。その棺(ひつぎ)の外につける棺が「椁(かく)」として出てきました。この椁(かく)について調べましたので、書き残します。
 その過程で疑問が湧いてきました。

 「はたして孔子先生の仰るように、椁が作られなかったのか。」、「はたして椁でおおわれたのか。」

先進第十一 第八章の引用
 『仮名論語』百四十三から四頁を引用します。

 「顔淵死す。顔路(がんろ、顔淵の父親)、子(孔子)の車以(もっ)て之が椁を爲(つく)らんことを請う。子曰わく、才あるも才あらざるも、亦(また)各々其の子と言うなり。鯉(り:孔子の子)や死す、棺有りて椁無し。吾徒行して以て之が椁を爲らざりしは、吾が大夫の後(しりえ)に從えるを以て、徒行すべからざるなり。」

 伊與田覺先生訳
 「〇顔渕が亡くなった時、父の顔路は、先師に「先生のお車を頂いて、椁(外棺)を造ってやりたいのですが」とお願いした。
 先師が言われた。
 「才が有ろうが無かろうが、子の可愛さは誰でも同じだという。鯉(長男)が死んだとき、棺があって椁はなかった。だが私が車を売ってまでして椁を造らなかったのは、私が大夫の末席にあるので職掌がら徒行してはならなかったからだ。」

椁について
 椁は外棺とあり、いつものように他の論語の解説を調べました。明治書院の吉田賢抗先生、角川書店の加地伸行先生、学習研究社の藤堂明保先生のいずれもが、外棺としていました。藤堂先生は「槨(かく)」と表記されていました。
 作り方は別々でした。
 藤堂先生は「その材木で外棺を作りたいと願い出た」とし、加地先生は「先生の車をいただいて椁を作りたいと願い出た。・・・[車を売って]」とあり、車を売るとしています。吉田先生、伊與田先生も車を売ってとしています。

椁を作ったのか
 では、当の椁を作ったのでしょうか? 父顔路と孔子先生とのやりとりを見ると、孔子先生が車を渡さなかったので椁を作れなかった、と結論付けられます。
 しかしながら三章後に以下のように述べられています。

 「顔淵死す。門人厚く之を葬(ほうむ)らんと欲す。子曰わく、不可なり。門人の厚く之を葬る。子曰わく、回や、予(われ)を視ること猶(なお)父のごとし。予は視ること猶子のごとくするを得ず。我に非ざるなり。夫(か)の二三子なり。」
       『仮名論語』 百四十五、六頁

 伊與田覺先生訳
 『〇顔渕が亡くなった。
 弟子達は彼の為に葬儀を盛大にしようと先師に相談した。
 先師は、「いけない」と強く止められたが弟子達は、かまわずに盛大な葬儀をやってしまった。すると先師が言われた。
 「回は私を父のように思ってくれていたのに、私は子のようにしてやれなかった。それは私のせいではない。みんなあの諸君がやったことだ。」
※孔子は顔回の心にもかない、自分の心にもかなう真情のこもった質素な葬儀を行いたいと思ったのにと複雑な心境。』

 「盛大な葬儀」とは具体的にはどういうことを指すのでしょうか。実は、具体的なことについて書いてあるのは三章前の「椁」しかないのです。
 このような推測に至ったのには明治書院の吉田先生の「語訳」を読んだからです。

「○非我也、夫二三子 顔淵の父の顔路の意志がこれをなさしめたことを暗に諷(ふう)して(遠回しに批判するの意味)、自分の気持ちがそこなわれたことを、遺憾としている。」
               二百三十九頁

 顔路の意志とは、椁で棺をおおうことなのは明らかです。「門人の厚く之を葬る。」とは「椁で棺をおおうこと」を意味していると推測します。ですから、椁は作られ、そして使われたことでしょう。そして孔子先生は顔回の生きざまと合わないと複雑な心持になられたのでしょう。

椁でおおうべきか否か
 孔子先生は顔回の生きざまを見てこられて、椁でおおうべきでなかったと述べられました。では、それで良いのでしょうか? 
 と言いますのも、孔子先生はあくまでも学問上の師であり、血縁上の父は顔路なのです。その顔路が、死者を葬る礼にかなう椁を希望しているのです。藤堂先生の注には「昔から丈夫な材木が入手しがたく、棺槨(椁のこと)の材木は高価であった」とあります。つまり、椁は高価でしたが、礼にかなう方法であったのです。孔子先生も高価であるから反対しているのであって、礼に反するから反対している訳ではないのです。だとするならば、血縁上の父親が礼にかなった方法を孔子の弟子達がお金を出し合って葬儀することは、とがめられることなのでしょうか。

 「孔子先生、生前は回が大変お世話になりました。しかし、父親として最後に、回を正式な葬儀方法で送ってあげることをしたいと思います。なぜなら、彼は礼をまもること、楽しむことを生涯を掛けて通したからです。父よりも早く死ぬとは言え、子を愛する気持ちには変わりません。それが孔子先生のおっしゃる仁愛の心だと思います。ですから、礼にかなった方法で送ってやりたいのです。」

 と顔路が孔子先生に伝えたとしたら、どのように答えるでしょうか。孔子の主張する儒教の根本は「親が子を愛する気持ち」が出発点です。「師が弟子を愛する気持ち」ではないのです。この点において、孔子先生は自らの主張の苦しさ、矛盾に突き当たっています。そして見苦しい言い訳をしています。

 「回は私を父のように思ってくれていたのに、私は子のようにしてやれなかった。」

 とこの言葉を血縁上の父、顔路の前で言うのです。さらに続けて、

 「それは私のせいではない。みんなあの諸君がやったことだ。」

 と責任転嫁までしています。親が子を思う行動をしたのですから、仁愛にかないますし、礼にもかなっている行動です。それを孔子先生は「諸君らの責任だ」と批判しているのです。孔子先生の判断が冷静さを欠いています。もし子路が仕官して孔子の側を離れていなければ、孔子先生の意に反する葬儀は行われなかったでしょう。子路個人の武の技量、孔子への忠誠心は並々ならぬものがあったからです。

孔子先生の冷静さを欠いた理由
 冷静さを欠いた理由は、顔路の申し出を拒否した次章、次々章で明らかです。次の章では「天は私を滅ぼした」と言い、次の次の章では弟子達がびっくりするほど、「声をあげて泣き、身もだえして悲しまれた」のです。さらには七十二歳という高齢もあったのでしょう。そして翌年に子路が殺され、翌々年に亡くなっています。これらが孔子先生の冷静さを欠いた理由の一つだと察します。
 ただ、大きな理由は伊與田覺先生が挙げているように、顔回を惜しむ気持であったことでしょう。

哲学の視点から論語を
 椁でおおうべきか否か、について孔子先生と父顔路では意見が正反対でした。では、この場合、どちらの意見が正しいのでしょうか。
 哲学から視ると、どちらも正しい、となります。どちらの意見も合理に沿っています。そして両方の合理が正反対で併存することを、カントは「二律背反」と定式化しました。
 古代ギリシャまで遡れば、ソクラテスは「世界の当たり前の状況を自然とするならば、それらは曖昧さを含んでいる。だから批判しなければならない」と言いました。孔子先生の意見を丸呑みするのではなく、曖昧さを批判しなければならない、疑問を投げかけ続けなければならない、というのです。
 論語の基本概念である「仁」は親が子を思う気持ちとされています。けれども、その手段には正反対さがあり、そこに曖昧さがあると視るのが哲学なのです。
 今回は椁に着目しましたが、具体的な方策として孔子先生と父顔路で正反対さと曖昧さがありました。儒家を「仁と礼を通して理想社会の建設を目指す思想家」とするならば、根本概念において、哲学の視点の必要性がはっきりと読み取れる章だったと感じました。

 実は、儒家は孔子先生の死後に八つに分裂しています。その内で有名なのは孟子や荀子です。基本概念において曖昧さを抱えて正反対をも許容している孔子先生の思想が、性善説の孟子と性悪説の荀子、その他に分裂するのも当然の帰結であったと考えられます。
 ですので、現代を生きる私達は、孔子先生の教えをそれぞれが独自に解釈することが許されていると思います。
 
 参考図書
 伊與田覺著 『現代訳 仮名論語 拡大版』  論語普及会 平成二十四年 第三十八刷
 吉田賢抗著 『新釈漢文大系〈一〉 論語』 明治書院 昭和六十三年 改訂二十五版
 加地伸行 他著 『論語』 角川書店 昭和六十二年初版
 藤堂明保著 『中国の古典一 論語』 学習研究社 昭和五十九年 第二版


【隨筆】 道徳とは便利な道具  

 富士論語を楽しむ会では毎回、『仮名論語』を通して、論語の素晴らしい面、孔子先生の立派な面に着目して道徳を学んでいます。今回は、道徳の道具としての側面、特に人生を生きていく際に、極めて便利な側面について書いていきたいと思います。と言いますのも、つい先日の二月十日日曜日に体感したからです。

父からの教え
 父は中国の専門家の端くれですが、どうも、道徳については、側面から眺めていたようです。大学生の時でしたかよく覚えていませんが、以下のような話を覚えています。

 夕方のアスファルトの道路を歩いているときに、ふと、

 「正直は、いいぞ。」
 「え? ああ。(なんだろう?)」
 「正直だと、損をしない。目先の金もうけが儲かるように見えるけど、結局は人に騙されたりしてひっくり返されたりする。正直は結局、遠回りだけど、いい。急がば回れだよ、正直は。」

 のようなことを言われました。私はそれまで、道徳とは守らなければならない社会のルールとして考えていて、損とか得とかは考えたことがなかったので、へーそんな考え方もあるのか、とびっくりしました。それから心に止めてみて、大学生の生活、バイトで多様な年代の人、考え方の人に触れたり、恋に破れたり、友人に裏切られたり、電気を止められたり、バスケで試合に負けたりする生活を観ていきました。この言葉が、正直を通す原動力になったと思います。
 前にコールバーグの道徳的発達段階説をご紹介しました。人間の最初の段階は「罰を受けるから道徳を守る」で、次が「得をするから道徳を守る」と続く説でした。高校までは親の監視下にあり、「罰を受ける環境」でした。大学生になり、この環境ではなくなったので、父の「道徳は得になる」との助言は、まさに的確な時期に行われたことになりますし、私の心にしっかりと残ったのも、私が「得だけを考える心」にあったからでしょう。人生は半ばになって振り返って、滋味を増すのがあることにも驚きました。

結婚相談所の動画から
 では、この「得をするから道徳を守る」という解釈を、現在の私がどのように考えているかを書きたいと思います。
 私は結婚生活に十全さを感じていますが、時々、ネット動画で「結婚相談所(お見合い紹介所)」の動画を見ています。年に三十万以上のお金を払って結婚という人生の一大事を決める結婚相談所は、人間の本質がよく現れるからです。ここで興味深い話を聞きました。
 結婚相談所では、ネットで相手の履歴書を見ます。男女対等に異性を見てお互いがオッケーをすればデートに行けます。アドバイザーが補助しながら、その後真剣交際に入り、結婚に至ります。
 結婚相談所は高い費用が掛かりますから、早めに結婚退会することが良いのですが、三か月の人、十年の人とそれぞれだそうです。
 アドバイザーの人が「結婚まで結びつきにくい人」という動画を挙げていました。その例を説明します。普通の人が助言を得て履歴書を書くと以下のようになるといいます。

 申し込んで興味を示さない人 二人
 申し込んで興味を示してくれる人 二人
 無関心の人 六人
 
 結婚まで結びつきにくい人は、申し込んで興味を示さない人に、いつまでもこだわる、というのです。美人、若い、知的など好条件の人は、結婚相談所では他の男性からの申し込みがあるので、申し込んだ本人の条件よりも良い人とお見合いをする、というのです。この人にこだわると、ずっと時間がかかってしまうのだそうです。
 逆に、早く結婚に結びつく人は、自分に興味を持ってくれた人に百パーセントの力を向けるといいます。というのも、履歴書ではわからない部分、例えば、箸の持ち方、姿勢、話し方などなどが判ってくるからです。興味を持ってくれた人が多少自分の条件とは違っても(劣っても)会ってみると、他に合う箇所が探せる、というのです。
 自分の条件にこだわる人、柔軟性のない人は履歴書にない部分に大切な情報があることを捕えられない人であり、結婚しにくい人である、と言います。また、だからこそ高額の費用を支払うことになってしまうのです。

礼節と個人の感情
 私はこの話を道徳とは便利な道具として聞きました。と言うのも、申し込んで興味を示さない人、あるいは無関心な人というのはこちらが礼儀をもって接しようとした人なのです。その点は良いと思います。他方、アドバイザーは本人に結婚できるようにアドバイスをしてくれています。このアドバイスを聞くことは道徳に適うことだと思うのです。結婚相談所はお金を払うことで相手に義務が生じます。この義務を遂行しようとするのは道徳上の要請です。義務を果たさなければ、世間での評判が悪くなりますが、これは法律ではなく道徳上の要請を果たさないからです。この道徳上の関係を無視すると、結婚したい本人が高い費用を払い続けることになるのです。
 また、心の内では条件が悪く乗り気ではなかったとしても、相手が興味がありますよと接してきてくれた時に、礼儀だけはきちんと返すことが大切だと考えます。そうすると、履歴書では見えなかった箇所の発見があるのです。つまり、礼儀を通すと後ろ向きな思いが前向きになる可能性がある、つまり、得する可能性がある、ということです。自らに合う伴侶を得られることは、これ以上ない得だと思います。

四十代半ばになった再解釈
 こうしたことは結婚に限らず、職場や町内会や親戚づきあいなど社会のあらゆる人間関係でも通じるのではないでしょうか。四十代半ばになった私は、先述をそのように再解釈するようになりました。
 私も職場で、その人の側にいるだけで、ムカムカする人がいます。ミニバスの父母会、色々な奉仕活動の中で、筋が通らないこと、無理を通してこられること、仕事がいい加減なことなどに接しています。
 その際に最初に考えるのは、こちらが礼儀を通して社会のルールを守っているかどうかです。
 ムカムカする人にお礼のメールを書くときに暴言や否定のことばを書いていないか、と入念に確かめます。仕事上必要だからです。個人の感情よりも礼節を通すことが道徳上の要請だからです。それで相手から返事が来ないこともあります。それならば顔を突き合わせて、なるべく笑顔で穏やかな声で「あの件、どうしますか?」と聞いてきました。そうすると、絶望的な関係と思われた関係がいつの間にか、笑顔で表面上は挨拶できる関係にまで修復された経験を何度かしてきました。
 先進第十一では、顔回の死に際して孔子は、個人の感情より、まず礼節を通しました。そして四章後に、以下のように述べています。

 「曰(のたまわ)く、未(いま)だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らん。」
      『仮名論語』 百四十七頁

 『先師が答えられた。
 「まだ自分が、この世に生まれていることも分からないのに、どうして死がなんであるかがわかろうか。」』

 有名な章で、後の朱子学等に大きな影響を与えた章でもあります。これまでの流れの中で解釈しますと、「礼節を通すことをまず、生の第一優先とし、特定の人の死に対する個人の感情というのは後回しにする、そういうことが道徳である」となります。この解釈は、当の章の最初の部分が以下のようになっていることからも補助されます。

 『〇季路が神様につかえる道を尋ねた。
 先師が答えられた。
 「まだ人につかえることが充分にできないのに、どうして神様につかえることができようか。」
 季路は更に死について尋ねた。
 先師が答えられた。
 「まだ自分が、この世に生まれていることも分からないのに、どうして死がなんであるかがわかろうか。」』

 人に仕えることと神に仕えることに共通するのは礼節を通すことです。この点を重視すると、人と交際する際に大切なのは礼節を第一優先とし、特定の人に対する個人の感情を後回しにすることが道徳に適うことになります。これは職場や町内会など社会の中で生きていくための基本であると思われるかもしれません。
 ただ、現代日本ではなかなか、これを教わる機会、教わった後、中年以降に思い出す機会が少ないように思われます。今回、自分の身の回りの経験が、論語の一節と結びつきましたので嬉しかったです。

ミニバスでの経験
 最後に、二月十日の南部体育館で、前のコーチとのやり取りを述べたいと思います。

 「高木さんはコーチについてはどんな風に思っていますか?」
 「コーチですか?」
 「十二月末から状況が変わりバスケットに関われるようになり、そして関わりたいな、と思っているんです。私にはどんな風に関わってほしいと思っていますか?」
 「ああそういうことですね。私は前から変わらずメインのコーチとして戻ってきてほしいと思っています。」
 「あくまでメインは高木さんがいいと思いますが、私が戻ると、娘たちが「邪魔になるんじゃないの?」って反対するんですよ。」
 「(笑) 私は三月末に葵ミニバスを解散するかどうかを選手全員に聞きました。すると全員が「葵でやりたい」と言ったのです。その時から選手のための手助けをしたいと思ってきました。そしてコーチは私よりバスケットを教えるのが上手ですし、心の問題でも指導が素晴らしいです。ですから私はコーチに戻ってきてほしいと思っています。もしそうなれば、審判やその他のことで選手のために手助けをしたいと思っています。」
 「わかりました。じゃあまた、色々と話し合っていきましょう」

 聞かれてすぐに答えられたのは、道徳を大切にしたいと思ってきた結果だと思います。ミニバスは選手のための場であり、私個人の感情や私の監督やコーチとしての経歴や成功が第一優先されるべき場ではない、と思ってきました。
 そして今回偶然にも、最愛の弟子と言える顔回が亡くなっても礼節を第一とした孔子先生の教えが学べました。
 今後も道徳を大切にしていくと、人と人の関係やその他もろもの、名誉欲、金銭欲等々に惑わされず気持ちのいい指導や監督、心地良い人間関係へと進むことができるような気がしています。何よりも、色々な欲望に惑わされなくていいのが楽なのです。今回はそれを体感しました。以上が人生における最大の得だというのが、四十代半ばになった再解釈です。
 さらに、孔子先生の教えを心にして生きていきたいです。

令和2年度後期に「科学技術者の倫理」を受講するみなさんへ

 ―講義で紹介しきた「フクシマ 50 」(福島原発事故時の作業員の映画)-

 東日本大震災に起因する福島原子力災害(事故)で、日本全体を救ってくださった作業員の映画「フクシマ 50 」があります。
 原作は日本を代表するドキュメンタリー作家 門田 降将(りゅうしょう)氏です。

 令和2年度後期受講の学生の皆さんに、おすすめします。

 福島原発事故時の無名の作業員の方々は、NEWSWEEK(アメリカの週刊誌)で大々的に報道されました。
 講義では、科学技術者の倫理を達成した方々として事故後、講義で触れてきました。
 「科学技術者の倫理」を、具体的なイメージをつかむために見てほしいと思います。
 また、あなたの人生の指針としても。

 講義の内容を少し先取りします。

 私の立場として、福島原発事故時に日本全体を救った無名の作業員の方々に国民栄誉賞を贈ってほしい、と思っております。
 同時に、日本国内製造の食の安全を向上させたミート・ホープ事件の内部告発者赤羽(あかはね)喜六氏も顕彰すべきであるという立場です。

 原発作業員の方々は、事故後日本国内で差別され、報道されませんでした。赤羽氏も日本全国の安全を向上させたのですが社会的中傷などを受けてきました。
 社会全体で倫理の向上が先進国の中で共有される中、彼らのような素晴らしい方々に感謝の気持ちを表すことが求められていると考えます。

 今回の新型コロナウイルスでは、医療関係者全員に対して、ライトアップや飛行行動などで感謝の気持ちを表すことが見られました。この流れが加速し、社会全体が安全で安心で、幸福度が上がっていくことを、「科学技術者の倫理」でお伝えできればと思っています。


-----追記(令和2年8月6日朝ごはんの後)------

 門田 降将氏は、新型コロナウィルスについてもお書きになっています。 『疫病2020』 産経新聞社 令和2年6月17日 1600円+税

 「政策決定を含めて、後手、後手にまわった日本のありさまに、表現しがたい怒りを持った国民は多かった。しかし、その怒りの根源がどこにあるのかを確かめる余裕もないまま、人々は日々の生活に追われている。」5頁

 ご本では、今回の失敗は東日本大震災の福島原子力災害等の失敗と共通する点が書かれています。新型コロナウイルスの後にどのようにしていくか、アイディアが出てくる本です。お薦めします。

 また、私も大いに刺激された本でした。今度、「新型コロナウイルスは情報の扱い方が問われています」というお話会をする時にも使う予定です。
 余談になりますが、鴨長明著『方丈記』は日本初の災害文学で、疫病もでてきました。本の最後に鴨長明の狷介(けんかい)さが、現代日本人の狷介さに通じるように思われてなりません。法律に基づかないマスクの強要、今回の対応失敗が戦略性や安全保障の思考の欠如、無常観に心を浸して積極策を失うこと、責任の所在を追求しないことなどです。いつか文に起こせたら、と思っています。
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プロフィール

    名前:高木健治郎

科学技術者の倫理(令和2年度)
書いたもの 令和二年度
科学技術者の倫理(令和元年度)
書いたもの 令和元年度
書いたもの 平成30年度
科学技術者の倫理(平成30年度)
書いたもの(平成29年度)
科学技術者の倫理(平成29年度)
哲学(平成28年度)
科学技術者の倫理(平成28年度)
書いたもの(平成28年)
科学技術者の倫理(平成27年度)
哲学(平成27年度)
書いたもの(平成27年)
哲学(平成26年度)
「科学技術者の倫理(平成26年度)
講義録「哲学」
書いたもの(平成26年)
書いたもの(平成25年)
論文(高木健治郎の)
講義録「科学技術者の倫理」(平成25年度)
高木ゼミ『銃・病原菌・鉄』
高木ゼミ全6回『ぼくらの祖国』
教養講座6回分(平成24年度)   講義録21~
講義録「科学技術者の倫理」(平成24年度)     講義録1~15
講義録「科学技術者の倫理」(平成23年度)
石上国語教室で行われた講演のレジュメです。哲学が足りなかったのが、福島原発事故の原因の1つではないか、と考えています。

「哲学のススメ2」レジュメ

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